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Light in the rain   作者: 因美美果
第四章――3
30/77

『咆哮』

まだまだ未熟なので、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。


※この作品は、少し残虐なシーンが含まれます。また少し刺激の強いシーンが含まれます。以上のことが苦手な方はご観覧をお控えください。


この作品は、私の溜め込んできた物語をひたすらに詰め込んでいます。

それでも楽しんで頂ければ幸いです。

 ――違うだろう。


 そうじゃない。そうじゃないんだ。彼女を殺す必要はどこにもないんだ。


 さっきエピシミアに言われたばかりじゃないか。

 しっかり考えろ。少しだけでは足りない。よく考えろ。途中で諦めるな。最後まで助ける方法を考えろ。生かす方法を考えろ。


 彼女の死んだ細胞を瀕死の身体に影響が出ない程度に切り剥がす――そんな高度な手術を私が施すのは無理だ。


 生きている細胞と死んでいる細胞の見極め――それを痛みなく正確に切り取る技術――血が全部無くなる前に治療を終える作業の速さ――誰かの命が懸かっている状況――後ろには一筋縄ではいかない敵が迫っている――これらに耐え抜き、彼女を助けるなど、私には無理だ。


 しかし、切り剥がすことなく――ただ死んでいる細胞から生きている細胞の大体の目安の所まで消すだけで良いのなら――

 生きている細胞を多少消したとしても――痛みだけでも、無くすことができるのなら――


「まだ助かります」

「…………え?」

「まだ、助けられます」


 サギニさんを抱いたまま、私は言った。自信は然程ないし、できるかどうかも結局は自分次第ではある。


 ただ、可能性や確率だけで言えば、一パーセントくらいは上がる。


 私の闇の霧で――できれば――死んでいる細胞のみを削るのだ。


 今までは生きている細胞と死んでいる細胞を乖離かいりさせることばかり考えていた。二種類の細胞の間に割って入り、回復を邪魔している細胞を傷口に沿って切り取る。

 今所持している小型で安物のナイフでやるとしたら、失敗はできないし、粗雑な切られ方になるので痛みも尋常じゃない。


 けれど、闇の霧で削るなら、感覚的には『在るものが何事も無く消える』というものなので、少なくとも消すことでの痛みは感じないし、それによる致死はない。

 空気に触れて傷んだり、多少の出血はあるが、痛みはナイフで切ることに比べれば、雲泥の差である。

 出血に関しても今更血が出たところで変わらないし、それは前者の方法だろうと避けられない。


 実際、先程挙げた厳しい要素は二つ目くらいしか消えないが、それでも十分だ。

 一つ目のは即行で回復魔法をかければ応急処置にはなる。この場凌ぎにはなる。この場が凌げれば、あとは私がエピシミアを倒す。


 果たして、私にそれができるかは分からない。さっきから名案良案を思いついたような言い振りをしているが、かなりゴリ押しの妙案であることは否めない。

 闇の霧もまだ精密に扱えるようにはなっていない。成功率もたかが一パーセントの差。

 けれど、今はこれにすがるしかない。

 何より、人の命だ。


 ――助けられる命にひた走れ――


 オールがバリウスで私に言った言葉だ。あの事件もそんなに前のことではないのだけれど、何だかあれからいくつも季節を巡ったような感覚だ。


「僕はあなたを助けられないかもしれない。そうなったら、あなたはエピシミアの奴隷になってしまうかもしれない」

「何を今更……私はもう――」

「けれど、助かるかもしれない」


 やらずに後悔をするならば、やって後悔をした方が良い。


 ありふれていて、その上聞き飽きるくらいに繰り返された台詞。

 けれど、こういった言葉が何故に何度も繰り返し口にされるかと言えば――誰もが納得する程の真実で、誰もが感服する程の名言だからだ。


 私はこの可能性に賭けたい。命が懸かることだから、この可能性に賭けたい。


「どうしますか? あなたは結局僕に命を預けることになる。けれど、終わらせるにせよ、続けさせるにせよ、僕は最終的な選択をあなたに託します。そして、できれば僕はあなたに後者を選んでもらいたい。もう一度問います。どうしますか――どうしたいですか?」


