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Light in the rain   作者: 因美美果
第四章――1
21/77

『勇気』

まだまだ未熟なので、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。


※この作品は、少し残虐なシーンが含まれます。また、少し刺激の強いシーンが含まれます。以上のことが苦手な方はご観覧をお控えください。


この作品は、私の溜め込んできた物語をひたすらに詰め込んでいます。

それでも楽しんで頂ければ幸いです。

 頂点に立つ者とは、果たしてどんな心境なのだろうか。


 私ははっきり言って、そういった大衆の前に出て皆を統べる役というのに、どうにも魅力を感じられない。

 私自身がその才能を持っていないというのも大きく関係しているのだろうけれど、そもそもそんな舞台に立つ機会すらなかったから――という理由が一番大きい。


 そのはずなのに、今私はあの村で指導者を真面目にしている。真面にできているかはさて置き、真面目に頑張っているのだ。


 とは言え、私がそういう役柄に慣れていないのは確かだ。大勢に向かって思いを叫んだり、何かを分かりやすく提案するなど、今までやってこなかったから、その分今は盛大に手こずっている。


 では、他の何かの頂点に立つ者は一体どのようにして皆を統率しているのだろう。


 そもそも頂点と一言で言っても様々な役がある。


 村長や町長、国王に隊長――考えられるだけ考えようとすればきりがない。


 例えば、初めてナキと出会ったあの小さく貧しい村の村長は、きっと毎日擦り減っていく村の資金を見て、苦悩を強いられる日々だったろう。痩せ細っていく自分や村人を見て、あの村の村長はどれ程の苦痛を感じただろうか。


 逆に、私達の村の村長――パルダリスさんはどうだろうか。

 潤いもあり、一時は危険に晒されたこともあったが、それでも村人皆幸せに暮らしている。そこの村長を務めるというのは、大変誇り高く誉れ高いことなのだろう。笑顔で暮らせることを何よりも幸せに思えるのだろう。


 では、この箱庭の頭とも言える竜の長――アンドレイアは果たしてどうだろうか。何億年と続くこの箱庭の歴史を直に継いだ彼は、一体どれ程の誇りと重みを背負っているのだろうか。その上世界の王たる都を守る洛北竜さえも背負おうとした――背負わされそうになった彼の恐怖とは――洛北竜になる為に命を賭すことまで迫られた彼の恐怖とは如何に――


 はたまた、かの天才集団――選ばれし十人の星達の長――特殊任務行動部隊隊長――カルマ・オズ・エレフセリアは果たして。

 間違いなく世界最強の部隊の隊長に最年少で選ばれ、今も尚世界で活躍し続ける彼には、期待が重くなることなどあるのだろうか。何でも軽くやって退けてしまう彼には、重圧に縛られることなどあるのだろうか。

 育成学校時代から世界中で注目されていた彼はもうそんなものには慣れてしまったのかもしれない――否。最初からそんなもの、無いのかもしれない。永遠に――頂点の彼には――


 まあ、どれもこれも誰も彼も、結局は他人事なのだけれど。



   〇   



 レウテコスとの話を終え、神殿跡を離れた我々は遂に火竜の長にして、全竜の長――アンドレイアの元へと訪れた。


 彼が居る場所は私達が初めてここに来た時と変わらず、露見した岩がちらほらと見える静かで見渡しの良い丘であった。島の穴から差し込む陽光を浴びたその地は、影から眺めた私の目に眩く映った。


「ああ、君達か。然程の日数が空いた訳でもないのに、何だか久しく感じられる」


 穏やかな視線で私達を見つめる彼はそう言葉をかけた。


「そう言えば、私の名を未だに申していなかったな。アンドレイアと申す。以後お見知り置きを」

「お時間頂けますか。良ければ談義でも」

「ああ、是非。何なら愉しい話をしよう。竜の長の元を巡っていると聞いたが、何か学べることはあったかい?」


 随分と優しい口調で話すアンドレイアはどこか堅く感じられ、私は違和感を覚えざるを得なかった。仮にも、ここではオールの恩人として通っている訳で、無意識にぎこちない口調になってしまうのも仕方ないような気がする。

