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Light in the rain   作者: 因美美果
第四章――2
22/77

『湖畔』

まだまだ未熟なので、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。


※この作品は、少し残虐なシーンが含まれます。また、少し刺激の強いシーンが含まれます。以上のことが苦手な方はご観覧をお控えください。


この作品は、私の溜め込んできた物語をひたすらに詰め込んでいます。

それでも楽しんで頂ければ幸いです。

 親が死んだ。


 唯一で最後の家族が死んだ。


 それは、親に苦しめられ、親に背負わされて、けれど嫌いになりきれなかった彼女にとっては、果たしてどう受け止めれば良いものなのだろうか。


 嘲るように強かに笑うのも違う。泣き噦り、折れるまで喚くのも違う。何もかも忘れて、『死』自体と向き合うのを放棄するのも違う。


 オールはアルステマからアンドレイアの訃報を聞き、私の袖を掴んで立ち尽くした。


 あまりにも突然の報せで、その場にいた誰もが困惑した。アルステマ自身も正常な思考が保てていなかった。


 さて、場所は変わって、今はオールが一晩中待っていたという、島の中心から南へ進んだ所にある睡蓮が浮かぶ湖である。

 話を聞いた我々はすぐさまアンドレイアの遺体があるという場所へ向かおうとしたが、竜や竜人達に止められてしまった。きっと客人として招いている以上、迷惑をかける訳にはいかないなどと考えているのだろう。

 アンドレイアの死体を観に向かった者の中には、他の竜の長や虚竜が居た。事態は謎を多く抱えたまま、私達を並々ならぬ不安で包んだ。


 村にいても仕方がないので、こうして湖の畔で何か事件の鍵となるようなことはないか捜していた。


 アンドレイアが亡くなったのは、彼がいつもいた丘を少し村の方へ進んだ所だと言う。死亡推定時刻は今のところは深夜零時頃となっているそうだ。


 位置的には北から、丘、アンドレイアの没地、竜人の村、湖となっていて、オールは湖からアンドレイアの没地を通ることはなかった。


「オールは村から直接ここに来て、ずっと待っていた。いつになってもアンドレイア様が来ないので、そのまま村に戻って来た。故に、アンドレイア様を確認することができなかった。その見解で大丈夫?」

「ああ、間違いない」


 返事だけはするものの如何にも空返事と言った風で、いつもは引き締まった表情も上の空であった。


 昨日まで居た者が死ぬ。あんなにいがみ合っていた親が死ぬ。心の底から和解を求めていた父が死ぬ。何もできずに――死に際にすら立ち会えずに死ぬ。


 今まで背負ってきた期待と責任よりも遥かに重たい荷物だろう。


「全く……何でもかんでも私に背負わせてきて、死んで尚今までで一番重たいものを背負わせるとは……度し難いなあ」


 静かに湖を見つめる彼女の目には、涙は浮かんでいなかったが、必死に踏ん張っていることくらい、私にも容易く分かる。その証拠に、声は今までにないくらい震えて、揺れて、怯えていた。


