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Light in the rain   作者: 因美美果
第四章――3
31/77

『歓呼』

まだまだ未熟なので、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。


※この作品は、少し残虐なシーンが含まれます。また、少し刺激の強いシーンが含まれます。以上のことが苦手な方はご観覧をお控えください。


この作品は、私の溜め込んできた物語をひたすらに詰め込んでいます。

それでも楽しんで頂ければ幸いです。

 アンドレイア様から始まった死者の葬儀は、翌日の朝から行われた。


 竜人の村の村長である私も、未だに疼く傷を押さえながらも出席した。


 結局、ネクロマンシーにかかった死体が完全に処理されたのは、昨日の日の入頃だった。

 かの忌まわしき男が引き連れた死体の数――約七十。

 中には巨人や魚人などと、亜人の死体もあったらしく、外の世界で苦痛を味わった人達のことを思うと、胸が絞めらそうになり、息苦しささえ覚えた。


 対して、こちらの被害は甚大なものだった。

 竜――負傷者約四十頭。死者約三十頭。

 竜人――負傷者約八十人。死者約五十人。

 総計――負傷者約百二十。死者約八十。


 ほとんどが最初の不意打ちでの襲撃や、情報が届かなかった者が死体に攻撃されたりと、状況を把握できなかったことによる被害だった。


 竜人は元々百五十程度しか居なかった種族なので、今回の戦いでその三分の一を失った。世界には、もう百人程しか竜人はいないだろう。

 竜もまたこの島に居た十分の一を失ったことになる。


 世界最強である竜の血統達が、半日とかからずにこの被害を受けた。

 それ程までに、彼らは強かった。強過ぎた。


 フィンさんとナキさんも葬儀に出席し、アンドレイア様が眠る墓に花を手向けた。

 あんなにも気持ちが昂っていた戦いも、いざ終わってしまうと、煮えていた怒りが栓を抜かれたように流れ去り、代わりに虚無感が私の中に溜まっていく。

 死んだ者達の笑う顔と血に塗れた死に顔が混濁し、私の記憶を塗り替えていくようだった。


 色々な想いが交錯し、何を考えれば良いのか、どんな顔をすれば良いのか、私は分からずにいた。


 フィンさんは誰よりも早く状況を把握し、誰よりも早く勇敢に駆け出した。

 本来ならば、それは賞賛の歓声と拍手喝采に包まれて然るべきものなのだけれど、素直にそんなことをする空気ではなかった。

 少なくとも、あの時あの空間では。


 自身の傷を治し、フィンさんは動けぬ私を背中に負ぶって村へと送り届けてくれた。

 村には虚竜様もいらっしゃり、死体は既に掃討されていたが、皆の顔は恐怖と戦慄だけが支配していた。


 目の前で仲間を殺された者。

 目の前で仲間に殺されかけた者。

 目の前で仲間を自らの手で倒した者。


 消えない傷が深々と残り、中には震えて言葉すら出ない者もいた。


 フィンさんは怪我が完全に修復していない状態を押して、まだ蔓延はびこっている死体を倒しに出た。

 そのお陰もあり、日が完全に隠れる前に死体の殲滅を終えられた。

 知った顔が帰ってくると安心できて、私は一晩中皆の帰りを待っていた。朝になり、帰ってこなかった者を想い、私は静かに追悼した。

 他の者は帰ってくるなり床に就き、泥濘のように眠り続けた。濁水のようにどんよりとした皆の表情は、翌日になっても晴れることはなかった。


 そんな状況でも、私達を救ってくれたフィンさんの功績を知らせると、皆一人一人が彼に礼を言った。

 とてもしんみりとしていて、悲しみを含んだ礼で申し訳なかったけれど、皆もその奥の気持ちを押し潰していた。言えなかったよりは十分マシだと思う。


 葬儀はとても厳かな雰囲気を纏ったまま、粛々しゅくしゅくと進められた。

 死者の魂へ送る祈りの歌、生者と死者の別れを体現した伝統舞踊、生者一人一人が死者一人一人の墓と向かい合ってただただ黙礼する時間、竜の長と竜人の長による弔辞など、様々な項目を経て、その後各々の感情を溢れるままに垂れ流した。

