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Light in the rain   作者: 因美美果
第六章――1
41/77

『鄙俗』

まだまだ未熟なので、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。


※この作品は、少し残虐なシーンが含まれます。また、少し刺激の強いシーンが含まれます。以上のことが苦手な方はご観覧をお控えください。


この作品は、私の溜め込んできた物語をひたすらに詰め込んでいます。

それでも楽しんで頂ければ幸いです。

 店に入ってきたのは、世界の武闘会の数々を制覇してきた男――シモス・ミウラである。


 彼の入店と共に店内の喧騒は隠れるように静まり返ったが、すぐに静寂は破られた。むしろ、彼の登場により店内には大歓声が響き渡り、まるで英雄が凱旋をしたような状況である。


「うるせえうるせえ。お前らお待ち兼ねのミウラ様が今夜も来てやったぜ」


 満更でもない顔で店中の客に向けて手を振る。

 私も声こそ上げないが、横目で彼を観察する。


「何だか近くで見る程、怖そうな人だね。ちょっと乱暴そう……」

「アルステマちゃん、見た目だけでそんなこと言っちゃいけないわ」


 アルアさんの言葉を受け、アンドレイアの口癖を思い出してしまったのか、アルステマははっとして口を噤んだ。

 しかし、今回ばかりはアルステマが正解と言える。


 ミウラは店の奥へと闊歩し、通り様に他人のジョッキを飲み干す。飲まれた客は「えっ」と、言いつつも、ミウラに睨まれてすぐに縮こまってしまった。

 ミウラ自身は何も言わずに奥へ進み、大きなテーブル席を一人で使い占めた。


「……撤回するわ。アルステマちゃんの言う通り、嫌な人ね。何なの、あの態度」

「何でも許されると思っているんだろうな。まあ、ああいう人はそこら中にいるさ」


 嫌な世の中である。

 武を持つ者が持たない者を乏しめるように――都会が田舎をぞんざいにするように。


 それからはまた店内に騒めきが戻り、私達も楽しい晩餐を再開した。

 ナキはいつにも増して料理を平らげており、随分とここの食事が気に入ったらしい。連れてきて良かった。ここを教えてくれた宿の方にも感謝である。


 ミウラは奥のテーブルから店内を見渡している。まるで、獲物でも探しているかのような――客の一人一人を値踏みしているかのような眼である。

 店内の雰囲気も何となくミウラを気にしているような感じがし、少し居心地が悪い。

 店員もほとんどミウラの対応に集中しており、他の客への接客が粗雑になってきた。


「何か、お店の人があんまり来てくれなくなりましたね」

「あのミウラって人の対応で精一杯なのね」


 スキロスとアルアさんがそんなことを零した。

 他の客はそのことに対して特に気にする素振りは見られないので、恐らくこの店ではそれが当たり前なのだろう。

 ミウラが来店したら、彼を中心に店が回っていく――そんなことがこの店では暗黙の了解としてでき上がっているのかもしれない。

 それらを受け入れなければならないから、この店は地元の人達が多めなだろう。

 彼が店内に入った時の客の反応や、今の彼の態度も含め、ミウラはここの常連だろうか。


 ――と、それからしばらくして、お腹も膨れてきた頃、残っている皿を食べ終えにかかっていた時である。


 ミウラが突然席を立った。

 すると、徐々にこちらに近寄ってきて、最終的に私達のテーブルの前で足を止めた。正確に言えば、ナキとアルアさんの丁度間の所で。


 近くで座っていた人の椅子を乱雑に奪い、ナキとアルアさんの席の間にその椅子を割り込ませる。

 置いた席にどかりと座り、まだ皿も置いてある円卓に足を乗っけてふんぞり返る。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 突然過ぎて、我々は言葉を失う。

 状況としては、私達の席にミウラが参加しただけである。

 もしかして、観光客と話がしたいとかいう、陽気な訳でもあるのだろうか。乱雑なイメージがあったが、ピルゴスで出会ったアツリさんのような気の良いおじさんなだけなのか。

 そろそろ帰ろうとしていたのだが、本人がわざわざ来てくれたのなら、もう少しいても良い。格闘王と話ができる貴重な機会である。


 しかし、現実はそんな訳も全くなく、見た目通りの乱暴で傲慢な人であることには変わりがなかった。


 何の脈絡もなく、ミウラは突然両側にいるナキとアルアさんを抱き寄せた。


「!」


 その場にいた皆が驚き、思わず動くのが遅れてしまった。

 しかし、現状を呑み込めていない私達を尻目に、店中の客はどっと湧き立つ。


「ミウラさん、観光客にまで手え出すんですか?」「さすがですねえ、俺も憧れちまうよ」「しかも、今日は三人ですか」「良いなあ、俺もやってみてえ」「ぶっ壊れない程度で済ませてやって下さいよ」「ま、どうせ壊れるんだから、意味ないでしょうけどね、ははは」「頑張れよー、女の子達」「死なないようにな」


