『懸命』
まだまだ未熟なので、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。
※この作品は、少し残虐なシーンが含まれます。また、少し刺激の強いシーンが含まれます。以上のことが苦手な方はご観覧をお控えください。
この作品は、私の溜め込んできた物語をひたすらに詰め込んでいます。
それでも楽しんで頂ければ幸いです。
三人で戦っている――なんて思えていなかった。
視界に映るのは猛々しい洛西獣と壊れていく街並みだけで、戦いが始まったら自分のことで手一杯になって、後ろで頑張ってくれている二人のこともちゃんと見えていなかった。
一人で戦ってなんかいなかった。
けれど、アルアさんに言われるまで気づけもしなかった。
私は二人を守らなきゃと思うばかりに、二人のことを勝手に重い枷のように感じていた。
そうじゃない。
私達は足りないから一緒に居るんだ。
それは力だったり、心だったり、温みだったり。
怖くないとはまだまだまだまだ言い切れない。
それでも、さっきまでよりも踏み出す一歩はずっと軽かった。
先程までの不甲斐ない自分を勇むように、なるべく大きく地面を踏み鳴らし、大火を纏って立ち向かう。
ふと、後ろを一瞥すると、ちゃんと仲間が居た。
〇
洛西獣が突進で駆けてきている。
凄まじい速さで距離を詰めてくる。
今でも死ぬんじゃないかという恐怖はある。
けれど、もう怯みはしない。
先程までの私じゃない。
一人で戦っている私じゃない。
私も本当に腹を括らないといけない。
今も誰かが苦しんでいるんだ。
私が凍えて苦しむことで皆が一刻も早く解放されるのであれば、なりふり構っていられない。
そして、今まで不甲斐なかった私へのけじめとして、決心する時だ。
今まで怖くて試したこともないけれど、火事場の馬鹿力という言葉もあるし、案外上手く行くかも。
どちらかと言えば、火事を起こす側の力なのだけれど。
なんて戯けて楽観視してみても恐怖感は然程薄れなかった。
それならそれで良いけれど。
どうせやることは選べないんだから。
そう決意し、私は体中から火炎を発生させる。
普段は腕からや、脚からしか出さない炎も、今ばかりは自身も焦がす勢いで、角から――肩から――翼から――腰から――尻尾から――竜の鱗に覆われているあらゆる部位から燃え盛る。
体を包む火炎が大きさを増すのに比例して、私の体はどんどん体温を奪われていく。
アルアさんに抱き締められた時の温度も、今はもうどこかに消えてしまった。
私の体は特別な体質であり、火竜、もしくは火竜の竜人は自ら火を熾す為の燃焼器官を体内に持っている。
私も同じくそれを持っている。
同じでないのは、私の場合は燃焼器官が欠如しているということ。
箱庭の皆が教えてくれたことによれば、私は難産だったらしい。
私の母は出産を目前に命を落としたそうだ。
お腹の中にいた私も衰弱し切っており、命があっただけでも奇跡だったと言われた。
しかし、そのせいで私は五体満足とはならず、障害を抱えることとなった。
それが、燃焼器官の欠如。
本来、火竜や火竜の竜人は大気中の熱を頼りに体の血流のはたらきを早め、それを燃焼の糧にする。
けれど、器官が欠陥している私は大気中の熱を集めるはたらきができず、自分の体温のみを燃焼の為に捧げなければならない。
血流の速度上昇によって高まる体温すらもすぐ様燃焼に持っていかれてしまう為、体内で火を熾せば体は冷えていくばかりである。
幼い頃は火の操作もまだ下手で、常時燃焼器官が稼働している状態だった為、比較的温暖な箱庭でもコートは欠かせなかった。
そのコートはアンドレイア様が外の――今の世界から仕入れてくれたものだった。
今は燃焼器官を動かさなければ、震える程ではなくなったけれど、それでも肌寒さは一向に無くならないままだ。
「! アルステマちゃん!」
アルアさんは大火に包まれる私を見て、思わずそんな声を上げた。
見た目的にもかなりやばそうだし、何より彼女には私の体質を話している。
体質――或いは、欠陥を。
「大丈夫だよ、アルアさん。頑張らせて。でも、本当に駄目そうなら水を思いっ切りぶっかけて」
そう言って笑顔を返すと、彼女は笑い返しこそしなかったけれど、真っ直ぐな瞳で見つめ返してくれた。
背中を力強く押してくれるような瞳だった。
今どのくらいの温度が出ているのかは分からない。
体はどんどん冷えていく一方で、手に持つランスだけが温度を急上昇させていく。
