『不可逆』
まだまだ未熟なので、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。
※この作品は、少し残虐なシーンが含まれます。また、少し刺激の強いシーンが含まれます。以上のことが苦手な方はご観覧をお控えください。
この作品は、私の溜め込んできた物語をひたすらに詰め込んでいます。
それでも楽しんで頂ければ幸いです。
私は夢を見た。正確に言えば、昔の思い出である。
それは私の歳が十二の時のものである。
私はその日、部屋に篭っていた。
別に、訓練がとうとう嫌になって引き篭もりと化した訳ではない。
たまの休みなので、相変わらず無骨な自室で休んでいただけである。
用もないのに外に出て、何か不運を被るのも御免である。
そして、そんな私に一つ手紙が届いた。
夕食を済ませる為に部屋を出た際、扉の外の横に備え付けられている郵便受けに、これまた無骨な便箋が投函されていた。
以前、悪女と呼んで差し支えない女生徒から手紙を送られ、それ以来便箋には良い思い出がない故に、ぱっと見た時には身震いがしたが、その真っ白な便箋の差出人の名前を見た途端、警戒心が解けた。
そこには、久し振りに見る達筆でこう書かれていた。
『――カルディア・アーク・アイオーニオン』
――私の愛すべき父であった。
私が故郷を巣立ってから、一度も手紙のやり取りをしていなかった為、家族からの手紙――もっと言えば、家族からの言葉は三年近く見ていなかった。
私は食堂に行く足を翻し、自室の扉を再度開けた。
机の椅子に座り、便箋の封を解く。
中には淡く模様が遇らわれている手紙が二枚、そして少しの硬貨が入っている。
手紙には、細かく綺麗な字でこう綴られていた。
――フィンへ
久し振り。元気にしているかい?
こちらは変わらず皆元気だ。
もうずっと会えなくなることは理解していたはずなのだが、思っていたよりも堪えているらしい。
迷惑になってはいけないと、手紙を出すことは控えていたのだが、母さんが我慢できなくなったようで、送ることにした。
理由はそれだけではないのだが、何にせよ迷惑にならないといいな。
この手紙を送ったのは、報告があるからでもあるんだ。
実は、家族が一人増えたんだ。
つい最近産まれたばかりで、可愛らしい女の子だ。
フィンの妹だ。
時間が取れれば、会いに来て、顔を見に来てほしい。
名前はまだ考えている途中なんだが、決まったらまた手紙を送るよ。
何なら、フィンが考えてくれてもいい。
素敵な名前を待っている。
気が向いたら、返事を返しておくれ。
紙やペンやインクのお金なら、少しだけだが、中に入れてあるから。
時間が無いのなら、勿論無理にとは言わない。
他に欲しいものがあるのなら、少ないがそのお金を使ってくれて構わない。
私達は当然寂しいが、何よりもフィンは寂しくはないか?
辛くなって、耐えられなくなったら、いつでも帰ってきてくれていい。
傍にいてくれるのなら、それでも私達は構わない。
フィンは覚えているだろうか。
私が君を叱った時のこと。
あの時はああ言ったけれど、今思うと厳し過ぎることだったのかもしれない。
幼い君に酷なことを言ってしまったかもしれない。
どうか許してほしい。
けれど、君に生きていてほしいということだけは、あの時と同じなんだ。
どんな風であれ、君が生きていてくれるのなら、それでいい。
辛いのなら逃げても構わないから、生きていてくれ。
私達は、君の便りをいつまでも待っている。
カルディアより――
いつの間にか妹ができていた事実にも驚いたが、それよりも父の文字一つ一つが目の中を泳ぐ度に、涙を催して仕方なかった。
決して手紙は濡らすまいと思ったが、涙は止まらず、拭っても拭っても流れてくるばかりであった。
元々遅読の私が、涙のせいで読むのに一晩中かかってしまった。
なので、その日は結局食堂へ行けず、腹を鳴らしながら床に就いた。
それでも、泣き疲れたせいか、夢も見ない程に深く寝入った。
ただ、私はその手紙に返事を書くことはなかった。
それからも故郷には一度も帰っておらず、知らぬ間に生まれた妹とも、一度も顔を合わせられていない。
酷い兄だとは、思っている。
〇
「もう、手遅れなの」
涙混じりの声で、ネフリが誇る医師は私達にそう告げた。
ニケが姿を消して、安全の確認が取れ次第、私達はすぐに怪我人の治療にあたった。
既に息を引き取っている人――今にも命が枯れそうな人――それでも尚懸命に抗っている人――反対に諦めて目を閉じたままの人。
村の広場には、敵も味方も関係なしに死体が転がっていて、吐き気を催す程の死臭が漂っている。
横たわる人々に見境なく蝿や蛆が集り、地獄絵図が広がり続けていた。
ネフリティスホリオの村長――パルダリスさん。
アルクダ君やゾキア君の父――キニゴスさん。
村の門番に努めてくれていた青年――エラフィ君。
その他にも、命を落とした人で村の墓場は溢れ返った。
魔国の軍人もそれなりの手練れであったことは確からしく、死人こそ多いが、怪我人は少数だった。
無駄に傷つけることなく、手っ取り早く殺すことを覚えているのだろう。
ただ、それだけに男手は半減し、重傷者も数人出てしまった。
オールは腹部の骨にいくつもの軋みが入っており、未だに意識を取り戻さない。
アルステマは体内に入った銃弾の除去をし、何とか一命を取り留めた。
スキロス君は切り傷と頭の打撲が酷いが、命に別状はないらしい。
アルクダ君は腹部を痛めたのと、右手の骨が粉々になり、回復魔法でも前の状態を取り戻せるか難しいという。
