『脅威』
まだまだ未熟なので、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。
※この作品は、少し残虐なシーンが含まれます。また少し刺激の強いシーンが含まれます。以上のことが苦手な方はご観覧をお控えください。
この作品は、私の溜め込んできた物語をひたすらに詰め込んでいます。
それでも楽しんで頂ければ幸いです。
私達が博物館から出ると、快晴だった空は厚く広い雲に覆われていた。まるで空にまで壁ができてしまったかのようである。
曇りも決して嫌いではないけれど、やはり気持ちまで塞がれてしまう気がして好きにもなれない。
「曇ってしまったねえ。折角の良い天気だったのに」
宿へと戻る途中、私はそんな愚痴を零した。
「仕方がないだろう。雲がなければ雨もない。そう悪いものでもないさ」
オールが急に真面目腐った論を展開したので私は少し驚いてしまった。顔に出ていなければ良いのだが。
ナキは博物館が余程楽しかったらしく、上機嫌を満面の笑みで表明していた。が、ぴくりとして突然笑顔を奥に引っ込め、何かを思案するような顔つきになり、白く濁った空を見つめた。何かを探すようにきょろきょろとしている。
「どうかした?」
私が訊くと、ナキは「いえ」と、答えた。
「何だか、何かが空にいるような気がして……雨かな」
ナキはフルリオの時もそうだったけれど、意外と何かに対して敏感である。
「まあ、荒れたりしなければ良いのだけれど」
ふと、雲は果たして空を覆っているのか、それとも陸を覆っているのかと私は考えた。覆うものは常に上にある。けれど、空もまた常に上にある。だとしたら、空を覆うという表現は間違っているのか。
そんなことをぼんやりと考えていると、突然それは降りてきた。
雨のように雲から降ってきたのではない――星のように空から降りてきたのだ。
空を覆うにせよ、陸を覆うにせよ、その雲を裂いて降りてきたのだ。
「ねえ、フィン……あれは何……?」
私の服の袖を掴み、ナキは空を見上げながら訊く。
その視線の先にある雲を見ると――否。そこには既に雲はなく『あるもの』の陰からただただ青い空が垣間見えていた。
気がつけばそこにいた誰もが頭上を見上げていた。巨人ですらも。
それは鳥さえも届かず、地上の生物で唯一雲よりも高い天に棲む空の王者。私達はそれをよく知っていて、共に過ごしてきた。
けれど、それは本来私達とは別の環境の存在で、私達とは格の違う存在――別格の存在で格別の存在。
その名を――竜と言う。
〇
この街ピルゴスは地上からの侵入が不可能である。
何を以てそう断言できるのかと言えば、何よりもまず、雲を貫いて立ち開かる二千メートルの壁である。
あれを地上から登りきることのできる者など恐らくはいない。キラでも際どいだろう。
そして、さらにキラさえも超えられないであろう要因となるのが、壁の中に備えられている防衛装置の数々である。壁には無数の大砲とそれらを避けて登りきったとしても、壁の上には常に巨人の精鋭が何人も待ち構えている。
これこそがバリウスの最前線として幾度の戦争から自国を守り、世界トップレベルのセキュリティを誇るピルゴスという盾である。
もしかしたら、キラなら壁を破壊して侵入するという奇行に走るかもしれないけれど、そんなことはあくまでキラにしかできない。或いは、カルマの大太刀ならば――
しかし、そんな鉄壁のガードを持つこの街も弱点を持っていた。この街だけではない。この国の弱点である。
巨人の国バリウスは幾度の戦争を生き残ってきたが、かつて一度だけその堂々たる戦果に泥を塗ったことがある。その時の敵国こそがかの王国である。
この街の、この国の壁は王国に対しても有効であった。ただ――王国の陸上部隊に対して――である。
王国は世界最高の軍事国家である。正確に言えば、科学軍事国家である。
その時、既に王国は飛行船の製造に成功しており、バリウスとの戦争の際にはその脅威を世界に知らしめた。
突如バリウスの頭上に現れた飛行船はその地上の街に爆弾の雨を降り注ぎ、一つの街を一瞬にして火の海に変えた。
その圧倒的な力を見せつけられたバリウスの当時の国王は即座に白旗を上げた。それがなければ、今頃バリウスの大地は綺麗な平野として地図に描かれていただろう。
