『旋律』
まだまだ未熟なので、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。
※この作品は、少し残虐なシーンが含まれます。また少し刺激の強いシーンが含まれます。以上のことが苦手な方はご観覧をお控えください。
この作品は、私の溜め込んできた物語をひたすらに詰め込んでいます。
それでも楽しんで頂ければ幸いです。
「フィーンすうわあああああああああああああああああんんんうううううああああああああああ!」
帰ってきて早々、私は手厚い歓迎を受けた。
約二ヶ月、私は我が家たるネフリティスホリオを離れて、遠い異国の地ですったもんだの大戦乱を繰り広げていたのだ。
しかし、都合や事情は互いに存在するもので、村の皆は私達のことが余程心配だったらしい。
子どもも大人も関係なしに、村人全員が駆け寄って来てくれた。箱庭の見送りを想起させられる。
特にスキロスは途轍もない叫びを上げながら、帰還した私に泣きついてきた。
数日で帰ると言っておいた手前、無茶苦茶心配させてしまった。
その上、バリウスを去る頃に手紙を送ったのだが、それ以降は箱庭にいた為、手紙を送る手段がない。
手紙には数日で帰ると綴られているのに、全く帰ってこない挙句、それ以降連絡もなく音信不通が続いたのだ。心配されても仕方ない。
しかし、こうも心配されると私は私一人だけの存在ではないのだと、改めて実感する。
こんなことは前まであり得なかった。
倒れればそのまま。心配するのは自分だけ――否。自分が一番自分のことをぞんざいにしていたのかもしれない。
どこでくたばろうが、どこで野垂れ死のうが、私の勝手だと思っていた。
私は腰なら脚やらに抱きついて離れない皆を見て、優しく微笑んでみせた。
「ごめんなさい。少し帰りが遅くなりました。皆、ただいま」
嗚咽と共に「おかえりなさい」と言う皆を、私はこれ以上ないくらい愛らしく思う。
こつこつと、ブーツのヒールで地面を鳴らし、アルアさんが近づいてくる。
久し振りに見る彼女は相変わらず美しく、透き通った水色の髪の毛を揺らした。
「おかえりなさい。随分長旅だったのね。心配した」
「ご心配をおかけしてすみません。色々と首を突っ込みまくって」
「知ってます」
――え?
知っているとは、何をだろうか。
謎の不安を抱く私達に、これまた久し振りのパルダリス村長が杖を突いて歩いて来る。
「ご無沙汰しております。長旅お疲れ様でした。さらには、バリウスの事件解決、さすがでございます。我ら一同、誇りに思います」
――バリウスの事件解決。
何故それを皆が知っているのだ?
ネフリとバリウスとの間には星四半周程の距離があるが、どのようなルートで伝わったのだろうか。もしや、風の噂とは言うまい。
すると、パルダリスさんは手に持っていた紙の束を差し出した。
その紙束には、沢山の文字が書いてあり、大小は様々である。
――要するに、新聞だ。
「これは誰から? ネフリは新聞は取っていませんよね?」
新聞は、昔は育成学校で取っていたものを読めたので、当時は暇になるとぺらぺら捲っていた。なので、私には馴染み深い物で、受け取った新聞の手触りは懐かしい感覚だった。
「まあ、内容をご覧になってみて下さい」
そう促され、私は新聞を広げる。ナキやオール、アルステマに虚竜までも新聞を覗き込んだ。
流し読みで捲っていると、やがて気になる記事を見つけた。
――そこには、私とナキとオールと虚竜の名が載っていた。
「! これは一体、どういう……どういうこと?」
どういうも何もない。
その記事は、ピルゴスにて虚竜が暴走した事件――そして、それを私達やグロシアさんが退けたこと――その後、私達がバリウス首都にて国王と謁見、及び勲章授与のこと全てが記事となっていた。