 その言葉を背中で受けながら、ミウラはナキとアルアさんをさらに抱き寄せ、顔を近づけさせる。

 ナキは困り果てて身動きが取れずに固まってしまった。アルアさんは何とか退けようと腕で押し返すが、ミウラがそれに動じる様子はない。


「ふはは、良い子にしてろよ。大人しくしてたら、夜は優しくしてやるから」


 そう言うと、彼はアルステマの方をちらと見て、軽くウインクした。

 アルステマは怪訝そうに眉を顰める。

 『王国』の言葉で話してきたので、やはりナンパが目的か。


 やっと現状が理解できた私は立ち上がって、ミウラへ向き合う。


「あの、そういうのは慎んでもらえな――」


 口を開いた瞬間、ミウラはナキを閉じ込めていた腕を私に向けて突き出し、私の右肩に太い人差し指を当てる。

 肌に触れたところで、私は歩み出ていた足を止める。じんわりと伝わる痛みが全身に伝わってきて、彼の実力と危機感を知らせた。


「ほおう、止まったか。分かって反応して止まったのか――それとも、ただ運が良かっただけか」


 まあ、後者はないだろうな。


 すると、急に睨みを一層利かせてネオン語で、


「こいつらの前で恥晒したくなかったら、黙って座ってろよ」


 と、どすの利いた声で言う。敢えて皆には分からない言葉で、周りの客にだけ分かるようにしたのだろう。


 私は何も言わずに一歩後退り、彼を睨む。

 恐らくだが、私の右肩には痣ができているだろう。ミウラの人差し指の形の痣がくっきりと。


 二人には申し訳ないが、今は少し耐えてくれ。二人にアイコンタクトでそんなことを伝え、二人はほんの少し頷く。情けない私で、本当に申し訳ない。

 やはりミウラの持つ実力は本物で、単純な膂力で言えば私は疎かアルクダさえ敵わないだろう。

 正面から挑んでも勝てるかは分からないし、私がそれで倒れた時にナキとアルアさんを救い出す人間がいなくなってしまう。

 少し観察しつつ、多少油断させなければならない。


 私は一度席に着く。

 周りでくすくすとした嗤い声が聞こえる。きっと私がミウラの前に怖気づいたと思われたのだろう。


「まあ、すぐにベッドに行くのも無粋だからな、少し話をしようか。俺と話ができる機会なんて中々ないぜ」


 ミウラはげらげらと笑ってそう言った。

 かと言って、私達の方から話を振る訳もない。皆一様に彼を睨みつけている。


「ふん、面白くもない。…………そうだな、お前ら」


 そう言いながら、彼は顎でスキロスとアルクダの方を示した。

 彼らは睨みつつも反応する。


「お前ら、獣人だが……ネオンの生まれか?」


 二人はぶっきらぼうに「いえ」とだけ言い、また黙った。

 そんな応答になってしまうのも分かるが、ミウラの機嫌が少し悪くなった気がして、私が代弁した。


「私達は『王国』より少し北に進んだ森にある小さな村から来たんです」

「ふん、それは人間の村か? 見た感じ、お前ら、種族はばらばらだが、人間が多いように思えるが」


 残念ながら、見かけの姿こそ人間であるが、アルステマは竜人であり、アルアさんは人魚であり、正真正銘の人間は私一人しかいない。

 ――否。私さえももう正真正銘の人間ではないのだ。人間である時もあるだけだ。


 しかし、それを馬鹿正直に説明する訳にもいかないので、伏せて話を進める。


「いえ、村自体は獣人の村なのですが、獣人以外の人も暮らしているだけです」


 すると、ミウラはさらにふんぞり返り、嫌な風ににやつき始める。


「じゃあ、お前ら、『鄙集りひだかり』って訳か」


 突然、店内に響き渡る程の大声でそう言い、周りの客達はその言葉に嗤い出す。

 皆はその真意が分かっておらず、唯一意味を知っている私は心底胸糞悪かった。


「あ? お前ら、まさか鄙集りの意味も知らないのか? さすがは鄙集りだな、ふははははっ!」


 彼は大声で嗤い出し、それに呼応するように周りの客も憚ることなく嗤い声を高らかに上げる。店中が大爆笑に包まれ、意味の分からない皆はさらに困惑を強いられた。

 さすがに聞き流せず、私はミウラに進言する。


「楽しそうなところ申し訳ないですけれど、その言葉はあまり大きな声で言うのは止した方が良いのでは? あなたの品格を損なわせることになりますよ」


 しかし、ミウラが聞く耳を持つ訳もなく、品格と共に機嫌を損ねた。


「ああ? 俺に指図すんじゃねえよ。そういうのは俺に喧嘩で渡り合えるくらいになってから言え。品格も体裁も気にしてられるかよ。俺は俺の言いたいことを言って、抱きたい女を抱くだけだ。口出しする奴は力で喋れなくすれば良い――何ならあれか? お前も喋れなくしてほしいのか?」

「機嫌を損ねたのなら申し訳ないですけれど、それでも言葉を選ぶべきではないのですか? 敵を増やすだけですよ」


 私の動じぬ態度と、退かぬ言動に苛立ちを増したのか、テーブルに乗せた足で置いてある皿を乱雑に蹴り飛ばした。皿が音を立てて割れて、ナキがびくりと驚く。


「口答えすんな。いい加減にしとけよ。じゃあ、お前らがこいつらに教えてやれよ。『鄙集り』の意味をよ。実際、俺は本当のことを言っているだけなんだぜ? 便利な言葉があるのに、何でわざわざそれを避けなきゃならねえんだ」