ここで私が言いたいのは、如何に王国の軍事科学が強いかということではない――如何にバリウスが空中戦に弱いかということである。バリウスにとって空は弱味であり、飛ぶ者は脅威であるのだ。
その竜はとても巨大で、オールが竜になった時の姿よりも数倍は大きい。
巨人と並べても話にならないだろうし、私と比べた日にはそれこそ蟻と巨象である。
竜は辺りの雲を吹き飛ばし、空の中で羽ばたいていた。竜が翼を翻す度に風が巻き起こり街を激しく撫で回す。
「あれは何?」「竜だ。初めて見た」「何でこんな所にいるんだ?」「何しに来たんだ? すごい風だな」「なあ、何かやばいんじゃないか? 逃げた方が……」「大丈夫だろう。何もして来ないみたいだし」「ていうか、風がやばくない? 前髪死んだわ」「おい、ふざけてる場合かよ」「大人しくしているのは今だけかも」「怖いこと言うなよ、きっと大丈夫だって」「でもずっと空に停まったままだぜ?」「もう良いから行こう、何もないならそれで良いじゃん」
皆各々に口を開いては不安や油断の声を漏らしている。
その時、空からこちらを見下ろしていただけだった竜は突然猛スピードで街へ降りてきた。
そのまま竜は地面に激突する。落下点はどうやら私達が先程いた博物館周辺らしく、そこら一帯は飛び切り凄まじい爆弾が投下されたように全てが消し飛んでいた。所々に血飛沫と肉片が散らばっている。
「……えっ」
私は思わず声が出た。それもそのはず。先程までいた人が一斉に一瞬で死んだのである。
周りはパニックに包まれ、皆一様に声を荒げて逃げ惑っている。とにかく竜から離れようと奴に背を向け走り出した。
「とりあえず逃げるよ」
私は二人に言いながら背中を竜に向けた瞬間、竜は我々を目掛けて飛んで来た。周りの建物をその巨体で粉砕しながら、爪を向けて突っ込んで来る。
「危ない!」
竜の爪が私の胴を引き裂こうとした瞬間、私を後ろから倒して辛くも死から免れさせたのは、我らの竜――オールであった。
「ごめん、ありがとう」
「礼を言うのはまだ早い、という奴だ。今免れたのはたった一度の死だ。奴はまた来る」
私は頷き、はっとして振り返る。
するとそこには、上半身裸体で地面に倒れ込んだナキがいた。何故に裸体。人魚とそう変わらないじゃないか。
「大丈夫、ナキ?」
「すまない、フィンに気を取られてナキを押し倒すことを忘れていた。怪我はないか?」
オールは申し訳ないというようにナキを見つめた。
彼女は息を吹き返したように起き上がり、私とオールの姿を見るや否や飛びついてきた。
「上半身はどうしたの?」
「えっ、あっ……その、竜の爪で器用に服だけ持って行かれて……」
くっ、何という助平な竜。許すまじ、血祭りに上げてやる。
ナキに羽織っていた上着を着せ、またもはっとして振り返ると、一直線に壊された建物とそれと一緒に巻き込まれた者の残骸が転がっていた。
「止めなければ」
そう言ったのは私ではなく、オールである。
「奴を止めなければ――殺さなければ、同族としての、洛北竜としての沽券に関わる。フィン、力を貸してくれ」
「御意のままに」
私達は立ち向かう。
「覚悟しろよ」
オールは竜の姿に戻り、巨竜に向かい飛んで行った。
私も私で竜になったのだが、正確を来して言うのであれば、『竜』ではなく『龍』である。西洋の竜ではなく東洋の龍である。蛇の細長い体に、鯉の鱗と髭、馬の|鬣[たてがみ)に、鹿の角、そして虎の爪と牙を併せ持った生物である。
龍は竜と比べると少数であり、絶滅の危機にもある。故に、今龍をお目にかかることは中々ない。
――そして、龍は竜に対し、少し劣る。
背中にナキを乗せてそんなことを喋っていると「えっ、じゃあ何でわざわざその龍になったの?」と、ナキは疑問を呈した。
「単なる対抗心さ」
「…………」
男の子は皆馬鹿なのだ。
けれど、全てにおいて不利な訳ではない。様々な生物の遺伝子からできた体だからこそ有利に戦局を運び、優位に立てることもある。
「しっかり掴まっていて。落ちても今回ばかりは助けられるとは限らないから」
「うん、大丈夫」
まあ、落ちたら真っ先に助けに行くけれどね。
そして、私は巨竜へ挑む。
何の目的があってこんな惨事を起こしているのかは解り兼ねるけれど、何の目的があっても私は許さない。
この街は誰かの居場所なのだ。そんな通っただけで壊されて堪るか。
