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Light in the rain   作者: 因美美果
第四・五章
34/77

『曙光』

まだまだ未熟なので、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。


※この作品は、少し残虐なシーンが含まれます。また、少し刺激の強いシーンが含まれます。以上のことが苦手な方はご観覧をお控えください。


この作品は、私の溜め込んできた物語をひたすらに詰め込んでいます。

それでも楽しんで頂ければ幸いです。

 私は夢を見た。正確に言えば、昔の思い出である。


 それは私の歳が十二の時のものである。


 私はその日、冷えた校舎内をふらふらと歩き続けていた。


 どこを目指しているのか――どこに辿り着くのか。

 方向も定まらず、ただただ彷徨するばかり。


 そうしなければならなかったのには、それなりの理由がある。


 私の心身を傷つけた『偽告白事件』――あの一件以降、私の周りからはさらに人々が遠ざかった。


 怒りに駆られ、自らを制御することもせず、本能と反応が感じるままに同級に暴力を振るい続けた。

 あれ以降、私の凶暴性を恐れた生徒達は私に関わらないように心掛けている。私は既に問題児として校内に知れ渡っていた。


 ずっと馬鹿にする対象だった私が、まあまあな力をつけてしまったが為に、皆は警戒している。


 教官に『必殺パンチ』を喰らったり、二百七十一代目魔王と出会ったりと、私の身には色んなことが起こっていたが、誰からも話しかけられない日々は相変わらずであった。


 教室にいても、食堂にいても、誰かからの視線を感じる。

 居心地が悪いと言ったらこれ以上ない。見られることがまず嫌いなのだ。


 とは言え、自分で蒔いた種であることも否めない。

 昼は食事を摂らなければならないので、必然的に食堂にいることは避けられない。しかし、それ以外の時間はせめて周りからの目を自ら避けるようにしたい。


 故に、私は校舎内を歩き回り、誰もいない部屋――つまりは、一人になれる場所を探していた。


 しかし、案外皆がいる場所は疎らで、中々条件の良い居場所は見つからなかった。

 周りからは、歩き回っては教室の中を覗き込む、という奇行に勤しむ極めて滑稽な私が映っていたことだろう。


 結局、私は校舎の端の方まで来てしまった。

 そこまで来ると、さすがに誰ともすれ違わなくなり、代わりに埃や蜘蛛の巣が目につくようになる。


 昔はここら辺の教室も授業に使われていたらしいが、兵士を育てる上で必要ない授業がやがて潰れていき、次第にその授業用の教室も使われなくなった。


 廊下を奥へ進む程に暗さと寒さが増して、外は一面雪の絨毯が広がり、窓から射し込む陽の光だけが凍った空気を解かしている。

 舞い散る埃が陽を浴びて、紙吹雪のように光った。


 一番奥の部屋へ辿り着くと、その部屋の扉には『倉庫』と記された看板が垂れ下がっていた。

 生憎、鍵がかかっていて中に入ることは叶わなかったが、ドアノブに溜まった埃を見ただけで、中の環境は推測できる。


 白い吐息を漏らしながら、仕方なく隣の教室を調べる。

 そこの扉は倉庫の扉とは違って引き戸になっていて、ドアノブはついていない。


 扉の横の壁には『音楽室』と刻まれた札がかかっていた。


 引き戸を少しずらし、中の様子を確認する。幸いにも教室内は無人で、静謐な空気を閉じ込めている。


 私はいざ中へと入る。


 カーテンが閉め切られ、微かに透けて入ってくる光だけが室内を照らしている。机や椅子も全て壁に寄せられて、教室の真ん中には何もない。

 閑散とした部屋は廊下と変わらず埃っぽい。


 壁に設置された棚には、取っ手のついた真っ黒な鞄のような物がいくつも並べられている。きっとその中には見たことのない楽器が収められているのだろう。


 私はカーテンを開けて外を眺める。陽の光に目が眩み、思わず手で目元を覆った。