「…………ずっと、匂うんだ。どこからともなく、けれどこの島中のどこからでも」

「……どういうこと?」


 オールは湖の水を両手で掬い上げ、自分の顔にぱしゃりとかけた。

 清い水で滴った彼女の前髪はやけに女性らしさを沸き立たせ、その場のもの全ての雰囲気を味方にしてしまう程の美しさであった。


「魔法の匂いが色濃く感じられる。それも古く臭い悪臭だ」


 それはもしかして、私が昨夜魔竜になった時に感じた匂いと関係するのだろうか。

 オールの遺伝子には魔竜のものも含まれている。彼女がそれを感じたというのであれば、その匂いは間違いない。竜は鼻が利くらしいし。


 私はオールの言葉を確かめる為に、魔竜となった。相変わらずの血が漂うような体で、視界はぐんと高くなった。


「ほう、魔竜か。面白い色だな。それで、どうだ? 何か匂うか?」


 私はこくりと頷き、島全体を見渡すように見回した。


 昨日神殿にいた死体から感じた匂いをさらに濃密にしたような匂いだった。これだけ強く感じるのであれば、きっとレウコテスも気づいているだろう。


 私は再度人間に戻り、辺りを見回す。この辺に例の死体は見られない。匂いの強さが広く遠く届くようになっている。要するに、魔法の力が高まっているのだ。


 そうなると、本格的に例の死体を調べてみる必要がありそうだ。他にも気になる点はいくつもあるし――


「……オールは泣かないのね」


 その時、ずっと黙ったままだったナキが急にそんなことをオールに言った。


「泣いた方が感じが良いか?」

「分からない。私も自分の時、どうしたか覚えていないから。でも、泣くのが大半なんじゃないかなって」

「……やはり、変かな。ここで泣かないのは。皆はここで泣いてしまうものなのだろうか。……私は泣いても良いものなのだろうか」


 彼女の声の震えは最高潮に達し、その瞳の表面は直に潤んできていた。

 雫が落ちそうになり、オールは慌てて顔を両手で隠した。


「泣いちゃ駄目なんだ……私は今まで彼に酷い仕打ちをしてきた。好きにさせてもらえなかったから、仕返しのように彼をぞんざいにして、振り回して……本当は感謝していたんだ。いつも、それを言葉にしたくて仕方なかった。けれど、言えなかった。顔を合わせるのが怖くて…………私が一番弱かった。我儘ばかりで周りに甘えて…………だから、今度こそ言おうと思って。けれど、遂に叶わなかった。言うことなく、死んでしまった」


 嗚咽混じりのその声は、今まで溜め込んでいたもの全てを吐き出すが如く啼いて――哭いた。

 彼女の頬から涙は――溢れてはいなかった。


 そんなにも、我慢しなくても良いのに。

 いつもみたく、我儘ばかりで良いのに。


「駄目じゃない……」


 私は呟いた。聞こえるか聞こえないかくらいの声量で――心の底から込み上げる言葉を届けるように。


「駄目じゃないよ。まだまだ君のことは知らないことばかりだけれど、オールが本当にあの方に感謝しているのなら、君は泣くべきだよ。泣いて、憂いて、悲しむべきだよ。そうしてこそ、アンドレイア様も救われる」


 私の言葉を受け、彼女は眉を顰めさせて今にも泣きそうな顔になった。それでも尚、歯を食い縛り、溢れる涙を堪えようとする。


「駄目だよ」


 ――と、その時不意に声が飛んできて、私達の雰囲気を切り裂いた。まるで尖り削られた爪で、肉を乱雑に引き裂くかのように。


 その声の主は――怒りの念が込められた声の主は――


「アルステマ……」



   〇   



「あなたは泣くべきじゃない。あなたに泣く資格なんてない」


 出てくるや否や、アルステマは突然そう言い、オールを殺すように睨みつけた。


「……何が言いたい」


 オールは慎重な口振りで訊き、アルステマを睨み返した。お互いの視線が真正面から衝突し、バチバチと火花を散らしている。


「あなたがアンドレイア様を殺したのでしょう」

「!」


 堂々と、臆面もなくアルステマはそう言うので、私は驚いた。オールは何のことだかさっぱりと言いたげな顔で、対峙するアルステマを見た。

 ナキも怪訝な視線を送らざるを得ないようである。


「何か根拠があって言っているのか? それとも……」

「あなたに大した根拠や理由は必要ないわ。あなたなら竜の一頭くらい、容易いもの」


 つまり、これと言った根拠はない、と。何ともまあ、浅はかな。


「度し難い。戯言には付き合ってられん。父の死因はまだ明確には分かっていない。私の度量だけで、父を殺せるなどと思われては堪らない」

「適当言って有耶無耶に流さないで! あの方は私の恩人なのよ。あなたがアンドレイア様を嫌っているのは知っている。だからよ、だからあなたはアンドレイア様を殺せたんだわ。あなたを犯人と見做すのに必要なのは根拠じゃない。動機よ」

「アルステマ。少し落ち着いて――」


 私が暴れ気味のアルステマを止めようとすると、即座にオールが片手を挙げて私を制した。

 彼女の心象は怒りや苛立ちで一杯のはずなのに、必死に自身を落ち着かせているのだろう。


「もし、仮にそうだとして、お前は私をどうするのだ。その手に持つ物騒な物を突き刺すのか?」


 そう、アルステマは右手に巨大なランスを軽々と持って、私達の前に現れた。鋼鉄製のヴァンプレートがついた円錐の槍を片手で持つことなど、ましてや女性ではおよそあり得ないに等しいのだが、彼女は人ならざる竜人。