「おら、早く教えてやれよ」と、彼は私を急かす。


 やむなく――私は鄙集りの意味を説く。

 あとで、目一杯スキロスとアルクダに謝ろう。彼らが知らなくても良かったはずの言葉を、私の力不足で知る羽目になってしまうのだから。今度、美味しいものを奢るでも何でもするから、今だけは許してくれ。


「『鄙集り』っていうのは、今都会で流行っている化粧品のことで、それに因んで『お洒落だね』って意味で――」

「嘘吐いてんじゃねえ。ちゃんと教えろ」


 くそ、バレた。

 その上、蹴られた。悔しい。


「フィンさん」


 と、スキロスは私の名を呼ぶ。


「大丈夫です。ニュアンスは何となく掴めたので、察しはついたんですけれど……でも、大丈夫ですから。教えて下さい。本当のこと」

「俺ら、別に気にしないので、言って下さい」


 二人はそう言って、躊躇う私を後押ししてくれた。

 ミウラの機嫌を取るという、この最悪な雰囲気を汲み取ってくれたのだろう。だから、「大丈夫」と、言ってくれた。

 嬉しいが、その後押しは背中を貫いて私の胸に突き刺さった。


「…………『鄙集り』というのは、簡単に言えば――差別用語なんだ」


 それを聞いた皆の表情を見る気にはなれず、私は無意識の内に目を逸らしていた。


 鄙集りは、基本的にこのネオンでしか使われない言葉である。


 獣人は基本的には大きなコロニーを形成せず、各国の地方や無法地帯の森や山間部に小さな集落を形成している。

 ただ、ここネオン王国だけは例外である。

 そもそも、主たる洛西獣が獣人ではない為、普通の獣人のコロニーとは違う。

 洛西獣が自らの務めを果たす為の機関をつくる為に立ち上げた国である。

 故に、ネオン王国は文明を持ち、これ程までに巨大な組織となったのである。獣人だけではこうはならなかっただろう。


 そして、それは王国に住む獣人と王国外に住む獣人とで格差を生んでいることでもある。

 都会に住む獣人は田舎の獣人を蔑み、下に見る。

 こういった差別的な思想が、『鄙集り』という言葉を生んでしまった。


 ネオン王国ではない獣人のコロニー、またそこに暮らす獣人のことを、侮辱の意味を込めて『鄙集り』と呼んでいる。


 この言葉はモラルの欠けた差別用語であると、今は規則として使用の禁止が命じられているが、それを真面目に守る都会人もいない。

 都会人は皆どこかで都会に住んでいるだけで優越感に浸っており、田舎の人であるというだけで自分よりも下であると決めつける。阿呆らしいことである。


「要するに、お前らは田舎者ってことだ。分かるか? 生まれながら俺らは勝ち組。文明の元に生まれている。その有無がお前らと俺らの差なんだよ」


 説明を聞き終えた皆に対し、ミウラは愉快そうに嗤い、自慢気に語る。

 生まれなんて誰だろうと選ぶことなんてできない。そして、それが生涯の道筋やゴールを決めるものではない。

 その運の良さに寄りかかるように、背凭れにだらしなくふんぞり返るミウラは、果たして恥ずかしくないのだろうか。


「俺もネオンの中部都市の生まれだがな、やっぱり良いぜ、都会ってのは。この季節は毎年この国に帰ってくるが、変に伝統だの古き良き文化だのと、頭固くして頑なに唱えているような国より余程暮らしやすい。ましてや、今時上京もせずに端の村に閉じ籠っているのようなお前らの気が知れねえよ。物は揃うし、交通も整っているし、人が出入りする分良い女にもよく出会える。最高だぜ? 『鄙集り』がいけねえ言葉だってよく言われるがな、結局事実から目を背けているだけなんだよ。自分が田舎に生まれたっていう劣等感を味わいたくないが為に、自分らの都合を俺らに押しつけているだけなんだよ。おかしな話だろ。嫌なら武を持って捻じ伏せれば良いだけだ。まあ、力を得られるのも文明のある都会の特権なんだがな、ふはははははっ」


 好き勝手に、それもべらべらと。

 私もさすがに苛ついてきた。


 しかし、私が口を開く前に反抗の姿勢を表した者がいた。


「全くもってくだらない話ですね」


 スキロスである。心底うんざりした顔で、反吐でも吐き捨てるかのよう口振りで言い放った。


「あ? ああ、鄙集りの考えがか? お前、中々分かってるじゃねえか。気に入ったぜ」

「違いますよ。あんたら腐った都会人の思考がですよ」

「…………ああ?」


 今度は殺気を孕んだ低い声でスキロスを気圧しにかかるが、スキロスも負けじと睨み返す。


「何が言いてえんだ、お前。まさか喧嘩売ってんじゃねえだろうな」

「それはそちらの受け取り方によりますけれど、少なくとも僕らはあんたらにつべこべ言われる筋合いはないと思いますよ。そちらは何だか田舎の人が生まれに劣等感を抱いていると言いますけれど、そちらは逆に生まれに頼り過ぎなんじゃないんですか?」


