『本音』
まだまだ未熟なので、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。
※この作品は、少し残虐なシーンが含まれます。また、少し刺激の強いシーンが含まれます。以上のことが苦手な方はご観覧をお控えください。
この作品は、私の溜め込んできた物語をひたすらに詰め込んでいます。
それでも楽しんで頂ければ幸いです。
世界は丸い。
全て繋がっていて、全て還って来る。進めば進む程最初に近づいて、最後まで辿り着くとそこはいつの間にか最初なのだ。
そうして、この世界は何もかもぐるりと循環して、繰り返して――
戦争はいつになっても消えなかった。格差はいつまで経っても居座り続けた。歴史があり、それを知っていて尚同じ轍を踏み続ける。
どんなにおかしいか。どんなに愚かしいか。オールの言葉を借りれば、どんなに――度し難いか。
私達はこの広くも果てのある世界で繰り返すのだろう。春夏秋冬が巡るように――日がいつまでも黄金の道を廻るように――どの代になっても同じような者が現れるように――
しかし、この世には何の前触れもなく、誰にも通ずることのない存在が現れたりもする。誰も辿り着けない境地に、軽々と一歩跳ぶだけで踏み込んでしまう者が居る。
――二度と現れない天才――カルマ・オズ・エレフセリア。
人間でありながら、人間の枠に収まることのない絶対的な強者。不変にして普遍に非ず。不敗にして腐敗せず。
誰もが憧れ、誰もが羨み、中には恨んだ者もさえ居るかもしれない。
何でもできてしまえる彼のその心境とは、一体どんなものなのだろうか。身の内が震える程の高揚と興奮か。はたまた、飽き呆れる程の退屈と怠惰か。
尤も、彼に届かぬ我々がそれを想像することは叶わない。結局は違う生き物で遠い存在だ。
辛みも悲しみも、自分一人のものだから。勿論――喜びも。
〇
「大丈夫か?」
箱庭に来て三日目に入った。
私はテントの中で項垂れたように座り続けるオールにそう声をかけた。
昨日は結局朝しか会っていなかったが、何だか昨日よりも顔色が悪くなっている気がする。赤く燃える火竜も、青白い顔で疲弊しまくっている。
そんなにも、辛いのだろうか。
「大丈夫さ。今日も今日とて竜の元を訪れるのだろう。私に構っていないで、早く準備を済ませなければならないのではないのか?」
彼女の薄ら笑いはずっと脆く感じられた。透けるような微笑みで、まるで死者のようだ。こんな表現はできればしたくないが。
「とても大丈夫には見えない。何がそんなに辛いのか、話してくれないか?」
そう言うと、彼女の薄ら笑いはぴたりと固まり、その眼は火竜に似合わぬ冷たいものになった。
こんなオールの眼は今まで見たことがない。こんなオールの眼で今まで見られたことがない。
「フィンは、きっと両親に温かく育てられてきたのだろうな。だから、そんなことが言えるんだ。本当に……羨ましい限りだ。恨めしい限りだ。裏切られた気分だ」
「……どういうこと? 何が言いたいんだ」
すると、彼女は突然気が変わったように、人が変わったように私のことを見た。寒気のようなものを感じる。オールは私に敵意を持っているのだろうか。
「どういうことも何もない。大丈夫かって? そんな訳ないだろうが。大丈夫には見えないのなら、それが答えだ。そして、お前の中で答えは出ているではないか。分かっているのなら訊くな。分かっているのならもっと労われ。かける言葉を考えろ。何なんだ、もう。ここに来てどれだけ私が辛いのかも知らずに。一人にしてほしい時にいつまでも居座り、居てほしい時に限って他の女を連れてどこかへ行ってしまう。どれだけ鈍いんだ、お前は。大体いつもいつもそうだ。色んな女に良いように口を回して、八方美人の笑顔を振り撒いて、皆に好かれたいのか? そんなに愛されたいのか? この欲張り者が。私だって愛されたいわ、阿呆。本当に、何でもかんでも知っているような口を利きやがって、若造が。今までどれ程私が苦労したかも知らない癖に」
