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Light in the rain   作者: 因美美果
第四章――3
28/77

『嗚咽』

まだまだ未熟なので、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。


※この作品は、少し残虐なシーンが含まれます。また、少し刺激の強いシーンが含まれます。以上のことが苦手な方はご観覧をお控えください。


この作品は、私の溜め込んできた物語をひたすらに詰め込んでいます。

それでも楽しんで頂ければ幸いです。

 父を亡くし、(おもて)では無感情で何ともない風を装っている私だが、心の中までそういう訳にはいかなかった。


 千六百年余り生きてきたこれまでで、あんなにも許すことのできなかった者も居なかったが、あんなにも愛した者も居なかった。

 私に唯一残っていた家族を失い、私が何とも思わないと思われているのであれば、それは間違いだ。それはもはや、悟りに達した賢者ですらない――感情を失くした狂者だ。


 敵の手に渡ってしまった父はかつての同胞に牙を剥き、挙句見ず知らずの輩の命令に大人しく従っている。度し難い限りだ。


 私は空高くへ舞い上がり、飛び去っていった父を追っていた。


 方向から察するに、竜人の村へ行こうとしているのだろうか。

 それが偶然なのか、それとも意図的になのか。

 どちらにせよそれは彼自身の判断ではないだろう。あの沼の底から這い出てきたかのような不気味な男――エピシミアの思惑に違いない。


 ネクロマンシーに関する知識はそれなりに持っていた。

 私とて、生まれてからの百年間を惰性だけで学んでいた訳ではない。妥協ばかりで過ごしていた訳ではない。やるからには、完璧にやっていた。


 ネクロマンシーにかかった死体を排除する方法は然程ある訳ではない。逆を言えば、行動選択で迷う必要もない。

 その中で私が採れる行動は、火竜という立場を生かした細胞の燃焼による処分だった。私の火炎ならば、この島に無許可で立ち入った死体共を蹴散らすことなど容易い。


 ただ、一つの存在を除いて――


 私が今追い、退けようとしているのは父である前に、火竜なのだ。

 心こそ脆かったが、その肉体は嘘偽りのない強さを持っている。私の火など恐るるに足らんことだろう。今は弱い心さえ失くし、弱点はおよそ見当たらない。


 さて――どう倒したものか。


 この魔法の恐ろしいところは、元凶にして原因たるネクロマンサーを討ったとしても、死体は変わらず動き続けることである。嫌なものばかりが増え、得するものは何も無い。

 たとえ、今フィンがエピシミアとかいう餓鬼を滅したところで、私が今追っている父がいきなり止まったりはしない。


 全く、最悪の敵だ。醜悪で性悪な敵だ。


 何せ、父を殺した上、私に濡れ衣を着せ親の仇をこれから討とうと思っていた矢先、よもや親が(かたき)へ回ってしまったのだから、私もつくづく度し難い。フィンは自身のことを不運極まりないなどと自虐しているが、私も大概だ。


 父は相変わらず島中の空気を切り裂くように翼を羽ばたき、猪突猛進に突き進む。

 ――否。死体とは言え、目指している地点があるのだとすれば、それは一概に猪扱いできん。そうならば、やはり辿り着く場所は――


 やがて地上にいくつものテントが見えてきた。男は狩りや畑仕事、さらには騒ぎもあった為に見張りや事件の調査に出てしまっているので村の中にはいないようだが、逆に女、子どもが村の外にぽつぽつとおり、テントの中にいる人数も考慮すると、父の死体に襲われる数は相当だ。


 被害が大きくなる前に、手を打たなければ――


 私は急いで父よりも村へ降り、竜人達に対し目一杯呼びかけた。

 空でそのまま父に攻撃しても良かったんだが、それでは真下にある村に被害が出てしまう。重要なのは彼をここへ近づかせないことだ。

 幸いにも、死体となった父の眼中に私はいないようで、私が真横を通り過ぎても何の反応も見せなかった。


「聞け、皆の者! この島は敵襲を受けている。女は全身全霊で子どもを守れ。あの竜は魔法により動いている死体だ。決して近づくな!」


 それだけを伝え、私は父の死体への警戒を続ける。先程サギニが他の竜人に急いで戦闘態勢を取らせるように言ったが、私達よりも先にここへ着いているということはないだろう。