 教室を見渡すと、冷えた空気が鮮明に見えるようである。


 立っているのも何だし、とりあえずどこかに腰を下ろしたい。

 退けられた机の上に椅子が逆様に積まれているが、わざわざそれを運んでくるのも億劫だ。かと言って、塵埃じんあいの積もった床にそのまま尻を着けるのも気が進まない。


 何か都合の良いものはないだろうかと、教室を再度見回すと、目に入ってきたのは黒い椅子だった。


 一般的な木製の椅子ではなく、黒く塗られていて、座面の横に高さを変える螺子ねじがついている――つまりは、ピアノの椅子だ。

 それも漏れなく埃を被っていたが、それくらいは手で払い、腰をかけた。


 しばらくぼーっと天井を眺め、過ぎ行く時間を浪費していたが、目の前の大きなピアノに目が行った。

 黒い幕をかけられ、その艶やかな身を隠している。幕には相変わらず埃が溜まっており、このままここにいたら肺を埃が埋め尽くし、私は死ぬのではないのかと錯覚しかけた。


 私は弾くつもりもなく、何となく幕を引っ張ってみる。


 絨毯のような幕を取っ払い、その黒光りした一つの楽器を私は眺めた――否。見惚れたと言うべきか。


 いわゆるグランドピアノと呼ばれる種類で、とても大きい。表面を撫でるとすべすべとしている。


 実際、初めて見るピアノに感動していた。

 こんなにも綺麗なものがあるのか。

 それを人の手で生み出したのか。

 そして、私は今それに触れている。


 やがて手に持ったままのピアノの黒い幕に意識が向き、一体どう置いておくのがベストなのか悩む。まあ良いや、畳んで隅に置いておこう。


 椅子に座り、ピアノの蓋を開く。

 白と黒だけがずらりと続く鍵盤がその姿を現わす。


 右手の人差し指で適当な鍵を叩く。

 意外と鍵盤は重く、撫でる程度では音は鳴らない。響いた音は果たして何の音かは分からなかった。


 流れで隣の鍵も鳴らしてみる。先の音よりも高く、どことなく聞き覚えのある音であった。


 私は適当に鍵盤の上を指で駆け回り、でたらめに――無我夢中で音を鳴らし続ける。


 けれど、こんなにも綺麗な音が響くのにも関わらず、奏者の私がいい加減な旋律しか鳴らせないのだから、あまりにピアノが可哀想だ。


 どこかに楽譜はないものなのか。それがあれば、まだマシにはなると思うけれど。


 私は席を立ち上がり、教室を歩き回る。

 棚の上、楽器の隙間、黒板周り、床上の埃の中、カーテンの裏。

 いずれの場所にも楽譜は見当たらなかったが、高く積まれた机――その中の一番上の机に眠るように置かれ、布団のように埃を被る譜を数枚見つけ出した。


 それは一曲分の楽譜で、曲名は文字が掠れていて読めなかった。

 譜面も所々消えてしまっていて、見えない音符もそれなりにある。


 積まれた机から慎重に降り、床に着地した私はピアノの所へ戻る。


 私がピアノへ向き直って歩き出すと、背後の机や椅子の塔が突然崩れ始めた。大きな音を狭い教室内に響かせ、机椅子は乱雑に拡散する。


「…………」


 億劫だ。

 まあ、誰も使わないし、誰も来ないし、あとで直せば良いか。


 教室の中はスノーボールのように埃が舞い、床に散らばったそれらから視線を外し、再度ピアノに歩き出した。


 席に座り、譜面台に楽譜を置く。

 じっと譜面を睨み、不可解な音符の形と鍵盤上の位置を読み解く。


「…………これ……何の音だ……?」


 私がピアノを弾けるようになるのは、もう少し先の話だ。



   〇   



 翌日、私とナキは二人並んで、朝靄が漂う森の中を散歩していた。

 視界は少し紫がかっていて、太陽はまだ顔を出さない。


 現在、朝の五時――昨日は早くに寝たせいか、目が覚めるのも早かった。

 そしてそれは、ナキも同じだったらしい。


 オールは昨日「少し飲みに行く」と言ったにも関わらず、零時を過ぎてから帰宅し、雨でびしょ濡れになり、かつでろでろに酔った挙句に、眠る私の腹目掛けヘッドバットを喰らわした。それきり眠りこけて叩いても起きやしない。「少し」とは果たして何なのか。

