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Light in the rain   作者: 因美美果
第四・五章
32/77

『夢路』

まだまだ未熟なので、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。


※この作品は、少し残虐なシーンが含まれます。また、少し刺激の強いシーンが含まれます。以上のことが苦手な方はご観覧をお控えください。


この作品は、私の溜め込んできた物語をひたすらに詰め込んでいます。

それでも楽しんで頂ければ幸いです。

 私は夢を見た。正確に言えば、昔の思い出である。


 それは私の歳が十二の時のものである。


 私はその日、魔国から来訪した魔王の講演がポルタで行われる為、細やかながら胸を踊らせて参加した。


 魔国――マギア・ヴィヴリオ。

 約一万五千年前に創り上げられた魔人国家であり、世界最高峰の魔法国家である。

 魔法の研究、実用化を進めた魔人達が国を立ち上げ、その歴史は折れることなく現代まで続いてきた。


 常に新しい魔法を生み、世界を驚愕させてきた一方で、魔国は他国との交流を避けていた。

 魔法は機械と違って大量生産ができない代わりに、個人であっても人によっては凄惨な威力を発揮できる。その使い道は未知数であり、同時にリスクも大きかった。故に、他国への情報提供を最大限避け、魔国はほぼ自国のみで経済を回し、国を支え、今の今まで歴史を築いてきた。

 結果、魔国は現在は世界の軍事力で言っても、トップレベルに入る。魔法軍事力だけで言えば、かの王国をも踏みつけることだろう。


 しかし、二百七十代目魔王の頃から、新たな改革が進められた。

 他国との交流を劇的に増やし、国際化へ踏み出し始めたのだ。他国との連携を強めて自国の強化、また世界の魔法水準の向上を目指した。


 だが、二百七十代目魔王の急死により、魔国は一時危機に追われる。

 早くに亡くなられた二百七十代目魔王には、親族が王妃と娘しかいなかった。娘はまだ二十歳も過ぎていない故、王位継承は王妃へ受け継がれるかに思えた。


 しかし、王妃は非常に心が脆かった――アンドレイアなど、比にならぬ程。

 愛する夫を何の前触れもなく失った王妃は、自室に閉じ籠り、毎日泣き続けた。国民は不安に駆られ、政治も意味を成さなくなった。

 国内情勢は徐々に傾き、一万五千年の歴史が遂に崩れ去るかに見えたその時――彼女が前に出た。


 自ら王位に就き、国を立て直したのは、当時十八歳という、最年少で魔王の地位に就いた二百七十代目魔王の一人娘にして、魔人の誇り。

 二百七十一代目魔王――テラス・ヴィヴリオである。

 何を隠そう、私は彼女の大ファンである。


 彼女は王位に就くとその才覚を存分に発揮し、経済を立て直すどころか以前の倍の収益をもたらした。

 外交をさらに増やし、他国の文化を取り入れ、自国の成果を共有した。災害に見舞われた国や地域には、惜しみなく援助を行い、瞬く間に信頼を上げていった。

 けれど、決して戦争などには加担せず、むしろいくつもの無関係の戦争に首を突っ込み、和解へと導いた。

 当然だが、魔国自身は戦争などする訳がない。正直言って魔国という国は強い。挑むような愚かな国もない。


 多くの者に救いの手を差し伸べた彼女は、やがて『世界一敬服される者』と呼ばれた。彼女はどんな者とでも心を交わし、どんな者にでも笑顔で接した。


 そして、私の通う育成学校にて行われる講演は、そのテラス・ヴィヴリオによるものだった。

 訓練が休みの日、その日の午前から昼休憩を挟み、三時頃まで行われた。参加は自由だが、興味本位で見に来る有象無象や、私のような純然たる魔王ファンという奇特な者達によって、グラウンドに並べられたベンチは埋め尽くされた。


 講演の内容は基本的に道徳的なものであった。

 平和の在り方や、他人との上手くやっていく方法、危機に陥った時の脱け出し方など、非常にためになる話ばかりだった。


 美しいその容姿と清廉な心を兼ね備えた彼女の一言一句に、死力を尽くして耳を傾け、大量のメモを取っていると、隣に座っていた複数の男女の集団に鼻で嗤われた。

 私は決して恥じまいとメモを取り続けた。どうせ席を無駄に埋めているような、有名人に会いたいだけのミーハー野郎共である。私が嗤われる筋合いなどどこにもない。


 そして、終盤に差しかかると、質疑応答の時間へと突入する。


 私もどうか質問させて頂きたいと思い、必死で手を挙げ続けた。

 しかし、中央の辺りに座っていた私はどうしても周りの人間の手に溶け込んでしまう。質問者を選ぶのは魔王ではなく司会者であるが、何にしても指す側からすれば、綺麗に挙げられた私の手はあくまでワンオブゼムに過ぎない。


 このままでは駄目だと思い、一思いに立ち上がって挙手したが、それはそれで怒られた。恥ずかしい。

 怒られた私を隣の輩共が飽きもせず嗤う。決して恥じまい!