オールの口調はさらに速さを増していく。聞き取るのも大変ではあるが、言いたいことは聞かずとも分かる。と言うか、できれば聞きたくない。
「私だって欲しかったものは沢山ある。家族だって、兄弟も姉妹も、遊ぶ時間も、欲しかった。欲しかったんだ。母は私が生まれすぐに死んだから、もう生きている時の顔も覚えていない。どんなに思い出そうとしても分からない。母がどんなものなのか、ずっと知らなかったし、今だってよく分からない。母の作る味とは。母がくれる愛とは。知らないんだ。でも、知りたいんだ。私だって、母に会いたい。今だって甘えたい。私の知らないことを沢山聞いて、母の知らないことを沢山教えてあげたい。何で私だけ母親が居ないのかと、他の親子を見る度に何度も思ったさ。けれど、私は決して口には出さなかった。私よりも長い時間母と過ごしてきた父を思えばこそ、私も我慢できようというものだった。そうしていれば、いつか私は褒められると思っていた。知らない愛を知れるのだと思っていた。だからこそ、あの地獄のような百年間も耐えてきた――堪えてきた。愛する祖父が死んで、遂に洛北竜になるというその時まで、私は期待した。きっと最後の最後で褒めてもらえるのではと期待していたからだ。けれど、父は結局最後の最後まで私に激励も賞賛もなかった。愛した父に、最後まで裏切られた。お前には両親が居るのだろう。健在で、堅実に生きているのだろう。本当に……羨ましい。ああ……なんと度し難い。私も、父も――きっと母も。お前は本当に私の気持ちが分かるのか? 私の百年に及ぶ苦しみが。その後千年以上にも及ぶ寂しさが。お前は私の無いもの全てを持っているんだろうな。家族も、友人も、恩師も。ああ、良いなあ。私には何故無いんだろう。そんなお前に知ったような口を利かれたくない。お前にこの気持ちが分かって堪るものか」
彼女の目には涙がいくつも零れていた。ぽろぽろと、絶えることなく――耐えることなく、ありのまま流れていた。
彼女は嗚咽のような声を荒げながら、私の服の裾に掴みかかった。縋るようにしがみついてきた。殺意を孕んだような眼で何かに救いを求めるようだった。
「なあ、何か言ってくれよ! 何か言い返してみろ! ……頼むから……何か、言ってくれよ……」
もう、嫌だよ――とオールはそう泣いた。背負う辛さを嘆いた。抱えた全てを投げた。
私は彼女が一際取り乱し、怒りの感情を――悲しみの感情をぶつけてきて、最初は戸惑っていた。私に対してこんなにも感情を剥き出しにするとは、思いもしなかったからだ。
しかし、ある程度落ち着いてきて、彼女の言葉に確と耳を傾けていると、今度込み上がってくるのは悔しさであった。
――お前にこの気持ちが分かって堪るものか――だと?
ならば、果たしてオールは私の何を知っているというのだ。分からないのだと、何を以て知っているのだ。
私がオールやナキに私のことを話さないように、オールだって今の今までそんなことを話してくれなかったではないか。
それを棚に上げて、何が知ったような口を利かれたくないだ。こっちの台詞にも程がある。
辛いのは自分だけ? そんな馬鹿な話があるはずがない。オールの方こそ――
「オールの方こそ、阿呆だろうが」
「…………何?」
私だってそこまで言われて怒りが溜まらないはずがない。うるさくて堪らない。
