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コミックマーケットへ帰還せよ!  作者: 尾久出麒次郎
4/17

前日その3

 品川プリンスホテルのチェックインを終え、身軽になって自由行動となる。翼はメインタワーの部屋で荷物を降ろしてエレベーターに乗った。

 今日出会った川西庄一という人はとても不思議な人だと翼は思う。

 浮世離れした感じの人だけど、何か強い意志を秘めてるような人でイケメンアイドルとか俳優さんとは全く違う格好の良い人だ。

 もしかすると、このコミケを通して仲良くなっていい雰囲気になって……最終日の夜はムフフ……なーんて桃色の妄想してると、エレベーターが一階に到着した。

 エレベーターを降りてフロントのあるロビーに行くと、庄一が待っていた。

「すいません、お待たせしました」

「いいよ、どこへ行きたい? お台場? 池袋? 渋谷? それとも原宿?」

 庄一はまるで妹を可愛がる兄のような温かい眼差しと柔らかい口調だ。うちの馬鹿兄貴とは大違い! 翼は少し悩んで選んだ。

「それじゃあ池袋でいいですか?」

「よし、池袋に行こうか」

 庄一はちょっと悪っぽい感じに見えるけど、穏やかさと爽やかさを併せ持ったワイルド系イケメンで、翼は思わずドキドキしながら「はい」と肯いた。

 ホテルを出ると、山手線に乗るためJR品川駅に入った時だった。

「Excuse me!」

 改札を通って山手線のホームに行こうとした時、妙に訛りの強い英語を喋る若い二人の男に声をかけられると、庄一は瞬時に返答して訊く。

 二人組みの片割れである黒人のお兄さんは手に旅行ガイドを持っているが、途中から庄一は英語ではない言葉に切り替えると、もう一人の白人のお兄さんが驚いて嬉しそうな表情になって少し話した後、握手を交わして京浜急行線の方へと行ってしまった。

 山手線のホームに下りると、翼は訊く。

「何だったんですか?」

「ああ、浅草に行きたかったらしい……フランス人だった」

「ええっ!? 川西さん、英語とフランス語喋れるんですか!?」

「まあ……職場がフランスだったからいろんな国の人と仕事していてね、必然的に英語とフランス語が身に付いてしまったんだ」

 庄一は少し恥かしげに言う、凄い!! ワイルド系イケメンでマルチバイリンガル、それにとても紳士的で何もかもうちの馬鹿兄貴とは大違いだった。

「凄い! フランスのどこで仕事してたんですか? やっぱりパリですか?」

「えっと……パリにいたこともあったし、地中海のコルシカ島で働いていた。イタリアの近くにある島さ、君は旅行とか好きかい?」

 庄一はちょっと困った表情になって訊き翼は迷わず「はい!」肯くと、思わず自分が恥かしくなってしまう。

「あっ……ごめんなさい、一人で行くのは今回が初めてなんです……本当は夏の湘南とか、フランスのストラスブールやコルマール、トルコのイスタンブールとかロシアのサンプトペテルブルクに、アメリカのイエローストーン国立公園に行きたいなって……贅沢、ですよね?」

「いや、自分の足で旅して自分の目で見て回るのはいいことさ」

 庄一は頼もしい笑みを浮かべる、それから電車の中で最近見てるアニメや漫画の話しをしながら、池袋に到着した。


「さすがに広いな、どこから出よう?」

 庄一も初めてなのか、駅構内を見回しながら訊いた。

「東口からです……乙女ロードって、知ってます?」

 翼はちょっと恥かしげにモジモジしながら言うと、庄一は少し考えるような仕草をすると納得したかのように肯く。

「なるほど、君は所謂ボーイズラブが好きなのか」

「ち、違います! だ、だ、だ大学の友達が行きたいって言ってましたので!」

「わかった、それじゃあこれ以上は詮索しないようにしよう」

 必死で否定する翼は庄一に苦笑される。乙女ロードを見て回った後はアニメショップ池袋本店で買い物し、探し物が見つかると翼は上機嫌で店を出る。因みに探し物は『ゆめみ☆テイクオフ!』のサントラCDだった。