 酔っ払いのタチの悪さを再認識した瞬間である。


 早く起きてしまった時に限って、寝覚めが良い。二度寝をする気にもなれない。


 故に二人で朝の静かな森を歩くことにしたのだ。


 私達は昨日のことをきっかけに、お互いを教え合うことにした。

 今まで私達は話さな過ぎたのだ。故に一方の想いが溢れて、悲しむ羽目になってしまった。


 私がナキに自分のことを話すのは当然のこと、ナキも私に自分のことを話してくれると言う。

 私は「嫌ならば無理しなくとも良い」と言ったのだが、涙目でナキが「私だけが受け取ってばかりでは不公平」と断固として許さなかった――揺るがなかった。


 鬱然とした森の中、二人はお互いの過去を語りながら歩き続ける。


 正直、私達は今どこへ向かっているのか判然としていないし、特別決めてもいないが、それでも良いのだろう。

 自由気ままに、思うがままに、歩みを進めれば良いのだと思う。


 最初に話し始めたのは私であった。


 それは四歳の頃、私が故郷にて街の子ども達の輪に入れさせてもらおうとし、拒絶された挙句、完膚なきまでに罵倒された話である。

 辛い思い出話しかない私にとって、自分の話をするとなると、どうしても雰囲気も暗くなる。事実、ナキも気まずそうにしていた。


 このままではいけない――私の印象が何か変な方向へ行ってしまう。


 ――あ、そうだ。

 箱庭にいた時、ナキもアルステマも知りたがっていた、私の能力を手に入れた時の話。

 あれならば、多少は興味もあるだろうし良いんじゃないか?

 アルステマには悪いが、また今度ということで。


 ――と、話してはみたが、思えばこの話こそしんどい内容であり、聞いたナキはまさかの泣き出してしまった。

 泣く程の内容かは私には判断し兼ねる。何せ自分のことであり、辛いことばかりで心が麻痺してきている。

 何が辛くて何が幸せかが分からなくなっている。


 私が業火に焼かれて死んだことに、ナキが涙を流してくれたことを私は単純に嬉しく思ったが、このままでは本当に私の印象がおかしくなる。


 何か良い話はないのか、マジで…………そうだ。


「――じゃあ、僕の家族の話をしようかな」

「……家族?」


 大きくつぶらな瞳で私を見つめ、しゃっくり交じりに彼女はそう言う。


 私の家族。


 父のことは以前アンドレイアに話したことがあるが、それ以外の者には話したことがない。少なくとも、王国を去ってからは。


 良い機会だし、ナキには話しておきたい。

 ナキにこそ話しておきたい。


 とは言え、ナキ自身は両親を亡くしている。彼女に家族の話をするというのは、果たして酷なものになってしまわないだろうか。


「ナキが聞きたかったらの話だけれど。もし嫌ならこの話はしなくても良い」


 一応の断りを入れて、ナキの答えを窺ったが、彼女は首を小さく横に振る。


「ううん。聞きたい――聞かせて。私の知らないあなたの家族を」


 その言葉を受け、私は語り始める。


「両親と弟と妹の五人家族で、僕はその家の長男なんだ。故郷は王国の最東端の田舎。その街で僕は九歳まで暮らした」


 淡々と――冷淡と語る私の口調に、隣を歩くナキは俯いてしまった。


 私の冷たい声に気まずさを感じたのだろう。

 ナキには申し訳ないけれど、先程から昔日の出来事を語る時は、なるべく感情を失くして話すようにしている。そうするしかないのだ。


 それが決して愛する家族のことであろうと、思い出して頭の中に思い浮かべるだけで、何度も言葉に詰まりそうになる。


 声が震えて、涙腺を圧しながら何かが流れて来そうになる。


 嫌いな思い出ではないのに――辛い思い出なのには変わりがない。


「母は心配性だった。大概の親はそうなのかもしれないけれど、僕の母はそれが極度で、顕著だった。けれど、裏を返せばそれは、僕の気持ちに何よりも寄り添ってくれているということ。僕が虐められて怪我をすれば怒り悲しみ、遊んで転んで怪我をすれば笑って慰めてくれた。それと、母は抱擁するのが好きだった。自身のかいなで子を抱いて、頬を擦り合わせるのが好きだった。色んな風に笑わしてくれた――色んなことを分かってくれた」


 沢山怒られたし、その後は必ず慰められた。その分だけ、抱き締められた。


 母は口癖で、虐められて帰って来る私に、よくこう言っていた。


 ――やられて悔しかったら、やり返したって良いんだから――


 その言葉に私は何度も助けられた。

 誰もが「やり返してしまったら、やり始めた相手と同じ」と、要するに喧嘩両成敗を唱える中で、母はそう言って私達を育てた。


 心配性で、怖がりで、気弱なのに、いつも強かったのだ。

 だから、私は母を安心して好きでいられる。


「お父さんは?」


 ナキはそう言って、話を促す。少し興味が湧いてきたのかもしれない。それならば、話甲斐もあるというものだ。


「父は医者で、優しい人だった。僕が育成学校への入学の話をした時も、特にあれこれ言うことはなく、好きにすれば良いと言ってくれた。温厚で、穏和で、恩義を数えればきりがない。命に向き合う仕事をしていることもあって、僕には沢山の人々を救う父がとても格好良く思えた」