実際、今の温度で洛西獣を抑え込めるのかどうかも分からないし、そもそも洛西獣に炎を使って良いのかも分からない。
分からないことだらけで、手探りで虱潰しに全てを試してみるしかないけれど、覚悟だけはできている。
今も洛西獣はずんずんと距離を詰めてきている。
この大火を使って如何に戦うか。
前からも、後ろからもが駄目だった今、あと残されている選択肢は横くらいだ。
洛西獣の突進をぎりぎりで躱し、私は洛西獣の胴体を側面から思い切りランスで叩く。
呻き声を上げた洛西獣は突進の勢いも止まり、横によろけた。
やっぱり横からの攻撃の対処は無いらしい。
依然気は抜けないけれど、これなら行けるかもしれない。
あとは、時間の問題だけが懸念点だ。
よろけた洛西獣に追い討ちをかけ、二打撃目のランスを喰らわす。
遂に、完全に倒れ込む洛西獣。
しかし、そこにさらに追撃を仕掛けたのはアルアさんだった。
倒れ伏す洛西獣の真上に魔法陣が形成され、そこから高圧の水流が滝の如く降りかかる。
洛西獣はさらに強く地面に叩きつけられた。
横たわりながら唸る洛西獣にさらなる一手をナキが加える。
洛西獣の巨躯を覆うように魔法陣が敷かれ、そこから無数の茨が伸び出てくる。
茨は洛西獣に絡みつき、横たわった状態で押さえ込んだ。
けれど、ずっとこのままとはいかない。
ナキにも体力や魔力の限界がある。
その為にも、ナキが洛西獣を封じてくれている今、私達が洛西獣の意識を堕とさなければならない。
大火を纏ったまま洛西獣へ向けて空中から一気に急下降し、ランスを突き立てる。
アルアさんもそれに合わせて水魔法で援護する。
しかし、攻撃が当たる直前、洛西獣が突然大きく暴れ出した。
四肢をばたつかせて茨を引き千切り、暴れながらその勢いで起き上がる。
暴れたせいでアルアさんの魔法はズレて脚に当たり、簡単に弾かれてしまった。
そして、起き上がり様に真上から下降してきた私に牙を突き立ててきた。
ぎりぎりランスを前に構えて牙を弾くが、その衝撃が強過ぎた為、そのまま地面に叩きつけられて転がる。
地面に倒れ込み、無防備となった私を見逃すことはなく、洛西獣はそのまま私目掛けて駆け出す。
私も慌てて立ち上がり回避を試みるが、間に合うことはない。
けれど、洛西獣の突進はナキが張ってくれた魔法障壁によって阻害された。
さらに、アルアさんが水魔法で洛西獣の意識を逸らしてくれた。
洛西獣は二人の方へ振り向き、またも鼻息を荒立てて地面を蹴る。
二人目掛けて走り出すが、私が立て直す時間は十分に稼がれており、今度は私の火炎放射が洛西獣のお尻を焼き上げる。
洛西獣の剛毛は私の火炎も弾くが、ヘイトを溜めるには十分だった為、前脚を大きく上げながらこちらへと向き直る。
あっちこっち向き直してばかりで大変だ。
地鳴りを起こしながら駆けてくる洛西獣を、先程と同様にぎりぎりで横へ回避する。
ランスを大火で包み込み、洛西獣の胴を目掛けて振り被る。
――が、私のランスが洛西獣を襲うよりも先に、洛西獣はこちらへ向き直っていた。
「!?」
洛西獣は私に突進を躱された瞬間、瞬時にこちらへ向き直っていた。
まるで馬のような足捌きで、鋭く曲がったのだ。
猪ではおよそできないような動き――まして、これだけの巨躯であれだけ速度が出ていたなら、自身の体への負荷も相当のものだろう。
けれど、それをできるだけの力強い脚腰と反射力を併せ持っているのが『獅子猪』である洛西獣ということだ。
そういえば、フィンも獅子猪は曲がることができるのが最大の特徴だと言っていた。
それに、先程は不意を衝くことができたけれど、二度目ともなれば向こうも本能的に理解している可能性が大きい。
なんて冷静な分析をしている暇は今ありはしない。
完全に対処されて、洛西獣の突進を諸に喰らってしまった。
吹っ飛ばされた私はまたも建物へと窓や壁を破りながら突っ込む。
いくら頑丈な竜人とは言え、洛西獣の突進も鈍ではない。
喉に鮮烈な痛みが走り、次の瞬間には口から血が飛び出した。
しかし、そこで洛西獣が手を緩めることはなく、そのまま建物ごと私へ突進してくる。
その時、ぎりぎりでナキが障壁を張ってくれた為、突進は一瞬止まるが、それでも洛西獣は続けて突進を繰り出し、その威力に耐え兼ねた障壁は破かれてしまう。
その間に私も態勢を立て直すが、壁に囲まれた建物内にいる為、避けることは不可能。