その他の村人もそれぞれ傷を負っているが――何よりも、フィンが深刻であった。
「もう、手遅れなの」
四肢を完全に失い、魔と血の過度な欠乏、心臓は萎れ破れた紙屑のようになっており、意識はずっと闇の底を彷徨っている。
フィンの死は不可避であり、時間の問題でしかなかった。
アルアさんの手にも――どんな名医の手にも負えない傷であった。
血塗れのままベッドに運ばれた彼は、小さく息をするだけでまだ命が途切れていないこと自体が不思議なくらいであった。
「でもっ、……まだ生きてるんです! 何とか……何とか、ならないですか」
「時間の問題なの。本当にごめん、なさい…………」
そう言って、アルアさんは今まで我慢していたものを流し、手で顔を覆った。
彼女だって、当然辛いのだ。
救う立場にあって、誰よりも救いたいはずなのに、救えないことも誰よりも解っているのだから。
無意識にでも責任を背負い込んでしまうのだ。
「……せめて、最期の時はナキちゃんが、ついていてあげて……」
「皆、行きましょう」と、フィンの様子を見に来ていた他の村人達にそう言い、アルアさんは我が家を後にした。
オールは竜の姿を保ったまま意識を取り戻さない為、彼女が倒れた森の奥地で治療を受けている。
ここには、私とフィンだけ。
助けられずに助けられた私と――助けた為に助からないフィンだけ――
「………………ごめん……フィン…………ごめん、ごめんなさい、うっ、うう、うああああああ――」
嗚咽だけが寝室に響き渡り、涙ばかりがフィンの体に零れていく。
私が守れなかった。
私が守れなかった。
私が守れなかった。
その一言が頭の中で反響して、フィンのぽっかりと穴の空いた胸に突っ伏すしかできなかった。
私は何故生きているのか、分からなかった。
これから何の為に生きていけば良いのか、分からなかった。
〇
自分が傷ついて誰かが悲しむなんて、以前までは想像もつかなかった。
自分の命は精々戦場で擦り減って、やがて血に塗れて、焦げ臭い土に還っていくものだと思っていた。
私は変わったのだろうか。誰かに変えられたのだろうか。
何にしても、誰かに想い慕ってもらえるというのは、むず痒く、照れ臭く、心地の良いものであることは間違いなかった。
故に、ニケとの戦闘でたとえ自分が死ぬことになっても、それすら気にしなかった。むしろ、皆の為に戦い、ニケを退け、それで死ぬことができるのなら本望であった。
そう。私はあの時、死ぬ気でいた。
血も魔も全て使い切り、精神を竜巻の如くフル回転させて、器に注がれた水を一滴も残さずに吐き出すように――死んだ。
四肢を削がれ、心臓を破かれ、ニケを退けこそしたものの、ニケに勝てはしなかった。
彼に抗い、傷を負わせはしたものの、結局殺されることは免れなかった。
あの時、彼が何らかの事情で姿を消さなかったら、あのままナキは連れ去られて終わっていただろう。
珍しく運が良かった為に完全敗北からは脱したが、結局私が死ぬという敗北からは逃れられていない。
だから、不思議で仕方なかった。
私に目覚めが訪れるなど――
「……………………」
瞼を開くと、見覚えのある木目が視界に飛び込んで来た。
しかし、あまりに実感が湧かなくて、ここが大切な我が家だということに気づくのに、それなりの時間が掛かってしまった。
とりあえず体の有無を確かめる為に、右手の指先に感覚を寄せる。
人差し指が微かに動き、音もなく空気を撫でる。
周りが気になり、首を動かす。少し痛みを感じるが、長時間動かさなかったことによる関節の固まりだと気づく。
痛みを我慢して首を右に傾けると、朝の爽やかな陽光が射し込んでいて、思わず目を細める。
そして、その逆光を受けて、陰った少女の寝顔が眼の中に映り込む。
「……………………え」
ナキだった。
私の愛すべき――守るべき――ナキだった。
本当にここがどこなのか分からなくなった。
冥土だと思っていた場所に突如ナキが現れたのだから。
ここは本当に冥土なのか、冥土で幻覚を見ているだけなのか。
真実を確かめるべく、重い体を起こす。起こそうとして、凝り固まった腕を動かし布団に手を突く。
その時、あることに気がつく。
自身に手があることに。
手だけではない――肩から先の腕も、股から先の脚も、踏み裂かれた心臓も、全部。
私がニケに奪われたはずのものが全部。
偽物ではない。
作り物ではない。
紛れもなく、間違いなく、私のものである。
離れたはずの細胞一つ一つも、今はしっかりとくっついている。
くっついている――というよりも、元の状態に戻っている――という方が正しいだろう。
しかし、ここが冥界で、今いる我が家やベッドの横の椅子に座るナキが幻覚なのだとしたら、私の四肢や心臓も幻である可能性が高い。
動かせはするが、結局動かしていると錯覚しているだけなら、虚しいだけである。
だとしたら、さらに確証を得なければならない。
感覚や触感だけでは分からないもの――それは、温度である。
――故に、私はつい手を伸ばしてしまった。
私の傍らに座り、凛としたその寝顔に。
仄かに赤みを帯びて、艶やかに濡れた――その頬に。
「…………あ」
触れた瞬間、彼女は目を覚ました。
少し驚いたような表情はすぐに溶けて、顔を歪めて声を出す。
「フィン」
赤く腫れた瞳から、腫れの原因が瞬く間に零れてくる。
彼女はすぐ様私の懐に抱き着いてきた。
こんなことは以前に何度も経験していたはずなのに、彼女の温みがあまりに懐かしく、気づけば私も涙を流していた。
温かい彼女の体を抱き締めていて、自分の体が途轍もなく冷え切っていたことを知った。