 しかし、そこが彼が柔く弱い者と認識されてしまう点でもあるのだろう。誇り高き竜の長ならば、誰が相手であろうと堂々と、そして毅然とした態度でいてほしいものだが。


「ええ、年長者の話はためになることばかりで……いやはや、恐れ入ります」

「他の長とは一体どんな話をしたんだい?」


 そこからは各竜の長との話を順々に語っていった。アンドレイアは私達の話をまるで孫の自慢話を聞くかのような表情で、何度も頷きながら嬉しそうにしていた。


 アルステマはイオンと話した時よりも口が回っていて、およそ口下手な彼女とは思えない程饒舌になっていた。


 それ程までに彼と話すのが楽しいのだろう。親のいない彼女にとっては、アンドレイアの存在が大きいのは両親健在の私にだって分かる。両親を亡くしたナキならば、言うまでもない。


「して……オールはどうしている? 今更私に会ってくれるなどと浅はかなことを思っている訳ではないが、君達に当たったりなどはしていないか? まあ、あの子も聡明だ。そんなことはないと思うが」


 残念ながらそんなことあったよ。すごい当たられたよ。それなりに傷ついたよ。

 今ここでその事実を赤裸々に語ってやりたい気持ちもあるが、どうか抑えよう。自分自身傷つきこそすれ、そんなに引き摺るような傷でもない。


「アンドレイア様と洛北竜様は何故仲が悪いのですか?」


 アルステマは相変わらずタブーに踏み込みまくる。それ程までに気になるのだろうけれど、そんなど直球に訊くものか? 案外肝据わっているな。


「そうだな……この際だ。話すべきなのかもしれないな」

「…………」


 果たして、ここで話してしまって良いものなのだろうか。オールの了承を得ることもなく真実を明かすというのは。

 確かにこれはアンドレイアのことでもあるのだけれど――それを私がどうこう言う資格はないのだけれど、しかし――


「――お言葉ですが、オールを介せずにこの場でそれを語るのは如何なものかと。その事案は確かにあなたの問題でもありますが、紛れもなくオールの問題でもあることをお忘れなきよう」

「…………そう、だな。全く私は誤ってばかりだな。面目ない。アルステマもすまないな。また次の機会に」

「…………はい、分かりました。気になさらないで下さい」


「ですが」と、彼女は深く考え込むようにして唸った。


「皆からの聞くところ、洛北竜様はアンドレイア様に非をぶつけ過ぎなのでは? 洛北竜様にも非の余地はあると思いますが……」


 そうなるのか。アンドレイアに多大なる恩がある彼女はどちらかと言えば、アンドレイアを保守する側になるのだろう。むしろ一昨日会ったばかりのオールとは酷く交流が少ない。

 だからと言って、憶測でそんなヘビーなことを語るのもどうかと思うが。


「洛北竜様は確かに尊大な方です。壮大な方です。あの洛北竜決定戦を乗り越えたのですから、手を伸ばして届く方ではありません。しかし、そんな方ならば許すことに対しても、多少寛容であるべきなのではないのでしょうか。それも実の父親ともなれば。私は洛北竜様とは関わりがほぼありません。故に、大きなことも小さなことも言えません。ただ、あなたのことは知っているつもりです。アンドレイア様は許されない人ではないと思います」

「アルステマ、少し抑えて。この方の味方でありたいのは分かるけれど、それでも限度がある」

「そう言って、あなたは知っているじゃない。フィンは全部分かっているから良いけれど、こっちは違うの。恩ある方が訳も分からず非難されるのは耐え難いわ」

「それでも、自制する必要がある。君がオールのことを深く知らない限り、そんなことを言うべきじゃないよ」

「でも――」


「アルステマ」と、そこまで黙りこくっていたアンドレイアが割って入り、暴走気味の彼女を制した。


「知らぬ口を利くものじゃない。言い分とは互いに存在するものだ。それを理解して物を言えるかが、賢い人間か否かだ」


 それ以降、アルステマはアンドレイアの顔を見れずにいた。大好きなアンドレイアから――今正に彼女が守ろうとしたはずのアンドレイアから叱責を受けて落ち込んでしまった。


「……ごめんなさい。勝手なことを言ったわ」


 俯いたまま彼女は私に謝罪をした。


「いや、僕も悪かったよ。少し熱が入ってしまった。そういう意味では、僕もオールの味方をしたかっただけなのかもしれない」


 我々が仲直りしたのを安心したように見つめるアンドレイアは、話を切り替えた。


「そしたら、そうだなあ。オールの小さな頃の話をしようか」


 彼はそうして緩い笑顔を見せる。瞼を閉じ、その裏に昔日の思い出を流しているのだろうか。


「オールは生まれたばかりの頃、私の腹の上でよく転がっていた。そうやって遊ぶのが好きでなあ。ごろごろとして、私の腹から落ちるとわんわんと泣き始めるんだ。そうしていると、妻がやって来て彼女を慰める。その度に私は叱られてしまっていた。遊んでいただけなのだが、親は常に子が心配なんだ。どんなに日が経とうと、どんなに恨まれようと。だから、妻の急死は混乱した。訳の分からない私を包んだのは、悲しみよりも先に寂しさだった。いつも居た彼女が居ない。いつも聞こえた声が聞こえない。静寂は心を病ませるとは聞いていたが、私が背負うにはあまりにも大きく――重かった」


