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Light in the rain   作者: 因美美果
第五章――1
35/77

『宥恕』

まだまだ未熟なので、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。


※この作品は、少し残虐なシーンが含まれます。また、少し刺激の強いシーンが含まれます。以上のことが苦手な方はご観覧をお控えください。


この作品は、私の溜め込んできた物語をひたすらに詰め込んでいます。

それでも楽しんで頂ければ幸いです。

 私は村の指導者を果たす形で、ネフリティスホリオに滞在している訳だが、では果たして指導者とは何をするものなのか。


 基本的には、村の財政管理や食糧管理、貿易交渉に設備向上など、様々な仕事がある。

 財政管理や食糧管理は元々ネフリではできていたので、私が口出しや手出しをする必要も無かった。


 貿易交渉も必要とあらば新しい商会に掛け合ってみたりもするが、ほとんど利用することはない。ポリティスさんのところの商会で事足りている。


 設備向上については、村の中に新しい施設を建設したり、村の範囲を広げたりしている。最近では、学校の建設も徐々に考えているのだ。

 その場合、教員も必要になる訳だが、私やオールの他にマーブリさんも加えようかと企て中だ。


 飲食店も増えつつあり、この地域の郷土料理や、世界の美味しい食事を楽しめる食事処を個人で経営してもらっている。

 村人達からの評判も良く、特にマーブリさんの所は毎晩おじさん達が酒とつまみを堪能している。


 それらをこなし、村の収益の一部を頂いて生計を立てている。

 使い道もほとんどないので、余り貰わないようにしているが、それでも仕事を抜かったりはない。


 ナキとオールも同じような形でお金を貰っている。

 ナキも私と同様貯金する一方だが、オールは飲食店ができてからというもの、毎日酒に金を注ぎ込んではジョッキに酒を注いでいる。


 しかし、私も村の管理ばかりを毎日やっている訳ではない。

 と言うか、それ以外の時間の方が余程多い。


 そう、例えば――


「すみません、フィンさん。今日家に誰もいなくて、申し訳ないのですが弟の面倒を見ていてもらえますか?」


 村人からの個々の頼み事を請け負ったりするなど。


 その日、我が家に訪ねてきたアルクダは彼の弟――ゾキアを連れていた。

 背の高いアルクダとは正反対に、小さくて丸っこいゾキアは大きな目で私を見つめる。


「構わないよ。何時くらいに帰って来るんだい?」

「恐らく夕方頃になるかと……うるさいので迷惑かけると思います。やかましかったから叩いて良いですから」


 叩きはしないけれど。

 私は屈み込み、ゾキアと目線を合わせた。


「じゃあ、ゾキア。今日はよろしくね」

「うん!」


 元気良く頷き、にこりと歯を見せて笑う。下の前歯が一本抜けていて愛らしい。


 ゾキアを私に預け、アルクダは畑へ向かった。

 アルクダはずっと耕作に夢中らしく、日々畑で汗を流している。因みに彼の父親は畑に興味の欠片もなく、狩猟が専門だ。


 こういった頼み事を請け負う場合は、ボランティアでやっていることなので代金は発生しない。私の自己満足でやっていることなのだから、当然である。


 ゾキアをリビングへ招き、適当な所へ座らせる。


「お邪魔しまあす」

「いらっしゃい」


 ソファに飛び込んだゾキアはきゃっきゃと楽しげに跳ねる。

 ナキはそれを至極微笑ましそうに見て、お茶を用意した。普段はコーヒーを淹れるのだが、今日はゾキアもいるので紅茶を飲むことにした。

 しかし、私はあまり紅茶が得意ではない。ああいう高尚な味は私には合わない。まあ、ナキが用意してくれたものを飲まないはずもないが。


 三人でソファに座り、紅茶を啜る。


 ナキとお互いの過去を教え合ったあの朝から、早いもので既に一ヶ月が経っていた。

 光陰矢の如しとは、正にこのこと。

 それからの私達の関係は順調以外に何もない。

 毎日仲睦まじく過ごしている。


 因みに、オールは今日出かけている。

 何やら森に用があると言い、朝早くに家を出た。夜までには帰ると言っていたが、一体何をしているのか。


 ゾキアと面と向かって話すのは初めてなので、一応私の名を把握しているか訊ねてみる。


「ゾキアは僕らの名を知っている?」


 まあ、何度か遊んだりもしているし、それくらいは理解してくれていると思うけれど。

 ゾキアは私を指差し、声を上げて言う。


「うん、ファン!」

「うん、違うね」


 分かっていなかった。

 ちょっとショックだわ。

 確かに、二百七十一代目魔王の『ファン』ではあるが、この状況でそれを言うはずがない。


「フィンだよ。お兄ちゃんから教えてもらわなかった?」

「教えてもらった」

「…………」


 そうすか。

 教えてもらった上で間違えたと。

 まあ、子どもの可愛い間違いだ。笑って許すのが紳士たるもの。

 こんな些事にいちいち口を出していては、前に進まん。


「じゃあ、こっちのお姉さんは?」


 私はナキを示し、ゾキアに訊ねる。

 何と間違えてしまうのか、期待した私だが、


「ナキさん」


 ご名答である。

 しかも、さん付けだ。

 いや、ここで期待を折られると思うのは、いささか筋違いが過ぎるというもの。

 むしろ、ナキの名をちゃんと知っていてくれて良かった。


 しかし、ゾキアを預かるにあたり、私は一つ気を遣わなければならないことがあった。


 アルクダ、ゾキアの家庭は父子家庭なのだ。


 彼らの母は疾うの昔に亡くなっており、今は猟師の父親と協力しながら生活しているのだ。

 アルクダからそれを聞かされた時、私は彼に何と声をかければ良いのか分からなかった。

 そういった他人の家事情に口を挟んでも良いものか、判断がつかない。


 アルクダは「もう居ない人なので、気を遣わなくて良いですよ。私も気にしていませんし」と、言ってはいるが、それが本心でないのは、明らかだった。

 それに、ゾキアが相手となれば尚更気を遣う。

 物心つく前に母を亡くし、言葉だけでしか聞いたことのない存在なのだ。

 幼い子どもならば、自然と母親を求めてしまってもおかしくはない。


 ついでと言っては失礼だが、スキロスの家庭も似たもので、彼の家庭は母子家庭である。

 アルクダ達とは違い、スキロスは一人っ子なのでもっと孤独でもあっただろう。母親は一日中働き、彼は家で誰とも話せない。


 彼の父は傭兵だったらしいが、数年前に出て行ったきり帰って来ないと言う。

 仕事の場合は何ヶ月も留守にしていたようだが、その時は出かけ先から手紙も送ってくれていたので、今はそれすらも途絶えて何の手掛かりもなく消えてしまった。


 スキロス曰く、「とにかく勝手なんですよ。家庭のことなんて省みずに、戦場ばかりひた走り……どこかで死んでいてもおかしくない」だそうだ。

 その時の彼の瞳は、呆れながらも――諦めながらも、密かに主人を待ち続ける忠犬そのものだった。


 何にせよ、ゾキアにとって今日という日を愉快な一日にせねばならない。


「ゾキアは何か得意なことあるの?」


 私が訊ねると彼は、


「大将!」


 と言う。


 ……んー?