「よかったです、見つかって」

「そうか……地方だと二~三日発売が遅れるんだな」

「はい、その二~三日がもう待ち遠しくて」

 翼は薄暗くなった外を出て喋りながら歩く、さすが年末の東京、人口密度も濃厚だと翼がそう思ってた時だった。

「ねぇ川西さんって……あれ? 川西さん?」

 翼が振り向くと庄一の姿がない、慌てて来た道を戻る。どこ行ったんだろう? どうしよう連絡先交換してないし、翼はオロオロしながら周囲を見回す。猥雑なネオンや外灯が薄暗くなった通りを照らすが、翼は心細く萎縮した表情で歩く。

「すいません、ちょっといいですか?」

 声がした方に振り向くと見知らぬスーツの男で、一見すると若いビジネスマンのような人だった。

「な、なんでしょう?」

「あの私こういう者でアイドルとかモデルに興味ありませんか?」

 スーツの男は名刺を出すが、翼はそれどころじゃないと断りながら後ずさる。

「す、すいませんあたし旅行で来てますので」

「いえいえ少々のお時間でいいですので」

「あ、あたしそんな、ちょっと探してる人がいますので」

 翼はオロオロしながら踵を返してさっきのアニメショップに逃げようとするが、スーツの男は先回りする。

「大丈夫ですよ、すぐ合流できま――」

「失礼、私の妹に何か御用でしょうか?」

 翼の背後から庄一が穏やかな口調で介入すると、スーツの男は青褪めてまるでワシミミズクに睨まれたネズミのように萎縮する。翼も振り向くと思わずゾッと背筋や神経が凍るほど戦慄した。

 庄一から発せられる殺気に満ちたオーラは勿論、ワシミミズクのような丸い目は平気で何人もの人間を殺した冷酷さと、幾多の死線を潜り抜けてきたかのような精悍な眼差しでスーツの男を睨み殺しそうだった。

 萎縮した男は膝が震え、声も震えていた。

「い、いいえ、妹さんのスカウトに――」

「名刺だけ、もらっておきましょう」

 庄一は名刺だけ受け取ると「行こう」とその場を後にした。

「危ないところだった」

 大通りに出ると、庄一は安堵の表情を見せてようやく翼も安堵する。

「ごめんなさい、あたしが気をつけていれば」

「僕も日本だからと言って気が緩んでたよ。東京は世界でも治安のいい都市だが、それでも油断せず気をつけないといけない……どれ」

 庄一はスマートフォンを取り出し、名刺から検索すると顔を顰めた。

「……芸能プロ? いや違う……やはりな」

「なんだったんです?」

 翼が首を傾げて訊くと庄一は眉を顰め、少し躊躇って言った。

「どうやら……君を……ナンパもののハメ撮りビデオを撮るつもりだったらしい」

「それって、まさか!」

 翼は嫌な予感がし、庄一は重い口調で言った。

「ああ、奴は君をポルノ女優にしようとした」

 それで翼は今まで感じたことのないような寒気がした。自分の体が見知らぬ男に触れられ、弄くり回され、蹂躙されるような気分だった。

 そういえば上京した女の子が悪質なスカウトに騙され、AV女優にされたって話しを聞いたことがある。

 両腕で自分の体を庇うかのような動作をする。ヤダ! あたし処女なのに! もし庄一さんがいなかったらと思うと……想像したくない!

「本当に危ないところだった……でももう大丈夫、僕がいるから」

「すいません、でもどうして……あたしなんかを」

「小さい頃の友達に、君みたいな子がいてね……放っておけないんだ」

 庄一は翼の瞳を見つめる。それは一瞬、まるであたしではない遠い記憶の中の誰かを見つめてるかのようだった、そして庄一は妹を可愛がる兄のような眼差しに変わって提案した。

「まっそんなところさ中島さん、仕切りなおしに品川で何か食べて下見に行こう!」

「はい! あの寒いのでラーメンなんてどうです?」

「それなら品川駅に美味しい豚骨ラーメンのお店があるんだ、そこで食べてビッグサイトに下見に行こう!」

「はい!」

 翼は肯いて池袋駅へと向かい、山手線に乗って一度品川駅に戻った。



 夕食は居酒屋チェーン店で直人は一成とカウンター席で食べながらタブレットでツィッターを見ていた。

「おお、玲子ちゃんだ! 今年のクリスマスも一人だったってまだ嘆いてるな」

 一成は熊本で高校の数学教師をしてる綾瀬玲子あやせれいこのアカウントを見て面白がっていた。直人は明日に備えてアルコールは飲まず、ウーロン茶にして飲みながらねぎまを食べると一成は目を見開く。