 彼の目には涙こそ浮かんでいなかったが、口は小さく開いて、声は細く籠っていた。アンドレイアの体は徐々に態勢を低くしていき、地面の中に沈んでしまいそうである。まるで、彼の全身を重苦しい枷が縛りつけているようだった。


「それでも、オールは健気に頑張っていてなあ。その姿が私には眩しくて仕方がなかった。私が悟ったのはその時だ。――ああ……この子は私の子ではない。紛れもなく妻の――あの一族の子なのだ――と。あの子は竜人の村が大好きのようでな、いつも楽しんでいると、ディアノウメノスから毎回話を聞くと安心するんだ。私が迎えに行くと、まだこちらに気づいていない彼女は竜人の子どもを楽し気に笑っている。本当に可愛らしく笑うんだ。しかし、こちらに気づくと、すぐに内の奥へ隠してしまう。そうすると毎度思い知る。私のことが嫌いなのだろうな――と」


 そんなことはない――とは、とてもじゃないが言えなかった。哀愁満ちた彼の表情にそんな言葉をかける気にすらなれなかった。そんな言葉など、彼には何の意味もなさないことを私は知っていたから。憂う者に慰めの言葉はあくまで慰めなのだ。或いは、棘があるように聞こえてしまうかもしれない。


「おっと、また暗い話になってしまったな。駄目だな、どうも。どこで間違えたのか。どこから踏み違えていたのか。どうすれば元に戻れていたのか。結局は過ぎた日々か」

「…………オールのお母様は早くに亡くなられたのですか?」


 突然、それまで黙っていたナキは口を開き、そう言った。


「ああ、そうだな。何の前触れもなく……朝目覚めると、彼女は私の横で死んでいた。あの安らかな顔が今でも夢に出てくるんだ。二度と起きない綺麗な寝顔だった」

「その話って、結局オールを介さずに話して良かったのですか?」

「えっ?」


 あ。


「だって、ほら。そのオールのお母様の話もアンドレイア様の話ではあるけれど、オールの話でもあるんですし……結局彼女の居ないところで私達に話してしまって良かったのですか?」


 そうだ。今さっき決めたことなのに、早速破っちゃってるじゃん。


「…………」


 果たして、アンドレイアのその顔は汗を滴らせていた。威厳も何もない、ただただ焦りの表情である。本当、どうしようもないや。


「……どうするんですか、これ」


 恐る恐る私が訊くと、彼は苦渋の表情のままで答えた。


「…………忘れてもらえませんか?」

「…………」


 もう、何も言いはしない。

 ここまで駄目さが行き渡ると、逆に可愛く見えてくるんじゃないか。と、まじまじと見るが全くごついだけの竜である。

 まあ、他の二人は元よりその話を知らなかった訳だから、止められるはずもないし、私が止めるべきだったのかもしれないが、思わず彼の話に聞き入ってしまった。何ということだ。


「悪い。やはり疲れているな。今夜は大事な……ああ、いや、うん……」


 瞼を閉じかけて項垂れたと思うと、今度はぶつぶつと呟き出した。アンドレイアの肩はみるみる落ちていく。喋る声も内容も、よく分からない。はきはきと話してくれ。


「すまないが、今日のところは帰ってもらえるか……ついでにさっきの会話も忘れてくれるか……」

「はい、お疲れの様子なので、出直します」


 何かどさくさに紛れて都合の良いことまで流された気もするが、ここで『いいえ』と答えるのも忍びない。


 それに、彼だって紛れもなく苦労人なのだ。私達よりも遥か長い時間を生きているからこそ、それまで積み重ねてきた苦労も私達には分からないのだ。そもそも記憶など分かち合えない。