「これはあの方が私にくれた物よ。護身用にと言って、外の世界から貰ってきてくれたの。アンドレイア様がくれたこの槍で私はあなたを貫く」

「軟弱な」


 オールの言葉を受け、怒りに拍車をかけるかとおもったが、アルステマはむしろ落ち着きを見せて笑ってみせた。


「私は火竜。火を司り、熱を操り、焼き焦がす者。笑っていられるのも今の内――なんてよく聞く台詞だけれど、あれは主役の油断なのか、悪役の慢心なのか、一体どちらなのかしら。まあ、私はそんなおぞましいことは言わないわ。精々、最後まで笑っていられると良いわね」


 唱えるように――脅しかけるようにそう言うと、彼女はその腕から灼熱の炎を出した。煌々と燃える焔の光は、白く眩く辺りを照らした。


「私の炎は熱を生み、私の熱は槍にまで届き、私の槍は炎を纏う。肌に触れれば、たちまち何百度もの熱が回って、到底火傷では済まないわ。焼き焦げる所まで焼き焦がす」


 熱されて赤く輝く巨大な槍は、まるで燃える巨塔であった。


「私も火竜だが、熱は届かぬのでは?」

「そんなことは百も承知。そこまで愚かじゃない。私は竜。爪で引き裂き、牙で噛み砕き、憤怒と力の象徴。私の脚力は素早さだけてなく、一瞬の加速による爆発的な力も生む」


 熱を溜め込んだランスを振りかざし、アルステマはその切先をオールへと真っ直ぐ向けた。舞い散る火の粉が彼女を包み、周りの温度をどんどん上げていく。


「私の槍は観測できない速度で近づき、瞬きする間もなく、あなたの胴に風穴を開けるでしょうね。そして、その傷口から火が触れて、細胞を殺していく」


 槍の先端を殺意と共にオールへ向けて構える。


「私はあなたを殺す」


 呆れた顔でアルステマを睨み続け、オールは一言受け応える。


「早まりおって」


 全てを捨てたような表情で、アルステマは言った。それが戦いのゴングだった。


「十分手遅れよ。私も、あなたも」


 あの方も――と、彼女は飛び出した。


 足下の地面を粉々に踏み散らし、アルステマはオールの小さな胸元を目掛け、駆けてきた――否。跳んできたと言った方が正確だろう。彼女は最初の踏み込みだけで、数メートルの距離を軽く跳ねてきたのだ。それだけでも、超越的な竜人の身体能力の高さが分かる。

 その上、その速さは人間の反応速度では捉えられない。避ける時間もおよそ与えない。


 これが過去の世界が恐れた最強の亜人の力。


 それに対するオールは正真正銘の竜であるが、今に限っては人間である。避けることもままならず、捉えることすらぎりぎりであろう。事実、私も目で追うことしかできなかった。


「ぐっ……!」


 呻き声が小さく聞こえ、横を見るとそこにはナキ一人がいて、私と目が合った。


 ――あれ? 私達はオールを挟んで立っていたはずなのに、そのオールは果たしてどこへ――


 やっと気づいた私は即座に後ろを振り返った。すると、彼女は足を踏ん張らせ、その両手でアルステマの槍を受け止めていた。

 小さな手足とは言え、オールとて軟弱な体ではない。それは人間の姿であっても。彼女の人間の時の姿は意外にも筋肉質である。靭かなその体は並大抵の攻撃で折れることはない。