いつの間にこんな記事が……。
バリウス首都で国王との謁見を終えて、すぐにピルゴスへ向かい、すぐに箱庭を目指したので、新聞など確認する暇などない。忙しい毎日なのだ。
きっと私達がバリウスを去った後、世に出回ったものだろう。
「先日、ポリティスさんが村に貿易でいらっしゃいまして、その際にその新聞を貰ってきてくれたそうですよ。フィンさん達の名が載っていると言って、見せて下さいました」
ああ、なるほど。
ポリティスさんなら仕事柄新聞も扱ったりするだろう。その際に私達の名を見たのか。
覚えていてくれたのも嬉しいが、その記事をわざわざ村に持ってきてくれたことももっと嬉しい。
「いやはや、驚きました。よもやこの村をお救い下さった皆様が、遠い異国の地で多くの人々に手を差し伸べていらしたとは……これ以上ない喜びでございます」
その言葉を受け、ナキは小さく照れて、オールはドヤ顔で胸を張る。アルステマは何のこっちゃと周りをきょろきょろ見渡し、虚竜は心苦しそうに聞いていた。
そして私はと言うと、言葉こそ嬉しくはあるものの、私達の名が無許可に記事として掲載されたことを好ましく思えていなかった。
私がこの旅を始めたのは、あくまでも私の能力をなるべく隠して生きていく為である。
色んな土地を転々として見て回り、色んな人と話して、慎ましく生きることが目的だった。
今でこそナキやオールと出会い、それどころかネフリで我が家をプレゼントされ、生きていく意味や格好つける必要も増えてしまったが、慎ましく生きるという目的は変わっていない。
賞賛されるのは良いが、有名になるのは避けたい。
この記事を見て、読者が「ふうん、そんなことがあったのかー。世の中には立派な人もいるもんだなー。あーあ、石油掘り当ててーなー」と、適当に流してくれれば幸いなのだが、そうさせないのがマスメディアである。都合の良い連中なのだ。
まあ、実際は私よりも止めを刺したナキの方が大きく取り上げられているようだった。そのナキが照れながらも、嬉しそうにしているので良しとしよう。
私は新聞紙をパルダリスさんへ返す。
すると、パルダリスさんは話を戻し、またも心配そうな面持ちになった。
「して……我々が把握しているのはそこまででして……その後は一体どこで何をしておられたのですか? その竜と言い、少女と言い」
そうして、皆は虚竜とアルステマに目を向けた。
虚竜は動じずにいたが、アルステマはビクついてオールの背中に隠れる。
「早く答えて下さい! 何をしていたんですか! どこで誰と!」
スキロスは顔を寄せて詰問してくる。
しかし、私はその問いに答えを渋る。
竜の箱庭の存在は竜や竜人が何億年と隠し通してきたものなのだ。
いくらこの村の皆を信用しているからと言って、迂闊に言えることでもない。知っているだけでもリスクを背負い兼ねないのだから。
目を泳がせて断固として口を閉じていると、スキロスは余計に詰め寄ってくる。
「何を黙っているのですか! 答えて下さい! 答えて下さい! 私はフィンさんに訊ねていますよ、さあ、答えて下さい!」
お前は私の彼女か。
束縛が激し過ぎだろう。
「いや、それがそう易々と答えられるものでもなくて……」
「人には言えないことですと?」
「まあ、そういうことになる」
「新しい下僕でも見つけたのですか?」
「何言ってんの?」
訳の分からない解釈をするな。お前だって僕じゃないだろう。
それでも懲りずに問い質してくるスキロスを若干鬱陶しく感じ、私は視線でオールへ助けを求めた。
助けておくれ。今私は困っています。
すると、オールは仕方ない奴を見る目を私に向けた。仕方ない奴で申し訳ない。
「別に私は構わんぞ」
――あれ? そんなあっさり許可するとは、どういう風の吹き回しだ?