 驚いた。

 彼がここまで強気に出るなんて。スキロスが他人を「あんた」と呼ぶのも意外である。

 しかし、今彼は彼の愛する故郷を馬鹿にされているのだ。怒って当然だし、言い返したいことが爆発するのも当然である。

 それに、あの日の悲劇を経験した後に、何も事情を知らない部外者から好き勝手貶されることが、どんなに悔しいことか。

 もし、それでミウラがスキロスに何かしようものなら、その時は私が――


「都会に生まれた――整った環境で育った――そういった自分の力の関係ないところばかり自慢気に語って、そればかりに優越感を抱いている。自分では何も成し遂げていない癖に、偉そうにふんぞり返っている。頭の中はお金儲けと女の人のことしか考えてない癖に、さも自分達が高尚な生き物みたいに語る。生まれが恵まれたことに寄りかかって、自分達が他人からどう映っているのかも知らないで、自分の都合ばかり押しつけて、力で全部解決しようとして、自分じゃ何もできないから他人にばかり押しつけて、下ばかり必死こいて探して、頭の悪さを晒して、臆面もなく恥を晒して――こんなところ、最悪だよ。都会に生きるくらいなら、一生温かい村に閉じ籠っていた方が幸せだ。こんなくだらない話で下品に嗤っている奴らなんかと一緒にいるくらいなら、同じ村で育った世間知らずと一生を共にした方がずっと楽しい。あんたらは、ただ臆病なだけだ」


 スキロスのその眼は決して恐れなど抱いておらず、雄弁と語るその姿は本当に勇ましいものがあった。

 芯の強い言葉達は忽ちミウラの本心を衝いているようで、私はミウラがいつ暴れ出しても良いように気を張り巡らせていた。


「…………あのな、餓鬼だからっていつまでも容認していると思ったら大間違いだ。調子乗んなよ。お前も結局は俺には敵わねえだろうが。こういうのを俺がいちいち黙らせてやらなきゃならないんだよ。後悔しろよ」


 そう言って、テーブルの上に乗せていた足を下ろし、ナキとアルアさんを抱えた腕をスキロスへと伸ばし出す。

 今だ――と、自分に唱え、私はミウラの伸びた腕を押さえにかかった。


 その時、それまでスキロスへ伸びていた腕が私の方へと進路を変え、私の胸倉を掴む。

 不意を衝かれ、されるがままの私はミウラにそのまま投げ飛ばされた。


 店の中を人間大砲のように吹っ飛び、遂には店の壁を押し破って大通りに飛び出してしまった。

 まだ人通りが十分あるので、私や壁の破片が街の人に当たってしまう。これは私のせいになるのだろうか。


 悲鳴を上げて距離を置く人々に囲まれ、起き上がりつつぶつかった人達に「すみません、すみません」と、頻りに謝る。


 刹那、店の方へ向き直ると、すぐ目の前までミウラが迫ってきており、その太い脚が左頬に襲いかかっていた。

 間一髪で腕を間に割り込ませることに成功したが、攻撃は免れず、大通りの奥へと吹っ飛ばされる。

 今度は人々が上手いこと避けてくれていたので、誰にも当たらずに済んだ。私が石畳の道を転がっただけである。


 鍛えたとはいえ、相手も手練れである。途端に防御に使った左腕もじんじんと痛みが広がる。私の細腕では限界があった。


 店からは皆が出てきて、ミウラを止めようと試みている。


「止めて下さい! こんなこと、誰が喜ぶの! こんなところで暴れて、そんなに本当のことを言われたのが気に食わない?」


 アルアさんはそう訴えてミウラの腕を掴むが、すぐに払われてしまった。転びかけた彼女をアルクダが受け止める。


「あのな、これが俺のやり方なんだよ。気に入らない奴は力で黙らせ、それを邪魔する者も力で黙らせる。そういうことができるのが、この俺なんだ。それにな、喜ぶ奴ならここに山程いるぜ」


 そう言い、彼は右手を強く握り締め、高々と天に向けて挙げる。

 すると、店にいた客は勿論、大通りに集まった人達全員が歓声を上げた。夜の街に大迷惑な騒音である。中には、私への誹謗中傷を叫ぶ者もいて、まあまあ傷つく。外国人だからどうせネオン語分からないだろうと、言いたい放題である。


「…………これがあなた達都会人なのね。そう……本当に、腐り切っているわね。この街は最悪よ。人が住んでいることが嘘みたい。正直言えば、ここにいる人達、全員死ねば良いと思えるくらい」