 腕の中に閉じ込めた彼女を解き、肩を両手で掴む。彼女の瞳は先程までの引き締まって震えていたものではなくなっていた。

 光を反射して、ゆらゆらと潤んでいる。気が緩んで、涙は我慢を知らずに先程の比ではない。


「…………生きたい……生きたい!」


 ――任された。


 サギニさんを岩石の地面に寝そべらせ、いざ私は手術を始める。


 私は右の手から、徐々に霧を出していった。

 針の穴に糸を通すような難易度だが、そんなことは正直気にしていられない。少しでも生きている細胞を残す為、傷の壁だけを削る。

 傷が動くと直接生死にかかわるので、治療する部位を押さえておく必要がある。


 その為、腹部の傷を治す時はまだセーフだったが、左胸部を治す時は完全に乳房を握ることになるので、早く終わらせたい善心と、できる限り長引かせたいという――唾棄すべき、けれど捨て難い欲心の板挟みになった。

 その際、サギニさんは青白かった顔を先程とは違う理由で、途轍もなく赤らめていた。たまに「あっ」って言うのに病みつきになる。


 結果として、私の無茶苦茶な手術は成功に終わった。

 もう少し感動的に躍動的に――臨場感たっぷりで語ることができたら良かったのだが、見える情景が美女の胸やら腹やらを触りまくる変態なので、どうしようもなかった。


 何にしても、私はサギニさんを助けることに成功したのだ。

 無論、私が施したのはあくまで応急処置なので、このままではいずれ貧血や身体の衰弱で死んでしまう。早くしっかりとした治療をしなければならない。

 その為にも、そこで今も横たわり笑っているエピシミアを倒さねばならない。


 ――否。既に彼は笑っていなかった。

 胴体から外れ、転がっている頭は一切笑っていなかった。

 折角手に入れられそうになった竜人を土壇場で奪い返されたのだから、機嫌を損ねていてもおかしくはない。しかし、元々そんな風な態度が取れる立場でもないだろうに。


 しかし、何故私がサギニさんを治療している間、彼は大人しくしていたのだろう。

 余裕の表れか? それとも、その間もずっと笑っていたのか?

 どちらにせよ愚かだな。


「…………ありがとうごさいます。あなたのお陰で九死に一生を得ました。あなたには本当に、何とお礼を言えば良いのか。命に代えても恩を返します」

「命に代えないで下さい。今助けたばかりなんだから、大事に大事にしてくれると嬉しい限りです」

「あ、はい。すみません。そうさせて頂きます」


 そう言い、彼女は立ち上がろうとする。それを私は慌てて制する。


「待って下さい。まだ動いてはいけないです」

「えっ、どうして?」


 どうしてって、そりゃあ。


「サギニさんは今酷い貧血状態です。多分回復魔法の副作用で若干の神経麻痺や、微量の体力回復がされています。感覚が麻痺しているだけで、自分で思うより体は堪えています。再度戦いに戻っても、さっきまでの動きの一割も発揮できないと思います。また怪我をする可能性が高いし、今度も僕は守れないかもしれないし、今度は治せないかもしれない」

「…………足手纏い……ですよね」


 ん、そういうつもりで言った訳ではないのだけれど、先程まで死にかけていたのだ。多少落ち込んでも仕方ないか。まあ、確かにオブラートに包まずに言えば、そうなるのだろうし。