 涙を流し、うずくまる者。

 項垂れて、ずっと呆けている者。


 竜の長が不在の今、臨時で務めたのは虚竜様だったが、彼もずっと沈んでいる。


 葬儀が執り行われてから日が新たに昇るまでの間は、食事は死者に供えるものである為、その間は参加する者は断食するという伝統がある。

 今は、どこを彷徨っているのかも分からない魂へ、仕来りを守るべく食事を与えるだけだった。

 私はフィンさんとナキさんは慣れない風習なので、食事を摂っても構わないと言った。けれど、参加する以上は郷に従いたいと彼は返した。ナキさんも同様だった。

 二人も大分疲れが回っているようで、それ以上に気持ちが沈んでいるらしく、食欲自体湧かないのかもしれない。


 よって、今は皆がそれぞれの想いを胸に、これからの展望を探っている最中だ。

 ――無論、私も。


 すると、そんな風に一人で黄昏ている私の元へ、誰かが小さく手を振りながら近づいてきていた。

 患者衣のような大きめの服を着て、腰から一筋に伸びた剣を佩用するフィンさんだった。


 振られている右手とは反対の、だらんと肩からぶら下がる左手には包帯が何重にも巻かれている。見えないだけで、その服の中にも大きく苦々しく刻まれた傷もあるのだ。

 若干気怠げで、足取りは重く、体を引き摺るように歩いている。


「この度は、誠にありがとうございました。大変なことに巻き込んだ挙句、守って頂いて……深くお詫び申し上げます」


 私は向かい合うや否やそう言い、深く長く頭を下げた。


「いえ、そんな。頭を上げて下さい。僕は大したことはできていません」

「そんなことはありません。皆あなたに助けられました。皆あなたが示してくれました。事件の真相も、真犯人も、戦う相手も」


 顔を上げた私は改めて彼の顔を見つめる。フィンさんもまた赤く腫れた瞳で私を見つめる。


 ――ああ、彼もきっと葬儀の中で、仲間達を想って泣いてくれたのだろう。彼の優しさがその潤んだ眼を通して、届いてきた気がした。


「でも、僕だってあの時はぎりぎりでした。サギニさんを助けられたのも、諦めの悪い自分がたまたま良い方向へ行っただけで……自分でも驚いています」

「私はその諦めの悪さに救われたのです。あなたがあの時諦めずにいてくれたから、私は今こうして死んだ者達を見送る側として、ここに立てています。それだけじゃない。きっとあなた以外にあの男は倒せなかったでしょう。あなたが居てくれて、本当に良かった」


 私は依然真実だけを――少なくとも自分が思ったことを淡々と言った。

 それでも、彼は腰を低くして言葉を返す。


「奴一人倒すだけでもぎりぎりでしたし、やはりそんなお礼を言われることではないです。それに、あそこでサギニさんが居てくれたから、僕は最後まで諦めずに戦えたように思えます。あなたが居なかったら、僕は途中で諦めてしまっていたかもしれません。僕が皆を助けられたのは、自分だけの力ではありません」


 あくまで謙遜を続けるフィンさんに対して「それでも」と、私は言う。


「私達こそ、あなたが居なかったら諦める以前に戦いにすらならなかったかもしれません。それに、結局私があの時生きていられたのは、フィンさんが私を助けてくれたからです。私すら諦めた命を、あなたは最後まで諦めずに救える道を必死に探していてくれた。個人的ではありますが、私はそのことが今回あなたがしてくれたどんなことよりも嬉しい」


 彼は私の言葉を聞き、感銘を受けてくれたのか、右腕で目元を隠した。小刻みに震えている。

 私には子どもなんていないけれど、泣きじゃくる子を見つめるような気持ちになり、何だか自然と微笑みが零れてしまった。


 そして、言葉に詰まる。

 伝えるべきか、伝えぬべきか、私は迷っている。

 この想いはどこへ吐き出そうものか、分からなかった。


「それに…………」


 やはり、言葉に詰まる。

 言葉の続きが出てこない私に首を傾げ「どうしました?」と、訊ねるフィンさん。


「……いや、これは言わないでおきます」

「え?」


 惑わすようなことを言ってしまったが、やはりこの気持ちは心の宝箱に大事に仕舞っておくのが正しいだろう。


 皆の為に走り出し、辛い頼みも呑み込んで、それを覆して私を助けてくれた。

 そんな彼の為にも、私は伝えるべきではないのだと思う。


 それにこんな三十代のおばさんからこんな気持ちを投げられても、ぞっとしてしまうだけだろう。


 その代わりに、私は私が望む結末へと繋げるべく、フィンさんに恐縮ながら忠告をした。


「あなたにはもっと見てあげるべき人が居ると思います。セントエルモの火のように、嵐の渦中にいる方があなたの一番傍にいるはずです。だから、灯台の灯の如く、あなたが照らしてあげて下さい。見てあげて下さい」


 その言葉の真意をいまいち汲み取れていないような曖昧な笑顔で、けれど声だけは強く頷いた。その声が、悲しみで固まっていた私の心を温めながら揺らした。


 と、そこで私はあることに今更ながら気づく。

 一見するとどうでも良いかもしれないが、人はどんな過去を抱えているか、何を気にしているか分からない。


「……そういえば、私、いつの間にかあなたのことを『フィン』とファーストネームで呼んでしまっていますね。……大丈夫でしたか?」


 彼は一瞬何のことか分からないような顔をした。

 その様子を見るに、特に気にしていないらしい。

 ――どころか、直後に彼はくすっと小さく笑った。


「全然構いませんよ。いくらでも呼んで下さい」

「良かった。少し不安だったんです。昨日追いかけた時に『アイオーニオン』だと長かったのでつい……」


 結構無礼なことを言ったと、後の祭りで後悔したが、フィンさんは相変わらず「あはは」と笑ってくれた。


 聴き心地の良い、耳から入って体中を清めてくれる、少し低い声だった。



   〇   



 フィンがエピシミアを倒してくれたと聞いた時、それまで細い糸のように見えていた彼が、急に太くて強かな鎖のように感じられた。


 その上、彼が傷だらけで帰ってきた姿を見た時、凱旋を果たした英雄――などではなく、大きな力を目の前にし、足が震えながらも果敢に立ち向かう、小さな兵士の様子を思い浮かべた。