 結局私は当てられることなく、手を挙げるだけで終わってしまった。

 この時程、自らの不運を呪ったことはない。


 そもそも私が魔王のファンになったのは、よわい九つの時である。


 育成学校に入り、想像を絶した訓練に心挫けそうになっていた頃、彼女が崩れかけていた魔国の為、自ら王位に就いたという話を聞き、私は感激した。

 不安や心配を抱えながらも、彼女は国の為に王位に就いた。頑張る意味や我が身を犠牲にする意義を見失っていた私には、赤く滲んだ傷口を消毒するように沁み渡った。


 それだけに、私が当てられずに、好きな食べ物とか既に公表されている情報を今更訊く者へ質問権が渡るのが悔しかった。


 私は講演後、そのまま寮へは戻らず、ポルタの街へと出た。

 折角の休みなのだし、雑貨屋でも見て散歩をしようとした。決して今日の数々のはずかしめを紛らわそうとした訳ではない。


 問題はそこで起こった。


 私が雑貨屋で色取り取りの鳥の置物を特に買うでもなく、見ていた時である。


 商品棚の前でしゃがんでいると、誰かが隣に私と同じように座った。

 先程の輩共がまだ私を付き纏っているのかと思ったが、それは違った。


 果たして、首を横に向けた私が見たものとは――側頭部から天へと突き出た立派な角、凛とした鼻筋、清流の如く流れる黒髪、潤みを含んだ艶やな唇、大きく優しげでその中に鋭さを纏った瞳、陶器のように透き通った白い肌、唯一赤みが差した頬、その左頬に浮かぶ謎の黒い模様――


 彼女こそ、私が憧れる存在――二百七十一代目魔王――テラス・ヴィヴリオ。


「――!」

「あっ、ごめん、しっ!」


 驚きのあまり、店内で大声を出しそうになった私の口を魔王の細く柔らかい手が押さえた。ああ、至福かよ。


 すると「ごめんね」と、彼女は笑って謝り、私の口から手を離した。


「いやあ、実は今ね、護衛の人達を撒いて、一人で勝手に来ちゃったから」


「えへへ」と、少女のように微笑んで顔を近づける。


 どうやら彼女は講演終了後、街を見てみたかったのだが、護衛がいるとどうも動きにくいので、いっそのこと撒いてしまえば良いのではないのかと思い至ったらしい。


 実に行動力に溢れた王に値する人物である。しかし、だから護衛を撒いてしまうとは、意外にも茶目っ気のある可愛らしい人なのだな。得をした気分だ。


 にしても、何というか本当に綺麗な人だ。

 ノースリーブの軍服で白い腕が晒されている。すらりと長い脚は軍服の足回りがチャイナドレスのようになっている為、ありがたい程拝める。そして、何より胸が大きい。軍服はベルトで締めているのだが、とても息苦しそうだ。


