『振出』
まだまだ未熟なので、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。
※この作品は、少し残虐なシーンが含まれます。また、少し刺激の強いシーンが含まれます。以上のことが苦手な方はご観覧をお控えください。
この作品は、私の溜め込んできた物語をひたすらに詰め込んでいます。
それでも楽しんで頂ければ幸いです。
怖くて堪らないこの気持ちは一向に収まらない。
魔人達がネフリを襲ったあの日――私がニケに殺されかけたあの時――はっきりと『死』の感触を捉えた。
あの時の恐怖が今もまざまざと心に残っていて、竦む足を助長させる。
フィンが私を抱き締めてくれても、この気持ちは消えていなかった。
首筋辺りがずっと寒くて、その場に蹲りたくなる。
それでも――戦うことから逃げたら、私は死ぬと同然に居場所が無くなる気がした。
私がこんなに怖いなら、皆も一緒なんだろうと気づいた時、一人じゃない気がした。
戦いたくなんてない。
竜人だから――強いから――そんな理由で戦わせられなくない。
殺される恐怖を味わった。
痛めつけられる惨めさを味わった。
けれど、それよりもずっと前に――大切な人を奪われる怒りを味わった。
私は奪われたくないから、戦いたくなくても戦う。
きっとフィンもこんな気持ちなんだろうな。
私はアンドレイア様から賜ったランスを握り締め、私よりもずっと大きな洛西獣に立ち向かう。
フィンが抱き締めてくれた温もりは、私の発する熱とすぐに混ざり合った。
〇
何をどうやってこの状況を解決するのかは分からないけれど、とりあえず私はフィンに言われたことをやるしかない。
指示待ち人間と言われようと、言いなり野郎と言われようと、それ以外にできることが見当たらないのだから、何を言われても受け付けない。あと、野郎ではない。
さっきは何となく戦わなくちゃと思って洛西獣を牽制しただけで、何をどうしたら解決になるのかとかは何も考えていなかった。
先程、何やらナキが何かをしていたので、それが解決への糸口だと思う。
とにかく、私はフィンに頼まれた通り――託された通り、ナキとアルアさんを守るだけだ。
炎を纏わせたランスを洛西獣に向けて、バットのように横薙ぎに振り被り、起き上がりかけていた洛西獣の胴に強く叩きつける。
絶対に殺してはいけないと言われたので、とりあえず打撃を与えてどうにかしてみる。
しかし、結果は分かっていたが、洛西獣の鉄のような剛毛によりランスは弾かれてしまった。
私は叩きつけた反動で空中で後ろに仰け反ってしまう。
フィンが駆けつける前に牽制していた時も、この剛毛のせいで全く攻撃が通らなかった。
けれど、私の打撃が全くの無意味だった訳でもないらしく、打撃による衝撃は確かに伝わっているようで、起きようとしていた洛西獣はまた倒れ込んだ。
私はそこを見逃さず、がら空きになっている腹に渾身の蹴りを入れる。
洛西獣は呻いたような唸り声を上げ、多かれ少なかれ効果はあることが見て取れた。
追撃を加えようと、即座に第二撃の蹴りを放つ。
しかし、脚が洛西獣に当たる前に、洛西獣が横たわったまま暴れ、急停止をやむなくされた。
暴れながら起き上がった洛西獣は、すぐ様こちらへと突進してくる。
私が避けても後ろにはナキとアルアさんがフィンから話を聞いている為、迂闊に避けることはできない。
しかし、洛西獣の突進をこの身一つで止められるかと言えば、正直自信はない。
それでもやるしかないのだけれど。
私はランスを構え直し、こちらも洛西獣に突進を試みる。
ランスを振り被り、衝突と同時に洛西獣の額に叩きつける。
気絶させるのが最善なのだとしたら、一番良いのは脳震盪を起こさせて動けなくさせることだろう。
けれど、ランスが額に当たった瞬間、途轍もない衝撃が腕から全身に伝わり、むしろこちらが動かなくなってしまった。
挙句、洛西獣の突進も諸に喰らってしまい、勢いよく宙へ飛ばされる。
動かない体では受け身も取れず、思い切り地面に全身を打つ。
