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Light in the rain   作者: 因美美果
第六章――1
45/77

『凌駕』

まだまだ未熟なので、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。


※この作品は、少し残虐なシーンが含まれます。また、少し刺激の強いシーンが含まれます。以上のことが苦手な方はご観覧をお控えください。


この作品は、私の溜め込んできた物語をひたすらに詰め込んでいます。

それでも楽しんで頂ければ幸いです。

 リシ武闘会の栄えある最初の対戦は、何の因果か――私とミウラであった。


 ギャラリーからすれば、待ち望んでいたカードであろう。

 実際に待ち望んでいるのは、ミウラに私がぼこぼこにされる場面だろうから、その期待に応える訳にはいかないけれど。


 控室に向かい、準備を整える。準備とは言っても、特別しておかなければならないこともないので、心を落ち着かせる程度だ。

 しかし、こうしていざ戦いが始まるのだと考えると、少し身も固まってくる。いつも戦闘は突然始まるので、緊張している暇もない。

 こういう形式的な戦闘というのは久しく、少し懐かしい。

 懐かしいと思えているあたり全然余裕なのだろうが、表情は少し強張っていたのかもしれない――関係者として控室に入ってきたナキが「大丈夫?」と、声をかけてきてくれた。


「大丈夫、今朝と一緒」

「そっか。やっぱり私が緊張してきちゃう」


 私は椅子から立ち上がり、大きく伸びをする。

 なるべく軽い恰好をしたかったので、今は動きやすいスポーツウェア一式である。細工の施された服装も不正と見做されるので、衣服も改めて用意しなければならなかった。スキロスとアルクダも同じような恰好をしている。

 ブレスレットは装着が許されているので、それはそのまま。

 右手の包帯も邪魔だが、慣れればどうということはない。足技で攻めれば問題ない訳だし。


 すると、ナキが突然私の右手を取り、優しく摩ってきた。


「……ごめんね。私が、居たから」


 どうやらまだ気に病んでいるらしい。

 君が謝る必要はどこにも無いというのに。


「謝らないで。君が居たから、この程度の怪我で済んだんだ」


 と、運営の人が控室にやって来て「アイオーニオン選手、そろそろ」と、私を呼んだ。

 私は返事をし「じゃあ、見ていて」と、ナキの頭を軽く撫でる。


 控室から出て、リングへと上がる。


「さあ、皆様お待ちかねのカード――リシ武闘会第一試合の対戦者、まずはこの男――フィン・アーク・アイオーニオン!」


 観覧者は依然私を誤解しているらしく、ブーイングやゴミや紙屑を投げつけてくる。仕方がないので、一つ一つ拾っては係の人に渡す。嫌な顔をされるが、私にその顔を向けられても困る。