しかし、見る限り私では歯が立ちそうにない。挑むのは良いけれど真正面から突っ込むだけでは、力の差が圧倒的過ぎて勝ち目がない。
私は竜についてオールに問う。
その竜の体はオールの四、五倍はあり、首を伸ばせば地に足を着いたままでも雲に頭が届きそうな程だった。
細長い首の先端には重たそうな頭が垂れていて、いくつもの大きな牙が上下に並び、それを支える顎はとても発達している。翼を満遍なく広げれば街のほとんどが覆い隠されてしまう。
その足も恐ろしいまでに太く筋肉の塊のようで、その先に並ぶ三爪は仰々しく並んでいて、真ん中の爪は鉤爪のように特に大きく発達していた。全身硬過ぎる鱗に覆われ、背筋や顔面には夥しい程の棘が生えている。
オールは竜の攻撃をひらりと躱しながら答えた。
「あれの名は『虚竜』。奴の在る場所には何も、理由すらも残らず、己が力で全てを破壊し尽くす。最も原始的で凄惨的な竜だ」
巨竜にして――虚竜。虚の理由。
「そんな竜は聞いたことがなかった。有名な種なのか」
「いや、竜の中では有名だが他の者の耳に入る程目立ちたがりでもない。そして、奴と同じ種も大して有名でもない。言ってしまえば、奴の分類される種は竜の中でも最弱だ。しかし、虚竜は違う。虚竜は個の存在だ。お前が人間のフィン・アーク・アイオーニオンであるように、私が洛北竜オール・ド・フレムであるように。奴は自ら虚の名を手に入れた。生まれたばかりの頃はただの巨竜に過ぎなかった奴は、その圧倒的な破壊力を以て虚竜と呼ばれるようになった。本来ならば、奴は竜の中でも能力を何も持たぬ竜であった。故に奴の種は最弱であり、最弱たる所以。火も吐かず、毒も出さず、魔法も使わず、姿も変えられず、体も再生せず、奴は何も無かった」
何も――無かった。それが今や――
「奴は竜としての基礎能力だけを徹底して鍛え上げた。鱗を強固にし、牙を鋭く研ぎ、爪を折っては生え直し、筋肉を限界まで膨らませ、脱皮を繰り返して体を大きくした。そうして、ただの巨竜であった者はやがて全てを蹂躙し、虚竜と畏れられるようになった。――けれど、一つ疑問が残る。昔は何かと世界各地で暴れ回っていた虚竜も今はどこかの大洞窟の奥底で眠るだけで、その力を振るったりなどすることはない。非常に温厚な奴なのだ。まして、街を襲うなどという非情な真似をするはずもない。だから私は思う。虚竜は」
操られているのではないか――と彼女は言った。
〇
虚竜は強敵である。
体は何ものも通さない鱗で覆われている。爪や牙、体中の棘に触れるだけで忽ち肌は割れて、肉まで裂かれる。その上あの巨体からは想像もできない程の速度で立ち回る為、ただでさえ通らない攻撃を当てることすら困難にさせ、さらには向こうの攻撃を躱すことも苦労となる。
そして、戦場がこの街というのも我々にとって悪条件となった。眼下には逃げ惑ったり立ち尽くしてしまった街の人々がいる。
虚竜がそれらを狙おうというのならば、私達はこの身に代えても死守しなければならない。身を粉にしなければならない。
弱点のない敵に対し、弱点を持った我々はどう戦えば良いのか。
私は虚竜の体の表面に傷を作ろうとしたが無駄だった。何度引っ掻いてもこちらの爪が傷つくばかりである。虎の力で挑むには不足分が多過ぎる。鹿の角で突っ込むなら尚のことだ。
ならば、と私はこの細長い体を生かし虚竜の太い脚に巻きついた。外が硬いのなら、中から壊せば良い。鱗が硬いのなら、骨を壊せば良い。
私は虚竜の脚に巻きついたままあり得ない方向へ関節を曲げようとした。
しかし、そう上手く行く話でもない。
虚竜を外から守るのが強固な鱗ならば、虚竜を中から守るのは柔軟な筋肉であった。太く発達した筋肉の層が曲げることすら許さず、私は脚から振り払われてしまった。その勢いも凄まじく、私はそのまま街の壁に叩きつけられた。ナキはどうやら無事である。
「フィン、大丈夫?」
私は頷き、再度虚竜へ突っ込んでいく。
「フィンもあんな大きな竜になれないの?」
ナキはそんなことを訊いてきたが、残念ながらそれは叶わない。
以前にも話したように私がなれるのはある種としての私である。完全に個の存在として超越した虚竜と同じような姿になることはできない。仮に虚竜と同じ種の竜になったとしたら、むしろ弱体化するだろう。
しかし、だとしたらどうすれば良いのか。
その時、私達の真横をものすごい速度で過ぎ去り、壁に激突する者が私達の他にいた。
