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Light in the rain   作者: 因美美果
第五章――1
37/77

『勝敗』

まだまだ未熟なので、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。


※この作品は、少し残虐なシーンが含まれます。また、少し刺激の強いシーンが含まれます。以上のことが苦手な方はご観覧をお控えください。


この作品は、私の溜め込んできた物語をひたすらに詰め込んでいます。

それでも楽しんで頂ければ幸いです。

 出てくるのが遅過ぎたことは、自分でも解っている。


 もっと早く出てくれば、何人も死なずに済んだのだろう。

 最初から私一人が魔人達の前に現れれば、全てが丸く収まったのだろう。


 だからと言って――今更出てきても仕方がない――故にずっと隠れ続ける――そんなことをすることも、私にはできなかった。

 仲間が倒れる中で私だけが隠れていることに、これ以上は我慢ならなくなり、マーブリさんの震える手を振り払い、遂に私は広場へと出て行った。


 しかし、ただ出て行くだけでは私は捕まってしまう。

 あの日に私が魔国へ連れられておけば良かったと言うものの、時既に遅し――手遅れならばいっそ抗ってみせる。

 仲間も何人も殺され、希望も何も残されていない現状、私とてただ連れられて行く気にはならない。

 皆を殺めた奴らを力の限りやり返し、それで皆殺しにできたのなら良し――力及ばず連れられてしまうにしても、それで村人にこれ以上危害が加わらないのなら良し。


 何にしても、ただ捕まるつもりはないということ。


 マーブリさんの家のキッチンから包丁を二つ拝借し、返せるかは分からないがとりあえず魔人達に一矢報いる為に両手に抱えた。


 以前、箱庭で生ける屍を相手にし、心の奥にまで深々と届く程の恐怖を刻み込まれた訳だが、今回相手にするのは、私と同じく人の形をしている者である。

 それを私はこれから何人も殺そうとしている。

 見紛うことなき、人殺しである。


 そこについて、寒気を煽るような恐怖はある。

 自分を失うかもしれないという不安もある。

 茨のように絡みつき、肌を切り裂く痛みもある。

 けれど――ただの一つも躊躇ためらいはなかった。


 止まらない足の震えも、込み上げる吐き気も、熱く潤う涙目も、全部ぎりぎりの覚悟で我慢している。

 全く格好つかないし、相手を少しも怯ませられないけれど、それでもここまで頑張って生きていてくれた皆に――私が情けなく守れなかった皆に安心してもらえたのなら、それで良いのだと思う。


 魔人達の恐らく隊長――ニケを狙って包丁を魔法で投げつけたのだが、あっさり避けられてしまった。

 キニゴスさんに止めを刺させることは何とか食い止めたが、彼はもう瀕死の状態だ。

 今すぐ回復魔法を施しても間に合うか分からない。


 キニゴスさんは私を見て唖然とし、その目を丸くした。

 アルアさんが駆けて来て、彼に回復魔法をかけた。

 ニケはそれを苛ついた目つきで睨んだが、一々剣を振るうのも億劫といった風に視線を外した。


 彼は私に視線を移し、にやけた口のマスクを通して声を放つ。


「今更出て来たのは、何だ? 仲間が殺されるのに耐えられなくなり、大人しく捕まりに来たか? まあ、それならそんな物騒なもん持っちゃいねえよな」


 真っ黒な笑うマスクとは裏腹に、その眼は静かな怒りが込められていた。


 その不気味なマスクはもしかしてあの魔王の趣味なのか?

 ニケは魔王のことを『あの人』と言っているし、自分の立ち位置を『最も近くに仕えている』と言っていた。

 となると、彼は魔王の側近? 恐らくそのくらいの役職には就いているだろう。

 自身の名を名乗る時も『あの人に貰った』と言っていたし、ただの側近って訳でもなさそうだ。


 私は彼を睨み返し、怒りの念を送った。

 私が早く出てくれば全部解決した――私の非ばかりを咎める彼はきっと正しい。

 けれど、それと同じくらいに自分達の悲劇を叫ぶ村人の皆も正しい。

 正しくないのは、守られてばかり――勝手ばかりの私だけ。


「ええ、あなたにはきっと全部お見通しだもの。嘘なんて吐く気はない。先に言っておくけれど、私はあなた達を殺しに来たわ。精一杯頑張って、皆を守りに来た」


 私の言葉に周りの魔人は多少はたじろいだが、唯一ニケだけが嘲笑した。


「本当、どいつもこいつも弱い上に馬鹿ばっかだがな、お前が一番嫌いな奴だよ。大抵の奴は弱いだけで頓珍漢なことは言いはしねえ。お前は自分の立場も分かってねえ上にどうしようもなく弱え。見てて聞いてて胸糞悪くなる」


 死体に氷を詰め込んだように腐った彼の眼が、いつの間にか油を注がれた灯の如く轟々と燃えていた。

 きっと彼は酷く機嫌が悪いのだろう。

 彼の言いたいことは分かる。

 耳が痛くなるような正論で、それでも聞かなければならない言葉だと理解している。


「何が『精一杯頑張って、皆を守りに来た』だ。頭おかしいのか。お前がさっさと出てくれば守れなかったもんも守れたんだろ。最善を尽くせなかった癖に、これから頑張れば取り戻せるような口振りしてんじゃねえぞ。何にも守れていない上に、中途半端な『力』を使いこなせてもいねえ。お前は英雄でも何でもねえ。ただ運が良かっただけの、不幸を招く餓鬼だろうが」


 私は彼の厳しい言葉を聞きながら、牛刀を握る手に力を込めた。

 全く彼の言う通りで、言い返す余地もない。

 悔しいのに返せなくて、理解しているのに痛みは引かなくて。


 ――けれど、言われっ放しもやっぱり耐えられなかった。

 何か言わなければ、固めた決意が容易く折れてしまいそうだった。


「あなただって、最善の道だけを歩ける訳じゃないでしょう。全て完璧に熟せる訳じゃないでしょう。大切な者の為に頑張って、それでも力が足らない時もあるでしょう。でも、それでも、生きている限り頑張り続けなければならないんじゃない」