「何を自分だけが不幸の渦中に居ると思っているんだ。思い上がりも甚だしいわ。ふざけんな。周りを見ろ。羨ましいなら、いつまでも見ていないで、手元にあるものだけで満足していろ。贅沢言うんじゃない。言いたい放題言いやがって。こっちの気にもならずに、何が知ったような口を利かれたくないだとぬけぬけと。辛いことの一つや二つ、誰にだってあるに決まっているだろうが。それをさも自分は世界から除け者にされたように言いやがって。どんだけ自分を主人公だと思っているんだ。千年以上生きてきてまだそんなことを言っているのか。洛北竜のキャリアはどうした。僕がオールの無いもの全部持っているだと? そしたら、こっちだって羨ましいものなんて沢山あんだよ。いっつもオールの立つ芝は青くて青くて仕方がないんだよ。そうさ。僕には家族が居る。両親健在で兄弟だって元気だろうさ。両親はいつも僕の失敗を笑って許してくれた。何か手伝えばすごく褒めてくれたし、泣いた日はずっと一緒に居てくれた。僕の不運事にも、気味悪がずに抱き締めてくれた。本当に良い親で、これ以上ないくらい良い親で、本当に愛されていた。家族から愛されていた。家族からしか、愛されなかった。大きな街でもなかったけれど、他にも同年代の子どもは居たさ。けれど、皆僕が近づいていくと避けるんだ。声をかければ、罵倒されて突き飛ばされた。本当に悲しかった。何故僕だけなのだと。でも、そんなことを思っても仕方がなかったから――思っていてもどうにもならなかったから。せめて、唯一僕を愛してくれる家族には迷惑をかけまいと、決死の思いで故郷を離れた。本当なら離れたくはなかった。ずっと楽しく話していたかった。そうして生きていけたら、どんなに楽しかったか……どんなに楽だったか。けれど、それでも居場所は見つからなかったさ。結局、僕は何をしても居場所は無かったんだ。辛い日々だったよ。居てはいけないんだって、四六時中、寝ている時でさえ言われている気がして……そういう思いを今までしてきたんだ。君に分かるのか? この辛さが。ただ居るだけで害悪になる者の気持ちが。辛いのは、オールだけじゃないんだよ。そんなの当たり前だろう。僕だって、ナキだって、アルアさんだって、村の皆だって、君の父――アンドレイアだって。自分ばかり辛いなんて、大層で贅沢な悩みを大声でぶち撒けやがって。分かる訳ないだろう、君の気持ちなんて。話しもしてくれないで、分かる方がおかしいだろう。めちゃくちゃな我儘言ってんなよ。自分のことくらい自分で話せよ。…………オールだって知っているんだろう。この模様が何を示しているのかを」
そうして、私は自分の左頬に刻まれた模様に手を当てた。神の恩恵を授かった者の印を。
ああ、何だか疲れてきてしまった。今まで叫んだことなんてそうそうなかったから、こんなに疲れるものだったとは分からなかった。
「神の恩恵がどうやって与えられるか、知っているか?」
私は彼女の顔を見る。戸惑い、何も言葉が出てこない表情の彼女を。
「死ぬんだよ。完全に死ぬと、何の拍子かで神の恩恵が手に入るんだ。ナキにも話していなかったけれど、この際だから教えるよ。僕は業火に焼かれて死んだ」
「…………えっ?」
そう驚いた表情をするオールに、私は敢えて笑った。昨日から彼女が浮かべ続てけていたあの薄く軽く安い笑顔を。
「休日に街を歩いていただけだったんだけれど、窃盗犯と鉢合わせて、向こうが火炎を放ってきた。大事な友人が殺されかけたもんだから、勢い任せに飛び込んだら、僕が代わりに全身に炎を被る羽目になった。怖かった。痛いよりも強い――怖さだ。これから死ぬのだという、はっきりした恐怖。まだ生きていたいという想いも嘲笑って掻き消すんだ。目は溶けて、喉は枯れて、手は焦げて――何もできずにただただ焼かれるだけだった。火竜たるオールには解らないだろうけれどね。でも、良いんだ。それは決して悪いことではないから。その方が僕も嬉しいんだ。そう、いつだかカルマが言っていた。『記憶も気持ちも奇才も、分かり合えても――分かち合えない』。彼は本当に決然としていた。それでいて飄々とものを語るのだから、一緒に話していて実に心地良かった。そんなカルマだからこそ、そんなことも言えたのだろうな。だから、オール――何でもかんでもこちらに押しつけるな。こっちだって日々沢山悩んでいて、自分のことだけでも精一杯なんだ。話してくれても、全部は分からない。けれど、何も話さずには何も分からない。痛いなら溜めずに話してくれ。辛いなら抱えずに小さく吐き出してくれ。僕だって今まで伊達に不運に見舞われてきた訳じゃない。君と同じくらい辛い記憶はあるつもりだ。何にでもなれても、何でもはできない。お願いだ、オール。自分の言葉で、自分から話してくれ」
