『悲鳴』
まだまだ未熟なので、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。
※この作品は、少し残虐なシーンが含まれます。また、少し刺激の強いシーンが含まれます。以上のことが苦手な方はご観覧をお控えください。
この作品は、私の溜め込んできた物語をひたすらに詰め込んでいます。
それでも楽しんで頂ければ幸いです。
フィンがエピシミアと名乗る男の人を追って走り出し、私はまるで人混みの中で迷子になってしまったような気持ちになり、とても心細くなってしまった。
――奴を追いかける。皆はここを守って。この島とこの島の皆を――
彼はそう言い残して、どんどん離れていってしまった。
小さくなる背中をただ見つめて、私は一体何をしているのか。何ができるのか。
「彼は一人で大丈夫なのか? 奴がリーダーなのだとしたら、相当の手練れであろう」
虚竜様は若干の狼狽した様子を見せ、そんなことを言った。
フィンは強い――そんなことは百も承知だ。彼が負ける訳がない。
当然の如くそう思ったけれど、深く考えれば相手もものすごく強いかもしれない。
エピシミアはもう一人の大きな男の人がついていたし、やっぱりフィンを助力しに行ったが良いだろう。
今から走っても、私の足では彼には追いつけないけれど、それでもきっと無駄にはならないはずだ。私は彼の助けになりたい。
――と、決意改め、彼の後を追おうとした途端、私の真横を風を切るような速さで通り越していく方がいた。
竜人の長――サギニさんだ。
あ、適役だね……。
彼の助けをするのなら、私が行くよりも竜人である彼女が行った方が余程良いだろう。私ではきっと、フィンには不釣り合いだ。
別に、私が行かなければならない理由もない。助けたいのと助けられるのは、違いが大き過ぎる。
「皆さんは死体達をどうにか止めて下さい。誰か、島中の竜と竜人に戦闘の準備及び、戦闘への参加を伝えて下さい。大丈夫、必ず我々は勝てます」
テキパキと私達に指示を出すサギニさんは背中の翼を羽ばたかせ、その紫紺の姿はすぐに見えなくなった。
彼女はすごい。こんな状況でも落ち着いて周りを見て、正しい判断と正しい指示を出して、皆の不安を払拭して……。
――私には、できないな。
その時、アンドレイア様の死体が突如空へ飛び立ち、どこかへ移動していくようだった。
虚竜様の頭を飛び越えて、竜人の村の方向へと向かう。
「おい、そっちは……まさか」
虚竜様は頭上を飛び越えていくアンドレイア様に声を掛けるけれど、その声はどうしたって届かない。
彼はアンドレイア様を追おうと翼を広げたが「私が行く」と、オールに止められた。
「しかし、オール――」
「お前はここにいろ。ここで皆を守ってくれ。あの敵の奴隷へとなれ果てた愚父は――どうか私にやらせてほしい」
伝えなければいけないことがあるんだ――その言葉を聞き、虚竜様は深く頷いた。
事態の急速な変化のせいで狼狽え気味だった表情が、いつもの引き締まった風貌に変わった。戻ったと言うべきかもしれない。
「行ってこい。そして、しっかりと別れてこい」
「ああ、ありがとう」
目一杯翼を広げ、勢いよく飛び立ったオールを目で追いながら、虚竜様は周りの竜や竜人の方達に指示を出した。
「全員戦闘態勢を取れ!」
耳を劈く程の大きな声が辺りで反響し、私達の揺らいでいた心を抱き締めるように一気に止めた。
オールの元気が無かったり、アンドレイア様が亡くなってしまったり、オールに容疑がかけられたり、死体がいきなり動き出したりと、私もまだ心の整理が済んでいないけれど、今は迷っている暇はないんだ。
皆何か抱えていて、それでも皆戦っていて――今、戦わなければ死ぬ。
死体に殺されて、もしかしたら私も死にながら動き出すかもしれない。