「…………大丈夫です。僕が残っています。奴が死体であると分かったのなら、やるべきことは変わってきます。そして、それは必ずしも危機ではない」


 先程のことで、しっかりと分かった。


 私は弱い。心も体もお互いに追いついていない。

 今まで、ずっと誰かを助けてきた。

 王国を出てから、村も――街も――時には国さえもずっと守ってきた。

 だからこそ、慢心していた。自分は何でも守れるのだと。

 虚竜の襲来では何人もの人々が死んだ。

 私とて全部を守れてきた訳ではないが、それでも近くに居た者達は守ってきた。きっと知らぬ間に、遠くで守れなかった人々から目を逸らしていたのだろう。


 そして、この力のこともそうだ。

 手に入れた直後は力の大きさに危険性を感じた。故に育成学校を卒業間近で中退し、母国たる王国から去ったのだ。

 しかし、力の扱いに慣れていく内に段々と自分のものとして受け入れられた。

 最初から自分のものだったかのように考えてしまっていた。


 それが、間違いだった。


「もう、間違えない。私は大して強くはない。けれど、大丈夫。勝ちは強さに伴わず、負けも強さに伴わない」


 仮に間違ってもあの天才共とは月とすっぽん。雲泥の差。天地が引っ繰り返っても、彼らは努々ゆめゆめ落ちはしない。

 重要なのは、自分で自分を見ないこと。誰かで自分を見ること。


 私という人間の力量はどれ程なのか。その中でどう立ち回れるのか。どう立ち回れば勝てるのか。


 大丈夫。もう大丈夫だ。

 不思議なもので、大きな揺れで粉々に崩れると焦りが高く高く募るが、揺れが収まれば――或いはその揺れの中で生き抜けば、酷く落ち着きが戻る。


 いくら今の私の姿が闇竜とて、私の全てが闇の中に居る訳ではない。光の中で私が闇を作るのだ。


 サギニさんを殺されかけ、絶望すら覚えた私だが、包まれた闇の中で垣間見えた僅かで微かな光を掴み取った。

 あくまで危機はまだそこに寝転んでいる。


 そろそろ長くなりそうなので、早いところ決着をつけようか。


「それじゃあ、二度目になるが、私よ――武運を」



   〇   



 頭を地面に残して起き上がり、猛ダッシュで駆けるエピシミアの体はサーベルを握り締める。

 残された頭は右側頭部を岩に着けて、こちらを眺めている。


 私も同じように駆け出し、虚竜の剣を右手で握る。

 お互いの刃がぶつかり合い、衝撃と共に火花が飛び散った。そこで鍔迫り合いなどと無駄なことはせず、すぐさま第二撃へ動きを変える。


 今は竜人で、それを差し引いてもそれなりに力はある私だが、ブレーキもリミッターも外れた死体である彼には力では少々劣ってしまう。


 首のない彼と戦っていると、正に死体を相手にしているという感じがする。

 これは非常に気持ちが悪い。


 力の押し合いではどっこいどっこいで埒が明かないどころか、こちらの方が分が悪い。

 けれど、竜人は何も力だけが取り柄ではない。無竜ならともかく、何度も言うが私は闇竜の竜人。


 闇の霧で、お前の存在ごと消してくれる。痛みの伴わない死を与えるのは若干不本意だが、既に痛みも感じない死体なら関係ない。大体今更こいつの死に方に悩んでいる暇はないのだ。


 私は一旦距離を置き、手ぶらの左手から闇の霧を出す。

 この霧は形や大きさ、範囲は自由自在で、槍のように細長くして突くこともできるし、鎌のように薙ぎ払うこともできる。


 今回は私自身が後ろに退いたので、開いた距離を利用するに限る。

 槍の如く伸ばし、霧をエピシミアの胴を貫く。


 と、彼は咄嗟に出された闇の霧に一瞬動きに迷いが生じ、全身こそ奪えなかったが、サーベルを持っていない左腕を消すことに成功した。

 できれば、サーベルや杖などの道具類も消したかったのだが、向こうで寝転んでいる頭部の表情は「あ、やっちまった」と言う感じで、確実に痛手になっているのは見て取れたので良しとしよう。