覚悟を決めてランスを前に構え、洛西獣の突進を受け止めにかかる。
建物の壁が粉々に壊れ、肌を叩く衝撃に押されそうになる。
どうにか踏ん張るが、本題の突進が襲いかかり、私は軽々と吹き飛ばされた。
ランスで直撃を防いだところで、そこから伝わってくる途轍もない衝撃の波が骨も脳も揺らし、時空が歪んだように思えた。
背中にぼんやりとした痛みが伝わり、背後の壁まで押されてそのまま建物の外へと押し出されたことを理解した。
反対側の街道へと退けられ、ブレる視界の中で空の青が薄く見えた。
地面に叩きつけられて倒れ込む私をそのまま洛西獣が踏みつけようとしたが、降りかかる足蹠は途中で止まり、そこにはまたナキによる障壁が張られていた。
一瞬でも止まった洛西獣の隙を突くように、アルアさんの水流が今度こそ洛西獣の顎を目掛けて噴き出す。
顎を打たれて最初の時と同様、縦に半回転しながら地面に倒れ込んだ。
その隙に私も起き上がるが、視界が判然とせずに立ち上がろうとしてまた倒れ込む。
どうやら軽い脳震盪を起こしてしまったらしい。
既にこちら側の街道へ回ってきていた二人は、私の様子を見て慌てて駆け寄る。
アルアさんが回復魔法を私にかけ、その間にナキは茨を大量に出して倒れた洛西獣を縛りつけて時間を稼いでくれた。
視界だけでも元に戻った私は、ランスを握り直して洛西獣へ攻撃を仕掛ける。
またも暴れながら起き上がる洛西獣のめちゃくちゃな攻撃を掻い潜り、その頬目掛けて大火のランスを横殴りに振るう。
――その時、私の指先から突然力が抜け、ランスが手からすっぽ抜けてしまった。
「あっ――」
――と、思った頃には既に遅かった。
手から離れた私のランスは洛西獣の頭の横を掠めて、虚しく地面に突き刺さった。
得物も無くして無防備な私を見逃すはずもなく、洛西獣は首を思い切り横に振り、その牙で私を殴りつけた。
凄まじい勢いで吹っ飛ばされた私は石畳の地面に打ちつけられ、ごろごろと抗えもせず転がり続ける。
頭に重たい痺れを感じ、血が出ているのが分かった。
うつ伏せに倒れ、真横に傾いた視界には小刻みに震える私の手指が映っている。
気づけば、火は消えていた。
全く分からないうちに、タイムリミットは来ていたらしい。
今まで出したこともない火力と温度を持った火炎は、洛西獣を止める前に絶えてしまった。
つまり、私の体温は生きるには足りないまでに下がり切ってしまったのだ。
冷えた石畳の地面が今ばかりは温くて、とても眠たかった。
〇
アルステマちゃんの体質は理解している。
ネフリティスホリオの医者として、理解していない訳にはいかない。
だから、彼女が勇ましい焔に身を包み、洛西獣と向き合う姿を見て、思わず声を出さずにはいられなかった。
それでも「頑張らせて」という彼女の一言を切り捨てられる程の医者としての誇りも、私には無かった。
そんなもの――要らなかった。
けれど、それ故に現在の危機的事態を呼び起こしてしまったのであれば、私は医者失格だ。
アルステマちゃんの状態は遠目からでも見えた。
燃焼器官の爆発的な稼働による急激な体温低下――それがどれ程命に関わることなのかも私は知っている。
だから、それを見た時、自分の判断の誤りに苛まれた。
彼女の命あっての頑張りであり、彼女の命あってこそ救われる私達なんだ。
一人が欠けて笑い合える未来など存在しない。
だからこそ、私はやはり止めるべきだったのかもしれない。
洛西獣が止める為に短期決戦で勝負に出るよりも、長期戦を見据えて慎重に命を繋いでいく方が余程良かったのではないのか。
私は見誤ったんだ。
アルステマちゃんの症状の重さも――洛西獣の手に負えない程の屈強さも――何もかも見誤ったんだ。
情けない話、この戦いは結局アルステマちゃんが要になってしまう。
距離を置いて安全地帯から魔法で援護する為には、どうしても第一線で洛西獣を牽制する人員が必要になる。
それができるのは、彼女しか居ない。
先程、私が一人で洛西獣を相手して、身に染みて理解した。
私一人ではどうしたって務まらない。
今からでは、何をしても埋まらない力の差がある。
だから、狼狽えてしまった。
また、絶望的な状況になり、視界が急に狭くなった。
「――アルアさん!」
だから、ナキちゃんが居てくれて本当に良かった。
彼女が居てくれたお陰で「どうにかしなきゃ」と、考え続けることだけは維持できた。
そうだ。焦ってはいけない。
諦めることだけはしてはならない。
どうすれば良い?