そう言い切った私はへたり込んで、そこに座った。何とも大人げない物言いではあったが、これが私が今彼女に送れる精一杯の本音である。
ただ、果たしてこれでオールがどのような反応をするのかということだが。
逆上して私を焼き払いにくるか。はたまた冷静に私の言葉を分析し、完全なる論破した挙句にビンタをしてくるか。もしくはもう呆れるしかなくなり、狂ったように大声で高笑いするか。
しかし、彼女が取った行動はそのどれも当てはまらなかった。洛北竜であるオール・ド・フレムが取った行動は――少女が強く言い返され取った行動は――
「うう……ううああああ……うあああああん」
彼女は泣き出した。迷子のような、独りぼっちの子どものような声で、先程よりも多くの涙を流して。何も考えずに――考えられずに。
「あああああ……あああああああん……ああ……うあああああああん」
私は再度戸惑った。まさか彼女が泣くとは思わなかったから。そこまで私の言葉はキツかったのだろうか。
愕然としながらも、私は彼女に近寄り手を伸ばした。しかし、オールは私の伸ばした手を払い、その勢いで私の左頬を弱々しく叩いた。
「痛い……」
痛いのはどちらかと言えば心である。
とはいえ、ここで折れる私ではない。彼女のビンタに構うことなく私はその小さな体を抱き締めた。
ディアノウメノスの苦悩が分かった気がする。この少女は我慢する割に、脆いんだ。だから、どうすれば良いのか分からない。
我慢を続けるオールに、ディアノウメノスが労うことしかできなかったように――今私は崩れてしまった彼女をこうして胸の中に閉じ込めるしかないのだ。
そうすることしか、思いつかない。私もまだまだ未熟である。
「ううう……ごめん……ごめんなさい、ごめんなさい……ああ…………」
「…………」
何だよ、今更。私だって酷いことを、沢山沢山言ったのに。結局は自分の都合ばかりを言ったのに。
だから、君は今こうして泣いているんじゃないか。顔をくしゃくしゃにしてまで、涙と鼻水に塗れてまで、その上それを私の服に擦りつけてまで――ああ、私の服がびしょ濡れだ。
そう言えば、彼女のこんな表情は見たことなかった。いつも笑っているか、しかめ面で佇むんでいるから、私はこんなにも弱ったオールを見たことがなかったな。
「……謝らないでくれよ。どうせなら私を責めてくれた方が良い。後ろめたいじゃないか」
「うう、責めるとお前は喜ぶのか……?」
「そうは言ってない」
何気に軽口叩けてるな。
「……ごめん。僕の方こそ、ごめん。僕の方がごめん。……言い訳みたいに聞こえてしまうかもしれないけれど、こんな風に言い合いしたことなんて、家族ともないから……分からないんだ。加減がどのくらいなのか、知らないんだ。本当に、ごめん」
私はそう言ったが、オールは私の湿った胸の中で、小さな首を大きく振った。
「……違うんだ。私はお前のが正しいと思っている。そりゃそうだ。辛いのが私だけなんて、そんな馬鹿げた話があるはずがない。私の方が間違えていた。私の方が謝るべきなのだ。ごめんなさい、酷いことを言って。許してもらえるなんて思っていない。お前達の望みを叶える為について来たのに……」
「願いを叶える役目は先代達が身勝手に決めたただの伝統――ではなかったのではないのか?」
私は笑ってみせた。さっきのような冷めた笑いではなく、全力の温かい莞爾で。すると彼女も笑い返してみせた。久し振りにした可愛らしい女の子の笑顔で。
「これだけは、私の望みでもある。…………二度と忘れないようにするさ」
「そう」
私達は一歩前進し、互いの距離を縮めた。彼女の頬は既に乾いていた。
〇
朝ご飯を済ませた私達は昨日同様竜の長の元へ出掛けた。