「確かに、箱庭は秘密の地ではあるが、私がお前とナキに話したように、皆に話しても問題はない」
「……彼らもリスクを背負うことになるんじゃないのか? エピシミアは箱庭を見つけ出したんだ。また同じような輩が現れてもおかしくはない。その時に、もしも皆に被害が及ぶとなれば……」
そう私が言うと、オールは眉を寄せて微笑んだ。
「その時は――守るまでよ。命に代えても、命を賭けて、命を守る。私は守護者だぞ? 父を失った時のようなことは二度と起こさん」
「…………」
その通りだ。
至極真っ当な返事だ。
皆は守れば良い。私は弱いが、それを理由にしてはならない。
弱い者こそ弱い者の味方でなくてはならないのだから。
「それにな」と、オールは続ける。
「こいつらは阿呆だが、素直だ。言われたことは犬の如く守る」
言い方を考えてほしいところだが、オールなりに村の皆を信頼しているのだろう。
オールからの許可は出た。
果たして虚竜はどう思っているのか気になり、彼の方にも視線をやったが「竜の長の仰せのままに」と言い、肩を竦める。
その後、私は手紙を送れなかった理由、箱庭という存在、そこでの出来事、そこで出会った竜人の少女がアルステマであること、ついでに虚竜も紹介した。
アルステマが竜人であると言うと、皆驚きはするものの「ようこそ」とか「可愛い」とか、友好的だった。
アルステマも恥ずかしがりはするものの嫌な表情はせず、嬉しそうに迎え入れられていた。
一方で、虚竜の紹介をすると、やはりバリウスの事件の犯人である彼は大分恐がられた。
一応、敵ではないと述べはしたが、それでも皆恐怖は隠せないようで、硬い鱗で覆われた虚竜は少し傷ついているようだった。
「では、私はそろそろ箱庭へ戻る。また遊びに来てくれ。オールも今が幸せならば、手前の思うままに生きるが良い。だが、お前を待っている者も居る。たまには帰って来い」
「ああ、必ず」
虚竜は頷き、ゆっくりと飛び立った。
遥か空の上へ駆け上がり、すぐに雲の向こうへ隠れた。
彼にも沢山世話になった。
私は青空を見上げる顔を下ろし、大集合した村の皆へと視線を移した。
「じゃあ、解散」
私達は我が家へ歩き出した。
〇
解散指示を出すと、大人達はそれぞれ仕事に戻ったが、子ども達は何故か私についてきた。
「帰って良いんだよ?」と言うと「うん、ちょっとね」と言うばかり。何これ。
私は少し怖くなり、スキロスとアルクダを子どものお守り役として呼んだ。
アルクダは見ない内にまた大きくなったような気がする。以前から既に私の身長を超えている彼だったが、一体どこまで伸びるのか。
我が家へ行く前に、アルステマの住居を探さねばならない。
幸い、この村には予備で用意してある空き家がいくつかあるので、それにアルステマは住むことになる。
「フィン達と一緒じゃないの?」
彼女は少し不安そうにそう言った。
箱庭でずっと誰かと一緒に住んでいたアルステマにとって、一人で家に住むことは結構な孤独感を強いられるのだろう。
「うん、ごめんね。僕らの家は三人で丁度なんだ」
「じゃあ、私とオールが替われば解決なんじゃ」
「おい」
駄々を捏ねるアルステマはさらっととんでもない提案をしたが、オールはそれを許さなかった。
「いつでも遊びに来て良いから」
「…………分かった」
不安そうな表情をしながらも、涙目で頷く。
やがてアルステマの家が決まり、リュックサックと長いランスを家の中に置き、彼女はすぐに戻ってきた。
我が家に早速遊びに来るらしい。
アルステマは子ども達相手でもまだ緊張するらしく、話している時も上手く受け答えができていないようだった。
けれど、本人はそこまで気にしている風でもなく、言葉に詰まりながらも楽しそうにしているので、私は安心した。
しばらく森を歩き、やがて眼前にはぽっかり開いた土地に建つ大きな家が見えてきた。
やっと、帰って来たのだ。
「あそこが皆の家? すごい、大きいね!」
アルステマは我が家を見て、感嘆の声を零した。
私は誇らし気に改めて家を眺める。
しばらく放置してしまっていたが、埃被っていないかが心配だ。
「安心して下さい」
家の不安を呟いた私に、スキロスはそう言う。
「家は皆で毎日掃除していましたので、ピカピカですよ」
「ああ、そうだったの? ごめんね。折角皆にプレゼントしてもらったのに、ろくに管理もできていなくて」
こうなると、箱庭に倣って私はテントにでも暮らした方が適しているのではないのか。やはり良いものは私の手に余る。
「いえ、あの家も我々からの気持ちのようなものですから。持っていてもらえるだけで、十分なんです」
そう言ってもらえると、こちらも救われる。
単身赴任している父親というのは、こんな気持ちなのだろうか。
何にせよ、私達は家の中へ入る。
中は本当に丁寧に掃除してくれていたらしく、埃の一つも見当たらない。
リビングに入ると、少し家具が移動していて、階段への通路の幅が広くなっている気がするが、まあ気のせいか。
荷物を置き、ソファに凭れて一息吐く。
スキロスやアルクダ、ティグリにヴラディプスなど、村の子ども達が勢揃いしている。
その為、リビングは大変賑やかになり、ホームステイでも請け負っているか、もしくはホームパーティでも開いているかのようだった。
ある子はソファの上で跳ねまくり、ある子はナキの膝の上に座り、ある子はアルステマと一緒に家の中を走り回り、ある子は私の大きなベッドで安眠し、アルクダはキッチンでコーヒーを淹れてくれている。
木目の天井を見上げ、アルクダの淹れてくれたコーヒーを啜りながら呆けていると、スキロスが私の横に立ち、耳元で囁いた。
「ちょっと二階を見てもらえませんか?」
――二階?
