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Light in the rain   作者: 因美美果
第三章――2
14/77

『英雄』

まだまだ未熟なので、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。


※この作品は、少し残虐なシーンが含まれます。また少し刺激の強いシーンが含まれます。以上のことが苦手な方はご観覧をお控えください。


この作品は、私の溜め込んできた物語をひたすらに詰め込んでいます。

それでも楽しんで頂ければ幸いです。

 虚竜からの話を聞き終えた後、我々は即座にバリウス首都へと連れて行かれた。

 連れて行かれたとは言っても連行ではない。あくまで事情聴取と謝礼がしたいということでの単なる通行である。至極友好的な通行である。


 バリウス首都までの道のりは犀車に乗せられ数週間である。巨犀に引かせる馬車といったものだが、正直私が鳥にでもなって飛んで行った方が数倍速い。私が巨犀になって走った方が余程良い気がする。


 グロシアさんはどうやらピルゴスでの仕事があった為、たまたまあんなにも早く駆けつけられたのだという。予定では若者を募っての講義があったらしいが、とんだ闘技へと変貌してしまった。


 虚竜はピルゴスに残り、その力を使って街の復旧に貢献しているらしい。善事に勤しむのは良いことだ。


「しばらくネフリには帰れないね」


 ナキは少し寂しそうな顔をした。


「手紙でも送るかな、少し帰りが遅れると伝えておかなければ心配させてしまうだろうし。帰ったら土産話を沢山してあげよう」


 そんなことを話していると、グロシアさんが突然訊ねてきた。


「少年達の村はどんな所なんだ?」


 よくぞ聞いてくれたと言わんばかりの自慢気な顔で、私はネフリティスホリオについて語る。


「そこは『ネフリティスホリオ』という名の獣人の村でして――」


 それからは私もナキもオールすらも自分達の村の自慢話を頻りにした。

 私達がネフリを守ったこと、その後村の復旧に協力したこと、しばらく忙しくも楽しい日々を過ごしたこと、別れの日に彼らが私達を引き留めてくれたこと、綺麗で豪勢で素敵な家を貰ったこと、村の子ども達と遊んだこと、新しく加わった人魚の仲間のこと、そして今に至ること。


 それらを聞く度にグロシアさんは深く頷いては嬉しそうにしていた。


「素敵な場所だな。私もいつか訪れてみたいものだ」

「いつでも歓迎しますよ。その時は村人一同精一杯のおもてなしです」


 彼は高く遠く空に向けて、笑い声を上げて「楽しみにしている」と優しい眼差しで我々を見つめた。


 それからしばらくの日にちが経ち、だだっ広い平原の地平線の先にその街は見えてきた。

 山のようになだらかに聳えるバリウス本城とその城下町は一つの海にも匹敵する程に広大であった。大きく高く広がるその街こそ、世界第二位の国土を持つバリウスの中枢にして、世界最大面積の巨大首都。


「あれが、バリウス首都」



   〇



 バリウス首都を囲っている城塞は巨人三人強くらいの高さで、意外に可愛いサイズだった。

 まあ、我々人間サイズのものにとっては大きいことに変わりはないのだけれど。


 ここに来るまでのほとんどの時間が犀車に揺られている為、我々の尻は限界の痛みに達した。オールに至っては、散々喚き散らして暴れた挙句に、私の膝の上という安置を見つけ出した。お陰で私は尻も痛ければ腿も痛い。


「そろそろバリウス首都に到着致します。長い道のりによる疲労が溜まっておられるかと存じます。十分な休息を摂られた後、我が国の王に謁見して頂く所存であります。何卒お付き合い下さい」


 どれもこれもオールに合わせられた言葉だったけれど、グロシアさんは私達に対しても同じ視線を送ってきた。希代の期待の英雄は私のような子どもに対しても分け隔てなく接してくれる――実力のある者として、一つの生き物として。


 城壁の重々しい鉄扉が開かれ、私達はいざバリウス首都の中へ入った。当初はここに来る予定など微塵もなかったし、そんな金銭的な余裕もまるでなかった。あっさりとネフリに帰るつもりだった。


 毎度思うが、旅とは何が起こるか全く分からないな。思い描いた観光巡りなんてろくにさせてくれなくて、思ってもみなかった出来事がいつも予定を狂わし覆す。私の場合、元からとんでもない観光プランで挑んだ方がむしろ平穏な旅ができるのではないのだろうか。


 何はともあれ、今回も予定は狂ってしまったのである。今になってうだうだと項垂れるのも気が引ける。それに今回の場合も結果は最悪には至らなかったのだ。それだけでも私にとってはマシなのかもしれない――不運の私にとっては。