 大将が……得意と。


「もうちょい詳しく教えてくれる?」

「ガキ大将!」


 ガキ大将が……得意と。

 ガキ大将なんてこの村に存在したことがまず驚きだが、そもそも何故ガキ大将を目指そうとしたのか。


「それはね、父ちゃんが昔そうだったから」

「……へえ」


 彼の父親が昔ガキ大将だったから、息子であるゾキアもガキ大将であると。

 ガキ大将というのは世襲制なのだろうか。初耳だ。

 私とは縁遠いガキ大将――一体何をするのか教えてもらいたい。


「んとね、父ちゃんは村の皆をしばいてたって言ってた」


 最低じゃねえか。

 あの家の父親は子に何を教えているんだ。


「あとね、父ちゃんは誰も手がつけられない程強くて、手が失くなったんだって」

「嘘じゃん」


 皆の手、全然あるじゃん。


 ちょっとこうなってくると、一度あの家に出向いて、文句を言いたくなる。

 さすがに子どもの教育がしたたか過ぎて、一周回ってアウトだ。回らなくてもアウトだ。


 ナキも先程から困ったような笑顔でゾキアを見つめて、紅茶をゆっくり飲んでいる。

 最近の子どもは覚えが良いものだから、見聞きしたことを全て吸収してしまう。挙句には放出してしまう。

 どこかで私が止めなければ。


「それと、父ちゃんのことを『父ちゃん』って呼ぶのは、父ちゃんもお祖父ちゃんのこと『父ちゃん』って呼んでたからね。覚えといて」


 そうなの。そこは別に真似なくても良いと思うけれど。

 親の呼び方も世襲制なのだろうか。――そんな訳あるか。


 とりあえず話題を彼の父親からズラさなければ。


「お兄ちゃんはどう? 家ではどんな感じなの?」

「ん、お兄ちゃんは優しい。お風呂で頭洗ってくれるし、一緒に遊んでくれるし」


 息を巻いて捲し立てていた言葉の波も、アルクダの話になると緩やかに流れる。

 きっとゾキアの中で、父親が格好良い英雄のような存在だとしたら、アルクダは心優しい賢者のような存在なのだろう。


「あとね、お兄ちゃんは服が作れるんだよ。いっつも服の穴を針と糸で縫ってるから」

「へえ、器用なんだなあ」


 彼の言う『服を作る』は、裁縫のことなのだろう。

 確かに、アルクダは肉食動物の獣人とは思えぬ程温厚で、地道で緻密なことが得意である。

 獲物を仕留める狩りよりも、作物を育てる農業の方が余程向いている。麦わら帽子に軍手を着け、腰に手拭いを巻いた姿はとても映えているし。


 話したことはないが、彼らの父親はどうやら荒々しい人柄のようだが、如何にしてアルクダのような少年が育ったのか、是非とも教えてもらいたいものだ。


 と、そこで玄関からノックの音が響いた。すぐ後に「こんにちは」という元気な声が聞こえる。

 玄関の扉を開けると、そこにはお互いに手を繋ぎ、にこりと笑うティグリとヴラディプスが立っていた。

 気になっていた二人の関係はどうやら良好のようである。


「いらっしゃい。今ゾキアも来ているから、一緒に遊ぼうか」

「うん、お邪魔します」

「お邪魔します」


 二人を招き入れ、ナキは紅茶を淹れ直した。

 それからは三人と楽しく話して過ごした。

 子どもの発想や発言とは面白いもので、私もためになることが沢山あった。

 具体的には、『良い人』と『人が良い』の違いの大きさに目をつけるその発想力――私はそのヴラディプスの思考に感銘を受けた。案外難しいことを考えているのだな。


 紅茶も無くなり、小皿のクッキーも食べ尽くされた頃、ティグリが私にピアノを弾いてくれと言った。

 話の種もそろそろ尽きてきた。それもまた一興だろう。


 実は、ピアノが我が家に来てからというもの、少しずつピアノを弾き、簡単な童謡ならば歌も交えてできるようになったのだ。

 皆で楽しく合唱するとしよう。


 皆で二階に上がり、閉め切ったカーテンを開ける。

 日は大分傾いていて、薄暗かった部屋には斜陽が入り込む。

 ティグリはピアノの蓋を開き、ヴラディプスは木のソファに寝転がり、ゾキアは部屋に置いた棚に駆け寄る。


「あ、これ何?」


 そう言ったゾキアは棚の横に立てかけてある一つの剣を指差した。

 やはり彼も男の子、剣には興味津々なのだろう。


「それは僕の剣だ。危ないから触っちゃ駄目だよ」

「はーい」


 重くて持ち上げられないだろうし、無理に持ち上げようとして、倒れて足の指が潰されでもしたら一大事である。

 下手したら鞘走って刃が出て、取り返しのつかない傷ができてしまう。

 そうならない為にも、格好良い剣も見るだけで我慢してほしい。


「何か呼び名は無いんですか?」


 ピアノ椅子に座り、こちらを見ながらティグリは訊ねる。


 呼び名? 剣の?

 そういえば、そんなこと考えたこともなかったな。


 剣や武器の呼び名は量産型の武具に名付けられることが多い。要するにブランド名ということだ。

 その場合はその武器の設計者、もしくは製作者の意思によって決まる。


 しかし、私の剣のようにオーダーメイドの場合は、製作者か依頼者の意思に基づくだろう。

 よって、私のそれは持ち手の私、製作者のアツリさんのどちらかが決めることになるだろう。アツリさんは……私が決めれば良いと言うだろうな。


「決めれば良いのに。その方が格好良いよ」

「そうかなあ。じゃあ、何か考えておくよ」


 虚竜の鱗で作ったので、それを名に入れるか、それとも全く気にせずに自分の感性に頼るか――後者は危険かもな。私のネーミングセンスに頼るとは、ぞっとする。


 何はともあれ、私はそれからピアノを皆に披露した。

 私が練習した曲は皆も知っているもので、全員で声を重ねる。

 広い部屋に大きな歌声が反響して、私の耳を奥まで震わした。

 賑やかで愉快で、愛しい一時だった。


 日が沈んだ頃、アルクダが我が家を再度訪ねて来た。

 子ども達は皆私のピアノの終了を惜しく思ってくれていたが、いくら何でもそれを許す訳にはいかない。

 やって来たアルクダは何やら野菜が山盛りになったざるを抱えていた。ゾキアを預かってくれた謝礼だと言い、私達にくれるのだと言う。


「気にしなくて良いのに。折角だからもらうけれど、それでも気にしなくて良いのに」

「いえ、貰って下さい。多分迷惑かけたと思いますし」

「迷惑なんかじゃないけれど、ちょっと心配なところがあるかな」


 こんな幼い子どもに『しばく』とか教えちゃ駄目だろう。

 それも含めて、彼らの父親と話がしたいのだが。


「ああ、それなら丁度良かったです」

「え?」


 もしかして、向こうも私と話したいのか? 何故?