 いや、そう判断するにはまだ早いか。先程まで彼は、自身があたかも生きているかのような風を装って、我々の虚を衝いてきた。

 手どころか腕を失っても痛みは感じないだろうし、今度も私を油断させる為の策略かもしれない。


 しかし、ここで手を緩める訳にもいかず、私は更なる追撃を仕掛けた。

 失われた左腕の断面図は案外グロく、気持ち悪さに拍車をかけた。


 今度の闇の霧は大波の如く大量に出す。私はここで止めを刺すつもりでいる。


 すると、彼はサーベルを鞘に納め、瞬時に杖に持ち替える。

 魔法陣を形成し、褐色の陣が霧の前に立ち塞がった。


「!」


 私は驚愕する――思いつきもしなかった、最強とも思われた闇の霧の――弱点を目の当たりにして。


 魔法陣からは大波のような闇の霧に対抗するべく、大量の土砂が雪崩れ込んできた。

 要するに、エピシミアは土砂崩れを巻き起こしたのだ。

 土魔法の応用だろうが、天災並みの魔法を自分の手で引き起こすとは、改めてエピシミアの魔力の大きさ、そのセンスを感じる。それで悪人でなければ良かったのに。


 しかし、彼が天災を起こせる程の一種の天才であることは紛れもないが、それ以前に判断力、知識量がずば抜けている。


 現に闇の霧は私の目の前で無効化された。

 全てを消し去る闇の霧が――目の前で消された。


 何にしても、彼の実行した闇の霧への対策に私は完敗し、闇の霧自体完封された。


 エピシミアが一体何をして、闇の霧を無効化したのか。まずそれを説明する必要がある。


 闇の霧は、そもそも霧なのだ。

 もや黒く霞かすんだ霧――霧はすなわち水なのだ。


 以前、私も少し調べたことがあり、その調査内容と今の現状や現象を照らし合わせて考えると、闇の霧の弱点は土砂だ。

 土砂に限らず、スポンジでも良いと思うが、何にしてもある程度吸水性があり、かつ吸った水を閉じ込められる物質が弱点であると思う。


 闇の霧は血液中の魔を闇物質というものに変換して出されるものらしい。闇竜は疾うの昔に絶え、研究も然程進んでいなかったので、詳しくは判明していないが、この点だけは確実だといつだかに学者が論じていた。


 そして、闇物質というのは私なりに解釈するならば、それこそスポンジみたいなものだと考える。


 闇物質を含んだ水滴、その集合が闇の霧。その水滴にも吸い取れる容量が決まっており、すなわち消せる容量にも限界がある。

 そして、その水滴である闇物質を効率良く処理することにおいては、土砂のような水分を含むと凝固する物体が最適なのだ。


 闇が土砂を吸収すると同時に、土砂も霧を吸収してしまい、結局互いに打ち消し合うだけになってしまった。


 彼は恐らく竜の箱庭に潜入するにあたり、闇竜のことにも深く調べたのだろう。こちらは禁忌でも何でもないので、探せば情報は集まるだろうが、私が驚愕したのはその驚異的な好奇心である。情報収集能力である。


 なるほど。闇の霧は死体には有効だと思ったのだが、こいつに対しては完全に封じられてしまった。

 仕方ない――他の方法で対処するか。良い情報が手に入ったと思えば、気も楽になる。


 しかし、闇の霧が封じられたとなると、案外悩ましい。

 死体を処理する方法は他にもあるが、火で燃やそうとすれば水魔法でどうにかなるだろうし、氷で凍らそうとすれば火炎魔法でどうにかなるだろうし、毒で溶かそうとすれば魔法障壁でどうにかなるだろう。