「ぬぉっ!? 近くに来てる!」

「誰のアカウント?」

「ツバサちゃん、熊本の女子大生だよ。滅茶苦茶可愛くてさぁ……今回コミケデビューするからいろいろ教えて相互フォローしてるんだよ」

 一成は気持ち悪いほどうっとりした表情でスマホを弄ってると目が血走り、一気に憔悴し切って老けた表情になる。

「……嘘……だろ……おい」

「どうしたんだ、お前のことだから彼氏がいるとわかったんだろ?」

「いいや、今日空港で知り合ったばかりらしい」

「それで?」

「なんでもその人も偶然同じホテルで、一緒にコミケに三日間フル参加するらしい……ワイルド系イケメンで強くて英語とフランス語も喋れ、しかも性格も紳士的だって」

「凄いな、きっと海外で仕事してるバリバリのエリート紳士じゃない? お前と違って」

「オイラだって紳士だ!」

 一成はムキになって直人に突っかかる。そういうがこいつ最近、声優の小野寺愛奈おのでらあいなが幼馴染みと結婚した時、ネット上の声豚たちと一緒にまるで薬が切れて禁断症状に陥った麻薬中毒者か、植えた豚ように発狂し、破局しろ破滅しろ寝取られろって、呪詛を唱えたんだっけ?

 そばで見ていて滅茶苦茶面白かったが。

「お前は違う意味でだろ? まったく、737は最高だぜ! とか言って……旅客機に欲情してとうとう頭おかしくなったか?」

「違う! 737ってのは伊丹いたみみなこのことだよ!」

 一成はタブレットを手早く操作して見せたのはアニメの公式サイトだ。

「今年の春に放送された『ゆめみ☆テイクオフ!』のキャラクターだ! その中で一番幼くて小さいけど一番精神年齢が高い伊丹みなこだよ!」

「ああ……あれか、航空会社とアニメ制作会社がコラボした」

「そうそう、人気投票ではゆめみを抑えて一位になった伊丹みなこ。五人の中で――」

 また始まったぜ、直人は呆れながらいつものように適当に聞き流し、適当な所で中断させる。

「わかったわかったそれで? その女の子は今どうしてる?」

「えっ? ああ、品川でラーメン食って下見に行くってさ」

「ほう、至って普通だな」

「その男が実は徹夜組だと良いんだけどね」

 一成は下衆野郎そのものを笑みを浮かべながら言うと直人は、うわっ! 性格悪っ! と言いたいことを飲みこみながら訊いた。

「徹夜組って……前日に徹夜待機する人か?」

「ああ、チケ組と徹夜組は全てのコミケ参加者の敵さ! 他にもいるが」

「徹夜組はなんとなくわかるがチケ組ってなんだ?」

 直人はさっきとは違って耳を傾ける、一成は熱心にわかりやすく説明してくれた。

「実際に同人誌を作って頒布するサークル参加者にはサーチケ――サークルチケットと言ってサークル参加の申込みが受理されると、準備会から二~三枚送られるんだ」

「なるほど、それで一般より先に入場するのか」

「その通り、本来は一般より先に入場して準備するための物だけど、それをオークションや転売、ダミーサークルという実体のないサークルで応募する等して不正にチケットを入手する輩がいるんだ」

「限定品とかを早く手に入れるためにズルをするみたいなものか?」

「ああ、しかもそのサーチケ自体も、高額で取引される。本来はサークル参加者のためなのに徹夜組や始発組よりも早く限定品とかを入手するため、フライング――つまり開場前に並んで開場と同時に買い占める奴らもいるんだ」

「うわぁそりゃあヒデェな」

「徹夜組は説明するまでもない、コミケは昼間にも言ったとおり一日に一五万~二〇万人が来る。だから必然的に徹夜組も数千~一万単位になるんだ、そいつらが揉め事とか事案を起こしたりすればコミケそのものがなくなるんだ」

