『怠惰』
まだまだ未熟なので、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。
※この作品は、少し残虐なシーンが含まれます。また、少し刺激の強いシーンが含まれます。以上のことが苦手な方はご観覧をお控えください。
この作品は、私の溜め込んできた物語をひたすらに詰め込んでいます。
それでも楽しんで頂ければ幸いです。
私は夢を見た。正確に言えば、昔の思い出である。
それは私の歳が十三の時のものである。
私はその日、私が自分の側から散々追い遣った彼女が虐められている現場を偶然目撃してしまった。
怯える彼女――取り囲む上級生(厳密には同じレベルのクラスで、上なのは年だけなのだが)――一際声を荒げて脅す女生徒――軋む金網――
今でもまざまざと思い出せる。
あれほど間違った選択も無かった。
いや、あったにはあった。というか、いっぱいある。
私の人生――間違いだらけだ。
私が飛び出してさえいなければ、きっとどこかで全部綺麗に丸く収まっていたに違いない。
「何しているんだ」
虐めの現場に飛び出した私は女生徒達に向かって、なるべく低い声でそう凄んだ。
えっ――と、そこで私は一瞬たじろいでしまう。
私は校舎の壁から覗き見るのと向こうの連中にバレないのを両立していた為に、現場の状況を完全に把握できていなかった。
隠れながら見ていた時は、校舎の壁で死角となって見えていなかったが、前に勇み出てみれば――何ということか、ちょっと奥の方にさらにやばそうな屈強な男子生徒が三人いた。如何にも悪そうな座り方をして。
あれ――多くね?
しかし、出しゃばってからには後には退けない。
女生徒も男子生徒も年齢こそ違えど、同級ではあるので、見たことのある顔だった。
私が在籍している中級クラスのトップに構える生徒達――中の上の生徒達。
私も中級クラスでは目を引く方だが――心象的には引かれる方だが――そういう悪目立ちという意味ではなく、彼らは実力で他人の目を瞠らせている。
正直、私が出てきてどうにかなる現状ではないのかもしれない。
女生徒だけだったら追い払えたかもしれないが、自分よりも年上の経験豊富――その上自分よりも一回り大きな体の持ち主が三人も――私は相手になるだろうか。
とはいえ、たとえそれを知った上であっても、私がちゃんと間違えずにいられただろうかと考えた時――無理だよなあ――と、思わず感慨深くなってしまうくらいなので、くよくよするのは止めることにした。
何しろ、涙目の彼女がいるのだから――それが前提として動かないのだから、どうせ私も動かないという事実も動かない。
「あ、こいつアイオーニオンじゃん」
と、男子生徒の中の一人がそう言った。
流石に私も名が知れ渡っているらしい。それが私の本意に沿うかどうかはともかく。
「あ、本当だ」
「アイオーニオンって、あのめっちゃ事故に遭ってる?」
「そうそう」
「陰気臭い顔してんねえ。殺人現場でも見た? それとも、殺人でもした?」
「え、てか、何で出てきたの?」
「お前が大声でそいつ脅すから寄って来ちゃったんじゃないの?」
「『僕も虐めて下さーい』って?」
「きっしょ」
「てか、何で黙ってんの?」
「泣いちゃう? まさか」
私は何を言っても茶化されてネタにされて殴られて終わりな気がしたので、何も言わずに彼女の元へ歩み寄る。
彼女を囲っていた女生徒達は私が近寄ると「うわっ、何、きも、やめて」と、大袈裟に離れて行った。「やめて」って――何を?
私はそれすらも無視し、彼女の手を引いて校舎へ向かう。
まあ、「きも」と言われるのは気分は当然悪いけれど、言われるのは想定内だったし、変に彼女に近寄らせないように通せんぼされるより余程楽なので、結果は大事にならずに済んで良かったごすっ――え? 「ごすっ」?