 こちらの大抵の攻撃も奴の魔法の威力ならば、簡単に対処されてしまう。


 しかし、向こうに全くの弱点やハンデが無いかと言えばそんなことはなく、私はそれを理解している。


 彼は私を上手に殺さないといけない。

 無理矢理に炎なり氷なり雷なり毒なりと、馬鹿でかい魔法で殺そうものなら、私は死体になっても機能しない可能性がある。

 彼が私を殺す条件として、形を崩さず細胞を壊さずに殺す必要がある。


 お互い不利な点を抱えて戦うことになる。


 私は闇の霧での処理を諦めて、剣で戦うことを決意した。

 ならば機動力に長けたものになるのが良いだろう。


 大分久し振りだが――割と私はこの姿を好いている。ナキとお揃いなので――私は鬼人になった。


 鬼人は他の亜人と比べれば多少小柄ではあるが、裏を返せばそれは小回りが利くということである。

 筋肉が細く柔らかい鬼人は瞬発力や機動力に長け、本来近接戦闘を得意とする種族なのだ。ナキのように魔法の方に特化している者は稀だろう。


 剣を両手で持ち、大振りにエピシミアへ刃を向ける。

 鬼人は機動力などに反して筋力の強さは若干劣るので、剣は両手で持って丁度良いくらいだ。元々力では負けているので、余り関係ないが。


 横薙ぎに振るった剣をエピシミアは背中を仰け反らせて避ける。なのに、全く体軸がブレていない。すぐに上体を起こしてサーベルで反撃に出てきた。

 冴え渡った動きに翻弄されぬよう警戒しつつ、彼の反撃をこちらも刃で受け止める。


 攻防は逡巡と繰り返された。

 剣を振り、受け止め、剣を振り、躱し。

 それらを何の意思疎通もなく、ただただ目紛めまぐるしく巡る攻撃に神経を張り詰めるだけ。

 いくつもの火花は辺りに飛び散り、時々それが頬を擦り、肌を焦がす感覚が脳裏にまで焼きついた。

 先に崩し、それを逃さなかった者が勝つ。お互い言葉にせずとも理解し、その機会を無言で誘い合い、奪い合っていた。


 静かな時間が延々と廻り、剣と剣とが交わる音だけが箱庭に響く。輪の中に迷い込んだ愚者のように、私達は無心で――夢中で刃だけを交わす。

 まるで、今ここには私とエピシミアしか居ないような――ほんの少し、心地の良い空間――


 ――いけない。

 そんな考えは非常にまずい。私は断じて心地良さなど覚えていないし、この時間と離れ難く思ってもいない。むしろ離れたがっている。

 早く終わらせたい。あーあ、早く終わらせたいなあ。


 その思考こそが、まずかった。

 何を考えたとか、その考えの内容がまずいとかは置いておいて、それについて余計な方向へ思考が流れていったのが駄目だった。

 戦いとは関係ない考えが過ぎり、私の動きは一瞬でも鈍った。それこそが命取りだと、重々承知していたはずなのに――


 要らんことに意識を寄せたことで、私の攻撃はするりと躱され、私がそれに気づいて反応したのは僅かコンマ一秒程度の差で、それが危険を招いた。

 行動が遅れた私の隙をエピシミアは逃すことなく衝いた。


 私のがら空きになった喉元を貫こうとしている。サギニさんのように出血に因る致死ならば時間的に猶予があり、助かる余地はあるが、喉はさすがにまずい。間違いなく即死だ。


 今思えば竜人になれば無傷で解決できたのだが、私はつくづく焦りやすく、慌てやすい。まだまだ心は柔いままだ。