 アルアさんがそんなことを言うとは驚いた。けれど、それ程にショックなのだろう。言いたくない言葉でしか表せないような状況なのだろう。


 しかし、気が立っているミウラにはそれすら癪に障ったようで、倒れるアルアさんの方へ向き直り、その手を伸ばした。


「あのな、俺が女には手え上げねえと思ってんなら、勘違いも良いところだぜ。俺は従順な女しか飼わねえんだよ」


 彼がそう言った時には、私の回し蹴りはミウラの頬を捉えていた。

 寸前で反応したミウラもガードが間に合わず、諸に蹴りを喰らうことになる。


 そうして一蹴された彼は私が吹っ飛んだ方とは反対の大通りへと飛んでいく。


 街中が静まり返った。まるで、眠りに就いたかのように。

 そして、すぐ後にひそひそとした騒めきが辺りを包む。


 あの格闘王ミウラが体が宙に浮く程の強さで蹴り飛ばされた――その事実はこの街にとってはあまりに衝撃であり、誰もが私を見る。


 私は口の中に溜まった血を吐き捨てる。

 今私は態度が悪くなっている為、このような血を吐くという行為をしたが、普通に汚いので普段は止めましょう。


 しかし、私としては今の一撃でダウンさせるつもりだったんだが、足りなかったか。四回加えたんだがな――


 ふらつく足でミウラは立ち上がり、傷を負った頬を押さえる。


「…………はあ、はあ、何なんだ……俺は……シモス・ミウラだぞ……? ……俺は今、吹っ飛ばされたのか? あの人間の餓鬼に? 何故だ? そんなこと、一度も、今までで一度もなかったのに…………! くそ、くそ、くそ、くそおおおおお!」


 一人でぶつぶつと喋りながら雪辱を体感するミウラはたがが外れたように唸り叫ぶ。


「フィン! 大丈夫? 傷は?」


 ナキが私の元まで駆け寄って、私の左腕を取った。

 ちょっと痛むので、今回ばかりは触れるのは止してほしい。


「大丈夫だよ。それより離れていて。あいつがまた来るし、巻き込まれるかもしれない」

「駄目だよ。あなたも一緒に逃げなきゃ」

「それも駄目だよ。お店のお勘定がまだだろう」

「それは……そうだけれど、今はそんなことを言っている場合じゃ――」

「さっきはすぐに助けてあげられなくて、ごめん。あいつに抱かれるの、嫌だったろう。だから、ここいらで全部まとめてあいつに分からせてやらないと。『君に手をかけてただで済むと思うな』って」


 そう言って、私はナキの手をそっと離した。

 彼女は諦めたらしかった。そっちの方が、正直助かる。


 再びミウラに向き直り、意識を集中させる。

 ここでは力を使うことができない。ギャラリーが多過ぎる。

 しかし、それならそれで好都合だ。武闘会の練習だと思えば良い。


「何でだ、来るのは分かってたはずだ。俺が反応し切れなかったのか? 俺を超える程の速さで――俺を超える程の威力で、俺を吹っ飛ばして…………俺はこの餓鬼に、この餓鬼に…………」


 呟きながら、彼は私へ視線を移す。

 それは、初めて味わった挫折と恐懼を孕んだ、心の底から恨むような視線だった。


「お前は、今ここで、殺す!」

「来いよ。僕は死なない」


 すると、ミウラは屈み出し、頭の双角をこちらに向ける。鼻息を荒立て、足で地面を蹴り削る。まるで、突進の前の闘牛のような姿である。


 

「うおおおおおおおおお――」


 雄叫びと共に駆け出したミウラは石畳の地面に罅を作りながら、こちらへ突っ込んでくる。

 石の破片が辺りへ散らばり、歓声を上げる周りの人達へ降り注いだ。

 ワンテンポ遅れて身の危険を知ったギャラリーは避けるには遅過ぎて、このままでは大勢が怪我をする。場合によっては重傷を負ったり、癒えない傷が残ることになるやもしれん。


 私は迫りくるミウラに身構えつつも、大衆の前に魔法の障壁を張り、石の破片を何とか防ぐ。本当なら、私も苛ついているので守るなんて癪なのだが、さすがに大勢の人が傷つく惨劇は見過ごせない。この騒動が私が関係している以上、他人に迷惑はかけられない。


 と、魔法に意識を寄せている間に、ミウラはすぐそこまで迫ってきていた。

 角を両腕で掴み、何とか押し込まれないようにするが、左腕が力を加える度に悲鳴を上げる。


 ギャラリーはひとまず守れたようなので、障壁を解除して両腕に意識を集中させる。


「ぬ、う、うお、おおお、てめえええ……!」


 徐々にスピードを落とし、やがて突き進む足を止められてしまったミウラは苦渋の表情で唸る。

 ギャラリーも破片の石が飛んでこなかった不思議さと、ミウラが封じ込められている現実に驚きを隠せていないようで、騒めきは忽ち辺りを包み込んでいた。


「おいおい、嘘だろ?」「あのミウラが、押されているのか?」「いや、そんなことあんのか?」「今、石の破片飛んできてなかったか?」「寸前で何かにぶつかってたぞ?」「そんなことより、何が起きてんだよ」「あいつ、ドーピングでもしてんじゃねえのか」「何者だよ、あの小僧。人間だろ?」「ミウラがあんな子どもに負けんのかよ」「調子悪いんじゃね?」「いや、あからさまにおかしいだろ」「何やってんだよ。ミウラは」「油断してたってことか?」「おいおい、勘弁してくれよ。俺ミウラに賭けちまった」