結局オールはついて来なかったが、気分は随分すっきりしたようでいた。朝食も沢山認めていたし、テントの中に戻ると今度は文を認めていた。誰宛かは知らないし、訊かなかったが。
ただ、早朝テントの中で起きた文句の応酬は意外と村中に響いていたようで、テントの中から出てきた私はものすごい視線を浴びた。
結果的にオールを泣かせてしまったのだから、あまり良い視線ではなかったが、こちらの事情を汲み取ってくれたらしく、蔑むような蛇目で見られることもなかった。
村を出て、竜の元を目指す途中アルステマはやたら私とオールの関係に迫った。
「やっぱり……色々とあるのね。これからのこととか、あの子の胸見過ぎとか……恋人とかってそういう言い争いは、日常茶飯事なのかしら」
何を言っているんだ、アルステマ。全然違うのだけれど。
事情を汲み取ってくれたと思ったが、何故痴情の方向に汲み取ってしまったんだ。大体どこでそんな知識を覚えたんだ。
そもそも間違いが多過ぎる。我々は恋人関係ではないし、これからのこととか話していないし、私は女性の胸を見た覚えはないし、女性の脚を見た覚えもなければ、女性の脇を見た覚えもない。全く間違いだらけである。弁解するのも一苦労だ。
「あ、なんだ、そうだったんだ。ごめんなさい、勘違いして勝手に盛り上がって……」
「いや、分かってもらえたのなら、それで良いんだ。気にしていないから、気にしないで」
ふう。何とか誤解は解けたな。一安心である。やはり不安があっては今日を楽しく生きられん。
何となくナキの方を見ると、彼女は顔を背けてどこか遠くを見つめていた。曇ったような眼差しは果てのないどこかをただ睨んでいるようだった。
「…………?」
私は少し違和感を感じた。
今日、最初に会う竜の長は毒竜の長――イオンである。
毒竜達の棲む場所は実に閑静な山岳であった。ごつごつとした岩肌と青々とした草原が生い茂るその山の山頂、そこにイオンはいた。
森林に覆われた山ではないので、山頂も草原が続き、遮るものも何もなく箱庭の岩の天井が真上に見える。
また、その場所には毒竜以外の動物が棲息していない。というか、この島には竜以外の動物がほとんど棲息していないのだ。ここは竜が王者の島であり、動物は問答無用で竜の餌になる。昔は鹿やら兎やらが棲んでいたそうだが、全て竜が食い尽くしてしまったらしい。
それもあり、その後は水の中に残された魚を計画的に食しているそうだ。彼らも人間に負けず、賢い頭を持った者達だ。学ぶ生き物は我々だけではない。
山頂に着くと、そこには仰向きになって鼾を辺りに轟かせる紫紺の竜が居た。
「ぐおおおおおおおお……」
「…………」
仰向きに寝て、翼が傷むのではと思ったが、彼は背中に翼を生やしていない。彼の翼は腕にあった。
要するに、彼はワイバーンである。
ワイバーンは竜の中では然程珍しい種ではないが、この箱庭のほとんどが四つ足の竜なので、ここに来てあまり見ていなかった。
以前、カタラクティスに向かう途中になったことがあったが、私がなったワイバーンは全長三メートル程のもので、あまり大きくはない。よって、巨躯を持った毒竜はとても格好良い。やはり竜は大きいに越したことはない。
しかし、何だな。こうしてお腹を曝け出して、無防備に――無邪気に眠る竜というのも、中々可愛いものだ。まあ、いつまでも寝られていても困るのだが。話がしたくてここに来たのだから。
周りにいる毒竜達は遠くからイオンを見ているだけで、特に起こす気もないらしい。
自分で起こそうかとも思ったが、これが毎日欠かさず行っているお昼寝の時間なのだとしたら、私はここで我慢するべきだろう。無理に起こして、イオンや周りの毒竜達から批難と毒を浴びせられでもしたらただでは済まない。ここは、郷の者に訊くのが堅いか。
と、私がアルステマにこの場をどう切り抜ければ良いのか訊こうとした時には、彼女は既に行動を起こしていた。というか、イオンを起こしていた。
アルステマはどかどかとイオンに近づき、膨らんでは萎む彼の腹に思い切り平手打ちを食らわした。……えっ?