「ああ、アイオーニオン。君は後でもう一度来てくれるか? 話したいことがあるんだ。その時は一人で」


 彼はそう言い、立ち去ろうとする私を呼び止めた。

 はて、話とは何だろうか。もしかして、この島でいくつも確認されている例の死体達の件についてだろうか。


「それも全て、その時に話させてくれ。日が沈んだ後、またこの場所で。……良いか?」

「ええ、構いません。今宵、再び参らせて頂きます」


 疲れた感情を曝したまま、彼は私達に向けてにこりと笑った。錆びた鎖に囚われて、腐った楔に刺された笑顔はあまりにも脆くて、私は見るに堪えなかった。


 彼が今抱えているのは、疲労や苦悩だけなのだろうか。それもまた、私には分からない。



   〇   



 一度村に帰った時には、既に日が暮れかかっていた。


 日が落ちた頃に来てくれとアンドレイアに言われていたので、私は村に着くや否や再度彼のいる丘へと歩き出した。


 日が沈むとは言っても、この島の中からでは日の入りの瞬間は見えない。当然である。真上の大きな穴からしか空は見えないのだから、同様に日も昼頃にしか見ることはできない。

 では、どのようにして日の位置を確認するのかと言えば、空の色である。

 島から見えるのが小さな空だけだとすれば、それを頼りにするしかあるまい。なので、この島での日の入りの空の色は青みがかった黒となっている。


 とは言え、初めて来た者がそれを判断するのは至極難度が高い。実際、私もアルステマに教えてもらい、アンドレイアの元へ再訪しようとしている。自力では到底分からなかったことだろう。


 しばらく歩き、丘の上を目指していると、その道中で私と反対方向に歩いて行く人影を見つけた。ぼんやりとしか見えないので誰とは分からなかった。

 大きな外套を身に纏い、杖のような物を持っていたようで、顔も体の大きさも判然としなかった。今は日も沈み、気温も大分下がっているので、何か羽織っていても何らおかしくはない。というか私もローブを着ている。


 しかし、私が感じたのは、その人影が一体誰なのかという不安ではない。夜遅くに一人で大丈夫だろうかなどという心配でもない。


 はっきり言えば、漠然としたままの危機感である。


 その者から感じた異様な空気――身を凍らせるかのような寒気――ただただ漂う不吉感。嫌な感じとは正にこのこと。私と良い勝負なのではないか?


 兎にも角にも、そういったものには関わらぬが最善。私の周りから皆が去っていたように、私もまた危機感から離れて歩く。結局は私も皆と変わらぬということか。まあ、誰だって祟ってくる神には障りたくないものだろう。