痛みと恐怖を体感しながら、痺れる頭で理解した。
破壊力抜群の突進を武器とする猪ならば、衝撃が直接伝わる頭部――特に、額こそ一番の強度を持っているはず。
そこに正面から勝負を挑むなんて、勝機の欠片も無い。
いくら頑強な竜人の体と言えど、相手が洛西獣であるならば、勝敗は然程変わらない。
歪む視界と不安定な腕で体を起こす。
石畳の地面には、私の鼻からどぼどぼと音を立てて血が垂れていた。
「アルステマちゃん! 大丈夫!?」
すると、すぐにアルアさんが駆け寄ってきて、私に回復魔法をかけてくれた。
痛みはすぐに消え、ぐにゃぐにゃだった視界も元通りになった。
どうやら、フィンから話を聞き終えたらしい。
「あ……ありがとう、アルアさん。大丈夫。二人のこと、ちゃんと、守るから」
そう言って、もう一度洛西獣に立ち向かう私を、アルアさんは引き止めるように抱き締めた。
「……ごめんね。フィンさんの言う通り、私達はあなたに頼りしかない。あなたを危険な目に遭わせるしか、この状況を打破できない。ごめんね、あなたに怖い役目を負わせてしまって」
彼女は震える声でそう謝る。
全身が温かくなって、ずっとこの腕の中で甘えていたくなった。
けれど、そんな訳にはいかない。
私は私を包む腕をそっと剥がす。
「大丈夫だよ。安心して。もう怖くないから」
嘘でしかないけれど、嘘のままじゃ駄目なんだ。
私は落としたランスを拾い上げ、もう一度洛西獣に立ち向かう。
ナキは既に魔法陣を展開させ、やるべきことをやり始めている。
私もやるべきことをやるんだ。
怖さや震えは消えないけれど、痛みや傷ならアルアさんが直してくれる。
大丈夫じゃない。
逃げたい気持ちは一向に消えない。
けれど、私は強い。
だから、フィンからこの役目を託されたんだ。
この強さを恨んじゃいけない。
私がここに居続ける為の武器なんだから。
ランスを強く握り直し、翼を大きく広げ、地面を破るつもりで踏み込む。
洛西獣へと一直線――向こうもこちらに対抗するべく、再び突進をしてきた。
正面からが駄目なら、そこ以外を衝くしかない。
最終的な目的が殺害ではなく、気絶や身動きを取れなくさせることなら、方法はいくつかあるはず。
私は衝突の瞬間、瞬時に低空飛行に切り替え、洛西獣の懐へ潜り込む。
動けなくさせるなら、単純に脚を狙えば良い。
四足歩行の猪なら、脚を一本でも削れば大きな痛手となるはず。
竜のように翼もないから、移動手段や攻撃手段は脚を失っただけでも奪われる。
構えたランスの切っ先を洛西獣の右前脚目掛け、突きつける。
しかし、豪脚健脚の洛西獣の脚はランスを強く撥ね返し、その衝撃で私は地面に叩きつけられてしまった。
返り討ちに遭った私は地面を転がり、起き上がった時には目の前に洛西獣が迫ってきていた。
「あっ――」
鋼のような脚に轢かれかけた瞬間、私の目の前の足元から突然魔法陣が開き、そこから大量の水が大砲のように勢いよく噴き出してきた。
飛び出した水は天に向かう滝のように直上し、迫りくる洛西獣の顎にクリーンヒットした。
洛西獣はアッパーを決められたように真上に吹っ飛び、そのまま半回転して背中から地面に落ちる。
私はすぐ様立ち直り、ナキとアルアさんの所まで後退する。
先程の水魔法は間違いなくアルアさんのものだろう。
お陰で命拾いをした。
ナキは今も意識を集中させ、洛西獣の自我の再構築を図っているが、洛西獣の様子を見るに、まだまだ時間はかかりそうだ。
起き上がった洛西獣はすぐ様こちらに向き直り、地面を蹴って準備運動を始めている。
正面は勿論、脚への攻撃も駄目となると、あとは何があるだろうか。
本当に気絶なんてさせられるのだろうか。
でも、考えながらでもどうにかしないと、ナキもずるずると体力を奪われていってしまう。
早く――一刻も早く終わらせないと。
洛西獣はこちらへと駆け出し、大きな牙を剥き出して襲いかかってくる。
私も同じだけのスピードを出してランスを振り被る。
――と、猛スピードで駆けてきていた洛西獣は何の前触れもなく突然急停止した。