 となると、村にいる竜人達はこの島の事態の全貌を把握できていない。何よりも彼らの安全を確保し、そして生き残る術を教えなければならない。

 いずれサギニの命を受けた竜人が来るだろうが、それまで私もここを守らねば。


 悪いがここも私の宝なのだ。死に絶えた敵にやれるような代物ではない。


 そうして、父が地上の村へ降り立つのを待ったが、彼はいつまで経っても空を飛び続ける。

 どうした――降りてこないのか?


「洛北竜様、これは一体……」


 竜人の男が一人横にやって来て、戸惑いながら訊ねる。

 何だ、男もいたのか。村の警備も勿論あるので、考えてみれば当たり前かもしれない。


「お前は村の者達を守っていろ。詳細まで話す時間はないが、朽ちた人間や異形の者がやって来たら、構うことなく焼くか凍らすかしろ。決して油断はするな」

「……はい、了解しました」


 私の重々しくも威厳ある物言いが伝わったのか、彼は深く頷き、それ以上は何も訊かなかった。

 うむ、良い子だ。


 その瞬間、空を駆ける父の動きがぴたりと停止し、空中で羽ばたいたまま静止した。


 …………? 何だ? 何を渋っている。

 虐殺が目的ならば奴隷となり果てた父も、さっさと降りてこの村を襲えば良いだろうに。一体何を迷う必要がある。臆病なのは死体になっても変わらんのか。そんな風に周りを見回して――


 ――違う。

 彼は何も迷っていない。彼は――探しているんだ。自分の行くべき場所を――自分の目指すべき場所を。

 しかし、ならばどこに行こうとしているのだろうか。彼が目指しているのはここではないのか。だとしたら、一体……。


 ――と、父は目的地を定めたように一点を見つめ、その方向目指して進み出した。


 それは今までと進行方向はほぼ同じでわざわざ止まる必要はなかったように思えるが、それでは駄目なのだ。正確にあの場所には辿り着けない。

 そう。彼が目指しているのは、この村ではない。私が好いた場所で、あの娘が好いた場所で――何より父が好いた場所。


「――湖畔か」


 私は再度空へ舞い上がり、矢の如く父の背を追いかけた。


「洛北竜様、どこへ」

「父を追う。お前達は(きた)る敵に備えろ」


 彼は私のけじめだ。(しか)と別れ、必ず伝える。できれば生きている間に伝えられれば良かったが、そればかりは情けない自分とあの気色の悪い男を恨むしかない。


 父はしばらくして地上に降りた。死にながらにして熱く滾るその体を地面に着ける。


 既にそこは湖畔だった。


 私も父に続いて地に足を着けて、父の後ろをゆっくりと歩く。


 日の光は届いておらず、湖の水面は父が着地した際に生じた風で、荒れる海の波にも匹敵していた。

 畔に咲いた花は相変わらず散っていて、私と娘が戯れた跡が鮮明に残っている。今朝のことだ。残っていて当然。

 娘が散々出した火は全て鎮火しているが、虚竜が散々暴れて引っ繰り返った芝の大地は崩れたままだった。


 この光景を見て、彼は今何を思っているのだろう。

 悪いな。あなたが教えたこの湖畔はあなたが教えた二人とあなたの親友によって壊れてしまったよ。直すには、何年かかるだろう。


 すると、父は私の方へ振り返り、その瞳孔が開ききった目で睨んだ。あまりに冷たい――まるで今まで私が彼に向けてきた眼差しのようだった。死んだ後にやり返しを喰らうとはな。


 父は駆け出す前に猪のように足で地面を削る。足元にあった草花は散り、空の彼方へ飛んで行く。


 何の前振りもせず、突然駆け出した父はその口に燃え盛る炎を溜め込んでいた。


 ――やるしかないのか。


 私は翼の手を大きく開き、突進してくる父に備えた。

 父は走りながら火炎を放射する。私は避けるような真似はせず、そのまま受け止めた。私の鱗は火炎を浴びてもビクともせず、構わず父へと一直線に駆け出し、翼の手を握り締めて思い切り振り被る。