「ふがっ」
そう唸り、頭を起こすイオンに対しアルステマは憮然とした態度で「おはようございます。よく眠れましたか」と、流暢に話した。
イオンはイオンで「ああ? ああ、何だ、お前か」と、慣れた態度で受け答えた。何これ。
「お前今俺の腹叩いたろ。声かけりゃ起きるって何度言えば良いんだよ」
「そう言ってこの前起きなかったではないですか」
「口答えすんな。可愛げがねえな、このぶすはよお」
「それよりその可愛らしいお腹を隠したらどうなんですか? 風邪引きますよ」
「引くか、ぼけ」
そんなやり取りが繰り返され、私とナキはしばらく放置された。
しかし、あの口下手のアルステマがイオン相手だとこんなにも饒舌になるとは思わなんだ。
「彼がうるさく毒を吐いてくるので、皆この方相手だと嫌でも舌を回さなければならないの。でなきゃ、会話もできない」
「お前の躾をしてんだろうが。適当言ってんなよ、竜の犬が」
「わん」
「阿保か」
なるほど、口下手も舌足らずもここでは強制的に矯正されるという訳か。ただ、先程の会話を聞いている限り、押されているのはイオンの方だった気もする。案外、毒舌というのは違うのか?
「で」と、イオンはこちらを見た。そのキリッとした目つきは見る者のその心臓まで見据えているのではないかという程に、鋭く、細かった。
「お前達が洛北竜の恩人という者共か」
「はい。名をフィン・アーク・アイオーニオンと申します」
「ナキ・アンブロシア・エマイディオスです」
「ふん、俺はイオン――毒竜の長だ。本当ならば今は寝ている時間なのだが、折角だ。お前達に時間を割いてやろう」
そう言って彼は体を起こし、我々に正面を向けた。
紫紺に染まった毒竜は、私が思い浮かべていたものと少し違った。何というか、常時毒煙立ち込めまくりで垂れ流しだと思っていたが、意外と静謐としていて、周りの草木も生き生きとしている。
「当たり前だろうが。俺らだって、他の生き物がいなけりゃ生きていけねえんだ」
私の疑問に対し、イオンはそう答えた。
「確かに毒は害だ。しかし、敵ではない。体を増強させる毒もあるし、薬も毒が無ければ生まれねえ。それに、孤高の竜も共生はしなければならない。嫌だろうと、拒もうと、強制的に共生はしなければならない。竜も腹の減る生き物だ。食わねば死ぬし、腐らせれば食えない」
好きで持った毒でもねえさ――と彼は憂うように言う。
本当に知らないことだらけだ。巨大過ぎて強大過ぎる力だからこそ、それが重く苦しい枷になることは、誰でも感じることなのだろう。
害たる毒を利用することに抵抗がなくても、自分自身が害たる毒そのものだとしたらその心境はどのようなものなのだろうか。自分自身が害そのものという気持ちは――
「他人事ではないんじゃないのか?」
イオンは鼻で笑って、私を見る。哀れむような――と言うよりかは、同族を見るような目である。
まあ、その通りなんだけれどね。
「とは言え、毒を持つ俺ら毒竜が完全に害という訳でもない。言わば俺らは毒のスペシャリストだ。害となる毒も――その解き方も熟知している。故に、ここでは毒竜が医者なんだよ。二度になるが、薬も毒が無ければ生まれねえ。毒を生む俺らは同時に解毒もできるって訳よ」
そうか。一見毒を操る彼らも、薬も作ることのできる薬剤師ということか。そう言えば、サギニさんのテントにも調合道具とかが沢山置かれていたし、毒竜の存在はこの箱庭――或いは世界でも大きな役割を担っているのだろう。
正直言うと、毒竜が一番辛い想いをしているのではと思っていた。望んでもいない毒を押しつけられ、偏見や色眼鏡だけで見られ、聞いた話では仲間同士の毒でも死んでしまうこともあるらしい。
しかし、彼らにとって毒というのは、あくまで能力であった。デメリットも含んだ――長所であったのだ。