 涙目で語る私の声は震えていて、聞くに堪えないものだっただろうけれど、それでも話すことを止めなかったのは、自分の覚悟がそれなりに固まっている証拠なのだと思う。

 せめて自分の想いを言葉にして伝えたかったのだと思う。


「私はあなたの言う通り弱い。弱いよ。けれど、いつだって何もしてこなかった訳じゃない。痛みも疼きも味わってきて、それでも歩いて来たんだ。私のことも知らないあなたに、私のことを否定されたくない。…………けれど、私は確かに遅かった。何をしたって取り返せない。弱いから皆に戦わせて、弱いから守れなくて、弱いからあなた達にも負けて終わる。きっと私は負ける。だから――」


 目元を拭い、まだ少し歪む視界からニケを見据えた。

 今から私は――


「できる限りあなた達を殺すって言っているの」


 それが私の中で覚悟が弾けた瞬間だった。


 私は牛刀を持っている右手とは反対の――空の左手から地面に向けて、しれっと魔法を放つ。

 魔法陣からは一本の鎖が、岩間から滴る湧き水のように流れ出る。

 鎖は地面に着くと、地を破って地中を移動する。

 ニケには感づかれているだろうが、周りの魔人にはまだ気づかれていないらしい。


 因みに、この鎖は村の倉庫から魔法で転移させている物だ。座標を正確に理解していないと転移はできないが、何度か倉庫の中を確認したことがあるので問題ない。


 魔人達は私を見つけたことで、捕まえることに意識が集中しているが、然程警戒されていない。

 ローブのフードから見える彼らの表情は、油断に染まった笑みだった。


「ニケ様。早いところエマイディオスを確保した方がよろしいのではないのですか? 時間もあまり残されていませんし……」


 その言葉にニケは呆れた目つきで魔人を見て、哀れむように言い放つ。


「お前、本当に俺の部下か?」

「へ?」


 驚き戸惑う魔人は間の抜けた声を出した。

 その反応にニケはさらに目を細める。


「なあ、何故お前は油断できる?」

「いや、そんなことは」

「『いや、そんなことは』――ほざけ。だったらその頭の悪そうな笑みは何だ。なあ、何で俺の前でそんな笑えんだよ。俺の性格ある程度知ってんだろ? …………答えろ、訊いてんだよ」

「あ、はい。すみません」

「『すみません』じゃねえ。訊いてんだっつってんだろ。答えろよ」

「知ってます!」


 何故に今彼は他人の村で部下に説教しているのだろうか。

 普通に怖い上司をやっているのだが、それをされる部下は地獄だろう。

 親に公の場で怒鳴られるような恥ずかしさを感じるだろう。想像なので何とも言えないけれど。


「知ってるよな。そりゃそうだよな。そうじゃなきゃあの人がお前を俺の所に配属する訳ねえよな」


 私が魔法で出した鎖は地中を潜り進み、一番後ろに居る魔人の足元まで到達した。

 ニケを狙っても恐らく倒せない。決め手に欠ける。

 彼の一つ後ろの――要するに今ニケに説教を喰らっている魔人を狙っても良いのだが、恐らくその魔人は無視しても大丈夫だろう。


「強者なら圧倒的な弱者に対しても慢心するな。常に殺される覚悟をしておけ。『力』の使い方を誤るな。それが今お前はできていなかった。あの人が選んだということは、配属された当時は俺の部下として相応しかったんだろう。だが、今は俺の部下に相応しくない。俺は弱者が嫌いだがな、浅はかな強者も嫌いなんだよ。だからお前は要らない」