 と、ミウラの登場を待っている間、私は王城のテラスを見る。

 そこには、城の大臣や要人などはいるものの、肝心の洛西獣の姿が見当たらない。

 やはり様子がおかしい。

 神も既に動き出していると見た方が良いだろう。


 仮に、神によって洛西獣の自我が破壊されているのだとすれば、またナキの力を借りなければならない。

 彼女にもそのことは既に話しているが、あれは相当消耗する。

 洛西獣の自我を修復する者とその間に洛西獣を押さえ込む者が必要になる。

 ナキに過酷なことをさせない為にも、神には黙っていてほしいのだが。


 と、そんな思索に耽っていると、司会者がアナウンスを続けた。

 どうやら王様のご登場らしい。


「対するは、絶対王者にして戦いの神に愛された男――シモス・ミウラ!」


 相変わらずの歓声に包まれながら、悠々とリングに上がる。

 ギャラリーに手を振りながら、私のいるリングの中心へと歩む。


 顎を曝け出し、余裕の表情で私を見下す。

 仁王立ちで私と向き合い、手は何故かポケットに手を入れている。何でいきってんだ? ださいだろ。


「さあ、それでは、早速試合のゴングを鳴らしましょう! 王者相手に一体アイオーニオンはどこまやれるのか!?」


 余計なお世話である。


 距離を置いて、互いに向き合う。

 彼は笑みを絶やさずに鼻息を荒く立てている。

 何となく、目が赤く血走っている。


「覚悟しろ。今、終わらせてやるからな」


 私は何も返さない。

 返す意味も無い。


 始まりのゴングが鳴り響いた。



   〇   



 試合開始と同時に、様子見も探り合いも無しに、ミウラは突進をしてきた。


 ご自慢の角を前に突き出し、私を串刺しにせんと全速力で駆けてくる。


 しかし、私とて様子見も探り合いもするつもりはない。

 私達は既に拳を交えているのだ。僅かだったとはいえ、ある程度の力量は理解している。

 彼の十八番の突進に対し、私は回避を試みる。


 しかし、ミウラの突進の速度は私の予想を遥かに上回っていた。

 あの夜に見た彼の突進よりも、速度が増している。

 虚を衝かれた訳ではないが、油断していた。

 今から回避のモーションに移ると、少々中途半端になってしまう。

 やむなく私は受け止めに入る。


 角が迫りくるのを見切り、彼の角を押さえにかかる。


 と、ここでも私の予想は裏切られた。

 突進の威力があまりに強かった。

 速度も速くなっているのなら、勿論放たれる衝撃も強力になっていてもおかしくない。

 しかし、ここまでとは――

 角を掴む右手に痛みが甦り、思わず力が緩んだ。

 そして、次に襲いかかって来たのは、肩への衝撃だった。

 このまま押されてリングアウトというのはあまりに情けない。


 手足を踏ん張り、何とか彼の突進を止める。

 しかし、止めても彼にはまだ武器がある。両手にも気をつけなければならない。


「ちっ、止められたか。一瞬で終わらせるつもりだったんだが」


 彼は今度は腕を大きく引き、そして拳を振り放った。

 しつこいくらいに予想を上回る速度のパンチングに、私は為す術なく鉄拳を腹に喰らう。


「――ぐっ!」


 角を手放し、私は宙を吹っ飛んだ。


 会場は一気に歓声に包まれ、ミウラコールがたちまち湧き起こる。

 私は何とかリングに体を押しつけ、勢いを殺す。

 かなりの瀬戸際で勢いは止まり、とりあえずピンチからは脱した。


 ――と、思ったのも束の間、すぐそこにはミウラが迫り来ており、今にも殴りかかろうとしている。


 伏した状態から、腕で跳ねて体を起こす。それと同時に後方へ回避してミウラの殴打を免れる。

 空振った拳はそのまま切り株の地面を叩きつけ、地面には凹みができた。

 その瞬間、またもや会場が湧き上がる。

 何をしても皆を喜ばせられるとは、羨ましい限りだ。私なんて、何をしても皆から罵られるのだから。


 肩の痛みや右手の疼きに感けている暇はなく、間髪入れずにミウラは襲いかかってくる。


「おらおらおら、どうした、新星さんよお! 俺のことを早くぶっ飛ばしてみろよ!」


 大量のジャブと唾が飛んできて、全てを避けるのに苦労する。

 こちらから仕掛けようとすると、腕を取られるので迂闊に手が出せない。

 こうして避けている間にも私は後ろに退かされており、リングの端へと追いやられている。


「あの夜みてえに生意気に歯向かってみろよ! 調子こいて俺にぼこぼこにされに来いよお!」


 連打自体はそこまで強力ではないので躱せなくもないのだが、速度がある分侮れない。

 しかし、このままでは本当に端に追い詰められる。


「何躱し続けてんだあ!? お前からもかかってこいっつってんだろうが!」

「うるさい。よく喋る」

「はっ! それは喋る余裕がある証拠だろうが!」


 ああ、そう。

 こっちもそろそろ反撃させてもらうとしよう。いい加減に窮屈になってきたし、何故か「守ってばっかいんじゃねえ」というブーイングも鳴り止まないし。


 ミウラが大きく拳を引いたタイミングで、私は身構える。

 モーションが大きいと、威力もでかいが対処もされやすい。今まで本当に相手に恵まれてきたんだろう。戦い方がどこか乱雑で力任せだ。


 拳が飛んで来ると同時に私は身を屈め、攻撃を避ける。

 両手を地面に突き、側転のような形で脚を振り上げる。

 前に大きく出てきていたミウラの顔面にクリーンヒットし、彼は後ろに大きく仰け反った。


 その瞬間を見逃さずに追い打ちをかける。

 すぐ様体を起こし、三回転回し蹴りを胴に喰らわす。

 さすがに胸筋が厚く、軽く浮かばせて倒れさせることには成功したがものの、リングアウトさせるまでには至らなかった。

 やはり三回では足りないか。


 しかし、ここで手を緩める訳にもいかず、さらなる攻撃を仕掛ける。

 倒れたことで丁度良い位置に顔面があるので、進みつつ回転を交えて蹴りを放つ。


 と、顔面を狙った私だが、放った右足はミウラの大きな掌に受け止められてしまった。

 ここで反応できるだと――


 そう思ったのも束の間――ミウラは私の脚を掴んだまま投げ飛ばそうとしている。

 今の地点は変わらずリングの端なので、当然リングの外に向けて投げられるだろう。


 絶体絶命――ここから投げ飛ばされれば、一巻の終わりである。

 故に、ここは何としても耐え抜かねばならない。


 投げられることは免れないのだとしたら、残された方法は一つ。


 自分で軌道修正するしかない。


 投げられる時――即ち、ミウラが私の脚を離す時、その時に私がミウラの脚を掴み、それを支点に体にカーブをかける。

 勢いは死なないが、軌道修正は成功。私はリングの中心へと飛んでいった。


「あっぶな」


 小さく呟き、ミウラに対峙する。

 振り返ると、もう既に彼は迫っているが、さすがにもう不意は衝かれない。


 乱暴に放たれる拳を避け、その腕を取る。

 いつだかに、オールがアルステマのことを背負い投げした時のように、私は巨躯のミウラを地面に叩きつける。


「ぐはっ!」


 呻く彼には目もくれず、掴んだままの腕を引っ張り、ハンマー投げの如くミウラを投げ飛ばす。

 重過ぎる上に右手や肩に無理をさせられない為、リングアウトにはさせられない。


 が、それで終わりではなく、宙を舞う彼を追いかけ、無防備な横腹に飛び蹴りを咬ます。

 方向を変えてリングの上を転がり、ふらふらと起き上がる。


 この時点で、ギャラリーは唖然としている。

 完全勝利が当然のミウラが、どこの馬の骨とも知れぬ男に追い詰められているのだから。


 しかし、起き上がったミウラはここで奇行に走った。

 もしかしたら、いつもの演出なのかもしれないし、作戦の一環なのかもしれないが、何にしても知らない人から見たら奇行には違いない。


 彼は突然天に向かって吠え出した。


 鼓膜を破くかのようなその咆哮は、狂気さえ感じるものであり、私はその時たじろいでしまった。

 彼に向けて駆けていた足を止めてしまった。


 何事かと思った私を尻目に、再び私に向かって襲いかかって来た。

 最初に見せた突進をさらに凌駕する速度で。


 私は混乱してしまった。

 何故、彼はますます強くなっていくのだ。

 戦いの中で学んでいるとか、私の技を盗んでいるとか、そういう技術面でのことではない。むしろ、その部分で言えば、私の方がまだまだ上であると自負できる。


 しかし、乱暴で稚拙な戦い方でありながら、私を圧倒してくる。

 それは一朝一夕では手に入らないもの――この試合の間では尚更、手に入れられないもの。


 単純な身体能力である。


 彼はこの一瞬でみるみる身体能力が跳ね上がっている。

 不自然過ぎる。不可能過ぎる。不可解過ぎる。

 ものの数分で身体能力は手に入らない。

 でなければ、私が育成学校であんなに苦労するはずがない。


 しかし、彼は実際にパワーアップしている。

 今も尚、それは続いている。


 私が油断しているだけなのか? 私の身体能力が落ちているのか?

 分からない。全然分からない。

 何なんだ、この男は。


 と、そんなことに意識を寄せている場合ではない。

 ここでこの突進を防がなければ――

 しかし、先程と同じように受け止めるのでは、手や肩にどんどんダメージが加算されていくだけ。

 何か方法を考えなければならない。


 迫りくる角に対し、私は腕を出す。

 受け止める準備はできた。


 おいおい、これではさっきと何も変わっていないじゃないか――そう思うかもしれないが、そんなことはない。

 この一瞬で、何とか私が編み出した方法。


 迫る角を腕で掴み、その瞬間に体を浮かばせる。

 そして、角を掴む腕に力を入れ、角を平行棒のように見立て、体操選手の如く大きく体を跳ね上がらせる。

 上空に跳んだ私の真下をミウラが通り、突進の回避に成功。

 とりあえずこの場は凌いだ。


 と、地面に着地して振り返ると、すぐそこにはミウラの拳が視界いっぱいに広がっていた。



   〇   



 誰の目から見てもピンチだった。


 鉄拳が額を殴りつけ、これ以上ないくらい私を吹っ飛ばす。歪む視界を頼りに、何とか地面に手を着けて止まる。

 起き上がろうとして、頭が急に石になったかのように重くなり、立つことができなくなった。

 軽い脳震盪が起こっているらしい。腕に力を入れようにも、言うことを聞かない。

 血がリングの上にぽたぽたと零れ落ち、何故こうなったのかを考えることにした。


 確か、振り返ると既にミウラは殴りかかってきていたから、あの勢いの突進を高速でパンチングのモーションに切り替えたということになる。

 そんなことができるのか? 足だってぶっ壊れてしまいそうだが。


 と、揺れる頭で精一杯思考を巡らせていると、うなじを掴まれた。

 ミウラはもう近づいてきていた。

 そのまま地面にでも叩きつけまくって甚振いたぶるのかと思いきや、リングの端へ放り投げる。


 私は空中でめちゃくちゃに暴れ回り、どうにか勢いを殺す。

 リングの崖っぷちで留まり、何度目か分からないピンチを脱け出す。


 視界もそろそろ安定してきて、ぼんやりした頭もはっきりしてきた。

 血は依然止まらないが、気にしていられない。


 しかし、ミウラは狂気混じりの形相で私の方へ突っ込んでくる。

 今まで一番のトップスピードで、理性もあるのか分からないような表情で。

 これを避けられれば、勢い余った彼をリングアウトにできるのだが、私はいつだって不運――生憎避ける時間がない。


 何よりもピンチだった。

 やむを得ず、腹を括って構える。


 後ろは一メートルの余裕もない際の際。

 文字通り崖っぷちなのだ。

 このぎりぎりの地点で、彼の突進を止める。

 一瞬で力をフルに使い、受け止める。


 ギャラリーは相変わらずミウラに対する声援と、私に対する罵倒を繰り広げる。

 耳障りが過ぎるというもの。最悪の気分には間違いない。




 ――来い、ミウラ。




 バンッ――という大きな衝撃音が会場中を迅雷の如く迸り、血脈を破るかのような衝撃が私の体中を走り暴れ回った。

 というか、実際に血管がいくつか千切れた。

 掌も角との強烈な摩擦で包帯諸共焼け切れてしまい、ミウラの角からは私の血が滴っている。

 足も爪先で耐えるのが限界で、今にも壊れそうだった。

 歯も食い縛り過ぎて、犬歯で噛み合う下の歯を貫くかと思った。マウスピースとかすれば良かった。けれど、結局マウスピースも噛み砕いてしまうだろう。それくらいに力んでいた。


 それでも――それでも、私は耐えた。

 持ち堪え、痛みに悶えながらも懸命に耐え抜いた。


「落ちろ、落ちろ、落ちろ、落ちろ、落ちろよおおおおお!」

「く……ぐ、うううあああああああああ――!」


 私は吠える。

 負け犬でなくとも、声を上げなければ痛みが思考を支配する。

 そうやって誤魔化さなければ、立っていることすらできない。


「お前なんかに、俺が、俺が、俺があああああああああああ――!」


 叫びながら、ミウラはパンチを繰り出す。

 私の腹に連打を続け、着実に体力を削ぎに来る。


「くそ――うるせえ!」


 痛みに必死に耐えながらも、私の集中はどんどん切れてきていた。

 段々と目の前の景色がぼんやりしてきて、周りの声に意識が向く。


「行け、ミウラ」「あと、少しだ」「押し出せ、ミウラ!」「ここで決めてくれ」「王者の力を見せつけてくれ」「その餓鬼に本物の強さを教えてやれ」「ミウラ、やってくれよ」「あんたに賭けてるんだよ」「頼む、ミウラ! 子どもも見てるんだ!」「俺らにお前の勝った姿を見させてくれ」「ミウラ、頑張れー!」「皆あんたの味方だ」「ミウラ、負けないで」「勝ってくれ、ミウラ!」「ミウラ!」「ミウラ」「ミウラ!」「ミウラ!」「ミウラ」「ミウラ!」「ミウラ!」「ミウラ!」「ミウラ」「ミウラ!」「ミウラ」「ミウラ!」「ミウラ!」「ミウラ!」「ミウラ」「ミウラ!」「ミウラ!」「ミウラ!」「ミウラ!」「ミウラ」「ミウラ!」「ミウラ」「ミウラ!」「ミウラ」「ミウラ!」「ミウラ!」「ミウラ!」「ミウラ」「ミウラ!」「ミウラ」「ミウラ!」「ミウラ」「ミウラ」「ミウラ」「ミウラ!」「ミウラ!」「ミウラ!」「ミウラ!」「ミウラ!」「ミウラ!」「ミウラ」「ミウラ!」「ミウラ!」「ミウラ!」「ミウラ!」「ミウラ!」「ミウラ!」「ミウラ!」「ミウラ!」「ミウラ」「ミウラ!」「ミウラ!」「ミウラ!」――


「――フィン! 負けんな!」


 と、目が冷めた気分だった。


 急に私の声が呼ばれ、思わずその声の主を探す。

 そこには、見覚えのあるような、ないような、そんな青年がいた。


「えっ!? 誰!?」

「いや、デュオだよ!」


 あ、デュオか。

 そうか、そうだった。


 てっきり仲間の皆だと思ったのだが、彼も私のことを応援してくれているのか。

 メディアの虚言に流されず、私のことを信じてくれたのか。


「フィン、ちゃんとしろ! 俺と戦うんだろ! だったら、こんなとこで負けんな! 相手のことちゃんと見ろ!」


 ちゃんと――見ろ?


 私はミウラのことをちゃんと見れていなかったというのだろうか。

 何か見落としていたことがあるのだろうか。

 それは一体――


「落ちろ、早く落ちろ、お前が邪魔なんだ――お前だけ邪魔なんだ――お前が居なけりゃ、居なけりゃ――落ちろよお!」


 彼を見ても狂ったように叫ぶだけだ。

 恨み言のような――逆恨み言のような、訳の分からない怨念を撒き散らしている。


 そう言えば、この男はこんな戦い方だっただろうか?

 落ちろ落ちろと繰り返し、私をリングから突き落そうとしている。

 様子がおかしい。


 この前も述べたが、私は事前にリシの出場者のことについて粗方調べていた――それはミウラについても例外なく。

 ミウラの公式戦の記録も分かる限り、調べてきた。

 その時の記録によれば、彼の戦型というのは、はっきり言うと――非人道的であった。


 限界までリングからは落とさず、リングの中心を広々と使い、ぎりぎりまで相手を傷つける。

 彼の対戦相手となった者の敗北理由の内訳は、九割が気絶である。残りの一割は対戦者本人からリングの外へ運良く逃げ延び、自ら敗北を選んだパターンである。


 何にしても、早々に試合を終わらせるような男ではない。

 自分の心を満たす為、相手を気絶させる。

 気絶させるにしても、ぎりぎりまで相手の意識を保たせ、できる限り殴りつける。


 だから、私は戦いの中で、何となく違和感をずっと抱えていた。


 彼の今の言動も然り――彼が私をなぶるでもなく、甚振るでもなく、痛めつけるでもなく――ただただ一刻も早く、私との試合を終わらせようとしていることが、頭の片隅で靄として何かを覆い隠していて、不思議で仕方がなかった。


 彼をよく知るギャラリー達も何となく感じていることだろう。

 ミウラならきっと、この生意気で不正の疑惑のかかった餓鬼をいつものようにぼこぼこにしてくれるはず――そう期待していたギャラリーは、出鼻を挫かれたことだろう。


 いつもは残酷なまでに相手を甚振る彼が、今日という日に限り、自分の戦い方を捨ててまで、早急に試合を終わらせようとする意味。


 私は彼を見た――未だに私を殴り、頭を押しつけて押し出そうとしてくる彼を。

 その目は狂気じみていて、真っ赤に血走っている。

 蟹のように口から泡を吹いて、呂律の回らなくなった舌で依然「落ちろ落ちろ」と、呪文のように唱え続ける。




 ――まるで、理性の利かなくなった牛のように――或いは、時間に追われる不正者のように。




 あ。


 そういうことか。


 血走った目。

 泡を吹く口。

 進化し続ける身体能力。

 自分を捨てた戦型。

 時間に追われて焦る足取り。


 全部が繋がり、合致した。




 つまり、彼が――彼こそが――不正を働いていた。



   〇   



 一人で勝手に理解してしまったが、読者諸賢にも説明させていただくと、彼は恐らくドーピングしている。


 実は、育成学校時代の座学の授業で薬物について学んだことがある。


 薬物の種類は様々で、軽いもの、重いもの、強烈なもの、微弱なもの、無毒なもの、猛毒なもの、数多ある。

 単純に、気分を軽くさせ、ハイになるものが一般的に知られているが、中には身体増強の薬物もある。

 そういったものは入手も困難で、また、高価だったりもするので、普通の闇市には並ばない。『普通の闇市』というのもおかしな言葉だが。

 また、そういったものは副作用も強烈で、効果が切れると代償として体に激痛が走る。

 全身が内側から破裂するように痛みが駆けずり回り、骨や筋肉が膨張して体が軋み始める。


 今のところミウラに見られる症状が目の炎症と正常な意識の喪失、そして短時間での急激な身体能力上昇――このことから判断するに、比較的手に入りやすい種類の薬物であると判断できる。