そして、どういうことか、何をするでもなくその場で停止してしまった。
「へ?」と、拍子抜けした私はそのまま大火を纏ったランスを振り抜く。
先程とは違い、止まっているだけの洛西獣に跳ね返される訳もなく、洛西獣は無抵抗のまま熱々のランスを喰らい、後ろに大きく押される。
一体どういうことだろうか。
完全に攻撃する気だったのに、防御に徹するどころか無抵抗だなんて。
しかし、無抵抗の状態の洛西獣に私の全力に近い攻撃を喰らわせたのにも関わらず、十分に耐えられるとは。
やっぱり正面からでは無理なのだろうか。
けれど、時間は有限であり、今は尚のことそれを意識しないといけない。
間髪入れずに追撃を仕掛けなければならない。
怯む洛西獣へと滑空する。
身構えた洛西獣だが、突進をしてくる余裕はなく、迫る私に対して牙を突き立てる。
それをランスで何とか捌きつつ、洛西獣の股下へ潜り込む。
先程は脚を攻撃して跳ね返されたが、今回は脚もスルー。
後ろ脚の股下から抜け出て、そのまま急旋回し、洛西獣のお尻を見据える。
前が硬いなら後ろを狙うしかない。
流石にお尻は柔らかいはず。竜人の私だってお尻に鱗は少ないから、柔らかいし。
ランスに火炎を一層纏わせて、洛西獣のお尻目掛けて得物を振り被る。
が、ランスを振り抜く瞬間、洛西獣は尻尾を振るい、私の横腹を的確に叩きつけた。
不意の攻撃を諸に喰らった私は、そのまま街道沿いの建物の二階に窓を破って突っ込む。
「いっ……たあ」
建物の中は既に誰もおらず、避難し終えていた。
もしも誰かいたとしたら、壁や窓ガラスの破片が飛び散り、ただでは済まなかっただろう。
その時、鋭い痛みが腕から走り、左の二の腕に目を遣ると、小さなガラスの破片が刺さっていた。
すぐに取り払い、流れる血を眺める。
こういう血がこの街では今大量に流れている。
一刻も早く戻らないと。
建物に飛び込んだ時、慌てて火炎を抑えたので、建物の炎上は防げた。咄嗟にしては良い判断だと思う。
「アルステマちゃん!」
その時、アルアさんの呼び声が耳に響き、急いで外へと向かう。
私が洛西獣の視界から消えれば、当然二人が狙われてしまう。
窓から飛び出し、もう一度炎を纏う。
――と、飛び出したところで、洛西獣は二人目掛けて駆けているものだと思ったが、こちらへと突進してきていた。
「避けて!」
アルアさんの声に反射的に従い、間一髪で突進を回避する。
バランスを崩し、石畳の地面に転がり落ちた。
せっかく纏った炎も消えてしまった。
洛西獣は建物へ突っ込んで、破壊しながらそのまま隣接する建物も一緒に粉々にした。
誰かの帰る場所が今無くなってしまった。
私が避けずに何とか抑え込んでいたら、それも防げたのだろうか。
しかし、そんな後ろめたさに浸っている暇もなく、洛西獣はそのまま突進を続け、いくつも建物を破壊していく。
何をしているんだ。
こちらへ攻撃する訳でもなく、ただ街を壊すだなんて。
しかし、洛西獣の通った道が破壊された建物の跡で顕在化され、あの獣がどういう目的なのかが分かった。
地上から見ている為に分かりにくいけれど、俯瞰で見たならば洛西獣の通った道は徐々に旋回をしているのだろう。
それ故、洛西獣の姿は無事な建物の陰に隠れてここからでは見えない。
そして、徐々に旋回しているのであれば、やがてはこちらへと戻ってくるはずだ。
だとしたら、そろそろ姿が――
そう考察していると、やがて地響きが起こり始め、洛西獣が近づいてきていることを知らせた。
私達が今いる通りの先の建物が突然壊れ、そこから再び洛西獣が現れ出てきた。
助走が伸びて今までの走りとは比べ物にならない程の速さで、こちらへと駆けてくる。
流石に、戦慄した。
地響きは肥大し続け、それと同じくらいに心臓が加速していく。
あっという間に迫ってくる洛西獣の雄々しい気迫で、視界は一杯になった。
「動かなきゃ! アルステマちゃん!」
その時、アルアさんが駆け寄り、私を引っ張って避難させようとしていた。
私はほんの少しだけ正気に戻り、自分のやるべきことを思い出した。