「今きっと護衛の人達が私のことを捜していると思うんだけれど、少年は秘密にしてくれる?」


 唇に人差し指を当てて小さくウインクする彼女に、私は何度も何度も頷いた。


「ありがとう。その服を見るに、少年は育成学校の子だね」


 如何にも。

 その時、私は育成学校から支給される何とも言い難いセンスの道着を着ていた為、魔王はすぐに分かったのだろう。


「あ、ということは少年は私の講演聞きに来てくれたかな?」

「あっ……はい、見に行きました」


 驚きは未だに私の喉に絡み続け、緊張で声は掠れてしまった。


「そっかあ、それは嬉しいなあ。あ! もしかして少年、立ち上がって手を挙げてくれた子?」

「…………!」


 知られてた。

 恥ずかしい。憧れの人の前で怒られた挙句、憧れの人がそれを覚えていたとは。

 私は声も出ず、ただただ赤面した。泣かなかっただけマシだと思う。

 しかし、彼女は朗らかに笑った。私も笑う他なかった。


「そっかあ。やっぱりそっかあ。残念だなあ、私は君に質問してもらいたかったんだけれど」


 何と。それは、何というか、彼女の茶目っ気よりも意外であった。

 普通は立ち上がってまで質問したがるやばい奴とはあまり関わりたくないと思うのだけれど。その辺の心意気も素晴らしい人だ。


「少年はあの時私に何て質問しようとしたの?」

「えっ、あっ、えっ…………え?」

「あはは、ごめんね、困っちゃうよね。でも知りたいなあ。ゆっくりでも良いから教えてくれないかな?」


 戸惑いまくって、全く話の進まない私を相手に、優しい笑みと眼差しで、私の言葉を待ってくれている。

 こんなに近くで私のことを見てくれる人と会うのはいつ振りだろうか。


「あ、っと、その…………魔王の地位に若くして就かれて……その、気持ち、とかって……どんな感じなのかなって思いました……ましたので、どうですか……?」

「ふふふ、良い質問だねえ」


 とろとろした私のもどかしい質問にも、決して急かさず促さず、頷いて聞いていてくれた魔王は自然な笑顔を一貫した。


「そうだねえ。気持ちかあ。難しいなあ。んー……」


 しまった。私としたことが、答えにくいことを訊いてしまっただろうか。

 こんな抽象的でつまんねえありふれた質問、答えを考えるだけでも面倒臭いのに、それを質問したのが糞怠い糞餓鬼であるという糞事実がまた糞面倒臭い。むしろ糞そのもので糞臭い。

 それでも、嫌な顔一つせず、私の為に答えを探してくれている。


「……まあ、不安は不安だったかあ。でも、私には守るべき国民が居て、ここで王政が崩れたら、沢山の人が路頭に迷ってしまう。崩れた王政の後には、何かしらの勢力がやがて国を締めてくれるだろうけれど、それが成される間にも多くの人が犠牲になるかもしれない」


 彼女は棚に置いてある商品を細長い指先で撫でた。


「私はあくまでも助けたかっただけなんだ。そりゃあ王様なんて、あまりやりたくないけれど……やっぱり、誰も幸せになれないのは、嫌だからさ」


 言い終えた彼女はまた莞爾かんじと笑い、私はその笑顔に見惚れると同時に、本当に強い人なのだと改めて実感した。

 私の前などで格好つける意味もないし、私の前でなくともそう言うのだろう――本心から彼女はそれを思っているのだろう。


「ふふ、何か恥ずかしくなってきちゃった。でも、楽しいなあ。もう少し――!」


 すると、突然魔王は私の陰に隠れるように縮こまった。


 ――え? 何?


「しっ、ちょっと隠れさせて。外に見えないように」


 私の右側に魔王がいて、左側が出入口――大通りに面している。

 つまり、魔王は大通りにいる何かから隠れたかったのだ。


 私は店の外をちらりと見た。

 すると、そこには獣のような角を生やした魔人の大男二人が、周りをきょろきょろと見渡していた。彼らは頭を掻いて、焦った表情を浮かべている。魔王と同じような軍服を着ているが、さすがに袖はついている。


「ごめんね、彼らなの――私の護衛」


 なるほど、危なかった。

 いや、本当なら一国の王がいなくなり、私は当の王と一緒にいるので、すぐにでも引き渡した方が良いのだけれど、私ももう少し彼女といたかった。


 やがて魔人達は大通りの向こうへ進んでいき、姿は見えなくなった。


「ふう、良かった。にしても、これじゃ安心して話もできない。少年、何か頭を隠せる物はないかな」

「頭……?」

「うん、角があるとどうしてもバレちゃうからさ、何かで隠せないかな」


 ん、そうだな。幸いここは大概が揃う雑貨屋である。探せば何かあるかもしれない。


 何を差し置いても、まず提案すべきは帽子である。

 大きなつば付き帽子、塔のように長いシルクハット、ふわふわのベレー帽やニット帽など、小さな雑貨屋とは思えない程の品揃えであったが、どれも隠したい角が引っかかり、上手く被ることができなかった。

「難しいねえ」と、笑う魔王は女神か何かに間違いなかったが、問題は一向に解決しないままである。


 どうしたものかと悩んでいると、私はあるものが目についた。

 私は手にそれを取って、魔王の元へ見せに行く。


「わあ、可愛いね」


 それは大きなフードがついた、二の腕辺りまで覆うことができるローブである。

 桜色に染められて、黒い軍服には落差がすごいが、角も一緒に隠せるのはこの店ではこれくらいしかない。

 気に入ってくれるか心配だったが、魔王は相変わらずの笑顔で「ありがとう。お手柄だよ、少年」と、私の頭をふわりと撫でた。


「じゃあこれを買うわ。本当にありがとう」


 そう言って彼女はカウンターへと行くが、そこでも問題が発生した。


「どうしよ……お財布、客室に置いてきちゃった……」

「…………」


 えー……。

 ここで凡ミス。


 どうしようか。ここで払えないとなると、すぐに護衛に見つかってしまい、魔王とはここでお別れということになるだろう。

 それは、少し――寂しいなあ。


 私もどうせ金を使う機会などないし、持て余して腐らすだけならば、ここで誰かの為に使った方が有意義というものだろう。


 私はカウンターへ行き「えっ、あっ、えと、どうしよ、ごめんなさい、すみません、ああもう」と、慌てる魔王へ近づいた。


 店員も魔王に無理に代金を支払わせるようなことはせず、差し上げるとも言っているが、魔王はそれを自らに許すことはないらしい。断固として代金は支払いたいようだ。持ってないのにどうやってこの場を切り抜ける気なのか。


