『涙』(修繕中)
まだまだ未熟なので、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。
※この作品は、少し残虐なシーンが含まれます。また、少し刺激の強いシーンが含まれます。以上のことが苦手な方はご観覧をお控えください。
この作品は、私の溜め込んできた物語をひたすらに詰め込んでいます。
それでも楽しんで頂ければ幸いです。
母国を発って最初に向かったのは『王国』から北に位置する小村である。
五十人ほどの人口を抱えるその村の村民はほとんどが人間であり、『王国』から流れてきた者で形成されたのだと言う。
育成学校からも距離が近い為、遠征がてらその村を訪れる授業も過去にあったらしい。
数年前に無くなったその遠征の最後の年に私も参加しているそうなのだが、豪いもので全く覚えていない。
村人の中には亜人が何名かいるらしく、少し見てみたい気持ちもある。
何分『王国』は人間大国なので、亜人を目にする機会がそうそう無い。
見物みたいな気持ちで見るのは良くないが。
しかし、今回はその村を訪れるのは観光ではなく、あくまで一時的に体を休める為だ――長く滞在する気はない。
明日にはここを発ち、すぐに大きな街を目指すつもりである。
村の周りは木と藁の塀でぐるりと囲われていて、各所に見張り用の櫓が設置されている。
昔はもっと立派な塀や櫓だったのだろうが、今は継ぎ接ぎだらけで修繕もろくにされていないようだ。
門の前まで来ると見張りの人が近寄ってきた。
大抵の街や村では門の前で用件を訊かれ、お金を支払わなければならない。
貧乏な村などではこのような制度が当たり前にある。
そうしなければ、生活もままならない世の中なのだ。
「どのようなご用件で」
「一晩泊めて頂きたく」
入村料を支払い門を潜ると、飛石が敷かれた道沿いに木造の建物が立ち並んでいる。
すれ違う人皆、私を見ると優しく会釈をしてくれるが、浮かぶ笑顔はどれも痩せこけていた。
十分な食事が取れていないのだろう。
宿で宿泊手続きを済ませ、荷物を置いて村を見て回ることにした。
「大したものもありませんので、楽しめるとは思えませんが」
宿屋の主人はそんなことを言って私を見送った。
楽しめるか否かはともかく、この村の抱えている苦しみには気が付いている。
先程から村のどこを見ても、隠し切れない貧しさが浮かび上がっている。
というか、この村はその貧しさを隠そうとしていないようだった。
家屋はどれもが褪せているか腐っており、それをずぼらに修理してはいるものの、全く種類の異なる木材で補っている。
村の建物が全て木造であるところを見ると、きっと数年前までは近くに森があって木材も豊富に採れたのだろう。
しかし、過度な伐採か、はたまた環境の変化か、森は枯れ果ててしまったのだろう。
木材を財源としていたこの村は資金にも困窮し、他所から買い取った少ない木材で村を修繕させている――といったところだろうか。
そのせいで食糧を買う金も無く、皆痩せているのだろう。
中継地として訪れる旅人からの入村料と、所々に見かける小さな畑で食い繋いでいるような状態か。
しかし、その畑もろくに作物は実っておらず、弱々しい枯れた枝葉が横たわっているだけだった。
とはいえ、この村も貧しいばかりではない。
穏やかな気候に包まれた平原には彩り豊かな花が咲き誇り、どこに目を置いても美しい。
これだけの景色なら何か観光にでも使えそうだが、それを実行に移す余裕さえないのだろうか。
或いは、この花の綺麗ささえ、村の人達は見飽きてしまっているのか。
しばらく歩いていると、私が入った方とは反対側の門前までやって来た。
そこは広場のようになっており、どうやら人集りができている。
何か催し物でもやっているのかと思い、気になって人混みの後ろから背伸びでその中心を覗き込む。
そこでは私の気分を甚だ害す――この世界の当たり前がまさにこれから起きようとしていた。
人混みは一定の距離を置くようにできており、各々が小声で言葉を交わしながら渦中のそれを眺めている。
中心にはローブを身に纏った者達が馬車からぞろぞろと降りてきている。
恐らく村人ではない外部の者のようだ。
ローブのフードから顕になった彼ら全員の頭には、立派な動物の角が生えている。
そして、身に纏っている軍服――どうやら彼らは『大魔王国』の使者らしい。
魔人について説明しておくと、彼らは『魔』という物質を最初に発見し、研究・実用化を進め、世界に魔法を広めた種族である。
それももう何万年も前の話だ。
魔力が通常よりも強い彼らには角が生えているが、その角にこそ多くの魔力が蓄えられている。
だからこそ、魔人は魔人たり得るのである。
しかし、魔自体はどの生き物も体内に保有していることも分かっている。
魔人のように魔力を蓄える器官が発達していないだけで、普通の生き物も魔力を保有することができるのだ。
魔法の得意不得意は個人が持つ魔の量に比例するようだが、それとは別に体内の魔を自在に操る為の高い知能も当然必要となる。
その為、大量の魔力を持っているだけで魔法が使えるわけではない。