 そうして歩いていると、直にアンドレイアが佇む丘が見えてきた。


 辺りは相変わらず閑散としていて、まるで火が通り過ぎた焼け野原のようである。それ程までに、静かで――死んでいるようだった。


「フィン・アーク・アイオーニオン、参上致しました」


 私がそう言って膝を着くと、彼は私に気づき「おお、わざわざすまないな」と、曇った顔をやんわりと晴らしてみせた。


「堅くならなくて良い。今は礼儀を忘れてくれ」

「左様ですか。では」


 私は彼からの許可を得て、どかりと胡座あぐらを掻いた。背中を反らして両手を後ろに回し、アンドレイアをじっと見つめる。


「さて、早速本題に入るのだがな……」


 そう言うや否や、彼は早速黙ってしまった。息を整えているようだけれど、呼吸は次第に荒くなる一方である。


「大丈夫ですか?」


 私が声をかけると、彼はぶんぶん顎を縦に振り、汗を撒き散らす。全然大丈夫じゃない上に、巨大な汗の粒が私の真横で跳ねて汚い。


 やっと落ち着きを取り戻し、アンドレイアは私を見た。


「…………オールから……文を受け取ったんだ」

「……へえ、何とありましたか?」


 そうか。オールが朝食後に認めていた物は、アンドレイア宛だったのか。彼女も一歩前進したということなのだろう。


「中には、時刻と場所が書いており、ただ来てくれとだけ……これは一体どういうことなのだろうか。一緒に考えてくれ」


 考えてくれって、自分の娘の文のことを私に話すか。本当に大丈夫か、この親。


 その文を実際に見せてもらうと、そこには払いが大きい、実に生き生きとした字が並んでいた。


 ――父に宛てて送る


 今夜 日付が変わった後


 南の湖に来てもらいたい


 伝えたいことがある


 オール――


 オールは意外と伸び伸びとした良い字を書くのだな。

 言葉こそ素っ気ない感じではあるけれど、その心境は私には分かる。


「これはやはり……絶縁を告げるということだろうか」

「…………」


 本人に伝わっていないのが何ともむず痒いところだが。

 この方は相変わらず怯えているようだが、そんな極端は結論を出さなくても良いだろ。まだ助かる余地はあるんじゃないのか。


「そんなに心配する必要ありますかね?」

「あるよっ。当事者にはめちゃくちゃ必要だよっ」


 アンドレイアのキャラ崩壊が着々と進んでいる。相手にするこちらも大変だ。


「こほん」と、咳払いを一つ挟み、彼は真剣な顔つきになる。


「オールの恩人であり、好かれている君にとっては臆する必要などどこにもないのだろうけれど、私は違うんだ。彼女の恨みを買い、その恨みが晴れた今でも私は彼女に許されてはいない。こちらがどれだけ想い続けていても、伝わり切らないものはある。不安なんだ。唯一で最後の家族を失ってしまうのではないかと、不安で不安で仕方がないんだ。顔を見たいのに、顔を合わせられない」


 知らぬ口を利くものじゃない――か。確かにその通りだ。

 私は彼のことを理解しきれていなかった。今まで私は彼がそんなにもオールに対してビクついている意味が分からなかった。実の親である彼がそんなにも下手に出て、気弱に振る舞う意味が分からなかった。


 しかし、彼の気になってみれば想像するに難くない。

 要は、彼は私が思っている以上に――臆病なのだ。極端なまでに、極限なまでに――臆病なのだ。

 心は酷く脆弱で、器は酷く矮小なのだ。そんな者が果たして、唯一の家族たる娘を――それも過去に酷なことをさせてしまった娘をこれ以上ぞんざいに扱うことに何も感じずに接せられると言えば、そんなはずない。


 彼にとってオールは――最後の支柱なのだろう。自分の身を支えてきてくれた――今も尚支えてくれるひびの入った支柱なのだ。


 私は彼に歩み寄る。一歩一歩ゆっくりと――けれど、大きく大きく踏み出して。


「……その心境は、解ります。解りますが、あなたがそんなことでどうするのですか。あなたにとってオールが唯一で最後の家族であるならば、当然オールにとってもあなたが唯一で最後の家族なんです。あなた達は切っても切り離せない関係なんです。だから、大丈夫ですよ。どこまで行っても――結局あなた達は家族だ」


 彼は私を凝視した。こんな若造にこんな教訓めいたことを言われるとはと言いたげな表情であった。


「離れても放せないことを忘れないで下さい。あなた達は確かに繋がっているはずです」


 私は彼に再度歩み寄り、目の前まで近づいた。そうして、歯を見せて強気に笑う。


「……彼女は私を許さない」

「そうでしょうか」

「……彼女は私を好きにならない」

「そうでしょうか」

「……彼女は私を……」

「あなたがいつまでもそんなことだから、オールもまた変わらないんです。子は親の背中を見て育ちます。それはどんなに時が過ぎても。そして、今オールが見ることができる背中はあなたのそれだけです。だから――」


 私は意気込んで言う――満を辞して、言う。


「あなたが変わって下さい。彼女にとって良い親であってあげて下さい。ほんの少しの勇気で良い。それだけで、あなたは変われる。それだけで、オールも救われる」


 少し偉そうに言い過ぎただろうか。いや、きっとこれくらいが丁度良いのだろう。彼に必要だったのは、勇気とそれをくれる誰かだったんだろうな。


 アンドレイアは感銘を受けたのか、はたまた絶句したのか、何も喋らなくなってしまった。…………死んでないよね? 根拠ないけれど。


「……私も今からでも変われるものだろうか」


 やっと出てきた彼の言葉に、私は憮然と答える。


「ええ、決して遅くはありません。その気になれば、何にでもなれる。それは私に関わらず」

「君は随分と自信を持っているのだな。羨ましい限りだ」

「あなたも自信を持って良いはずですよ。だって、彼女は今もあなたのことを――」


 と、そこまで言ったところで私は言い留まった。これ以上は言ってはならない。少なくとも私が言ってはならないのだ。


「? 何だ?」

「いえ、このことはオールから聞いて下さい」

「ええ……そこまで言ったなら一思いに言ってくれよ」

「そう焦らずともすぐに聞けますよ。何せ夜は短い――日が変わりなんて、目を一瞬閉じればすぐに来ます。そうしたら、彼女の口から直接聞ける。これは私からではなく、オールから聞くべきことです。だから、あなたも自分で言うべきことを言って下さい。『想う』だけでなく、言葉にして下さい」