 地面から出てきた鎖は魔人の足元からその足に絡み、体を這い上がっていく。

 纏わりついた鎖は木を登る蛇の如く、巻きつきながら一瞬で魔人の脳天まで駆け上がる。

 鋼鉄の鎖は喉や手足の関節に絡みつき、痛みの声も出ない内に絞め付けた。


 物体を動かす魔法は使用者にも操る物体を通して、相応の感覚や感触が伝わってくる。

 私の掌には生々しい肌の柔らかさや温度が伝わってきて、今から私はこれを絞め上げて彼の首の骨も血の管も全て千切り裂くのだ。

 私も遂に戻れない。


 人が殺される世の中を容認できて、人を殺すことに躊躇いがあるのなら、それはおかしな話なのだろう。

 逃れることなんてできないのだろう。


 一思いに鎖を絞めると、骨の軋む音も間もなく、折れて千切れて魔人はばらばらに崩れた。

 血が飛散しまくり、周りにいる魔人にも横殴りの血の雨が降りかかった。


 魔人にもう息はなく、顔面は酷く潰れて表情も分からない。飛び出た目玉が地面を転がり、自身が通った道を赤い血で示す。


 起きたのは一瞬のことで、周りの魔人も気づいた時には仲間を一人殺された後であったが、それをやった私には途轍もなく果てしない時間に感じられた。

 魔人の血飛沫や骨の折れた時の振動が、頭の中に強く残って一生離れないくらいに刻み込まれた。


 これが『人を殺す』ということ――


 ――と、私が魔人を殺害したのと同時に、もう一人の魔人が死んだ。

 村人の誰かが殺した訳ではない。

 私が器用にもう一人殺っていた訳でもない。


 では、一体誰が殺したのか。

 その答えはニケである。


 私は敢えて説教されている魔人を狙わなかった。

 彼ならばニケに怒られて、大分動揺している。こちらから意識が離れている。

 だとしたら、最も殺せる確率が高いのは彼だ。


 しかし、私は彼を狙わずに、一番後ろにいた魔人を狙った。

 一番可能性の高い魔人ではなく、二番目に可能性の高い魔人を狙った――二番目に可能性の高い魔人を選ぶという、リスクを冒した。


 何故そんなことをしたのか。

 その答えもニケである。


 ニケという者の人柄から察するに、自分の信念を狂ったように貫くだろう。

 あれだけ他人に対して自分の思想を押しつけているのだから、自身に対してもさぞ厳しいのだろう。

 だとしたら、彼の思想、信念に背いた部下を易々と許すことはないだろう。


 自分の信念に反する者には構わず銃弾を放ち、自分の嫌いな者は構わず切り捨てる。

 きっとそれは敵味方関係ない。


 だから、分かっていた。

 ニケは自分の信念に反する行動を取った部下を、叱責した末に何を下すのか。


 ――だからお前は要らない――


 そう言って彼は――部下の心臓に夜闇のような刃を突き刺した。


「これで世界も多少はマシになるだろ。お前らも気をつけろ。どうせ似たようなもんだから、俺はお前らを何人何十人失っても痛くも痒くもねえ」


 私は鎖を魔法陣の中に引き戻し、元の倉庫へと返す。血塗れの鎖が倉庫にあることになるので、それを後で見た村人を怖がらせてしまうけれど、それはやむを得ないので堪忍して欲しい。

 私はニケを睨みつけ、包丁を握る手にさらに力を入れる。

 彼も私の方へ首を曲げ、冷め切った眼を向けてきた。


「今さっきエマイディオスに殺された奴もそうだ。あいつ……名前は忘れたが、まあ良いや。あいつも慢心していたから死んだんだ。常にエマイディオスを警戒しておけば、奴の魔法に気づけたはずだ。ここでエマイディオス程度に殺られるくらいの『力』だったなら、ここで捨てられてむしろ嬉しく思える」


 何故そこまで『力』や『強さ』に拘るのだろうか。

 きっと彼はクレバーでクールな頭脳の持ち主なのだろう。

 それはこうして面と向かって話していても十分伝わってくる。


 しかし、それに対してあまりにクレイジーだ。

 やり過ぎなくらいにストイックで、自分の信念に忠実だ。

 その為ならば『力』の無い他人の命なんて、路傍の石ころみたいに――もっと言えば、害虫みたいに扱う。


 犠牲すら躊躇いなく出し、惜しみなく『力』を行使する。


「なあ、エマイディオス。もっと殺しても良いんだぜ。殺したいんだろ? その包丁で俺の肉をハムみたく薄く斬ったり、得意の魔法でこいつらの内臓全部を吐き出させたり、俺らの苦しむ姿が見たいんだろ」

「……そんな凄惨な殺し方は是非とも避けたいけれど、そうね、殺したい。皆を苦しめたあなた達にそれ以上の痛みと恐さを骨の髄まで染み込ませたい」


「けっ」と、嘲る彼は帽子のつばを下げ、さらに目深に被る。

 顎を引き、垣間見える尖った視線が箒星のように爛々と強く飛んで来る。


「お前の相手は俺一人で十分だ。部下を殺し過ぎるとあの人に迷惑をかけるからな。これ以上、あの人を失望させる訳にはいかない」

「随分と上司が怖いみたいだけれど、意外と臆病なのね。そんな半端な覚悟で大丈夫?」

「だったらどうすんだ? 相手が臆病だと判明して、そんなに本気出さなくて大丈夫とか思ってんのか? それとも、上司が怖い俺を罵倒して精神力を削ぐ作戦でも遂行するのか? 何にしても頭が悪過ぎる。あの人は誰よりも強い『力』を持っていて、誰よりも聡くその使い方を知っている。俺は世に流されるだけで保身に走る、地位だけの上司の言うことは聞かねえんだよ。俺があの人についていくのは尊敬できるからで、迷惑かけられないのは恩人だからだ」

「…………あなただって、恩人の為なんじゃない。この村の人達と一緒じゃない。なのに、何で」

「笑わせんな」


 冷えた声をナイフのように尖らせ、投げ飛ばしてくる。

 本気で彼は私が嫌いらしい。

 私だってそうだけれど、それよりも深い憎悪――


「恩人が居る奴同士は必ず分かり合えるのか? 恩人同士が敵だったらどうする? 仲良くやんのか? 少しくらい考えろよ。そんな訳ねえだろ。世の中んな甘かねえよ。それなら世界に戦争は無えし、国は一つしか無えよ」


 その言葉に改めて自分の愚見を恥じる。

 何にも分かっていないんだ。

 あの村から飛び出て、世界を見て回って、何でも知った気になっていたんだ。


 戦争が何故あるのか。

 人殺しが何故あるのか。

 その理由くらい考えればすぐに分かる。

 生き物はどうしたって、対立してしまうからだ。

 何も考えずに話すのは――何も考えられずに話すのは、私がまだ怯えている証拠なのだ。

 そして、それはニケにもバレているだろう。

 敢えて彼がそこを衝いてこないのは、そんな小細工をしなくても私に勝てるからだろう。

 ただ正論だけを吐き、ただ『力』だけで勝ちを取る。

 やはり、私には彼に勝てない。

 私どころかニケに勝てる者なんて、きっとほとんど居ない気がする。

 それ程までの強さを彼は持っている。


「それにな、お前らの恩人はそんなにもついていくに値する奴か? アイオーニオンはそれ程までに立派な人間か? 『何でもなれる』という能力に甘えて、弱さを捨て切れていない奴に何故ついていく?」