魔人は魔を蓄える器官として角が発達したと言ったが、通常は血液中に含まれており、体を循環し続ける。
魔法を過度に使い過ぎると貧血と同じような症状が起きるのだが、それは体内の魔を魔力に変換する際に血液も蒸発する為である。
こういった事実を発見したのも他ならぬ『大魔王国』――通称『魔国』の魔人であるが、その魔人が一体何をしにこんな遠くまでやって来たのか。
そうして、しばらく見ていると、人集りの視線が魔人の方から一変――私の後ろへと向けられる。
倣うように振り返った私は、少しずつ近づいてくるその存在に気付く。
案の定痩せこけた村人の男が、手枷首枷へと繋がる鎖を引いて魔国の馬車へと歩いてくる。
そして、その鎖に繋がれた少女もまた、皆と変わらず痩せこけていた。
どうやら彼女が魔人達の目的らしい。
てっきり物資の貿易か何かなのかと軽く考えて眺めていた私は、自責の念に駆られる。
それもまた、ある意味物資と呼べるのかもしれないが。
私も知らなかったわけではない。
この世に蔓延る人身売買を――その身の自由を金貨に変えられる人々を――その上で救われるそれ以上の人々を。
こうするしかないことも分かる。
私如き部外者が口を挟む余地などない。
枷で縛られたその少女はくたびれた麻布をそのまま縫い合わせたようなローブを纏い、深くフードを被って俯いている。
その中に見えた恰好もボロ布を腰紐で留めただけの服とも言えない衣である。
徐々に近づいてくる彼女を前に人混みは自然と人垣を作った。
私も重たい足で後退り、人垣の石に加わる。
少女が私の目の前を通る時、一瞬だけこちらを一瞥した。
身なりが村人とは違ったから、思わず顔を上げたのだろう。
一瞬だけ顕になった少女の額に二本の角が生えており、彼女が鬼人であることに気が付く。
鬼人という人種は東の地に大国を持つことで有名な人種だが、彼女は移民だったのだろうか。
鬼人は額から硬化した人肌の角が生えていることが大きな特徴だ。
同じ角の生えた亜人でも、顳顬から動物のような硬い皮で覆われた角が生えている魔人とは、見た目も役割もまるで違う。
鬼人の角には魔力を備蓄する機能はなく、進化の過程で突出した単なる飾りだと言われている。
鬼人の角は人によって本数が違い、少女は眉の上ら辺に二本生えているが、人によっては真ん中や片側に一本だったり、多い人では三本生えているそうだ。
身体能力が高いことでも有名で、すらりとした体格は小回りが効いて近接戦闘に向いているのだと言う。
鬼人についてはこんなところだが、ともかく今はその少女の話だ。
私と合った群青色の目はもはや何の希望も抱いてはいなかった。
これから彼女がどんな仕打ちを受けるのかは知らないが、向こうは金で買って手に入れようというのだ。
明るい話ではないだろう。
私は隣にいた村民の男性に事情を訊ねた。「彼女は?」
「ああ、旅の方か……気分の悪いものを見せてしまったね」
男性は過ぎていく彼女を眺め、やけにすらすらと話し始める。
「彼女は数年前この村の外れに越してきた一家の一人娘なんだ。けれど、両親が早くに亡くなって、それから村で養っていたんだ」
「……元々は村民だったんですね」
それなのに、今はあんな風に枷まで付けて、囲むように――見張るように大勢が彼女を見送っている。
「引き取った頃はこの村もそこまで貧しくはなかったんだ。裕福でもないけれど林業で生計を立てられていた。けれど、彼女を引き取った時から徐々に周辺の土地が枯れ出して、しまいには村の木が全て病気になってしまったんだ。そうなっては、病気が人に襲いかかる前に森を焼くしかない」
「…………」
「農業に転向しようともした。土地は田畑に向いていないわけじゃないんだ。なのに、どうしてか上手く行かない。花は咲くのに、野菜や穀物は実る前に土が弱って枯れてしまうんだ」
そんな不運が続いた果てが、村人の頬の痩けと少女の枷か。
「餓死する村人も出始めてしまった頃、幸運なことに――彼女にとっては不幸なことか――魔国の王が人材募集を世界中にかけたんだ」
それについては私も知っている。
世界中でかなりのニュースになっており、今も連日新聞でそれに関する記事を目にする。
魔国の王が高い魔力を保有する者に研究協力を仰ぐ声明を発信した。
これに応じた者とその家族やそれに準ずる関係者には多額の報奨金を支払うと言うのだ。
魔法研究の一環であると魔王は説明しているが、その研究内容が開示されていないことから人道的配慮に欠けた実験の被験者にされるのではという批判的な声も上がっている。
人材募集という体の人身売買ということは容易に想像がつく。
しかし、世界には道徳よりも明日の食事を優先しなければならない人達が腐るほど存在する。
この村も然り、背に腹は変えられない。
「実際、今の魔王は証拠がないだけで黒い噂が絶えないし、俺達も彼女を魔国に差し出すべきかものすごく悩んだんだ。でも……どうしようもなかったんだ」
そう言って、苦しむ様子で俯いた男性を見て、私は心の奥で気味の悪さを感じていた。
被害者面できるのは、あんたじゃないだろう。