「なるほど、限定品とか一般には流通してない物をいち早く手に入れるためなら倫理やルールを守らないってことか?」

「ああ、自分の物にしたいのはわかるがそれ以上に転売して金儲けしてる奴らさ。オイラの描いた同人誌が五〇〇円から一五〇〇円に跳ね上がってた時はさすがにキレそうになったぜ」

 一成は珍しく感情的にならず、静かな憤りを見せていた。それがよっぽど深刻な問題だということを示していた。



 翼は庄一と国際展示場駅を降りると、辺りはすっかり真っ暗になっていた。少し歩いて開けた場所に来るとコミケの象徴とも言える逆三角形の建物、東京ビッグサイトがライトアップされていた。

「あれが東京ビッグサイト、なんだかここ静かですね」

「僕の知る限り普段はね、明日からこの辺りは待機列で埋め尽くされる」

 庄一はポケットに手を入れ、白い息を吐きながら言う。この辺りは東京湾に面してるせいか凄く寒く、翼はその小さな手に温かい息を吐きかける。

 素手はやっぱり寒いとジャケットのポケットから手袋を取り出して嵌めた。

「それとここまでの行き方だが……さっきは京浜東北線から品川~大井町でりんかい線に乗り換えたけど、山手線から大崎でも乗り換えられる。人身事故で動かない時の予備ルートとして覚えておくといい」

「やっぱり経験者は違いますね」

「行く時も大変だが帰る時はもっと大変だぞ、閉幕前後は特にね」

 庄一は微笑みながら言う、所々に人がいてスマホを見ると既に徹夜組がいるらしい。こんな寒いのに、予報では今夜は氷点下を下回るらしい。

 すると庄一は躊躇いがちに訊いた。

「なぁ中島さん、君は一日目東館から入場するって言ってたね?」

「はい、なにかあるんですか?」

「……いいや一日目は君に委ねよう。経験しておく分にはいいのかもしれない」

 翼は首を傾げる。ビッグサイト前であるエントランスプラザで逆三角形を見上げ、スマホのカメラで撮影する。一通り下見すると、コミケ時に精鋭店長が集結する噂の喫茶店ベローチェで休憩する。

 翼はミルクココアとチーズケーキ、庄一はルイボスミントティーと生チョコケーキを注文した。

「それじゃあ今のうちに打ち合わせしておこう、入場したら適当な所で一度解散する。どちらにしろ回るサークルは異なるから館内は単独行動になる」

「それなら昼食は各自で摂るか、合流してからですね」

「そうだね、邪魔にならない場所や赤線エリアを除いて座れる場所も確認しておいた方がいい。中島さん、体力はある方?」

「はい、この日のために体力づくりしてきました」

「よし、それでも六〇分から九〇分おきに最低でも一〇分くらいは休んだ方がいい、後に響いてくる。いくら万全な体勢で臨んでも最終的には精神力も必要になる、目の前で同人誌や限定品が完売しても折れない心もいる……合流場所でポピュラーなのはこのタリーズコーヒーだ」

 庄一の指差す位置はさっき下見で見たタリーズコーヒーだった。

「時間はだいたい一三時頃がいいだろう。あの混雑だ、遅れる場合はLINEで連絡するが、それでも合流が難しい場合は……品川駅で会おう!」

 庄一はまるで昔見た戦争映画で「もし合流できない時は、靖国で会おう」と言ってた日本兵みたいなことを言うが、その言葉は映画以上に重く感じた。

 結局その日本兵は生き残って内地に帰還、玉音放送を聞いて泣き崩れたという。翼は素直に肯いた。

「一三時ですねわかりました」

「もしそれまでお腹が空いたら無理はするな、先に食べていい。いいかい? コミケでは絶対に無理をしないで」

「はい! 明日いよいよですね」

「それなら、今日はもう早めに帰って寝よう」

 庄一はまるで妹を慈しむかのような眼差しで、翼は優しい兄を慕う妹のように肯く。


 品川プリンスホテルに帰ると翼はお風呂に入ってベッドに寝転がる。明日からいよいよコミケデビューの日、明日の朝は六時にメインタワーのレストランで待ち合わせだから朝起きる時間はもっと早いだろう。

 なんだろう? この気持ち、今日出会ったばかりなのに川西さんのこと信用していい気がする。あの鋭くも慈しむような眼差し、誰を見ていたんだろう? 翼は考えてるうちに眠ってしまった。

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