 しかし、本来の姿でない為、力が半減していることもあるせいか、槍は受け止められて尚、勢いは死なずにオールを押していった。


 けれど、私が驚いたのはそこではない。むしろ、竜人の体であれば、そのくらいの破壊力を持った攻撃は軽く出てしまうだろう。それくらいは私にも予想できた。


 私が驚いたのは、彼女が人間の手のまま――人間の姿のまま、灼熱を帯びた槍を受け止めたことである。

 いくらアルステマが速いとは言え、姿を変える時間はあったはずだ。本来の姿である火竜になれば、ランスの衝突には傷を負っても、熱の影響は避けられただろう。

 にも関わらず、オールは人間の姿のまま槍を食らった。火に炙られ、熱に溶かされ、焼き焦がされる。とても賢いとは言えない。


「オール――」

「何もするな!」


 私が彼女の名を叫ぶと、あたかも大丈夫とでも言うように私達を制した。

 何故だ。大丈夫なはずないのに――痛くて痛くて仕方ないはずなのに。


「お前はこれの比にならない程の火炎に焼かれたのだろう? ならば、私がこの程度の熱さで音を上げる訳にはいかない」


 苦しそうな表情で、けれど恥ずかしがる風もなく笑って言った。


 昨日のことを気にしているのだろうか。私が火炎に包まれて死んだことを知って、そうしてくれているのか。私のことを想って――私のことを知ろうとして、そうしてくれているのか。苦しむことを推奨するようで嫌だけれど、それでも私は泣き出したい程嬉しかった。


 けれど、それも痩せ我慢だと分かっている。無茶なことだとも分かっている。止めなければならないのだとも分かっている。なのに、私は動かずにいた。これが、彼女にとって――彼女達にとって必要なことなのだと、無意識の内に、何よりも分かっていたからだ。


 真っ向からぶつかり合うことも時には必要なのだ。物理的に衝突することはないと思うけれど。


 オールはアルステマがじりじりと押しつけてくる槍を何とか弾き、難を逃れた。しかし、アルステマはそれを見逃すつもりはないらしく、すかさずオールを追撃した。


 足取りはお互い軽いが、武器の有無や触れるだけで傷を負うことのハンデが、オールの動きを鈍くさせた。

 槍の熱は服を焼き払い、服越しに肌を壊す。掠るだけでも痛みが積まれ、徐々に足取りをふらつかせる。


 ナキも動かずじっとしているが、対してオールとアルステマは目にも止まらぬ速さで攻防を交わしている。


 苦渋の表情のオールに対し、アルステマは憤怒を募りに募らせ、それを燃料に息を繋いでいるようだった。それが切れた時、一体彼女はどうなってしまうのだろうか。


「無理せずに私に首を差し出したらどう? 我慢するのも辛いでしょう」

「戯け」

「そう、我慢は辛いもの。あなただってきっと沢山我慢してきたのでしょう。あなたの辛さも分からないなんて言う分からず屋ではないわ」


 でも――と、一層睨みを利かせた視線で槍を振るう。

 こういう時いつも思うが、戦いながらよく喋れると思う。


「アンドレイア様だって、我慢したでしょうね。私があの方から何を貰ったのか。あの方が私に何をくれたのか。あなたは知らないでしょう。親の知らない私を見兼ねて、アンドレイア様は自分を父と呼んでも良いと言ってくれた。その喜びをあなたは知らない。だって――あなたは彼の娘だものね」


 気づけば、アルステマはぽろぽろと涙を流している。その上猛スピードで立ち回るので、涙は野に咲く花に降りかかる。美少女の涙はさぞ栄養があることがあることだろう。


「アンドレイア様は私にとっても唯一で最後の家族だったの。それをあなたは……あなたは!」

「何度も言っているが、私は父を殺してなどいない。お前の思い違いなんだ。本当はお前、そんなことどうでも良いのだろう。お前はただ――」

「うるさい!」


 アルステマの攻撃はより一層激しくなり、オールの言葉を聞こえなくなるまで貫ききる。風の音が辺りを包み、飛び散る火の粉は花につき、広がった。


「聞け。お前はただ悲しみを埋めたいだけなんだ。アンドレイアという支えが無くなった事実を何かにぶつけたいだけなんだ。本当の子になりたかったと願う心が、実の子という芝に立つ私を憎く見せているだけなんだ。お前はもう、見失っている。目的も――自分も――私さえも」


 攻撃を苦しそうに捌きながらも、それに構わずオールはアルステマへの説得を止めなかった。


「お前のことなんざ知らないさ。お前達が仲良しこよしをしている間、私は一人洛北竜の務めを全うしていたのだから。私からすれば、そちらの方が余程楽で、羨ましいよ」

「黙って! この状況でよくもそんな平気振れるわね。本当、あなたは怖いわ。大体何であなたはここに居るの。この湖畔はあの人が教えてくれた、大事な場所なのに――大事な居場所なのに」