死人のような体温で、それでも生きているのだと理解して――それでも生きた心地がしないのは、まだあの死闘が頭から離れないからなのだろう。
〇
泣き止んだナキは皆を呼んでくると言い、外へ駆けて行った。
私も起き上がろうとベッドから出るが、立とうとしてすぐに力が抜けてその場に崩れ落ちてしまった。
思いの外、体は堪えているらしい。
せめてベッドに戻ろうとするが、依然として腕に力が入らず、床に落ちたまま起き上がれない。
膂力が足りないのかと考え、竜人に姿を変えて試したが、それでも不可能だった。
結局動けずに無様に倒れたままになってしまった。非常に恥ずかしい。
動けないまま時が経ち、しばらくしてナキが村の人達を連れて帰ってきた。
私が目を覚まし、安堵で溢れていた皆の表情は現状の私を目にした途端、青くなり何人かは悲鳴を上げた。
「何してるの!?」
ナキの珍しい叫び声に対し、私は依然情けない風で「起きれない」と、答えた。
頭に包帯を巻いたスキロスにベッドに戻してもらい、自分が思った以上に弱っているのだと痛感した。
私の所へ来てくれたのは、ほとんどの村人達らしく、来ていない者は自宅療養を課せられた者や、その看病にあたっている者であった。
おかげで私の寝室は人で溢れ返り、熱気がすごい。自然発生したサウナみたいになっている。
しかし、それでも居ない人の顔を思い出し、その命が今どこに在るのかを考えた。
スキロスが亡くなった者を教えてくれて、教えられる名が増えていく度に、自分が守り切れなかったのだと感じる。
泣くことのできる立場なのかも分からないが、それでも否応なしに涙は流れてきた。
死傷者――五十二人。
死者――三十六人。
負傷者――私を含め――十六人。
元々の村人の総数が約百余人なので、現在ネフリに暮らす村人は約七十人。
その中で、村を発展させ、村人を守る大切な男手を大勢失ってしまった。
しかし、そんな経済的観念などどうでも良い程に、仲間を失った辛さは拭えなかった。
その大勢の十字架は、私が背負わねばならないのだ。
背負って、これからも生きていかねばならないのだ。
――と、そこまで考えて思い至る。
生きていかねばならないとは言ったものの、そもそも私は何故生きているのだ。
もしかして、今見えているこの景色でさえも私の妄想でしかないのだろうか。
だとしたら、本当に気が参っているとしか思えない。
死んで尚虚しい夢を見るとは。
だが、現状を鑑みる限り、こんなにも判然とした景色が本当に幻なのか?
死後の世界など行ったことがない故、何とも言えないが、これが嘘だとは到底思えない。
となると、私は生きているということになるが、そうなると如何にして生き延びたのかが疑問になる。もしくは、如何にして死に損なったのか。
あの時、ニケに致命傷を負わされて、心臓まで破られたのだ。
魔法で仮の心臓でも作り出したのか? それができるとすれば、ナキかオール、あとはアルアさんぐらいか……しかし、魔の保有量の大きさがあっても、そんな恐ろしく繊細なことができるのか。
それには、寸分たりとも狂いのない心臓の正確な形状と、代替品として何の問題もなく機能する仕組みを完璧に理解していなければならない。
それをやって退けたのだとすれば、とんでもない神業の持ち主がいたものである。それとも、私はまたも神に救われたのだろうか。
「いえ、そんなことは誰もしていないわ」
私の抱えた疑問にアルアさんはそう答えた。
していない――のか。
「実は、あなたの傷については、誰も説明がつけられていないの」
「…………?」
それはつまり、どういうことだ? 誰も分からない内に回復してしまったというのか? 自分すらも分からない内に?
と、冗談のつもりで放った言葉は軽く遇われるかと思っていたのだが、それは案外的を射ていたらしい。
「そうね。今の所はそう答えるしかない」
「…………」
言葉に詰まった。そんなことがあるのか。そんなことがあって良いのか。
「魔国の軍人の彼が立ち去った後、息のある者の治療に皆であたったのだけれど、正直あなたの傷は他の誰よりも酷かった。当然よね、手足を削がれて胸にはぽっかり穴が開いてしまったのだもの」
俯いたまま――私と目を合わさないまま、彼女は続ける。
目が合わない理由は、きっと私を救えなかったことから来る後ろめたさなのだろう。
そんなもの気にする必要など、どこにも誰にもないというのに。
「誰にも手がつけられなかった。誰にも治すことができなかったの。寿命も持って日が変わる頃まで。だから、あなたをここに運んだ後、最期はナキちゃんと二人だけにしておこうと、私達は立ち去った。そして、翌日にここを訪れた時、あなたの体に突っ伏して眠るナキちゃんと――」
無傷のあなたが居た――
静まり返った部屋に淡々と透き通った声が響き渡る。
『これから』なんてかなぐり捨てたが為に、『これから』なんて無いものだと思っていた私には、何も分からなかった。
「不思議で仕方なかった。神様の悪戯か祝福かと思ったわ。でも、そうじゃないとしたら…………ナキちゃんが何かを施したのか」
アルアさんのその一言に、その場にいた全員の視線がナキに移る。
突如向けられた大量の視線に、ナキは少し戸惑ったような素振りを見せた。
「フィンさんの傷を治すのは、少なくとも魔法でなければ不可能だと思う。魔法もなしにあの傷を治せる存在は、私も含めてこの村にはいない。魔法で治すにしても、相当な技術と魔が必要になる。それらを踏まえて、可能性があるのは私とオール様とナキちゃんだけだと思う。けれど、オール様はあの日以降目を覚ましていない。意識こそ安定してきて回復しつつはあるけれど、まだ目は覚めていない。看病も交代でずっとしているから、知らぬ間にフィンさんの所へ来たとは思えない」