 父は口数が多い訳ではないし、話が上手な訳ではないけれど、発する言葉はいつも的を射ていた。

 私が馬鹿でも決して苛ついたりせず、優しく丁寧にものを教えてくれる。

 怒ったところもほとんど見たことがない。


 ただ一つ――


「一度だけ怒鳴られたことがあった」


 たった一度だけ、父は私を厳しく叱りつけたことがある。

 皺の密集した眉間で――刃物のような剣幕で、私に怒った。


「何があったの?」

「…………『生まれてこなければ良かった』……そう言ったんだ。街の子ども達に石を投げられた時、額から血を流して帰った日。何も考えずに言ってしまった。何も考えたくなくて言ってしまった」


 父に初めて叱られた日――私が街の子ども達にいじめられて帰ってきた日。

 父の悲しみを知り、母の強さを知った日。


 あの日の思い出も、端から見れば悲しいままで終わった話かもしれない。

 けれど、私にとっては、何よりも救われた日だった。


 その気持ちがナキにも伝わったのか、彼女は話を聞き終えると少しだけ微笑む。


「そっか……でも、良いご両親だね」

「ああ、自慢の父母だよ」


 少しは良い話をできただろうか。


「じゃあ、弟さんと妹さんは?」


 ナキは少し嬉しそうに続きを求める。

 それなら、私の過去もいくらか報われるな。


 ただ、語っていく内に思わず涙が出そうになる。

 けれど、その涙は決して嫌なものではない。


「弟は僕と四歳離れていて、僕よりもずっと優秀なんだ。本を読むのが好きで、どこか俯瞰したような性格で、けれど人付き合いが上手くて……口は生意気だけれど、正論ばかり言うもんだから、兄である僕の立場がなかったよ。幼い頃は沢山喧嘩もしたけれど、僕があまり外に出なくなると、次第に話すこともなくなった」


 ――そう。本当に生意気な奴で、私の前では毒を吐くのに、両親や他人の前では馬鹿丁寧な口調に豹変する。全く器用なことだ。


 けれど、私は弟に様々なことを教えられたのも確かなのだ。

 私が本を好きになったのは彼の影響だった。元々、弟は父が本を読んでいたのを真似て読み始めた。


 弟は誰よりも父を尊敬していた。

 将来も父の診療所を継ごうと、日々医療の勉強に精進している。きっと今も変わらず。


 私なんぞよりもずっと立派で、ずっと世の渡り方を知っていた。

 私が怪我をして帰って来ても心配など決してせず、憮然として無愛想に私を蛇目で見る。

 育成学校を辞めた時、その報せの手紙を送ったが、それを見た弟はきっと呆れ果てて蔑みさえしただろう。


 けれど、私はそれで良いと思う。

 私のしたことは間違っている――そう思ったのならば、見下して当然なのだ。

 尊敬する者を理解し、蔑視する者を理解し、自身の位置を理解する。

 それは中々できることではない。

 彼が強い証拠だ。


「生意気で、秀逸で、八方美人で――自慢の弟」


 それが、私の愛すべき弟だ。


 ナキは今度は安堵したように微笑み「そっか」と、呟いた。


 そして、私は続けて語る――知らない妹のことを。


「妹とは、会ったことがないんだ」

「…………え?」


 まあ、そういう反応になるよな。

 残念ながら冗談でも何でもなく、本当のことである。


「妹が生まれたのは、僕が十二歳の時――つまり、僕が育成学校へ日々通い、寮で生活をしている時だった。突然手紙が届いて、中には妹が産まれたという報告があった。あまりに急で驚いたけれど、嬉しいことには間違いなかったから、その時は一瞬だけ訓練の辛さを忘れられた」

