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コミックマーケットへ帰還せよ!  作者: 尾久出麒次郎
2/17

前日その1

 前日:現地入り。


 四ヶ月後、一二月二八日熊本県道三六号熊本益城大津線、通称:第二空港線。


「ほら、もうすぐ空港だ」

 兄の智彦は不満げにスバル・トレジアを制限速度ギリギリまで飛ばす、助手席に座る翼は熊本空港の管制塔が見えると子どものように胸をワクワクさせ、チャーミングで大きな瞳を輝かせていた。

 運転席の智彦は呆れた様子でトレジアを飛ばす。

「やれやれ、まさかお前が突然コミケ行きたいなんて言った時は心底驚いたぜ、俺も行きたかったな……」

「そんなお金ない! お兄ちゃんも働けばいいじゃない!」

「俺はこれでも忙しいんだよ」

「どうせネトゲとかエッチなゲームとかでしょ? いい加減ダイエットしたら?」

「し、仕方ないだろ! ネットのみんなが俺を必要としているんだ!」

 翼はこれ以上言い訳を聞くつもりなんかなかった、空港ターミナル前の通りに入り停車する。

「ありがとう、楽しんでくるわ」

「ちