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Light in the rain   作者: 因美美果
第六章――1
43/77

『思惑』

リシ武闘会前日に大会会場を訪れた一行は、細やかな平穏を楽しむ。そして、そこに現れたのはペンと手帳を持った記者だった。それぞれの思惑と理想が衝突し、大衆は身のない報道に流され続ける。忌み嫌われ続ける彼が選んだ、自己を犠牲にして守られた想いとは、果たして――

まだまだ未熟なので、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。


※この作品は、少し残虐なシーンが含まれます。また、少し刺激の強いシーンが含まれます。以上のことが苦手な方はご観覧をお控えください。


この作品は、私の溜め込んできた物語をひたすらに詰め込んでいます。

それでも楽しんで頂ければ幸いです。

 リシ開催前日、私は宿を出て、皆と一緒に既に出店が並ぶエリモスの中央通りを歩いていた。

 皆、普段見慣れない食べ物やゲームに興味津々らしく、少し食べたり遊んだりしてから、会場及び事務局へ向かった。つまりは、下見である。


「あの『射的』って、本当に落ちるのかな?」


 少しむすっと頬を膨らませたアルステマは、そんなことを零した。

 先程、彼女が射的をしたのだが、コルクの弾は当たりはするものの、びくともせず結局何も得られなかった。


「まあ、少し細工していたかもな。店側も大きいのは取られたくないだろうし」


 それを言うと「そんなの置かなきゃ良いのに」と、さらに愚痴を零す。

 向こうも商売なのだから仕方ないのだろう。どこの店でもやっていることだし。そもそもこういった祭の出店が稼ぎ時だったりもするのだ。


 ナキは大量の食べ物が入った袋を手から提げて、相変わらず美味しそうに牛串を頬張っている。早朝から結構重たいものを連続で平らげる彼女の胃袋には、何かクラーケンでも飼っているのではないだろうか。


 今回の出費は全て私の蝦蟇口から支払われるのだが、この小一時間程でこの出費は中々手痛いものがある。

 まあ、リシで優勝するのなら、そんなことは些事でしかないのだが。


 大会事務局で前日の手続きを済ませ、皆が待つ広場へ向かう。


「お待たせ、行こうか」

「ああ……うん」


 えっ? 今日は普通にしたのに、何でまた苦いリアクションなの?

 もしかして、もはや普通の声かけですら、私は奇々怪々な風になってしまったのか?


「いえ、そうじゃなくて、あれ……」


 と、アルアさんが指を差した方向――そこには、以前も見た大会出場者に賭けられている現在のオッズの掲示板があった。

 しかし、アルアさんや皆が知らせたいのは、掲示板の存在ではなく、そこに書かれている名の中に――フィン・アーク・アイオーニオンの名があることだった。


「…………最悪」


 私はふと呟く。


 掲示板には、ランキング形式で名が書かれており、一番上に書かれているのは勿論シモス・ミウラである。

 しかし、彼の一つ下――つまり、二番目に多くの金額を賭けられているのが、私であった。


 ミウラとの諍いがあった夜――あの場には多くのギャラリーがおり、きっとそこにいた彼らが私の名を広めたのだろう。傍迷惑な話である。


 すると、一人の男性が私に気づき、それを近くにいた他の人に広めていく。


「おい、あれ」「本当だ、本物だよな?」「すごい、あの人間がミウラを」「えっ、何? 誰がいんの?」「うわ、ちょっと目合った」「え、やばい、ちょっと待って」「こっち見てー!」「きゃー! やばい、ウケるー!」「ねえ、ほら、お母さあん、いたよお」「へえ、結構普通の人だ」「ちょっと格好良いかも」「そうかなあ」「でも、刺青してるよ」「後ろの人達、誰?」「ええ、あの女の子むっちゃ可愛いじゃん」


 さすがに、このままよく分からん波紋が広がるのはまずいと感じ、一旦この場から離れることにした。

 私は少し機嫌が悪くなってしまった。

 ナキが「大丈夫?」と、たこ焼きを一つ差し出してくれたので、「ありがとう」と、頬張る。


「あっつ!」


 ほくほくと、口の中で冷まし、火傷した舌で精一杯たこ焼きを味わう。うん、もうよく分かんない。


 すると、その時「アイオーニオンさん、ちょっと良いですか?」と、男性の声がし、たこ焼きを咀嚼しつつ振り返る。

 メモ帳とペンを持ち、にやついた笑顔で私のことを見る獣人が何人か。


 私は一瞬で分かった――彼らは記者である。


「少しお話を伺ってもよろしいでしょうか?」


 どうせ私をネタにして、適当に人が集りそうな記事を書いて、それで儲けを出す連中である。

 今は皆と一緒に居たいのだ。

 名が広まるのも御免である。ただでさえ、今は魔国から身を潜めているというのに。


 けれど、ここで彼らの対応を無下に断れば、あらぬことを書かれまくることも見え透いている。

 よって、ここは――


「皆、先に行っていて。後から追いつく」


 ――とだけ言って、記者のインタビューに答えるのが、結局のところ最善策なのだ。


 アンニュイな表情が読み取れたのか、皆は何も言わずに頷き、アルアさんは「分かったわ。頑張って」と、言ってくれた。


「少し質問させていただきますね。まず――」


 と、かなり長い時間何の中身もない話をさせられ続け、嘘は騙らず――けれど、真実は少し美しく語ることを心掛け、特に問題はなくインタビューは終わろうとしていた。


「それでは、最後になるんですけれど、先程の方々とはどういった関係でしょうか?」


 それについては、本当に他人に語りたくなかった。

 私の名だけなら、少しくらいは我慢できようというものだったが、皆のことを記事に出されると何か面倒事に巻き込んでしまうかもしれない。


「仲間です。皆、良い人達で」


 それだけ答えて、早々にこの時間を終わらせようとしたが、向こうはいまいち煮え切らない様子で、一つ嫌なことを質問してきた。


「あの中に、実際に交際相手はいないんですか?」


 この流れは恐らく私の恋愛事情に話を繋げて、スキャンダルがなんだと騒ぎ立てるつもりなのだろう。

 そんなことにさせて堪るか。


「いえ、そういった関係の人はいないですね」

「そうですか……では、ちょっとそういった方向に発展しそうな間柄という人は……?」

「いないです」

「ええ、では、そうですね……あの中で気になっている人とかがいるなら」

「いないです。あの、そろそろよろしいでしょうか? 皆が待っているので」

「ああ、そうですか……そうですね……」


 まだ何かあるのか。もう十分だろう。そもそも私にそんな需要はないだろう。ミウラのところに行ってこいよ。


「あの、お連れ様方にもお話を聞かせていただくことは可能でしょうか?」


 私は呆れた風に溜息を吐き、少し強めに言い放つ。


「なりません。もう、十分でしょう」


 刹那、記者の目つきが豹変した。

 冷たくて、薄汚れた――ナイフのような目つきであった。


 その時、記者の後ろから大勢の人がこちらへ駆け込んできて、瞬く間に私の周りを囲んだ。

 何事かと思い、先程の記者の方へ目を遣ると――そこには、もうすでに彼はいなくなっていた。


 私を囲む人々はまた別の出版社の記者らしく、先程のインタビューの様子を見てやって来たようだった。

 これを断るのは、先程の記者を断ることよりも、至極難題である。

 今このインタビューを断れば、記者たちは「何であの出版社のインタビューだけ受けて、俺らのは断るんだ。胸糞わりいな餓鬼が」と、彼らを刺激してしまい兼ねない。

 この場は、何とか迅速にインタビューを終わらせて、早く皆の元へ――


 ――と、そうして目に入ったのは、大通りの隅で私を待ってくれている皆と、そこに駆け込む先程の記者である。


 あいつ――もしかして、狙ってこの記者達を呼んだのか? スクープを得る為に、皆まで巻き込みやがって。


 と、その時、アルアさんが皆を守るようにして記者の前に出てきて、何かを言い合っているのが見えた。

 きっとインタビューを拒絶しているのだろう。

 それでも、記者もしつこく付き纏い、遂にはアルアさんの腕を乱暴に掴み、引き止めた。


 ――もう我慢ならない。


 私を囲む記者達を謝りつつも押し退け、皆の元へ駆けつける。

 こんな時でも謝ってしまうのは、私もそれなりに体裁を気にしてる証拠だろう。小さい男である。


 アルアさんの腕を握る記者の腕を私は握り、睨みつける。

 すると、アルアさんは何を思ったのか、記者の腕を掴む私の腕を、掴まれている側の手で掴んだ。意味の分からないトライアングルができてしまった。


「彼女からその手を放して下さい。話が違います」


 私はキレ気味にそう言うが、記者は悪びれた風もなく、むしろ開き直ったかのように言い返す。


「では、まずあなたの手を放して下さい」

「じゃあ、アルアさん。僕の腕を放してくれ」

「あ、はい」


 別に、彼女が私の腕を話す必要もないし、それを言うなら彼女が私の腕を掴む必要もなかった訳だが。


 アルアさんが私の腕を放し、私が記者の腕を放し、やっと記者はアルアさんの腕を放した。

 それを機に、私は皆に「行こう」と、言ってこの場を立ち去る。

 記者ももう追ってはこなかったが、あとで何を書かれるかは分からない。


 最悪な前日だった。



   〇   



 記者達から逃げるように大会会場を後にした私達は、ひとまず宿へ向かうことにした。


 皆には散々な目に遭わせてしまった。

 歩きながら、私は皆に詫びを入れる。

 詫びの印にチョコバナナを奢ったが、皆は「気にしていないし、そんな気を遣う必要もない」と、言ってくれた。そう言ってくれた割には、遠慮の欠片もなくトッピングを存分に頼んでいた。勿論トッピングには追加料金が発生する。


「フィンさんこそ、辛かったでしょう?」


 アルアさんはチョコバナナを上品に頬張りながら、そう言って私を労わってくれた。


「僕は大丈夫だよ。まあ、本当に辛いのはこれからなんだけれど」


 新聞が発行されて、そこによく分からない記事が載ることが、何よりもしんどいことだ。

 それによって、もしかしたら人目を惹いてしまうことも嫌で仕方ない。まるで育成学校時代の頃のようだ。


 全く、思い出すだけで苛ついてくる。

 あの学校の奴らも、さっきの記者共も、私のことなんか見ちゃいない。

 私を嫌悪の対象として扱いたいだけの者、私を金稼ぎの為のネタにしたいだけの者。

 今回で言えば、あの記者共は唯一私を見てくれた仲間にまで、金稼ぎにしようとしやがったのだ。


 ああ、むかつく。


「おーい、ちょっと待って」


 またか。また懲りもせず私のことを付け回しているのか?


「おいおい、また無視かよ。さすがに悲しいぜ」


 無視されて当然だろう。あれだけ言ってまだ追いかけてきたのか。


「え、そんな気づかない? 俺、何かしたっけ」


 うるさいなあ、これだから記者は嫌いなんだ。おまけにタメ口を利いてきやがる。


「え、もしかして人違いかな――いや、なーんてある訳ないだろうが!」


 そう言いながら、その声の主は私の背中に飛びついてきた。

 何だよもう! 酔っぱらってるのか?

 いい加減――


「――しつこい!」


 と、振り返ってみると、そこには記者とは程遠い風貌の青年が一人いた。


「えっ」

「あ……」


 私の人違いだったのか。恥ずかしい。皆の前だから、余計に恥ずかしい。


「あ、ごめん。しつこかったか。何か、俺したっけ……」

「あ、えと……」


 その男性が記者でないことは分かったのだが、じゃあ彼が一体誰なのかも分からなくなった。


「その……誰でしたっけ……」


 恐る恐るそう言うと、彼は苦笑しながらがっかりしたように肩を落とした。

 その振る舞いや笑顔は見覚えがあるんだがな。


「デュオだよ」

「あ――ああ! デュオ、君かあ!」


 名を聞いてやっと記憶が結びついた。


「何か雰囲気変わったな」

「変わってないよ。一週間も経ってないだろ」


 やはり彼は影が薄いらしい。

 彼と会っていない間も全く思い出さなかった。


「ごめん。ちょっとさっき嫌なことがあってさ、人違いしてしまって……君に当たった訳じゃないんだ」

「ああ、そうなの? なら、良かった。俺また何かしちゃったのかなって思って」


 安堵したような顔を浮かべ、彼は後ろの皆に目を遣った。


「何かこの前より大所帯だな。家族か?」

「違うよ。でも、仲間」


 そう言えば、私以外の皆のことを紹介していなかった。

 デュオも『王国』の言語で話しているので、皆も話の内容が分かっていない訳ではないのだが、自然と蚊帳の外であった。


 皆のことを一通り紹介し、デュオも応えるように自己紹介する。


「デュオです。よろしくー」


 にやりと歯を見せて笑い、彼は皆を見る。特に女性陣を。


「…………可愛いね、皆。あ、そういうのじゃないよ」


 じゃあ、どういうのだよ。どういうつもりで言ったんだよ。


「あ、そうだ。そう言えば言いたいことがあったんだ」

「ん、どうしたの」

「俺も大会出れたよ。ぎりぎり間に合った」

「おお! 良かったじゃん」


 そうか、頑張って働いた甲斐があったな。

 これで私も大会に身が入るというものだ。


「そっか、じゃあ、本当に頑張ろうな」

「おう――あ、そうだ」


 デュオは思い出したかのようにそう言い、道の向こう――大会会場の方を指差した。実際には、オッズの掲示板を示したのだろう。


「オッズの掲示板にさ、フィンの名が出てたの見たんだけど、二番目に多かったから驚いたよ」

「ん、ああ、それか」

「すごいな、フィン。何か有名人だったの?」

「いや、そういう訳じゃないんだけれど……まあ、大穴が大会前にフライング気味に名を広めちゃった、みたいな」

「ダークホースなの?」

「多分、そういう噂が立っている」


 私があまり嬉しそうな表情でないことから、何かを察したのか、それ以上は何も言わずにいてくれた。


「じゃあ、そろそろ俺行くよ」

「うん、じゃあ、また明日」

「また明日」


 手を振り、デュオは道の向こうへと駆けて行く。

 少し行った辺りで、彼はこちらへ振り返り、大きく手を振った。


 こんな風に同年代の人と楽しく話せる時間は本当に久し振りで、私は仄かに心が軽くなっていた。


「フィン、嬉しそうだね」


 アルステマは私の顔を覗き込んで、そんな風なことを言った。

 私は恥ずかしげもなく、素直に応える。


「ああ、今は気分が良いよ」



   〇   



「二人共、調子は大丈夫?」


 私は部屋でストレッチをしながら、スキロスとアルクダに訊ねる。

 二人も同じようにストレッチをしながら、頷く。


「はい、問題ないです」

「調子はまずまずですかね」


 その返事に安心し、私は迫る明日の武闘会を思う。


 ネオン王国王都――エリモスに着いた翌日の夜。つまりは、色々と騒動が起きた次の日である。

 私の禁断症状が発症し、応急処置で宿の裏の庭を借りて、稽古をしていた時のことである。


 稽古をする私の元に、スキロスとアルクダがやって来た。


 私は驚きつつも、もう夜も更けているから戻りなさいと言ったが、彼らは頼みがあると言い、頑として動かなかった。


 リシの武闘会に出場させて下さい――そう言って、彼らは頭を下げてきた。


 リシには、各国の猛者が集まるのだ。

 まだ実戦経験も浅い者が出ても、返り討ちを喰らうだけである。


 それに、彼らが容赦のない猛者と当たって、取り返しのつかないことになれば、大問題である。

 二人共、ネフリの大事な宝石の一人であり、家族だって居るのだ。


 故に、私は反対した。

 そうするしかなかった。


 しかし、それでも彼らが引く様子はない。


 私は何故そこまでリシに出場したいのか、それを決断した真意を訊いた。

 すると、彼らは頭を上げて、口を揃えて言う。


「自分も皆を守りたい」


 守りたい――その言葉が中途半端な気持ちではないことも、口先だけの薄い志ではないことも、声色を窺えば容易く理解できた。


 その想いは私の抱えているものと相違なく、生まれてからずっと住んでいる村の悲劇を目の当たりにし、彼らの想いが偽物であるはずがなかった。


「あの日、魔人達に全然敵わなくて、フィンさんに全部託すしかなくて、それが情けなくて……」

「それに、昨日、あの男――ミウラにネフリのこと好き勝手言われて、言い返したって、あの時フィンさんが守ってくれなかったら――フィンさんが居なかったら、僕は結局あいつにやられていただろうし」


 守りたいし、守られたくない――彼らの心境はその言葉の重みだけで分かる。


 強くなりたい――その為に、実戦を知りたい。

 だから、彼らはリシに出場と言った。


 そして、私はそれを許してしまった。


 彼らが危ない状況になることもあるだろう。毎年大勢の負傷者を排出する行事である。命の危険を伴うかもしれない。無事で終われるとは限らない。

 それでも、私は彼らがリシに出場することを認めてしまった。


 お金のことは心配いらない。もしもの為に、少し多めに持って来てはいる。二人分の出場料ならば、問題はない。

 

 あとは、彼らの実力を最低でもリシで死なない程度に底上げする必要があった。

 実際、稽古をつけてみると、思っていたよりも動けるので驚いた。

 何かやっていたのか訊くと、実はネフリで隠れて特訓していたのだと言う。

 私の戦い方を見様見真似で模して、技を盗んでは二人で特訓していたらしい。

 それを聞いて、意外とセンスはあるかもしれないと感じた。

 リシまでもう僅かとなってしまったが、残りの日数をかければ良いところまで仕上がるかもしれない。


 そうして、基礎的なことは十分身についた状態のスキロスとアルクダが、明日のリシに備え、最終調整を行っていた。

 実際に、リングに上がり、自分を本気で殴りかかってくる者を目の前にして、彼らがどれ程のパフォーマンスを見せられるかは、その時にならなければ分からないが、私もできる限りのことを教えるのみである。


「フィンさんは、結局僕らの稽古に付きっ切りでしたけれど、大丈夫でしたか?」


 スキロスはここに来て申し訳なさでも感じているのか、そんなことを訊いてきた。


「大丈夫だよ。自分の方は前から整っていたし、君らの相手をすることで実戦の練習もできていたから」

「でも、二人掛かりで戦っても敵わなかった時は、さすがに驚きましたよ」


 特訓メニューの中には、私一人に対し、スキロス、アルクダの二人で襲いかからせるというものも含まれていた。

 育成学校では多対一の訓練もするので、二人を相手にするくらいならば問題ない。


 しかし、二人をリシに出場させるにあたり、一番苦労したのは――アルアさんの説得である。


 彼女が今回の旅の医療係を担っているので、一応怪我人が増えるかもしれないことは伝えなければならなかった。

 そうでなくとも、他の皆には報告しなければならない。


 反対されることも分かっていたし、怒られることも分かっていたので、女性陣の部屋を訪れるや否や、私はアルアさんに対し、土下座した。

 あまりにも美しい土下座に、さすがのアルアさんも感服して声が出ない様子だったが、いざ本題を伝えると、静かな怒りが私を襲った。

 私は怖くて顔を上げられず、ただただ懇願するばかりであった。


 別に、スキロスとアルクダがリシに出るにあたり、アルアさんの意思は関係ないっちゃないのだけれど、そこら辺は信用の問題である。度重なる勝手極まる行動により、これ以上事前の報告もなしに変なことはできない。


 許しを得るのに、相当の時間を要したが、最終的に私だけではなく、当の二人が土下座をしたのを見て、アルアさんは呆れたように許諾してくれた。


「無理して強くなろうとしなくて良いのに」と、哀し気に呟く彼女に、我々は謝りながらお礼を繰り返す。


 そんなこんなで、リシには私とスキロスとアルクダが出場する。


 さて、それじゃあそろそろ行こうかな。


「スキロス、アルクダ、稽古するよ」

「はい」「はい」


 本番はすぐそこまで迫っていた。



   〇   



 私は夢を見た。正確に言えば、昔の思い出である。


 それは私の歳が十三の時のものである。


 私はその日、いつもの如く誰もいない音楽室で、ピアノの練習をしていた。

 寒い冬が過ぎ、春風が肌を撫でるようになり、次第に日差しの温かさが教室内を温めた。


 埃被った教室で過ごし過ぎて、私は一時マジで肺を悪くしそうになった。

 故に、一度しっかりと音楽室を隈なく掃除したのだ。勿論一人なので、めちゃくちゃ時間はかかるし、めちゃくちゃ疲れる。


 その甲斐あって、音楽室は非常に過ごしやすくなり、また非常に美しく生まれ変わった。

 積まれていた机の引き出しの中にあった楽譜なども、取り出しやすいように一カ所に纏めている。

 音楽の授業もやろうと思えば、いつでもできそうである。講師がいないのが致命的であるが。


 何にしても、私はその日もピアノを下手くそに練習していた。

 楽譜を読めるようになったり、鍵盤と音階の位置を把握できたり、少しの進歩もあったが、やはり独学では限界もある。

 教えてくれる存在がここに来て、めっちゃ欲しくなってきた。


 まあ、それも無理な話なのだが。


 と、凸凹な旋律が教室内に響き渡り、聞くに堪えない。

 単調な音だけが耳に残って、段々と指が攣りそうになる。


「んん?」


 リズムを取るのも苦労するのだが、それよりも音が素っ気ない感じが拭い切れない。

 どうしたら、滑らかな感じが出るのだろうか。

 今のところ、片手で指一本――両手で計二本の指で鍵を奏でているのだが、それが原因だとはとても思えない。もっと小さく繊細なところが問題になっている気がする。

 楽譜の外にたまに見る記号だとか、意味の分からん抽象的な言葉、何であるのか分からない三つのペダル――どれもこれも意味不明である。『ff』『f』『mf』『mp』『p』『pp』って何だ? 鉛筆の亜種か?


 今日も今日とて私はピアノに頭を悩ませていた。

 身を潜める為に閉じ篭った音楽室であり、暇潰しの為に弾き始めたピアノであったが、私はいつの間にか魅了されていたのだろう。

 触れたことのない世界に――上手くできなくても飽きず諦められないこの不思議な音に、十分惚れてしまったのだろう。


 と、いつも通りピアノを弾き始めてしばらくした頃、気配を感じた。

 鍵を叩く手を止め、私は気配のする方向に視線を移した。


 すると、教室の扉の側に一人の女の子が立っていた。

 華奢で、どこか内気な――弱気な女生徒がそこに居た。


 私は驚き、声が出なかった。

 今の今まで、誰もここに来たことはなかったのに、まさか人が来るなんて。

 用もなしに人が来ることはないはずだ。


 ということは、彼女は何か、ここの、幽霊だったりするのか。

 色も白いし、ちょっと痩せ過ぎな感じも見られる。あり得ない話ではない。


 しかし、そうなると、次に出てくる問題は彼女がただの地縛霊とかなのか、それとも悪霊の類なのか。

 場合によっては、私は窓を押し破って逃げなければならないし、もうここには居られない。また居場所が無くなるのか。遂には、幽霊まで敵に回るだなんて。


 身構えて席から立ち上がる私を見て、彼女は慌てたように私を制した。


「あ……あの、その……違うんです……怪しい者じゃなくて……」


 声は小さくて、度々言葉を詰まらせる。その様子を見て、過去の私を思い出した。

 喋ることがない故に、声が掠れて自然と篭ったようになってしまう。


 かと言って、私も言葉が出てこず、ピアノの陰に隠れるしかなかった。未だに彼女が幽霊なのではないかと疑っている。


「あの、ここでピアノ弾いてたの……あなたですよね?」


 如何にも。

 となると、彼女は私のど下手くそなピアノを聴いていたということか。何とも恥ずかしい。


 私は黙って頷くと、彼女は固まっていた顔を柔らかく綻ばせた。


「ああ、やっぱり。いつも音だけは聴こえていたんですけれど、いつも声をかけられなくて……」


 聴こえていた――もしかして、生徒達がいるような教室の方にまでピアノの音が響いていたというのか。何という恥辱の様。

 その音を奏でているのが私だとバレたら、どんな嫌な噂が立つか分からない。不運事を呼び寄せ、喧嘩っ早く、極度の第二十一代目魔王ファンであり、休み時間や空き時間はどこかへとふらふら消え、そして下手なピアノを弾く陰気少年――要素が溢れ過ぎてキャラがあっちこっち行っている。


 そんなことを思い、若干肩を落とした私だが、それに対して彼女は再度慌てふためき、訂正した。


「違う! ……んです。その、私がいつも……この近くにいるだけで……皆がいる所までは聴こえていないです」


 ああ、そうか。それならば良かった。

 しかし、そうなるとまた新たな疑問が生じてくる。


 ピアノの音が聴こえるのは、普段皆がいる所とはかけ離れた、音楽室に近い場所だと彼女は言った。

 しかし、この音楽室の近くには、用がない限り誰も来るはずがないのだ。そして、こんな所に用がある者などいるはずがない。教師陣すらこんな所は訪れない。


 用があるとすれば、私のように――皆の居る場所に居られない者――皆の居る場所に居場所の無い者。


 私はふとそこに立つ彼女がどのような境遇に置かれているのか、頭の中を過ぎった。


 彼女のことは知らなかった。

 知る機会もなかっただろうし、今まで他人のことを知ろうとも思わなかった。

 それは、ここに通う者全てが私の味方ではないと思っていたからである。極端に言えば、全てが私の敵だと思っていたからである。


 けれど、彼女は違う気がした。

 彼女は向こう側ではない――こちら側の者である。

 そうだった。

 彼女はどこか私のようであった。

 腕は細く、顔は俯いて、声は震えて――昔の私のようだった。


 この育成学校は言わずもがなだと思うが、力こそが全てである。

 力のある者が優遇され、力の無い者が冷遇される。私もかつてはそうであり、今は大分マシになった。

 力のある者は皆に囲まれ、幅を利かせ、狭い廊下を仰々しく闊歩する。

 反対に、力の無い者は教室の隅で肩を竦め、吹き溜まりのように小さく蹲る。もしくは、誰も居ない場所で、凍えながら身を潜めるしかない。


 彼女が誰も居ないはずのこの近くに居たということは、つまり彼女は劣等生であることの証明でもあった。

 一概にそうとは断言できないし、孤高を愛する優等生なだけかもしれない。

 けれど、確率論で言えば、実力至上主義のこの空間では息を詰まらせている劣等生である可能性が高い。


「…………君は、何をしに……ここへ来たんですか?」


 恐る恐る訊ねると、彼女は困ったような笑顔を浮かべ、静かに淡々と答えた――まるで、自分が傷ついていないかのように。


「私、皆に仲間外れにされているんです……だから、いつもここに来ていて……」


 まるで、自分が傷ついて当たり前かのように――心を殺して、淡々と答えた。


「皆の居る所は居心地が悪いんですけれど……いつも、あなたのピアノが聴こえているここは……居心地が良くて」


 私のお粗末なピアノが聴こえて居心地が良いとは、皆の居る教室は相当居心地が悪いのだろうが、何にしても彼女が他の生徒からあまりよろしくない対応を受けていることは分かった。


「どうにか強くなりたくて、ここに通わせてもらったんですけれど……やっぱり、駄目なままで……一行に強くなれそうにないです。だから、皆にも……馬鹿にされてしまうし……」


 ピアノの陰に隠れて、私は彼女の言葉を聞くしかなかった。

 何を言うこともできない。言うことなんて、あるはずがない。

 私は彼女と違って、逃げ場としてここに来たのだ。強くなろうなんて思ってここに来ていない。そんな高尚な志は抱かない。


 だから、少しでも長くここに居られるように――故郷に帰らずに済むように――強くなるしかなかった。

 ただ、がむしゃらに足掻いて、精一杯もがいて、倒れたって起き上がって、意識がなくなるまで戦って――そうしていつの間にか、私は力を得た。

 何も考えずに強くなってしまった私から、強くなる為に悩んでいる彼女に言ってあげられることはない。


「……あの、あなたは……フィン、先輩……ですよね?」


 私は驚きつつも黙って頷く。

 彼女が私の名を知っていたことにもそうだが、彼女から『先輩』などと呼ばれたことに何より喫驚を隠せなかった。


「だって、私、先輩の一つ年下なので……」


 ああ、そうなのか。

 この育成学校は複数の学年が一つの校舎で学びに励んでいるので、他学年と接触することもある。授業は別々なので、自分からも話しかけない私と、私に近寄ってくるはずがない他学年では、普通は知り合う訳もないのだが。

 因みに、同学年でも成績の良し悪しでクラスが分かれているので、同学年でも知り合わない人達もいる。今私は真ん中の成績のクラスである。


 呼ばれたことのない『先輩』という呼び名のむず痒さと照れ臭さを少し心地良く思いながらも、私は彼女のことを再度見る。

 彼女がここの近くにいた理由は理解できたが、この音楽室を訪れた理由は未だに分かっていない。

 今までピアノの音を聴いていただけの彼女が、何故今になって音楽室の扉を開けたのか。

 もしや、私のあまりのピアノの下手さ加減に我慢ならず、止めてくれと言いに来たのだろうか。十分あり得る。


 しかし、その問いに彼女は首を振る。


「私、今まで何度かピアノの音が気になって、音楽室を覗いてみたこともあって……そしたら、先輩がいて…………先輩の噂は前から聞いてて……怖い人だって皆言うんです……でも、ピアノを弾く姿を見ていたら、そんな風には思えなくて……全然上手くなくても、すごく楽しそうに弾いているから……あ――全然上手くないって言ったのは、その、別に悪い意味じゃなくて、あの、聞いていて嫌とかじゃくて、えと、だからその、聴く人が聴いたらどうかなって言うかもしれないけれど、でも、私が上手くないって思ったのは、本当に、悪い意味じゃなくて」