 父の額から鈍い痛みが反射してきた。


「くっ、さすがに硬いか」


 父の鱗は飾りではなく、私の渾身の殴打でも罅一つ傷一つつかない。振動はあるだろうが、死体に脳震盪で動かなくなると望むのは愚考だろう。


 父は私を頭で押し退け、そのまま前足の大爪を私に向ける。私は真後ろに退いて、棍棒のように太く、鉈のように切れる爪は地面に深々と刺さった。

 虚竜のような鉤爪ではない故、簡単に抉られることはないが、それでも私の鱗を貫かない根拠はない。


 生まれてこの方、一度として親から暴力を振るわれたことはなかったが、こうして相見えるとなると、恐ろしさを知らされる――強いられる。


 しかし、それは向こうも同じだ。

 私とて彼に爪も立てたことはないし、牙も剥けたこともない。いくら荒れた時期があったとしても、暴れたことなどただの一度もない。


 ――生涯において、そんな機会が訪れるとは努努(ゆめゆめ)思わなかったが。


 今度は私から駆け寄り、父に剥けたことのない牙を威嚇するように見せつけた。

 彼の喉元に飛び込み、私の大牙で大木のような首に噛みついた。


 だが、これもまた失敗だった。私の牙は到底彼の鱗を破るに値せず、むしろこちらの牙が折れそうな程だった。


 その時、私の頭を父は翼の両手で鷲掴んだ。彼の首に意味なく噛みついたままの姿勢でがっちり固定されてしまった。

 どうにか抜け出そうと、私も両手を用いて頭に引っつく大きな手を剥がそうとするが、相手の掴む力も馬鹿にならない。抵抗しなければ頭蓋骨が割れそうだ。


 為す術なくもがく私に構わず、父は前足の爪を再度高々と上げ――振り下ろされた。


「…………!」


 父の刀剣の如き爪は鱗を破り、私の背中の肉まで刺し貫いた。

 まさか私の鱗が破れるとは。それなりに自身の肉体には自信があったのだが、父の持つ刃はそれ以上だった訳だ。親を超えるにはまだ早いのだろうか。


 父の猛攻はそれでは収まらず、続けて何度もその爪を振り下ろし、私の傷口を抉るように掻き開いた。

 体の肉が掻き混ぜられている感覚が全身に響き渡り、父はまるで泥遊びでもするように私の血肉を弄んだ。

 血に濡れ、(まみ)れ、剥がれた鱗が地面の上に飛び散り、縛られたように動けぬ私はただそれを眺める。

 足掻く力も弱まり、意識は朦朧もうろうとしている。痛みが段々と薄れてきて、やがて地と足の境目が無くなる。


 ――私は半ば諦めていた。


 結局父は強かった。私よりもずっと。

 臆病などと言いながら、結局は私の方が弱かった。

 父を前にし、無意識の内に臆していたのかもしれない。

 愛した父を敵として討つことなど、私には荷が重過ぎたのかもしれない。


 ――いや、そもそも攻撃を仕掛けられた時に、既に勝負は決していたのだろう。

 言葉にこそしてもらえなかったが、彼は私を愛してくれていたはずだ。烏滸おこがましいが、きっとそうなのだと信じていた。

 その彼に殺意を持って近づかれたその時に、臆病になっていた。

 その事実を目の前にしただけで、心は臆し――気圧され――吹き飛ばされた。


 何においても、私は負けていた。

 爪は私よりも鋭く。

 牙は私よりも尖り。

 鱗は私よりも硬く。

 心は私よりも――強かった。


 しかし、きっと彼の心はもう強くもない――失くなってしまったのだから。

 死人に口なし、心もなし――『愛している』と、聴くことももう叶わない。


 ありながら弱い心と、無い心、一体どちらが良いのだろう。