 副作用もそこまで酷いものではなく、使用後の一時的な体の痙攣と衰弱といったものである。

 とはいえ、軽い重いでは語れないだろう。


 ミウラが自身の戦型を変え、ずっと時間を気にしていたのは、ドーピングの効果時間があるから。

 時間が経ち、効果が切れてしまえば、動けなくなるのはミウラ自身であり、そうなれば戦闘不能で敗北になる。

 故に、彼はこんなにも焦り、急いているのだ。


 散々私を不正者扱いしておきながら、自分こそが不正を行っていたとは。

 もしかしたら、私に不正の疑惑をかけることで、自分にスポットが当たらないように仕向けたのかもしれない。

 ドーピングの検査も、運営の数人を買収してしまえば済む話である。

 それができるくらいの地位と財産は有しているだろう。


 あくまで私の憶測なので、真実は試合が終わってしっかりとした検査を経てからだが。


 しかし、これが真実なのだとすれば、私はこのまま踏ん張ればいずれミウラの方から崩れてくれる。

 防戦一方の現状でも、時間さえ稼げれば勝ち目はあるが、私はそんな非紳士的なことはしない。

 あくまでも、私は正々堂々と――ミウラに薬が効いている内に決着をつける。


 本当の『力』というものを見せてやる。

 仮初の『力』ではなく、人すら殺める『力』を見せてやる。


 角を掴んだ手に最大限の力を振り絞り、猛り怒るミウラを持ち上げる。

 途轍もなく重たいが、角が思った以上に頑丈なので意外と簡単に持ち上がった。


 持ち上げられたミウラは手足をがむしゃらに振り回し、精一杯抵抗してきたが、私は決して離さない。

 そのまま一回転し、リングの中心目掛けて投げ飛ばす。


「うらああああ!」


 雄々しく咆哮を上げ、巨躯の彼を宙に浮かべる。

 本当なら、そのまま彼をリングアウトにできたのだが、それもまた非紳士的だと感じた。

 リングの上でお前を倒す。

 お前のお得意のリングでの戦いで、お前に勝ってやるのだ。


「行けええええ、フィン!」


 巨大な格闘王が投げ飛ばされるという異様な光景に、皆口を開いたまま絶句してしまい静まり返った会場に、デュオの声援だけが響き渡る。

 それに続くように、よく知る声が耳に飛び込んでくる。


「頑張れー! フィン!」

「行け、フィンさん!」

「やったれ! フィンさん!」

「フィン、勝てえ!」

「フィいいンさああああああん!」


 皆の声が軋む体に沁み渡り、私の血潮を大きく湧かし、手足に力を溢れさせる。

 因みに、「やったれ!」と、叫んだのは意外にもアルアさんであった。かなり興奮しているらしい。

 最後の怒号のような、嗚咽のような、悲鳴のような声を上げたのは、勿論スキロスである。


 地面に伏して今起き上がるミウラに向かって走り出し、拳を固く握り締める。

 こちらに気づいた彼は慌てて態勢を繕うが、不完全で隙だらけであった。


 焦って飛び出た拳には切れも速さもなく、避けやすいことこの上なかった。

 直前で体を屈め、ミウラの懐へ入る。体が大きいので私一人が十分に入り込めるスペースができた。

 握った拳を大きく振り被り、ミウラのみぞへ叩き込む。


「ぐ……はっ――」


 低い呻き声を漏らし、後ろへよろける。

 しかし、そこは格闘王の意地なのか、倒れ込む寸前で耐え抜いた。


 とはいえ、彼のピンチは依然続いている。

 無防備となった全身はどこもかしこも狙いたい放題だ。さしずめ打点のバイキングである。

 私は屈めた状態からさらに頭を低く沈め、両手を地面に着く。

 足を振り上げて逆立ちの状態になり、そのまま回転し、天地が逆になった回し蹴りを顔面に喰らわす。技術としてはできるのだが、いまいちこの技の名を知らないので上手く伝えられないのが惜しい。