 ただ、言えば良い。短い言葉で――はっきりと。


「あなたは彼女をどう思っているのですか? ――どう想っているのですか?」

「…………私は」


 誰でもない――あなた達のことなのだから、あなたが『それ』を伝えなくちゃ。


「私は、オールを――愛している。それだけだ」


 私はただ微笑んで「それだけで、十分です」と、応えた。


「全く、君は強いな。恐れ入るよ」

「そのようなお言葉、自分には恐れ多い限りです」


 彼は少し思案するようにして、再び口を開けた。


「……唐突だが、訊ねても良いか……君の父親はどんな人なんだい?」


 あまりの不意の質問に私は思わず戸惑ってしまった。言葉に詰まり、思考が一瞬こんがらがる。

 だって、今まで家族のことを訊かれるなんてなかったから、こういう時どうすれば良いのか、答えを見失ってしまう。


 手探りでも、何か言わなければ。話したいことでもないけれど、話せないことでもない。


「……私の父は寛容な人でした。優しくて、大らかで、威厳があって……彼が診療内科医に勤めていたこともあり、命にも関わり、命を救う父は私にとってとても格好良く見えました。温厚で、声を上げて怒鳴ることもほとんど見たことがありません。私のことをよく知っていて、私のことをよく知ろうとしてくれて、本当に大好きなんです。父は――そういう人です」

「……そうか。大事にしてくれ。そうしてくれると、何だか私も救われる気がする」

「はい、無論です」


 すると、アンドレイアは翼に生えた手を伸ばし、私の頭を撫でた。大きくて、どっしりと重たい掌だった。


 頭を撫でられたのなんていつ振りだろうか。懐かしいを通り過ぎて、何だか初めて撫でられたような感触だ。


「夜も更けてきた。君もそろそろ戻りなさい」

「はい、そうさせて頂きます」


「それでは」と、私が後ろを向いて歩き出すと、ふとアンドレイアが私の名を呼んだ。


「フィン・アーク・アイオーニオン」


 それはもしかすると別れの言葉だったのかもしれない。その意図は今でもよく分からない。


「オールをよろしく頼む」


 臆病な竜はそう言い、穏やかに笑った。



   〇   



 私は夢を見た。正確に言えば、昔の思い出である。


 それは私の歳が十二の時のものである。


 私はその日、またもや教官に呼び出された。要件はもう既に見当がついている。


「何故ここに呼ばれたか、分かっているな?」


 窓の傍で外を眺めたまま、彼はそう言った。

 相変わらずの蛇目で私の方を向いて睨み、彼はそう訊いてきた。相手を怖気させる為の睨みなのだろうけれど、私もその視線を向けられ過ぎて慣れてしまった。申し訳ないが私は問題児なのだ。目をつけられることは最早日常茶飯事である。


「はい」

「言ってみろ」

「先日、訓練後の校舎裏にて私が男子生徒三名、女子生徒三名、計六名の生徒に対し過度な暴行を加えた為かと存じます」

「その通りだ」


 私は例の偽告白を受け、私を嵌めた者達をぼこぼこにした後、教官達がやって来て保健室で治療を受けた。同級から多少の攻撃を喰らい、唇が切れた程度ではあるが。


 そして、私が教官室に呼び出されたのは件の日にちの二日後である。


「今回の件はお互いに問題があったこともあり、お前に対しても同情の余地はある。多少処罰を軽くする位は考慮した」

「ありがたき幸せ。……彼らはどうなりましたか?」

「彼らとは?」

「私に陰険な仕打ちをした者達です」

「彼らは退学となった」

「えっ」


 私は戸惑った。まさかそこまでの処罰を受けることになるとは。いじめは許されざる真似だから、その処罰に納得できないとは到底思わないけれど。


「当然の処罰だ。妥当な処罰だ。それは彼らの人間性がどうという話ではない。実力のない者が成長する芽を潰そうとした。それはただただ邪魔でしかない。だから、彼らはここに相応しくなかった。故に、立ち去らせたまでだ」

「…………」


 相応しくない。私もいつだか教官から言われたが、今も彼は私のことをそう思っているのだろうか。

 はたまた、私はここに居るに値する者になれたのだろうか。


「お前が気にかけることではない。どの道、彼らは行き詰まるだろう。お前の関係ないところでな」

「……はい、理解しました」

「して、お前に与える処罰だが、退学が妥当だろう」

「…………」

「力のない者はこの場に相応しくないが、力を持ちながらその使い方を知らぬ者は更に相応しくない。もっと言えば厄介でさえある。捕虜を捕らえても、それから何かを聞き出す前に殺してしまうのは、使えぬ者だ。力に慢心して、無為に死んでいく者は、陣形の穴でしかない。力に酔った者はいずれ周りを巻き込んで爆ぜる。今のお前は兵士としてあまりに未熟だ」