確か二階は倉庫として使っているが、何かしたのだろうか。
倉庫とは言っても、大して買う物もないので何も置いていない状態だが。
ナキは編み物が好きなようだし、オールは特に趣味がない。
私も本を読むのは好きだが、書架を埋め尽くす程の資金や意欲がある訳でもない。
その上、私は凄まじい程の遅読しかできないので、一つの書籍を読むにも一ヶ月はかかる。書架が本で溜まるのも何年後になるか。
物欲や趣味が無いと、それはそれで寂しいものがある。
しかし、二階に何があるというのだ?
意図を汲み取れきれていないが、断る理由もない。何かがあるのなら、それを見るのは吝かではない。
私が立ち上がると皆も立ち上がり、私が歩くと皆が後ろを付いて来る。
結局皆で二階に行くことになり、スキロスは一歩一歩踏み締めるように階段を上がる。
二階は一階の半分の面積の部屋が一つ存在するだけで、ちょっとした荷物以外は本当に何も無い。
しかし、階段を上がり、そこに現れた二階の内装は私の予想とは反していた。
部屋の真ん中には渋い緑と赤で彩られたカーペットが敷かれ、そこには木製の長椅子が向き合って二つある。
それらの間に木製のセンターテーブルがあり、その真上にはシンプルだがとても鮮やかなステンドガラスのランプが垂れている。
奥には出窓があり、陽の光が燦々と差し込んでいる。
そして、その手前にスキロスが見せたいと言うものがあった。
陽光を浴びて、その艶々とした黒の表面を光らせる。
今は蓋を下されて姿が見えないが、そこを開けば白と黒の音階が美しく櫛比されていることだろう。
――それは、ピアノだった。
「…………」
「どうですか? 驚きました?」
驚いた。
驚いて声も出なかった。
いわゆる、アップライトピアノと呼ばれる代物で、グランドピアノよりも小さく、ハンマーの部分が他のタイプと異なる点が特徴だ。
私も構造まで詳しくは知らないが、まさか実物をこんな所で見ることになるとは。
しかし、何故こんなものがここに――
「実は、これもポリティスさんに頂いた物なんです。どうやら発注を受けていたのですが、急にキャンセルされてしまったようで。キャンセル料は貰っているので、損はしていないらしいのですが、取り寄せたお店へ返品もできないらしく、持て余していたようです」
それはまた面倒な話だ。
改めて私に商いは向いていないと実感する。
「そこで、ネフリにプレゼントとして持ってきて下さいました。新聞の記事と一緒に運んで来てくれたのです」
スキロスはそのように丁寧に説明してくれた。
まあ、事情は分かったが、そのピアノが何故我が家の二階に?