 人々は口々に本音や願いを漏らす。好き勝手に言ってくれるものだ。ミウラだってお前らギャラリーが散々持ち上げた癖に。

 聞こえてくる言葉に焦りを覚え始め、彼の額には悲哀の汗が滲み出す。


「俺の突進が、止められただと? くそが、くそが、くそ、くそくそ、くそ、くそおおおおおおおお!」


 彼の双角を押さえ込み、そのまま膝を彼の顎に振り上げる。

 墜ちろ――格闘王。


 ――と、私の膝蹴りはミウラの顔面すれすれで彼の空の手に受け止められた。

 えっ、あっ、やば。


「はあ、はあ…………はは、残念だったな。詰めが甘いんだよ、若造が」


 そうだ。何故そんなことも忘れてしまうんだ。

 彼は何も本物の闘牛ではない。

 牛の角を有し、闘牛のような突進を繰り出せるが、それでも彼は闘牛ではない。

 闘牛の特性に加えて、その剛腕を兼ね備えているのだ。


 私には手足が四つしかない反対、彼には武器となるものが六つ存在するのだ。

 これはピンチ――だが。


「ぬ、う、うう、うおお、おおおお、おおあああああああああ!?」


 そう唸り出したミウラはまたも力比べで負けを見る。


 受け止められても尚、私の蹴りは止まらなかった。一瞬、勢いは殺されたものの、その後も動かぬままにはならなかった。


「何で、てめえはあああああああああああああああああくそおおおおあああああああああああああああ――!」


 私の膝蹴りは甘んじて喰らうことにし、せめて私にもダメージを負わそうと思ったのか、膝を受け止めた方とは反対の――空の手を握り締め、私へ目掛けて放ってくる。


 この勝負――武運が傾くのは、果たして――



   〇   



 騒動がとりあえずの一段落がつき、私達は宿へと帰ってきた。


 ひとまず男部屋に集まり、アルアさんは私の怪我を治癒してくれた。

 しかし、その治療はいつもの丁寧さが欠けているようで、的確に――されど乱雑に巻きつけられる包帯は罅の入った腕に響く。


「あの――いっつ! アルアさん? もうちょっと――痛い! あのアルアさん? アルア――痛いよお! ねえ、アルアさん! アルアさん!? アルアさん!?」


 アルアさんが口を開くことはなく、しかめっ面で無視を決め込む。

 私は負けじと呼び続けるが、やがて隣の部屋から「うるせえ!」と、怒号が飛んできて諦念を余儀なくされた。


「…………痛っ」


 その後は沈黙と私の微かな悲鳴が続いた。皆も疲れからか喋ることはない。


「…………怒ってる?」


 遂に耐え兼ねた私は沈黙を破り、アルアさんに訊ねる。

 彼女は包帯を巻き終え、最後に私の腕を軽く叩いた。よく湿布を貼り終えた後に患部を叩いてくる奴じゃん。


「怒っているわよ、当然」


 向けられた視線は蛇目のような睥睨かと思ったが、そんなことは全くなく、温かみのあるどこか哀しさや悔しさを孕んだものであった。


「助けてもらったことには感謝している。何度も何度もあなたに助けられて、私は本当にありがたく思っている。けれど、何もあそこまで無理しなくても良いじゃない。私達はあなたに生きてほしいの――どうしても。こんなところで大事になって、あなたに何かあったら、私は――私達はもう耐えられない」


 結局あの騒動は、私の膝もミウラの拳も攻撃を与えることなく、話を聞きつけてやって来た大会の警備隊によって、中断を余儀なくされた。

 ぎりぎりのところで引き剥がされた我々は拍子抜けといった顔で離れていった。

 私は冷静になって火照った体と、疼く痛みをひしひしと感じつつ、大会の運営の人に怒られた。

 一方で、ミウラは何人に取り押さえられてやっと止まる程に猛り、支離滅裂なことを唾混じりに叫び、鼻息で彼に掴まる警備兵の頭を茹で上がらせていた。


「あそこで、警備隊が来ていなかったら、もっと酷い怪我をしていたのよ。リシで優勝なんて言っている場合じゃないの。本当に……心臓が止まるかと思ったんだから」


 皆の心情は百も承知だ。

 皆がどれだけ私のことを想ってくれているのか――それがどんなに失いたくないものなのか。

 こんな宝石は私だって初めて手にしたのだ。

 あんなにも大切な場所はない。あんなにも大切な人達は居ない。


「勿論、あなたが強いことは皆知っている。だから、あんな事態になった時、あなたしか戦う人がいないことの知っている。それが、私達にとって、どんなに情けないことか――あなたに任せるしかない私達がどんなに心苦しいか。私が言っていることは、精々私達の勝手な言い分でしかない。けれど、どうしたって諦めきれない。だから、今度からは退くところはちゃんと退いて。怪我する前に、逃げて」