どうしてだろうか――毒竜と自分を無意識に身勝手に重ねていた。生まれながら毒を生む毒竜と、生まれながら不運を纏う私を――同じはずないのに、仲間を見つけたくて――見ていたくて――
全くとても失礼なことを考えていたものだ。
私もそういう風に考えられていたら、今は少し違ったのだろうか。不運を捨てた私とは、果たして――
まあ、想像できないけれど。
「案外、できることはあんだよ。周りのもの全部うざったくて仕方ねえが、それでも同じ形した生き物だからな。助け合わなきゃ、助けてもらえねえから。時々は毒も得――ってな」
そう言い、イオンは不敵に笑ってみせる。毒を吐く彼の普段の陰鬱な表情とは違い、純粋に格好良いと思える、雄々しい笑みだった。
私もいつか、そんな風に笑えるだろうか。
「それと、一つ」
綺麗に締まりそうだった会話を継続させたのは、アルステマだった。
そう、話はまだ終わっていないのだ。残念ながら、誰も綺麗に締めようなどとは考えていない。何なら謎と疑問と不思議をばら撒いて終わってやる。
「この島に疎らに転がっている死体をご存知ですか」
アルステマの言葉に、イオンは首を傾げてきょとんとした。
「……どういうことだ」
そう、この島に来てからというもの、幾度も人の形をした遺体を見ている。この山頂に来るまでの道程でも二つの遺体を見た。
それはまだ新しいような肌の死体であったり、土で汚れた白骨死体であったりと、死因や状況も様々であった。
「……いや、知らんな。ここ数ヶ月山から下りていないからな。しかし、前にはそんなもの見なかったが……」
イオンも知らないのか。アルステマも全く覚えがないと言うし、一体何なのだろうか。
「動物が野垂れ死んだ跡じゃないのか。昔はここにも竜以外の動物も棲んでいたしな」
「しかし、その死体は人型ですよ」
「じゃあ竜人が野垂れ死んだんじゃねえのか。迷子になった挙句に、餓死したとか」
「その死体はどれも竜人のものではありません。もし竜人ならば彼ら特有の角や翼、尻尾がありますが、その死体全てにそれらが確認できませんでした。白骨死体にも然り」
竜人の骨格は当たり前だが、角や翼の骨もある。角も硬いのはあくまで表皮だが、骨がなければ脆いものだ。
「ああ……えと、じゃあ何か、外からたまたま迷い込んで来たのが島の中で死んだんじゃね?」
段々と予想が塞がれ始め、口調も弱くなってきたイオンだが、その眼は単純な動揺だけに囚われておらず、何かを危惧しているような瞳だった。
「生きている限りこの島の魔法障壁を超えられません」
「んなことは知っている」
「仮に、死体が流れて着いたのだとしても、島は鼠返し宛らの岩の檻です。それは入ることも不可能にします。入り口はこの上の穴一つ。死体が勝手に勾配のキツい岩肌を登り、侵入することは不可能です」
そう言い、アルステマは真上を指差した。
「んなことも知っている」
「では」
「あのな、アルステマ。俺が何でも知っていると思うなよ。悪いが俺は賢い方じゃない。必ずしもお前の頼みを叶えられる訳ではない。そんなことは神に頼め」
それっきりアルステマは顎に手を当てて、何を言うこともなく沈思黙考し出した。
イオンの言葉は思っていたよりもきついものではなかった。毒ばかりではなく、そこには確かな優しさも含まれていた。キュアノスが言っていたことはそういう意味では外れている。
しかし、イオンの言葉は優しいと同時に非常に厳しいものだった。はっきりと淡々と流れる言葉は全て真実を語っていた。現実だけが並べられた正論ばかりであった。それは、毒竜には似つかわしくない程に毒気の無い――けれど同時に、あまりにも味気も無い言葉だった。
「まあ、俺も少しは調べてみるか」
彼はそう言い、怠そうに背中を掻いた。
次回にご期待ください。
本作品は、不定期更新となります。次の物語をお待ちください。