 こんな表現はとても失礼なことなのだけれど、それでもそう思ってしまったのだから仕方がない。


 ――それでも、私は彼を勇ましく思える。

 つい先日出会ったばかりの私達の為に、命を張って戦ってくれた彼への印象が変わった。


 もっと具体的に言うならば――格好良いと思った。


 そして、それはナキにも言えることだけれど。


「ナキ。アルステマ。無事で良かった。どうしているか、心配だったんだ」


 私の横に立ち、帰ってきたフィンの姿を見るや否や彼へ駆け寄るナキを見て、私は差を感じた。

 弱く撫でられたナキの頭を見て、私は説明のつかない気持ちを覚える。


 分からない――何と言う名の感情なのか。

 アンドレイア様と洛北竜様の話を聞いた時に感じた気持ちと似ていて、けれど少し違う。

 それよりも少し――歪んだ気持ち。


 アンドレイア様の時に感じたのは、感覚的には『寒さ』だった。

 けれど、今回は違う。

 これは――『痛み』だろうか。


 不思議だ。

 こんな気持ちは一度もなかった。


 頬やうなじの傷も忘れてしまうくらい、私はフィンとナキが触れ合う光景をただ見ていた。


 フィンは離れた所で佇んだままの私を「アルステマ」と、名を呼んで手招いた。

 私はその言葉にただ頷き、ゆっくりと近づく。


 私とナキはあれから何人かの死体を倒すことになり、心身はかなり疲れきっている。

 眠る時も、葬儀の最中も、意識は冴えず、視線はゆらゆらと漂っていた。

 それこそ、彷徨い歩き続ける死体の如く――


 葬儀の一連の流れが終わり、私はアンドレイア様の墓の前で何を考えるでもなく、ただ憂鬱にしゃがんでいた。


 すると、いつの間にか誰かが私と並んで腰を下ろしている。


 私はびっくりしたけれど、反応すらできずに目を丸くしたまま固まった。


「ああ、ごめん。驚かせちゃったね」

「……いや……大丈夫……」


 ほんの少しだけれど、彼の顔はやつれていた。断食が体に影響が出ているのかもしれない。


「ああ……いや、そう見えるのは今日の断食云々の話じゃなく、多分昨日の朝から何も食べていないからかな。食欲も湧かないし、腹も空かないから、別にどうでも良いんだけれど」


「そっか」と、自然に出したつもりの声は、いつもより重く流れてしまい、案外私も断食が堪えているのかもと思った。


 しばらく沈黙が続いた。

 言葉を発しかけて、けれど何を言えば良いのか分からなくて、結局私は何も喋れずにいた。


 そんな私の心を読み取ったのか、フィンは首を私へ向けて口を開いた。


「ナキのこと。助けてくれて、ありがとう」

「えっ、あっ、うん、どういたしまして」


 駄目だな。全然頭がついていかない。

 フィンが横に居るだけで、心臓が強く脈打つ。

 ふと、横目で彼を見てみると、フィンは既に顔を戻してアンドレイア様の墓をじっと見ていた。


「かなり危なかったらしいね。ナキが言っていたよ。アルステマが来てくれなかったら死んでいたって」

「うん……そんなこと、ないよ。私だってナキに助けられたし……私もナキが居なかったら死んでいたよ」


 私はずっと下を向いたままだ。

 彼には大変失礼な態度だけれど、自分でも分からないくらいに彼の顔を見れなかった。

 体調、崩したかな……。


 すると、フィンは私の顔を覗き込んできた。

 私はまたびっくりしてしまい、それと同時に鼻の先が熱くなった。


「な、何?」

「いや、もしかして具合悪い?」


 ああ、顔に出てしまった。


「うん、そうかもしれない。特にどこが痛いとかじゃないから、じっとしてれば大丈夫だと思うけれど……」

「そう、それなら良いんだけれど、もし辛くなったらすぐに言ってね」


 私は頷く。

 フィンは優しい――誰にでも優しい。

 だから、余計に辛いのかもしれない。


 私はふと気になって、訊ねてしまった。今思えば、自分でも呆れる程馬鹿な質問だったと思う。


「……フィンとナキはどうやって出会ったの?」


 フィンは一瞬きょとんとして私を見たけれど、すぐに顔を戻して思案するように視線を落とした。


「んー、そうだなあ。僕は訳あって母国を離れることになったんだけれど、国を出てから最初に辿り着いたのがナキの居た村だったんだ」


 ナキの居たという村の話は、ナキ本人からも聞いた。

 魔人に買われそうになったところをフィンに助けられたと。世の中酷いことをする人がいるものだ。


「最初は一人でぶらぶら旅に出て、色んな所を回って、色んな人と話しながら、適当に野垂れ死ぬつもりだったんだけれど……守るものができちゃったもんで、どうにか生きていかないとって、僕もあまり無茶はしなくなったな。そう思うと、僕が今生きようとしているのは、ナキのお陰なのかな」