ネクロマンシーとか、ネクロマンサーとかが何なのかはよく分からないけれど、もしそうなったら、確実に皆の敵になってしまう。
――そんなの嫌だ。
戦うんだ、私が皆の敵にならないように。
戦うんだ、私が皆の味方で居られるように。
「この島の命運は、すなわちこの世界の命運と言っても過言ではない。死守するのだ! 死んだ仲間は見捨てろ! 瀕死の仲間は救え! しかし、手前が死にかけならば、這ってでも戦い抜け! 手前の命を引き摺り、最後まで生き抜け!」
虚竜様の言葉を念頭のそれもど真ん中に置き、私は腰に下げたサーベルの柄を握った。
持ち上げるには、まだ力が足りないけれど、今まで少しずつ練習してきたんだ。きっと大丈夫。
死体達は刃物を構えてこちらを凝視している。
死んだ視線なので、どうも上の空にも思えるけれど、それでも彼らはこちらを見ている。
なら、こちらも見つめ返すだけだ。
「掛かれ――」
虚竜様の言葉を合図に、一斉に、そして真っ先に動き出したのは、敵である死体達の方だった。
しかし、死体達は揃いも揃っててんでばらばらな方向へ駆け出した。
誰一人として全く同じ方向に進まないので、これは何かの作戦だろうと、疑わざるを得なかった。一体何の目的があるのだろう。
「追え! 誰一人として逃すな! そして聞け! 相手は死体だ、頭ごなしに叩いても無意味だ! 手前らの頭を十分に活かせ!」
その声に周りは意気揚々と返事をし、一斉に死体の後を追い始める。
何の打ち合わせも無しに、皆自分の獲物を選び、追う人数が偏らずになったのには、さすがに驚愕を隠せなかった。
しかし、私も遅れを取ってはならない。誰か追いかけなければ。
と、丁度良い所に、ふらふらと走る死体を見つけた。
白い肌の若い女の子。
まだ子どもなのだろう、背丈は私より少し小さいくらいだけれど、はっきり言って大差はない。
髪の毛は腰の辺りまで伸びていて、見るからにごわごわしている。
きっと何年も洗われていないのだ。人前に現れることも無かっただろうから、大きな問題でもないと思う。
でも――何だかそれは可哀想だ。
彼女も女の子なのだから、綺麗に居たかったはずだ。
若くして亡くなったことも、死んだ後にこんな扱いを受けていることも、可哀想で仕方がない。
他人の勝手な同情なんて、本人は嫌かもしれない。それでも、やっぱり可哀想だと思ってしまう。
誰も追いかけていないようで、このまま野放しにする訳にもいかない。
可哀想でも、私が倒すんだ。
足の速さに自信はないけれど、遅いながらも必死に追いかける。頑張ることに意味があるのだ。
死体の女の子も酔っ払いのような千鳥足で、右往左往しながら進んでいる。
結果的には真っ直ぐ走っているものの、大分進みは遅い。これなら私でも追いつけるかもしれない。
正直言うと、この追いかける行為一つ取るにしても、身が裂けそうな程怖い。
こんなこと、本当に心臓が裂けたアンドレイア様の前ではとても言えないけれど、私は手足の震えを今も必死に止めている。
それは当然なんだ。もしかすると、自分は今から死ぬかもしれないのだから。
死体と戦って、力及ばず死んでしまうかもしれない。相手は女の子でも死体なのだ。その確率の方が余程高い。
――それでも、戦うしかない。
私が皆と一緒に居る為に。
何より、私が戦いたがっている。
どこかで皆の役に立ちたがっている。
死ぬ恐怖より、一人になる恐怖の方が余程怖い。
あの女の子の為にも、皆の為にも、私の為にも、今は戦いを選ぶしかないのだ。エピシミアの目的は知らないけれど、とにかくこの島を守ることに専念しよう。
――身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。でも、命を捨てるつもりも毛頭ない。