「父もフィンさんに会いたがっているんです。もしよろしければ、一緒に夕食を食べないかと」


 なるほど。そういうことなら是非もない。

 今すぐ行って、教育方針を捻じ曲げてやろうではないか。


「父は今日丸一日家を留守にして、狩りから帰って来てそのままマーブリさんのお店に行きました」

「そう。じゃあ、今日はマーブリさんの手料理で腹を膨らませるとしよう」


 私達はマーブリさんの飲食店へと足を伸ばす。



   〇   



「うるせえなあ、ぶっ殺すぞ!」


 アルクダとゾキアの偉大なる父――キニゴスさんは樽ジョッキの酒を飲み干し、私に唾を飛ばしながら言った。


「父さん。唾飛んでる。失礼だろう」

「おう! 悪いな、坊主!」

「俺に謝らないで。フィンさんに謝って」


 アルクダに口の周りを布巾で拭われながら、キニゴスさんは豪快に笑う。


 店の中は相変わらず賑わっていて、マーブリさんとその旦那さんであるシャメさんが忙しく、けれど笑顔で接客していた。

 そして、その店の一角――キニゴスさんを始めとする猟師の方々が酒を酌み交わすテーブルに、私とナキはアルクダに連れられてやって来た。


 そして、そこには驚くべきことにオールも居たのだ。しかも、キニゴスさん達と同じ席で。

 何してんだ。いつ帰って来ていたんだ。


 ゾキアの教育のことについて、私がキニゴスさんに意見すると、


「喧しいわ、誰だお前? ぶっ殺すぞ!」


 それしか言われない。

 話し合いにもならない。


「酔っているでしょう。少し水を飲んで落ち着かれたら如何ですか?」

「ああ!? 何言ってんだお前は。酒を飲みに来てんのに、何を好き好んで水を飲まなきゃなんねえんだ」


 聞く耳を持たない。

 酔っ払いの相手はこれだから苦手だ。

 会話もできやしない。


「お前も酒飲め!」

「いえ、僕はまだそんな歳じゃ」

「はあ!? お前今いくつだよ?」

「十七です」

「身長の話だよ! ぎゃはは」


 怠い。その上、面白くない。

 因みに、飲酒は十八からと、王国では法によりそうなっている。

 ネフリには法などないが、若い頃からの飲酒は勧められない。

 私も一応十八になるまでは酒は避けるようにしている。


「なんだよ。お前酒飲めねえのかよ。じゃあ、ゾキア、お前飲むか?」

「止めろ」


 何を息子にさせるのか。

 当のゾキアはキニゴスさんの言葉を聞き流し、必死にパスタを頬張っている。口の周りにトマトソースが沢山付いていて、それをアルクダが拭う。


「あ、そうだ。オール様、お酒注ぎますよ」


 そう言いながら、キニゴスさんは瓶の酒をオールのジョッキに注ぐ。

 オールはテーブルに突っ伏しているが、ジョッキに酒が入ると起き上がる。

 注がれた酒を一気に飲み干し、そして一言――


「あんあの! なのにゃん……」


 分からない。呂律が回っていない。

 オールは酒好きだが、決して強くない。

 というか弱い。

 注がれた酒を飲んでは叫び、またテーブルに突っ伏す。

 その行動は不可解極まりない。


「ぎゃはは、さすがはオール様だぜ! 言うことが違えな!」


 こっちも分からない。

 果たしてキニゴスさんには何が聞こえるのか。

 言うことは確かに常人とは違うが、何もさすがではない。


 私はアルクダに顔を寄せ、呆れ気味に問う。


「もしかして、いつもこんな風に酔いながら、ゾキアに自分の話をしているの?」

「はい、いつもこんな風です」


 だから、村の皆をしばいていたなんて言ったのか。

 誇張と勢いは酔っ払いの専売特許だからな。

 しかし、それだけの理由で子どもの教育上よろしくない言葉を吹き込むのはどうかと思うが。


「大丈夫ですよ。俺も昔はゾキアみたいな感じでしたから」


 苦笑しながらも、アルクダはそう言う。