すると、今度はアルクダがそれについて述べてくれた。
「この村には楽器に触ったことのある者がほんの少ししかいませんし、ピアノともなれば弾き方すら誰も知りません故、皆さんならご存知かもしれないと、とりあえずここに置かせて頂きました」
なるほど。
確かに、この村では楽器なんて木や角を削って作った笛くらいしかないし、ピアノのような職人が作るような一点物は中々お目にかかれないだろう。
街の方へ出た時に、良い雰囲気の店にインテリアとして置かれているのを見るくらいか。
一階の家具の位置が少し変わっていたのは、二階にピアノを運んだ為だったのか。
やはり気のせいではなかったのだな。
にしても、他にもこれを差し上げるべき人達がいただろうに、その中で我々の村を選んでくれたポリティスさんには、本当に感謝の至りである。
「ポリティスさんもまた皆さんに会いたがっていたのですが、丁度皆さんが出てしまった後にいらしたので……とても残念そうでした」
そうか。それは何とも悪いことをした。
私もまた会いたいな。あの好青年の鑑のような方は、見ていて心清められるものがある。
「しかし、私はお前らと同じく、ピアノなど触ったことがないぞ。悪いが私には扱えん」
オールはピアノの蓋を指で撫でながら、憮然として言った。
すると、ナキも背後から「私も」と、小さく手を挙げる。
「私が住んでいた所は、楽器なんて高級な物は、売ってお金にしてしまった方がマシな村だったから……初めて見る」
「私も、見たことない……箱庭じゃ、こんなに綺麗なものなかった」
アルステマもナキの横でそう言い、ピアノに見惚れている。
先程アルクダが「誰も」と言ったので、アルアさんも例外なくピアノを弾けないのだろう。まあ、彼女は元々深海に暮らす人魚だ。歌が歌えるだけで十分だろう。
しかし、ここまで全滅とは、わざわざ持って来て下さったポリティスさんに申し訳ない。
「フィンは弾けるか? 周りを引かせるのは得意だがな」
「得意じゃねえ。大の苦手だわ」
「苦手は嘘じゃん」
オールとこんな小気味の良い会話をするのは久し振りで、何となく泣きそうになったが、そんなことをすればそれこそ引かれてしまうので我慢した。
「――で? 弾けるのか?」
オールは急かすように答えを求める。
全く子どもはせっかちだ。
「じゃあ、ちょっと見栄を張っちゃおうかな」
「無理すんなよ」
私はオールのようにピアノの蓋を撫で、滑らかな手触りを感じる。
蓋を開くと、白と黒の鍵盤が八十八きっちり並んでいた。
椅子に腰かけ、指先を鍵盤の上にそっと置き、目を少し細める。陽光が微かに視界を白く輝かせ、眩さに目を潰されそうになる。
優しく緩やかに――鍵を奏でた。
――記憶の底で沈んでいた楽譜が、音が響いたと同時に鮮やかに蘇る。
〇
滑らかな指先で鍵盤の上を踊り、流れるように音を奏でる。
ピアノを弾いている間、フィンはずっと瞼を閉じていた。
重たく響くピアノの音色は、まるで雪のように私達の心の奥底へと落ちていく。
積もった音がいくつもの層になり、それが旋律を成して耳に残る。
フィンのピアノを聴いている間は、皆ずっと彼の音に耳を傾けていた。
誰もが流れる音だけを聴こうと、目を閉じ、口を閉じ、息の音さえも我慢しそうな程聴き入っていた――魅入っていた。
聴いたことのない音が、新鮮な感情と一緒に私を包み込む。
吹雪の中のように静かで、寂しくて――けれど、その中でも小さいながらに懸命に揺らめく裸火のように、光を放っているようで――温かくて、優しい旋律だった。
ただただ部屋を漂う音だけに聴き惚れて、私の心をフィンが撫でるように触れる。
この時間を邪魔してはいけない。
この旋律を止めてはいけない。
ずっとここに居たい――そう思ってしまう。
――ああ、私はやっぱり好きなんだあ。
フィンの指が止まり、消え入るように余韻の音が去り、その後すぐに拍手が巻き起こった。
フィンは手を膝に着き、こちらを向いて一礼する。
「ご清聴ありがとうございました」
照れ臭そうに微笑み、彼はピアノを少し懐かしそうな目で見る。
微かに哀愁を孕んだ眼差しや、陽光を背中に浴びた彼の顔が霞む。