まずは、アルステマちゃんの救助。
そして、一旦態勢を立て直す為の後退。
その為には、洛西獣を挟んで反対側にいるアルステマちゃんの所へどうにか辿り着かなきゃ。
「ナキちゃん、援護してくれる?」
「はい、分かりました」
私はアルステマちゃんを目指して走り出す。
洛西獣がいる方向に向かうことにもなるので、ターゲットになることは免れない。
洛西獣の目の前を横切ろうとすると、洛西獣は大きく前脚を上げ、私へと振り下ろす。
私はその正体が人魚故に、地上を走ることなんてほとんどないのでとても鈍足である。
杖を突きながらじゃないと、未だに躓きそうになる。
私に降りかかる脚はナキちゃんの障壁により防がれた。
洛西獣の前を走り抜け、アルステマちゃんへと一歩一歩近づく。
私の背中目掛けて突進してくる洛西獣は、再び障壁によって妨害された。
その間に私はアルステマちゃんの元へと辿り着き、倒れた彼女の肌に触れる。
酷く冷え切った彼女の柔肌は、所々凍傷を起こしており、痛みはあったはずなのによく戦ってくれた。
「頑張ったね」
私は一言囁き、回復魔法をかける。
時間も無い為、応急処置程度にしかならないけれど、それでも時間内にできる限りの処置を施す。
後ろには障壁を破った洛西獣が襲いかかってきているが、ナキちゃんがその度に新しい障壁を張り直してくれている。
凍傷と低体温は何とかなるところまでは治した。
これでひとまずアルステマちゃんが起きてくれたら良いのだけれど。
「アルステマちゃん、アルステマちゃん」
彼女の体を揺すってみるが、反応は返ってこない。
やはり、昏睡状態にあるのかもしれない。
「アルアさん、アルステマは」
と、その時、後ろからナキちゃんが自身にも障壁を張りながら、合流しに駆けてきていた。
「応急処置はしたけれど、まだ意識が戻らないの」
そう返すと、彼女は青白いアルステマちゃんの顔を見て、思わず悲壮の表情を浮かべた。
これでも応急処置ができたお陰で、随分と血色は良くなった方だ。
しかし、洛西獣はそんな思いも露程も知らず、容赦なく襲いかかってくる。
激しく障壁に額をぶつけて破り、少しずつ近づいていく。
そして、それは突然訪れた。
ナキちゃんはこちらへ駆けてくる途中、何に躓くでもなく、ばたりとその場に前のめりに倒れ込んでしまった。
「! ナキちゃん!」
必死に起き上がろうと手を突いて半身を起こすが、息も荒くなっており、立ち上がることができない。
限界が来てしまったのだ。
体力的にも、魔力的にも。
それもそうだ。
洛西獣の突進に一度でも耐え得る魔法障壁を、何枚も何枚も張り続けているのだから。
それまで張り続けていた障壁も消え、洛西獣を止めるものは無くなった。
洛西獣は私達二人を目掛けて突進してくる。
こうなったら、成功率は低いけれど、水流でアッパーを完璧に決めるしか、助かる道はない。
そう思ったのも束の間、今までのものよりも一際大きく頑丈な魔法障壁が私達の前に現れ、私が賭けに出る前に洛西獣は立ち止まった。
それも当然、ナキちゃんによるものである。
自身も相当の貧血状態にあるはずなのに、そこを踏ん張って私達を守ってくれた。
それだけに留まらず、続けて氷魔法で洛西獣の気を引く。
そのお陰で、洛西獣は私達を標的から外した。
けれど、当然標的はナキちゃんに移ることになる。
私はアルステマちゃんを背負ってナキちゃんの元へ向かう。
杖なんて持っていく余裕もなく、道に置いて行った。
けれど、そんなことをしても、既に走り始めた洛西獣の足に私が追いつく訳もない。
それどころか、人一人を背負ってより上手く走れなくなった私は、簡単によろめいて無様に転げてしまった。
「ナキちゃん!」
叫び声も虚しく、洛西獣は止まらない。
ナキちゃんは虚ろな眼差しで迫りくる洛西獣を見据える。
震えながら翳された掌から現れた魔法陣は、一瞬で幾重ものの障壁を自身の前に張り重ねる。
突進の直撃は防がれたものの、耐え兼ねた障壁は粉々に割れ、押さえ切れなかった衝撃波がナキちゃんを吹き飛ばし、彼女を背後の建物の壁に叩きつけた。
「ゔっ――」
呻き声を上げ、ぐったりと壁に凭れるナキちゃんはもう真面な意識は残っていなかった。
そんな彼女に洛西獣は情けのかけらもなく、本能のままに前脚を振り上げる。