 どこをどう修正して、ゾキアのやんちゃからアルクダの穏やかさが出たのか謎だが、彼が言うのなら大丈夫なのだろう。


「でも、素面しらふの時はしっかりしているんですよ。頼り甲斐のある父親で」


 まあ、そんな気はするが。黙っていれば格好良い人だし。


「だから、母が亡くなった時も、父が無理して明るくいてくれたから、俺も割と早く立ち直れた訳ですし。これでも感謝しているんです」

「……そうか。そうだよな」


 男手一つで二人の子を育ててきたのだ。

 キニゴスさんがたくましく立派な人だと、話を聞いた時から想像がついた。


 妻を亡くした喪失感――残された子を守る責任感――それらは自身を重く縛りつけてくるもので、それでも負けずに生きてきたのだ。

 彼を本気で怠い奴なんて思える者が居るはずもない。

 おかしな話かもしれないが、そんな奴は私が許さない。


 けれど、それ以降どんなに頑張ってキニゴスさんを説いても、結局私の声は届かず、無駄に「ぶっ殺す」と、言われただけで終わってしまった。

 まあ、マーブリさんの特製スープが飲めただけでも良しとしよう。


 私達が店から出ると、夜は大分更けていて、夜風が気持ち良く――けれど、少し肌寒く感じられた。

 ナキが寒そうに腕を摩るので、私は何も言わず上着を彼女の肩にかけた。あくまで紳士である。

 彼女が微笑んで「ありがとう」と言うので、それだけで十分だ。何ならお釣りが出る。


「それでは」と、私はキニゴスさん達一家に振り返る。

 すると、彼は私を見つめて「フィン、ちょっと良いか」と、言う。

 酒に飲まれたような焦点の定まらない眼ではなく、獲物を捉えるような真っ直ぐな瞳だ。

 そんな眼で見られて「そりゃ無理だぜ」と、言える訳もない。


 私はナキとオールに「先に帰っていて」と言い、キニゴスさんを見返す。

 キニゴスさんもアルクダとゾキアを先に帰らせ、私達は二人で篝火が灯る村を歩いた。

 互いの想いを探り合うように、歩幅を合わせながら私達は道を行く。


 星の落ちてきそうな夜空を見上げ、横を歩く彼はふと言った。


「俺は許されちゃいけないんだろうな」


 私はその言葉の真意を理解し兼ねた。


 彼は何に許されないのか。

 彼は何故許されないのか。


 酔った勢いで何となく言ってみた言葉にしてはやけに神妙で、私は問い返した。


「何のことですか?」


 すると、彼は立ち止まる。

 彼は口を閉じたまま動かない。

 私達はいつの間にか川の近くまで来ていて、私達の家からは大分離れている。

 キニゴスさんは突然川縁へ歩き出し、地面に手を着いてしゃがみ込む。


「キニゴスさん? どうかしました?」


 その時、彼の口内から滝の如く流れ出る食べ物の残骸が、透き通った川の水に混ざりながら下流へと向かう。

 胃酸に塗れた夕食はいずれ大海へ旅立つことだろう。


「大丈夫ですか? 飲み過ぎたせいですよ。あんなに馬鹿みたいに飲むから」

「うるせえ……殺すぞ」


 若干辛そうな声で漏れた「殺す」は、怒気を孕んでいて怖かった。冗談ぽくないのが余計に怖い。


「俺は許されちゃいけないんだ」

「だから何の話ですか?」

「俺の家内の話だ」


 キニゴスさんの――家内。

 アルクダとゾキアの――母親。


 キニゴスさんは水面に映る自分の顔を頻りに見つめ、川に浮かぶ星空を手で掬い取る。

 その手の中には、輝く星は一つも残っていない。

 川の水で口をゆすぎ、すぐに吐き出す。


「俺は昔から馬鹿だから、村の皆に迷惑かけてばっかりだったんだ」


 それは……予想がつく。


「どうでも良いことに苛ついて、何か言われる度に癇癪かんしゃく起こして、その都度暴力を振るって……最低な野郎だった。村の皆から嫌われて、いつ追い出されてもおかしくなかった」