 私は魔王の横に立ち、蝦蟇がま口財布の中から硬貨を取り出した。

 チャリンと、カウンターの上で硬貨が音を鳴らす。

 二人とも「え?」というような顔で私を見た。

 いや、それ代金ですよ。私が払うんですよ。

 折角無言で代金を支払う大人の男性みたいなことをしようと思ったのに、あまり響かなかった。


「少年、良いんだよ。私が欲しいんだ。私が買うさ」

「いえ……僕に払わせて、下さい。僕が選んだので……その……プレゼント……」

「いやいやいやいや、ですから、大丈夫ですよ、お二人とも。今回はお代は結構ですので、そんなものでよろしければいくらでも」

「いえ、そういう訳にはいきません。一国の王として、ローブ一つの代金もろくに払えぬようでは、私は全ての国の民に顔が合わせられません。少年もほら、大丈夫だから。君は君の為にお小遣いを使えば良いんだ」

「良いんです。どの道使うことなんてないから……どうせなら、ここで魔王様の為に使って、プレゼントしたいです……だから、そのフードは僕が買うようなもので、あそうだ、そのローブ僕が買います」

「いやだから、君もお代は良いから。お菓子とか買いなさいな。魔王様ももう本当に大丈夫ですので、ご自身の財産はどうかもっと豪勢なものに費やして下さい。と言うか、今お金を持っていないのなら、差し上げる他ないので……」

「いえ、ここで店員でも何でもやって、お給料を得て、そのお金でこれを買いますので。あそうだ、ここで私働きます」

「駄目です! そんなことしたら、魔王様のエプロン姿を見て、客が殺到して、あなたのファンが増えてしまいます。それは私が堪えられません。私も訓練サボって毎日ここに来てしまいます」

「いや、それアリですよ。そうしたら、大きなブランドになって、世界進出も夢ではない……! あそうだ、魔王様を雇います」


 私が払うだの僕が買うだの、私と魔王と店員の三つ巴になり、最終的に皆訳の分からない方向へと発展した。何だこの茶番は。


 決着には三十分以上かかり、その間ずっと店内の一角で騒々しく声が響いた。

 この騒ぎ声で魔王の護衛に見つかってもおかしくはなかったが、運良くここには来なかったようで、私達は謎の張り合いを存分に続けられた。


 このままでは埒が明かないと思い、私は強行手段に出た。

 硬貨をカウンターの上に置いたままにして、魔王の手を引っ張って店の外へ飛び出した。


「えっ、ちょっと、何? 少年?」


 私も頑張って日々体を鍛え続けている。

 腕力もそれなりにある故、魔王一人を引っ張るのは容易いことだった。

 魔王も最初は戻ろうと軽く抵抗していたが、すぐに「もう、しょうがないなあ」と呆れたように笑って、私の後ろを歩いた。


「少年は案外積極的だね」

「…………違います」


 大通りを歩きながら、彼女は手に持ったローブを深く被った。

 私は何となく掴んだ手をずっと離さずにいた。


「もう、私がちゃんと払うはずだったのに。少年もやっぱり欲しいものあるんじゃないの?」

「いえ、本当に大丈夫です」

「でも、あの代金だと、お釣り出たんじゃない?」

「いえ、本当に大丈夫です」


 私は周りを見回したが、魔王の護衛は見当たらないので一安心した。

 やがて噴水広場に出て、どこへ行こうかと思案した私に魔王は「少年、ベンチに座らない?」と、提案した。

 私は静かに頷く。


 噴水広場の植木の手前に設置された長い木製ベンチに二人並んで座り、家へ帰って行く子ども達を眺めた。


 私は魔王と少し隙間を置いて座った。いくら多少言の葉を交わしたからと言って、やはり彼女は王様なのだ。無意識に神聖視してしまうし、元より近寄り難い雰囲気を纏っている。