 ――居場所。


 私はその言葉を聞き、はっとした。私も以前までそれを持たなかったのだ。持てなかったのだ。初めてそれを受け取ったのはあまりに唐突で、でも嬉しくて……知らない感触に怯えて、でも温かくて……私はそうだ。居場所なんて持っていなかったんだ。

 そして、ここが彼女にとって――居場所。だから、私と初めて会った時もここに来ていたのか。


「村で一人で居た私に手を差し伸べて、ここに連れてきてくれたのはアンドレイア様よ。なのに、あなたはここで何をしていたの? 誰を待っていたの? どうするつもりだったの?」


 アルステマの槍は更に素早さと鋭さを極め、その刀身からは火の粉だけでなく、火花まで散らすようになった。


「何であなたなの? 何で私じゃないの? 何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で!」


 何でよ――嗚咽か怒号か、はたまた悲鳴か。彼女はもう何も分からなくなり、何も考えなくなり、知らないものばかりを槍の先へ込めてオールへ突き刺した。




「あ…………」




 そう。アルステマのその焼きつく槍は、オールの右肩を貫いた。柔らかな彼女の肌をさくりと突き刺し、触れた傷口から焼き焦がしていく。飛び出る血は地面に落ちて、熱を持って気化した。


「あ……あ、うあああああああ……あああああああああああああああ!」


 熱さに苦しみ悶えるオールは後ろに仰け反り、悲鳴を上げた。傷口は真っ黒に焦げ上がり、正に惨事であった。


 それでも尚、アルステマは攻撃の手を緩めることはなく、涙と一緒に槍をオールへ振るい続けた。


 ここまで来ると、やはり止めなくては。むしろ遅過ぎたくらいだ。洒落にならない怪我を負って、仮にオールまで死んでしまったら今度は私がアルステマを殺してしまう。


「オール、もう駄目だ! 一旦退くべきだ! このままでは――」

「邪魔をするな! これは私とこいつの問題だ」

「じゃあ、何で竜にならないんだ。竜になれば君も十分に戦えるだろう。それとも、君もここで死のうなんて……」


 左手のみで槍を捌き続けるオールは語りかける私の言葉に、少しだけ笑った。


「阿呆め。可愛い奴だな」


 すると、オールは突然後ろに大きく下がり、アルステマから距離を取った。そして、また無事な左手だけで構える。

 アルステマは逃すものかと凄まじい気迫で、初手と同じ地面を破る程の力で飛び出した。槍を片手に持ち、限界まで伸ばしている。


 槍の切先がオールの目の前まで迫った時、オールは緩やかに体を後ろへ反らせた。アルステマの槍を避けると同時に、仰け反った体を地面につけた左手で支える。今度は下半身を振り上げ、逆立ちのような体勢になった。そして、そのまま槍を持つアルステマの握り拳を強く片脚で蹴りつけた。

 蹴られたアルステマの手は衝撃で握った指が剥がされ、槍を零してしまった。オールはすかさず落ちる槍の柄をもう片脚で蹴り飛ばした。槍は勢いよく回転しながら飛んで行き、彼女達がいる所から遠く離れた、花が咲く草原の上へ突き刺さった。


「!」


 アルステマは全速力でオールへ跳んだので、体勢は前のめりになり酷く不安定で、無防備な状態だった。

 オールは逆立ちから素早く体勢を戻し、小さな体をアルステマの懐に潜り込ませた。そして、先程まで槍を持って伸ばしていたアルステマの腕を左手で掴み、傷を負った右肩にかけた。


「はああっ!」


 咆哮と共に勢いよく上半身を屈め、アルステマを草花が生え広がる地面に叩きつける。

 アルステマの元々の勢いも相まって、背中に迸った痛みはかなりのものだっただろう。何よりも、完璧に優勢だったところから一瞬で天地を引っ繰り返されたような状況に持ち込まれたという混乱。ハンデに手負いを重ねた相手に、それでも敗北を喫するという力の差。