「でも、村の皆もどこかで彼女に怯えていたんだ。彼女がやって来てから村は苦しくなる一方で、まるで疫病神が舞い込んできたようで」
「……じゃあ、彼女を追い出せて、安心しているんですか」
「…………そうかもしれないな。吸血鬼にゆっくりと血を吸われるような感覚が、この数年ずっと気持ち悪かったんだ」
私達の会話を聞いていた周りの人達も、聞いていない顔で――けれど、どこか頷いているようで――気持ちが悪かった。
ああ、そうか。
彼女とすれ違い様に見た彼女の瞳に納得がいった。
見覚えはない。
でも、他人だとは思えなかった。
きっと私もああいう目をしていたのだろう。
「でも、これでやっと安心できる。金さえ工面できればこの土地からも離れられる。どれだけ掛かるかは分からないけれど、新しい豊かな土地を皆で移動しながら探すつもりだよ」
この土地は捨てるということか。
そうなれば、もはやあの少女の変える場所も無くなるわけだ。
「結果的に俺達は彼女に救われるからな。新しい土地が見つかったら、せめて彼女の銅像でも立てようかな」
既に男性の話など聞いてはいない。
それよりも話したい相手がいる。
〇
軍服を纏った魔人の前に少女が辿り着く。
男が持っていた鎖を魔人に渡しかけたその時――全速力で駆け出した私は魔人と彼女の間に割り込む。
そして、今まさに魔人へと引き渡される彼女を、私はそっと抱き寄せた。
何が起こったのか分からない様子の少女は、再び顔を上げて私を見る。
被っていたフードが艶やかな黒髪を滑り落ち、月の光のように真っ白い肌が太陽の下に現れた。
女性を抱くなんて何年振りかも忘れたが、触れてみて初めて感じるその細さに私は思わずぎょっとする。
一つでも加減を間違えればたちまち壊してしまいそうだった。
「貴様、何者だ」
魔人達は腰に刺した剣を抜き、その内の一人が私へと切先を向ける。
人垣はとうに形を崩して私を睨んでおり、冷たいどよめきが広場に溢れている。
先程まで話していた男性も、人混みの後ろの方から怒りと怯えの入り混じった視線を送りつけてきていた。
私はこの場を包み込むそれら全ての向かい風を無視し、再度腕の中にいる彼女を真っ直ぐに見つめる。
すれ違った時よりもよく見えるようになった彼女の瞳には泣き腫らした痕があり、それを見つけた私は密かに安心する。
彼女は決して諦め切れていないのだと、赤く腫らした目から教えてもらえた気がした。
「僕と一緒に行こう」
それが一言目で合っていたのかは分からないけれど、一言目にしたものは引っ込められない。
彼女は腕の中で困惑し切っている。
小さく開いた口が小さく震えて、状況の理解が追いついていないようだった。
「ずっと助けを求められなかったんだよな。安心して凭れかかれる人が居なかったんだよな」
その時、向けられた剣の刃がさらに首筋に近づく。
「おい、先程の質問に答えろ。そして、その娘から離れろ。それは我らが魔王への贄だ」
凍えるような鉄の空気が首に伝わってくる。
しかし、それに怯えていては彼女の前に現れた意味がない。
正直言うと、今こうして衝動のまま彼女を抱き留めていることに、自分でさえよく分かっていない。
こんな危険を冒して、剣まで向けられて――その上で彼女を救いたい理由は一体何だろう。
慎ましく大人しく目立たないように暮らそう――『王国』を出るまではそう思っていたのに、気付けばしゃしゃり出て首を突っ込み白い目を向けられている。
これでは以前と何ら変わらないじゃないか。
それが嫌だから卒業を蹴って、友達との別れを呑んで、涙交じりに国を飛び出したんだ。
なのに、どうして彼女を救う?
彼女が不憫だったから――違う。
この村に腹が立ったから――違う。
善行を積みたかったから――違う。
この気持ちは決して同情でも、鬱憤でも、暇潰しでもない。
もっと身勝手で――自分本位な寂寥だ。
きっと彼女じゃなかったら助けなかっただろう。
きっと彼女じゃなくても助けたかもしれない。
どちらでも良いんだ。
私が今欲しいのは、名も知らない少女なんだ。
「僕も同じなんだよ。僕が泣いている時、背中合わせで一緒に泣いてくれる人が欲しかったんだ」
勝手に呪いのように追いやられた君だからこそ、私が抱える苦しみを知っているような気がした。
互いに凭れ合えたなら、少しは生きることも楽になる気がした。
「答えて。一緒に離れよう」
震えたままの彼女の口から言葉が出るより先に、潤む彼女の目から涙が零れる。
そのまま嗚咽を垂れ流して顔をうずめ、私の胸を温く濡らしていく。
力一杯抱き締めて離さない彼女の細腕が、何よりの答えだった。
「ここから離れよう」
胸の中で彼女が頷く。
「時間切れだ。貴様を殺す」
狙い澄まされた魔人の剣は私の首を刎ね飛ばそうと横薙ぎに斬りかかる。
もはや避ける時間すらない私は絶体絶命だが、避ける時間すら要らないのだから問題ない。
甲高い金属音を鳴らして折れた魔人の剣に、持ち主の彼は目を丸くして戸惑う。
「どうして――」
魔人が困惑している間に、隙だらけの彼の腹に蹴りを入れる。
中退とはいえ『王国』の兵士になりかけていた私の蹴りは、一撃で魔人を気絶させてしまった。