 その時、私とフィンの距離が一気に遠くなる気がした。

 それと同時に、私が抱える気持ちの名もおおよその見当がついた。


 それはあまり好きじゃない――けれど、大切な気持ち。

 決して消してはいけない――欲深な感情。


 私とフィンの間には大きな距離があって、私とナキの間にも確かな差がある。


 進む速度は同じで、進む方向も同じ。

 そして、その歩幅を大きくしても、小さくしてもいけない気がする。同じペースで歩いて、後ろから二人の背中を見ているべきだと思う。


「そっか。仲良し、なんだね」

「まあね。でも、アルステマもナキと仲が良いだろう?」

「うん、そりゃあもう」


 不思議だ。

 村人とさえ上手に話せない私が、フィンやナキと向かい合うと自然と言葉が流れてくる。

 頭が悪くて、気の小さい私だけれど、彼らはそんなことを気にしないで、私の目を見てくれる。


 だから――この抱える気持ちに気付いてしまった今、気を緩めるとすぐに声が裏返りそうになる。


 ――アンドレイア様。

 あなたが居なくなってとても寂しかったけれど、私は案外立ち直れそうです。

 何だか失礼なことのようにも聞こえますが、間違ってもあなたを忘れる訳じゃない。生涯の恩人として、翼に込めて生き続けます。

 けれど、私には新しくついていきたい人ができた。

 守りたい人ができた。


 私は彼に僅かながら、恋をしているのでしょう。



   〇   



 今から十六年前――私はとある森の奥で産まれたらしい。

 そこから、とある村に住みつき、とある人に買われかけたところ、とある人に救われた。


 その十六年の間に、私は決して誰かを殺めたことがなかった。

 人の肌を刺す感触や、命の糸をぷつりと断ち切る感覚は、全身が戦慄する程に気持ちの悪いものだった。

 病みつきになるなんて、とてもじゃないが言えない。余裕でトラウマになる。


 殺す――そんな行為はどこか遠くの世界の――或いは別の世界のものかと思っていたけれど、まさか自分がそれをする立場になるとは。


 傷だらけのフィンを見た時、私は居ても立ってもいられなくなった。

 心配とか、寂しさとか、静けさとか、そういった心の隙間を全部埋めたくて、彼に駆け出した。

 私は何も言えなくて、フィンは頭を撫でてくれて、その感触を思い出しながら、私は彼の穴の空いた左手を弱く握っていた。


 黒焦げになってもう動かないアンドレイア様が、掘られた大きな穴に埋められていく時、あの男の人やネクロマンシーというものがどれ程凄惨な事件を引き起こしたのか、再度その怖さや惨さを思い知った。