その攻撃は常にナキちゃんが守ってきてくれた。
その彼女が為す術なく踏み潰されようとしているのなら、もう防ぐ術はない。
「嫌だ、やめて!」
懇願が届くはずもなかったが、奇跡なのか何なのか――三度洛西獣は攻撃を止め、その場に立ち尽くした。
振り下ろしていた前脚もゆっくりと地面に下され、着地した場所には誰もいない。
未だにどういうことなのか分からないまま、それでも隙だと判断して立ち上がり、アルステマちゃんを背負ってナキちゃんの元まで駆け寄る。
ナキちゃんは意識がない訳ではないが、険しい表情で息を荒げている。
血色も悪い為、やはり極度の貧血状態だろう。
応急処置をしようにも、いつ洛西獣が再び動き出すのか分からない以上、ここには留まれない。
そして、何よりも私はフィンさんに託された最後の役目を思い出す。
――本当に危険だと感じた時は、二人を連れて逃げて下さい――
今がその時だと、判断した。
一人が戦闘不能になった時点で、私達は逃げるべきだった。
二人が限界を迎えるまで戦うことはなかった。
二人が限界を迎えても尚、倒すことのできない相手だった。
もう、私達の手には負えない。
今こそ戦略的撤退を実行する時。
私はアルステマちゃんを背負って片手で支え、ナキちゃんをもう一方の片手で脇に担ぎ、走り出す。
膂力だって大して無い私には途轍もない運動だが、決して落とすことは許されない。
ここが海だったなら、もっと素早く避難できるのに。
と、まだ十分に距離を取れていないのにも関わらず、洛西獣はお構いなしに動き出す。
大して開きはしなかった距離はあっという間に詰められ、命を抉る牙はすぐ真後ろに迫ってきていた。
「くっ……」
何とか足掻こうと、二人を抱えたまま横に跳んで何とか回避を試みる。
ぎりぎりで直撃は免れたものの、凄まじい風圧に押され、地面に転がり込む。
抱えていた二人も放してしまい、二人とも力なく地面に倒れ伏した。
そして、獅子猪の特技の急カーブで、避けた私達への追撃は既に始まっていた。
洛西獣の突進は今度こそ避けられない。
そんな状況で何を思ったのか、私はナキちゃんとアルステマちゃんの前に出て、両手を大きく広げて洛西獣と向き合った。
せめて身を挺して二人を守った気でいたいだけなのかもしれない。
そんな自己満足如きで洛西獣を止められるはずもなく、私諸共全員轢かれる運命にあった。
もっと早く逃げていたら、命だけは助かったかな。
後悔しか今はないけれど、それも仕方ないのかもしれない。
そうして、実際に死ぬ恐怖に思わず涙が出た。
「あ――」
皆、ごめんなさい。
背中が妙に熱くて、気が散ってしまいそうだ。
――何で背中が熱いんだ?
そんなことを思った私は、死の際で思わず背後を振り返ってしまった。
その時、今正に自分の真横を通り過ぎ、迫りくる洛西獣へと立ち向かう――緋色の影が一瞬だけ見えた。
影は今までで一番巨大な火炎を纏って、エンジンのように火を噴いている。
置いてけぼりの炎が尾のように伸びていて、私の涙を蒸発させた。
そのまま影は洛西獣の片方の前脚に飛びつき、地面が割れてしまう程に自身の足を踏ん張らせている。
炎が洛西獣を包み込み、苦しむ獣の唸り声が轟いた。
気づくと、洛西獣の突進は止まっていて、私達は生きていた。
竜の少女が救ってくれた。
〇
小さな痛みが走り、光が飛び込んできた。
そこで、自分が眠っていたことと自分が目覚めたことを理解する。
ふと視界に飛び込んできたのは、最後の記憶と同じように地面に突っ伏す手指と、洛西獣の前に両手を広げて立ちはだかるアルアさんの姿だった。
アルアさんじゃ無理だよ――と、私の無意識が呟いた。
アルアさんが死んじゃうよ――と、私の本能が知らせた。
なら、誰が助けるの――と、私は私に問いかけた。
結局、選ぶことはできない。
ほぼ無意識だったんだと思う。
体の冷えも忘れて、とにかく出せる限りの火力と温度で、洛西獣を止めた。
洛西獣の前脚にしがみついた瞬間、衝撃が骨をガンガンと叩き、目玉が飛び出そうな感覚がした。
筋肉が膨らんで鱗を破りそうになり、足が地面に食い込んで爪先が粉々に崩れそうになり、全身が一気に震えて止まらなくなりそうになった。
それでも止められたのは、何も考えずにいられたお陰だった。