「……何故、会えなかったの?」

「……訓練の辛さは忘れられても、訓練は無くならないから。暇なんて貰えないし、そんなことをすれば他の生徒に差をつけられてしまう。学校を辞めてからはもっと合わせる顔が無くなってしまって……もう妹も五歳になるのにね。まだ会いに行けないなんて、酷い兄だけれど、妹には弟もついている。それに、今更会っても兄なんて思えないかもしれない。会いに行けば、妹の明るい日常を壊し兼ねない。それに、僕はここでの生活が何よりも楽しい。自信を持っては言えないけれど、僕はここに居られることができて、本当に良かった」


 それきりナキは黙ってしまった。

 その理由は容易に想像できる。


 またも重たい感じの話で非常に申し訳ないが、これが私なのだ。私という生き物はこうして生きてきたのだから。


 何とも情けなくて纏まらない言葉だったけれど、本心なのだから仕方がない。これ以外に何と言えただろうか。


 私はやがて朝日が近づいてくる空を眺め、赤らんできた森の中を歩き続けた。


「じゃあ、今度はナキの番だね」


 彼女の横顔を見て、できる限り愉し気に言った。


「…………うん」


 群青色の彼女の瞳に、日の出の空が反射した。



   〇   



 フィンの話を聞き、その大半が何と言って頷けば良いものか分からなかった。

 彼の過去のことであり、彼の家族のことなので、口出しをして良いものか分からなかった。


 募る想いはいくつもあるのに、それを伝えても良いのか分からない。

 こんなにもどかしいことはない。


 フィンは平然とした顔で私を促す。

 あまりに感情の殺された表情で、むしろ不自然なくらいだった。


 しかし、一体私は何を話せば良いのか――それすらも分からない。私が馬鹿なだけなのかもしれない。


 私とてフィンのことを言えた義理はなく、辛さばかりが積み重なった昔日だったが、その中でどうにかハッピーエンドを迎えられた思い出などあるのだろうか。


 ――あ、あれはそうだろうか。

 終始一貫して誰も幸せにはなれなかったけれど、少なくとも私は救われたこと。

 いや、救われた時点で十分幸はあったのだろう。


 だとしたら――これはハッピーエンドだ。


「……昔、私が前に住んでいた村でのこと。あの村には、不思議な習わしがあるの。新しい村人が生まれるとその人と対になる木を植えるんだ。その者と一緒に生きていく木を。それでその人が亡くなると、対の木も切り倒して切り株だけを残す。そして、その木の根元にその人の死体を埋めて、切り株の断面に十字架を突き刺すの。そういう埋葬をして、死者を弔っていた」


 何百年も前から一帯の地域で行われてきた習わしで、今では墓場は村の面積よりも大きくなっている。切り株でなければ、立派な森林として見られても何ら可笑しくはない。


「そこには桔梗ききょうの花が一面に咲き誇っていて、とても綺麗だった。あの村で私が一番好きな場所だった。午前中はお世話になっている人の家で仕事の手伝いをして、午後は自由にして良いって言われているから、遊ぶ時はいつもそこに行った。村の子ども達とは種族の違いとか移り住んできたこともあって、あまり親しくはなかったから、いつも一人で居た。避けられていたみたいだし。だから、毎日そこで花の冠を作ったり、首飾りを作ったり、指輪を作ったり、楽しかったんだ。幸せとは程遠いし、小さな喜びではあるんだけれど、それでも私は日が暮れるまでそうやって過ごしてきた。けれどあの日、昼下がりの午後――私がいつものようにその花畑の墓地で遊んでいた時、育成学校の人達が来たの」

「え?」


 フィンは至極驚いた顔で私を見た。その反応は私には容易に想像できていた。

 私はそのまま話を続ける。


「フィンが前に持っていた道着を着た男の子達が、何の脈絡もなくやって来たの」


 因みに、フィンが育成学校から支給されてずっと持っていたという道着は、全て何らかの戦闘の中で破壊され、再起不能になってしまった。

 本人は然程気にしている訳でもなく、新しい服を購入しなければと億劫がるだけだった。


「仕事の手伝いを終えて、いつも通り墓地へ行って花摘みをしていると、突然周りが暗くなった。もう日の入なのかなと思ったけれどそんな訳ない。顔を上げてみれば一目瞭然――私は既に男の子達に囲まれていたわ。何が起きたのか、何が起きているのか分からない私は、ただ茫然と三百六十度に仁王立ちする男の子を見上げた。そして、戸惑う私を見てにやりと嗤い、一人の子が変声期真っ盛りの掠れたような声で一言放った。私に向けてではなく、他の子に向けて」