「何で首を斬られたはずなのに、あいつは無事で剣の方が折れたんだ……」
信じ難い光景を目の当たりにし、村人達は戸惑い果てる。
答えは単純――斬られる直前、首を竜の鱗で覆った為である。
竜の鱗を破れる剣など、そうそうありはしない。
ぶっつけ本番で使った『神の恩恵』の能力だが、内心無事に成功して安堵している。
ここでまた鶏にでもなってしまったら、ただの屠殺になっていた。
「あなたは……一体」
私の首に丸くした目を遣り、少女の狼狽が口から零れる。
「人間――だったのだけれど」
背後からは次々と魔人が襲いかかってくるが、私はその攻撃に振り返らずに身躱してしまう。
能力で頸に目を生み出したからである。
「こいつ、見えてないはずなのに、全部見切ってやがるぞ!」
「狼狽えるな、きっと魔法で感知しているんだ! こちらも魔法で対抗しろ!」
彼らは剣を鞘に戻し、掌を翳すように私へと向ける。
「しかし、あの娘も死ぬのでは?」
「構うな。魔王からの話を聞いていなかったのか?」
「ああ、そうか……」
ごちゃごちゃと彼らが話している内に、やがて彼らの掌に魔法陣が現れる。
そして、閃光が一瞬走ったかと思うと、直後魔法陣から火炎が放たれた。
全員が火炎魔法で私を狙い撃ち、焼き殺すつもりらしい。
もう焼かれるのはこりごりだ。
しかし、さすがに今回の攻撃は私が全身を竜の鱗で覆うだけでは、私は助かるだろうが少女が巻き込まれてしまう。
その為には彼女を覆い守れる壁のような体躯が必要となる。
であれば、私が選ぶべき生き物は簡単だ。
竜の鱗で覆われた巨躯の生物――というか竜だ。
火炎の塊が私に直撃し、轟音と共に爆発を起こす。
広場にいた人々は突風で尻餅を着いたり、飛び散る火の粉に怯えて逃げ出した。
「死んだか……?」
「娘さえ生きていれば良い」
土を焼いて立ち上る黒煙に魔人達は恐る恐る近寄る。
しかし、目を凝らし見た煙の中に、いるはずのないシルエットを発見した彼らは再び狼狽える。
次の瞬間、先程の爆発よりも凄まじい轟音が鳴り響いた。
晴れた煙の中から現れたのは、翼で我が身と少女を覆い煌々と黒い鱗を輝かせる、一頭の竜である。
丸めた翼を勢いよく広げ、纏わる火の粉と黒煙を振り払う。
「どうして突然竜が現れる……!?」
「召喚魔法か? しかし、竜を喚び出すなんて聞いたことがないぞ」
「それにあの男の姿が無いぞ」
私の姿が無いことはない。
彼らが怯え見上げるその竜こそ私なのだから。
少女にも怪我は無いようだ。
もっともその少女も私を畏怖の瞳で見上げている。
竜の姿を見た魔人達は既に戦意喪失しているが、もう一押ししておこう。
喉の奥から大気を震わすほどの咆哮を上げ、彼らを威嚇する。
怯えた彼らは最初に私が気絶させた者を連れて馬車へと駆け込む。
しかし、馬車を引く馬も私の咆哮に怯えてどこか遠くへ逃げてしまった。
逃げる為の移動手段を失った彼らは、頭を抱えて蹲ったり、足が竦んでその場に座り込んだりと、逃げる勇気も湧かないらしい。
とにかく動くことなく、私が見逃すのを待っているのだろうか。
私はそんな淡い願いなどに目もくれず、靭やかな尾を振って魔人達を纏めて吹き飛ばす。
悲鳴を上げながら宙を舞い、地面に叩きつけられる頃には彼らの意識は無い。
私は竜から人間へと姿を変え、倒れている魔人達に頭を下げる。
攻撃されてやむを得なかったとは言え、元の発端は私の身勝手な横入りだ。
私の都合で伸してしまった彼らに、せめてもの謝罪を込めて頭を下げた。
けれど、これで許されることではない。
その証拠に、私へ向けて投げられた石が額に当たる。
避ける気もなくそれを甘んじて受け入れた。
勢いはなかったが尖った部分が直撃し、滴る血の赤が右目の視界を覆った。
ゆらりと顔を起こし、石が飛んできた方へ振り向く。
上手に私に石を当てたのは、村の小さな女の子だった。
勇ましい顔で私を睨みつけていた彼女だったが、私と目が合うとすぐに怯えた様子で背中を丸めて縮こまる。
周りの大人達も女の子を守ろうと、慌てて女の子を担いで人混みへ逃げていく。
中には私に土下座をして「許してください」「殺さないでください」と、勝手に命乞いを始める人や、武器を持ってくるように指示する人など様々である。
この村の人達とまで争う気は毛頭ない為、早々に立ち去ろうかとしたその時――「化け物め!」――私に罵声を浴びせながら群衆のを掻き分けて前へ飛び出してくる人影があった。
「俺の話を聞いて怒ったのか? その娘への扱いが気に食わなかったのか?」
彼は先程私に鬼人の少女の話を聞かせてくれた男性であった。
憎悪と恐怖を織り交ぜたような眼差しで私に訴えかけてくる。
「だったら、そいつに同情したら良かったのか? 拭い切れない疑いを無理にでも捨てたらお前は何にもしなかったのか?」
私は何も言わない。
何も言い返さずに、彼の言葉に耳を傾け続ける。
「仕方ないだろ、そいつが来てからどんどん苦しくなって、俺の妹だって……治せたはずなのに! たまたまでも恨みたくなるんだよ……じゃなきゃ、どこに吐き出せば良いんだよ!」