スキロス君は号泣して「ブラボー」と、連呼している。アルクダ君も涙目になり、大分感動しているらしい。
子ども達も皆笑顔で「すごいすごい」と言い、アルステマも感銘を受けている。
オールはフィンに歩み寄り、微笑交じりに声を放った。
「何だ。本当に弾けたのか」
「ん、まあね」
「いつピアノなんて覚えたんだ?」
「あー……いつだっけな。弾き始めたのは結構前だけれど、弾かなくなったのも結構前だから」
ブランクがありながら、それでもこんな上手に弾けるのか。
私はピアノは疎か、楽器のことは全く分からないけれど、フィンの奏でるピアノは本当に心揺さぶられるものがあった。
なのに――
皆はフィンを囲んで賞賛の声を贈っているけれど――それなのに、私は素直に彼の元へ近寄れなかった。
皆と同じ輪の中に入ることができなかった。
あの村で魔国に買われそうになっていた時、望んでいなかったシナリオから抱いて守ってくれたフィン。
まだ、私に沢山の言っていないこと――言えないこと――言いたくないことがあることは知っているし、私にも当然それがある。
だから、ピアノを弾けるなんてことを今まで黙っていたところで、どうということはない。
彼が言わなかったのなら、それは言わなくても良かったことなのだから。
ここで皆の前で明かしたことにも、特に意味はないのだと理解している。
なのに――
それなのに、そのことに納得がいっていない私が居る。
全く意味の分からないことで、全く意味のないことだと、ちゃんと自分で理解しているのに、それを納得できていない自分も居る。
説明のできない想いが、重たく私の気持ちを押し潰そうとする。
それくらい、話してほしかった。
ピアノが弾けることくらい、言ってほしかった。
それで「いつか弾いてみせて」なんて約束をして、楽しみにしてみたかった。
こんなの全部我儘なのだと分かっている。
フィンにとっては理不尽極まりない私の駄々なのだと分かっている。
それでも、この想いのやり場がなくて、吐き出したくて堪らない。
辛さが身を引き千切って、切なさが心を凍てつかせる。
その後、フィンが何曲か披露し、日が暮れる頃に皆帰路に着いた。
誰もが笑顔で、帰ることを惜しむくらい――それくらい皆はフィンが奏でたピアノの虜になってしまったのだ。
オールは「少し飲みに行く」と言い、村の小さな飲食店へ向かった。
この村にも一応飲食店が数軒存在する。
マーブリさんも宿屋を経営しつつ、一階では食事を提供するスペースを作っている。
私達は普段自炊をすることが大半だが、たまにそういったお店に行き、外食を楽しんだりもするのだ。
しかし、今日はオールだけが飲みに行くのであり、私とフィンは家で食事を摂った。
二人きりの時間は久し振りで、私は少し堅くなっていたかもしれない。
食後にまたコーヒーを淹れ、ソファに二人並んで飲む。
フィンは角砂糖一つ入れて飲むけれど、私は苦いものも辛いものも不得手なので、角砂糖二つとミルク一杯は必須である。
生き物皆、辛苦は嫌いなのだ。
コーヒーをちびちびと飲みながら、私はフィンの顔を見る。
カップを見つめて、コーヒーを飲んでいるのに少し眠たそうだ。今日一日疲れたのだろう。
ピアノか……フィンはすごいな、本当。
戦いも強くて、料理も美味しくて、家事も大体できて、優しくて、正義感があって、頼り甲斐があって、それでいてピアノも弾けてしまう。
何でもできるのだな。
私は――要るのかな。
私は――居て良いのかな。
「…………フィンはいつからピアノを弾き始めたの?」
私は手に持つコーヒーカップだけを見つめて、彼に訊ねる。
フィンは私の方を見ているようで、その表情がどんななのかは分からない。
「そうだなあ。いつだったか、本当にかなり前のことだから」
「思い出せるなら、教えて……ほしい」
濁らせるようにそう言う彼に、私は答えを求める。
きっといつもなら、私も言及したりしないと思う。
けれど、今日の私はやっぱり変だ。
答えを欲しがっている。
彼のことを知りたがっている。
「……まあ、前とは言っても、そんな長くは生きていないから。んー、あれは多分僕が十二の時だったかな」
「……五年前?」