痛みへの恐怖とか、目に見えるリスクとか、そういったものを全て忘れて、ただ今起きている状況にがむしゃらに立ち向かうことだけを体がやってくれた体と思う。
やっと止めることができた洛西獣を、そのまま脚を持って押し上げて、勢いのまま投げ飛ばす。
全身が宙に浮いた洛西獣は背後の建物に突っ込んで、建物を壊しながら倒れ込む。
あら、やっちゃった。
建物まで破壊するつもりはなかったのだけれど、考えないというのも一長一短だ。
その時、私はランスが無いことに気づき、その在り処を思い出す。
すっぽ抜けてしまったことも、その後の醜態も。
翼を広げ、ランスがある場所へ向かう。
最後の記憶にいた場所と違ったので、遠くにあるかもしれないと思ったが、移動は大してしていないらしく、ランスはすぐそばの地面に突き刺さっていた。
ランスを引き抜き、すぐ様二人の元へとんぼ返り。
滑空をして、呆然と立ち尽くすアルアさんと、苦しげな表情のナキを抱えて、そのまま飛び続ける。
「アルステマちゃん、どこへ向かっているの?」
アルアさんはそう訊いてきた。
「一度距離を取ります。それと、これ以上建物を壊す訳にはいかないので、マテオス城の所まで向かいます。あそこなら既に壊れているし、周りに気を遣わなくて大丈夫だから」
そう返すと、アルアさんは強く頷いて「ありがとう、お願い」と、言った。
洛西獣も起き上がるや否や、すぐ様後ろを追いかけてくる。
二人を担いでいることもあり、徐々に追いつかれそうになる。
アルアさんも水魔法でどうにか足止めを図るけれど、大きな効果は得られない。
マテオス城もすぐ目の前だが、それ以上に洛西獣が速い。
こうなったら、もっと血の巡りを加速させるしか――
その時、一筋の雷霆が洛西獣へと放たれた。
バリバリと音を立てながら、洛西獣に直撃する。
諸に喰らった洛西獣は体に電撃が走り、痺れたように動けなくなり、私達が逃げ切る時間を稼いでくれた。
アルアさんの水魔法で洛西獣の体が濡れていて、電気が通りやすくなっていたことも功を奏したのかもしれない。
そして、そんな雷を放ったのが誰なのかと言えば、当然ナキ以外にいない。
「ありがとう。でも、大丈夫、ナキ?」
そう訊ねると、彼女はまだ少し険しい顔で「うん、頑張れるよ」と、答えた。
かくして、私達は無事に誰もいないかつ、周りを気にしなくて良い場所に辿り着けた。
二人を地面に下ろし、アルアさんの回復魔法を受ける。
それと同時進行で、アルアさんが話を始めた。
あくまで、手短に。
「二人とももう限界が来ている。それに関してはもう目を背けられない」
私とナキは同時に頷く。
「だから、ここで――一瞬で――洛西獣を止めなきゃいけない。それができなかったら、私達は今度こそ死ぬ」
死ぬ――その言葉は何よりもリアルで、これまで何度も襲いかかってきた死の際が思い出された。
思えば、ここまでよく死ななかった方だ。
「時間が無いから、詳しくは決められない。状況に応じてそれぞれがベストの選択で合わせていくしかない。ただ――」
アルアさんは私の眼をしっかりと見つめ、はっきりとした口調で伝えた。
「――最後の止めはアルステマちゃんに決めてほしい」
私が――止めを決める。
「決めてほしい――というか、あなたにしか決められないことなの」
私にしかできない。
私はさっきまでそのことを酷く恨んでいた。
何で私なの――何で私だけなの――そんな思いが逡巡していたけれど、今はもうどこかへ行ってしまった。
責任なんて嫌――重たいものは嫌い――けれど、そんな役目を果たせたのなら、私も少しは自分を認められるかな。
皆と一緒に居ても良いって、認めてあげられるかな。
「分かった。私にやらせて」
アルアさんは不適な笑みを浮かべて「ありがとう」と、言う。
「とは言っても、本当に止めを刺す訳じゃないから、気絶させてほしいってことだけれど。でも、生半可な攻撃じゃびくともしないことは、アルステマちゃんが一番分かっているわよね。だから、お願い。本当に止めを刺すつもりで挑んで」
「あなたの動きに私達も合わせるわ」アルアさんのその言葉に、ナキも私を見たまま頷く。
洛西獣はこちらへと走り出してきている。
こちらの心の準備なんて向こうは待ってくれないけれど、それなら心配いらない。