徐々に徐々に距離を詰めていき、やっとのことでのろまの私は死体に追いついた。
と言うか、とある地点でその死体が突然立ち止まったのだ。
そこは林の奥のようで、先程までいた場所とは大分離れてきてしまったようだ。ちゃんと帰れるかな。
死体が何故この何の変哲のない林の中で止まったのかと言えば、大した理由はないだろう。
強いて言えば、死体達は戦力の分散を図ったのだと思われる。
サギニさんが島中の竜や竜人の皆に呼びかけをしたのに対する、彼らなりの対抗策なのかもしれない。
先の場所が戦場となれば、いずれ他の場所にいる竜や竜人の増援が来て、死体達の負ける可能性が大きくなる。
だとすれば、戦力を分散させて、増援の到着も遅れさせる。
増援が辿り着いても、その増援の戦力も分散され、死体一人に対し少人数の竜や竜人相手となると、勝敗は五分五分になるだろう。
この作戦のような行動も、もしかしてあのエピシミアが出したものなのかな。やっぱり只者じゃなさそうだ。
と、自分でそこまで考えたところで、目の前に佇む死体に注意を戻した。
土で汚れた肌や、濁った水で軋んだ髪の毛が、妙に気になる。
ぼろぼろの服は死体の女の子がどれだけぞんざいな扱いを受けていたのかを物語っていた。
眼にはおよそ生気と言ったものが宿っていなくて、本当に私が見えているのか不安になる。敵に見られていないのが怖いとは、何だかおかしなことだけれど。
油断していて、いきなり襲いかかられてやられてしまっては元も子もない。
――と、その時初めて認識した。
気づくにはあまりに遅過ぎて、でも当たり前のこと過ぎて私は見ていなかった。
いや、無意識に目を逸らしていたのかもしれない。
何にしても、彼女が私を見えているか分からないとか言う前に、私こそが彼女を見れていなかったのだ。
けれど、気づいてしまえば、目を逸らすことはできず、そして恐怖は私を窮屈に包み込み、身動きを取れなくする。
彼女は泣いていた。
死体というのは、涙を流すのだろうか。
痛みを感じたり、感情が現れることはあるのだろうか。
その反対に、笑うことも――あるのだろうか。
何にしても、彼女は確実に泣いていた。
血涙などではない、透明で澄み通るような涙を、硝子玉が地面に落ちて砕けるように、沢山沢山零していた。眉を顰め、表情も憂いたような、悲壮感漂うものだ。
それを見て、私はさっき振り払ったはずの怖さが、急に戻ってきて私に強くしがみついた。
――何故忘れていられたのだろう。
私が今戦い、倒そうとしているのは、こんなにも若く、死ぬにはあまりに早過ぎた女の子なのだ。
私と同じ形をした人間の女の子なのだ。
――どうして。
私は覚悟を決めたはずなのに。
腹を括ったはずなのに。
仲間と一緒に居る為に、役に立たなきゃいけないのに。
体が強張って動けない。心が怖がって動けない。
今までだって、戦ってきたじゃない。
ネフリを救った時だって、敵を魔法で追い払って皆を守った。
カタラクティスの時だって、海賊から魔法の壁で街の人達を守った。
バリウスの時だって、大きな光の矢で虚竜様を倒して、ピルゴスの人達を守った。
戦って、守って、そうして私達は勝ってきたんだ。
けれど、その一方で思い出す。
私は今まで一度も――人を殺したことなんてなかった。
結局私は臆病で、誰かを殺める勇気なんかなくて、苦しむ人間に終わりを与える度胸なんてなくて。
虚竜様だって、私とは異なる姿だったから他人事だと思って倒せたんだ――殺せたんだ。強い者が弱い者を食べるような感覚だった。
なのに、敵が人の形をしているというだけで、こんなにも体が言うことを聞かなくなる。
相手は既に死んでいて、私が殺す訳でもないのに、涙を流しているだけで、こんなにも心が痛む。
ねえ、フィン――あなたはこんな辛い想いをしているの?
この痛みは、いずれ慣れてしまうものなの?