 先程までのニケの言葉に何も言えなかった私だが、今放たれた声にはぴくりと反応した。

 私を蔑み罵るのならばまだ良い。傷つくのは私だけだ。


 けれど、彼を――フィンを嘲るのはどうにも我慢できない。

 彼が今まで何を感じて生きてきたのか。

 彼が今までどんな日々を乗り越えてきたのか。

 彼が今までどれ程の人々を助けてきたのか。


 何にも知らないじゃない。

 あなたは何にも知らないじゃない。

 あなたの言葉は確かに正しいのかもしれない。

 皆が欲する『力』を持っている者――それを自在に操れる者――それはすごいことで、立派なことで、ついていくに値する者だ。

 けれど、必ずしも『力』無き者は前を歩くに値しないのかと言えば、そんなことはない。

 彼の持つ『力』が決して最高のものではなくても、それでも私達は彼に揺れ動かされたのだ。


 あの日、大きな腕に包まれた時、私は彼を怖いと思った。

 魔人を殺し、私一人を生かし、残酷な人だと思った。

 けれど、結果的には私も村も助かったのだ。

 魔人達は死んでも良かったなんて言えないけれど、それでも彼には救った人が居たのだ。

 自分一人が悪者になり、全てを受け止め、背負い、今も強く歩き続けている。

 我が身を沈めることを顧みず、正しいと思った者を救い出した。

 それもまた、当然の如く立派なことだと思う。


「……何故ついていくのか? そんなことも分からないなら、きっとあなたは思っていたより強くない」

「あ? どの口が言ってんだ? 言ってみろ。是非もない。答えがあるなら教えてくれ」


 心のある者が弱いのなら、英雄なんてこの世に居ないし、独裁者だってこの世に居ない。それこそ、戦争なんて起きなかっただろう。

 きっと皆生まれては、ただただ迫る死を待っているだけの世界だろう。


 でも、この世はそうじゃない。

 心があるから、皆生きている。

 生きたいと思ったから、英雄が生まれた。

 欲しいと思ったから、独裁者が生まれた。

 殺したくなってしまったから、戦争が生まれた。

 そう――全部『力』の値で決まるはずがない。

 大きな『力』と小さな『心』が世の中を築き継いで、時に傷つけてきたんだ。


 私はもう怖くはなかった。

 人の心も無い奴が、本当の強さなんて持っている訳ないから。

 鬼にも『心』はあって、生きることを渇望するから、止めどない『力』が湧いてくるんだ。


 だから、強くなれるんだ。


「ええ、教えてあげる。救いようのないあなたに分かるかは分からないけれど。簡単なこと――『力』だけが全てじゃないから。この世の中を繋げたのは、決して『力』だけじゃないから。あなたにはそれが無くて、フィンにはそれがある。だから、彼についていきたいって思うの」


 彼は黙って溜息を吐き、呆れた表情で頭を掻いた。

 まだ何かあるのだろうか。

 その時はもっと易しい言葉で一から教えてあげても良い。

 しかし、彼はそれを受ける気もないらしい。

 ただ剣を握り直し、私の方へと歩き出した。


「愚考、愚答、愚見――どうもありがとう。だがな、何か俺の思想理念を理解した気でいるらしいが、偉そうな口はあんま利くな。弁解するのも怠いから一々言わないが、これだけは教えてやる。俺にだって『心』はあるし、痛みも感じない訳じゃない。だが、やはりお前の答えには納得し兼ねる。お前は弱い――見直すこともなかった」

「……結構よ。分かり合う気なんてないし、分かり合えるなんて思ってないから」


 私は牛刀を構えて、左手にスティックを持つ。

 怖くはない。

 村の皆の痛みの比じゃないのは確かだから、私がここで折れてはいけない。


 大丈夫。

 どんなに痛くても私は平気。

 勝てる要素は無いけれど、どんなに傷つけられても、大丈夫な理由がある。

 あとは、焦ることなく、理性を忘れずにいれば、時間くらいは稼げる。

 決して自分を忘れなければ――


「ああ、それとこれは言っておく。知りたくもねえだろうが、挨拶代わりだ」


 彼は戦いの合図のように、それを言った。告白した。

 狙って言ったのはバレバレで、けれどそれを知りながらも私は彼の策略に嵌ってしまったのだ。

 どんなに格好つけても、結局のところ私は愚か者だった。


 マスクの奥の口もまた笑みを浮かべていることだろう。




「お前の母親を殺した四人の内の一人――それが俺だ」




 私の中で何かが途切れる音がした。



   〇   



 低い声というものは、良くも悪くも耳に残る。

 重低音が鼓膜を震わせ、脳に強く刻み込まれる。


 フィンの声は大好きだ――低い音が記憶の中で私を温め続けてくれる。

 優しくて――温かくて――永遠に響く声。

 それは彼の放つ言葉に温かさがあるのかもしれない。

 言葉達が持っている意味が私を抱いてくれる。

 だから、私は好きになれるのだ。


 けれど、ニケは違う。

 低く――ただただ冷たい声。

 自分の信念の強さだけを叫ぶ、絶え間ない吹雪のような言葉。

 彼の声は嫌いだ――真実だけを語るその低い音が、嫌でも耳に残ってしまう。

 だから、私は彼が憎くて仕方なかった。


 気づいた時には既に遅く、私はニケに向かって牛刀を握り締めて走り出していた。


 突き出した牛刀は案の定軽く避けられ、私の後ろに回ったニケは片手でがら空きの私の首を掴み、剣を持ったもう片手で牛刀を握る右手を器用に掴んだ。


 戦闘開始早々、私は動きを封じられてしまった。弱過ぎる、私。

 言葉に早速動揺させられ、激昂し、捕獲された。


 しかし、まだ私にも足掻くことはできる。

 彼らの任務は私を捕獲すること。

 だとしたら、多少の傷は負わされるかもしれないけれど、殺されはしない。

 どれだけ瀕死にされようと足掻き続けることはできる。


 向こうは私を殺さないけれど、私は向こうを遠慮なく殺せるのだ。

 大き過ぎるハンデが既にある。

 しかし、それすらも無駄にして、私は愚行に走った訳だが。


 彼は私を押さえたまま顔を近づけてきた。

 耳元で囁く彼の声に思わず体が震える。


「なあ、どうした。急に血相変えて。もう故人の話だろう? 今更気にしたって仕方ねえだろ。それにお前が一人になったお陰で、大好きなアイオーニオンと一緒に居られるようになったんじゃねえか。それを作ってやったのは俺らだぜ? もうちょい大人しくしてくれても良いんじゃねえの?」