その時、鈍い音が校舎裏に響き渡った――私の後頭部から衝撃が駆け出すと同時に。
訳も分からず頭が急に重くなり、立ってもいられなくなった。
地面がものすごい勢いで自分の体へ吸い寄ってきて何事かと思った。
まるでコーヒーに掻き混ぜられたミルクのように、世界がぐにゃりと歪んで溶け出した。
上下も定まらない視界の中で必死に原因を見つけていると、私の背後には大口開けて笑う男子生徒が鉄パイプを持っていた。
パイプの先には、血と少しばかりの毛髪が付いている。
それは私のなのに。
この先の記憶はない。
夢が途切れたのもそうだが、本当にない。
〇
短い夢を見ていたみたいだが、実際に流れた時間はそれよりも短く、私が去っていく神の背を毒に悶えながら堕ちていって、一秒くらいしか経っていないだろう。
つまりは、まだ神の背が見えている。
まだ起きている――まだ意識がある――まだ生きている。
このことは奇跡に近い。
毒の回る体で――神の謎の仕業によって力を奪われた状態で――意識を取り戻せたというのは、途轍もない奇跡だ。
しかし、それ以上に奇跡なのは――一度意識を失ったということだろう。
もっと言えば――一度夢を見れたことだろう。
何の夢を見たのかは正直全然覚えていない。
夢なんていうのは、ほとんど忘れていくものだが、それにしても、こんな状況で目覚めて今さっき見た夢を反芻していられる程、長閑な状況ではない。
目覚めて第一に思ったのは「危ねえ!」である。
ただ、その夢のせいなのか――はたまた睡眠にも満たない気絶のせいなのか――何にしても、眠りを境に私の意志が固まった気がした。
諦められない――誤れない。
殊更――ナキの命が関われば。
その意志が私に力を蘇らせてくれた。
手に力を入れ、何とか体を起こす。
力が戻ってきたとはいえ、毒は体中を回り続けている。
何せ世界最高級の毒竜の毒だ。
回るのも早いだろうし、苦痛も世界最高だ。体中が内側から熱されていく感覚になる。
しかし、このまま毒に侵され続けるつもりはない。
毒にやられた右肩の傷はさすがに今どうこうできるものではないが、体中を回り続ける毒なら、どうにかなる。
私は毒竜へと姿を変える。
かつて出会った毒竜の長――イオンはこう言っていた。
――薬も毒が無ければ生まれねえ――
毒を司ることは、毒を支配してこそ。
毒への抗体も持たずに、毒を体内で生成することはできない。
毒竜の毒を解くには、同じく毒竜になるしかないが、それになれるのだから心配には及ばない。
さすがに、ただの人間から大きな竜へと姿を変えれば、その気配の変わり様に誰でも気づけるだろう。
相手が神であれば尚更である。
しかし、彼がこちらを恨めしそうに――気怠そうに振り返る頃には、私の体を回る毒は完全に消滅していた。
「……何で……!」
人へと姿を変え、レイを構え直し、何も言わずに神へと走り出す。
「――うああああああっ!」
雄叫びを上げ、神は残り少ない矢を私へと撃ち放つ。
それを斬り払い、神を両断する勢いでレイを彼の脳天へ振り落とす。
神は慌てて避け、頭から真っ二つにされることこそ回避したが、レイの切っ先は彼の胸から腹にかけて大きな傷を作った。
呻きながらも必死に後ろに飛び退いて距離を取る神だが、私はすぐにその距離を詰める。
ぎりぎりの紙一重で私の剣戟を躱し、それでも体の傷を着実に増やされながら、神は押されていく。
悲痛に歪められた彼の顔は、今にも泣き出しそうな――見るに堪えない哀れな表情だった。
防戦一方で距離を取ることさえできず、必死に私の攻撃を防ぐ神は、やがて自暴自棄になったように大声で愚痴を垂れた。
「くそお! 何なんだよもう! 何でこうなるんだよ!」
「…………」
その叫びに対し、私は何も返さない。
返す必要などない。
そんなことをしている余裕があるのであれば、さっさとこいつの喉を斬り払い、いち早くこの不愉快な声を絶たせる方が余程良い。
それでも、神は泣き言を言うのを止めない――弱音を吐くのを止めない。
「何で気づいたんだ! どうやって気づいたんだ! さっきのだけじゃない、あの時も! あんたはもう死ぬしかなくて、決意も意志も鈍っていたはずなのに! どうして気づいちまうんだよお!」
垂れていることが支離滅裂で何のことを言っているのか分かり兼ねたが――分かり兼ねかけたが――恐らくは、神によって力を奪われた状態から、どうやって私が抜け出したのか――及び、その方法にどうやって気づいたのか――それを訊いてきているのだろう。