「大丈夫だよ、アルアさん。逃げてて。私が止めるから」
そう言って、腰を低くし、洛西獣へと身構える。
自分でも何がしようとしているのかよく分からないけれど、どうやら突進してくる洛西獣をこの身一つで受け止めようとしているらしい。
無茶過ぎる。
「無理よ! あんな突進喰らったらひとたまりもないわ!」
「大丈夫、大丈夫だよ、大丈夫」
私はアルアさんにできる限りの微笑みを送り、再度洛西獣を見据える。
見据えた時には、あと十メートル程のところまで迫っており、ちゃんと理解した。
――無理だ。
恐怖が頂点まで達し、力が一瞬で抜けた。
牙の先端が私の顔を捉え、首が刎ねた感覚がした。
した気がしただけだったけれど。
摩訶不思議だが、洛西獣はまたも急停止した。
牙が私の顔を抉るすれすれのところまできて、奇跡的にぶつからなかった。
どういうことなのだろう。
自我がないのに、自分の攻撃本能を止める理由も術もあるのだろうか。
けれど、死ぬものだと思っていた私にとって、理解するにはあまりに急展開で、呆然と立ち尽くすばかりだった。
アルアさんも戸惑いを隠せずにいたが、私より余程冷静で、動けなくなった私を必死に引っ張って後退させてくれた。
ナキのところまで引き下がり、アルアさんは私を地面に座らせる。
そのまま私を抱き締めて、自身の胸に包み込む。
温かくてふわふわしていた。
「ごめんね。やっぱりこれじゃいけないわ。あなたが保たないもの」
私はその言葉をぼんやりと聞いて、ぼんやりと理解した。
私は守れなかったらしい。
頼まれた役目を捨てて良いのなら、すぐにでも投げ捨てて逃げたかった。
でも、それができないのは、私がここに居続けたいから。
それ以上に、役に立ちたいから。
皆が「一緒に居て良い」って、言ってくれるのと同じくらい――私自身が「一緒に居て良い」って、認めたかったから。
役に立てている実感が欲しかった。
けれど、それも今、途絶えてしまったらしい。
私はもう、戦えないらしい。
「ナキちゃん、あとどれくらいかかりそう?」
アルアさんは私を抱き留めながら、ナキにそう訊ねた。
魔法を続けるナキは、少し険しい顔つきで「まだもう少し……」と、答えた。
「うん、分かったわ。ありがとう」
そうして、私を腕から解くと、相変わらず優しい瞳で「大丈夫」と、言った。
それは私が言わなければならないはずの言葉だった。
「ごめんね。あなただけが戦うなんて違うわよね」
違わなくない。
けれど、私だけじゃ戦えないのは事実だった。
「あなたは女の子だもの。やっぱり怖いものは怖いものね」
怖い。ずっと怖い。
けれど、そのせいで皆を失くすのも嫌な私だ。
「ここからは私が守るから。あなたはナキちゃんを頼むわね」
全部、私がやらなければならないことだった。
私にやらせてほしいことだった。
そうして初めて、私は皆と一緒に居て良いんだって納得できることだった。
まして、アルアさんに戦ってほしくない。
それなのに、体は一向に動かない。
覚悟が鈍ったまま、恐怖に撫でられて、抗えない。
気づけば、とても寒かった。
〇
誰に責任がある訳でもない。
アルステマちゃんが洛西獣を牽制するのに、一番の適任であることは分かっている。
フィンさんの選択は間違っていない。
彼自身も酷だと思いながら――自分自身に怒りを感じながら――それでも、この街を救う為にアルステマちゃんに戦うことを託した。
それが実践できるかどうかはさておき、彼女もそれを受け止めた。
途中で折れるかどうかはまた別の話であり、折れたとしてもそれが誰の責任になる訳でもない。
私達は仲間であり、補い合わなければならない。
私が戦ってどうにかなるのなら、それでも良いはずだ。
ともかく、私は手に持った杖を構え直し、その場に魔法陣を展開させる。
水魔法と回復魔法くらいしか扱えないが、頭を使えば何とかなるだろう。
しかし、先程もそうだが、突然意味も無く動かなくなるのはどういうことなのだろうか。
意味が無いのかも分からないけれど、とにかく無抵抗になってくれるのなら助かるだけで済む。