 呆れた顔で水面を見つめる。

 まるで過去の自分を重ねて、蔑視するかのような眼差しで。


「でもな、ただの一人だけ、俺に近づいてくれる奴が居た。そいつも相当な馬鹿だったし、俺よりも怖いもの知らずだった。――俺の家内だ。いっつも笑ってるんだ。こっちの気も知らないで、勝手に横に来て、勝手に話し始めて、勝手に帰って行くんだ」


 今は亡き彼の妻。

 アルクダから聞いた限りでは、心優しい包容力のある母親のかがみのような人だったと言う。

 隕石の如く荒れるキニゴスさんに対し、温厚過ぎる彼の妻――ルートリナさんというクッションはこれ以上ない程の良い夫婦関係を築いたという。


「あいつは俺の後ばかりついてきた。それで飽きもせず、自分の話を俺の背中に話し続ける。その内に本当に鬱陶うっとおしくなってな、『いい加減付き纏うな』と、言い放ったんだ。そしたら、笑ってた顔が急に沈んで、ぽろぽろ涙を流してやがる。『分かった』とだけ言い残して、そそくさと帰って行った」


 よくあるような男女の仲違い。

 思春期故のすれ違い。


 けれど、彼らは繋がったのだ。

 途切れた縁を結び直したのだ。


「それから本当にあいつは俺の元に来なくなった。最初の何日かは清々していた。だが、しばらくしてすぐに気づいた。心ってのは自分が制御しているつもりでも、案外言うことを聞かない奴なんだ。それでいて正直だ。思いたくもないことを思ってしまう。それが『本音』という奴なんだが」


 もう既に、あいつに魅入っていたんだ――揺蕩う月に手を伸ばし、彼は懐かしそうに語る。

 その過去はもう蘇らないし、取り戻せない。


「それからは流れるままだ。俺の気持ちとあいつの気持ちがパズルのピースみてえに重なるだけだ。気の短い糞餓鬼のままじゃ、向こうの親御さんも俺にルートリナはくれねえからな、改心して齷齪あくせく働く毎日だ。そんで、長い時間をかけてやっと俺らは夫婦になった。やがては子どもも二人生まれて、何の文句も出ねえような幸せな家庭だったさ」


 幸せ――生きることにおける絶対的な意味。

 それさえあれば全てを許せる程の価値。

 誰もが欲し、誰かが手に入れる、理由のない感情。


 しかし、幸せとは恒久ではない。

 そんな生活が必ずしも終わりまで続くかと言えば、そんなはずなかった。

 望み通り――シナリオ通りに大団円の幕引きなんて、世の中はそんなに甘くなかった。


「六年前か。ルートリナが病を患った。難病でな、ここの診療所じゃ手に負えねえ程で、特効薬もワクチンも開発されていないものだ。しかし、王国の国立病院ならまだ希望はあった。針穴に糸を通すようなものだが、それでも可能性はあったんだ。だが、王国へ行くにも、そこまでの移動費も、滞在する為の宿泊費も、そもそもの医療費も出せねえ。どうにか村の皆に頼んで金を集めたが、当のルートリナがそれを拒んだ。『皆に迷惑をかけてまで生き長らえたくない』と言ってな」


 ……それは、どうなのだろうか。

 折角村の皆が出してくれたお金を踏みにじるようなことにはならないのか。

 誰かが出してくれたお金で助かることが、本当に迷惑になるのだろうか。

 私ならばそんなこと――否。こればかりは当人でなければ分からないのだろう。


 自分のせいで他人の大切な資金を費やさせることを、迷惑をかけてしまうと捉えるのか。

 自分の病を治ることを皆が望んでいると、単純に喜んで王国へ行くのか。

 そんなものは私の語れるものではない。


 アンドレイアの言葉を借りるのなら――知らぬ口を利くものじゃない。


 ルートリナさんはルートリナさんなりに、考え抜いたのだろう。

 そして、選んだのだろう。


「その時も笑っていなかった。そして、俺はその言葉を許してしまった。気圧されたのか、動揺したのか、俺はルートリナを見殺しにしてしまった。泣いて喚くその顔に何も言えなかった」

「けれど、それはルートリナさんが望んだことで、あなたが気に病む必要は――」

「そうじゃないんだ」


 気づけば、川の水には雫が落ちていた。

 キニゴスさんが今どんな顔をしているかなんて、見なくとも分かった。

 その悲痛の表情を私が見られるはずがなかった。


「そう思わないと生きていけないくらいなんだ。ルートリナを失ったのは俺の責任だと、罪の意識を重ねないと今にも喉を掻っ切ってしまいそうになる。罪を負って生きることを償いにしないと、あいつを追いかけてしまいそうになる。…………時々さ、ゾキアが言うんだよ。『お父さんは誰と結婚したんだ』って」


 そこは『父ちゃん』じゃないのか。


「純粋で、何にも知らねえ顔で聞くもんだから、耳が痛くて堪んねえよ。それをアルクダが気を利かせて止めるんだが、それがさらに俺を痛めつける。何とも勝手な言い分だけどよ、もう駄目なんだ。家内をどうしても追ってしまう。家内にどうしても会いたがっている。アルクダはあんなに我慢しているのに――消えた母親を欲しながらも、精一杯生きているってのに……俺は情けねえなあ」