男性の本音にあてられたのか、周りにいた人々も彼に続くように震えた声で胸中を叫ぶ。
「そうだ、ばあさんだって助けられたかもしれない」
「彼女が来るまでは上手く行っていたんだ!」
「売るしかなかったんだよ」
「信じたくないさ。そんなに良い娘がこの村を呪ってるなんて」
「やっと立て直せると思ったのに」
「出ていってくれよ」
彼らの正直な泣き言に鬼人の少女は膝から崩れ落ち、そのまま蹲って謝り始める。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
か細い声は多くの罵声に掻き消されて私の耳にしか届かなかっただろう。
私は見ていることができなくて、彼女を無理矢理に起き上がらせる。
「化け物の竜め!」
「女が欲しいならせめて金を置いていけ!」
「役に立てなくて、ごめんなさい……」
村人達は遂に全員が石を手に持ち、私達へ投げつけてくる。
私の胸の中で泣きながら謝り続ける彼女に石が当たらぬよう、私は強く抱き締める。
「この村を苦しめて何がしたいんだ!」
「まさか、お前が助かりたいからって魔法で化け物を喚んだのか!?」
「恩知らずが!」
村人達の声が広場に溢れ返った頃、武器を持った男達が到着し、いよいよ逃げなければならなくなった。
もうここには留まれない。
私の勝手でこんな事態を起こしたんだ。
死ぬわけにはいかないが、せめて彼らの前から消え失せよう。
「さあ、行こう」
そう言って少女を抱いたまま立ち去ろうとしたが、彼女は決して動こうとしなかった。
足が竦んで動けないなどという理由ではない。
むしろ力一杯に踏ん張って、その場に留まろうとしている。
私と共に行くのを拒んでいる。
「やだ、行けないよお……」
「……どうして」
考えられない状況ではなかった。
一度は受け入れただろう我が身の売買を、私の一存で無かったことにしたのだ。
彼女が罪悪感に苛まれることも考えなかったわけではない。
しかし、彼女がここまで恨まれても仕方のない存在だとは、私にはどうも思えなかった。
彼女が村を直接苦しめたわけじゃない。
たまたまのはずだ。
「君を捨てようとしたんだぞ。村の為に売られる君に、こんな酷いことまで言って」
「でも、こんな別れ、嫌だよ」
なんで――取るに足らないじゃないか。
売られて――疎まれて――恨まれて――なのに、謝るなんて。
どうしてだ。
分からない。
「でも、あなただって分かるでしょう? こんな別れを思い出にしたくないよ」
分からない。
――分からない?
分からない――はずがなかった。
私が彼女を助けたくなったのは、彼女を同じだと思ったからだ。
勝手に怖がられたり、気味悪がられたり――嫌だったけれど、自分じゃどうにもできなかった。
どうにもできずに一人で膝を抱えて泣いていた。
だから、彼女を見つけた時、私は嬉しかったんだ。
私が泣きたい時、吐き出した思いに頷いてもらいたかったんだ。
そして、私も彼女にそうしてあげられると思ったんだ。
同じだと感じた。
生まれも種族も思い出も違うけれど、一緒だと思った。
だから、今も分かるはずなんだ。
もし彼女の立場だったら、私はこのままこの村を立ち去りたくない。
邪魔に思っても尚居させてくれたこの村に、一つの礼も無しに別れるなんて――私だったら嫌だ。
彼女が動こうとしない理由はきっとそれなのだろう。
村の男達が囲うように全方位から襲いかかってくる。
剣や斧、農耕用の鍬や鋤が振るわれる。
寸でのところで背中からいくつもの蟹の手を生やし、硬い甲羅で全てを防ぐ。
「ああ、分かったよ。筋は通さなきゃいけないよな」
だったら、私がせめて為すべきこと――為せることは、彼女を村人達の納得いく形で手に入れることだ。
突然現れた私の蟹足に悲鳴を上げながら尻餅をつく男達に目もくれず、群がる人々の前へと歩み出る。
私は蟹足を仕舞い、魔人へと姿を変える。
私が魔人になると、大きな巻き角を有して魔力に満ち溢れており、これは幸運であった。
少女は突然姿を変えた私に大きな目を丸くした。
彼女へと顔を向け、その小さな手を取る。
「君にも力を貸してほしい。僕に魔力を送ることはできるか?」
判然としない様子ではあるものの確と頷いた彼女は、手を介して魔力を注ぐ。
魔法とは奇跡だ。
だが、無限ではない。
私では魔人になっても限界がある。
だから、その魔力故に売られてしまった彼女の力を借りる。
二人の力を合わせても、遂げられるかは分からないが――
村人達は呆気に取られ、ただ黙って私達を眺めている。
やがて私の足元から魔法陣が現れ、それは次第に大きく地面に広がっていく。
そして、遂には村全域を覆うほどに巨大化した魔法陣に、村中から悲鳴や喫驚の声が轟いてきた。
尻餅を着いていた男達も武器を捨てて私達から急いで離れていく。
もちろん周りに群がっていた村人達も霧散するように逃げ遠ざかる。
しかし、何の心配も要らない。
何の危害も加えない。
ただ、髪の毛を数十本いただくだけだ――ハゲてる人はごめんなさい。
村のあちこちから様々な髪の毛が集まり始め、球を掴むように構えた両手の中へと吸い込まれる。