けれど、もし罠なのだとしたら……いや、自我を失っているんだから、罠を仕掛けるだけの理性は無いか。
と、少し考えを巡らせていると、洛西獣はまた地面を蹴って鼻息を荒くし始めた。
また突っ込んでくる気だろう。
しかし、背後には守るべき二人がいる。
私は膂力で立ち向かえる程の強さは無いので、アルステマちゃんのように正面から挑めば負けは確実。
だとしたら、先手必勝で相手を封じ込めるしかない。
洛西獣が走り始める前に、ひとまず水魔法を発現させる。
洛西獣の足元から水の壁を沸き上げ、水の檻を作り出す。
この間の神と戦った時にやった戦法だが、神にこそ効果は示さなかったが、洛西獣にはもしかしたら――
――と、そんなことを思っていたが、洛西獣はいとも容易く檻を破り、こちらへ突進してきた。
「やっぱ駄目なのね」
まあ、予想はしていたけれど、期待をかけていた分くらいは落胆してしまう。
なんて悲観している暇もなく、次なる対処を繰り出さなければならない。
洛西獣はもうそこまで突っ込んできている。
となれば、今度は成功したやり方を着実にやっていこう。
先程、アルステマちゃんの危機を助けることができた方法――地面から水魔法を思い切り噴き上げ、洛西獣の顎辺りを叩く――これならば、何とか洛西獣の動きを止められるだろうか。
私は洛西獣の通る道に地雷のように魔法陣を仕掛け、タイミングを合わせて魔法を発動させる。
飛び出る水は洛西獣の顎を目掛けて噴き上がった。
が、しかし、水流の圧を喰らったにも関わらず、突進の勢いが止まることはなく、そのまま突進を続けてきた。
流石に、これは予想外。
いやまあ、一度やってできたからって、次もまた成功するとも限らないのは当然なんだろうけれど。
恐らく先程よりも洛西獣のスピードが速まっており、その為水流が当たる位置が狂ったらしい。
そんな答え合わせをしていられる時間など今は無く、洛西獣はもう目の前まで迫ってきている。
こちらが取れる対処も限りがあり、時間制限もある。
手数が選んでいかなければならない中で、私は今選んだ方法で失敗した。
早く次の対処を――とは言っても、対処など持ち合わせている訳でもなく、これから思いつく訳でもなく、私は内心慌てまくった。
そうしている内にも洛西獣は迫りつつあり、もう目と鼻の先だった。
咄嗟に出た行動は酷く愚かなもので、ただ手を前に翳して魔法陣を形成し、そこからありったけの水流を放つことだった。
正面からの戦いは不利だと、アルステマちゃんが体を張って見せてくれていたのにも関わらず、私は一体何を学んだのだろうか。
できる限り高圧にした水流も、洛西獣の突進を緩めるには至らず、剛毛に虚しくも弾かれてしまった。
まずい――と、思っている暇もなく、洛西獣は寸前で突進を遮られた。
突然の立ち止まりが三度訪れたのだと思ったが、今度は様子が違う。
気がつくと、私達と洛西獣の間に魔法障壁が張られていた。
私が振り返ると、ナキちゃんが苦しげな表情を浮かべながら、右手を前に翳していた。
彼女が間一髪のところで救ってくれたのだ。
しかも、洛西獣の自我の再構築も続けている。
二つの魔法を同時に行ったなんて、信じられない。
天性の魔法捌きだ。
けれど、その反動は大きいらしく、今ので魔力も神経も大分擦り減ってしまったようだ。
それ故の苦しげな表情。
「ごめんね、ナキちゃん。ありがとう」
返事こそ返ってこなかったが、彼女はしっかりと頷いてくれた。
その後ろのアルステマちゃんは今もまだ立ち上がれそうにない。
私が何とか戦い抜かなければ。
魔法障壁もすぐに解かれる。
そうなれば、また私がどうにかしなければならない。
ああ、アルステマちゃんもこういう気持ちだったんだ。
命を背負うこと――自分の身の有無がそのまま他人の身の有無に繋がっていること。
こんなにも重たいものだったんだ。
きっとフィンさんはずっとこの気持ちを抱えながら戦ってきていたのだろう。
いや、彼はもう感じないくらい慣れてしまっているかもしれないけれど。
洛西獣は必死にこちらに近づこうとしている。