「オール!」
私は叫び、彼女に駆け寄る。人間になり、横たわるオールの元へ辿り着く。
するとそこで私が目にしたのはオールの腹に乱雑に刻まれた大きな傷口だった。肉を力任せに無理矢理引き裂いたあの巨大な鉤爪は、オールの内臓にまで届いていた。
「…………!」
苦しそうに呼吸を継ぎ、彼女は言った。
「どうやら私が戦えるのはここまでのようだ。後は任せたぞ。安心しろ、これは自分でも治せる。忘れたか、私は魔法に長けた竜でもある」
そういう問題ではない。少しでも彼女の痛みを鎮めなければ、こんな風に苦しむオールを見ていては私がどうにかなってしまいそうだ。
「馬鹿かお前は!」
そう私に叫んだオールは血反吐を吐いて尚続けた。
「私に構っている暇があるのなら、さっさとこの街を守る為に死力を尽くさんか。助かる命に構っていてどうする。助けられる命にひた走れ。それでこそお前だろう」
彼女の怒号の声はいつの間にか泣き声へと変わっていた。竜も感情の涙を流すのだろうか。
「痛みなど……疾うの昔に慣れてしまった。……『竜』は元より『悪』なのだ。東洋の『龍』のように土地を実らせ、雨を降らし、神のように祀り上げられた『善』に満ちた存在ではない。街を焼いては財宝を奪い、洞の中でそれらを眺めては独り占めする。傲慢で高飛車で独善的で――何より非生産的で凄惨的だ。死を運ぶ『悪』の権化だ。私が助けられる必要など――無い」
「…………オールも悪事を働いたの?」
私は問う。答えは分かっていながらも、問わずにはいられなかった。
訊かれた彼女は「違う」と答える。
「私はこの世に生まれてすぐに洛北竜となった。そんなことできるはずもなかったし、そんな狼藉を働く同族が許せなかった。けれど、私はそんな種族の一部であり、代表でもあった。その事実が酷く嫌だった」
「できることならこんな役、今すぐにでも降りたい」と、悲痛の声を漏らした。けれど、きっとそれは上に立つ者にとって普通のことなのかもしれない。誰もが感じる普通の悲痛な叫びなのかもしれない。
彼女は泣いていた。真珠のような綺麗な雫だった。
「僕は、オールのことを全部知った気でいたのかもしれない。出会ってまだ長くもないのに、君の辛さも分かった気でいたのかもしれない。ごめん……行ってくるよ。それですぐに戻ってくるから。少しだけ待っていて」
私は龍に再度なり、ナキを背に乗せて飛び立った。
すると、今まで一つの地点を破壊していた虚竜が突然街の南側へと進路を変えた。奴からすればただの気まぐれに過ぎないだろうが、こちらにもこちらの都合がある。
――俺はこの街の南側の鍛冶屋で働いているから、良かったら寄ってみてさらに良かったら買ってみてくれ。じゃあ、楽しんでくれよ――
巨人の国に来て、右も左も分からなかった私達に声をかけてくれたあの巨人――彼は南側の鍛冶屋に居る。待て、そっちは大事な人が――
――俺達巨人はこんな体だから国の外へ出ても歩く道もねえし、他の街の門もろくに通れねえから、ここに来た旅の人に話しかけては聞くことしかできないんだ。まあそれだけでも楽しいんだけれどな――
そうだ、彼にとってこの街は外の世界と触れることのできる唯一の場所なんだ。
大きな壁の先には自分達が居ることが拒まれる世界が広がる。それは魚人のパラミダさんとセイバーさんが言っていた外の世界に出られないということに似通っている。
外に出ると生きられない――その点において、理由は違くとも結果は同じである。
――でも、いつかは自分の目で色んな所を見て回りたいな――
そう言っていたんだ。さっき会ったばかりの私達にそう話してくれたんだ。自分の『夢』を――
こんな所でその夢を潰えたりなど、それを見過ごすなど、できるはずもないだろうが。
どれだけ、私を怒り猛らせれば気が済むのだ。
私は一直線に虚竜に向かって猛スピードで駆けて行った。
私は叫ぶ。怒りにも似た感情を溢れるがままにその口から叫びまくった。刹那、虚竜の動きが止まり、こちらに向いた気がした。
しかし、虚竜はまたすぐに街の南側に向けて動き出す。
私は間に合わなかった。壁に飛ばされ、そこからほぼ反対に位置する南側の街を――そこへ進む虚竜を止めることができなかった。
ほんの一瞬、街の大通りの群衆の中に巨人の彼の姿が見えた気がした。
虚竜はその群衆の中にその大仰な爪を振りかざした。