 城下の中に入ると、お馴染みのバリウスの日常にして芸術である巨大建築群がすぐ様眼前に広がってきた。

 ここに来るまでにも、いくつかの街で停泊を挟んで来たので、その度に大きな家並みを眺めた。この景色も何となく見慣れてきてしまった。けれど、決して見飽きはしないのが良いところである。


 とはいえ、多少の違いはあり、この城下の建物の模様や構造は他の場所の建物とは段違いの精巧で卓越した技術が施されていた。巨人が成したとは思えぬ程の緻密で精密で細密な細工で、器用なものだと感心せずにはいられない。


 私が客車に備え付けられている窓から外を眺めていると、ふとグロシアさんが「気に入ったかい?」と、訊いてきた。


「はい、とても綺麗です。この街並みができ上がるまでにどれ程の歳月がかかったのだろうと思うと、何だか途方もなくて……」

「そうか、まあ九千年の歴史を持つ王国だ。脆くなることもあるしその度に繕うから、九千年の時が経とうともこの街並みも未だ完成などしていないのかもしれない」


「もしくは最初からでき上がっていたのか」 窓の外をじっと見つめ、彼はそう零した。

 私達よりも遥かに長寿である彼らだからこそ、時の流れというものは一層尊く思えるのだろう。


 しばらく石畳の道の上を揺れていると、直にその王城が近づいてきた。

 バリウスの中枢にして最高峰。その造りはより一層精巧で最高のものであった。いや、私もそこまで多くの建造物を見てきた訳ではないのであまり大きなことも言えないが(それも巨人の前では尚更だ)、今まで見てきたものの中では最も感激してしまう程の凝った造りだった。


 王城の正門を抜けて中に入り、前庭の所で止まった。犀車の扉が開き、我々は城の地の上に足を着ける。尻も腿も軽い筋肉痛のようだ。


「フィンの脚は中々柔くて座り心地が良いな。また頼むぞ」


 全然嬉しくない。腐っても元兵士なので、そればかりはどうか冗談であってほしい。むしろ、上に乗るオールの腿の方が柔くて気持ち良いくらいだ。だからと言って、自らまた座ってくれなど毛程も思わないが。


 全員が犀車の客車から降りると、城から何人もの使用人がぞろぞろと出てきた。メイド服を着た私達よりも遥かに背の高い女性である。私も決して背は小さくはないが、種族の差には私の身長の大小など些細過ぎるもののようだ。


「ここにご滞在されている間、皆様の身の回りのお世話は彼女らが行いますので、何なりとお申し付け下さい。それでは今日は疲れが溜まっておられると存じますので、ごゆっくりとお寛ぎ下さい。明日の朝、皆様には国王と謁見して頂きますので、どうか遅れることだけはないようにお願い致します。時刻は後程伝えに参ります」


「それでは」と、彼は頭を下げ、城の中へと去って行った。彼の大きな背中を目で追いながら、私はその向こうに映る巨大な城にふと視線を移した。首を九十度曲げてやっと見える城の先端。真っ直ぐに尖った屋根のその先には、バリウスの国旗が風になびかれ翩翻へんぼんとしている。


「高いねえ。あそこから見える景色はどんなかなあ」


 ナキは私の隣に立ち、同じように城の先端に掲げられる旗を見つめる。

 彼女は犀車の中ではほとんどの時間は眠っていた。と言うよりも寝込んでいた。私の肩に頭を乗せ、普段可愛らしい寝顔は眉間に皺を寄せていた。

 きっと人一倍頑張った為に一際疲れてしまったのだろう。いくら魔を大量に持つ彼女と言えど、あの時のような強力な矢を放てばその魔も空になってしまっても何らおかしくはない。


「もう体調は大丈夫?」

「うん、まだ少し眠たいけれど、気分は良好。フィンの肩に寄りかかっちゃって、ごめんね。重たくなかった?」

「全然、気にしないで。重くも何ともないよ。それにナキは頑張ったのだから、それくらい僕は何てことないさ」


 むしろ至福の時とも言えた。オールが私の膝に座っているという状況も決して悪いとも思えなかった。

 それに、オールも今回の件でかなり体を張って――命を賭して戦ってくれた訳だし、私の膝の上で少しでも道程が快適なものになるのなら、彼女の華奢な体の重さなど些細な問題に過ぎない。いくらでも好きに使い賜え。