 しかし、魔王は私が設けた距離を、軽々と破壊するように詰めてきた。


「もっとくっついても良いんだよ。ほら」


 脚がぴたりと接して、肩もお互いに触れ合う。私の腕に彼女の胸が当たって、内心死にそうだったし、顔も緊張と恥ずかしさで紅潮していただろう。ああ、柔らかい。


「温かいねえ。人肌というのはいつでも温かい」

「…………はい」


 すると、魔王は顔を思い切り近づけた。鼻先が触れ合ってしまうのではないかという程の近さで、私は頭がショートしそうになった。


「そう言えば、少年の名は何と言うのかな。ずっと『少年』と呼んでいたけれど、あまり敬意を払えていないから、本当の名で呼びたいな」

「……あ……あ、アイオーニオン」

「アイオーニオン。アイオーニオンか。それは自分の名? それともご両親から受け継いだ名?」

「あ……と、後者です」

「そっかあ、じゃあ自分の名は何て言うの?」

「……フィン……フィン。フィン・アーク・アイオーニオン、です」

「ほお、フィンアークアイオーニオンが少年の名なのね? フィンアークアイオーニオン・何とか・アイオーニオンと言うのね?」

「えっ、いや、あの、違くて……」


 意外と意地の悪い人だと思いながら、上手いこと質問に答えられない自分に嫌気が差した。

 泣きそうでもあった。憧れの人の前でこうも何度も失態をするなんて。


「ああ、ごめん、ちょっと意地悪言っちゃったね。大丈夫、ちゃんと分かってるから。そっかあ、フィン・アーク・アイオーニオンが少年の名かあ。良い名だね」


 日は既に沈みかけていて、ポルタの大通りは朱色の空に照らされて、橙色に輝いている。

 彼女の黒髪も夕日を反射して、鮮やかに流れる。


「じゃあ『フィン君』って呼んでも良い?」


 急な要求に驚いたが、断る理由もない。むしろ光栄なくらいだ。嬉しいなんてもんじゃない。それ以上の言葉が思いつかないけれど。

 私は泣きそうな目で頷いて、目元を擦る。


「フィン君は育成学校、楽しい?」


 嬉しい気持ちのところへそんなヘビーな質問が飛んできて、私は心がズキズキと痛んだ。

「いえ……」と、首を横に振る私を見て、魔王は苦笑する。


「あー……そっかあ……まあ、訓練は楽しいものでもないよね。でも友達とかといるのは、楽しいでしょう?」


 私は首を横に振る。本当、すみません。


「…………まあ、人付き合いって難しいものね。私も毎日苦戦しているよ――いや、本当」


 気を遣わせてしまった。

 幾度も戦争を止めてきた魔王のコミュ力で苦戦するとは、一体人付き合いの難易度や如何に。


 私はまた泣きそうになり俯いた。

 彼女は両肩に手を回し、ぽんぽんと優しく叩く。

 情けない限りである。こんな風に心配されてしまうとは。


「答えたくなかったら、良いんだけれど、何故フィン君は友達を作らないの?」

「…………」

「あっ、ごめんなさい! 友達を作らない訳じゃないよね。作れたら苦労しないものね」


 申し訳ない。

 けれど、私自身もうそんなに気にしている訳でもない。


 慣れてしまったものは仕方ない。魔王の質問も内容自体には然程傷付かなかった。ただ、憧憬の対象である魔王に気を遣わせたことに落ち込んでいた。

 私はこのままでは魔王に気を遣わせ続けた挙句、魔王にとっての私の印象がぼっちの陰気キャラの扱いづらい童貞になってしまう。


 どうにか弁解しなければ――印象も挽回しなければ。


「あの、違くて……別に友達ができないのは仕方がないことなんです。生まれた時から、よく分からないけれど不運で……それを周りからその……気持ち悪がられて、自分も悪口はあんまり言われたくないから、人を避けるようになっちゃって……だから、育成学校は楽しくないけれど、別に良いんです。実力さえ伴ってくれば、皆認めてくれるだろうから」

「…………」


 魔王はその時だけは笑わなかった。

 私は少し不穏に思い、彼女の顔を怪訝な視線で眺めた。


「そう……そうなのね……それは、少し違うよ。フィン君、君は自分から進んで誰かに接してきた?」

「……最初は」

「最初って?」


 若干食い気味で言葉を叩き返した魔王に、私は気圧されてしまった。


「……子どもの頃、遊ぼうって、近所の子ども達に言った時、です」

「……それだけ?」

「……それだけ」

「……そう」


 重々しい雰囲気を醸し出し、フードの中から私を見つめる。


「それだけなら、君はまだ頑張れると思う。フィン君は初めの一歩しか踏み出していない。片足前に出ても、もう片足は動いちゃいないんだ。前に進むというのは、ちゃんと両足共に踏み出すこと――ちゃんと歩み出ることなんだ。君はまだ進んでいない。一回で駄目なら二回挑戦しなさい。二回で駄目なら三回挑戦しなさい。そうやって、何回も何回も挑戦して、成功を掴むまで足掻き続けなさい。みっともなくたって良い。醜くたって良い。結局はゴールに辿り着いた者が勝者なの――泥だらけでも、傷だらけでも、格好良い勝者なの」