掌は見る間に熱を帯びていき、エネルギーが圧縮されて光を放ち始めた。
しかし、髪の毛だけでは到底足りない。
どうせこの土地を見放すつもりだった彼らには、今更私がこの村の土や枯れ草をどうしようと関係ないだろう。
畑には実らずに枯れた野菜の残骸が――土地には鮮やかに咲き誇る草花が大量に存在している。
それら全てを犠牲にして、私の手の中へと集約する。
突然村中の花が急速に枯れていく光景を見て阿鼻叫喚と化す村を尻目に、私の魔法は最終段階へと進む。
材料が揃った掌中のエネルギーを高温高圧の負荷を与えていく。
今にも爆発しそうなエネルギーを外に逃さないように抑えつけ、反発する負荷に血管は今にも千切れてしまいそうだ。
視界は急速に狭まり、頭が破裂するような痛みに駆られる。
溢れんばかりのエネルギーによって、隕石が落ちたかのような熱風が広場を包み込む。
それさえも外に逃さぬように大気を掌中に圧縮する。
いつ意識が飛んでもおかしくなかった。
たとえ魔人でも実現可能な魔法ではない。
全身から血を噴き出して倒れたって不思議じゃない。
そして、そんな膨大な負荷が掛かっていることを、魔力を送ってくれている少女が気付かないはずがなかった。
本来魔力を介して私と繋がっている少女にも負荷は伝わるのだが、そんな猛烈な痛みを彼女に味わせるわけにはいかない。
負荷が伝導する道は私が魔法で塞いでいる為、捌け口を失った負荷は私の体内で暴れ回る。
その痛みにひたすら耐え忍ぶ私を見て、彼女は焦燥を顕にして叫んだ。
「死んじゃうよ!」
「大丈夫。もうすぐ終わる」
けれど、彼女は一層眉を顰め、悲しいような――怒ったような顔を浮かべる。
「違う――痛いなら、私にも分けて!」
そんなことを言われるとは思わなかったから、一瞬気が緩んでエネルギーが外に飛び出す。
熱波が辺りに弾け、危うく村人達にまで届きかけた。
少女もほんの僅か風に煽られたが、怪我はないようで安心する。
「尋常な痛みじゃないんだぞ、身が千切れるような痛みだ」
「でも、あなたの体は千切れてない、耐えられてる――私と分け合えばもっと軽くなるよ」
「君にこれ以上痛い思いをさせられるわけないだろう!」
「だったら何の為に私を助けたの!」
その言葉に気付かされた。
なんだかんだと偉そうなことを言っておきながら、私はまだ理解できていなかった。
私が彼女を助けたかったのは、私の背に凭れながら――凭れる背を差し出してくれる人が欲しかったからだ。
名もまだ知らない彼女は短い間に私の身勝手な願いに応えようとしてくれている。
「辛い時は凭れてよ。分け合える痛みがあるなら構わず分けてよ。一緒に居たいのは、私も同じだよ」
泣きながら気丈に笑う彼女に、自然と堰き止めていた魔法が解けた。
和らいでいく痛みに、彼女へ流れ込む痛みを想像する。
「う、ああああっ――!」
隣から響く悲鳴に耳を傾け、一人で負荷を受け止めていた時には流れなかった涙が零れる。
あと少し――あと少しで完成する。
分けても尚張り裂けるような痛みは消えない。
けれど、それさえ忘れるくらいに、少女の苦悶の声が痛い。
もう少し――もう少しで完成する。
君がこの村を出る為の――私と一緒に行く為の――別れの舟だ。
この村を犠牲にしてできた――この村が新しい土地へ漕ぎ出す舟だ。
それが今、完成した。
〇
いつの間にか意識を失っていたらしい。
魔法の途中から記憶が無いが――はて、結局私は完成させることができたんだっけ。
おんぼろの天井から所々日の光が差し込んできて、それが丁度目に当たって眩しい。
とりあえず現在は昼だ。
凝り固まって軋む体を起こし、頭を乱雑に掻き回す。
同時に欠伸が出て、浮かび上がる涙を擦る。
そこでようやく辺りを見渡し、いくつかのことに気が付く。
まず、ここは私が宿泊する為に取った村の宿である。
どうやら私が倒れてからこの部屋に運んでくれたようだ。
荷物もちゃんとベッドの横に置いてある。
次に目が行ったのは私自身の体である。
ミイラのように包帯で覆われているが、痛みがないので完治はしているみたいだ。
包帯を外した時、止血用のガーゼが体中に貼られていたことを知り、どれだけの大怪我をしていたのかも理解する。
やはりあれだけの魔法を使えば、肉体もただでは済まなかったか。
それでも、今では傷一つ見当たらない為、誰かがそれは大変な治療を施してくれたに違いない。
「……ん」
少し掠れた淡い声に、ようやく私は彼女に気が付く。
私が寝ていたベッドには、鬼人の少女も並んで寝ていた。
薄い毛布に包まり、穏やかに寝息を立てている。
彼女が着ていたのは麻布に包まっただけのような酷い服ではなく、しっかりとした生地の気品溢れる――下着だった。
彼女の枕元にちゃんとしたブラウスやらスカートやらが置かれているのをすぐに見つけ、彼女が冷遇されているわけではないことに安堵する。
この村にこんな上等な衣服があるとは思えないが、実際にあるのを見るに私の魔法は成功したらしい。
彼女に限らず、私も包帯を外せば下着しか身につけていない。
恐らく治療の際に邪魔だから村人達が脱がしたのだろう。