「……うるさい、あなた達だったのね。闇夜に紛れて私の母を殺したのは」


 大好きな母を――愛する母を――奪っていったのは、全部こいつらだったんだ。

 そして今度はフィンを奪おうとしている。

 どれだけ私を貶めれば気が済むの。


「タイマンだったら、お前の母親も死ぬことはなかったろうな。だが、油断した。娘に気を取られ、俺らに気づけなかった。ふん、そう思うと、全部お前のせいなんじゃねえの?」


 憎い言葉を耳元で押しつけられながらも、私はまだ正気は保っていた。

 激昂して頭に血が上りながらも、まだ現状は見えていた。

 こいつらを殺すことだけを考えるのではなく、如何に時間を稼ぐかということにも意識を持っていけていた。

 決して村人の皆のことは忘れないように念頭に置き、彼らの安全こそが第一優先として考えた。


 大丈夫。押さえられたのは首と片手だけ。

 動ける部位はまだいくらでもある。


 左手をニケの顔面の前にかざし、即座に陣を形成する。

 青の陣から放たれた大木のような氷柱がニキに襲い掛かり、彼は避けざるを得なくなった。


 小さく舌打ちをし、後ろに退いた彼は瞬時に私へと駆け出す。

 大きく跳ねて黒い刀身をこちらに振り被る。

 私はそれを躱さずに牛刀で受け止めた。

 私の非力で貧弱な筋肉でニケの鍛え上げられた筋肉に立ち向かうなど、普通に考えれば愚行であるが、私には策があった。愚策とも知れない策があった。

 その策のお陰で私は今、しっかりと彼の剣を受け止められているのだ。


 先天的な身体能力では私に勝ち目はない。

 しかし、この世には便利を極めた魔法がある。

 魔法で筋力を増強すれば、私の筋肉もニケと互角に渡り合える可能性が出てくる。

 脚にかければ俊敏な動きを可能とし、腕にかければ大岩も持ち上げる程の怪力を生む。

 単純な身体強化はそれだけで戦いに利を与え、相手にも動揺を刻む。ニケに動揺なんて望めないけれど。


 しかし、この『筋力増強』の魔法にも欠点は当たり前のように存在する。

 使った直後に自身の筋肉に無理な負荷がかかり、その反動として動けなくなる。

 また、魔の消費も相当なものなので、戦闘が長引くに連れて、段々と体の衰えが大きくなっていく。


 つまり、短期決戦向けの諸刃の剣だということだ。

 魔が先に尽きれば私の負け。

 反対にニケを倒せれば私の勝ち。


 鍔迫り合いになりつつ、互いの刃の押し合いが続く。牛刀に鍔はないけれど。

 向こうは『筋力増強』に気づいているらしい。

 私が後ろに退こうとすると、彼はすぐ様距離を詰めて、無駄に私の体力と魔を消費させようとしてくる。

 このままでは私の魔が尽きて、動けなくなるのがオチだ。

 どうにかこの砂地獄から抜け出さねば。


「退いてくれるつもりはないの?」

「はん、当たり前だろ。時間が無えんだ。手っ取り早い方が良い。お前の戦意を削ぐ為に言うが、俺はまだ十分の一の力も出していないからな。お前も俺と張り合うなら、その猿知恵の小細工のレベル上げろよ」

「言われなくても!」


 本当によく喋る。

 こっちは余裕なくて虚勢張るしかないって言うのに、これ見よがしに自分の『力』を惜しみなく豪語する。

 嫌な戦略で、陰険な策略で、何よりも良い謀略だった。

 尊敬は天地が引っ繰り返ってもできないけれど、その千まで先を見越した狡賢さや、勝利の為なら容赦のない策謀は感嘆に値するだろう。

 彼の『力』、『強さ』という一点においてなら、私は羨望すらしてしまうかもしれない。


 だからと言って許しはしないし、いい加減早く離れて!


「邪魔!」


 私は彼の足元に褐色の陣を形成し、そこから幾束にも重なった茨を生み出した。


 これは『土魔法』の一つ――植物を陣から生み、それを自在に操作することができる魔法。

 生み出せる植物の種類は、どこにでも根を張る雑草――断崖絶壁に咲く奇跡の花――幾星霜の時をかけて隆々と育ち続ける大木――とんでもない異臭悪臭を放つ最低最悪のラフレシアと、使い手の魔の大きさによっては何でも扱うことができるのだ。

 私が出したのは、フィンに借りた植物図鑑に載っていて覚えていたもの――腐らず、枯れず、焦げずの生命力の凄まじい『唯薔薇いばら』という、植物の中でもかなり強力な茨だ。