 ありながら強い心と、無い心、一体どちらが良いのだろう。

 まあ、良い悪いの問題ではないか。


 兎にも角にも、私は今から殺される訳だが――その刹那、何か温かいものが私の中を駆け巡った。



   〇   



「オール、こっちへついておいで。大丈夫、良いものを見せてやろう」


 記憶の中の父はいつも優しかった。自分がしている仕打ちに後ろめたさを感じ、私にあがなうように接していた。

 私の顔色を伺い、私の声色を窺い、その行為が私と彼の溝をさらに大きく深めた。反対に、良い関係はいつまで経っても深まらぬまま。


 遥か昔、まだ銃器すら生まれていなかった頃、今日もまたお勉強かと草臥くたびれていた私は、父の元へ帰った。夕空が窮屈そうに天井から顔を出し、酷く憂いていた。


 父の元へ帰り「ただいま帰りました」と、不貞腐ふてくされたように呟く。

 すると、いつもならばすぐさま「楽しいお勉強が始まるぞ。今日もオールはさらに賢くなってしまうのだなあ」と、下手な口調でおもねるのだが、その日の父は違った。


「オール、こっちへついておいで。大丈夫、良いものを見せてやろう」


 一体何のことかと疑いつつも、私はぎこちなく頷いた。今更この父の言う良いものを信じられるはずもないのだが、拒む訳にもいかず父の背を追った。


 大体父が良いものと言うものは良くない。良くなくはないかもしれないが、嬉しくない。彼が良いものと言う場合は、大抵新しい勉強を出す際に、私が疲れる顔をするので楽しませようとして言うものだった。

 良いものと言って渡してくるのは嫌なものなのだから、がっかりすることこの上ない。どうせなら底辺まで下げて言ってから、渡してきてくれた方が、まだ「何だ、そんなことか」と、思えるのだが。

 父はつくづく空回っていた。必死にこちらのことを考えた挙句に間違えるのだから、度し難過ぎる。


 親子で並び、ひたすら道を歩いていた。日はもう沈んでいて、光竜の巣が島を照らしているだけだった。

 竜人の村を通り過ぎ、村人達に軽い会釈をする。もしかして、今日は竜人の村で遊ばせてくれるのかと期待を抱いたが、その希望はすぐに潰えた。

 父は竜人の村を真っ直ぐ抜けて、その先の暗い森へと入っていった。

 何だよ――違うのかよと、さらに不貞腐れた私は餌を貰えない子猫のように父を睨んだ。

 私の気持ちも露程も知らず、父は莞爾と笑って「もうすぐだぞ」と、言う。


 一体何が私を待ち受けているのだろうか。どんな萎えるものが私の前に現れるのだろうか。


 がっかりする準備もできたところで、私は俯いていた顔を上げた。


「…………うわあ」


 そこは、花畑に囲われた広大な湖の畔だった。


「どうだ、綺麗だろう?」


 湖の水面には月の如く輝く光竜の巣が映っている。揺蕩う水面が月を揺らし、数多あまたの光が星のように瞬く。あまりに眩しくて、目が眩みそうだった。


「……綺麗」


 私は思わず呟き、自分の言葉に驚く。荒んだこの心にもものを綺麗だと思う感情はまだ残っていたのだ。

 そのことに妙な恥ずかしさを覚え、私は口を縛った。素直になれない娘を見て、父はさらに笑顔を零した。


「青かった顔に赤みが差した。火竜故に元々赤い顔だが、それでも喜んでくれたようで良かった」


 私は彼の顔を見れずにずっと湖を眺めた。


「この場所は割と皆知っているのだが、この光景は意外にも誰も知らない。教えてやろうとも思うのだが、暗くならなければ見られぬ光景だからな、迂闊に教えると子どもがいなくなるやもしれん。それに……」