 迫るサーベルに対し、多少無理矢理にでも左手を出して喉を庇った。サーベルはまるで豆腐でも切るように、左掌を易々と貫いた。

 ――痛い。想像以上に痛い。思えば国を出てからろくに怪我もしていなかったので、こんな鋭く冷たい痛み は久々だ。


 しかし、これでエピシミアの攻撃は終わりではなかった。


 彼は私の掌を貫いたサーベルをそのまま押し込んでくる。手の傷口は広がり、その先の喉元は結局危機から逃れておらず、今にも貫かれようとしている。


 必死に首を傾かせ、ぎりぎりでサーベルの刃を躱す――否。躱せたのはあくまでも喉で、首の皮は刃で傷つけられた。

 不幸中の幸いなのか、頸動脈は斬られていないらしく、多少血を流しただけで済んだ。文字通り、首の皮一枚繋がった、という訳だ。


 エピシミアは私の急所を衝き損ね、かつ今の彼は腕を伸ばしきった状態で、無防備極まりない。

 ここ一番の隙を衝けなかったことで、今度は自分の隙を晒すことになった。


 しかし、このままでは決め手に欠ける。

 私は庇ってくれるものもない彼の腹を蹴り飛ばし、エピシミアの胴体を吹き飛ばす。さすがにサーベルは放さないようで、私の傷口を血塗れの刃が逆流して痛い。


 しかし、回復魔法をかけている暇もない。

 この機会は逃さぬ。


 全力疾走でエピシミアへ駆け寄り、起き上がった彼がサーベルを再度振るうその瞬間――刃に当たる直前で身を屈め、彼の懐へ潜り込む。


 猪の如く突進した私は、額から伸びる鬼の角を彼の腹に突き刺した。

 この角は硬さこそあるが、それ程鋭利に尖ってもいない。けれど、全力疾走で駆け込んで突っ込めば、人の肉くらいは容易く貫く。

 どうせ痛みは感じないだろうが、サギニさんの美しい腹を貫いた償いだとでも思っておけ。


 しかし、私とて意味のない贖罪しょくざいを与える為に突っ込む程の愚か者でもない。


 これは囮だ。


 虚竜と戦った際に私が囮となり、ナキが本命となったように――今回は私の角が囮になり、私の指が本命となる。


「!」


 どうやらエピシミアも私のやろうとしていることを察知したらしく、腰に纏わりつく私を引き剥がそうと、激しく抵抗する。

 焦り、慌て、抗い、暴れる。

 堪え兼ねた彼はサーベルを私の背中に振り下ろした。


 体中に激痛が迸る。


「ぐう……!」


 どうやらサーベルの刃は体を貫通したらしい。

 熱は感じないので、刃は炎で炙られていた訳ではなさそうである。奴もそこまで頭が回らなかったようだ。むしろ、私は寒気さえ感じる。


 痛みの発生源はどうやら腰と脇腹の間辺り――運良く急所は外れている。

 恐らくだが、視覚を持った頭は向こうで転がっているので、どこら辺が急所なのか――どこを狙うべきなのかが見えなかったのだろう。内臓も傷ついていないみたいだ。

 先程は考えなしにエピシミアの首を切ったが、まさかあの行動に助けられるとは。


 しかし、それに関係なく、痛みは骨や肉を喰い散らかすが如く、体中を駆け回る。

 耐えろ。耐え抜け。たった指一本の姿を変えるだけなのだから。

 早く――早く――


 ――と、その時、またも体に激痛が走る。


 いつの間にか、エピシミアはサーベルを私の背中に刺したままにし、空いた右手には杖を持っていた。

 そして、杖の先端をサーベル同様に振り下ろす。微妙に尖った杖で、私の肉は無理矢理貫かれた。

 ――杖ってそう使うもんじゃねえだろ!