そうか。オールはあれから目を覚ましていないのか。
恐らく肋骨を何本かやられているだろうから、体は無事ではないのだろうけれど、回復しているというのなら、一安心である。
「私に関しては、ここを去った後、ずっと他の村人の治療をしていて、その度に誰かと一緒にいたわ。まあ、アリバイと言う訳ではないけれど、私の動向は他の人が確認している。それはあの日の翌日にここへ訪れた時も例外なく。そして、残っているのは、ナキちゃんだけ。私達が去った後、フィンさんとずっと一緒にいたのはナキちゃん一人」
何というか、それだけではまだナキが何かをしたことにするには、まだ詰めが甘いような気もするけれど。
「ええ。だから、これはそれだけではないの。あの日は皆が誰かと一緒にいて、誰かが誰かの看病にあたっていた。お互いがお互いの動向を把握していたし、何より皆にはここへは来ないよう言い聞かせていたから。だから、翌日の明朝、私がここを訪れた時、フィンさんの傷が完治していたことに驚いた。そして、息をしていることに、脈を打っていることにひたすら安堵していた。その上で、ナキちゃんがフィンさんを救ってくれたのだと思った」
そこまで言われると、何だかナキがどうにかこうにかしてくれたのではと感じてきた。
まだ何か甘いような気もするが、村の人がアルアさんの言いつけを破ったとも思えないし、唯一破りそうな子ども達がここに来たとして、何かをできるとも思えない。
部外者が夜な夜なやって来て、私の傷を治していったということも考えてみたが、そもそも部外者が治していく意味が分からない。
先程から困ったような表情をするばかりで、何も言わないままだが、やはりナキが私を救ってくれたのだろうか。
――と、納得しかけた私に、アルアさんは「でも」と、続ける。
「でも、ナキちゃんにもフィンさんの傷を治すことができない唯一の要因があるの」
決定的な要因があるの――と、彼女は言う。
「あの日のナキちゃんは簡単な魔法を一瞬でも出すことが不可能なくらい、魔を欠乏していたの」
その言葉で思い至る――思い出す。
あの時のナキは立っていられない程に魔を失っていた。
無理矢理動いても、這うのがやっとなくらいに。
「そもそも魔法で使うことすら無理だったの。魔法どころか、自由に体を動かすこと自体できなかった。ナキちゃんはここへは自力で来られず、運んで来てもらってあなたと一緒にいたわ。そして、翌朝もナキちゃんの魔は回復せず、立ち上がることができなかった。ちゃんと歩けるまで回復したのも、実はつい最近のことだもの」
――となると、私の傷を治すことができる者、治したと思われる者は誰もいなくなってしまった。
私は、本当に何故生きているのか。
全てを話し終えたらしく、硬かった表情はすっと和らぎ、笑顔で言葉を続けた。
「まあ、別にこれは殺人事件ではない訳だし、言うなれば活人事件にでもなるでしょうけれど。とにかく死んでしまうと思われていたあなたが生きてくれたという事実だけが変わらなければそれで良いの。謎は依然謎のままだし、本当に不思議なことではあるけれど、それでもあなたが生きていることを心から安心しているのは、皆同じことなの」
「そうでしょう?」と、後ろを振り返り、皆にそう呼びかけると、寝室中に「当然だ!」や「おかえり、フィンさん」や「よっ、よく生き延びたねえこの変態!」などの歓声が響いた。少しうるさいくらいに嬉しい歓声だった。えっ、変態?
「それじゃあ、皆。ひとまず帰りましょう。フィンさんが目覚めたとは言え、まだ快調ではないし、後はゆっくり休んでもらわないと」
その言葉を合図に皆は我が家を去って行った。
子ども達が「またね」と、手を振ってくれて、同じように振り返す。力が上手く入らず上手に振れなかったのが残念だった。
その一方で、大人達の表情はどこか冷たく、暗く、ほんの少し闇を孕んでいるような気がした。
脅威が去ったとはいえ、失ったものも沢山あることは確かなのだ。
気持ちが晴れないとしても、仕方のないことだろう。
心がある者なのだ。そう簡単に割り切れたら、苦労はない。
「それでは、明日また経過を見に来るわ。くれぐれも無理に動いたり、家から出たりしないで下さいね」
アルアさんはそう言って、我が家を後にした。
生きていける喜びは感じている。
それでも、心の奥底では、このままでは駄目だと――今の私の『力』では決して何も守れないのだと、自分への憤りが腹の底から煮え繰り返っていた。
〇
皆が去ったとは言ったものの、スキロスはその場に残ってくれた。
私の看病をしてくれるのだと言う。
彼の怪我もまだ完治には程遠いので、なるべく自宅療養をしていてほしかったのだが、動けない私にナキ一人では心許ないのも確かであった。
ナキ自身もまだ万全ではなく、歩いていてもたまにふらついてしまうことがある。
ナキの様子を見てもらうことも含めて――そして、私自身がスキロスの様子を見る為に、いてもらうことにした。
いつも彼と一緒にいるアルクダは、仕事手の少ない今だからと、毎日仕事に勤しんでくれているらしい。
弟のゾキアの世話もあるし、家事だってしなければならない。傷の後遺症もあるだろう。
そして何より、父親を失った悲しみは間違いなく鎖のように絡みついている。
先程の皆の来訪の中に、彼の姿が見えなかったのも、彼なりに頑張らなくてはならないことが――何よりも優先すべきことがあったからなのだろう。
そして、私の傷の話であるが、まだ本人の口から真意を聞いていなかった。