 唯薔薇はニケの四方を覆い、彼と私を隔てる壁になり、かつ彼自身をも潰しにかかる。

 唯薔薇は切ってもその切断面から即座に新たな茨が生えてくるので、その処理にはニケとて手こずるだろう。というか、でないと困る。


「ほお、多少はマシな知識が出てきたじゃねえの。『唯薔薇』ね。良い手だ。小蝿が集るような攻撃から、まあ蚊の吸血程度にはなったよ」

「それって別に」

「痒いだけだ」


 何の意味も無え――そう言い、ニケは唯一の抜け穴である真上へと高く跳ねた。

 唯薔薇は足元から出ている為、横は全方向囲えるが上方向はがら空きだ。

 しかし、落胆はしないし、ここで決めようなどとも思っていない。

 ニケならば上方向に回避できるということは容易に予想できていたし、これはあくまで囮なのだ。

 私と離れないニケから一旦距離を置くべく考案したもので、唯薔薇にニケの意識を向けさせることで私に逃げる時間を稼がせたのだ。

 そして、その通りに私は上手く距離を置くことができた。


 しかし、このままではまた距離を詰められて私の魔を削ぎにくるだろう。

 それではただの永久サイクルのでき上がり。

 逃げた意味になっていない。


 なので、次の案――私以外が戦うことにする。


 だからと言って、また村人の皆を渦中に引き戻す訳ではない。そんな酷なことができるはずがない。

 ならば、何をどうするのか。


「! ……てめえ」

「文句あるの?」


 私は自分の目の前に私と同じくらいの大きさの陣を形成した。

 陣からは大量の蝙蝠こうもりが現れ、迫り来るニケへと襲いかかる。

 黄昏時や真夜中に生きる彼らが日中に大量に出てくる光景は正に混沌であったが、これは私が作り出した光景である。


 これは『召喚魔法』であり、その中では簡単な部類である。

 もっと巨大な生き物だったり、強大な生き物だったりすると、それだけ魔を消費するのだが、蝙蝠程度なら数百匹の群れを出すことも難しくはない。


 そして、何故ここで蝙蝠という、さして強い訳ではない生き物を召喚したのかと言えば、ここでまあまあ強い生き物を召喚したところで、それがニケに勝てるとも思わなかったからだ。

 ここでまた魔を大量に削って竜みたいな上位の生物を出しても、ニケはそれを攻略する可能性が十分にある。


 しかし、蝙蝠という既に負け確定の生き物を召喚し、数で押して時間を稼がせれば、また新たな策を講じることができる。


 斯くして、蝙蝠の大群はニケをあっという間に囲い、彼へと飛びかかる。

 ニケは気怠そうに蝙蝠を次々と切り倒していくが、増えていく一方できりがなさそうである。


「全く小狡いな。お前の母親の潔さはどこに置いて来ちまったんだ? そういう自分からは極力手を出さないところは父親そっくりだな。しかし、その浅ましいところは、両親から受け継いでいる。鬼の血族にはろくなの居ねえのかね」

「私の父母を馬鹿にしないで。誰よりも勇ましい人達よ。あなたには語る権利すらない」

「お前が俺の権利を決めるな。あとな、適当にでけえ生き物じゃなく、蝙蝠を召喚したのはまだ良かったがな、それに時間稼ぎをさせたかったなら無駄だ。蹴散らすのに一秒もかかんねえよ」