 アルステマにとっては何もかもが分からなかっただろう。


 倒されたアルステマは物理的な――精神的な衝撃に襲われ、立ち上がれずにいた。というか、立ち上がる暇もなく、オールが彼女の腹の上に跨り、馬乗りになった。


「……何でよ……何であなたなの…………」


 泣き噦り両手で涙腺を抑えるアルステマは――愁然としたその姿は酷く小さく見えた。彼女も一人の少女なのだ。支えがあって、今まで立てていたのだ。


「私はずっとあの方が居たから……あなたみたいな存在になれたなら、私は嬉しかったのに……」

「隣の芝は青く見える。私の立場は端から見ている程良いものではない。お前は自分のことを見ているようで、全く見えていないんだ。それに、私からしてみれば、お前の立場だって十分羨ましいさ。本当は我儘なんだ。でも、私は欲しかった。ずっと、ずっと、ずっと……何故父がこの場所をお前に教えたのか、知っているか?」

「…………いえ」

「何故私がこの場所に父を呼んだのか、知っているか?」

「…………いえ」

「この場所は私と父の――唯一同じく好きな場所だからだ」


 この場所を父が私に教えてくれたからだ――そう語る彼女の顔は俯いたまま上がらない。


 訴えかけるような視線で、アルステマを見つめるオール。

 そうか、この場所にアルステマが来たこと。この場所をオールがアンドレイアを呼んだこと。それは全てアンドレイアが教えたことだったのだ。


「父はここで私に睡蓮を教えてくれた。『睡蓮は沼や池でも強く生きる。必死に顔を出して、自分がここに居ると凛として伝えている』――そう言って、彼は笑った。私は素直に笑えなかった。この場所は私にだけくれたと思っていたんだ。しかし、父はそんなことはしなかったんだ。分かっていた。彼は優しい。それ故の臆病さだ。でも、やっぱり……私は欲しいよ」


 オールは段々と眉間に皺が寄り、溜め込んできた辛さが溢れてくるようだった。


 私はもう嫌だった――オールが苦しむのを見たくない――彼女は十分、苦しんだのに。


「……あ……あなたは、何にも分かっていないの? アンドレイア様はあなたのことを本当に好きだったわ。だって、いつも言っていたもの。『オールは可愛いんだ』、『いつ帰ってくるんだろう』、『また会いたい』って。いつも私に言って、想いを募らせて……それなのに、あなたは彼に対して、何て酷いことを……」

「そのくらい! ……知っていた。私がそんなにも鈍いと思うか」


 アルステマは段々と言葉が詰まり始め、涙を流し続けた。

 オールも肩の痛みを忘れ、感傷に浸った。


「父は私のことを想っていたのは知っている。何度も何度も聞いて聞いて、嫌という程知っている。だって……彼はそれしか言わないんだ。私を拘束するように、洛北竜になる為だと言い、毎日勉学を強いらせて、それできっと時々悪いと思うのだろうな。嫌なものを押しつけて、それでも大丈夫だと言っているつもりなんだろうな。……でも、私は欲しかったんだ。想うだけでなく――愛してほしかった」


 愛してほしかった――そう言った彼女の言葉を聴き、私は初めて箱庭に来た日の夜に、オールが泣きながら私に訴えた言葉を思い出した。


 ――……私は……言って欲しかった……だけなのに……私は……――


 彼女は私に言ったんだ。泣きながら――けれど、はっきりと。


 ――私は……父に……――


 彼女は私に言ったんだ。しがみつきながら――けれど、はっきりと。


 ――『愛している』と……――


 彼女は私に言ったんだ。それを望んで――欲していたんだ。


「そんなの……愛していたに決まっているじゃない。そのくらい、私にだって……」

「私にだって分かっていたさ。分からないはずがない。彼は私の父親だ。そうだと、知っていた。痛い程伝わってくる。しかし……彼はそれをいつまでも言ってくれなかった。口にすることに臆病になって、言うことを拒んだんだ」

「でも、あなたはアンドレイア様のことを愛しているなんて素振りを見せようとしない。本当に愛しているのかも分からない。あなたもアンドレイア様が言葉にしなくても、分かっているじゃない」

「言葉にしなくても分かる! ……けれど、言葉にしてほしいことも、沢山あるんだ……私は彼の娘だ。愛さないなんてできるはずがない。嫌いになるなんて、結局できなかったんだ……」