怖いよ。殺すことが平気になるのが――怖くて仕方ない。
傷つけることに傷つかなくなるのが――怖くて仕方ない。
今怖いと思っていることすら、いつか忘れてしまうのが――怖くて、仕方ない。
私の気なんて知りもせず、彼女は私の方へ駆けてきた。
小さなナイフを握りしめて、先程のふらついた足取りからは予想できない程の速さで、私に直進してくる。
受け止めなければと、私はサーベルを鞘から出して、両手で持って構えた。
振り下ろされたナイフをサーベルの刃で受け止め、私は彼女の第一撃を何とか防いだ。
けれど、ナイフの衝撃で、私は後ろによろけてしまう。思っていたよりも力が強い。
これは死体であることが何か関係している?
何にしても、こんな力を常時出されたら、先に消耗してやられるのはこっちだ。相手は死体で、真っ向から戦ったところで殺すこともできない。
視点を変えて、機転を利かさないと、勝ち目が無い。
そう、相手は死体。
殺さなくて良い。倒せば良いんだ。或いは救えば。
死体ということは、動けなくするだけで良い。
さっき首なし死体や武器を握った腕だけが動いていたところを見ると、どうやら体の中枢神経とかは関係なさそうに思える。
単純に、一つ一つの細胞が独立して活動しているみたいな……。
彼女の攻撃は止むところを知らず、必死に受け止め続ける私は苦しい状態だった。
彼女は考えなしにナイフを振ってくるけれど、こちらは考えないと勝てないし、下手すれば戦いにもならない。
一方的に追い込まれるだけだった。
攻撃を受ける度に後ろへよろけり、飛び散る火花にぎょっとする。私はどんどん後ろに下がる一方で、ちょっとした地面の窪みに何度も転びそうになった。
と、そこで私は気がつく。
――細胞? 細胞が動いているなら、細胞を壊せば良いのでは?
そうだ、そうだよね、そうすれば、自ずと動けなくなるはずだ。
何だ? 今日の私は冴えているぞ。
普段なら、焦って怯えてバッドエンドだけれど、頑張る時に運がついていて良かった。 まあ、こんなこと、フィンやオールならすぐに思いついてしまうのだろうけれど、今は自分を褒めてやりたい。
しかし、褒めるにはまだ早いのだ。
倒すには細胞を壊す必要がある。
それには、燃やすのが一番か。凍らせてしまっても良いだろうけれど、何にせよ方法は問わないから、それを実行する必要がある。
サーベルで斬っても効果はないし、元よりサーベルで勝てるとも思っていない。
ここは私の最も得意な分野である魔法で対抗するべきだろう。
今までも魔法で戦い、守ってきたんだから、今回だって負ける訳にはいかない。
魔法ならば、火だって出せるし、氷だって出せる。雷を落としたり、毒を溢れさせることもできる。
私はサーベルを大きく振り、今度はこちらから攻撃を仕掛けた。
相手はナイフで防いだが、私の渾身の一撃はそのナイフを吹っ飛ばした。
あまりに力んだ為に、バランスを崩した私はその場で転ぶ。相手も弾かれたように仰け反り、尻餅を着いた。
急いで起き上がった私は、後ろに退いて距離を取る。
振り返り、両手を構え、頭の中で魔法を描く。
血が巡るのを感じながら、意識を集中させる。掌が熱くなっていき、両手の向こう側が蜃気楼でゆらゆらと揺れた。
――炎の砲弾は完成した。
――きっと、楽になるからね。だから、許して――
私は火炎弾を撃ち放った。
〇
私が放った骨まで焦がす渾身の火炎は、立ち上がったばかりで避ける間もない彼女へと真っ直ぐに飛んでいった。
そこでぴたりと固まったように動かなくなった彼女は、飛んで来る火炎を受け止めるが如く、右手を前に突き出した。
起きたのは一瞬の出来事で、私は瞬きをする暇もなかった。瞬きをする暇もなかった故に、起きたことをしっかりと捉えられた。
私の火炎弾は彼女の掌の、文字通り手前で弾けた。
火炎は弾けたところから上下左右に拡散し、周りの木々に引火する。葉や枝に燃え移り、辺りはしばらくして燃える林となり果てた。
彼女は黒煙に包まれたが、やがて煙が霧散するとその姿を再度現す。
彼女は傷痕一つ、火傷痕一つ無く、無事なまま毅然とその場に佇んでいた。何事も無かったかのような、感情の死んだ無表情で。
そして、その生気のない瞳は未だ潤んでおり、涙は止まるところを知らない。
――どうして? 何で? さっきの火炎は確実に直撃したはずなのに――何故、当たっていないの?