 彼女は体ごと私に向いて、今度は両肩をその両手で掴んだ。

 見開いた瞳は私の目玉を貫いて、その奥の心臓まで見据えているようで、私は身震いした。


「君は進んでいない。そんな内から慣れてはいけない。無論、逃げてもいけない。止まっても良い。けれど、止まり続けてはいけない。いつかはまた歩き出しなさい。少なくとも、私はそうやってここまで来た」


 私は圧巻されるあまり、言葉も出なくなってしまった。

 けれど、これ以上涙目を見せる訳にはいかないと、死ぬ気で我慢した。


「…………んー、フィン君意外としたたかだね。ここでこそ泣いてしまう場面だと思うんだけれど、不思議な男の子だなあ。……うん、やっぱり気に入った。君は友達こそいないけれど、本当に強い子なんだろうね。力も心も――そう、心も。だから、つい我慢してしまうんだろう」


 その時、私の肩に置いた手を自身の方へ寄せてきた。


 ――抱き寄せられた私は彼女の胸の中に包まれた。


「――!」


 声にならない絶叫を上げる私には目もくれず、魔王は力の限り抱き締める。私の頭は魔の谷に沈められ、その厄介な感触に全く脱け出せなくなってしまった。


 十二歳の私のピュアな心は限界点まで掻き乱され、身動きが取れない。

 ――いや本当、どうすれば良いのか分からない。動かずじっとしてれば良いの? もがいてさらに胸を触れば良いの? むしろ自分から潜り込んで窒息死すれば良いの? 何が正解? 教えて! ああああ良い香りがするよう!


 けれど、そんなよこしまな考えの私など露程も知らず、彼女は慰めるような表情で私を抱いた。


「ごめんね、説教染みたことを言うつもりじゃなかったんだけれど、つい講演の続きみたいになってしまった……でも、フィン君は本当に強い子だよ。きっと世界で一番。だから、どうか進み続けて。誰か大事な人を見つけて、さっきみたいに引っ張って歩いて」


 私の頬はいつの間にか濡れていた。しかし、私の目はそんなに潤んではいない。我慢のお陰か、涙は流れていない。


 胸の中から目線だけを上にやると、ぽろぽろと小さな雨が降っていた。

 何故、あなたが泣くんだ。

 私のことなのに、どうして――


「頑張ってきたんだね……色んな辛いこと、全部受け止めて、呑み込んで、我慢して……でも、フィン君はまだ子どもなんだから、もう少し楽しても良いんだよ」


 頬はさらに赤みを増し、黒く刻まれた模様は涙で艶々と輝いていた。

 同じく雫の浮かんだ黒い瞳は夕焼け空を映して光り、星が煌めく夜空のようであった。


「あ、ごめんね、苦しかったよね。今離れるからね……」


 そう言って、彼女は離れる気配がない。

 ――え、何で? ボーナスタイム?


「ごめんね、本当、ごめんね……ちょっと泣き止むまでこのままでも良い?」


 魔王の胸の中にうずくまった私はそのまま縦に首を振る。縦に振ったことで一瞬頭が沈む感覚、堪らないです。


 やがて彼女は私を解放した。

 涙は既に止まっていたが、頬はまだ濡れていた。彼女は疲れた笑顔を私に向ける。


「ぷはっ」


 はあ、終わってしまった。

 しかし、私は決して離れ難く思っていない。ずっと憧れていた人の胸を満たされる限り堪能したことに優越感を感じてなどいない。あくまで私は紳士なのだから。


「ごめんね、苦しかったよね」

「いえ、その……大丈夫です」


 もう夕日は一角程しか見えておらず、もうじき来る夜を告げていた。


「もうそろそろ帰らなきゃかなあ……もうちょっと、なんて我儘は言っていられないし」


 大きく伸びをして、今にも陰る陽光を全身で浴びる。

 背凭せもたれに寄りかかり、私の方に顔を向けて爽やかに笑う。


「最後に何か、訊きたいことはない?」

「……んと……」

「何でも良いよ。何でも答えてあげる」

「……良いんですか?」

「君だからだよ」


 私はその言葉が素直に嬉しかったが、いきなりのことで何を訊ねるべきか悩んでしまった。

 他では訊けなくて、ぱっと思いつく何か…………あそうだ――


「その頬の模様って何か意味があるのですか?」


 先程から記している魔王の左頬にある模様とは、黒く染まった紋章のようなものである。

 具体的に言えば、それは彼女の左目のすぐ下にある、二つの三角形だ。大きめの横長の二等辺三角形と、その下にそれを一回り小さくした逆向きの三角形という、何とも不思議な模様である。


 素朴で、それでいて簡単な質問で、中々良いことを訊いたように自負したが、魔王自身は目を丸くして驚いている。えっ、変?