「そう、五年前。確か冬だった。とても寒い――建物の中でも吐息が白くなるくらい寒い冬。その時、僕は育成学校に行っていて、毎日の訓練に飽き飽きしていた。そして何より――誰かの視界に入っていることに、気持ち悪さを覚えた」
静かに、淡々と語るフィンの声には、心のようなものが見当たらなかった。
恐らく、自分で押さえつけているのだと思う。思い出したくない時代だから――
「どこか一人になれる場所はないかと、校内をずっと歩き回っていた時――音楽室に辿り着いた。昔は授業で音楽なんてのもあったんだけれど、訓練には必要ないって結局使われなくなったんだ。生徒も楽器になんて大して興味は抱かないし、校舎の端っこだったから、私が時間を潰すのには条件の揃った良い部屋だったんだ」
そうか。それでフィンはピアノと出会ったんだ。
隠れる為に見つけたその教室で――
「兵士の育成学校とは言え、そこもちゃんとした音楽室だったから、ちゃんとしたグランドピアノも置いてあった。他にも楽器はあったんだけれど、大きくて目に留まったのがそれだったから、暇潰しに弾いてみた。楽譜も埃に塗れて置いてあったから、それを見ながら」
「楽譜は読めたの?」
どうでも良いことだと思いつつ、気になって私は訊いた。この際だ、全部訊こう。
すると、彼は首を横に振り、恥ずかしそうに微笑む。
「それまで音楽に触れることなんてなかったから、楽譜の読み方も鍵盤の位置も解らなかった。それでも、何となくで音を鳴らして、適当だけれどペダルも踏んで、何度も何度も繰り返して。教えてくれる人なんて居ないから、一人で下手糞に弾き続けて。そうしている内に、それなりにメロディーになっているんだ。知らない曲ができ上がっているんだ」
「そうやって、しばらくピアノを弾き続けた」と、フィンはこちらを再度見る。私は横目で彼を見て、向けられた笑顔に目を背けた。
素直に彼の顔を見れない。
答えを貰えたのに、まだ心の靄が晴れない。
すごく、気持ちが悪い。
「そうだ。ナキも弾きたかったら、僕が教えるよ。とは言っても、独学だからあまり上手には教えられないけれど」
私は彼の声を聞き流してしまっていた。
自分の想いに囚われ、駆られ、歯止めが利かなくなっていた。
「………………ほしい」
「え?」
「……教えてほしい」
「ああ、うん。じゃあ、教える。喜んで教える」
「違う!」
「え! 何? びっくりした。え?」
違う。そうじゃない。全然そんなじゃないのに。
私はもっと教えてほしかった。
もっと早く教えてほしかった。
「……それくらい、いつもの会話の中で、話してほしかった。話さなくても良いって思っているかもしれないけれど――あなたは私があなたに対してそんなに興味ないって思っているかもしれないけれど――そんなことない。私はあなたのことを、あなたが思っているよりも知りたがっている。フィンは優しくて、私をいつも助けてくれるから、せめてあなたに辛い想いはさせたくない。だから、何を訊いて良くて、何を訊かれると困るのか分からない。その境すら訊いて良いのかも分からない。あなた自身何も話してくれないから、分からない。あなたの過去も――あなたの想いも」
私は言っている内に、とても悲しくなってきた。
本当に勝手なことで、フィンにとっては全く知る由もない私の想いで、申し訳ない。
けれど、そうは分かっていても止められない。
私が彼を想っているからこそ溢れてしまう欲心――私が彼を知りたいと思う好奇心――私が彼にとって特別でありたいという嫉妬心――些細なことさえも教えてもらえなかったという煢然たる傷心。
全て、どうしようもなく度し難い――けれど、どうしようもなく止めどない想い。
我儘で、利己的で、理不尽で、稚拙な想い。
「話してほしい。教えてほしい。全部とは言わない――言えない。それでも、教えられるのなら、教えてよ。私は――そんなにも信用できないかな」
今のは、少し意地の悪い言い方だと、自分でも思う。
けれど、それくらい言わなければ、伝わらないような気がした。私の本当の想いも、私の本気の重さも。
悲しみのあまり、俯いて膝に雫が落ち続ける。