 父はそこで少し言葉を溜める。

 何だ、焦らさずにさっさと言ってくれ。


「それにな……ここは母さんにしか教えてなかったから、次に教えるのはオールだと決めていたんだ」


 教えられて良かった――と、顔を少し赤らめて言う。元々赤い顔だけれど、何やら照れているらしい。大の男が何を赤面している。こちらまで恥ずかしくなるではないか。


 それから、しばらく親子で並んで歪む月を眺めていた。ちらちらと父の顔を見ると、細い横顔が時々勇ましく見える。

 これが私の父なのだ。


 そんな記憶が走馬灯のように素早く、けれど鮮明に流れてきた。



   〇   



 背中の痛みは益々増していくが、それすら分からなくなり、正常な意識なんて既に持っていなかった。


 痛みも苦しみも辛みも悲しみも――全ての負の感情が気にならなくなった。

 気に入らないことすら、気にならなくなった。


 それ程までに――気は確かではなかった。


 もう首に噛みつく力すら抜けて、頭は父の掌に預ける他なかった。

 父よ、素直になれずに今までできなかった分の最後の甘えと受け取ってくれ。


 最期の時は、父がくれた愛しいこの湖畔を眺めて締め括ろう。

 残念ながら、日は天辺を通り過ぎた辺りで、光竜の巣はまだ輝いていない。私達の好きなあの光景を見ることは叶わないけれど、それでもここへ導いてくれたことには感謝している。


 ああ――あの日と変わらず水面は揺れている。


 綺麗だ。こんな景色を背景に終えられる命なら、案外悪くはないのかもしれない。痛いのは最初だけだったが、感じなくなれば、楽なものだな。


 グッバイ、マイライフ。アンドラブ。

 愛する者達よ、悲しませてごめんなさい。


 ああ、そういえば、まだ父に伝えていなかったな……虚竜にもそれを踏まえた上で、父を私に任せてもらったというのに。


 結局伝えられぬまま、私は散っていくのだな……そうだな、そう思うと、もう少し生きていたかったとも思う。今更そう願うのも勝手なのだろうか。


 もしかしたら、彼だって本当は私のことを愛していなかったかもしれないのだ。

 きっとだとか何だとか、言いながらも私が彼に愛されている証拠は実際一つもないのだ。

 想っている――と言われてはいたが、自分でも分かっていたように、彼は私に――愛している――なんて言ったことはなかった。

 何を想っているなんて、誰を想っているなんて、私は聴いたことがなかった。


 ならば、単純に彼は私のことを初めから愛してなどいなかったのでは――

 だから、彼は言葉にしなかった。元から、言葉にする程の想いなど持っていなかったのだから。


 というか、その確率の方が高いだろう。あれだけの嫌な態度を取ったのだ。辛い過去をいつまでも抱いたまま、父に酷いことばかり押しつけた。

 私のことを疾うの昔に嫌っていてもおかしくはない。

 腹の底では私と顔を合わすことすら嫌になっていても仕方がないのだ。


 ああ、もう本当、最悪だ。全部私のせいなんじゃないか。私が童のように不貞腐れていたから――私が素直に彼を許さなかったから。


 違うんだ。私はもうあなたを許している。恨む気もない。怒る気も失せた。後は伝えるだけだったんだ。


 けれどもう、遅過ぎたかな――




 ――知らぬ口を利くものじゃない――




 ――ふと、思い出す。彼がよく言っていた言葉を。

 もうしばらく聞いていなかったが、記憶の中で雷のように過ぎった。


 知らぬ口――か。

 確かに私は知らないな。

 彼が私を愛していたか――愛していなかったか。

 知らない。

 全然知らない。

 聞いたことない。

 結局答えは二つに一つだが、結局それを知ることはもうない。

 だったら、もう関係ないか。


 あとは私が――私自身が、生きたいかどうかだ。


 そうだな。死ぬには、まだ早過ぎる。


 私とて伝えていないことがあるんだ。彼が私をどう想っていようと、私が彼を愛することには変わりない。

 死体に言おうが変わりない。


 全く、やはり私もあなたの子だ。


 親子揃って――度し難い。


 私は痛む全身を震わせ、今も尚広がる傷口に魔を集中させた。

 私の母は偉大なる魔竜。この血のお陰で、生き長らえる。


 傷口が開いた傍から、魔法で再生する。一傷つけられたのなら、十治す。百傷つけられたのなら、千治す。

 魔は無くなる一方だが、いずれまた戦えるようになる。

 私の頭を抑えるその両手も、魔法で剥がせば良い。私は火竜にして魔竜――父の血を継ぎ、母の血を継ぐ者。母は死んだが、その血は今も私の体を廻り、魔を宿らせて私に手を差し伸べる。