正直なところ、私自身もちゃんと理解していない。
今もどうして動けているのかは、全然分からない。
「僕の方が訊きたいくらいだ。どうして力が戻ってきたのか」
「!? ……偶然だとでも言うのか?」
「いや、そんなことを言うつもりはない。偶然で助かるなんて、僕に限って有り得ないからね」
私を誰だと思っているんだ。
運の悪さだけで、ここまで来た男だぞ。
「じゃあ、何でだよ」
「知らない。けれど、もうお前の力は効かないだろう。お前がナキに手をかけようとしている限り、僕の意志は揺るがない」
「…………!」
その時、突然黙ったかと思うと、神は屈み込んだ。
「!?」
何のつもりかは分からないが、お陰で背中ががら空きである。
突き刺してくれと言わんばかりに丸まった背中に、私は構わずレイを落とし込んだ。
「洛西獣!」
その時、周りから土砂や岩盤が飛び出し、丸まった神を覆うように土塊の盾ができ上がった。
私はレイに闇の霧を纏わせ、土の盾を無効化しようと試みる。
案の定突き刺したレイは土の盾を霧散させ、その先に殻籠る神の背にまで辿り着いた。
「――え、あれ」
しかし、肉を裂いた感触はまるでなく、虚空を斬った同然の手応えだった。
その時、真後ろの地面がぼこぼこと音を立てて崩れ出し、そこから這い出てきた神は私の背に弓矢を放った。
不意を衝かれた私は対応し切れず、振り返り様に腰に矢を喰らってしまう。
「――うっ……!」
即座に激痛が走り、腰から紫煙が立ち込める。
歯を食い縛って矢を抜き、勢いそのままに土竜の様に地面から半身出した神に矢を投げ返す。
神は空へと勢いよく舞い上がり、軽々矢を避けてみせた。
やがて先程まであった土の盾はぼろぼろと崩れ、その中は当然空っぽであった。
土の盾はあくまで目隠しであり、私の視界から神が見えなくなった瞬間に彼は地中に逃げ込んだのだろう。
先日戦った時にも似た様な行動を取っていたが、あの時の柔い地面とは違って今は石畳の地面ではあるが、相手側に洛西獣がいるとなれば、そんなことは些事にも満たない。
何にしても、また毒矢を喰らってしまった上に、神の防戦一方の状態が解かれてしまった。
と、毒に苦しんでいる暇があれば、さっさと毒を解毒しなければならない。
早く毒竜に姿を変え――
「させるかよ」
――と、猛スピードで距離を詰めてきた神は、私の胸に飛び蹴りを喰らわす。
ろくにガードもできなかった私は、軽く吹っ飛ばされる。
しかし、すぐ様立ち上がり、毒竜に姿を変えた。
神の追撃を警戒したが、そうしてくる様子はなく、地面に降り立ち、こちらを見ているだけだった。
「……本当に効かなくなっちゃったんだ……面倒な」
私も毒が引くまでは大人しくしているのが最善と判断し、神を睨んだまま動かない。
「この際だから、全部話すよ。自分の力のこと。あんたに効かないなら、もう意味無いしね…………面倒臭くなってきちゃった、話すの止めようかな」
「何なんだよ」
言ったばっかりじゃん。
「自分は神だけどね、何も全知全能の神じゃない。全知全能の神ならこんなに苦労はしていないし、こんな面倒も思い知ってない」
確かに、偏に神と言っても、それらが司る要素や概念、事象はその数だけ多岐に渡るだろう。
一神教であればその存在が何なのか疑う余地もないが、多神教の神ともなればその存在が何なのかは複数の可能性が浮かび上がってくる。
それ以前に、目の前の神が一神教とか多神教とか、宗教化されているのかは不明だが。
そもそも『神が存在する』という事実さえ耳を疑いたくなることなのだから。
と、そんなことを思っていると、また見透かした様に神は私の疑問に答える。
「そうか、あんたにはそれすらも話していなかったもんな。……良いよ、この際だから全部話したげる。もう説明しなくて済む様に」
話してなかったというのであれば、お前が『神』であるということと、『神』達が私を――ナキまでも殺したがっているということ以外、何も話してもらっていない。
まあ、話してもらえるのであれば、それを止めるまでもない――が。
「ちょっと待て、怪しいぞ。何故いきなり話す気になったんだ?」
私がそう訊くと、彼はくすりと笑った。腹立つな。
「ああはいはい。疑ってんのね。当然か。でも大丈夫。騙すつもりも隠すつもりもないよ」
「だったら、どういう腹積もりだ?」
「止してよ。腹積もりも心積もりもないって。そんな面倒なことは自分の仕事じゃない」
じゃあ、どんなメリットがあって話す気になるんだ?