 けれど、無茶苦茶な使い方をしてくれたお陰で、魔法を喰らうよりも傷は小さく済んだと思う。エピシミアも思考は正常じゃないらしい。死んでいるのに、焦るのだろうか。

 その上、またも急所を外しているようで、私は何とか生き延びた。


 かと言って、やはり痛いものは痛い。


 私は口が裂ける程の大口を開き、喉が枯れる程の大声で嘆いた。

 痛みが体を震えさせ、涙を無理強いする。

 サーベルの鋭い痛みが体を徐々に冷やし、杖の鈍い痛みが体を徐々に熱くする。


 痛い――そう、これが痛いということだ。

 前まで死ぬ程味わっていたそれは、久方振りに私を訪ね、抱き着いてきたように離れない。


 私の肉も二つ穴が――否。掌のも合わせれば、三つか。何にしても穴だらけだ。


 嫌になるくらい、痛みは私に絡みつく。

 今すぐにでもエピシミアから離れて、サーベルと杖を引き抜きたい。できることなら回復魔法もかけて、家に帰って、ご飯食べて、布団に潜って、安静にして寝たい。寝る前に歯も磨きたい。


 それでも、私にはそれを無視してでも、ここで痛みに耐える必要がある。

 痛くて辛い以上に――怒っている。


 誰かの為などではない――自分自身の私情が怒りに燃えている。


 アンドレイアとちゃんと話せたのは、二回だけだった。

 けれど、私はその二回の会話の中で、彼と確かに触れ合った。

 彼の辛さも臆病さも、叫び出したい程に心の形と合致した。家族への仕打ち――その点において、私自身も後ろめたさがあるから。

 どうにも脆い彼をどこかで自分と重ねてしまっていた。


 だから――彼と出会えたのが、とても嬉しかった。

 もっと沢山――話したかった。


 オールはいつも強かった。

 洛北竜がどんな存在なのか、その気性はどんなものなのか、言伝ことづてでは聞いていたけれど、案外当てにならないものだ。

 どんなに公の場で気高く振る舞っていても、家に帰ると彼女は誰よりも小さな女の子だった。まだ甘えたい年頃の女の子だった。

 それが私は愛おしくて――目に入れたって痛くない。サーベルや杖とは訳が違う。


 何より私は彼女の笑う顔が好きだった。涙は数えられる程しか見せてくれないから、記憶に多いのは笑顔ばかり。


 だから――彼女が悲しみでうずくまった時は、私も悲しかった。

 辛さで零す涙を――私は見たくなかった。


 故に私は耐えるのだ。

 痛くて泣いても――血反吐を吐いても――消えない傷が残るとしても。


 嘆くのはもう止めだ。その代わりに、飛び切りやかましい咆哮を上げてやる。


「ぐ……うう……うう、ううううおおおおおおお、おおおおおおお、おおああああああああああああああああああああ――!」


 痛みを自身の雄叫びで掻き消し、人差し指一本にのみ、意識を集中させる。


 大丈夫――絶対に大丈夫――勝つ――絶対に勝つ――絶対に、私が勝つ!


 血が滴って赤く染まった左手の人差し指は、その時もう既に漆黒の鱗で覆われていた。


「僕の……勝ちだ!」


 不運な私の――武運が勝った。


 指から大量に流れ出た闇の霧は、エピシミアに対処させる間もなく、彼の胴体を包み込み、刹那の後には私は空虚を抱いていた。


「…………やった」


 そう呟いたのは、私ではなく、後ろで横たわるサギニさんだった。


「…………やった……やったよ、皆……フィンさんが……やってくれたよ…………」


 振り返ると、そこには雨に濡れた子猫のように、蹲って震える彼女が居た。

 鉄の刃が擦れ合う音が終わると、今度は彼女の声が辺りに響き、次第にその声は嗚咽へと変わっていった。


 私はサギニさんに真っ直ぐ駆け寄りたかったが、そうもいかない。

 まだ敵は完全に絶えていない――頭一つで耐えている。


 私は体中血塗れのまま、岩の地面で死んだような顔をしているエピシミアに近寄った。

 既に死んでいるので変な話だが。


 私が――生きている割には光が死んでいて、死んでいるには感情が生きていて、生と死の境をふらふらと彷徨っているように見えた――と言ったが、それはあながち間違いじゃなかったのかもしれない。