 苦しい痛みがやがて戻ってきて、大分意識や感覚が回復したのだと分かった。

 そう――傷はこんなにも体を刺し、こんなにも体を熱くする。

 煮え繰り返るように、私に身はこんなにも高揚している。


 あとはどうやって父を葬るかだが……。


 私は必死に考える。

 火はどうせ効かない。私より上位である彼の火炎が私の鱗に意味を為さなかったところを見ると、私の火もまた彼に効果を示すとは思えない。


 私は必死に考える。

 しかし、ネクロマンシーで死体が動く原理はおおよそ思いつく。死体は神経に関係なく、細胞一個ごとに動いている。

 鱗は硬くとも、その中の肉や骨までも同じ程の強硬さを持っているとは思えない。であれば、中の肉を焼いてしまえば、倒せるはず。


 私は必死に考える。

 しかし、それをする為には結局のところは外壁たる鱗を破壊しなければならない。

 フィンのように耐熱性を持った生物になり、口内から侵入して暴れ回るというのも手だが、仮にサラマンダー共の火が火竜の肉を焼けるかは怪しい。

 逆に、フィンの時は大人しく黙っていたが、今父は絶え間なく動いている。下手に口内に入ろうとして、噛み砕かれることも大いにあり得る。

 サラマンダー共の鱗が父の火炎の最高火力に耐えられるかも分からない。


 私は必死に考える。

 一体他にどんな方法が…………意外と私、詰んでいないか?


 と、どうやら背中の傷が回復し終えたらしい。全く考えながら魔法を使うと、余計頭が複雑に空回る。


 落ち着いて離れる為にも、一度父から距離を置かねば。

 物理魔法で父の両手に念力をかける。そこにプラスして自らの両手を使い、死に物狂いでもがく。


「ぬう……う、ううああああ、あ、あああああっ!」


 父の両手を私の両手で掴み、何とか割れそうな頭を助け出す。現状、見ようによっては親子で手を取り合っているようだが、残念なことに親は死んでいて、尚かつ互いは敵同士だ。

 私は握った手を全力で引っ張り、宙へ投げ飛ばす。焦げた地面に叩きつけられる父に警戒を続けながら、私は一歩大きく下がり、湖の傍まで退いた。


 ――と、その時気づく。私の真横に今、望みが佇んでいた。

 息もせず、冷えたその身を地に突き刺し、けれど毅然とそこに居た。

 私には――十分過ぎる程の希望だった。

 唯一、彼の盾を貫く――矛だった。


 小生意気な娘が忘れていった、鋼鉄のランスがそこに確と存在していた。


 ――私の槍は観測できない速度で近づき、瞬きする間もなく、あなたの胴に風穴を開けるでしょうね――


 娘は確かにそう言っていた。それは果たして竜の鱗すら貫くものかは、定かではないが、私の爪牙そうがよりかは期待できるやもしれん。

 仮にそれがこの槍に可能で、それが娘に可能ならば、私ができないはずがない。


 ――そして、その傷口から火が触れて、細胞を殺していく――


 それができるならば十分だ。でかしたぞ、娘よ。お前の想いも重ね、私が父を楽にしてやる。


 やっとだ。やっと、あなたを救える。あなたを殺す為の活路が、今拓けた。


 人間に姿を変えた私は、この華奢な腕で鋼鉄の槍を持ち上げた。さすがに竜人が扱う槍だけあって、重さはそれなり――推定七十キロ程だろうか。私もこの姿では両腕でやっとだ。