 私達はエピシミアの計画を阻止し、敵の手に回ってしまった者達も含めて、彼らを排除した。

 戦いには勝ったんだ――敵の大将を討ち取り、私達は勝利を掴んだ。

 けれど、その事実だけを受け止めて舞い上がって、都合の悪いことや後悔の念は遠くへ追いやることなんて、できっこない。


 葬儀の間、フィンも、オールもアルステマも、サギニさんも虚竜様も、助けられなかった者を想った。

 皆が死んだ者を弔い、その死に涙を流した。


 私達は助けられなかった者が居る。


 その現実を胸の中で考えるだけで、私達は心臓をえぐられるような気持ちになる。


 私は葬儀の後、就寝する直前にフィンの元へ会いに行った。

 男性の客人はフィン一人なので、彼はテントに一人でいる。

 私が訪れると、彼のテントにはまだ明かりが灯っていた。

 本か何かを読んでいるのかもしれない。フィンは結構な読書家で、家にいる時も出かける時もどこか旅に出る時も、欠かさず本は携帯している。

 私は学がないので、そもそも文字をあまり読めない。少しフィンに常識的な用語を教えてもらった程度だ。あとは、幼い頃に父に――


 テントの垂れ下がった布を捲ると、フィンはテントの真ん中に座り込んでいた。

 本は読んでいなかったが、上着を脱いで包帯を巻き直している。

 傷は私とオールで魔法を使って塞いだが、かなり乱雑に――乱暴につけられていたので、綺麗に治るにはまだ時間が要りそうだった。傷痕は生々しく残っている。


「フィン、今良い?」


 私が中に入ってそう言うと、彼は振り返り「ああ、どうぞ」と、返した。色の薄い、気迫のない顔だった。


「傷……まだ痛む?」

「まあ、まだ少し。大分無理したから、その代償かな」

「……私、巻くよ」


 私は彼が持つ包帯を受け取り、代わりに巻いた。

「ありがとう」と、言う声もいつもより少しだけ弱々しい。細く、固い体つきで、背中は仄かに温かい。

 私はこの背中にいつも守られてきたんだ。


「……どうしたの? 巻いてくれるのはとても嬉しいけれど、それだけをしに来た訳じゃないだろう?」

「……うん」


 フィンには全てお見通しだった。

 私は彼に訊きたいことがある。

 とても気持ちの良い質問じゃないし、わざわざ訊くようなことでもないんだろう。

 けれど、訊かないと私はこの先もっと辛くなる。

 辛さを抱えたままでは、いつかフィンの足枷になってしまう。


「フィンは……初めて誰かを殺した時、どんな感じだった?」


 フィンの体が僅かに揺れた。

 その後しばらく沈黙が続き、私は天井から垂れているランタンを見ていた。中の灯は橙色に眩く揺れる。


「…………多分、怖かったと思うよ」


 フィンは長い沈黙の後、止まっていた時計の針がまた動き始めるように、少しずつ言葉を繋いだ。


「僕が初めて人を殺したのは、十六の時――多分、ナキと同じ歳に……いや、もしかしたら十三の時かもしれない」


 そんな風に答えて、フィンは首を傾げた。割と記憶が曖昧なのかもしれない。


「まあ、十六の時のは、戦争だったんだ」


 ――戦争。

 対立する勢力同士の争い。

 生命が紡いだ黒歴史。


「王国と今はもう存在しない小国の戦争だ。宣戦布告を受けたその瞬間から、もう勝利は確定していたんだ。けれど、あの国はそんな生温い精神を持っちゃいないから――あるのは、完膚なきまでの完全勝利。実戦も兼ねて、育成学校の訓練生も起用した」


 フィンが前にいたという学校の話は、以前に少し話してもらったことがある。そんなに優秀ではなかったと言うけれど、謙遜か現実かは知る由もない。

 ただ、その時に天才の三人に出会ったと言う。

 才人にして変人にして超人の三人。

 フィンは一言でそう表していた。


「僕が出た戦線は大して過激な戦場ではなかったんだけれど、相変わらず馬鹿してね、配属された部隊とはぐれたんだ。一人で瓦礫がれきの山と化した街の上を歩いていた」


 フィンの声は少しずつ低くなっていく。

 本当は話したくないことなのだと――それでも話してくれているのだと、私はすぐに分かった。


「そしたら、向かいから一つの人影が近づいてきていた。ぼろぼろで血だらけの敵兵だった。口は開いたままで息は荒い。今でもよく思い出せる。向こうは僕を見つけると、あり得ない方向に捻れた足を引き摺りながら駆けてきた。僕は倒さなければと思った。でも、体は思うように動いちゃくれない。死にかけの人間を前にして、勝てない要素なんて一つも無いのに、足が竦んで動けなかった」


 声は低くなる一方だけれど、決して震えたり詰まったりはしない。

 まるでなだらかな川のように、流暢に話す――


「その兵士は肉が裂けて骨が丸見えの腕で、剣を振るってきた。力の抜けた一撃一撃は躱すも受け止めるも容易いのに、何度も危うく殺されかけた。このままでは殺されると本気で思い、覚悟を決めて剣を兵士の心臓に突き刺した。辺りは僕らしか居なくて、兵士の悲痛な断末魔を聞いたのは、つまり僕しか居なかった。あまりにも簡単に貫けて、案山子かかしでも相手にしているのかと思ったよ。それ程までに――簡単なんだ」


 人を殺すというのは――丁度その時、包帯を巻き終えた。


 私は震えてもいなかった。

 泣いてもいなかった。

 ただただ怖さを掻き立てられて、動けずにいた。


 フィンの顔を見れない――どんな表情をしているのか、見るのが怖い。


「ごめんね、こんな話」


 彼は私の方へ振り返り、静かに謝った。

 優しい笑みで私を見つめ、そっと肩に手をかける。

 その手は冷えていて、指先に力が入っていて少し痛い。


 そっと彼は――私を抱き寄せる。


 驚いてしまい「わっ」と、思わず声を漏らした。あまりに急で、今フィンは上半身が包帯だけの裸故、彼の肌の温度が直接伝わる。

 さっきよりも少しだけ――冷たい。

 ただ、私はまだこんな風に抱擁されることに慣れていないので、顔が赤くなっていないか、心音がフィンに聞こえていないか、どきどきした。


「ごめん……ちょっとこのままで」


 黙って頷く。

 いつもより強く抱き締められ、ちょっと苦しかったが、きっと彼も怖いのだと思う。怖いことを私が思い出させてしまったのだと思う。今は我慢しよう。


「ナキにはどうか、こんな経験させたくはなかったんだけれど……結局駄目だったな」

「そんなことない。私だって、あなたの役に立ちたいもの。フィンの背中に隠れてばかりじゃ、自分が居る意味が無くなっちゃう。私も戦いたい――役に立っている証が欲しい」


 それに、実質的には私は人を殺していない。

 既に殺されていた死体を活動不能に追い込んだだけだ。何のことはない――きっと私が脆過ぎるんだ。


「そう……そっか、それは嬉しい。ありがとう。でも、決して慣れないで。誰かを傷つけることに慣れないで。できれば、避けて生きて。それでも誰かを傷つけないといけない時は、しっかりと痛みを感じて。痛みを与えることに痛みを感じて。血で手が濡れる感覚を――命が終わる瞬間を――しっかりと脳裏に焼きつけて」