 本当、死んだ魚のような目をしながら、その奥の心は生き生きとしていた。


 しかし、今は完全に死んでいる。

 目も――心も。


 完全に諦めているらしい。

 今の戦闘は長々と話していたより、そう時間はかからなかった。見ている分には一瞬の出来事だったろう。

 傍観した位置で見ていた彼は、本当の意味で私と戦っていなかったとも言える。


 流れるように過ぎた時間は彼を置き去りにして、終わった頃に敗着を知らせた。


「もう、お前の負けだ。『神狩り』は為されないし、為される必要もないし、為されるべきでもない。お前は間違っていた」


 彼は黙ったまま、私を睨む。


「結局僕が勝ったんだ。この惨事を引き起こしたお前の作戦も策略も、ここで終わりだ」


 彼は黙ったまま、私を睨む。


「脳としては優秀だったお前も、私に戦いで負けた」


 彼は黙ったまま、私を睨む。


「……何か言うことは無いのか? ――とは言っても、喉がないから喋れないか」


 彼は黙ったまま、冷笑する。


たわけが」


 私はどこからともなく聞こえてきた言葉に驚く。面には出さなかったが、内心ビクついた。

 心に直接語りかけてきている。これは――テレパシー?

 ネクロマンサーにしてテレパシストか。最後の最後でぶっ込んできたな。こんな高度な魔法まで使えるとは、本当に惜しい人材だ。


「何か言うこと? 謝ってほしいのか? あがなってほしいのか? ならば残念だが、私はしない。最後の最後までお前らを嘲けるだけだ。私の怨念はここに残り続け、いつの日かお前ら全員を祟り殺してやるさ。どうせお前らは皆世界の歯車。神の傀儡かいらいに過ぎない。上を見なければ、いつまでも支配されるままだ。一生操られる――傀儡のままだ」


 その言葉を受け、私は惨めに転がる敗者の首に倣い、冷笑を零す――


「お前だって傀儡だろうが」


 彼はまた黙り出し、私を睨む。


「それに、この世界は案外楽しい。これを神が用意してくれたのなら、僕は彼らに感謝さえするさ」


 そう言ってしまえば、世界自体が箱庭みたいなものなのかもな。

 神によって創られた――箱庭。


「お前の思考や嗜好はせない。価値観や快感は解せない。だからこそ、お前のやりたかったことはあり得るのだと解せる。結局皆、三者三様、十人十色、唯一無二の存在だ。僕はお前を否定するけれど、お前はお前を否定するなよ。でないと――お前が殺した者達が何故殺されたのか、意味が無くなる。せめて、彼らの死を無意味にしないでくれ」


 彼は黙ったまま、私を睨まない。

 もう見てすらいない。

 思いも寄らず着地点を見つけたような顔で――色の無い眼を、何も考えずに空に向けている。


 私は竜人になり、闇の霧を溢れんばかりに垂れ流す。

 そしてそれを、握った剣に纏わせる。


 ――その時、私達が佇む一帯を、天井の穴から差し込んだ陽光が照らした。

 きっと太陽は今まで雲に隠れていたのだろう。そして、戦いの終結と共に顔を見せた。少しフライング気味だが。


 闇に包まれた剣の刀身が、陽光を浴びて煌々と輝き、まるで暗黒の中を迷わず進み続ける一筋の光芒こうぼうのように見えた。


 ――剣を振り下ろす。


 消える直前、彼の口が静かに動いた。

 今度はテレパシーではなく、自身の口から零れた無音だった。


 ――俺は正しい――


 彼は音もなくそう言った。


「お前は間違っている」


 私は言葉にしてそう応えた。


 地面には、何も残っていない。


 永く続くかに思えた箱庭の戦いは――半日とかからずに終わった。

 隠されたこの地で、誰にも知られることのない戦いが、竜達の勝利で締めくくられた。

 

次回にご期待ください。


本作品は、不定期更新となります。次の物語をお待ちください。

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