 しかし、この機を逃す訳にはいかない。


 体力もそれなりに尽きそうだ。

 私とて無尽蔵にスタミナが沸いてくる訳ではない。

 飯を食べ、水を飲み、眠りに就き、道を歩き、喜劇に笑い、悲劇に泣き、惨劇に猛り、活劇に昂り――刺激を持って生きている。


 それらが全てが尽きる前に、私もあなたも終わらせよう。


 起き上がった父は小さな私目掛け、今までの比ではない最高にして最大火力の火炎を放った。それは彼がこの火炎に最後を賭けているのだとすぐに分かった。

 周りにある草も、花も、空気さえも焦がすが如く湖畔を焼き払う。


 流星のように飛んでくる炎に対し、両手で抱えたランスを構える。

 狙い澄まし、寸でまで炎を近づける。私がこの槍で彼を討つには、触れたるものを灰燼へと帰す程の火力が必要不可欠だ。


 その火力とは――私の目の前に山程迫っている。


 私は焔の彗星の奥に居る父目掛け、この身の力を全て込めた一撃を放つ。

 回転がかかりながら投擲された竜巻のような槍は、火炎のど真ん中を掻き分け砕きながら飛んだ。柱のように伸びた火炎を貫きつつ、槍は火炎に触れることで、自らも熱を大量に取り込んでいた。


 火を存分に纏った槍は、揺れず崩れず父の大きく開いた口内へ飛び込んだ。

 皆の想いも――私の愛も乗せて。


 槍は父の口内に入り込み、喉を割いて後頭部を貫いて反対側へ飛び出た。

 その火照り上がった槍の柄を、先に回り込んでいた私は捕まえる。


 槍を喰らった父はその衝撃を受け、後ろへ仰け反る。そこへ追撃を仕掛け、持った槍をがら空きの背中へ投げ込む。堅固だった鱗は粉々に砕け、彼の腹に娘の言った通り風穴を開けた。


 腹を貫き、地面に突き刺さった槍へ再度駆け寄り、両手で手にした。

 素早く頭の方へ回る。彼は頭を天に向け、その長く靭やかな首も空へ伸びる塔のように――篝火から立ち昇る火の粉のように、伸びていた。


 足をバネのように曲げ、父に倣って天を目指す。父の頭を遥かに超え、風を感じる。下を見れば、そこには二つ――潤んだ硝子玉が並んでいた。


 ――何で泣いてんのさ。私だって泣きたい。まさか私自らあなたに引導を渡すことになるとは、生まれてきてそんなことを考えもしなかった。


 私だって辛い。

 身が張り裂けるような痛みが全身を迸る。

 こんなこと、あなたは許してくれるだろうか。

 許してくれなくても構わない。

 あなたが私を咎めるならば、私は生涯、それを背負って生きていく。


 辺りは娘と戯れた時とは比にならない程の火災が起き、火は私達を熱く赤く照らしている。蜃気楼で微かに父が揺れる。


 伝えることは手短に。時間も無ければ、声も震える。心配なのは、噛まずに言えるかくらいだろう。


 千年と余り――遠く長い時を経て、やっと伝えられた。




「愛している」




 愛している――ふと、返事が聞こえたような気がした。


 ――槍は振り下ろされた。



   〇   



 その日、父はこの世を去った。

 深夜零時頃に死んだのか、昼の湖畔で死んだのか、それは定かではない。


 しかし、彼は間違いなく死んだ。

 千六百年遅れで母の後を追った。

 私は愛する父を失い――父は愛する母に会いに行った。

 何万という寿に幕を下ろし、そしてその幕を引いたのは、娘たる私だった。


 洛北竜――オール・ド・フレム。

 あなたの分まで、彼らと共に世の果てまで行きます――世の末まで生きます。


 ――そして私は泣く。

 燃え盛る湖畔で――大好きなこの場所で。

 今やその緋色の体は見る影もない程真っ黒に焦げ、しかしその死に顔には何とも安らかな笑みを浮かべている。


 悲鳴は上げなかった。

 怒号は上げなかった。

 ただただ心臓が破れそうな程の――身が滅びそうな程の――慟哭を上げた。


 声が枯れる程の――嗚咽だった。

 

次回にご期待ください。


本作品は、不定期更新となります。次の物語をお待ちください。

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