今まではぐだぐだと口籠って話してくれなかったのに。『あいつら』がどうとかって言っていたし。
「そう、今までは『あいつら』に口止めもされてたし、自分もいちいち長々と説明するのも面倒だったし」
「でもさ」と、依然へらへらと――微かに諦めたかの様な表情を浮かべていた。
「もう黙っている方が面倒臭いって思っちゃったから。全部あんたにぶち撒けた方が楽になれると思ったんだ」
楽になれると思った――彼はいつだって、そう思っているだけだった。
そう思い続けているだけだった。
「そう。楽が大好き――面倒が大嫌い。神は神でも――『怠惰』の神さ」
〇
自分は『怠惰』を司る神さ。
名は無いこともないが、めんどいから端折るね。
そもそも何で神様が『下界』にいるのかって話だけど、自分――或いは、自分達は神々が住まう『天界』から追い出された者だからだ。
追い出された――とは言っても、何か悪いことをした訳ではない。
本当さ。何にもやってない。
むしろ、何にもやらないことが自分の専売特許であり――罪でもあった。
そう――罪だったらしい。
何にもやらなかったから――何にもやらなかったのに――どっちにしろ、どっちも罪だった。
生まれただけで罪になるんなら、そりゃそうだよな。
何も驚くことはない。
生まれただけで罪になる奴なんて、自分だけじゃなかったし。
何なら自分は『あいつら』の中じゃ一番遅く生まれて、一番遅く追い出された訳だしな。
それに、そういう奴はこの下界にだった沢山居るだろ?
本人がそう思ってなくても、他人が決めた罪を着せられることは沢山あるだろ?
自分達もそうだった。
何かをした覚えはない――でも「お前が居るだけで」って追い出された。
何で生まれたかも分からない内に、天界で楽しく暮らす奴らから追い出された。
だから、見返してやるんだよ。
この下界を狂わせて、高等な神共に面喰らわせてやるんだ。
その為に、手っ取り早くこの世界を崩壊させる必要があった。
幸いこの世界には支配する者とか圧倒的な強者がはっきりしてる。
かの王国――それを守る都の守護者――これらに暴れてもらえればすぐ様下界は破滅する。
天界はな、下界に大きく影響されるんだよ。
神がそういう風に作ったんだ。
だから、この下界が壊れれば、天界の奴らもただでは済まない。
少なくとも、クーデターが勃発して地位は転覆――上手く行けば皆揃って消滅。
だから、自分は洛西獣の自我を奪って暴れさせてる訳。
分かった? しょうもないだろ?
ああ、ちなみにこの計画は自分が立てたんじゃないよ。
追い出された他の神。自分はこんなよく分かんないこと考えない、めんどいから。
だから、本当のところ理論とか原理とかよく分かってないけど、とりあえず言われたことやってるだけなんだよね。
だから、自分にキレられても困るし、お門違いってことにしてほしい。
怒られるの嫌いなんだ、自分。
え? 自分が何で天界に一泡吹かせてやりたいのか?
決まってんじゃん。
自分が暮らしやすい世の中にしたいだけ。
楽な世界にしたいだけ。
楽な世界に変えたいだけ。
そりゃそうでしょ。
皆幸せになりたいだけなんだよ。
それだけで殺し合ってる世界だろ?
あんたにだって分かるだろ?
まあ、そんな訳だから――今あんたに邪魔されてるのが、一番面倒なんだよ。
失敗すると『あいつら』に怒られるし――怒られるの嫌いなんだ、自分。
あ、そうそう。
お待ちかねの答え合わせね。
何となく察しはついていると思うけど、自分は『怠惰』の神だから――相手を怠けさせるのが得意技。
触れた相手のやる気をどんどん奪っていく。
奪う――なんて言っても、自分のものにできる訳ではないけど。
あくまで、自分も『怠惰』だからね。
力は相手の状況が絶望的であればある程――相手の意志が弱ければ弱い程、相手は力が出なくなる。
そして、失った力を取り戻すには方法は一つ――確固たる意志――揺るぎない信念――怠惰とは程遠い決意――それを失わない奴だけが自分に抵抗できる。
だから、あんたは合格だ。
あんたは二度も『怠惰』から抜け出した。
中々できることじゃない。
大抵の場合は、力を失ってそのまま諦めるからな。
いやいや、本当、お見それしましたよ。
原理が分かってなくても、あの鬼人の女を自分が殺そうとする以上、あんたの意志は崩れない。
それが無くても、どうせ今更見逃してはもらえないだろうし。
――さ、話せることは全部話したかな。
もう十分だろ? 自分も舌が疲れてきた。
それに、さっさと終わらせないと、怒られるし――怒られるの嫌いなんだ、自分。
〇
そのフレーズ、気に入っているのか?