正直、その答えは分かりきっていた。
彼女も魔法を使ったのだ。
カタラクティスで私が街の皆を守る為に、魔法障壁を張ったように。自分を守る為に、自分を覆う障壁を作り出したんだ。
何故、見落としていられたんだろう。
相手だって元は血の通っていた生き物で、その血は既に凝固してしまっても、体には残り続ける。
だとしたら、血の中に含まれている魔もまた残っているはずだ。
死体だからといって、魔法が使えない理由はどこにもない。
食事を摂れる訳ではないだろうし、胃や腸が機能していることもないだろうから、魔の摂取はできないだろうけれど、それでも体内の魔が尽きるまで魔法を使い続けられる。
尤も、彼女が元々どの程度の魔を持っていたかに依るけれど。
私だってさっきの火炎は結構の魔を消費したんだ。
生半可な魔の持ち主では、さっきの火炎を止めることはできない。少なくとも爆風の影響は受ける。
どうしよう。
この先ずっと私の魔法を全て止められたら、私には為す術がない。
彼女の魔の保持量がどれ程なのかは分からないけれど、多いのは確か。
もしかすると、私の魔の方が先に尽きてしまうかもしれない。
そうなれば、貧血状態になった私は確実に息の根を止められる。
向こうの魔の方が先に尽きたとしても、貧血なんぞとは無縁の死体である彼女は、ナイフを振るって戦うことも十分にできる。
そうなったら、勝敗は五分五分――いや、その頃にはきっと私も大分疲弊している。勝機は向こうに傾くだろう。
どうすれば良いの?
一体どうすれば彼女に勝てるの?
死んじゃいけない私が、格上の彼女に敵う方法はあるの?
その先に、私が皆と一緒に居られる未来はあるの?
それは、私にも――叶えられるの?
「たすけて」
それを言ったのは、私――ではなかった。
「…………えっ?」
私は最初、彼女が何と言ったのか分からなかった。
あまりに細くて、脆くて、小さな声で、空気に触れただけで削られて消えてしまいそうだったから。
まるで過去の私のような声だ。
「たすけて……たすけて…………」
彼女が何度も何度も繰り返すので、私は声の言葉に気付いてしまった。
やっと気づいた私はその瞬間に体が恐怖で固まるより、戦慄して震え上がってしまった。どちらにせよ、体のコントロールが利かなくなるのは同じことだけれど。
「たすけて……たすけてよお……ねえ……」
涙を頻りに流して、助けを求める声を上げて、正気の沙汰ではない。
狂気の沙汰でもない。
言うなれば、末期だ。
感情のない死体が――痛みも感じない死体が涙を流し「たすけて」だなんて、世界の終わりを見ているようだった。
そもそも、何故彼女は私にこんなことを――いや、戦略なのは分かっている。
私を動揺させる為の作戦なのだと、そんなの十分に考え得ることだし、実際私には十分に効いている。そのお陰で私は今身体のコントロールが利かなくなってしまったのだから。
いや本当、自分でも思っている以上に効いた。
足ががくがくと震えて、しまいには膝の力の抜けてしまった。今度は私が尻餅を着かされた。
読者の皆様はたかが言葉一つで、それも嘘だとバレバレの救いの言葉で、そんなになるのだろうかとお思いかもしれない。
こればかりは本当に経験するしかないのだ。
不幸に見舞われ死んだ女の子が、それでも涙を流して助けを求める姿を目の前にし、私はこれ以上彼女を傷つけられるかと言えば、体が震える程に難しい。
その上、私は勝てば生き延び、負ければ死に絶えるという崖っぷちで、思考回路は寄り道回り道の連続だ。
目の前にいる彼女のような千鳥足で右往左往、紆余曲折の果てに辿り着くのが、正しい答えとは限らない。
――私はもはや正しさを見失っていた。
何故彼女は涙を見せるのか。
何故私に涙を見せるのか
――何故彼女は助けを乞うのか。
その答えは至って簡単明瞭――私を殺す為である。
そのことが考えの中を過ぎりながらも、そうではないんじゃないのか、もしかしたら彼女は心から泣いて助けを求めているんじゃないのかと、ありもしない絵空事を期待してしまっている。
フィンの言葉を借りれば、あまりに愚かだ。
オールの言葉を借りれば、あまりに度し難い。
――では、私なら何と言うだろうか。それを考える余裕すら、今は無い。
死体の彼女は私に飛ばされたナイフを悠々しく取りに行く。その間も「たすけてたすけて」と、連呼するのだから、もう滑稽でしかない。
一体あなたの何を助けるべきところがあるのか。
あなたは今勝っているじゃない。私をこれ以上追い込んで何になると言うの?