 彼は私を解放し、その顔は未だに微笑んでいた。

 私はきっと不安そうな表情だったろう。声に落ち着きがなかった。


「あなたは、慣れてしまったの?」


 彼は立ち上がって、上着を羽織る。

 何も言わずにテントの布を捲り、外に出る。

 多分もう、笑ってはいない。


「さあね」



   〇   



 私は湖畔にいた。


 葬儀の間は特に何も考えず、ただただ流れて行く時間を感じていた。


 父が死んだ。

 父を殺した。


 この事実を受け止めながらも、私はそれを憎んでいる。

 だからと言って、今更どうなるものでもないけれど、それでも生きている内に伝えたかったことはある。

 あの時、本当に彼は私に言ったのだろうか。


 声としては聞こえなかった。

 音としても届かなかった。

 けれど、言われた気がした――返された気がした。


 ――愛している――


 私は何を信じれば良いものか……。


「やっぱりここにいた」


 背後からそんな声が聞こえて振り返ると、いつもの道着を前を締めずに着た――フィンが歩いてきていた。


 今は既に夜で十分暗かったが、光竜の巣が月の如く輝いて、辺りを照らした。少しだけ光の量が減った気もする。光竜も亡くなった者がかなりいた訳で、それを思うと喉の辺りが自然と苦しくなる。


「何だ、何か用か? そんなだらしのない着方をして」

「キツく締めると傷に障るんだ。許してくれ」


 そう言ってフィンは私の横に腰かける。

 そうして、しばらくは湖に反射した光竜の巣を見て「綺麗だ」とか「すごい」とか繰り返した。


「あの日もここでこの景色を見ていたのかい?」


 あの日というのは、私が父を呼び出した夜――父が死んだ夜のことだろう。


「……ああ、そうだ。父が教えてくれた景色だ。だから、また一緒に見たいと思った」

「そうか。だからあの時間だったんだな」

「ああ……」


 何だろうか。今になって傷が傷む。

 背中の傷は結局自分で治したし、虚竜につけられたものも簡単に治った。あの娘につけられた肩の傷が一番治りが遅かったが、今はもう綺麗に塞がっている。

 なのに――今更のように、体中が痛い。


 私は横の手にそっと自分の手を伸ばした。

 その行為を特にフィンは拒まなかった。


「……どうした? さっきまでは割とすっきりしていたのに」

「それは、殺して泣いた後だったから。しばらくしてから思い出すと、やはり辛いものは辛い」


 ――また、泣きたくなってきた。

 だから一人で来たのに、何でこいつはいつもいつも――


「寂しいんだろう?」

「!」


 ――見透かしたようなことを。

 分かっているなら、どこかへ行け。


「行かないよ。寂しいのに、何で一人になろうとするのさ」


 やかましいわ。

 知ったようなことを、言いやがって。


「だって、知ってるし。君の本心はいつも同じだ。なのに、口に出すのはいつも強がりの言葉だ。寂しい時は一人で居るべきじゃない。少しくらい、他人に押しつけたって祟られやしないよ」


 だって、ずっと一人で居たんだ。

 千五百年前――この地を去って、あの冷えた火口で。

 平気だったんだ。

 大して気にならなかった。自分の役目だって、受け止めてしまえば。


 けれど、お前らと会ってから、変になった。

 心地良い温みが私を徐々に解かしていき、逆に、凍てつくような静寂に心臓を何度も掴まれそうになった。

 脆弱になってしまった。


「そんなことない。弱くなっていないし、脆くもなっていない。君は弱点が増えただけさ。守る者が増えることは心臓が増えるのと同じで、それと同時に体を廻る血の流れが速くなるのと同じなんだ。君にとって、僕らは君の弱味だけの存在なのかな」

「…………意地悪な言い方だ」

「ごめん」

「…………そんな訳ないだろう。お前らは掛け替えのない存在だ。どうしたって、失いたくない。守りたいさ」


 ――ずっと一緒に居たい。


「どっか行け、馬鹿」

「嫌だよ」


 ――離れたくないよ。


「うるさい、早く帰れ」

「折角ナキと一緒に居たところを抜けて来たんだ。もうちょっと居させてよ」


 ――もっと、ずっと。


 私は泣く。

 ここに来てから泣いてばかりだ。


 フィンは泣く私の手を握ったまま、湖に映る月を眺めていた。

 それから、またとぼけたように「綺麗だな」とか「すごい」とか、繰り返し言う。


 どれくらい泣いていただろう。

 頬はもう乾いて、目は少し赤くなっていると思う。


「……まだ、分からない」

「何が?」


 そう。まだ分からないことがある。判明していないことがある。

 事件の犯行や、その動機などは全てフィンとサギニから知らされたが、まだ明かされていない謎がある。

 その真実は多分分からない。正解を知っている者はもう居ないのだから。


「父は何故ダイイングメッセージに私の名をつづったのか。誰も知らないんだよな。あの男が私を犯人に仕立て上げる為に刻んだものなのかもしれないが」


 すると、フィンは「んー」と、唸る。


「それもあるかもしれないけれど、一つ思ったのは、あれはアンドレイア様から君への最後の贈り物だと思うよ」


 私はその言葉の真意を分かり兼ねた。

 ――贈り物?