心の準備なら勝手にでき上がっている。
「二人ともお願い。時間を稼いで」
私は二人にそれだけを言い残し、返事も待たずに上空へと飛び上がる。
大火を纏い、翼を大きく広げ、最後の攻撃の為に命を燃やす。
高度はどんどん上がっていき、空気はそれに比例して冷たくなっていく。
肌を吹きつける風は容赦なく、手足の震えを抑えるだけでも一苦労だ。
どれくらい上昇したのかは分からない。
今、地上で二人がどんな死闘を繰り広げているのかも分からない。
けれど、死ぬはずがない。
根拠もないし、それだって実際は分からないけれど、どかどかと走り回るだけの獣なんかに、二人が今更やられる訳がない。
ここまで来れたのは奇跡だったけれど、運命に導かれた訳じゃない。
ちゃんと自分達で選んできたんだ。
一つ一つを選んで、ここまで繋いできたんだ。
気づくと、遠くに見えていた巨大樹の高さを超えていて、私の頭上には燦々と変わらず照り続けるお日様と、青く遥かな空だけが広がっていた。
私は翼を細く折り畳み、空気抵抗をより少ない形にする。
その瞬間、私の体は重力に身を任せ、速度を増しながら落下していく。
そこに自分で大火のブーストをかけ、さらに加速させる。
体は震えることすらできない程に凍え固まり、喉は呼吸の度に針を飲んだように痛む。
速さはどんどん上がるばかりで、途轍もない風圧や肌を掠める塵のせいで、目も思わず閉じそうになる。
末端の感覚は既に無くなった。
痛みも何も無く、ただ重たい痺れが鼻先に纏わりつく。
けれど、お陰で余念も消えた。
風を受ける肌や構えたランスが、摩擦による発火を起こし、寒くて熱くて訳が分からなかった。
徐々に近づいてきた地上の景色は、みるみる肥大して私の体を縮めていく。
映り込んだ光景の中に、必死に戦う二人の姿がどんどん大きくなっていく。
二人が時間を稼いでくれたお陰で、私の落下地点には寸分の狂いもなく洛西獣の脳天が待ち侘びている。
――お待たせ。
冷えて火照った喉から、音にならない声が出た。
この一撃の為に、私は今まで泣いたり、奮ったり、怯えたり、眠ったりしたんだ。
随分と遠回りをした。
けれど、それが無駄だったとは思わない。
思ってやるものか。
刃のように巨大な火炎を纏い、振り下ろされたランスは、洛西獣の脳天を打ち砕いた。
今までの苦労や努力とか、全部を何度も置いてきて、その度にスタート地点に戻ってきた私達の、何もかもを詰め損ねた渾身の一撃が、今この戦いに終止符を打った。
〇
急速落下によって、隕石にも劣らない自信を持って繰り出された一撃の威力は言うまでもない。
直撃により鳴り響いた轟音は、街中を劈いて震撼させた。
空から落ちてきた炎に喰らわれた洛西獣は、どうすることもできずに地面へと叩きつけられ「ふがっ」と、呻き声を上げて泡を吹いた。
洛西獣がいる場所から地面には巨大な罅が入り、城の床は歪み合ってさらに割れていく。
全力を出し切って着地もままならない私は、そのまま凸凹になった地面に転がり落ちた。
洛西獣に与えた一撃がクッションとなり、落下によるダメージは然程ない。然程。
私が空へ舞い上がっている内に随分とぼろぼろになってしまった二人が私の元へ駆け寄り、動けない私を抱き寄せる。
「……倒せた……?」
ぼんやりとする頭でそう訊くと、二人は私を温めるように抱き締めて「うん」と、頷いた。
「ふへへ」と、やっと笑えた私の視界に、白目を剥いて泡を吹いて地面に倒れ伏す洛西獣が映った。
――続けて、崩れた城の瓦礫に勢いよく突っ込む人影が現れた。
「えっ」
私が洛西獣をぶっ叩いて鳴らした轟音には及ばないまでも、それでも凄まじい音を立てて瓦礫の山に突っ込んだそれを、私達は三人揃って目を丸くして見ていた。
「嘘……」
嘘だと、思いたかった。
けれど、確かに事態はまだ収束してはいない。
この戦いにおける敵は、洛西獣だけじゃない。
何なら、洛西獣が一番敵の中では敵ではない。
もっと極悪な奴らが居るんだ。
化け物だったり、魔国の軍人だったり――『神』だったり。
「いってえ……まさか毒矢を全部受け切るとは……」
満身創痍の私達の前に現れたのは、それこそ私達の手には負えない――『神』だった。
「しかも、あそこからここまで飛ばすだなんて……参っちゃうなあ」