もう許してよ。私は皆と一緒に居たいだけなのに。
それすら私には許されないの? 何で? あなたに何の権利があって、私を縛りつけられるの? あの男の人に何の権限があって、こんな虐殺が許されるの?
違うでしょう。あなた達にはそんな権利も権限もある訳ない。
誰かを傷つけてはいけない。
誰かを殺めてはいけない。
そんなの当たり前のことじゃない。
そのくらい――
「あなた達にだって分かるでしょう! 私達の邪魔をしないで! 私達の幸せを奪わないで! 何であなた達は誰かの幸せの邪魔をしないといけないの! そんな風にしなくても、生きられるじゃない! 十分幸せになれるじゃない! 私とあの人を――引き離さないで!」
叫んだ私の言葉を受けて尚、彼女はナイフを振り上げる。そして、まるで弱った虫に小石を投げつけるかのように、ぼそりと言い放った。
「じゃあ、あなたは、今まで何でも――守れてきたの?」
止めを刺されたように、その尖った声に私の肺は呼吸を奪われた。
息もできなくて、視界が揺らいで、彼女の死んだ目だけが記憶の中で光り続ける。
「私は――弱いんだ」
夜の雨のような銀色のナイフが、私の額に振り下ろされた。
〇
ナイフの先端は私目掛けて下ろされたが、結局私にまで届くことはなかった。
「はああああああっ!」
間一髪のところで私を救ってくれたのは、背中に真っ赤な翼を携え、四肢を竜の鱗で覆われた炎の戦士――アルステマことアルストロメリアだった。
火の玉の如く現れたアルステマは、死体の彼女の脇腹に、凄まじい勢いの飛び蹴りを喰らわした。空中を飛びながら放たれたので、その蹴りの威力は並の飛び蹴りではなかった。
死体は周りの空気を破壊しながら、林の奥へと吹っ飛んでいく。
「ナキ、大丈夫?」
私の方へ振り返り、アルステマは私へと駆け寄った。そして、へたり込んだ私を抱き寄せ、硬い掌で頭を撫でる。
「良かった。死体を追いかけていくナキが見えたから、心配だったの。私も他の死体を片づけないといけなかったから、駆けつけるのが遅くなって……林の方へ向かって行ったのは分かっていたから、何とか目星はついていたんだけれど、思いの外探すのに手間取って……本当、危ないところだった」
舌を捲し立てて、滝のように流れてくるアルステマの早口は、たださえ不安や恐怖や戦慄や安堵やその他諸々がぐちゃぐちゃな状態の私には、厳しいものがあった。
「あ、ありがとう……私……もう、駄目かと、思って……」
「うん、大丈夫。私も一緒に戦うから」
そう。まだ戦いは終わっていないんだ。
いくらアルステマの飛び蹴りが強力でも、相手は死体だ。打撃も斬撃も意味をなさない。吹っ飛ぼうが、八つ裂きになろうが、細胞がある限り動き続ける最悪の兵士。
「……ねえ……アルステマは何で戦えるの?」
ふと、漏れてしまった私の言葉に、彼女は思わず顔をしかめてしまっていた。
「私は、いくら敵だからって……同じ人の形をしたあの女の子を……傷つけるのなんて、やっぱり駄目だった…………頑張って倒そうとしても、実力でも敵わないし、その上、体は言うこと聞かなくなっちゃうし……もう、どうすれば……戦えるの……?」
――駄目だ、泣いたら駄目だ。
アルステマはこんな弱音を吐かずに仲間の為に戦って、部外者の私を心配して駆けつけてきてくれたのに。