アルアさんは『魔の欠乏』と片付け、私もそれに納得してしまっていたが、今思えば彼女は何も話さなかったのだ。
もしも、あの場で言えなかっただけなのだとしたら、確認するべきなのだろう。
「フィン、ご飯、用意したから食べて」
お盆に料理が盛られた食器を乗せ、ゆっくりとした足取りで運んでくる。
「ありがとう、ナキ」
彼女は柔らかく微笑んで、ベッドの横の机に料理を置いた。どうやら、料理の正体は野菜多目の粥らしかった。そして、そのまま椅子に腰かける。
すると、ナキはスプーンで料理を掬い、湯気の立つ粥に息を吹きかけ冷ましている。
十分に冷ますと、そのままスプーンを私の口元まで運んできた。
少し戸惑ってしまう。
何もそこまで看病されずとも、料理くらい普通に――と、そこで気づく。
今の私にはスプーンをしっかりと持てる程の力すら無いのだった。
それ故の『あーん』という訳か。
少し恥ずかしいが、これ以上ナキを待たせる訳にはいかない。
差し出したスプーンの報われなさにも目が当てられなくなってしまう。
大人しく料理を頬張り、優しい味を噛み締める。
「ナキ、ちょっと聞かせてほしいのだけれど」
「ん」
スプーンで料理を掬う手を止めて、ナキはこちらを見た。
「何?」
「僕の傷のことについてで、本当はナキが治したんじゃないのか?」
突然の問いに、皆から一斉に視線を浴びた時のように戸惑い固まってしまった。
そして、少し間を置いて困った顔で答えた。
「ごめんなさい……本当なら、私が助けたかった。でも、本当に私じゃないの。私はあなたに助けられただけであって、あなたのことは助けられなかった」
俯いて、細くなっていく彼女の声に嘘偽りは感じられなかった。
少なくとも、私の耳には。
私も色々と考えはした。
実は、ナキはまだ魔力を持っていて、私の傷を治してくれた、みたいなことがあったのではないかと。
私の傷を治したタイミングでナキの魔が全て無くなり、アルアさんが翌朝に訪れた時に傷の治った私と魔が無くなったナキが確認した、とか…………。
それ以外の可能性も沢山考えられるし、そういったものを挙げていったら切りがないことも確かである。
ここは、ナキの言うこと、私が感じ取ったことを信じて、私の傷についての謎は一旦忘れることにしよう。
これ以上、ナキの暗い表情を見るのも嫌である。
「そっか。ごめん、疑ぐるようなことを度々聞いてしまって」
上手く力が入らないとは言ったが、丸っきり動かないという訳でもない。
落ち込む彼女の小さな頭を撫でる程度のことはできる。
「でも、僕は君が無事でいてくれただけで十分だから。ありがとう」
そう言うと、見慣れたはずの懐かしい笑顔がまた戻ってきた。
それを見て、堪らなく嬉しくなったのを表情に出さないように我慢する。あくまで私は紳士でいたい。
それからご飯を食べ終え、今度はスキロスがやって来た。
着替えを持ってきてくれたのだ。
思えば今朝からずっと上裸体である。
「とりあえず体を拭きますね。寝ていても知らない間に汗をかくと思うので」
水の入った桶にタオルを浸し、適度に絞る。
濡れたタオルが体に沁み渡り、心地が良かった。
「何というか……」
「ん?」
「フィンさん、筋肉、増えましたね」
スキロスの言葉を受け、改めて自分の体を見る。
自身の体を自慢する訳ではないが、確かに心なしか以前よりも体が筋肉質になった気がする。
不思議である。育成学校を抜けてから、特別鍛えていた訳ではないのだが、知らぬ間に体ができ上がっていたとは。
「まあ、色々あったからね」
そういえば、気になってはいたが、聞きそびれていたことがある。
私が生きていることや、ネフリの現状のことで頭がいっぱいだったこともあり、何となく忘れてはいたが――
「スキロス、今日はあの日から何日経っているんだ?」
あの日――というのは言うまでもなく、ネフリに魔人達が襲来した日である。
最悪の颶風が吹き抜けた日である。
少し眉を歪め、スキロスはあの日を思い出すように答えた。
「十日です」
「……そうか」
そんなにも長い間眠っていたのか。
私が十日間眠っている間、村の皆は悲しむ暇もなく亡くなった人達を焼き、一刻も早く村を立ち直そうと毎日奮闘していたのだろう。
自分が不甲斐なくて仕方ない。
となれば、私も迷っている暇はない。
スキロスは私の体を十分に拭き終え、上着を手に取った。
「そういえば、フィンさんが以前着ていた道着のような服はどうしたんですか? それを持ってくるつもりだったんですが、クローゼットの中には見当たらなくて」
道着のような服――恐らくは育成学校時代に学校から支給される衣服のことだろう。
それ以外に衣服をあまり持っていなかったので、仕方なく着ていただけであった。
「ああ、何かしらの形で全部ぼろぼろになってしまったから、全部捨てた」
あそこを抜けた時には確か三着くらいあったはずだが、私もこの短期間に何度も戦いを繰り返してきた。
ぼろぼろになっても仕方ないと言うべきだろう。
「道着って東の国の稽古着ですよね? 高価なものだったのではないのですか?」
「まさか。涙が出るくらいの安物だよ」
高価なのはあくまでも『東の国で生産された道着』であって、私が着ていたのは育成学校及び王国が東の国を真似て作った安い生地のものである。
間違っても、未来ある訓練生から実力のない訓練生までに分け隔てなく支給する稽古着なのだ。
高い金を出してまで取り寄せる価値もない。
一介の訓練生に高価なものを着せたところで、猫に小判、豚に真珠、宝の持ち腐れも良いところである。
「そうなんですか……、でもちょっと格好良かったので…………残念だな」