三人で体を寄せ合い、半ば絶望的な眼差しで神を見ていると、向こうもその視線にやがて気がつき「あ」と、声を出した。
「あらら、あんた達、こんな所で戦ってたの。しかも、洛西獣を失神までさせて……」
アルアさんが私とナキを抱き締める力がより強まった。
彼女は何も言わずにただ神を睨みつけている。
その視線を気にするでもなく、弛んだ目でこちらをじっと見つめてくる。
「ん、ん、ん? そこにいるのは、鬼人の女。わあ、こいつはラッキーだ」
と、ナキのことを見た途端、にたりと微笑んだ。
「そいつが厄介なんだよな。じゃあ、殺さないと」
その言葉に反応した私は、アルアさんの腕から抜け出し、なけなしの火炎を纏って神へとランスを振り被る。
「あんたじゃないよ」
その一言と同時に、私の一振りを避け、そのまま私の横腹に重たい蹴りを入れた。
「がっ……」
あっけなく吹っ飛ばされ、私は地面を転がり続ける。
意識はぎりぎり途絶えなかったものの、体に力が入らず、起き上がることもできなかった。
アルアさんはナキを抱いたまま水魔法で何度も神を攻撃するが、簡単に見切られてしまい、すぐに距離を詰められた。
彼女達の目の前まで来ると、神は黙って二人を見下ろす。
アルアさんは為す術なく、それでもナキだけは離さないと、強く抱き締める。
そうすると、神はふんと息を漏らして、次の瞬間、ゆっくりとした動きでアルアさんの額を人差し指でちょんと触れた。
「えっ……」
そうすると、アルアさんの体は溶けていくように力が抜けていき、抱き締めていた腕はナキに凭れるように弱々しくなってしまった。
そして、アルアさんの腕を掴んでナキから簡単に引き剥がすと、彼女を地面に投げつけた。
「!」
その光景を見て私は内心憤慨しているのに、肝心の声は何も出てこなかった。
何故、こんなにも喉に力が入らないのだろう。
何故、居ても立ってもいられないのに、見ていることしかできないのだろう。
そして、神は私とアルアさんを指差し「そこの竜の女と普通の女」と、呼んだ。
「あんたら二人を殺さないのは、アイオーニオンにつべこべ言われたからとかじゃないからな。確かに、殺すことの方が場合によってはめんどいこともあると思ったけど」
何が言いたいのか分からない。
分からないけれど、今フィンの名を言ったのか?
だとしたら、フィンとは既に接触している?
だったら、当のフィンは今どこに?
もしかして――
「さて、殺さなきゃいけない奴はさっさと殺そう。じゃあね」
と、そう言い終えて吹っ飛んだのは神の方だった。
当然ナキだって無抵抗で命を差し出すはずもがない。
ナキは一瞬の隙を突いて、神に魔法の火炎弾を放った。
またも瓦礫に突っ込んだ神はすぐに起き上がり、ナキの元へ猛スピードで距離を詰め、ナキの顔面を思い切り蹴飛ばした。
地面に倒れ込んだナキを、神は何度も蹴りつける。
それが、高等で高尚な生命の行為だとはとても思えなかった。
「くそ、何で、こうも、痛い、思いを、しなきゃ、ならないんだ!」
そんな風に喚きながら、ナキをしっちゃかめっちゃかに蹴り続ける。
ナキは呻き声すら上げず、ただ静かに耐えている。
不意に神は足を止め、死んだような瞳でナキを見下ろす。
そして、突然ナキの首を掴み、そのまま高く持ち上げた。
「もう良い。もう嫌だ。分からない。面倒くさい」
そのまま握る手に力を込めた神は、気づいていなかった。
横から飛んできた一本の剣に――ナキを掲げる腕が狙われていることに。
「ぎゃあ――!」
白く光る刀身の剣は神の腕を深々と貫き、その手は掴んでいたナキを思わず落としてしまった。
そして、すぐ後に一つの黒い影が稲妻のように駆け、神の腕に刺さった剣の柄を持ってそのまま引き抜く。
引き抜くと同時に神を蹴り飛ばし、私達から遠ざけた。
その姿をどれだけ待ち望んでいたことか。
彼を見るだけで、冷えていた体は瞬く間に芯から温まれていく。
まるで戦いの前の抱擁の温もりが蘇ってくるようだった。
「三人とも、洛西獣を止めてくれてありがとう。遅くなってごめん。今度こそ決着をつけよう」
フィンの黒い瞳はただ真っ直ぐに神を睨んでいた。
次回にご期待下さい。
本作品は、不定期更新となります。次の物語をお待ちください。