 ただ、その間の周りのにやにやとした視線はかなり気恥ずかしいものがあった。


 私達がその場に立ち尽くしていると、使用人の方々が近づいてきた。一人に対し一人使用人が付くので、三人の巨人が我々を囲った時の圧迫感と言ったらない。立ち尽くしていたのが今度は立ち竦んでしまった。


「それではこれより皆様をお部屋の方へご案内させて頂きます。どうぞ私共の後について来て下さい」


 彼女達はそう言い、王城の中へと進んでいった。私達は何も言わずについていく。


 中も当然の如く広々としていて、豪勢なシャンデリアが廊下の天井からずらりと奥まで続いている。柱の中にも精妙な模様が施されていて、それをじっくり見ていたら新しい朝が訪れてしまいそうである。床にはふかふかの絨毯が伸びていて、私はもうここで寝ても良い気がする。


「客室は上の階になります。こちらです」


 使用人の方はそう言ってまた歩き始めた。

 階段も街の道のように、巨人用のものの隣に我々普通のサイズの種族用の階段がこじんまりと並んでいた。

 物理的には昇れるようになっているのだが、階ごとの高さは結局巨人用なので階段の段数がエグい。案の定、ナキは途中でばててしまい、彼女に付いた使用人の方がナキを掌に乗せて運んだ。え、私もそれが良いんだが?


 客室も階段と同じく人間用のものなのだろうか。仮に、巨人用のものだとすれば、巨人になれる私とオールはともかく、ナキは不便に感じてしまうだろう。支障を来すことは間違いない。

 私は一人で勝手に不安になりながら、使用人の方の後ろをついていった。


 すると、彼女達は廊下の丁字路に差しかかったところで突然止まり「ここより男性の方のお部屋と女性の方のお部屋に分かれております。アイオーニオン様はこちらのお部屋になります」と、私に告げた。ここからはいつも如く一人で過ごすことになる。

「それじゃあ」と、私は二人の方へ振り返り、右手を軽く上げた。


「適当に遊びに行く」


 オールがそう言うと、彼女の使用人の方が「いけません」と、制した。


「男性の方の客室へは女性の方は入れません。その逆も然りでございます」


 使用人の方は言いながら私を睨んだ。何もしないって。


「……私は洛北竜だ」


 オールが突然立場を見せつけた。普段そんなことしない癖に。どんだけ私の部屋に来たいんだ。

 けれど、使用人が折れる様子はなく「なりません」と、頑なに禁ずる。


 すると、オールは私の方を何とか言えと言わんばかりに見てきたが、こちらの手に負えることではない。

 私は肩を竦めて我慢しろと言わんばかりに目を瞑った。私の意図を汲み取ったのか、彼女は頬を膨らませて顔を背けた。そして、彼女が行くべき廊下を勝手にずんずんと歩いて行く。使用人は慌てて追いかけて行った。


 私はナキの方へ向き直る。オールのことを心配そうに見つめている。


「ナキ、オールと一緒に居てあげて」


 男女が異性の部屋に移動するのは禁止でも、同性ならば問題ないだろう。


「分かった。それじゃあまた明日」


 彼女はそう応え、廊下の奥へと離れていく。


 オールの我儘も困りものだが、私も大概らしい。何だか二人の方へ自由に言っては駄目と言われ、どこか寂しい想いでいるのかもしれない。結局は皆寂しがりということか。

 せめて、客室は人間用でありますように。


 私は使用人の後をついていき、我々は奥へ奥へとどんどん進んでいく。彼女は歩幅が圧倒的に広いので、ものすごく差が開いていく。廊下も私にとってはあり得ないくらい長いので、追いつく為にも軽いマラソンみたいになっていた。


 使用人の方が歩きながら「遅ればせながら自己紹介をさせて頂いてもよろしいでしょうか」と、私に訊ねた。


「ええ、どうぞ構いません」


 そう答えると、彼女は突然立ち止まって振り返り、私に向き直った。


「私はこの王城で使用人を勤めさせて頂いております。カミエラと申します。どうぞお好きなようにお呼び下さい」


 カミエラさんは深く頭を下げた。

 私も何となく「フィンです。よろしくお願いします」と、頭を下げたが「存じております」と、無表情で返された。そりゃそうですよね。


 結局私達は廊下の奥の部屋まで辿り着いた。そこが私の部屋である。


 中に入ると、そこには広々とした部屋の中にゆとりを持った間隔で置かれた家具や装飾が並んでいる。


 扉や窓、部屋の間取りこそ巨人サイズではあるが、天蓋つきの大きなベッドや窓の傍に置かれた花瓶、猫脚のふかふかのソファとガラスの長テーブル、笠のついたランプは見紛うことなき人間サイズである。