格好良いのか、あれが。
私の中では結構不評だったのだが。
本家の真似事をしようとした素人が変なアレンジを加えて盛大に失敗したような服だと思っていたのだが。
私が単に見るの目がないだけなのかもしれない。
「……まあ、服なら、何とでもなるから。また見たいなら、今度はちゃんとした本物を見よう。ちゃんと東の国で作られたものを」
そう言うと、陰っていた彼の顔が晴れた。
軽い気持ちで言ったつもりだったのだが、これは裏切らなくなってしまった。
けれど、いずれはスキロスに限らずネフリの皆を色んな所へ連れて行きたい。
だとしたら、今ここで彼と約束を作っておくのも良いのかもしれない。
子どものように微笑んで、「いつか、絶対ですよ」と、スキロスは言った。
その笑顔の中にも、仲間を沢山失った深い傷が疼いているのかと思うと、私の胸は瞬く間に絞め付けられていくように感じられた。
〇
あの日から十一日が経った早朝、私はいつも通り我が家のベッドで目を覚ました。
目が覚めてすぐだと頭が判然としないけれど、フィンが意識を戻したのだから、そうは言っていられない。
しっかりと彼の看病に努めなければ。
皆が辛い今、私だけがいつまでものろのろとしている訳にもいかないのだから。
しかし、私のやる気も虚しく、その決意は何も意味を為さなかった。
私とオールのベッドとフィンのベッドを区分するパーティションから、彼の様子を覗くと、喫驚することとなる。
フィンが寝ているはずのベッドにフィンの姿が無かった。
無造作に布団が退けられているだけである。
目の前が真っ暗になり、不安と絶望に抱かれた気分だ。
シーツに触れると温みは感じられず、もうとっくにフィンはここから離れているのだと分かった。
こうしてはいられない。
まだふらつく足取りで外へ飛び出す。
一刻も早く彼を探さなきゃ。
と、外へ駆け出してすぐにアルアさんに出会った。
彼女はこちらを見るや否や、眉を顰めて少し怒気を孕んだ声を上げる。
「ナキちゃん、駄目じゃない。家の中で大人しくしてなくちゃ。あなたもまだ万全じゃないし、フィンさんも見ててもらわないと――」
「あのっ!」
彼女の言葉を遮って、私は伝えるべきことを息切れした喉から絞り出した。
普段の私なら、アルアさんの声を遮ってまで話を押しつけるなんてできないだろうけれど、今はそんなことを言っていられない。
「フィンが……居ないんです」
「えっ?」
戸惑いを隠せない彼女は、私の言葉が冗談であることを願うように笑う。
それに応えることは、私にはできない。
「朝、起きたら……フィンが、居なくなっていて……書き置きもなかったし、今までこんなことなかったし、どこに行ったかも分からないし、私、私」
「落ち着いて、ナキちゃん」
私の両肩を掴み、真っ直ぐな瞳を向けるアルアさんに、私ははっとさせられた。
そうだ。とにかく今は焦ってはいけない。
急がなければいけないことだけれど、焦って行動するものではない。
きっとアルアさんも状況が把握しきれていないだろうけれど、それでも何とか落ち着こうとしている。
そこで私がおろおろとしていてはいけない。
「私はこれからフィンさんのことを探しながら、皆にフィンさんを探すように呼びかける。あなたはあなたでフィンさんを探して。でも、無理はしないで。体調が悪くなったら、必ずその場で休んで。良いわね?」
「――はい」
話を終え、私の肩から手を離すと、アルアさんは村の中心へと再度向かった。
私も必死に考えを巡らせてフィンの居場所を想像する。
仮にフィンが村の中にいるのなら、アルアさんの呼びかけによってすぐに見つかるはず。
だとしたら、私が村を探すことはあまり意味がない。
この場合に必要なのは、フィンが村の外――森のどこかにいる場合、そこを探す人員。
私は我が家の裏から森に入り、草を踏みながら彼を探す。
現状で最悪なのは、フィンが外部の者によって連れ去られてしまっていること。
動けないのを良いことに、魔国のスパイか何かが夜な夜な忍び込んで、彼を誘拐してしまっていること。
その可能性は大いにあり得るし、もしも現実がそうなら、私達の足では追いつけないだろう。
そう想像しただけで、不思議と目頭が熱くなった。
泣いている場合なんかではない。
涙すら呑み込んで、必死に駆けなければならない。
と、森の中を走っていると、人影が向かい側から現れた。
フィンよりも一回り大きな影である。
「――アルクダ君!」
息を切らしてやって来た私にアルクダ君は目を丸くした。
どうやら彼は明朝の村の見回りをしてくれていたらしい。
まだ手の怪我は完治していない為、右腕は包帯でぐるぐる巻きになり、首から提げた包帯の三角巾に乗っかっている。
けれど、左手には二メートルは軽く超える長さの槍を持っていた。
「どうしたんですか。そんなに慌てて……何かあったんですか?」
彼に今朝からの一連の出来事を話す。
粗方の事情を知ったアルクダ君は不安そうな顔をしたが、すぐに眼の泳ぎは止まった。
「……分かりました。俺も探します。とりあえず通ってきた村沿いの森にはいなかったので、もう少し奥にいるかもしれません。俺はこの先の村沿いを探すので、ナキさんは森の奥をお願いします」
「分かった。ありがとう」
お互い向かうべき方向へ走り出す。
――と、その直後に後ろから彼の声が飛んできた。
「ナキさん! くれぐれも、無理はしないで下さい!」
彼の声に頷き、私は改めて決意を抱いた。
そうだ。私ももう前とは違うんだ。
ここには、心配してくれる人達が居る。
彼らを守る為にも、私が心配をかけてはいけない。
そして、それはフィンも一緒のこと。