 そう言って、川面に映る自分の顔を殴る。

 ぱしゃりと水が跳ね、また彼の顔が元に戻る。


 ――そんなの、どうしようもないだろう――

 なんて言える訳ないけれど、じゃあ何と言えば良いのだろう。


 分からないことだらけだ。

 戸惑うばかりだ。

 何も知らないんだな、私は。


 一体どうすれば、最適なのか――最善なこか。

 いつになれば、私は一歩前へ進めるのか。


「…………そんなに背負う必要ないと思います。アルクダもゾキアもそんな風には思っていないですよ。ルートリナさんが望み通りに人生に幕を下ろせたのなら、キニゴスさんはルートリナさんを救ったのではないのですか?」


 私が何を言おうが、気休めにもならないのだろうが、何も言わない訳にはいかなかった。

 正解不正解は置いておいて、何も言わないという選択だけは決して選べなかった。


 私の声を黙って聞き、彼は水鏡の自分を見つめる。


「僕の大事な人は、まあ大体は生きています。だから、あなたの気持ちを完璧に汲み取ることなんてできない。気の利いた言葉も言えない。分かり合えても――分かち合えないのだから。けれど、あなたは許されても良いはずです。村の皆も、僕も、アルクダもゾキアも――きっとルートリナさんも、あなたを許している」


 最後のは勝手な言葉だと自分でも思ったが、言って良かったのだと全く後悔していない。

 きっと彼には、これくらいはっきり言ってくれる誰かが必要なのだ。


「こんなことを言っても、あとはあなたがあなた自身を許すか否かです。けれど、もう良いんじゃないのですか? だって……あなたは今まで罪を捨てずに背負ってきた。ここまで生きてきた。だからと言って、もう罪を投げ捨てても良いとは言いません。けれど、全てをあなたが抱える必要もない。罪は分けられない訳ではない。あなた一人が悪い訳ではない」


 だから、もう十分だろう。

 許されるにせよ許されないにせよ、頑張った者が報われないのは嫌なのだ。

 我儘だろうと、戯事だろうと、これは譲れないのだ。


「…………」


 満月は私達を照らし続け、夜空をゆっくりと泳いでいる。


 キニゴスさんは全然動かない。

 私が語っている間、彼はずっと黙りこくっている。

 …………もしかして、寝てる? もしくは水面に映る自分の顔に見惚れてる?


 すると、彼は立ち上がり、口元と目元を拭ってこちらに向き直った。吐き気は治まったのだろうか。


「……うっせえ野郎だ。酔いが醒めちまった」

「すみません。折角の良い宵なのに、冷めた空気になってしまいましたね」


 けれど、キニゴスさんがいつもの強い口調に戻っており、私は密かに安心した。

「行くぞ」と、私の先に行き、村の中央へ戻る。

 お互い我が家で待っている者が居る。

 心配させても悪いし、酔ったオールをナキ一人に任せるのはあまりに酷だ。早く帰ろう。


 歩きながら、キニゴスさんは前を向いたまま言った。


「……あいつらのこと、よろしくな」


 あいつら――アルクダとゾキアのことだろうけれど、何を今更。もう十分よろしくやっている。


「違えよ。これからもよろしく頼むってことだ。どうせ色々迷惑かけるだろうから」


 何故このタイミングで?

 しんみりしたからとか格好つけたくなるような雰囲気だからとか、そんな理由で言うような台詞でもない。

 どんな真意があってそんなことを言っているんだ?


「別に深い意味も無えよ。変に穿った受け取り方をするな。単純にあいつらの相手をこれからもしてやってくれってことだ」


「恥ずかしいから言わせんな」と、こちらも見ずにさらっと言う。

 決して私はそれを聞き逃さないが、わざわざ拾うとキニゴスさんがさらに恥ずかしがるので、聞き流しておこう。


「言っておくが、言われなくとも俺はくたばらねえぞ。少なくともあいつらが自立するまでは、意地でもな」

「さいですか。なら安心です」


 星と月が浮かぶ空に声を投げてみる。


 彼と彼の子らよ。どうか――武運を。



   〇   



 翌日の朝、私達はマーブリさんの飲食店で朝食を摂っていた。

 家で食べても良かったのだが、たまには気分を変えて外で朝を過ごしても良いだろう。


 楽しみに残しておいたサラダのトマトにフォークを伸ばすと、オールが何も言わずに先に取ってしまった。


 ……私が頼んだのだが。何故にさも自分のもののように取っていく。


「昨日な」


 私のトマトを食べながら、勝手に話を始める。

 こいつ何で何事もなかったかのように、そんな真顔でいられるんだ。何か怖いわ。


「森の方へ用があると出かけただろう」

「ああ、そういえばそうだったな」


 昨夜、私が帰って来た時にはオールは爆睡してしまっていたので、結局彼女が森へ出向いた理由は知らないままだった。

 家を出る時は曖昧に答えていたけれど、一体どんな理由があったのだろうか。


「『魔』を感じたんだ」


 周りに聞こえないように小さめの声で、顔を私に寄せてオールは言う。


 ――『魔』を感じた?