「……はい」


「しかし」と、一呼吸置き、教官は睨みを利かせた目を僅かに緩めた。


「お前は見込みがある。まだまだ伸び代が存在する。今、お前の芽を断ち切るのはあまりに惜しい。よって、今回はお前の退学を免除しよう」

「…………」


 またも私は戸惑い驚き、口を開いたまま黙ってしまった。


「何か言うことは?」


 急かすように彼はそう促した。私は咄嗟に言葉を出す。掠れた声で、みっともなく。


「あ、ありがたき幸せ。恐悦至極にございます。このご恩、生涯忘れぬ所存であります」

「よろしい」


 彼の瞳は相変わらずの蛇目で、彩度も鮮度も感じられなかったが、仄かに柔らかな温度を感じた。


 が――と言い、教官は私の方へ向かって歩き出した。反射的に身構えてしまう。


「お前の処罰が免除される訳ではない。お前には、まあ拳骨一つで見逃してやろう」


 と言う訳で、私が与えられた処罰は一発の拳骨だった。


 しかし、ここで私が受けた拳骨はただの拳骨でも並みの拳骨でもない。

 教官が持つ、必殺処罰奥義――頭上垂直ファイナルアルティメットハイパーインパクトゲリラインフェルノストリームエクスプロージョンゲンコツである。


 その実態は、まず処罰対象を教官の腰の高さに合わせた机の上に、頭を向けて仰向けで乗せる。そして、全ての力を込めた教官が対象の脳天目掛け殺人右ストレートを入れる。終わり。

 これこそが、必殺処罰奥義――頭上垂直ファイナルアルティメットクエイクゴーストハイ、ハ、ハイ、バイえ、何だっけ、バイブ、バリア、バリアフラストレイションスペースマジックイカリゲンドウである。