フィンにこそ心配している人、慕っている人――愛している人が居るんだ。
だから、フィンは消えちゃ駄目だ。
居なくなっちゃ嫌だ。
ねえ。
ねえ、フィン――
気づけば、堪えたはずの涙が再来していた。
「フィン、どこにいるの――居なくならないで」
必死に涙を拭い、森の中を見回りながら駆け抜ける。
息も切れ切れになってきて、足は幾度もよろける。
――と、涙が伝う頬を微かに気配が掠った。
気配の方向に向き直り、そちらへ歩み出す。
木立の中、少し開けてはいるがまだ鬱然とした森の中――彼が居た。
やっと――見つけた。
フィンを目にした途端、溜め込んだ不安が流れ出し、今度は安堵が私を抱き締めた。
彼はここに居る。
頭から兎の大きな耳がぴんと立っていて、お尻には蒲公英の綿毛のような可愛らしい尻尾が生えている。
何故獣人になっているのかは分からないけれど、その風貌や顔つきはフィンに間違いなかった。
彼の横顔を見間違う訳がない。
あの横顔に何度も助けられて、何度も魅せられたんだ。
「フィン……フィン」
彼は左手に愛剣を、右手には無骨な短剣を逆手持ちで、ひたすらに振り続けている。
どうやら稽古をしているらしい。
いつもの華麗な体捌きのように感じられるが、どこか違和感というか、慣れない動きが見られる。
それはきっと左手持ちが起因しているのだろう。
周りの木には槍斧や鎖鎌、ライフル銃など、あらゆる武器が立て掛けられていた。
大分長いこと稽古しているらしく、彼の肌は艶の乗った照りを放っていて、シャツはびしょびしょに濡れている。
地面に生えていただろう草が足捌きの影響で多く掘り返されていて、辺りには土が散乱している。
「フィン……フィン……」
どれだけ呼び続けても、彼は反応しない。
それ程までに、深く集中しているのだろう。
けれど、そんなことに気を遣っている場合ではない。
そもそも彼は昨日まで動けなかったのだ。
自分の力では上手く指も動かせない程に。
なのに、今はあんなにも機敏に立ち回っている。
どういうこと?
一晩の間にフィンは回復したということ?
そんなこと、あり得るの?
とにかく彼を呼び止めないと。
もし、無理して稽古をしているのだとしたら、危険でしかない。
それでまた動けなくなっては元の子もないのだから。
私に気づいて。皆が心配しているの。あなたのことを皆が待っているの。
もう無理しないで。
あなたの命だけれど、あなただけが繋いだ命じゃないの。
フィン、フィン――
「――フィン!」
やっと出てきた私の大声にフィンはこちらに素早く振り向いた。
まるで深い眠りから目覚めたかのような顔で。
「…………やっと、こっち向いた」
「…………ごめん、気づかなかった」
「……何、してるの?」
「ああ、まあ、稽古だよ。体が鈍ってはいけないし」
「いつから?」
「ん……少し前から……あれ、日が昇っている。そんなに時間が経っていたのか」
「……動けるの?」
「ああ、不思議なんだけれどね。朝起きたら、軽くなってたから。……もしかして、探しに来てくれたの? ごめん、書き置きとか残しておくべきだったな。あ、そんなことより聞いてよ。色んな種族になって戦えるようになろうと思って獣人になったらさ、兎の獣人だったんだ。いや、別にもうちょい強そうなのを期待した訳ではないんだけれど、にしても兎って。こんな嫌がらせみたいなことある? しかも、兎なら白兎が定跡だろうに、よりにもよって黒って。まあ僕が好きなのは焦げ茶のなんだけどさ」
「…………違うでしょ?」
「えっ? あっ。ノリがおっさんみたいでうざかった? ごめん、なんか兎になってテンション変になっちゃった」
「それも違う! ……全然違うよ。そんなことじゃないよ」
私が聞きたいのは、そんなことじゃない。兎がどうとか、ノリがどうとかそんなんじゃない。
そんなことじゃないの。
「皆、心配したんだから。本当に、怖かったんだから。また居なくなったのかと思って。不安で仕方なかったんだから!」
「…………」
「稽古なんて良いから……居てくれたら――生きていてくれたら、それで良いから! どこにも行かないでよお……」
自分でも何を言っているのか、分からなくなってくる。
別にフィンはどこにも行ったりしないのに。
それでも、少し見失うと怖くなる。
寒気がして、痛みすら感じる。
ただただ、嫌だった。
フィンが傍に居ないのが、嫌だった。
「…………そっか。ごめん、軽薄だった」
彼は顔を僅かに俯かせた。
けれど、すぐに顔を上げ、私の滲んだ目を鋭く真っ直ぐ見つめる――決して曲がらない決意を抱いた眼差しで。
「けれど、この稽古を止めることはできない」
「…………え?」
驚いた。
初めてだったから。
フィンが私の我儘に応えないことが初めてだったから。
「どうして? 筋肉キャラでも目指し始めたの?」
「違うよ。それこそ全然違うよ。今更そんな方向転換しないよ」
「だったら、どうして」
「僕は強くなる必要がある。今よりもずっとずっと強くなる必要があるんだ」
「何で? 良いんだよ。強くならなくたって、今のままで皆幸せなの」
「駄目なんだ、それじゃ」
そう強く返ってきたフィンの言葉に、狼狽えてしまう。
こんな風に私の言葉を真正面から否定してくることなんてなかった。
何だかフィンとは別の誰かを目の前にしているような感覚だった。
優しくて、温みを孕んだ彼はもう過去の人なのだと、教えられてしまった気分だった。
「ああ、でも安心して。村の仕事は勿論最優先でやるから。その合間合間にこうして稽古をするだけ。ネフリの指導者としての務めはきっちり果たすよ」