私側の枕元に私の衣服と荷物が置かれているので、彼女が起きる前に素早く着替える。
丁度ズボンのベルトを締めた時、部屋の扉をノックする音が響いた。
「どうぞ」
ガチャリと扉が開いた奥から現れたのは、若い女性だった。
水の張った木桶と手拭いを痩せた腕で抱えて、弱々しい微笑みを浮かべている。
「目が覚めたのですね。良かった」
私へ向ける目には敵意も殺意もまるで無く、ただ優しく穏やかである。
「お体はもうよろしいのですか?」
「ええ、すっかり」
木桶を部屋の丸椅子に置いて手拭いを水に浸ける彼女に、私はいくつか問いかけた。
「僕の魔法はちゃんと成功していましたか?」
手拭いを絞りながら、女性は静かに答える。
「あの宝石のことですよね」
その返答を聞き、魔法が成功したのだと理解する。
我が身を削り、隣で眠る少女の肉体さえ痛みに晒してまで行ったのは、いわゆる錬成魔法だ。
村全域を魔法陣で囲い、その範囲内にある炭素となるものを集め、一つの結晶にする。
世界で高価な代物はいくつかあるが、その中でも分かりやすく価値があり、なおかつ安全なものを錬成した。
「ダイヤモンド――三十カラットはあるかと思いますが」
宝石なんて作った試しがないので成功するか不安だったが、どうやら上手くいったらしい。
村人達の髪の毛を取り返しのつく程度に――さらに、枯れた植物や土壌中の有機物――この土地の地下深くに存在する鉱物資源――集められるだけの炭素を全て集め、高温高圧の負荷を掛けてできたのが、ダイヤモンドである。
三十カラットという破格の巨大な結晶は、天然とは異なる合成ダイヤモンドとはいえ、相当な値がつくはずだ。
「ええ、実際に『王国』の鑑定士の方にお見せしたところ、魔国から支払われる額の八倍ほどの値がつきました」
八倍――人の命の八倍か。
魔国も貧困な村だと足元を見て安値で少女を買い取るつもりだったのかもしれないが、だとしても宝石一粒に人命の価値を軽々超えられてしまうのは、作った身でありながら喜べないな。
「じゃあ、もう売ったんですね」
「いえ、今は村長が大切に保管しております」
「え?」
どうしてだ――鑑定士に見てもらったその時に売れば良かったのに。
この村にとってダイヤモンドなんて飾っていても仕方のないものだろう。
何の為に作ったと思っている。
「それについて、村長からお話があります。後ほどご案内いたしますので――」
「……ん…………う……?」
その時、私達の話し声で鬼人の少女が眠りから覚めた。
薄ぼんやりと開いた目が私と合う。
「……あ……ふふ」
私の顔を見た少女は何故か穏やかに微笑みを零し、ゆっくりと体を起こす。
癒えた彼女の声を聞いた瞬間、私の一生がやっと始まったような気がした。
「良かった。もう平気だね」
それから広場へと移動し、村長から私が意識を失ってから起きた全ての話を知った。
私が倒れた後、村人達は私を捕らえようとした。
しかし、鬼人の少女は痛む体に鞭を打ち、私の為に皆の前へ立ち塞がる。
私が村に危害を加える意思などないことを必死に訴え、その証拠として私の掌中のダイヤモンドを私に代わって村人達に差し出してくれた。
その後、自分の手当てよりも先に私の治療を最優先で行い、やがて途中で意識を失ってしまう。
しかし、彼女の純粋で真っ直ぐな姿を目にした村人達は疑念を抱きながらも、私と彼女の治療を引き継いでくれたのだ。
村に残された僅かな資金で私達の治療と少女の衣服を賄い、その時から三日経った今日まで看病を続けてくれたのだという。
そして、私と少女の魔法によって完成したダイヤモンドについてだが――
「村の皆と話し合い、これは決して売らないことに決めたのです」
村長からの言葉を受け、どうしてなのかすぐに問い質したくなったが、ひとまずは話を聞くことにする。
「村の者達があの場で申した通り、我々はそちらの少女がこの村を苦しめている存在だと決めつけておりました」
私は隣に佇む少女を一瞥する。
傷付いた風でもなく、ただ申し訳なさそうに俯いていた。
「ですが、彼女が実際にそうだという証拠もなく、咎めることもできなんだ。ただ己が内に疑念の靄を溜め込むばかり。そんな時に舞い込んできた魔国からの報せ――建前の善心で迷いながら、内心は厄介者を売れるならばと安心していたのです。我々はあまりにも醜かった」
きっと、敢えてありのままの言葉を選んで話しているのだろう。
少女を厄介者だと疎んだ事実は確かに存在した。
それを隠さずに打ち明け、醜く惨い言葉で自分達の本心を語ることこそ、彼女に対するせめてもの礼儀だと理解しているのだ。
「あの日、あなた方を恐れ恨んだのは事実――どのような力か存じませんが、自在に異形へと姿を変えるあなたを見て、少女が遣わした怪物だと思ってしまいました」
それは仕方のないことだ。
竜や魔人に姿が変わったり、背中から蟹足が生えたりすれば、誰だって困惑する。
仰々しく『神の恩恵』などと呼ばれているが、そんな力が自分達の望みの前に立ち塞がれば怯えて当然だ。