 それはつまり箱庭で感じたような魔法の匂いなのだろうか。


「いや、少し違う。似て非なる」

「じゃあ、どういうこと?」

「以前感じたものが『魔法』だとすれば、今回感じたものは『魔力』だ」


『魔法』ではなく――『魔力』。


 魔法の匂いがするということは、魔法を使用した痕跡があるということ。

 魔力を感じるということは、魔の気配が流れ出ているということ。

 そして、それを感じ取るということは、相当の魔力の大きい者がいるということ。


 私はナキを横目で見て、「ナキは違うのか?」と、オールに訊ねる。


「ナキは魔の気配を抑えるブレスレットをしている故、そこまで大きくは感じない。それに仮にナキから感じるものだとしたら、私は気づく」


 なるほど。

 だとしたら、村人の皆の魔力だという線も薄い。

 今まで一緒に過ごしてきたのだ。ナキと同じように気づけるだろう。

 そうなると、必然的に部外者の可能性が出てくる。


「だから、森を調べていた、と」

「その通り」

「で? 結果は?」


 首を横に振り、両手を上げてひらひらと振った。


「何も見つからなかった。私が気配の方向へ向かうと、気配も私から遠ざかっていく。逆方向へ進むと、また気配も戻ってくる。とんだいたちごっこだ」


 単純な輩ではなさそうだ。

 何か企みがあってネフリに近づいているのか。

 しかし、そのことが分かり、警戒ができて良かった。

 この村にオールが居てくれて良かった。


「まあ、杞憂で済めばそれに越したことはないのだが、一応な」

「うん、ありがとう」


「気にするな」と言いながら、彼女は私の頼んだ野菜ジュースを飲み干した。暴君の有り様である。


 それから私達は広場のベンチに座って、腹を休めていた。


 すると、アルクダがくわを持って近寄って来た。

 昨日はありがとうと、わざわざ挨拶に来てくれたのだ。


「そういえばこんな所で、何をしているのですか?」

「うん? ああ、実はね」


 私達は腹を休めると同時に、ある人を待っている。

 しかし――


「……来ないな」


 そう、来ないのだ。


 今日はポリティスさんが貿易でネフリを訪ねに来るはずなのだが、一向に来る気配がない。

 いつもならば午前中には来ているのだが、今は既に正午を過ぎている。

 竜の箱庭から帰って来てやっと会えるので、楽しみにしていたのだが、何か問題が発生したのだろうか。


「迷っている……は、ないか」


 オールは不穏な口振りでそう言い、頬杖を突く。


 ポリティスさんは我々がネフリに来る前から――この村が『ネフリティスホリオ』と名付けられる前から、ここを訪れて貿易を行ってくれている。

 今更迷うなんてことはないはずだ。


 これは事故、もしくは事件に巻き込まれたという可能性が大きい。

 探しに行った方が良さそうだ。


「ちょっと探しに行こうか」


「私も行きます」と、アルクダは私の目を見る。


「畑仕事は良いのかい?」


 鍬を持っているところを見るに、畑へ行く途中だったのだろうが、彼は真剣な表情で返す。


「人の命には替えられません。それに、人手は多い方が良いです」


 まあ、アルクダの言う通りか。

 じゃあ、ついていってもらおうかな。

 スキロスに知れたら、また彼は妬いてしまうかもしれないが。


 後はオールにもついてきてもらっておこうか。


 と、ナキもまた「ついていきたい」と、私の服の裾を引っ張る。

 哀願するような愛眼で見つめるが、ナキには別の役割を果たしてほしいのだ。


「もしかしたら、ポリティスさんも単純に出発するのが遅れただけで、僕らが探しに行った後に来るかもしれない。すれ違いが起こった時の為に、ナキには村に居てほしいんだ」


 また、ナキだけを除け者にするようで心苦しいが、これは本当にナキにしか頼めない。

 実は今、村長であるパルダリスさんが体を壊して、ご自宅にて養生の為に寝込んでいる。

 その為、私が村を離れるとなると、貿易の商談ができるのがナキくらいしか居ない。

 他の人達もできない訳じゃないが、はっきり言うと素人に毛が生えたようなものだし……ナキが一番に信頼できる。


 そう、これは信頼故の選択なのだ。


「うん、分かった。気をつけてね」


 以前のナキならば、私の頼みに首肯こそするものの、納得しきれていないような表情になっていただろう。


 しかし、今は違う。

 今は私達も信頼を深め、ナキも力強い視線で返答する。ありがたい限りだ。


「じゃあ、行ってくるよ」


 ナキを村に残し、オールとアルクダを連れて森の中へ入っていった。


 しかし、私はまた間違えていた。

 ここでナキを村に置いていくべきではなかったのだ。

 或いは、私が村を離れるべきではなかったのだ。


 ――否。根本的に間違っていたのかもしれない。

 そもそも私がネフリを早い内に去っていれば、誰も不幸にならずに済んだのだ。

 不運が転じて、不幸にならずに済んだのだ。


 森をしばらく歩いていると、一本の折れて倒れている木を発見した。

 木の幹も特に腐ったりなどはしていないので、恐らくは無理矢理圧し折られたのだろう。


 その時、私の鼓膜を微かな呻き声が震わした。

 それを聞いたのは私だけではなく、オールもアルクダも然り――そして、その呻き声の主の元へ今すぐに向かわなければと、その場の全員が直感した。


 呻き声の発生源は倒木から少し離れた所で、いくつもの木々が乱雑に倒されていた。


 そして、木々が倒れる一帯の中心には、木箱に入った注文品が散乱し、木っ端微塵に砕け散った馬車と、知った顔が――今日会うはずだった人が地面に伏せていた。