顔を上げられない私は気持ちの重さが増していき、鉄塊にでもなって柔らかいソファに沈んでいくような感覚がした。
フィンはずっと黙っている。
普段は口数も多くなく、主張の弱い私が突然こんな風に捲し立てたので、驚いたのだろう。
顔は例によって上げられないので彼の表情は分かり兼ねたけれど、きっと目を丸くしてこちらを凝視していることだろう。
大体、彼はいつも私を置き去りにした。
色んな人が色んな苦労を抱えて、苦しんでいるところに彼は飛び込む。
そりゃ、泣いている人を放っておける人じゃないし、そんな酷な人であってほしくもないけれど、少しは私も見てほしかった。
箱庭の時も、何だかんだで私はあまり話せなかったし、彼の昔のことを訊いても「また今度」と、繰り返すばかり。戦闘が始まったらすぐに敵を一人で追いかけて行ってしまう。
大変な時だったし、きっと彼が追いかけなければ、箱庭の戦いには負けていたかもしれない。
けれど、私だって構ってほしい時はある。
少しは甘えたい時もある。
場所と状況は考えるし、困らせるようなことはしない。だから、大抵のことは我慢して流してきた。
でも、今は違う。
音楽の経験の有無くらい、愛しい思い出話として話してほしかった。
些細なことくらい、話してほしかった。
そんな私の我儘でも、彼を困らせてしまうのだろうか。
オールが辛そうなら、彼女の元へ行ってほしい――私は構ってもらえなくても良い。
皆の平和を脅かす敵を討つ為なら、真っ先に追いかけてほしい――私は一人になっても良い。
けれど、思い出話の一つや二つ、私に話してくれても良いと思う。勝手ながら、思う。
それくらい、私達は一緒に居たと思う。
何だか自分でも纏まらなくなって、よく分からなくなってしまった。
ただ、これだけは確実で、これこそが核心だ。
――私はもっとあなたを知りたい。
〇
私の顔を見ず、俯いたままのナキが今まで聞いたことのない嘆きを上げて、驚くよりも先に哀憐の念が立った。
分かっていたはずなのに、何故今まで私は彼女をこんな風になるまで放っておけていたのか――私は彼女に甘えていたのだ。
ナキは口数も多い方ではないし、私と居る時もそれぞれの時間を過ごしている。
私とオールが意見を言い合う時も、ナキは一歩下がってそれを見ているだけだった。
いつも何も言わずに私の言葉を信じてくれる。
いつも何ともないような風で我慢してくれる。
いつも泣きそうな笑顔で私の横に居てくれる。
それらに私は甘えていたのだ。
彼女が何も言わないから、心のどこかでぞんざいに接していた。
今までナキがどれ程の我慢をしてきたのか――それを私は見ていなかった。
何故広く見れないのだろうか。
何故皆を見れないのだろうか。
君を守ると誓ったのに――一体私は何をして――
彼女はまだ俯いている。
垂れた黒髪の隙間から、落ちる涙が絶え間なく見える。
そうか。私は彼女をこんなにも苦しめていたのか。
話す話すと言いながら、大事なことは一つも話せていなかった。どころか、些細なことさえ話せていなかったのだ。
信じてくれていた彼女を、私は信じられていなかったのかもしれない。
「…………ごめん」
震える彼女の肩に手を回し、私の胸へと抱き寄せる。
ナキの涙は止まらない。
それでも、私はこれくらいしかできない。
彼女が泣き止むまで抱擁し、彼女が泣き止んだら話す。
話すべきこと。
話せること。
話したいこと。
全部――今度こそ話す。
「ごめん。ごめん。全部、ごめん」
謝る言葉しか思い浮かばない。
他に何と言えただろう。
彼女の涙で私の胸は温くなっていく。
「うああ、ああああ……」
私はこれ以上ない愚か者だ。
彼女の嗚咽は私の心を針の如く刺し、その痛みを感じながら、同時に彼女の痛みも感じていた。
これから私は何ができるのだろうか。
何をすれば、彼女を守れることになるのだろうか。
外は微かに雨音が響き、無機質な旋律が私達を包み込む。
家の中でも小さな雨が降り続け、嘆きの歌声が私の鼓膜を震わせる。
譜のない旋律が――いつまでも頭から離れなかった。
次回にご期待ください。
本作品は、不定期更新となります。次の物語をお待ちください。