 これを喰らうと、打撃部が強烈な内出血を起こし、部分的に腫れ上がる。その他、全身に衝撃が迸り、攻撃直後は全身麻痺及び各部痙攣で動けなくなる。


 私も危うく昇天しかけたが、寸でのところで踏ん張り、何とか生を保った。


「どうだ。私の拳骨は」

「……強烈です」


 ふん、と鼻を鳴らした彼は自分の大きなアームチェアに腰かけ、再度空を仰いだ。


「しばらくは動けぬだろう。そこで安静にしていろ」

「……恐縮です」


 沈黙が続き、私は高い天井を眺めていた。染みのない天井は清掃が行き届いているのを、明確に表していた。


 すると、突然教官が書類に通している目をそのままに、口を開けて私に言った。


「私はお前に期待している」

「……えっ?」


 私は思いも寄らぬ言葉に声を漏らしてしまった。首だけを教官の方へ向けるが、その瞬間に首から全身へと痛みが駆け巡る。死んじゃうよ……。


「今回の件で、お前の身体能力の予想以上の成長を確認できた。お前はここで摘むにはあまりに惜しい芽だ」

「……それは」

「しかし、勘違いはするなよ。あくまでも今のお前は芽に過ぎぬ。鮮やかに花開くか、咲かぬままに枯れるかは、お前次第なのだ」

「……はい、ありがたきお言葉、頂戴致します」


 初めて彼の口からそんなことを言われ、何よりも戸惑ったが、それでも私は十分に嬉しかったことだろう。褒められたのなんて、果たして何年振りだったろうか。

 教官のことは好きではないけれど、尊敬はできそうな気がする。


「そう言えば」と、彼は視線だけをこちらに向けて訊いてきた。


「退学になった彼らを打ちのめした後、お前は笑っていたそうだ」

「…………へえ」


 私はその事実をその時初めて知り、酷く自分が気持ち悪く思えた。サイコパスじゃん。


「その理由は一体何だ?」


 私もそれを今知ったので正しいことは言えないけれど、そうだなあ……。


「ざまあみろって、思ったんじゃないですかね。相当苛ついていたんでしょうし、痛い目に遭って当然、みたいな……」


 すると、教官は書類を捲る手を止めて、顔を上げて私を見た。目を丸くした彼の顔は今まで見たことがなく、何だか気が抜けてしまう。


「ふふ……ふはは、はっはっはっはっはっ」


 突然笑い出した教官を見て、私は何事かと思った。遂にイカれたかとも思ったが、そんなことはなかったらしい。


「いや何。お前もそんなことを思うのだと、おかしくなっただけだ。良いじゃないか。人間らしくて、私は好ましく思う」

「……ありがとうございます」

「いつも仏頂面だからな、たまには下衆なことも言えば良い。その方が気も晴れる」


 そんなにも私は堅い表情なのだろうか。もう随分と笑っていない気がする。彼にそんなことを気づかされるとは、思わなんだな。


 そうして、教官は何事もなかったかのように書類をまた捲り始めた。私も体の痺れが取れるのを待ちながら、横目で窓の外の青空を眺めていた。


 そう言えばと、私はふと気になって、稚拙な問いだと知りながら、思い切って訊いてみた。


「因みに、あの拳骨の本当の名は何と言うのでしょうか」

「ん? 必殺パンチだ」

「…………」


 知ってた知ってた。正にそうだろうと思ってた。



   〇   



 翌日である。私が固まった腰を叩きながら、寝床のテントから出てくると、ナキは先に起きていた。


「おはよう、早いね」

「あ、おはよう。村の手伝いをしようと思って。料理を作っていたの」


 相変わらず健気で純朴な彼女を尊敬しつつ、私はオールを探した。


 果たして昨夜の親子の会談はどうなったのだろう。きっと千年以上の諍いにケリをつけ、和解の挙句夜明けまで語り明かし、今は二人仲良く朝食を摂っているに違いない。


 と、私は村の真ん中に出てきた。するとそこには、食事が乗る大きなテーブルの前に座り、がつがつと皿の上の料理を平らげるオールを見つけた。

 席には一人でいたが、その目は気怠さを孕み、寝不足気味のようだった。ビンゴだな。やはり夜遅くまで話していたか。


「オール、おはよう」


 声をかけるが、彼女はこちらを一瞥するだけで、黙々と出された食事を食べ続ける。よく見ると、皺と怒りを全力で眉間に寄せているらしい。……機嫌悪いの?


「…………来なかった」

「えっ?」

「……来なかった」

「誰が?」

「父が」

「えっ」


 何故だ。昨日あれだけの説教を垂れたのに、それら全てを無に帰すかのような行動。本当、後でキレよう。


「昨日、父を呼んだんだ。湖に来てくれと、話があると、文を彼の側近に渡したんだ。なのに、来なかった。一晩中待っても来なかった。夜が明けても来なかった。来なかった。来なかった。来なかった! 朝が先に来てしまった!」


 彼女は叫び、椅子を後ろに倒しながら立ち上がった。激昂も激昂。軽くハイになっている。それはそうか。私が彼女の立場であれば許さない。そうでなくても許さない。


 その時、遠くから誰かが全力疾走で駆けて来ていた。あまりの速さにその者が通った所からたちまち土煙が舞い上がっている。


「おや、アルステマだ」「本当だ。早かったな」「と言うか、何で走っているんだ?」「あいつ脚速いんだな」「何で飛ばないんだよ」「そろそろご飯にしようか」「お腹空いたー」「アルステマ早くー」


 村人達はそう言い、よく目を凝らすと確かに走っている者はアルステマだった。聞けば彼女は毎日アンドレイアの所まで村からの貢物を持って行っているらしい。


 みるみる彼女は近づいて、村の中に入るとその場で止まった。息が荒くなっていて、呼吸もままならずにいる。そんなにも急いで駆けて来たのか。翼があるのに、わざわざ脚を使って、うっかりか?


「どうしたんだ? そんなに息を切らして……アルステマ?」


 一人の村人にそう言われるが、彼女は顔を上げない。段々周りの者達も不安に包まれ始めた。何だか、彼女が自分の意思で駆けて来たのではなく、焦燥にでも駆られて来たかのような気配である。


「あの……あのね……落ち着いて、聞いて……」


 振り絞られたその声はとても震えていて、やっと顔を上げたその表情にその場にいた者は皆驚いた。それは私も含めて。


 彼女は――アルストロメリアは――泣いていた。




「……アンドレイア様が…………死んだ」




 ――えっ?


 隣に立つオールはその小さな手で、静かに私の袖を掴んだ。

 

次回にご期待ください。


本作品は、不定期更新となります。次の物語をお待ちください。

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