距離としてはもう目前なので、どうにかして遠ざけなければならない。
だとすれば、多少反動が大きかろうと、できる手は打つべきである。
私は自分の背後に巨大な魔法陣をいくつも形成し、そこから出せるだけの量と圧の水を溢れ出し、大波を流した。
大波――というか、津波と言っても良いのかもしれない。
魔法障壁が解かれ、目の前の私を攻撃しようとする洛西獣は、今度は津波に呑まれて後ろへと流されていく。
周りの建物を波が襲わないように、流れた水のコントロールをしなければならないが、これが思いの外体力を削る。
それでも、何とか洛西獣から距離を取ることに成功した。
波の力は強大ね。
けれど、巨大な魔法を使用すれば、それだけ体にも負荷がかかるのは言わずもがな。
私は目眩を起こし、その場に膝を突いてしまった。
杖を支えにしてやっと倒れずにいられるような状態で、洛西獣の相手を続けられるのだろうか。
と、その時、後ろのナキちゃんが駆けてきて、私の肩を掴んで連れ戻すように引っ張った。
朦朧とする頭で「え、どうしたの?」と、一応聞いてみる。
気づけば彼女は自我の再構築を中止していた。
どういうことだろう。
この戦いの肝は洛西獣の自我の再構築にあり、その重要度はナキちゃんも重々承知しているはずなのに。
「ごめんなさい、アルアさん。でも、駄目なの」
駄目? それはどういうこと?
「何度も試みたけれど、それでも駄目なの。見つからないの。自我が壊された跡が」
それは――大問題ね……
「ごめんなさい。戦ってもらっていたのに、何もできていなかった」
ナキちゃんはその内に涙目になってきて、声も震え出した。
「前の時は、壊された自我が砂山みたいになっていて、それを一つ一つ元通りにしていって……でも、今回は初めからその砂山が無くて、直しようもなくて」
アルステマちゃんのところまで後退した辺りで、私の目眩も治まってきた。
そして、私は二人を同時に抱き締める。
まずは、ちゃんと振り出しに戻らなくちゃ。
「二人とも、聞いて」
抱き締めたまま、二人に話し始めた。
「アルステマちゃん、耐えてくれてありがとうね。私じゃあなたのようには到底及ばなそうだわ。あんなに怖いものだなんて、ちゃんと分かってあげられていなかった。ごめんね」
アルステマちゃんは私の胸の中に静かに顔をうずめた。
「ナキちゃん、頑張ってくれてありがとうね。あなたにしかできないことだから、あなたに託すことしかできなかった。だから、あなたがずっと不安を抱えながら模索してくれていたことにも気づけなかった。ごめんね」
ナキちゃんは「ううん、私だって」と言い、その先は言わせないように、さらに深くぎゅっと抱き寄せた。
洛西獣はせっかく作った距離を埋めるように、私達へ不屈に突進をしてくる。
私はもう一度魔法陣を形成し、先程よりもさらに大きな津波を引き起こす。
洛西獣も必死に抵抗するが、やがて勢いに負けてまたも後ろへ流されていった。
しかし、こちらも先程よりも強烈な目眩に襲われ、二人を抱き締める力が弱まってしまった。
それでも、話だけは続ける。
「洛西獣の自我を直すのが不可能と分かった今、やるべきことを変えるしかない。洛西獣を三人で抑えること」
そう――私達、三人で。
今度こそ――三人で。
「今までのことが無駄になったみたいで、辛いかもしれない。仕切り直さなきゃいけなくて、うんざりするかもしれない。けれど、それで立ち止まってちゃいけないの。厳しいことを言っているのは分かっている。でもね、分かってほしいの。今すべきことは、怠惰せずに、ちゃんとスタートラインに戻ることなの」
駄目なら、やり直せば良い。
命だってまだある。
それだけで、チャンスは無くならない。
私は二人を腕から解き、二人の目を順に見る。
「頑張りましょう」
二人は黙って頷いた。
頷いてくれた。
立ち上がり、洛西獣にもう一度向き直る。
それぞれが戦闘態勢を取り、地面を蹴る獣を見据える。
戦いは始まったばかりだった。
次回にご期待下さい。
本作品は、不定期更新となります。次の物語をお待ちください。