「今、この島は竜の長不在で、世界から島を隠す魔法が無くなっている。隕石湖周辺は村も街も無いから、まだバレていないかもしれないが、何せ馬鹿でかい島だ。誰かが通ればここの存在が明かされてしまう。アンドレイア様はそれを危惧したんじゃないかな」


 死に際でそんな賢明な判断ができるかは少し怪しいが、まああり得なくはない。


「そこでだ――長の椅子は君に託された」


 私に――託された?


 ダイイングメッセージ――つまり遺言。


「竜の長の継嗣けいしは基本的に長の指名なんだろう。『オール』と刻まれたのは、多分そういうことだ」

「…………」


 何というか、何ともロマンの欠片もない。

 洛北竜を務めていると踏まえた上で、長まで兼任させるとは、どれだけ苦労をかけさせる。

 全く度し難い――全く、愛しているよ。


「まあ、それが本心じゃないと思うよ」


 まだ何かあるのか。

 寓意や謎ばかりで、推理小説どころかラビリンスだ。


「まあ、無理がある解釈かもしれないけれど、アンドレイア様は長の座を君に託したんだ。それは形として託せるものがそれだけだったからじゃないかな。だから、それと一緒に形じゃないものも託したかった」

「要するに?」

「自分の全てを君に託した」


 自分の分まで生きてくれ――自分も一緒に連れて行ってくれ――そういうことか。


 だとしたら、本当に彼は救いようがない。

 余計なことばかり気にして、怯えて生きてきた挙句、この様か。

 こっちの気も知らないで。託したものがどれ程重いかも知らないで。


「ふん」と、鼻を鳴らして私は呟く。


 そんなこと――言われるまでもない。



   〇   



 翌朝である。


 私達は遂にネフリに帰ることになった。


 バリウスで一、二日くらい観光して帰るつもりだったのだが、虚竜と戦ったり、バリウス首都を訪れたり、箱庭に来たり、エピシミアと戦ったりと、結果的には一ヶ月半近く村を離れることになった。

 そのほとんどが移動に費やされた時間だが、村の皆を心配させてしまっているのには変わりない。

 仮にも村の指導者たる私が、こんなにも村を留守にしていては、あの家を貰ったのが申し訳なくなる。少しくらいは報いねば。


 竜、竜人は私達の見送りに全員集合したらしく、正直狭い。

 それ程までに皆が私達を気にかけてくれているということなので、単純に嬉しくはあるが。


「では、そろそろ……色々とありがとうございました」

「いえ、こちらこそ。あなた方は一族の恩人です。また、いつでもいらして下さい」


 サギニさんは静謐な態度でそう言い、頭を下げる。それが波紋のように広がり、我々を囲う全員が頭を下げた。


 恩人――村の恩人――街の恩人――国の恩人――一族の恩人。

 色んな恩人になったものだ。母国を出る前は、恩人どころか疫病神を見るような目で見られていたのに。神様扱いされていたと思っても、全然嫌だ。


「オール様も、度重なる無礼をお許し下さい。至らぬ点ばかりで、ご迷惑を――」

「もうそれは良い。聞き飽きた。それより、島を頼んだぞ。何かあったら駆けつけるが、くれぐれも気をつけてな」

「はい、どうかご無事で」


 オールは結局竜の長に就任し、島の魔法を管理する立場になった。

 しかし、それでも私達との旅を続けたいと要望し、一緒にネフリへ帰ることを決めた。


 彼女は昨夜より一段と清々しい表情で、皆の前に出た。


「皆も元気でな。近い内にまた帰って来る。また会いに来る。それまで、ここに居る全ての者と再会できること――或いは新しい顔に会えることを楽しみにしている」


 虚竜はどしどしと近づいてきて「それじゃあ、行こうか」と、低い声で言った。


「ええ、お願いします」


 村までは虚竜が送ってくれると言うので、私達は彼の大きな背に乗った。

 巨船のような背中に乗れるのも、これで最後か。また会いに行けば良いだけなのだが。


「それでは、皆さん。お元気で。どうか――武運を」


 虚竜はいざ飛び立ち、皆が手を振る地上には旋風が巻き起こった。

 私達は一瞬にして島の穴から抜け出し、大きく広がる晴天の下へ飛び出る。


 ――その時、オールが慌てて叫ぶ。


「ちょっと待て! 誰かが『掟』を破った!」


 ――は? このタイミングで?

 掟を破るとその瞬間、自動的に長へ合図が送られることは、皆も周知の事実だろう。

 オールが近くにいる前でそんなことをする阿呆がいるのか?