 そうして、彼女は涙を零す。


 美しくも、泡のように儚い願いに、私は目を逸らしてしまった。

 それを叶えたいのは山々だ。

 けれど、私だって、皆を守りたいのだ。

 もう二度と、自分の力の無さで誰かの命を零すのは、怖いんだ。


 こんなにも互いに強く願うのに、こんなにも違えてしまうのはどうしてなのか。


「……極力……そうする」

「絶対、よ」

「…………はい」


 私の返事を聞いてアルアさんは立ち上がり「それじゃ、おやすみ」と、涙目で微笑みながら言った。


「明日の朝、経過を診に来るから、どうか安静にね」


 扉の外へ出る彼女を追って、ナキとアルステマは「おやすみ」とだけ振り返り、部屋を出ていく。


 ふと、アルステマが廊下に出てから、思い出したかのように扉から顔をひょいと出して一言言った。


「フィン、絶対に、死んじゃ嫌だよ」


 私は薄く笑って「大丈夫」と、応えた。

 向けられた眼差しが私の心には優し過ぎて、絞めつけられたのは言うまでもないことだ。


 男部屋には当然男だけになり、私は二人の顔を一瞥する。

 二人は頻りに俯いており、何を言えば良いのか分からないといった状態だ。


 痛む左腕を摩りながら、不意に窓の外を見るとまだ明るい街が燦々と輝いていて眩しかった。


「…………ごめんなさい」


 突然そう謝罪したのは、スキロスであった。

 何に対して謝っているのか、私には分からなかったが、彼は続けて言葉を紡ぐ。


「僕が勝手な真似をして、あの男を挑発するようなことをしてしまった為に、フィンさんに怪我を負わせて…………本当にごめんなさい」


 泣きそうな声に、彼が今の今まで込み上げてくる感情を必死に堪えていたのだと知った。

 私は笑って応える。


「何を言っているんだ。スキロスは別に間違ったことはしてないだろう。君は自分の思いを伝えただけで、それに勝手に激昂したのは向こうだ。そもそも挑発的なことを言ってきたのは向こうだしな」

「でも、それでフィンさんが怪我を――」

「それにな、僕じゃあんなこと言えなかったよ。向こうの力を知っていて、下手に動けばナキとアルアさんがどうなるかも分からない。当然、守りに入ってしまった。事を荒立てずに終えられるのならと、二人に我慢を強いらせてしまった。強気になれなかったんだ」


 私だってネフリは大好きな場所だ。大切な居場所なんだ。

 侮辱されて怒りが湧いてこないはずがない。

 それでも、状況を配慮してしまっている分、言いたいことを仕舞い込むしかなかった。


「だったら、僕は余計に迷惑をかけてしまいました。穏便に済ませられたはずのことを、わざわざ火種を振り撒いてしまいました」

「いや、あの男相手じゃ、穏便にナキとアルアさんを救い出すなんて無理だったろうね。予想以上に強情だった。むしろ、スキロスにはきっかけを作ってもらえたんだ。君が謝ることはない。僕が感謝することだ」