 ぎりぎりで保たれていた体は駄目押しを喰らい、遂に倒れた。軽く宙を浮き、頭からリングの上に倒れ込む。

 それでもまだ意識はあり、言葉にもならない叫び声を発しながら即座に起き上がり、最後の足掻きを見せる。

 低く屈んだ私目掛け、起き上がった勢いのまま上から拳を振り下ろす。

 私はそれを甘んじて喰らう訳もなく、手足をバネにし、真上に高く跳び上がる。

 ミウラの拳は虚しくも虚空を破り、切り株のリングに凹みを作った。


 がら空きとなったミウラの脳天に狙いを澄まし、私は空中で体を捻る。

 残った力を振り絞るように、右足に全ての力を込めて、真下に向かって回転する。


 私の限界――六回転の垂直回し蹴りが、会場中の空気を破壊して放たれる。


 鋭く放たれた一撃が、鈍い音を立ててミウラを射抜く。

 蹴りを喰らい、地面に叩きつけられ、その衝撃で彼のご自慢の角の片方が綺麗に折れる。

 そして、その衝撃に耐え兼ねたのはリングである巨大樹の切り株も同じであり、ミウラが突っ伏した所から、リングの直径の四割にも及ぶ範囲に大きな罅ができ上がった。


 私は華麗に着地を決め、倒れたままぴくりともしないミウラを確認する。

 既に白目を向いていて、まだ赤く紅潮している。

 口からは舌がだらんと飛び出ており、そこを伝って泡たら涎やらが溢れている。


 唖然としていたレフェリーがはっとしてカウントダウンを始めた。

 数は一つ一つ増しながら刻まれ、私は足下のミウラを見つめながら、拳をもう一度握り締める。


 格闘王――シモス・ミウラ。


 彼もまた運悪く道を登り詰め、追われる身となり――そして、臆病だったのだ。

 いずれ訪れる挫折を恐れ、自分を忘れて不正を犯してしまった。

 辿って来た道を踏み外し、自ら深く重い沼の中に足を踏み入れてしまった。


 きっと彼はこれからが本番なのだ。

 きっと彼はまだ始まっていなかったのだ。


 カウントダウンが十つ刻まれた。


 私は天に向けて握った拳を高々と掲げる。

 白銀のブレスレットは変わらず陽光を浴びて、煌々と輝き続ける。


「僕の勝ちだ――格闘王」


 当然、何も返ってはこない。


 終わりのゴングが鳴り響いた。



   〇   



 試合が終わった途端、会場には凄まじい程の歓声が溢れ返り、現実に戻った気分になった。


 これらの歓声は信じ難いことだが、私に送られているらしく、間違っても倒れる格闘王の健闘を称えるものではない。…………と、思う。そう、思いたい。

 実際、聞こえてくる声は私の名ばかりで、観客は私にかけられている不正疑惑は忘れているのだろうか。忘れてくれているのなら、それに越したことはないが。


 私は痛む足を何とか堪え、リングを後にする。

 正直、本当に痛みが酷いのは手や肩の方であり、これはまた治療が必要だ。


 リングから降りる時、私は運営の現場主任っぽい人と主審の人に、ミウラのドーピング検査及び事情聴取を頼んだ。今度は厳粛に厳正に行うようにも、強く伝える。


 控室を通り、外を目指す。

 次の対戦の為に控室で待っていた名も知らない選手に「感動した」と、言われ、少し嬉しかった。

 私も「ありがとう」と応え、エールを送る。彼がこの後の対戦で勝利すれば、次の対戦者は彼になる。


 控室を出ると、既に多くの記者が待ち構えていて、四方八方を囲まれて身動きが取れなくなった。

 ただでさえ体に響くというのに、こればかりはキツい。

 私は「すみません。ありがたいのですが、今は休ませて下さい」と、一言残し、記者の渦の中を抜ける。


 その途中、記者同士が押し合うので、彼らはドミノ倒しのように目の前の人にぶつかっていく。

 故に、丁度目の前にいた若い女性の記者がよろけてしまった。少し癖毛でショートカットの、人間の女性である。

 私は彼女に腕を伸ばし、軽く受け止める。


「大丈夫ですか?」


 疲れていたので、少し声が柔くなってしまった。

 しかし、記者は目を丸くして私のことを見張り、小さく「はい」と、答えた。


 彼女を立たせ、私は再度記者の中を抜けていく。

 去り際に横目で見た彼女の頬が赤らめていたのは、何かの暗示だろうか。私には分からない。


 人混みを抜ける時、周りの人々が私を見たが、今朝から続いた嫌な視線ではない。嫌厭するような眼差しではなく、敬遠するような眼差しである。