 天井に張りついた巨城の如きシャンデリアや、大きな額縁に飾られて見事なカーブの髭を左右に並べた貴族の絵画は果たして巨人サイズなのか人間サイズなのか分かり兼ねた。


 どうやら扉や部屋の空間といった最初から存在するようなものは巨人用のものらしいが、後づけの設置物は人間用のものらしい。思えば、観光地化の進んでいるバリウスの首都に人間用の客室が備わっていない訳がない。一度不安に駆られると、頭も回らないものである。


 私はゆっくりとした足取りで部屋の中へ入っていく。


「それではどうかお寛ぎ下さい。私は扉の前に居ります故、何かございましたらお申し付け下さい」


 彼女は頭を深々と下げ、部屋から出て扉を閉めた。


 さて、これからどうしたものか。食事は各自の部屋に持って来てもらえるようなので、あと部屋の外に出る用事は風呂とお手洗いくらいか。


 ふむ、風呂ねえ。日は既に落ちて大分経つので、風呂に向かっても大丈夫な頃合いかとも思う。

 巨人の王城の浴場である。それはもう正に大浴場のはず。足を伸ばせるどころか立っていても脳天まで湯に浸かるのではないだろうか。泳ぐなと言う方が無理な話である。


 私は扉を開けて、カミエラさんへ訊ねる。


「あの、少し訊きたいのですが」


 すると、彼女はわざわざ私の前でしゃがみ込み、話を聞いてくれた。彼女がしゃがんだ瞬間、もしやロングスカートの中身が見えてしまうのではと思い至ったが、彼女はしっかりとスカートの裾を腿の間にしまい込んだので、私のラッキースケベは未遂に防がれた。ふう、危なかった。


「あの、お風呂場ってどこにありますか? というか入れますか?」

「今から入られるということでしたら、既に準備が整っておりますのでご案内致します」


 彼女は立ち上がり、廊下の先へと歩いて行った。一番下の階まで降り、私の部屋と真反対の位置にあるその扉の前には青い暖簾がかかっていた。これは。


「東の国のものですね。取り寄せたのですか?」


 私が訊くと再度彼女はしゃがみ込み「はい」と、頷いた。何で逐一腰を下ろすのだろうか。しゃがんでも目線は私より上なのは変わらないのに。それを何事もないような顔でするのだから真意が中々読めない。


「これは先代の国王様が東の国へ訪れた際に大変気に入りまして、我が国にも取り寄せました」


 やはりあの国の文化はどの国においても認められるのだな。とはいえ、これもまた巨人サイズのものなので、オーダーメイドだろう。人間サイズであればカーペットと言った方がまだ納得がいくし、東の国のものともなれば尚更だ。


「着替え、タオル、石鹸等は全て用意してございます。ごゆっくりどうぞ」


 立ち上がった彼女は変わらぬ顔で脱衣所への引き戸を開けた。


 私は頭を下げ、中へと入っていく。

 脱衣所の棚や籠は大半が巨人用のものだったが、端一列は全て人間サイズなのでそれを使った。

 風呂場も巨人用、人間用と分けているのなら、室内ごと別々に用意しているものだと思ったが、どうやらそれは間違いらしく一つの室内に二つの種族用で分かれているようだ。


 浴室への引き戸を開けて中に入ると、湯気が忽ち溢れてきて早速サウナなのかと錯覚しかけた。

 私はサウナがそんなに得意ではない。当然、良い思い出もない。育成学校時代の訓練にあった熱気耐久訓練を思い出す。何度冥土が見えたことか。仮に、彼岸にカミエラさんが見えていたら、私は間違いなくあの世へ走っていただろう。