 その男の子の集団は全員合わせて四人いて、状況は正に四面楚歌だった。

 そして、言葉を放った子はきっと四人の中でリーダー的存在なのだろう。他の子に向けてただ一言。


 ――おい、お前ら。やれ――


 刹那、他の三人の子達が襲いかかってくる。


「一人には髪の毛を引っ張られ、一人には服を脱がされそうになり、一人には靴を盗られた。リーダーの男の子は悠然として顔面を蹴ってきた。髪を結っていたリボンは、お世話になっている家のおばさんがくれた物なのだけれど、それも千切られてしまった。私は必死に抵抗したけれど、どうすることもできなかった。会ったこともない自分より体の大きな人達に、覚えのない暴力を振るわれて、体も上手に動かなくて、ただただ逃げられずになぶられるばかり。助けを求めようにも、墓地になんて誰も来ない。訳が分からない私は『何で』と嘆き繰り返すと、彼らはこう答えた。『面白いから』――それだけの理由で、私は甚振いたぶられなければならなかった」


 誰かと深く接することなんてそれまでなかったから、私は傷やあざの痛みを知らなかった。

 誰かと仲良く話すことなんてそれまでなかったから、私の声はあまりにも小さくて誰の耳にも届かなかった。

 誰かと向き合うことからそれまでずっと逃げてきた――その付けが回ってきたのだと思った。


 付けであり――報いであり――罰であるのだと、自らの肌で痛感した。


「でもね、ちゃんと助けが来たんだ。すぐでもなかったけれど、遅くもなかった。遅れてきたけれど、見捨てずに来てくれた。大人じゃないけれど、それでも勇敢な少年が――」


 私を痛めつける子ども達へ「おい」と、声が飛んで来る。

 彼らの暴力が止まり、私は潤んだ眼で眼前の男の子を見た。


 小柄な体の――尊大な心の――勇者のような少年だった。


「その子も育成学校の生徒?」

「うん、同じような道着を着ていたから、そうだと思う。でも、その子は他の子よりも全然体も細くて、正直言うと華奢だった。本当に鍛えているのか疑うくらい。その子は闊歩で私達の所まで近づいてきたの。怒った顔で――けれど、曇天の奥の太陽のように焦燥がちらちらと見えて、勇ましいのに何故か頼りない感じだった」


 私を囲む四人は近づいてくる少年へと標的を移す。

 対峙する少年は額に汗を滴らせているが、表情は依然睨みを利かしている。

「何だよ。誰だお前」と、低い声で言う男の子に対し、少年は顎を引いて相手を見据え、少し震え気味の声で言い返す。


「止めろよ。女の子に強姦なんて――違う、暴力なんて」


 言い間違えるには少々無理があったけれど、彼も怖いのだろう。

 怖いのにも関わらず、少年は私の元へ来てくれたのだ。その事実だけでも私は十分救われる。

 そういう意味では、その少年はフィンのお母さんと似ているのかも。


「みっともないだろう。それにそんなことをしている暇があるなら、さっさと教官の所に戻れば良いだろう」


 話の内容はよく分からなかったが、少年が私のことを助けようとしてくれているのは伝わった。

 しかし、少年の想いも虚しく、その言葉をリーダーの子は嘲り「うるせえ」と一蹴した。


「お前には関係ねえし、迷惑もかけてねえだろ。口出しすんじゃねえよ」

「その子が迷惑している。口出しされたって仕方ないだろう」

「良い子振ってんじゃねえぞ。大体こんな訓練、暇潰しにしかなんねえよ。だからこうやって知らねえガキを玩具おもちゃにしてんだろ? それに鬼人なんて見たことなかったし、チャンスだろ? 沢山遊んどかなきゃな」


 男の子の言葉を聞き、私はとても悲しくなった。

 鬼人であるだけで私は傷を負わなければならなかったのか。そんな何の根拠にもならない理由で私は痛みを味わなければならなかったのか。


 そんなことを娯楽として楽しんでしまえる子どもが存在すること――そういう子どもが既に四人も居て、世界にはきっともっと居て、これからも同じような子が大人になっていくこと――それらが悲しくて仕方なかった。