 ――と、その時、地上から一つの高く大きな声が弾丸のように飛んできた。

 私が振り返った時には、既にそれは到着した後で、私は飛び込んできた二つの山の谷間に挟み込まれた。


 アルステマことアルストロメリアは、虚竜にも追いつく程の猛スピードで飛んで来て、私へ直撃した。

 巨大なランスと片手で持ち、巨大なリュックサックを背負っているせいで、その破壊力は凄まじいことこの上ない。


 彼女の豊満な胸が私の顔面を沈め、その勢いのまま吹き飛ばす。

 至福の時も束の間、私は硬い鱗で後頭部を擦りながら、虚竜の背中でズガガガガガと音を立てて吹っ飛んだ。禿げたかもしれない。


「お前! 何をしている! 竜人が外界に出ることは掟によって禁止されて――」

「大丈夫、フィン? ごめんね。止まれなくて」

「ぷはっ」


 やっと息ができる。


「おい、無視するな。お前どういうつもりでこんなことを」

「禁止されているのは無許可の者だけですよね?」

「は?」

「竜の長に許可を貰えれば、私も外に出られるんですよね?」


 一人で淡々と話を進めるアルステマに、オールもナキも、無論私も混乱していた。


「なので、あなたに許可を貰いに来ました。許可を下さい」

「馬鹿か」

「私も外に出たいです。一緒に連れて行って下さい」

「駄目だ。竜人は絶滅したと思われているんだぞ。今になってお前が外に出てみろ。世間はパニックになって、お前は解剖されて、箱庭の存在も知られ兼ねない」

「でも、私はフィンやナキと一緒に行きたい」

「ちょっと、背中で何やってんだ?」

「虚竜は黙っとけ!」

「ええ……」


 オールは激昂して興奮している。

 少し落ち着かせる必要がある。私はオールの胸をさすった。途端、オールは私を蹴り飛ばす。ごめん、背中と間違えた。


 しかし、オールの言うことは尤もで、アルステマの気持ちも分かるが、少し考えなし過ぎる。


「でも、私には我慢できないです。フィンやナキ、洛北竜様が箱庭を助けてくれたのに――三人は皆の恩人なのに、何でそのままで別れられるの? 何で恩返しもしないで、また会おうなんてできるの?」

「それは……私に言われても」


 関係ないし――とオールは言う。

 若干戸惑い気味で放たれた言葉は正に正論そのものだった。


「という訳で、独断で来た訳じゃないんです。村の皆で決めて、その恩を返す役を任されたのが、私です」

「何も『という訳で』じゃないんだが」

「だから連れて行って下さい!」


 アルステマは興奮しまくり、ランスを下に突き刺す。

 ――すなわち、虚竜の背中に。


「痛え!」


 虚竜の鱗貫いちゃったよ。どんだけ捩じ込んだんだよ。


 けれど、アルステマのことが少し分かったような気がする。

 この子は打ち解けるまでが大変なのだ。初対面の相手に酷く緊張してしまい声が出せない。

 けれど、一度でも隔たりを壊してしまえば、遠慮のない言葉で話してくれる。それは裏表がないということだ。


 初手は様子見で遠くから。

 距離を詰めれば、恐ろしいまでの打撃の連続。

 とても竜らしい性格だと、私は思う。


 オールは悩ましそうに眉間を押さえている。竜の長に就いた直後にこれとは、オールも中々苦労に見舞われるなあ。

 虚竜は止まらず進んでいる為、私達は既に魔法の壁を通り抜け、箱庭はもう見えなくなっていた。


「どうする? 引き返すのなら今の内だけれど」


 私は頭を抱えるオールにそう促した。


「……お前はどう思う?」

「まあ、一応竜人だということは隠さないといけないから、多少面倒はあるけれど、それの策はもう思いついた。ネフリの皆も拒否はしないと思うし。まあでも、許可を出すのはオールだから、何ともね」

「…………はあ」


 大きく溜息を吐いたオールは、じっとアルステマを見つめる。


「お前はナキと仲が良い。同じ年頃の者が居た方が気も楽だろうな」


 オールはナキと自分の腕を組ませた。

 そして、相変わらずむすっと膨れたような顔で言う。


「私には敬語でなくて良い。呼び方も『オール』にしろ。あの村は皆が働いている。お前も頑張れよ」


 承諾は得られた。


 アルステマは満面の笑みで、応えた。


「任せて下――して!」


 敬語かタメ語か曖昧な言葉と同時に、私達の村に新たな仲間が加わった。


 死んだ者が居て、生き抜いた者が居て、私達は誰かを下して生きていく――敵を蹴落として生きていく。

 それが自分の手を汚していく結果になったとしても、譲れない席を獲る為に死ぬ気で奪う。


 席を奪った先にあるのは、生き残った仲間との新しい笑声。


 父を亡くした少女は、代わりに憎み合った竜の子の手を取った。


 繋がれた二人の間に、心が弾むような出来事が――永遠に続くような歓呼が響くことを、私は心の隅で小さく祈った。

 

次回にご期待下さい。


本作品は、不定期更新となります。次の物語をお待ち下さい。

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