「そんなことで良いの?」

「ええ、それが知りたいです」

「本当? もっと何か、身体的のこととか」

「ええ、大丈夫です」

「本当の本当? スリーサイズがどうのこうのとか」

「いや、本当に大丈夫です……」


 私のこと、どう見えてんだ?

 思春期の少年がそんな恥ずかしいこと訊ける訳ないでしょう。

 …………それ訊いたら答えてくれるのか?


「んー、この模様かあ」


 魔王の模様だが、何気にファンの間では討論が交わされていたりする。

 今のところ有力な説は、魔国建国前より存在した伝説の杖に刻まれた紋章であり、魔王はそれを八千年振りに扱える伝説の魔法使いというものである。

 私はこの明かされていない謎を、世界でたった一人(多分)知ることができるのだ。こんなにも嬉しいことはない。


 魔王は自身の模様を指差して、にこりと笑って答えた。


「実はこれ、キスマーク」


 がーん。


 私の心が砂塵に変わり、風に飛ばされて行くのがよく分かった。


 恋人や愛人の話は一切聞かない魔王だが、まさか居たとは。

 自分が魔王にとってのそういう存在になれるとは努努ゆめゆめ思っていないが、それでもショックである。

 こんなにも悲しいことはない。


 開いた口が塞がらず、固まってしまった私を見て、魔王は慌てた様子で弁解する。


「わああごめんごめん! 嘘だから、嘘、嘘ね。誰にもキスされたことなんてないから。強いて言うならお母様」


 意識が戻る。

 そうか、からかわれたのか。

 死ぬかと思ったが、安心した。むしろ安心で死ぬ。…………どゆこと?


「じゃあ、本当は何なんですか?」


「んー」と、下唇に指を当てて、彼女は答えを渋った。

 本当は答えづらいことなのか?


「そういう訳でもないんだけれど……これははっきり言うと『呪い』みたいなものだから」

「…………『呪い』?」

「うん。或いは『償い』かな」


 私はその言葉の意味を分かり兼ねたが、また嘘を吐いているようにも見えず、私はその答えで納得した。

 本人がそうだと言うのだから、そうなのだろう。仮にそうでないとしても、隠すのもまた本人の意志――無理に知るようなこともしない。

 答えてくれただけでも貴重なことだ。


 しかし、『呪い』やら『償い』とは一体――


「まあ、私も実はよく分かっていないんだ。気づいたらこんなものがあったものだからね。擦っても消えないから、諦めたんだよ。トレードマークにでもなれば、むしろ良いかなって」

「だったら、別に『呪い』とかではないんじゃ……」

「まあ、そうなんだけれどね」


 曖昧な返事をして、魔王は暗くなった街を眺める。

 やはり、知られたくないことなのだろうか。


 すると、その時大通りの方から角を生やした大男二人がこちらを見て、一直線に駆けてきた。

 魔王は「あら、もう来た」と、フードを取って立ち上がる。大分来なかった方である。どんだけ捜してたんだよ。


「いたあ! 何してたんですか。滅茶苦茶捜して、隣街まで行こうとしてたんですよ。本当勘弁して下さいよ」

「ごめんなさい。可愛らしい子と会ってしまったものだから、つい」

「駄目ですよ。一国の王であられるあなたが、そう易々と庶民と言葉を交わしては」

「何てことを言うの。お前は角の有無や財産の数字で話す相手を選ぶの? みっともない」

「いや、しかし……じゃない。馬車をずっと待たせているんです。早くして下さい」

「そう急かすものじゃないわ。すぐに行くから、ちょっと先に行っていて」


 そう言って魔王は護衛の二人を手で追い払い、私へと向き直った。少し屈んで目線を私に合わせる。


「じゃあね、フィン君。とっても楽しい時間だった。次会う時は、きっと君に背を抜かされて、とっても立派で格好良くなっているだろう。大人になった君とまた会えることを、ずっと祈っているよ」