大したことは全然言っていないが。
いずれにせよ、神――『怠惰』の神の力の謎は分かった。
常識外れで理論も通じなさそうな力だが、『神』というのはそもそもそういう存在だろう。
理外の存在であり、不条理な存在――人間の上位互換なんて考え方では説明がつかない。
第一、私が齎された『神の恩恵』も、説明のつかない不可思議な力なのだから、今更何が出てきてもどうこう言える筋合いはない。
とにかく、私にはもう神の力は通じないだろう。
本人も分かっているように、ナキに手を出そうとした時点で私は神を逃すつもりも屈するつもりもない。
毒も体から綺麗さっぱり消え去った。
――戦闘再開だ。
私は人間となって、アルケミアでダガーを顕現させる。
右手にはレイを――左手にはダガーを持ち、神へと一気に距離を詰める。
神は分かっていた様に空へと飛び、距離を取りつつ弓矢を構える。
私も竜人へと姿を変え、空を舞う神を追いかける。
「あーあ、楽できないものなのかな。楽だけして楽に生き続けられないものなのかな」
神は私の剣戟を捌きながら、情けない愚痴を垂れ続ける。
その姿だけを伝えれば神はまだ中々余裕がありそうだが、そんなことはない。そんなことがあっては堪らない。
先日の戦いで、一応なりとも神の胴にレイを貫き通している訳で、今日現れた時も大分消耗し切っていた。
そこから今に至るまで、多くの傷を与えてはきたのだから、それ相応の手応えは欲しい。
実際、今も捌いているとは言っても、完璧とは程遠い。
五割くらいはちゃんと捌いているが、三割くらいはぎりぎり、残り二割は掠ったり喰らったりといった塩梅だ。
まあ、それは私とて同じだが。
毒によって溶解した右肩と左脇腹が痛過ぎる。血も止まらない。
「楽したい楽したいって言うと非難轟々だけどさ、実際、世界のお金持ちのほとんどはそうやって暮らしてるよ、きっと。そう思うと、自分はお金も無いし楽も大してできてないから、非難を浴びることもないと思うんだけど」
そんなことを言われても。
そんなの私だってそうだし。
「楽したいのは生き物の佐賀でしょ?」
「は?」
「ミスった。性でしょ?」
「ああ、性ね」
というか、佐賀って何だ?
「それにさ、自分は『怠惰』の神として生まれて来させられたんだ。なのに、怠けるなって無茶じゃないのか?」
「…………」
「それってさ、足の無い子に『歩かんかい』って言ってるのと何も変わらないよ?」
「……心の持ち様なら変えられるんじゃないのか」
「無理だね。そんなの面倒。面倒ってことはできない。そういう生き物だもの。認知症のおばあさんに『何で忘れんねん』って言えないでしょ?」
「何でちょいちょい標準語から外れるの?」
「こっちの方が理不尽な印象があるでしょ」
「偏見だよ」
神ってものの仕組みや原理を私が理解していない以上、こいつが適当吹いているだけなのかもしれないけれど、確かにそういう風に生まれて来させられたんだったら、仕方ないと言えなくもない。
もし本当に変えられないのであれば、本人の悩みも当然だが――
「――だから許されるのか? 僕を殺すのも、ナキを殺すのも、洛西獣を操って街を――世界をめちゃくちゃにするのも仕方ないのか? 街の人達を『殺す』のは、『殺さない』よりも楽だったっていうのか?」
私の一太刀を躱し、神は煽るような笑みを零した。
「さあね。でも、その人達は『生きる』より『死ぬ』方が案外楽できたのかもよ。見方によれば、自分は人助けをしたのかも」
苛つきが度を超えて私は、竜人の尾を神の腹へと叩きつける。
「じゃあ、お前が死ね!」
ガードも間に合わず、神は尾の攻撃で吹き飛び、誰も居なくなった街の家屋へと背中から突っ込んだ。
そこの家主には申し訳ないが、既に半壊状態にあったので、この騒動が無事に集結したなら、心機一転新築を建てることをお勧めする。
しかし、神が落ちた建物へ近寄った瞬間、私の視界にあるものが飛び込んできた。