「しかし、身を削りながらも我々の為にダイヤモンドを生み出したあなたに――ふらつく体であなたを守ろうとする彼女に、我々の心は動かされました。そして、思い知ったのです――我々は何もしていないと」
何もしていない――村長はそうしてダイヤモンドを私達に差し出した。
細く老いた掌を見つめたまま、私は動けなかった。
「危険を冒して少女を救い――命を懸けて我々を助けようとしてくれたあなたを、我々は見ていることしかできなんだ。泣き言を叫ぶことしかできなんだ。我々は自ら助かる道を拓こうとしなんだ」
村長は差し出した手を決して引かず、滔々と話し続ける。
「この宝石に頼ることはできません。我々の為に作っていただいて申し訳ありません。しかし、この一粒に縋ってしまったら我々はもう二度と自らの足で生きられなくなる」
「けれど、この村はこれからどうするのですか。新しい土地を探すにも長旅を支える資金が要ります」
私の問いに、村長はゆっくりと頷いた。
村人達も覚悟を決めた顔でいる。
「ええ、道半ば生き絶えるかもしれない。運良く生き長らえるかもしれない。これは我々への試練なのです――たった一人の少女に我々の命を押し付けた罪への罰なのです」
彼らはもう何を言っても利かない様子だった。
「そんなの必要ありません! 私はあなた達を恨んでなんかいません!」
「ありがとう。けれど、我々にはこれくらいの罰でなければ意味がないのです」
少女も慌てて彼らを止めようとするが、やはりそれに従う気はない。
きっと彼らが欲しいのは許しなんかじゃない――自分達が自分達を納得させられる贖いなんだ。
だから、彼らを止められる方法があるとすれば、与えるべきは許しじゃない――使命だ。
「……このダイヤモンドに頼りたくないのは理解しました」
差し出された村長の手を両手で包み込む。
それを見た少女は戸惑い、村人達は優しく頷いた。
「けれど、これはあなた達に差し上げたものです。やはりあなた達が持っていてください」
そう言い加えて村長の手を押し戻すと、少女と村人達の表情がたちまち逆転した。
「そして、あなた達の旅の途中、どうにもならなくなった時は構わずこのダイヤモンドに頼ってください」
救いのはずの言葉に村長は悲壮な面持ちで首を横に振る。
「なりません! 我々がこのダイヤモンドを使う資格など――」
「もしこのダイヤモンドを使わずに」
私は彼の言葉を遮るように続ける。
「道半ばで誰か一人でも生き絶えたのなら、私達はあなたを許しません」
そう言うと、村長は呆気に取られたように目を丸くし、けれどすぐに綻んだ。
それに応えるように私も微笑む。
「許されませんか……ならば、仕方ないですね」
そうして深く頭を下げる彼の声が段々と震えていった。
ポタポタと零れ地面を湿らせるそれを見て、私はやっと心の底から安心できた。
〇
その日の夕暮れ――村を発つことにした私達は村の門を潜った先で村人達と向き合う。
村人達は私達が意識を失っている間に、村を発つ準備をし終えていた。
というか、本来は少女を魔国に引き渡し、報奨金を受け取った時点で村を発つつもりだったらしく、準備自体はずっと前にできていたそうだ。
言いそびれていたが、意識を取り戻した魔国の軍人は竜の棲む村から早々に離れたかったらしく、鬼人の少女のことなど忘れて帰って去ったそうだ。
眠っている間に連れ去られたらダイヤモンドも意味を失くしていたが、魔国にとってはそこまでして手に入れたいわけではなかったのだろう。
人を売る人など、探せば他にいくらでもいるだろうからな。
「それでは、僕らは北に向かいます」
「ええ、我々は一度『王国』に入ろうかと思いますので南へ」
村長は少女を見遣り、ただ穏やかに頷く。
すぐに視線を私に戻し「それではお達者で」と、頭を下げた。
「ええ……ご武運を」
戦に行くわけではないけれど、彼らなりの戦いがきっと待っている。
彼らを許さない日が――恨む日が決して来ないように、私は精一杯祈る。
南へと離れていくたくさんの背が、沈んでいく夕日に赤く染まる。
その光景を眺めながら、彼らが見えなくなるまで見送った。
「……疎んでいても、居させてくれたんだ」
ふと零した少女に目を遣る。
切なげに遠くを見つめる青い瞳に、私はその一瞬で見惚れてしまった。
「辛いこともあったけれど、そればっかりじゃなかったよ」
「……離れたくなかった?」
名残惜しいのなら、それに従ったって良い。
君が私を選ばなければならない理由はどこにもない。
けれど、彼女は私の不安を優しく拭うように否む。
「私はあなたが良い」
そんなことを言われるのは久し振りで、不意に鼻の奥がむず痒くなった。
次第に目の奥が熱くなり、耐える暇もなく涙が込み上げてくる。
「会えたのが、君で良かった」
泣き顔を見られたくないあまり、彼女を抱き寄せてしまう。
突然の抱擁に少し驚いた様子だったが、隠し切れない私の嗚咽を聞いて静かに抱き返した。
夕暮れも過ぎた夜の始まりに決意する。
私が居なくなっても、彼女だけは――
「私は、ナキ・アンブロシア・エマイディオス――あなたの名前は?」
次回にご期待下さい。
本作品は、不定期更新となります。次の物語をお待ちください。