「種族を理由にするな。お前らに殴られる為にその子は居る訳じゃない。お前らと同じ血が流れている生き物だろう」


 悲しみに潰されそうになり、また涙が出てきた私だったが、少年が発した言葉を聞き、溢れる涙に拍車がかかった。

 あくまでも、後から流れてきたそれは悲しみ故ではない。勿論、喜びでもない。


 突然に救われたような。

 手を差し伸べてもらえたような。

 絡まり縛りつける不安を優しく解いてもらえたような。


 言葉にできない切なさが涙腺を駆けて、溢れてくる。


「ああ? お前馬鹿か? あいつは鬼人。俺らは人間。同じ血な訳ないじゃん」

「同じだよ。体を廻って、魔を宿して、無くなれば死んでしまう。血統も血族も関係ない――血は全部繋がっているんだ。始めからずっと、繋がって岐れて今がある。だから」


 その瞬間、少年の顔面に拳が飛んだ。

 少年は後ろによろけて尻餅を着く。


「痛い、え、何で、喋ってる途中じゃん」

「ごちゃごちゃうるせえんだよ。何格好つけてんだお前。どうせ世界なんて強い奴が廻してんだよ。このガキみたいな奴は転がって生きていくしかできねえんだよ」


 子ども達は少年を罵りながら、彼の全身を足蹠そくしょで何度も蹴りつける。


「ちょっと待って、あふ、くそう、こんなはずじゃ」

「何ぶつぶつ言ってんだ、気持ち悪い」


 土塗れになっていく少年を、私はただ遠くから見ることしかできなかった。


 私には蹴られ続ける彼の元へ駆けていく勇気も力も備わっていなかった。

 足は震えて力が入らない。立ち上がることも逃げることもできない。


 涙ばかりが流れて、傷ついていく少年を目に焼きつける以外に、何もできなかった。


 それでも、少年は立ち上がり、自分よりも背の高い人間に立ち向かおうとする。

 すぐに倒されてしまうのに、それくらい分かるはずなのに、何度も立ち上がる。


 地面に咲く桔梗の花が散り乱れ、紫色の花弁が倒れる少年へと降り積もる。


 彼は私を逃がそうとしてくれていた。のろまな私が逃げられる時間を稼いでくれていた。


 それに気づいた私はほんの少し――足が動いた。

 私とて――それに甘えて一人で逃げられる程、肝の据わった馬鹿でもなかった。

 彼を見捨てる勇気も無ければ、彼を救う力も無い。

 私には、彼を幸せにすることなんてできないし、私自身を幸せにすることもできない。

 だから――私は選んでしまう。

 共倒れの道を――誰も助からない道を。


 私だって、戦いたかった。


「! 何だよこいつ、邪魔すんな」


 私はふらつく足で戦火の渦中へ飛び込み、一人の男の子の足にしがみつく。

 少年は私を見て、焦ったように叫ぶ。


「何してんの! 早く逃げて」

「嫌だ! もう、弱くなりたくない! もう……一人になりたくない……!」


 逃げてばかりじゃ、いずれ私は居場所を失くす。

 逃げた先に、必ずしも救いの手があるとは限らない。

 降伏ばかりして流されて、おもねり従うことだけが幸福だとは思えない。


 戦い抜いた先に、死を振り切った先に、立ちはだかる者を踏み越えた先に、望み臨んだ誰かが居るかもしれない。


「……馬鹿」


 少年は呟く。

 馬鹿で良い。

 馬鹿にされたことはいつまでも消えない。

 けれど、嗤われても笑い返せば、勝ち誇れるのは私の方だ。


 得ることは失うこと。失ってからは取り戻せない。けれど、奪われたのなら奪い返せる。


 ならば、それは――得ることに変わりない。


「――結局、子ども達が諦めて帰って行ってくれたから、事無きを得たんだけれど。とは言っても、私も少年も満身創痍で決して無事とは言えない。桔梗の花弁が降る墓地で、二人で起き上がれずに寝転んだ。それでも、私は自ら立ち向かって勝ち取った勝利を、誇らしく思えていた。『ざまあみろ』って、笑えていた」