彼に向けて私は思う――ごめんなさい、私はあなたを守れなかった。
私に向けて私は思う――情けない、オールを守れずに今度は街の人も守れないのか。
私は慢心していたのだろう。今まで何度も街を救い、村を救い、誰かを救ってきて、何でもできる気でいたのだろう。阿呆が、もう忘れたのか。私は何でもなんてできない。何にでもなれるだけだ。そんなことができるのは世界で一人だけである。
何でもなんてできたこともない癖に、何を以てそんな誇らしげにしていたのか。私は甘かったのだ。上が居ることを忘れていたのだ。
力を手に入れた者の末路。自己陶酔し、自身破滅。
私は結局――
「君は間に合った――間に合わせてくれた」
耳元で声がした。
その刹那、群衆と虚竜の間に割って入り、虚竜の鉤爪を両腕で押さえつける者が居た。
確かに私は間に合わなかった。私は守れなかった。
けれど、それを代わりに遂げてくれた者も居た。
それは――巨人である。
どんなに大きくても空には届かず、空を見上げることしかできなかった種族。それが今空の王者たる竜に対し引けを取らず、互角の力で競り合っている。
その者は他の巨人よりも遥かに大きく、それこそ二十四メートルはあるだろう。筋骨隆々と言わんばかりの肉体と凛々しく澄んだ顔立ちをして、悠々としたその雰囲気は周りにいる者全てを包み込む。
誰かがふと囁いていた。
「…………グロシア……様」
彼こそが生きる伝勇にして巨人の英雄――ミュース・グロシアである。
〇
ミュース・グロシアの伝説のような事実は様々である。
一つの山を拳一つで破壊したり、とある戦争の際に敵国の主力部隊を一人で壊滅させたり、結婚披露宴と戦争が重なってしまいその日の内に勝利で終戦した後にその場で披露宴を開いたり、年に一度の英雄祭のスピーチで「最近、何だか小さい女性も良いかなって思っています」と色んな風に捉えられる爆弾発言を言い放ったりと、数々の功績を収めている。
彼は普段はバリウス首都で己の鍛錬に勤しんでいるはずなのだが、何はともあれここに彼がいることは間違いようのない事実であり、見紛うことなき現実である。
「皆は下がっていろ。この竜は私が引き受けた」
彼は民衆に向かい、そう宣言した。
民衆は言われた通りに避難する。先程までばらばらに動いていたのが、今や皆同じ方向に駆けて行く。これがカリスマ性か。
グロシアさんは虚竜の鉤爪を掴んだまま振り回し、虚竜が最初に降り立った地点に投げ飛ばした。誰もいない上に開けている為、戦場としては良好である。
私は飛ばされた虚竜を追いかける。
グロシアさんは自分の何倍かも計り知れない程の大きさの虚竜を何度も殴りつける。その衝撃は虚竜の全身を通り、地面までを震わせていた。拳によるダメージは確実に着実に虚竜に対して入っているようだ。
しかし、鱗には傷一つついていない。外傷は恐らくないのだろう。
私もナキも色々と攻撃を加えてはみるが、これと言って大したダメージは入っていない。もしかしすると、私達は虚竜の周りをうろちょろしているだけなのではないだろうか。
弱点のない相手を真正面から潰せることなど――
「!」
ふと、私は思う――生まれながらに弱点のない者などいない。
後付けの鎧も纏わず、後出しの武器も持たぬ、全てが生まれ持った物で勝ち残ってきた虚竜に弱点がないはずがない。
そう、例えば――
「……目だ」
「えっ?」
ナキは私が零した言葉を拾い上げ、聞き返した。
「目だよ、虚竜の弱点は。たとえ竜だろうと目に皮膚は存在しないし、瞼にまで硬い鱗は生えていない。口内も確かに柔いだろうけれど、そこには同時に奴の武器も存在する。だとすれば、僕らはもう目を狙うしかない。虚竜の目玉を獲るしかない」
その為には零距離まで接近しなければならないし、死と同等の危険を伴うこととなる。
けれど、今はそれに賭けるしかない。
「ナキ、協力してくれるかい?」
彼女の答えは――
「勿論。あなたに倣うなら、御意のままに」
不敵な笑みを浮かべ、無敵の覚悟を見せた。
私は虚竜と立ち回り戦うグロシアさんの元へ近づき、私の作戦を話した。作戦とも呼べるかも分からない策だけれど。
「了解した、勇敢な……少年? 君の作戦に委ねよう」
グロシアさんは龍の姿の私を見て戸惑ったが、快く作戦への協力を引き受けてくれた。本来、主役であるべき英雄が私の作戦で脇役に徹するのである。申し訳ない気もするが、やむを得ない。