 入ってすぐの手前の左右の壁には洗面器やシャワー、石鹸が綺麗に置かれている。右側の手前のいくつかが人間用らしい。

 室内の真ん中には獅子の像の口から湯が湧き出ている大理石の噴水があり、その奥には湖の如く湯の沸かされた浴槽が一面に広がっている。

 そのさらに奥には一つの硝子の扉がある。恐らく露天風呂に続いているのだろう。

 天井は他の部屋よりも一段と高く、そこには天使と人とが手を取り合う天井画が描かれている。


 私は一番端の洗面台の前に座った。髪の毛と体についた汗と汚れと疲れを洗い流し、濡れた前髪を上げる。


 私は立ち上がり、湯気がもくもくと立ち込める大浴場へと向かった。

 近づくに伴れて、湯気の向こう側に誰かの影が見えることに気がついた。

 浴槽の奥、湯を溢れさせて体を浸からすその者は、ミュース・グロシアであった。


 私が湯に浸かると彼は「おお、これは少年。奇遇だな」と、ムキムキの腕を上げた。

 その腕を湯から出すと、湯の水面が大きな津波を起こし、そのまま私に襲いかかった。


「どうも。失礼しますね。あと、そろそろ名前で呼んで頂けないでしょうか」


 浴槽はやはり巨人サイズの深さではあったが、入ってすぐのところは人間サイズの深さで、私も安心して湯に浸かることができた。


「君は自分の名に自信があるのか?」


 グロシアさんは顔だけをこちらに向けてそう訊いてきたが、決してそういう訳でもない。

 よくある名前でもないけれど、気にかかる程のおかしな名でもない。


 自信があるも何もこの名を決めたのは私ではない。

 当然両親なので自信を持つのは私の問題ではない。

 ただ――


「自信は別として、自慢の名ではあります。私が生まれて初めて貰ったプレゼントですし、死んだ後さえ消えないものですから、大切な名です」


 そう言うと彼は興味深そうな顔をして、壁にもたれかかっていた靱やかな筋肉の浮かび上がる上半身を起こし、私を真っ直ぐに見据えた。


「あなたはどうですか?」 私は訊く。その鋭利な眼光に気圧されないよう、私の精一杯の筋肉を見せるように腕を広げて後ろに凭れかかった。


「…………私はごく普通の家系の者であった。私は三百年以上前のバリウスとは程離れた平野の村で生まれた。両親が居て、妹が居て、畑を耕し、家畜と戯れ、毎日それなりに楽しい日々だったよ。けれど、私の齢が五十になった年、私が仕事で街の方へ出た帰りに目の前の空を砕きながら落下してくるものがあった。私が村へ戻った頃にはそこら一帯の平野は消えていた。地面は大きく抉り煮え繰りひっくり返り、青い草原は黒く焼け焦げ、温かかった村は熱く燃える業火の中で灰と化した」


 約三百年前、王国より遥か南西に位置するシュシアー大平野に落ち、地図上からその名を奪った隕石。辺りの生態系は激変し、木々は朽ち果て、巨大なクレーターを生み出した。そこにあった村や街は跡形もなく吹き飛んだ。


「君が生まれるよりも遥か昔のことだ。私は全てを失った。それまで持っていた全てを――あの村に置いてきた全てを。その後、私はバリウスに向かった。巨人がこの世界で暮らせる場所など、そう多くはない。しかし、そういった国に入ることも容易ではなかった。金もなければ故郷もない。そんな小汚いだけの若造を入れてくれるはずもない。そんな時、とある募集を聞いた。バリウスが各地から若い兵士を集めているという。好機だと思った。だから、私は兵士を目指した。そして、私にとって兵士は天職であった。そして、私は今『英雄』と呼ばれ、この国を守っている」


 話をしている間の彼は過去を懐かしみ憂うような顔つきで、どこか遠くを見つめているようでもあった。その方向には、もしかしたら彼の故郷があるのかもしれない。


「私だって当然我が名を気に入っている。私の親が大事に決めてくれた、ある種の形見のようなものだ。仕事で出かける私を送り出す妹の笑顔は今でも忘れない。私とて君と同じさ。大事なんだ」


 彼は再度壁に背中から凭れかかり、優しい笑顔に戻った。


「悪かったな。こんなことを訊いて」

「いえ、私は嬉しかったですから」

「長々と話してしまったな。何だか不思議だ、こんなことを喋るつもりはなかったのだが。君とはどこか似ているのかもしれない」

「まさか、私はあなたのようにはなれませんよ」

「……そうかもな。私も君のようにはなれない。話を聞いてくれてありがとう」

「私も聞けて良かった。話して下さり、ありがとうございます」


 私は湯舟から上がり、脱衣所へと向かう。露天風呂にも行ってみたかったが、これ以上湯に浸かると逆上のぼせてしまいそうだ。


「フィン」


 グロシアさんがふと私の名を呼んだ。私はその声に振り返る。


「私はこれからの君に大いに期待している」


 そう言って、最初と同じようにその腕を上げた。

 私は一つ会釈をして、風呂場から出ていく。


 その時、私が踏みつけた床が酷く濡れていて、私は滑って硬い床の上に尻を強く打ちつけた。痛い。

 後ろからグロシアさんの大きな笑い声が浴室の中で反響し、浴室全体を包み込んだ。私は首だけをグロシアさんの方へ向け、苦笑交じりに頭を掻いた。


 全く締まらないが、それでもやはり私らしいと思う。

 

次回にご期待ください。


本作品は、不定期更新となります。次の物語をお待ちください。

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