「……それは、勝利なの?」


 苦笑交じりにフィンは言って、朝焼けの空を見上げる。

 そして、私は胸を張って歩き答える。


「勝利だよ。子ども達は諦めて、私達は戦い続けたんだもの。見紛うことなき――勝利だよ」


 フィンは微笑んで「そっか。そりゃそうだ」と、頷いた。

 彼の日に照らされた横顔が、やけに美しく見えた。少しだけ鼓動が高鳴る。


「その後はどうなったの?」

「うん、それから二人並んで、色んなことを話した。お礼だったりとか、どこから来たとか」


 痺れるような傷を我慢し、二人で花の海に並んで座った。


 話を聞くと、少年や先程の子ども達は王国の最北端の街――『ポルタ』にある育成学校の生徒であり、今回はその訓練の一環で近くまで来たのだと知った。

 昼休みの時間は自由で、遠くまで行かなければどこへ行っても良いらしい。

 そして、少年は散歩がてらたまたまここへ来ると、同級に虐められている私を発見し、今に至った。


 名前を聞いておけば良かったのだが、そんなこと思い浮かびもしなかったし、何せ普段から言葉を交わす機会がない。私の言葉は小さい上に掠れている。内容も起承転結のない支離滅裂な話ばかりだった。自分の話し声が嫌になる。


 それでも、少年は急かさずに聞いてくれていた。


 少年が「そろそろ戻らないと」と言い、私は少し寂しかった。遅れると教官に今の怪我の何倍も殴られると言うので、私も俯きながらも諦めた。


 別れる時、離れていく背中に声を投げた。

 訳の分からない――意味不明な言葉だったけれど、それが私が感謝している証拠なのだ。


「――あなたは……『血』だ」


 彼は振り返らなかった。

 聞こえていないのだろうけれど、それでも私は掠れた声で続ける。


「会えるから。また、会えるから。だから…………会いに来て」


 家に帰ると、おばさんとおじさんにものすごく心配をされた。

 おばさんの涙と、おじさんの言葉と、消毒液が傷に沁みて、痛みが膨れていく。


「――だからね、私が魔人に連れて行かれそうになった日に、フィンが来てくれた時、その出来事が脳裏を過ったの。来てくれたって、ちょっと思ったの」


 恥ずかしいと思いながらも――妄言だと分かっていながらも、私はどこかで期待しているのだろう。

 彼が「あの時の女の子だったんだね。全く神様もこんな悪戯をするなんて。ははっ」みたいなことを言って、実は運命の再会を果たしていた的なことを切望してしまった。

 けれど、そんなことは起きる訳もない。


「……ごめん。僕、そんな訓練受けた覚えないんだよね」

「…………」


 さいですか。

 …………恥ずかしい。

 赤面で顔を上げられない。


「そんな訓練あったんだ……風邪でも引いたのかな……」

「いや、ごめんね。私、何かすごい適当なことを言っちゃったから」


 私が勝手な幻想を抱くのはあくまで勝手だが、それでフィンを困らせてはいけない。

 夢見がちな少女も良いが、度が過ぎればただの現実逃避する片腹痛い女子だ。私はそんなレッテルを貼られたくない。


「いや、良いよ。そんな素敵な少年だったなら、僕も今より少しマシになっていただろうけれど――それでもナキがそんな素敵な少年と出会っていたという事実が喜ばしい。聞けて良かった。ありがとう」

「…………うん」


 すると、突然彼は長く続いた歩みを止めた。

 どうしたのだろうか。

 私が彼の横顔を覗くと、彼も私の顔を見る。

 自身の話をしていた時とはまるで異なる――温かみに溢れた笑顔だった。


「遠くまで来てしまったね。そろそろ帰ろうか。皆を心配させるかもしれない」

「うん、そうだね」


 フィンが話してくれた思い出の数に対し、私が一つというのは何とも申し訳ないが、こればかりは仕方がない。

 話せる機会はこれからも沢山あるだろう。その時にまた話せることを話せば良いのだ。


 彼は踵を返し、皆が待つ村へと再度歩き出す。

 大きくて、安心して追いかけられる背中。


「さあ、行こう」


 フィンは私の方へ振り返り、手を伸ばした。


 あの日、振り返らなかった背中は今どこに在るのだろう。


 けれど、それももう何でも良い。

 あの時の少年が今無事で居るのなら、幸せに生きているのなら――或いは幸せを目指して進んでいるのなら、それで良い。


 何故なら、私には振り返ってくれる背中が在り、追いかけられる背中が在り、並んで歩ける人が居る。


「うん、行こう」


 差し出された手に己が手を伸ばす。


 今だった過去があり、未来だった今がある。

 知れた過去――知れない過去――まだまだお互い離れているけれど、心は以前よりすっきりしている。


 少なくとも、フィンは私に振り返ってくれた。

 

次回にご期待下さい。


本作品は、不定期更新となります。次の物語をお待ちください。

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