「…………何で、そこまでして、強くなろうとするの?」
すると、フィンは困ったような笑みを浮かべて、こう答えた。
まるで理解の悪い子どもを相手にしているかのような微笑みだった。
「皆を守る為に決まっているだろう? いつまた魔国の連中がやって来るか分からない状況なんだ。その時にあの日のような惨劇で村の皆が死ぬのは、今度こそ何としても防がなければいけない。その為には、僕が強くなるしかない。皆を危険に晒さず、僕一人が奴らを一掃できれば何の問題もないだろう?」
当たり前のことのように滔々と語る彼だが、しかしそれはつまりフィン一人が傷つくということ。
さっきも言ったはずだ。
村の皆がフィンのことを心配しているんだ。
そんなことをフィン一人が決めても、フィン以外の人は納得しない。
納得できる訳がない。
「それでも、やるしかないんだ。いざとなったら、僕一人が戦って、村の皆には手出しをさせないようにしないと、駄目なんだ。これだけは、村の皆が納得できなくても、僕自身の決意なんだ。手段を選んでいられる場合ではなくなってしまったんだよ」
冷たい。
眼も、声も、きっとその肌も。
怖い。
前までは、確かに低くて心地の良い声だったのに、今は違う。
寒気がする程冷えていて、心が潰れそうな程重たい。
こんなことを言って良いなら――今の彼はニケみたいだ。
「ナキだって目の当たりにしただろう。皆が魔国の奴らに殺される様を。キニゴスさんだって、あの日の前日に普通に話してくれたんだ。それに、誓うように言ってくれたんだ。『くたばらねえ』って。なのに、死んだんだ。ルートリナさんの後を終えて良かったねなんて言える訳もない。パルダリスさんだって、ずっとこの村を見てきて、まだまだこれから楽しいこともいっぱいあっただろうし、僕なりに恩返しもしたかった。そういうの、全部あいつらに壊されたんだ。そして、これからもっと皆の幸せが壊されるかもしれないんだ。弔い合戦をするつもりはないけれど、未来ある者があいつらに奪われるのなら、戦わない訳にはいかない。未来ある者を守る為に、未来ある者に戦わせてはいけない。だから、僕一人で戦うんだ」
淡々と――冷淡に語る彼の言葉が火傷するくらいに耳に熱く残る。
冷たく燃える決意が彼の眼を滾らせているのは、一目瞭然だった。
「それに、魔国を終わらせる為には、今のままで良いはずがないから」
――え?
魔国を――終わらせる?
「魔国――正確には、今の大魔王国の王朝、カサルティリオ朝を終わらせる」
「…………」
本気で言っているの? ――と、訊くことはできなかった。
そんなことをわざわざ口にして確かめなくても、彼が冗談で言っている訳がないと、その眼を見れば分かる。
だからこそ、もう私には彼を止めることはできないのだと確信した。
しかし、そんな大きな耳と小さな尻尾を生やしながら、あの国を滅ぼす宣言をするとは。
「大丈夫、それなりに策は練っているんだ。かなり雑で大掛かりだけれど。まあ、あの国の王を討とうと言うんだから、そのくらいでないと叶えようもないんだけどさ」
「…………何で?」
「ん、何でって?」
「何で、そんなことをしようとしているの?」
あなたから魔国に立ち向かう必要はないじゃない。
あの国を終わらせたって、何も意味ないでしょう。
いずれまたあいつらが来るのなら、その時は逃げてしまえば良い。
そうしたら、ネフリの皆にも迷惑はかからないし、事が済んだらまたここに戻って来れば良い。
「逃げるだけじゃ、君は自由になれないから。君はずっと背中を狙われ続けることになる。君を助ける為だ」
「私はそんなこと頼んでない!」
「だって君は頼まないだろう。君は助けを求めないだろう」
そう言われて、何も言い返せなくなった。
以前、私がフィンに『話してほしい』と言ったのに、私も結局何も言えないままだったんだ。
さすがに相応しくないと思ったのか、人間に姿を変えた。
耳の関係もあるのかもしれないけれど、少し背丈が縮んだ気がする。
「僕が死んだ話はしたよな。死んで、この力を手に入れた話は」
そう言って、フィンは右腕を棘だらけに変える。それが何の姿なのかは想像もつかない。
「この力を得た時、もう僕の人生は終わっているんだ。そして、二度目の生涯が始まった時、僕は生きる目的を探していた。誰かの為に生きる、その『誰か』を探していた。そして、君を見つけた」
私は黙って彼を見つめる。
何も言えないし、何も言う気にもならなくなった。
多分、彼は変わってしまった。
何にでもなれる彼は、もう私の知らない姿に変えてしまった。
そして、変えさせたのは、きっと私だ。
「勝手だとは分かっている。もしかしたら、君を理由にして自分を満たしたいだけなのかもしれない。単なる偽善でしかないのかもしれない。それでも、僕に君を助けさせてほしい。これが生きる理由なんだ。生きていてほしいと言ってくれる人達に応える為の、唯一の理由なんだ。だからこそ、魔王を――『黒幕』を殺すんだ。誰も、何より君を幸せにする為に、イストリア・カサルティリオを殺すんだ」
嫌だった。
今の彼の眼が嫌だった。
その眼に変わったのが自分のせいであることが嫌だった。
そして、その眼に見惚れてしまっている自分が嫌だった。
だから、私はこう言うしかない。
せめて、償いとして、私の好きな眼に戻ってくれることを願って――
「今のフィンは――『怪物』みたいね」
彼は戯けるように柔らかく笑う。
「こんな僕は嫌い?」
私も応えるように笑う。
それでも、私は彼のことが好きだった。
次回にご期待下さい。
本作品は、不定期更新となります。次の物語をお待ちください。