「この街、この国の未来は君のこの作戦に賭ける。ただ、一つ問いたい」
そう言って彼は地面に横たわるオールを一瞥した。
「あれも敵か?」
彼は両手で虚竜を押さえつけながら、私を睨んだ。剣のような真っ直ぐで鋭い視線で、見る者全てを突き刺す程である。
けれど、ここで物怖じする必要はどこにもない。私は彼の視線に負けないくらいの眼で見返した。
「いえ、あれは私達の仲間です。この巨竜とは関係の無い、善良極まる純然たる洛北竜――オール・ド・フレムであります」
私がそう言い切ると、グロシアさんは目を丸くして一瞬力を緩めてしまったが、すぐにその鋼の如き腕で虚竜を押さえた。
「そうか、色々と訊きたいことはあるがここはやはり君に委ねよう。よろしく頼む」
私は頷き、虚竜の頭を目指して飛んで行く。すぐ横には棘だらけの虚竜の首があり、ぶつかればその時点で死である。
虚竜の頭上まで上がることすら大変な所業であったが、それでも何とか辿り着けた。
そしてそこで私は人間になり、いざ刀を構える。ナキはぎりぎりの所でどうにか私の肩を掴んだ。
「ナキ、僕が囮になるから君が虚竜の目を魔法で射抜いて」
彼女は「えっ」と、言い戸惑った。
「私がやるの? 私にできるの? 何でフィンじゃないの?」
怒涛の質問攻めに私は圧倒しかけた。確かに私の作戦でありながら、大役はナキに任せようというのは都合が良過ぎるかもしれない。
けれど、この作戦には絶対に囮が必要となる。虚竜とて自分の弱点を把握していないとも限らないし、むしろ理解している可能性の方が大きい。
黙って目を差し出してくれるなどというラッキーは存在しない。私は世界一の不運である。
となれば、この作戦には囮が必要になる。この作戦が唯一である以上、囮の存在も不可欠なのだ。
「だから、僕が囮になる。虚竜を引きつける。そして君が止めを刺して」
ナキの手は震えていた。肩を通して全身に伝わる。彼女はそれを殺すように唇を食い縛った。
「きっと結局はあなたが一番危険な役を担っているんでしょう。それでもあなたは自らその役を買おうとする」
彼女は私を見て寂しそうにそう言った。
「分かった。私が止めを刺す。だから、落ちる私はあなたが受け止めて」
覚悟は固まった。私は笑って頷き「果たして」と、唱えてみた。
ナキの腕を掴み、勢いをつけ天高く投げ飛ばす。
私が虚竜の方へ向き直ると奴は私に今にも喰らいついてきていた。
私はナキを投げ飛ばした反動で、真っ直ぐに虚竜の大口の中へ突っ込んでいる。めちゃくちゃに体を振り回し、どうにか虚竜の口への軌道からは逸れたが、今度は鼻の穴の中に突っ込もうとしていた。鼻息すっご。
私は刀を鞘から抜き、虚竜の鼻の鱗同士の隙間に刀を引っかける。虚竜の肌の鱗に触れた刀は呆気なく折れてしまったが、一瞬だけでも引っかけられたお陰で、それを支点に反動をつけ、私はまたも軌道を逸らすことに成功した。
しかし、ここからが囮の仕事である。囮は終わってもいなければ始まってもいなかった。そして囮の仕事とは、ナキに攻撃をさせずに私を攻撃の的にさせること――ではない。
落下していく私の真下には、虚竜の目玉が迫っている。ここで攻撃を加えることももしかしたら可能かもしれない。しかし、虚竜の瞼もまた自慢の鱗さえないけれど、それでも攻撃を通すとは思えない。目を閉じられてしまっては意味がない。
だから、決め手は私ではない――私はあくまで囮なのだ。
私は虚竜の目の真横を通るように軌道を修正し、満を持して竜になった。細身の『龍』ではなく、巨体の『竜』である。
虚竜は目の前に現れた自分程ではなくても、巨竜たる私を捉えた。嫌でも視界に入り、嫌でも目で追ってしまう巨体である。私を捉えた――『囮』である私を。
真横を過ぎて行く私を目で追った虚竜は気づいてはいなかった――自分の真上に居る『本命』に。
一瞬でも私に注意を引かれた虚竜はナキに対し、無防備であった。
ナキは魔力を溜め、渾身の光の矢を虚竜の目に目掛け、撃ち放つ――撃ち離れる。
真っ直ぐに飛ぶ矢は虚竜の目玉を貫き、虚竜の体内に入り込み、虚竜の首を通り、虚竜の骨を砕き、虚竜の肺を裂き、虚竜の心臓を射抜き、虚竜の肉を押し開き、虚竜の鱗を剥離させ――虚竜の命を殺めた。
こうして、巨人の街を襲った空の王者たる巨竜は――生まれ持った力で頂点に登り詰めた破壊の虚竜は、地上の中で散って行った。