 ありがとう――と、私の言葉にスキロスは再度俯く。隠れた顔からは何やらぽたぽたと流れ落ちている。


「泣いているの?」

「……泣いてません」


 震えた声で答える。

 別に泣くことは悪くない。

 心が揺さぶられて泣くのは、君に心がある証拠だ。それを恥じることはない。男の子にだって心はあるのだ。

 何なら『男の子は泣かない』という一種の常套句は嫌いである。男の涙だって美しいものは美しい。


「それに、あの騒動のお陰で、ミウラと手合わせができた。何よりも大きい収穫だったよ」


 すると、今まで黙っていたアルクダが若干不安気な表情で訊いてきた。


「大丈夫なんですか? 勝てそうですか?」


「んー」と、少し答えを渋り、考える。

 あれを相手に本番でどの程度立ち回れるか……。


「まあ、五分五分かな。単純に強いからさ」

「……そうですか」

「膂力がとんでもないのと、案外堕ちにくいってのが難点だった」

「…………堕ちにくい?」


 『墜ちる』というのは、要するに気絶するということである。

 つまり、ミウラは少々気絶させにくい、ということだ。


 リシでは、リングから出てしまうか、十秒間立ち上がらなかった場合、敗北が決まる。

 ミウラを相手にした場合、相手を気絶させて十秒間立ち上がらせずに勝利、というのが難しくなる。


「気絶させにくいって、そんなことも分かるんですか?」

「まあ、あくまで今の僕の力では気絶させるのが困難だったってこと。一応、渾身の一撃で堕ちなかったからさ」


 あの時、アルアさんに掴みかかろうとしたミウラに対し、私が放った駆けて飛び跳ねての回し蹴り。

 しかも、私はあの時、四回転をかけてミウラに喰らわせた。

 頬にクリーンヒットしたはずなのだが、彼はそれでも倒れなかった。


 ギャラリーはミウラを吹っ飛ばしただけで騒めきが起きたが、私としては「あれ?」みたいな感じだった。


 四回転もすれば、自分の足も遠心力に釣られて股関節に結構響く。割と捨て身の技だったりもする訳だが、それを耐えられるとなると少し厳しい。


「やっぱり、リングから出した方が良いのかな」


 そんなことを呟いてみたが、スキロスとアルクダは目を丸く――というか、目を疑う、みたいな顔をしていた。


「……何? どうしたの、急に黙っちゃって」

「いえ……回し蹴りって、そんなに回転かけれるものなんですか? 二回転でもすごいみたいな話を聞くんですけれど……」


 ああ、そんなことか。別に、四回転というのは見栄でも衒いでもない。


「まあ、王国の兵士の育成を甘く見てはいけないってことかな。三、四回転ならできる奴はごろごろいるし」


 正直言うと、より多くやったからといって、より良いという訳でもない。

 回転が長引けば、その分威力が落ちることもある。仮に百回転したところで回転速度が落ちてしまえば、実際の威力のピークは五回転くらいだったりもする。


「でも、あの一瞬で、四回も回っていると思うと……もう真面じゃないですね」


 その言葉に否定はしない。

 真面じゃない――それは冗談のような言葉かもしれないけれど、全くもって本質を捉えた言葉だった。

 笑えないことだった。


「何にしても、ミウラは一筋縄ではいかないな」


 ふと窓の外へ目を遣ると、街灯りの煌めく夜が私の目を眩ませた。



   〇   



 翌朝、私は日が昇る前に起きてしまった。

 珍しく二度寝と洒落込もうかと思ったが、こういう時に限って目が冴えてしまうし、そもそも二度寝は洒落ていない。


 布団に入っていても仕方ないので、適当に着替えて外に出る。一応レイも持っていこう。

 宿の人は既に起きていて、眠たい顔で「どちらへ?」と、訪ねてきた。


「少し散歩に」

「そうですか、お気をつけて」


 軽く会釈をし、扉を開ける。


 冷えた空気は街全体を包み込み、昨日の夜の喧騒がまるで嘘のようだ。

 街路樹同士の枝と枝には紐が括りつけられていて、そこにはリシの祭典を知らせる提灯がずらりと垂れていた。

 街はもうリシへ向けて、祭の準備が進められている。

 武闘会まで残された日数は、あと六日。


 さすがに、その間何もしない訳にもいかない。


 宿の方には散歩と言って出てきたが、いつの間にか寝静まった街の中を走っていた。

 地面を蹴る度にフードが揺れ、冷たい空気が頬に当たるのが微かに気持ち良い。


 と、突然それまで感じていた冷えた空気とは違う、明らかな寒気を感じる。

 今まで幾度となく私を襲い、故に慣れてしまった――悪寒。


 私は気配がした方向を見る。

 大通りの右側を歩いていた私は、自身の右斜め上に視線を送る。


 そこには、目の前まで迫ってきている矢があり、その向こうにはそれを放ったと思わしき弓を構えている黒ずくめの男が一人、大通りに面した建物の屋根の上に立っていた。


 間一髪のところで状態を仰け反らせ、矢の襲撃を免れる。

 私の目の前を過ぎった矢は石の地面に深々と刺さり、やがて石畳の石一つを溶かしていった。

 これがもし、私に命中していたら――そう思うとぞっとする。頭を貫かれた挙句に、顔面を溶かされるのだから。


「誰だ、何の真似だ」


 私は起き上がり、屋根の上の何者かに訊ねる。

 すると、その者は至極眠たそうな声で――というか、欠伸混じりの声で、


「ああ、すげえ。避けられた」


 と、感心の言葉を漏らした。

 言葉こそ感心しているが、言い振りは全く気持ちが込められていない。まるで寝言である。


「何をしているんだ。答えろ」

「んん……あ、自分のことか。ああ、答えて良いんだっけ、どうだっけ」

「はあ? 何言ってんだ?」

「ああ、いや、あんたには何も言ってないけど……えと、そうだな………」


 ふにゃふにゃと喋るその態度に、私は拉致が明かなくなり、背中に竜人の翼を生やして屋根の上のその者に目掛けて飛んでいく。


「うわ、来た」


 そう言うと、彼は屋根を蹴って空へ逃げていく――は?

 空? 彼は、空を飛んでいるのか?


 私の目が正しければ、その男は翼も無しに空中を滑空していた。


「待て! 逃げるな!」

「怖ーい」


 しかし、向こうは逃げるつもりがないのか、ちんたらと空を上昇しているだけで、私はすぐに追いついてしまった。


「あ、やば」


 あともう少しで追いつくという時、彼は突然振り向き、持っていた弓矢を放ってくる。


「うわ危なっ!」


 ぎりぎりで躱し、レイを抜いて彼に振るう。

 向こうものらりくらりとしながらも、上手いこと躱してくる。


「おお、あんたすごいなあ。こんなに戦えるのか。何かやってんの? あのー……ほら……ホットヨガ、とか」


 ホットヨガで強くなるかよ。何なんだこいつ。おちょくってるのか?


「良いから、質問に答えろ。お前は誰だ。何故僕を襲う」

「んん? あれ、あんた覚えてない感じ?」

「は?」


 覚えてない? 逆に私はこいつと会ったことがあるのか?


「んー、話すのも面倒臭いなあ。ほら、じゃあヒント。あのあれ。北の山脈で会っただろう?」


 北の山脈? あそこで会ったのは、オールとしか……彼女が自我を失って――


 ――違う。そもそも彼女が自我を失う羽目になったのには、陰謀があった。

 陰謀と呼ぶのが相応しいのかも分からないが、そこには奴らがいた。


 自らを『神』と名乗り、オールの自我を破壊し、それすらも『余興』と呼んだ者達――


「ご名答。自分は『神』」


 眠たい眼のまま、緩く笑って続ける。


「さあ、フィン・アーク・アイオーニオン――暇潰しに、遊ぼうぜ」

 

次回にご期待下さい。


本作品は、不定期更新となります。次の物語をお待ちください。

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