 やがて人混みを抜けると、皆が私を出迎えてくれた。


「おめでとう、フィン」


 私の手を取り、ナキは潤んだ瞳で微笑んだ。


「お疲れ様。頑張ったね」


 アルステマも私の横に来て、心底嬉しそうに笑ってくれる。


「大健闘でしたね。感動しました。俺らも、頑張ります」


 アルクダは力強い眼差しで、意気込んだ。微かに鼻が赤くなっている。


「う……う、うう、う……」


 スキロスこそ鼻を真っ赤にし、目元を拭いながら嗚咽を漏らし続けている。


「何度もひやひやしたわ。……でも、良かった。おめでとう、フィンさん」


 アルアさんも傷のことを心配してくれていながら、それでも今は私を称えてくれた。


「ありがとう。皆のお陰だ」


 私はせめて力強く笑って、皆の顔を見る。

 何となく、あと一人お礼を伝えたい人がいる気がするのだが、それが誰なのか思い出せない。


 私達は歩き出し、会場を後にした。

 今だけは、宿でゆっくりしていたい。


 今なら何もかもを忘れて、深くて浅い夢の中へ行けそうな気がした。



   〇   



 私は夢を見た。正確に言えば、昔の思い出である。


 それは私の歳が十三の時のものである。


 私はその日、相変わらず音楽室で下手くそなピアノを奏でていた。

 私の元に現れた女生徒を跳ね除け、あれからずっと空いた時間に来ては鍵盤を叩くが、一向に上手くならない。

 強がって女生徒の申し出を断った報いが来てしまった。


 しかし、私とて好きで近づいてくれる人を拒んだりはしない。

 傷つけまいとして、苦しい思いをしながらも、辛い言葉を騙っているのだ。

 誰だって好き好んで陰険で根暗な捻くれ者を演じたいなどとは思わない。


 実際、あの時言い放った言葉は女生徒の胸に刺さったようで、あれ以降彼女は音楽室に来なかった。

 話していた通り、他の生徒達の目から逃れるように、この教室の周りのどこかに潜んでいるのかもしれないが。

 となると、相変わらず下手なピアノを聴かせている訳で、申し訳ないし情けない。


 その日は次の訓練の準備があるので、早く音楽室を出ることにした。


 と、扉を開けた途端、開けた先から例の女生徒が仰向けに転がった。


「うわっ!」


 私は驚いて思わず声を上げ、後ろに大きく退き下がってしまった。こんな大声を出したのは果たしていつ振りか。


 女生徒は床に倒れたまま、困ったように笑っている。

 私はそれを見ながら、実際に困っている。


 どうやら、彼女は扉に凭れかかっていたらしく、私が急に扉を開けたので、倒れてしまったらしい。

 しかし、この教室の周りにいるだろうとは言ったものの、こんなに近くにいたとは。


 驚きが収まると、今度は呆れがやって来る。


「…………何していたの」


 私は低い声で訊ねる。

 こんなに虚を衝かれた後では、わざとらしく怒ったような素振りを見せるのも馬鹿馬鹿しい。


「……いえ、特に何も」


 倒れたまま逆様にこちらを見て、彼女は答える。

「そう」と、適当に返事をし、彼女の横を通って外に出ようとすると、彼女は慌てたように起き上がって私を引き留めた。


「待って下さい!」

「…………何?」


 首だけを曲げ、横目で背後の彼女を見る。

 哀憐を誘う子猫のような眼がこちらに向いていた。それを見て、僅かに心が痛くなった。


「やっぱり、駄目ですか?」

「駄目だよ」


 即答で私は返す。

 考えていると、思わず情が映りそうになる。


 すると、彼女は俯いて「分かりました。ごめんなさい」と、答えた。

 あの日と違って、泣きそうな声ではないし、どこか澄んだ声だった。


 私は再度歩き出す。

 今度は声をかけられても、決して振り向かないし、止まらない。

 そうでなければ身が持たない。


 歯を食い縛って、拳を握り締めて、爪を肉に食い込ませて、痛みで罪悪感を紛らわせて――それでやっと何も考えずにいられた。


 それくらいにまで――私は渇き切っていた。

 

次回にご期待下さい。


本作品は、不定期更新となります。次の物語をお待ちください。

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