〇
落ちてくるナキを拾い上げ、私は地上に降り立ち人間になった。
虚竜の絶命をろくに確認せず、私は何よりも先にオールの元へ駆け出した。彼女は無事なのか、やはり自分でも治せるというのは方便だったのではないか、私は彼女の元を離れるべきではなかったのでないか、私の不安は彼女に近づくに連れてどんどん増していく。
高く聳え立つ壁の下、オールはそこに今も倒れていた。
「オール!」
私が叫んでも反応がない。腹を大きく抉られていた傷口は――既に塞がっていた。
彼女は竜には似合わない程の、けれど少女には自然な程の静かな寝息を立てて深く眠っていた。私は心の奥底から込み上げる何かを抑えることも忘れ、目頭は酷く熱くなった。
「良かった……本当に良かったあ」
読者諸賢は、初見の人ですら「予想通りだわ」と思ったことだろうが、私は積み重なった不安を一気に崩された気分で、彼女のごつい肌に触れながらその場で泣き喚いてしまった。
それくらいまでに私はオールのことが大事で大事で仕方がなかったのだ。
愛する者が居なくなるのはやはり悲しいし、痛い。私はその痛みをできれば知りたくはない。
「よく頑張ったな、少年」
後ろから声が聞こえたので振り返ってみると、そこにはふらふらと立つナキとそれを支えるグロシアさんがいた。
「君のお陰でこの国は救われた。ありがとう」
「私は無理矢理な作戦を立てて、囮に徹したまでです。この国を救ったのはその少女です」
そう言うと彼は英雄に相応しい程に豪快な笑い声を上げた。
「そうさ、ここまで疲弊する程の魔法を放ち、止めを刺したのはこの少女だ。けれど、少年もまた戦い抜いた。戦い抜き勝ち抜いた。自ら危険な役を買い、虚竜を止めてくれたのは君だ」
「そして」と彼は続ける。
「そこに在られる洛北竜様もまた我らの国をお救い下さった。全ては皆のお陰か」
すると、彼は私に右手を差し出してきた。
「感謝の至りだ」
私はその手を握り返した。
ナキはふらふらと歩きながら、私の元へ近づいた。目の前まで来たところで限界を迎え、立つこともままならなくなってしまいその場で膝から崩れ落ちた。私は寸でのところで彼女を受け止め、胸の中でぐたりとうなだれる彼女に声をかける。
「ありがとう、ナキ。それでもやはり君がこの国を救ったんだ。今はゆっくりと休んで」
ナキはその言葉を受け、安心したように眠りに就いた。
その時である。
直立したまま死んだはずの虚竜が突如として動き始めた。
「! 何故だ。確実に止めを刺したはずなのに、何故まだ動ける」
私達やまだ街の中にいる人々は狼狽え、再度街はパニックの渦に包み込まれた。
ナキはあの矢で奴の目も、骨も、心臓すらも射抜いたはず。矢は間違いなく内側から虚竜の腹を貫いたはず。一体何故――
「私が奴の傷を癒したのだ」
突然そう言った声の主は、オールであった。
いつの間にか彼女は目を覚ましていて、眠そうにその大口で欠伸をした。
そうして、人間の姿になり「誰かの涙が腹を伝って、くすぐったくて起きてしまった」と、頭を掻きながら言う。
私もナキも、グロシアさんですらも驚いて口が閉じなかった。
「…………黒幕なの?」
「違わい」
恐る恐る訊くと彼女はいつものノリで返してきた。
しかし、何故散々暴れ回った虚竜をまた蘇らせたのだ。というか、蘇ってしまったのなら、また暴れるかもしれない。警戒して、最悪もう一戦交えることに――
「その必要はない。言っただろう、虚竜は操られているのではないか、と」
確かに彼女は言っていた。けれど、それで虚竜を蘇らすことの理由にはならないと思うのだけれど。
「私は戦っている中で虚竜から魔法の匂いがしていた。それは私が自我を失った、奪われたあの時と似た魔法の匂いだった。今回虚竜が誰かによって自我を失ったのだとすれば、虚竜は本当の脅威ではない。そして、我々はフィンの言う『黒幕』を暴かなければならない。そして、それを知っているのは虚竜のみだ」
そうだとしたら、ここで虚竜を殺してしまったら、これから現れるかもしれない『黒幕』を知ることができない。
それを知れないことは、私達だけに留まらず世界の脅威になり兼ねない。
「だからオールは虚竜の傷を開いたとこから塞いだ、と」
「ご名答。さすが聡明だな」
「僕は聡明じゃない。賢明でもない」
ただ懸命なだけだ。
しかし、それで虚竜を蘇らせて、虚竜を操っていた魔法が解けたとは限らない。