彼女に対してこんな態度を取るのは、あまりに失礼だ――最低だ。
なのに――涙が止まらないのは、やっぱり私が弱いからかな。悔しくて、情けなくて、揺らいでばかりだからかな。
「もう分からないの……何で戦いたくないのに、相手を倒さなきゃいけなくて……相手は構わず殺しに来ていて、私はただ追い詰められるばっかりで…………向こうは敵なのに『たすけて』なんて、言ってくるし、私が傷つけたらきっとあの子は苦しいし、そしたら私も苦しいし…………何を信じれば良いのか、もう分からないよ…………こんなの、嫌だよ」
私を抱擁したまま、アルステマは黙って私の醜い声に耳を傾け続けた。震えて止まらない私の体を摩り、互いの髪の毛は擦れて、彼女が頷いてくれているのがよく分かった。
「……繊細なんだね、ナキは。私はそんなこと、思いもしなかったよ。そうだよね、死体達も好きで死んでまで誰かを傷つけている訳じゃないよね……でも、死体達は確実に皆を殺したの。私はそれが許せない。理由が何にせよ、犯した間違いは償わなければならない。罰せられなければならない。そして、それを与える者が居なければならない。それをできるのは、今ここに居る――私達だけだよ」
アルステマは私の両肩を手でしっかりと掴み、涙で歪みまくった私の眼を見つめた。
強く訴えかけるように、真っ直ぐな瞳で見据えた。
「怖いのは私も分かる。私だって初めから強い訳じゃない。誰かを殴ることに抵抗がない訳じゃない。それでも、戦いなんて、どちらかが得して、どちらかが損するものなの。割り切るしかないの。でも、絶対に忘れちゃいけない。傷つけることに慣れないで。命を奪うことに平気にならないで。私達も好きで戦うことなんかないわ。毎回毎回、苦しみながら、それでも生き抜く為に、敵を倒すの。そうして今まで、命を繋いできたの。大丈夫、あなただって最後まで弱い訳じゃないんだから」
その言葉に、私は感銘を受けざるを得なかった。まるで雷に打たれたような気分だった。
これ程までに残酷で――頼もしい言葉も無い。迷っている暇なんかないんだ。
私がふらふらとしている内に、皆はとっくに覚悟を決めている。
全部守ろうだなんて思い上がりはしない。
ただ、今守りたい一番のものを見失ってはならない。
どうかそれを肝に銘じて、心に命じていれば、どんな言葉にも揺らがない。
私はもう――迷わない。
「ありがとう、アルステマ。本当に……ありがとう。ごめんね、こんな私で。もう大丈夫だから…………一緒に、戦おう。そもそも日々は戦いなんだから」
体の震えは未だ止まらずだけれど、さっきよりかはマシになった。きっと今の震えも武者震いに違いない。
私達は立ち上がり、のらりくらりとゆっくり近づいて来る彼女へと向かい合った。顎を引いて、慢心せずに、彼女を見据える――敵として。
「たすけて……たすけて……たすけ、て……」
正直、まだその言葉を信じたい私も居る。
でも、もう関係ない。
嘘だろうと、真だろうと、私の答えは変わらないから。
「ごめんね。私には、あなたを助けられないよ」
あなたよりも、守りたい人が居るから。
世界で一番、守りたい人が居るから。
次回にご期待下さい。
本作品は、不定期更新となります。次の物語をお待ちください。