「はい、ありがとうございました。今日という日を一生忘れません」


 ふふ、と笑い、魔王は私の頭に手を乗せる。

 わしゃわしゃと撫でながら、微かに哀しげな笑顔で一言放った。


「そして、君が大人になったら――その時は、私を助けに来て」


 そうして、彼女は私の左頬に小さくキスをした。

 柔らかくてしっとりと潤った唇の感触が強く頭に残り、私は最後の最後で赤面した。


「フィン君――またね」


 街灯に照らされた彼女の顔は講演で見た時のような格好良い微笑みで、護衛の人達へと駆けていく後ろ姿はこれぞ大人の女性といった風貌だった。

 それからしばらく魔王の背中を立ち尽くして見つめていたが、彼女はそれきりこちらへ振り返らずに歩き続けた。


 六時を過ぎた頃、私は寮へと戻ってベッドで横になり、今日起きた出来事を一人思い返しては赤面した。


 こうして、長いようでとても短い休日の午後は、キスによって終わりを迎えた。

 私にはおよそ似つかわしくない終わり方だけれど、たまにはこんなのでも良いだろう。


 この年の二年後――テラス・ヴィヴリオが二十三歳の時、彼女は神が封印したという生物の生体実験を秘密裏に行なっていたという大罪が公表され、長くに渡って魔国の王政を支配してきたヴィヴリオ家は歴史の海溝へと沈んでいった。

 王妃はギロチン台にて首をねられ、テラス・ヴィヴリオは亡命を試みたが結局新王政軍により捕らえられ、その場で射殺されたと言うニュースは、私も含め、世界全土を震撼させた。



   〇   



 長く浅い眠りから目覚めると、寝転がった私の真横には鬼の少女が、私の腕を掴んで寝ていた。

 虚竜の背中は鎧としては最高だが、布団としては寝心地の悪いことこの上ない。


「やっと起きたのか。お前大分寝ていたぞ」


 上体を起こした私にオールは近づき、そう声をかけた。


「ああ、おはよう。今何時? そんなに寝てた?」

「今、六時くらい。お前が寝ついたのが十一時くらいだったから……お前八時間も寝てたのか!」

「普通じゃねえか」


 何騒いでんだよ。あと、計算間違ってるし。


「オールは寝てないのか? 昨日もそんなに眠れなかったって言っていたけれど」


 箱庭を去り、あれから日は六度廻った。

 虚竜はあまりにスピードを出し過ぎると、背中に乗っている我々が吹き飛ばされてしまうし、じっとしているだけでも顔の皮が剥げそうになる。

 なので、それなりに風が気持ち良い程度の速さで進んでもらっている。そのお陰で、かなりゆっくりのペースで進んでいるが。

 湖を超え、山脈を越え、平野を越え、森を越えた。

 空から見ると、全てが豆のように小さく、巨人にでもなった気分でもある。気分次第でなれるんだけどね。


「いや、今日はしっかりと眠れた。早起きなだけだ。それと、そろそろ着く頃だ。今、眼下に見えている森林地帯のどこかにネフリがあると思うのだが」


 どこか、ね。

 まあ、地図も無いし、正確な場所までは把握しきれないから、仕方ないけれど。


「まあ、別に小さい村でもないし、家とか湖とか見えたらネフリだろう」


 ――と、そこで私は辺りを見渡す。

 ナキはまだすやすやと眠り、私の指を握っている。

 オールも今目の前で仁王立ちしている。

 虚竜は背中しか見えないが、いることにはいる。


 しかし――アルステマは一体いずこへ?


「ああ、あいつなら、また虚竜の頭の方へ行っている」

「そう。……ちゃんと隠せているんだよね?」

「心配し過ぎだ。私の魔法だぞ。当たり前だ」


 アルステマを連れて行くにあたり、問題はいくつか発生するが、最大の難題は彼女の見た目であった。


 先日オールも言った通り、竜人は絶滅したと世界から認識されている。

 もし、誰かに見られて、竜人が今も居ることが世界にバレてしまえば、アルステマは確実に保護もとい研究に使われる為、連れ去られるだろう。

 解剖や生体実験は免れないし、下手すれば箱庭の存在も知られ兼ねない。


 よって、アルステマの竜人としての姿を隠す必要があった。

 なので、今はアルステマには幻術をかけ、翼や角、尻尾は隠し、体を覆う鱗は普通の人間の肌となっている。


 これでアルステマはどこからどう見ても、どこにでも居るような可愛らしい人間の女の子になった訳だ。


 今は見た目こそ完璧だが、この魔法に辿り着くまでに、虚竜の背中の上で丸四日をかけた。


 オールとナキは疲れて深く眠り、アルステマは虚竜の頭の先へ行き、初めて見る外の世界を堪能し続けた。


 ――その時、森の中にぽっかりと拓けた土地があり、そこにはいくつもの家や畑が見えた。

 皆が待つ――ネフリティスホリオ。


「…………帰って来たよ、皆」


 あの村が私の帰る場所――居場所だ。


 月のように優しく光る宝石は、涼しい風に吹かれる私をゆっくりと温めていくようだった。

 朝日に照らされた村は、疲れきった私達の心を大きな腕で優しく抱き締める。

 

次回にご期待下さい。


本作品は、不定期更新となります。次の物語をお待ち下さい。

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