「それもこれも心配ない。私が今更そんなへまをする訳がなかろう。奴からはもう魔法がの匂いがしない。一度でも止めを刺されたことで奴から魔法が――呪いが解かれた。そして、虚竜にかかっていた魔法は私の時のものとは違う。似て非になる。正確に言えば、虚竜は自我を奪われた訳でも、壊された訳でもない。失ったのだ。故に奴はもう自我を取り戻している。見つけている。そこは『黒幕』が魔法の使う者として未熟だったということか」
「魔法使いとして未熟だったということか」と、オールはそう締めるように言った。
「では、虚竜は今回の件については無罪であり、被害者であると」
グロシアさんは確認するように問い質したけれど、オールは澄ました顔で答えた。
「そんな訳があるか。確かに虚竜は被害者の一人だ。けれど、間違いなく加害者でもあり有罪だ。操られていたにしろ、実際にこの街を襲い大勢の者を殺めたのは虚竜だ。これは揺るぎない事実だ。体ばかり鍛えていたから、精神が衰えて自我を奪われたんじゃないのか。まあ、お前達が奴を咎めるも見過ごすも勝手だがな」
グロシアさんは黙り込んでしまった。
「ともかく虚竜の所へ行こう。話すことは沢山あるのだから」
私は切り出してナキを負ぶり、虚竜の元へ歩き始めた。
虚竜は周りを見渡して状況を確認しているようだけれど、あまりに凄惨過ぎる街並みに状況を理解できていない。
誰かに訊こうにも周りの者は近づけば自分を恐れて逃げて行く。
これは一種の運命のようなものである。異端を過ぎた力を手に入れると、それを恐れる者は少なからず出てくる。恐怖は伝染して、遂には自身の周りは誰一人として残らなくなる。
唯一私達が近づくのに気づいた虚竜はその大口を開けて「そこの者達、少し訊ねたいのだが」と、低音のやけに心地良い声で言った。渋い男性の声である。
「これはどのような状況なのだ。気がつけばこんな所にいて、全くどういう訳か……」
彼が戸惑っていると、オールは突然竜の姿に戻った。
「! 貴様はオールか。オール・ド・フレムなのか」
虚竜は足下のオールを見て目を丸くした。
「久しぶりだな、虚竜。随分と暴れてくれたものだ」
オールにそう言われて虚竜は何かを察し、酷く落胆したように見せた。
「これは私がやったのか。私が壊したのか」
「ああ、これは全てお前の仕業だ。どれもこれもお前がやったのだ。今は綺麗に消えたが、私のこの可愛い腹にもエグい傷をつけてくれたのだ。抉ってくれたのだ。私の腹を。可愛い腹を」
嫌な奴か。どんだけ自分の腹を可愛がってるんだよ。
それから私は今回起きた一連の流れを伝え、虚竜の首はどんどん落ちていった。
「そうだったか。人の子らよ、ありがとう。命を張って私を止めてくれて――止めを刺してくれて」
私が話し終えると彼はそう礼を言い、頭を下げた。それでも目線は遥かに虚竜の方が上である。
「壊すことしかできない私だ、この街を復元することなどできない。それでも話せること、役に立てることはしよう」
そして我々は問う。虚竜の自我を失わせた者を――『黒幕』の正体を。
「私が最後に見た記憶で私に接触してきた者は、一人だった。私は普段ここより遥か南のとある大洞窟に身を潜めている。誰も私の居場所を知らないはずなのだが、その者は迷い込んだりではなく私を目当てに訪ねてきた。そして訊ねてきた。協力してはくれまいか、と」
私達は黙って聞いていた。
「その者の言う要請は、一つの街を破壊することだった。私は幾千年も前に愚かな過ちを犯していた。圧倒的な力を手に入れ、全てを破壊していた私は『虚竜』の名を縦にしていた。しかし、ある時気がつく。私が立つ場所には何も残らないという事実に。酷い虚無感に包まれた私は後悔の念に苛まれ、誰にも知られず洞窟の奥底で泥のように眠った。そんなことがあった私は勿論その者の要請を断った。すると、その者は私に対し魔法を使った。一瞬のことだった。私の記憶はそこで途切れる。しかし、私は憶えている。きっと彼は私を『回し者』として利用したのだ。君が『囮』になったように。そして、私を『回』してまでこの街を襲ったその者の正体は」
私達は固唾を飲んで、彼の言葉に耳を傾ける。そして、虚竜は言う――
「その者は――」
果たして――
次回にご期待ください。
本作品は、不定期更新となります。次の物語をお待ちください。