「ポリティスさん!」


 私は駆け寄り、倒れる彼に叫ぶ。


「大丈夫ですか? 意識はありますか? 僕です。フィンです」


 ポリティスさんは傷だらけで、酷い有り様だった。

 骨も所々折れているらしく、あり得ない方向に関節が捻れていた。

 体中が痣だらけで、唇や額は切れて血を流している。

 目は閉じているが、何とか声だけは出している。赤く濡れた口から漏れ出す声は、よく聴くと何かを伝えようとしているらしい。

 自慢のとんがり帽子も土を被り、先端は周りの木のように折れてしまっている。


 大丈夫。傷は酷いが見た目程ではなく、まだ助かる余地はある。

 兎にも角にも、早く傷の手当てをしなければ。


「オール、魔法で手当てをしてくれ」

「ああ、すぐに」


 すると、ポリティスさんは残された力を振り絞り、私へと手を伸ばした。

 その手を掴まない訳はなく、私の両手で優しく包み込む。


 ――大丈夫、今すぐ助かります。もう少し頑張って下さい。


「よし、傷は塞いだ。あとの痣やその他諸々はまだ時間がかかるが、とりあえず治癒しながら話を聞こう。おい、ポリティス、口は動くだろう。何があったか、詳しく隈なく話せ」


 大きな痣のある頬を動かし、ポリティスさんは目を開けた。


「ああ、フィンさん、ご無沙汰しておりました。おや、オール様もどうも。あそうだ、私が以前持って来た新聞読みました? あれ見た時びっくりして、ええええって叫んじゃいましたよ。そうそう、それとですね、今日新しく持って来た商品があって、是非見てほしいんですが、それが『魔法瓶』という代物なのですが、これ魔法を一切使っていな――」

「そろそろ良いですか?」


 どんだけ愉快なんだ、この人は。

 自分の状態が理解できていないようだ。

 全身痣だらけでにこにこしているのだから、怖くて仕方ない。


「あの、何があったのですか?」

「…………?」


 きょとんとした顔でこちらを見てくる。

 何で分かってないんだよ。


「何故、こんな所で傷だらけで居たのですか?」

「あ、ああ! そういうこと!」


 うん、そういうこと。早く話して。


 すると、「あっ」と不意に思い出したかのように顔色を変えた。

 その表情は青白い鬼火のような――赤黒い血痕のような、恐怖の色だった。


「大変です! 今すぐ村に戻って下さい!」


 突然声を荒げて私の袖を掴むポリティスさんに、私は少し狼狽してしまった。


「何故ですか? 順番に話して下さい」

「あなたとナキさん、あなた達だけでも逃げて下さい。あ、ナキさんはどこにいらっしゃいますか?」

「だから落ち着いて下さい」

「魔国の者がフィンさん達を狙って来たんです!」


 ――え?

 魔国の者が――私達を?


「よく聴いて下さい。ここに来る途中、魔人の集団が私に声をかけてきました。一人は大きなハット帽子と怪しげなマスクを着けた男で、他は皆ローブを身に纏っていました。そして、私に訊ねるんです。『ナキ・アンブロシア・エマイディオスとフィン・アーク・アイオーニオンを知らないか』と」


 誰なんだ。

 容貌を聞くからに、そんな者は私の記憶のどこにも居ない。

 第一に、魔人と接点なんて――否。私は魔人と接触したことがあった。

 同時にナキも――


 あの日――私がナキを救った日。

 魔国からやって来た魔人を私は皆殺しにしたのだ。

 人の命を買うことが許せず、思わず殺めてしまった。

 今思えばやり過ぎだった。私とて人の命を奪ったのだから。


 とにかく、私が魔人から狙われる理由は十分にある。

 ナキが狙われる理由は十分にある。

 魔王が魔力の大きい者を買い取ると発布したその真意は分かり兼ねるが、少なくともそのことに綺麗な感情は宿っていない。


「私は彼らから不穏な空気を感じ、『知らない』と答えたのです。しかし、何故だかすぐにバレてしまった。馬車から引き摺り下ろされ、ぼこぼこに殴られ蹴られ、挙句何本もの木々に叩きつけられた。こちらが話す気はないと分かると、彼らは『魔王の御意のままに』と呟き、どこかへ行ってしまいました」


 魔王――その言葉にとある出来事を思い出す。


 三ヶ月程前、バリウスで虚竜が暴れたあの事件。

 我々は虚竜から彼の元にやって来て、彼の自我を奪ったという『黒幕』の話を聞いた。


 ――その者の名は――


 ――二百七十二代目魔王――イストリア・ヴィヴリオだ――


 低い声で放たれたその名は、何度も忘れようとして、何度も思い出してしまう。

 虚竜から話を聞いた私達は、今後は魔王についての話をしないと決めた。

 これは、単純に彼の名を口にするのも恐ろしいから――そして、口にするだけで危険だから。


 魔王の目的は一体何なのか。


「きっと彼らはネフリへ行ったんです。だから、早く――このままでは、ナキさんも村の皆さんも危ない! 私のように傷だらけで済むとは限らない!」


 私はネフリへと駆け出した――駆け出してしまった、と言う方が正しいのかもしれない。

 深く考えることもなく、大して図ることもなく、私は焦燥と危機感だけに襲われていた。


「オールとアルクダはポリティスさんの治癒を終えたら来てくれ! 僕は先に行く!」


 ナキを守るのだ。

 失ってはならない。

 絶対に離れてはならない。


 ナキは私が――

 

次回にご期待下さい。


本作品は、不定期更新となります。次の物語をお待ちください。

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