 二人は互いの涙で塗れ、くしゃくしゃの顔を必死に両手で覆う。声は篭りきり、段々と掠れた言葉が辺りを響かせた。


「だから、言おうとしたんだ……彼と会って、ちゃんと話そうって思ったんだ……でも、父は……もう居ないんだ。どれだけ悔やんでも帰ってこないんだ。本当、狡いよ……」


 もう二人の目に闘志は映っていなかった。先程までの戦闘が嘘のように、それきり二人は黙ってしまった。辺りはアルステマの出した火の粉が草花に移り、葉は死んで黒く焦げ落ちた。美しかった湖畔は、燃えて枯れた荒野のようになり変わってしまった。


「もう……会えないよ……」


 零れ落ちたその言葉を私は聞き逃さなかった。


 アンドレイア――あなたに聞こえているだろうか。

 あなたの娘はこんなにもあなたを愛している。あなたの娘はこんなにもあなたに会いたがっている。どうして――死んでしまったんだ。


 ――その時、草原の花についた火の粉を一振りで全て消し去る程の疾風が、湖畔全域に広がった。


 目を開けるのもやっとな程で、ナキはよろついて転びそうになってしまった。私は慌てて彼女の背中に手を回す。

 何事かと風の吹いた方向を見れば、一目瞭然であった。むしろ彼自身からすれば抑えた方だろう。


 その風の主は、アンドレイアの遺体を調べていたはずの虚竜であった。他にも細々とした竜が何頭かついてはいたが、虚竜のインパクトが大き過ぎて、あまり目に留まらない。


 虚竜はゆっくりと湖畔の隅に降り立ち、ずいっと顔を低くした。相変わらず大きな頭である。他の竜は空中で羽ばたいているだけだった。何故降りて来ないのか。


「ん、何か取り込み中だったか? 何ならまた改めようか」


 状況を何となく察した虚竜はそんなことを言ったが、オールはすぐに涙を拭い「気はするな、問題ない」と、答えた。


「そうか、ならば良かった。丁度オールに用があったところだ」


 まあ、概ねアンドレイアのことだろう。オールはアルステマから離れ、虚竜と向き合った。彼は真剣な表情で、周りの竜はどこかおどおどとしている。


「いくつか聞きたいことがある。良いか?」

「ああ、父のことだろう」

「そうだ。一つに――オールは昨夜、日が変わり目から夜明けの頃まで、どこで何をしていた?」

「私はずっとこの場所で父を待っていた。彼に話があるからと呼んだが、来なかった」

「その要件は?」

「父に自分の思いの丈を伝える為だ。今までのことと、これからのこと」

「なるほど……」


 オールがアンドレイアを呼んだ要件を聞かれた時、彼女は濁らすかと思ったのだが、案外正直に答えたな。本来なら赤面ものだけれど、ここで恥じていても仕方ないということか。ここで焦らしても、変に怪しまれるだけだしな。


「では、一つに――オールは魔法をどの程度使える?」

「……どの程度とは?」

「具体的に言えば、外傷を与えずに体内の臓器のみを攻撃するくらいのことができるか?」

「ああ、隔たりを透過して向こう側のものに接触することなら、物体魔法の応用で…………これは、本当に、父のことについて、なのか……?」


 心配するな――と、虚竜は張り詰めた空気のまま重く言った。安心させる為にその時は笑顔を見せたのだろうけれど、その声は微塵も笑っていなかった。


「一つに――オールはどの程度の力を持っている? この場合の『力』とは、膂力という意味の『力』のことだ」

「……分からない。それなりにあるが……計ったことががないからな……」


「ふむ」と、虚竜は頷き、どう言ったものかと考えている。私は寒気がした。湖は運んでくる風が冷たいらしい。


「まあ、大体……二十トンくらいか。それくらいの物体を持ち上げて移動することは可能か?」


 二十トン――大分具体的な数字を出したな。確か、竜の平均体重も、それくらいだったか……。また、寒気がしてきたな――


 ――違う。この寒気は湖からのものじゃない。確実に――悪寒だ。


 オール――誤ってはいけない――答えてはいけない――君は――もう――


「……? ああ、それくらいならば、余裕だが」

「オール!」


 私は咄嗟に彼女の名を叫んだが、既に手遅れだった――


 小さく頷いた虚竜は、後ろで控える竜達に命ずる。


「お前達、オールを捕らえろ」

 

次回にご期待下さい。


本作品は、不定期更新となります。次の物語をお待ちください。

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