 上手くないという言葉に悪い意味以外の意味はないと思うし、それ以上取り繕おうとすると、たちまち建前が解れて本心が丸見えになっていく気がするのだが。


 けれど、彼女が言いたいことはしっかりと伝わってきた。

 私のピアノが聴かれていただけではなく、ピアノを弾こうと四苦八苦する姿も見られてしまっていたとは、ますます恥ずかしい。


 彼女はうっかり出てしまった失言を取り繕うのは諦め、話を進める。


「だから……私に、協力させてほしいんです――先輩にピアノを教えさせてほしいんです」


 それが、彼女が扉を開けた理由であり――希望であった。


 色々と驚くことや、理解が追いつかないこともある。

 いきなりそんなことを言われて、私は少し戸惑った。


 けれど、彼女の願いが何であれ、それが私の傍に居ることが伴うのであれば――

 ――その願いに対する私の答えは、ずっと前から決まっていた。


「ごめん、必要ないよ」


 私はそう答えた。

 なるべく冷たく、なるべく嫌な風に。


「え、でも……私、ピアノ、弾けるんです。小さい時、よく弾いていて……だから、教えられます」

「余計なお世話だってことだよ。僕は暇潰しにここでピアノを触っているだけで、別に上手くなりたい訳ではない」


 嘘だ――ピアノを上手く弾けたら、どんなに楽しいだろうか。ゼミができるのなら是非もない。


「でも、私は……先輩、楽しそうに弾いていたのを見て」

「楽しそうになんて弾いていない。僕は至ってつまらなそうに弾いていた。君の見間違いだ。勝手なことを言わないでくれ」


 嘘だ――楽しかった。訳の分からない旋律があって、知りもしなかった感触があって、意味不明な世界があって、それら全てが楽しかった。つまらなそうに弾いた覚えなど欠片もない。


「そんなこと……ないです」

「そんなことある。十分ある。大体君は何がしたいんだ。訊いてもいない自分の境遇を語り出して、別に頼んでもいないことをしようとして、陰から覗き見るような真似をして。一人の僕と可哀想な自分を勝手に重ねるな。僕を勝手に仲間だと思うな」


 嘘だ――そう思ったのは私の方だ。勝手に仲間のように感じて、味方を見つけたような気になって。それが、嬉しかったんだ。


「迷惑なんだよ。慰めてほしいなら他所に行け。強くなりたいなら一人で悩め。助けてもらおうとして、都合の良い恩を着せようとするな」


 彼女はもう何も言わない。

 ただ、歯を食い縛って、服の裾を握り締めて、耳を赤くして、今にも零れそうな涙をひたすらに堪えている。


 私とて、その顔を見て何も思わない訳ではない。そもそも初めからこんなことを言おうだなんて思っていない。本心からの言葉なんて、口から出る前に心の中で絞め殺している。

 それでも、私は酷く醜い嘘を、ここで止める訳にはいかなかった。


 彼女が私と一緒に居ることになれば、彼女がどんな目に遭うか分からない。

 今は他の生徒に仲間外れにされているだけで済んでいるが、私と一緒に居ることでどんな酷い目に遭わされるか分からない。

 そうなった時、私はきっと自分を許せない。


 単純に、責任を負いたくないだけなのかもしれない。逃げているだけなのかもしれない。

 本当に、彼女が大切になって、彼女が壊れてしまった時――私はその時が来るのが怖いだけなのかもしれない。


 目前の喜び――いつか来るかもしれない悲しみ。

 その二つを天秤にかけ、私の心を満たし沈めたのは、悲しみでしかなかった。


 私はもう、得ることを恐れるには十分なくらい――失い続けたのだ。


「出て行ってくれ」


 止めを刺すように、私は今までで一番厳しい口調で答える。

 別に私が所有する部屋でもないので、偉そうに「出て行け」なんていう資格もないのだが。


「…………わ……かりました」


 泣き噦りながら、震える声でそう言い、彼女は出入口へ振り返る。

 静かに扉が閉まり、音楽室には私と彼女が床に落とした涙だけが残っていた。


 これで良かったのだと思う。

 誰も幸せになんてなれなかったし、誰もが最悪な心地になってしまった。

 けれど、いつかこの何倍もの大きさで最悪が返ってくるのだとしたら、今の内に火種は捨ててしまった方が良い。

 小さな火種も、大火となれば身を焦がす。


 私はピアノの鍵盤の蓋を閉じ、窓に映った不細工な泣き顔を眺めた。

 

メディアを払い除け、何とか仲間を守り通したフィン。スキロスとアルクダの想いやデュオの出場を知った彼は、より一層リシへと気を引き締める。武闘会開催はすぐそこまで迫ってきていた。

次回にご期待下さい。


本作品は、不定期更新となります。次の物語をお待ちください。

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