 そう言い、ニケは自身の剣の漆黒の刃を地面に突き刺す。

 彼を囲む蝙蝠が一斉に飛びかかり、その牙を彼へと向ける。


 その瞬間に、地面から恐ろしいまでの雷電が溢れ出す。

 本来、雷というものは空から憤りが爆発するが如く落ちてくるのだが、彼の出した雷は地表を破り、天へと伸びる塔のように飛散する。

 蝙蝠達を点として、網目状に広がる繋がる雷電は私の召喚した蝙蝠を一網打尽にした。


 今の雷はニケが出したものではない。

 恐らく剣から放たれたもの。

 つまり、彼の黒剣は『魔剣』だったのだ。


 魔剣とは、持ち手の魔を吸い上げ、通常の魔法よりも何倍もの威力で放つことができる、強力な武器である。

 しかし、それだけに生産も難しく、中々お目にかかることもないし、かかっても高価過ぎて買うこともできないだろう。

 魔を司る魔人の国出身の彼なら、持っていても可笑しくはないだろうけれど。


 何にしても、彼は一瞬の内にまるで紙を握り潰すように蝙蝠を丸焦げにしてしまった。


 そう――彼の宣言通り、一秒もかからなかったのだ。

 そして――私が残り全ての準備を整えるには、一秒も要らなかったのだ。


 無駄な鍔迫り合い――無駄な唯薔薇――無駄な蝙蝠召喚――全ての無駄な行動は、全てこの為の意味だった。

 この為に意義を為すのだ。


 私は両手を目一杯横に広げ、その両掌から陣を描く。

 牛刀は既に地面に捨てて、右手は空にしている。

 そして、右手の陣はオールの真の姿のような緋色――左手の陣はフィンのブレスレットのような白銀。


 イメージはできている。

 どこに魔を送るのか。どこに血を巡らすのか。

 何をするのか解っている。

 人を殺す覚悟も、親の仇を討つ気合いも、大好きな皆との別れの苦心も、あまり好きになれなかった私へのけじめも、全部できている。


 さあ、決着だ。


「お前、まさか」

「一緒にさよなら」


 まず、左手の陣を私とニケの足元に敷き、サークルを形成する。

 ニケが出て行く暇も与えず、陣からはできる限りの最高強度の魔法障壁をドーム状に作り上げる。

 障壁の中に閉じ込められたニケは障壁に剣を突き立てるが、ビクともしない。

 魔剣の雷も使うがそれもまるで意味なし。

 彼の部下も必死に障壁を壊そうとするが、どうすることもできない。

 因みに地中にも障壁は張られているので、土竜もぐらのように地面を掘っても抜け出せはしない。


 そして、もう片方の手の陣もすぐに使用する。

 陣からは土砂崩れのように火炎が溢れ出し、ニケ目掛け――ではなく、障壁の中を大蛇のように這い回る。


 壊れることのない壁に囲まれ、摂氏温度六百度を超える煉獄の中で、ニケは一瞬で焦がされることになるだろう。

 敢えてニケ目掛けて炎を出さなかったのは、確実に彼を殺す為だ。

 彼を狙うより、外して適当に動かす方が変に悟られずに済む。

 このドームの中を炎で充満させることで、火炎による焼死、或いは酸素が無くなった際の窒息死を狙っての作戦。


 しかし、この作戦だと私もドームの中に居なければならないし、それでは私も死んでしまう。


 そこが肝なのだ。


 この魔法を止めるには、私を殺すしかない。

 しかし、彼にはそれができない。

 魔王の意思に背くからだ。

 そう、ニケは私を殺すことはできない。

 しかし、このままでは自分が死んでしまうし、私も失うことになる。

 要するに、向こうは既に死んでいる。

 私はどれだけ瀕死でもこの炎だけは止めないし、このドームも崩さない。

 ある程度火や熱に耐性を持たせる魔法は自身にかけているが、もしかしたらニケより先に死んでしまうかもしれない。

 しかし、その頃にはニケも重傷だろう。


 つまり私は――ニケと心中を果たすつもりなのだ。


「捨て身の策か。それしか思いつかなかったのか?」


 私は答えない。

 喋れば喋るだけ酸素は無くなるし、一酸化炭素も吸い込んでしまう。

 お喋りが裏目に出たな、ニケ。


 確かに私は勝ち目が無いと言った。きっと負けてしまう、とも。

 けれど、それすなわちニケの勝利である、とも言っていない。

 どちらも負けて、誰も勝たない。

 残りの魔人はきっとフィンやオールが来たら倒してくれる。

 だから、私はもう大丈夫。

 今ここで死ねるのなら、結構満足の行く死に方だ。

 私の生きていたことと、私が死ぬことにはちゃんと意味があったのだから。


「こんな大層なもん拵えて……そりゃあの人も欲しがるか。鎖を操り、氷柱を出し、俺に対抗できる程の『筋力増強』に、唯薔薇召喚、そしてあの大量の蝙蝠召喚、それらをした後にこれだけの魔法……全部の魔を使い切るつもりか」


 決して、答えない。

 決して、頷かない。


「しかし、最後に思いついたのが自分ごと俺を殺すとはな。中々の覚悟だ。少しは骨があるようだ。始めからそうしてくれていりゃ、多少は面白かったんだがな」


 向こうも遂に諦めたのか、火照る地面に座り込み、両手を着いて寛ぎ始めた。

 つまらなそうな顔で、渇いた笑いを上げる。


「もう時間が無いってのに……そうだな、折角だし、お前の親の話をしてやろうか。あの人から聞いた話だ」


 別に要らない。

 あなた達が父母のことを語らないで。

 どうせろくなこと知らないんだから。

 適当なことを言って私を惑わせようとするつもりなら、その手にはもう乗らない。

 ざまあみろって目一杯に舌出してやる。


「お前の父親な、国を追い出されたのは知っているだろうが、その理由は知っているか?」


 その質問に私はぴくりと反応してしまった。

 表情は変わっていないだろうが、それでも微動だにしないとはいかなかった。


「その理由なんだが、聞いたところによると、どうやら大罪を犯したらしい。まあ、追い出された訳だし、そんなこったろうとは思ったが、その大罪ってのが人殺しだったよ」


 ――は?

 父が――人を殺した?


 あの心優しい父にそんなことができたのだろうか。

 いつも笑っていて、よく泣いていて、あの父が――


「あの臆病者にそんなことができたのかと驚いたが、さらにその訳を聞いたら、やはりあいつらしくて反吐が出そうだったさ」


 うるさい、うるさい、うるさい。

 あなたが父のことを喋らないで。

 あなたが貶しても良い人じゃないし、穢しても良い人じゃない。

 そうよ、魔王が話したのなら、嘘の可能性はある。

 あの雑草の出汁でぐつぐつ煮込まれたような心の持ち主なら、私を悲しませる為の嘘だって簡単に吐く。


「で、その訳なんだが――ああ、もう本当に時間が無えな。続きは本人に訊きな」


 本人? 私を捕らえて、しっかり連れて帰るつもりなのかしら。

 悪いけれど、私は誰にも捕まらない。

 もういい加減に諦めたら?

 潔いのが良いんでしょう?


 けれど、彼は依然にたにたと笑ったままで、一向に話す口を止めなかった。


「いや、悪いが連れて帰るんだよ。最初から諦めるなんて選択肢はないし、潔さなんてのは自分の負けが確定してから出すもんだ。――なあ、何勝った気で居るんだ?」


 何を言って――


 その瞬間、地面から大量の水が溢れてきた。

 噴水どころか、空へ落ちる滝のようにドームの中に流れ込む。

 気づくと、彼が地面に着いた両手からは陣が出ているようだった。

 寛ぐように座ったと見せかけて、彼は魔法を使っていたのだ。


 火炎による蜃気楼で揺らぐ視界の中で、彼の陣が垣間見える。

 右手の陣は澄んだ青色――左手の陣は私の左手のものと同じ白銀。

 右手が水魔法を操り、左手では――


 瞬間、ドームの中で大爆発が起きた。

 目の前まで閃光が迫り、しかし不思議と熱気と衝撃が全身に襲いかかってこなかった。

 後から聞いた話だが、これは水蒸気爆発という現象らしい。

 水が高温の物質に触れると一気に水蒸気に昇華し、その時に爆発が起こるのだという。


 魔法障壁も規格外の大爆発に破れそうになったが、そうなってしまっては村人達にまで確実に被害が及ぶ。

 それはならない。何があっても皆を守らなければ。

 魔を絞り出して、この障壁だけは――


 ――と、その瞬間に障壁が壊れた。

 爆発の影響ではない。

 単に私の体の中にあった魔が尽きたのだろう。

 全部使い切り、そして生きている。

 …………何で?