それに途轍もなく焦りを感じ、猛スピードでそのあるものへと飛び寄る。
半壊した家屋に接した道路を――避難は既に終わって、見える人影は死体のみとなったその道路を――一人の女性がこちらに向かって駆け寄ってきていた。
「――っ馬鹿! 逃げろ!」
思わず「馬鹿」と叫んでしまったが、それにも怯まず女性は駆け寄ってくる。
獣人ではないようなので、観光客の可能性が高い。
旅先で起きた途轍もない事件に野次馬根性を滾らせてしまい、血迷ってしまったのかもしれない。
とにかく、すぐに追い返さないと――
そんなことを思ったのも束の間、私がその女性の元へ辿り着いたのは、女性が丁度神が落ちた建物の真横に来た時だった。
「何をしているんですか! 早く逃げて!」
「あのっ!」
「避難所は分からないけど、ここはとにかく駄目です! 今すぐ離れないと」
「あなたの勇姿を見させて下さい!」
…………はあ?
「あなた、フィン・アーク・アイオーニオンさんですよね? さっきからずっとあなたの戦いを拝見していました。あなたのことを記事に書きたいんです! 分かりますか、私のこと? ミウラ戦後の囲い込みの時に、転びそうになったところを支えてもらった者です!」
「…………」
忘れた訳ではない。言われれば思い出せる。
そうか、この人は記者か。
であれば、野次馬根性を滾らせているどころか、大火となって自爆するくらいだろう。
実際、彼女は今命を危険に晒してでも記事を掴もうとしている。
血迷ったなどではない。
そういう血の持ち主なのだから。
その時、真横の建物が爆発したように、壁やら床やらを飛び散らした。
神もこの記者を安全に帰すまでは待ってくれない。
止むを得ず、私は記者を片腕で持ち上げ、その場から素早く離れる。
神も空かさず追いかけてくる。
「大変だな、ヒーロー様は。どれもこれも守らなきゃならないもんな」
皮肉めいた腹立たしいことを嬉々として言い、心なしか私ではなく脇に抱えた記者目掛けて矢を放ってきている。
先程まで追い詰めつつあった立場が人一人割ってきただけであっという間に逆転してしまった。
「あのお……邪魔になってますか?」
当たり前だろ。
助けない訳にもいかないのがより厄介だ。
神もその私の心を解り切っているのもより厄介にしている。
「すみません。記事にしたいあまりに……こんなことになるとは思いもせず……」
これだから記者は嫌いなのだ。
こちらがどれだけ命を懸けて戦っても、遠くで見るか後から聞いた話にやんや言うことしかしない。
そういう意味では、間近に現場を見ようと危険なところに駆け寄ってきた彼女は他の記者とは一線を画していると言えなくもない。
決して良い意味ではないが。
何にしても、私は今とても気分が悪く、その上かなりぎりぎりで逃げているので、呆れと焦りが混濁している。
そんな私の気も知らず、記者は続けて訴えてくる。
「でも! 私は決して迷惑を掛けようとかは一つも思ってなくて、アイオーニオンさんの勇姿を沢山の人に伝えたくて!」
何となくで彼女の言葉に耳を傾けつつ、後ろから飛んでくる矢をぎりぎり躱す。
あまりにぎりぎりで、頬を掠めかけた記者は「ひいっ!」と、声を上げた。
飛んでくるのは猛毒の矢なので、掠っただけでもおしまいだ。
「大丈夫ですか?」と、声をかける余裕も私には無く、一瞥をして彼女が無傷を確認するしかない。
と、彼女の方を見てみると、とっくに涙目になっていた。
それでも、彼女は私に語り続ける。
「ですから、どうかあなたの戦いを記録させて下さい! お願いします!」
――しかし、私ももう限界だった。
私は地面に降り立ち、素早く記者の女性を下ろして自分の背後に引き寄せる。
神はチャンスと思い、一度に五本の矢を放ってきた。
私はそれを避けるでも捌くでもなく――五本の矢を全て受け止めた。
「!?」
さすがに、神も動揺を隠せなかったらしく、一瞬動きが鈍った。
その隙を衝くように、私は力を溜め込み、一撃に込めて神に放つ。