 あの大爆発に巻き込まれ、何故無傷で居るのだ、私は。

 火傷の一つも無ければ、熱風で髪の毛一本も乱れていない。

 これは何故か。

 私は死のうとしたはず。

 なのに、死んでいない。

 魔を使い切り、動けずに立ち尽くしている。


「さあ、任務完了だ」


 そう言い、左手からかざされた陣を解き、その瞬間に私はその場に崩れ落ちた。

 うつ伏せのまま首をどうにか動かし、私の目の前に佇むニケを睨みつける。


「俺と自分を閉じ込めて、煉獄に包まれて心中。魔をフルに使用した捨て身の作戦。成功率は半分くらいか。まあまあ良かったよ。相手が俺じゃなきゃめでたく心中成功だ。今回は相手が悪かったな。お前が俺よりも弱かった――これで終わりだ」


 相変わらずにたにたと嗤い、ニケは哀れみの目で私を見る。

 見下した蛇のような目はこの身を震えさせるどころか、もう本当に勝ち目が潰えたことを知らしめて、身動きも取らせない。そうでなくとも動けないのに。


「で、お前は俺が何をしたか分かったか? 簡単だ。両手をさり気なく隠して地面を通して水を大量に溢れ出す。すると、爆発が起こってお前も結局死んじまうからな。ただのドーム状とかにすると、余った空間が勿体ないからお前の形に全て合わせるんだ。自分の分とお前の分の障壁を張ったら完了。爆発は俺らには効かないし、お前の障壁が破られても死んで困る奴も居なかったから、外の奴らはどうでも良かったんだが、物の見事に全員守り切ったな」


 あれだけの水を出しておいて、あの爆発に軽く耐えられる魔法障壁を二人分も形成――そして本人は簡単そうに語るが、まさか私の体に合わせて壁を形作るとは、どれ程の練度とセンスが必要か。

 つまり彼は見ただけで私の体の形を把握したということなの?

 化け物はこの世界に蔓延っているけれど、これ程までのどうしようもない――手の出しようのない者は居なかった。

 結局私が負けて、彼は勝った。


 いや、それよりも、つまり私は彼に助けられたのだ。

 死のうと思っていたところを、彼は自分だけでなく私まで守り切った。

 ぎりぎりまで泳がせて、私が動けなくなるのを確実に狙って、任務を完璧に終えた。


 渾身の一撃を軽くいなされた挙句、親の仇に命を救われる――どうしようもなく悔しい。

 死にたい。死のうとしたのに、それすらできなかった。

 舌を噛んで死のうにも、噛み切る力すら出てこない。

 絶え間なく目眩がして、視界は途轍もなく朧気で、考えることすら今にも途切れそうだ。


 完全に打ちのめされた。

 ニケには――敵わない。


「まあ、何にせよお前が動けなくなってくれりゃ、それで仕事が済むからよ。しかし、この任務はあり得ねえ程かったるいが、楽で仕方ねえな。どいつもこいつも阿呆ばっかで柄にもなくからかっちまったよ。『お前、まさか』なんて、俺が言うと思ったかよ。大根染みた芝居に決まってんだろ。全く部下の前で何やらせんだ」


 勝手にやったんでしょ。


 そうして、ニケは薄ら笑いを絶やさず、こちらへと歩み寄って来た。

 頭を掻いて、終始変わらない気怠さを引き摺るように一歩一歩焦げた地面を踏み締める。


「さて、じゃあ行くぞ。撤収だ、お前ら」

「はっ」


 意識のある村人達は動けないまま口々に「止めて」や「嫌だ」と嘆いてくれたが、ニケがそれに応じることはないし、もっと言えばそれに反応することもない。

 私も必死で口と舌を動かし、呂律の回らない声で抵抗する。


「止めろ、触るな! あんな場所に行きたくない」

「お前の意思なんて知ったこっちゃねえよ。ごたごた言って駄々捏ねてねえで、運びやすいように大人しくしてろ」


 問答無用でうら若き少女に触れることに対して、何の罪悪感も抵抗もないとは、この男は本当に人の血と心が通っているのだろうか。

 私の腹へと構わずに手を伸ばしてくる。


「止めろ、私に触れて良いのは私の仲間だけだ」

「けっ、宝石にでもなったつもりか? 路傍の石ころが相手選べると思うな。夢見てんじゃねえよ。だったら俺も仲間に入れてくれよ」

「誰がそんなことするか。私を腕で包んで良いのはフィンなんだ」

「あの未熟者のどこがそんなに良いんだ? お前の主はそんなに立派か?」

「当たり前だ! あなたみたいな下手物と一緒にするな!」

「ちっ、喋り過ぎだ。お前も、俺も」


 そう言い、彼は私の顔面を蹴りつけようとした。

 それが私を気絶させる為なのか、それとも単なる八つ当たりなのかは定かではないが、何にしても彼の足蹠そくしょが私に当たることはなかった。


 英雄か、はたまた王子様か、或いは一介の兵士か。

 しかし、その実体が何にせよ、私にとって掛け替えのない人であることに、異論ある者も居ないだろう。


「ほら、喋り過ぎた」


 足を止めて舌打ちをするニケに向かって、太陽の光を浴びた刀身が襲いかかる。


 片方だけ真っ直ぐに切られた横髪。

 土が深く着いたブーツと少し着崩れているカーディガンはどちらも真っ黒。

 頬に刻まれた忘れることのない印。

 怒り、悲しみ、悔しみ、辛み、儚み――爛々と感情を抱き輝かす闘志の眼。

 何故か血塗れの全身で、遅れてやって来た彼――


 それが私の、いわゆる騎士様だ。


「私よ、どうか――武運を」



   〇   



 いつ振りだろうか。お久し振りである、読者諸賢。


 私はフィン・アーク・アイオーニオン。


 事実、『勝利』というものの本質が一体何なのかは私もよく分かっていないし、『力』や『強さ』といったものがどれ程重宝されるのかも大して理解していない。

 それは私が阿呆だということに起因するものなのだろうが、それ以外の理由として、それよりも大事なことがあるはずだと思っているからかもしれない。


 絶対的な『力』や『強さ』よりも大事なこと。

 一体何だろうか。それも結局は分かっていない。

 しかし、ただ一つ言えることがある。


 ――ナキは私のものだ。

 何よりも大事な――私のものだ。


 もう一度言おう。

 私はフィン・アーク・アイオーニオン。

 強欲で、傲慢で、愚直で――特別ナキという少女は、どうしても手放せなかった。

 

次回にご期待下さい。


本作品は、不定期更新となります。次の物語をお待ちください。

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