「がっ……――」
一瞬呻き声を上げた神は、声を置き去りにする程の速度で彼方へと吹っ飛んでいく。
ぶつかる建物も破壊しながら、正に猪突猛進でその方向へと進んでいく――自分の意思とは無関係に。
神が吹っ飛んだその方向には、今はもう瓦礫の山となったマテオス城があることだろう。
マテオス城付近ならばもう人もいないだろうし、敷地も十分なので、戦う場所としては一番の適所である。
何よりも、早いところ神を記者から遠ざけないと、私が十分に戦えない。
「…………倒したんですか……?」
「いえ、まだです」
あれで倒せるのなら苦労はない。
私は素早く矢を全て抜き、人目も気にせず毒竜になる。
彼女の目があるが、そんなことを気にしていたら毒に侵し殺される。
大体戦っているところを見られていたのなら、とっくに私の能力についてはバレているし、そもそもずっと竜人だったし。
解毒をしている間に、私は彼女に短く思っていることを伝える。
彼女が記者とか、女性とか、そんなことには構いもせず、ありのまま思っていることを伝える。
「迷惑だから早く逃げて下さい」
そう言うと、彼女は一瞬たじろいだが、それでもまだ何かを言おうとする。
しかし、それを押さえつけるように捲し立てて言う。
「あなたの善意とか、僕の勇姿がとか、そんなものは関係ない。賞賛も名誉も何もいらないから、あなたは無事に逃げて下さい。邪魔です」
神もそろそろこっちに戻ってくる頃かもしれない。
彼女がここにいる以上、神は彼女を狙い続けるだろうし、そうならば私は守り続けなければならない。
解毒も完全には済んでいないが、そろそろ神がこっちに来る前に私も神の元へ行かなければ。
怯えているのか、はたまた力が抜けてしまったのか、記者は動かなくなってしまった。
その時、毒の影響が大き過ぎたのか、私は止める暇もなく血反吐を吐いてしまった。
何とも見苦しい。
ちなみに、毒竜の血も赤かった。
それを見た記者は余計に動けなくなり、か細い声で「大丈夫ですか……?」と、私に訊ねる。
心配をされてしまった。
しかし、それでは困る。早く逃げろと言っているのに。
私は追い討ちをかけるように、彼女に怒鳴りつけた。
「早くしろ! 邪魔だって言ってるだろ!」
それ以上は私がいたたまれなくなり、毒竜のまま神が吹っ飛んだ方向へと飛び立つ。
暴言の後ろめたさが心にべっとりと張りつき、ちらと後ろを一瞥してみると、私に背を向けて走っていく彼女の姿が見えた。
どんな記事を書かれようと構わない。
嫌われ者なら慣れている。
とはいえ、何とか記者の女性を神から遠ざけることができた。
一度に五本の毒矢を受けた傷は大きく、体を巡る毒も中々消えない。
矢に穿たれ、毒に溶かされた傷も増え続けるばかり。そこから流れる血も止まらない。
体は焼けるように熱く、瞼は気を抜くとすぐに閉じようとする。
口の中はずっと血の味がするし、視界が赤くなってきたと思い、ふと目を擦ると、どうやら血涙を流しているらしかった。
これ以上は本当にまずい。
一刻も早く神を倒さないと、間に合わなくなる。
洛西獣の自我が破壊されたのではなく、奪われているだけなら、神を倒せば洛西獣の自我も自動的に戻ってくる可能性が高い。
だとすれば、私が神を倒せば全てが終結する。
早く――早く――はやく――
――と、今にも途切れそうな意識を保ち続け、マテオス城の大広場――リシ武闘会会場だった場所へとやっと辿り着いた。
もう少しだと自分を鼓舞し続け、辿り着いた最終決戦場は、私の心を容易く折る程の絶望を用意していた。
「――……どうして」
そこには、すでに倒れて気を失っている洛西獣と、神の前に為す術なく封じられた――私がどうしても触れさせたくなかった――ナキとアルアさんとアルステマが揃っていた。
そして、ナキは神に首を握られ、苦悶の表情を浮かべ、私を見ていた。
次回にご期待下さい。
本作品は、不定期更新となります。次の物語をお待ちください。




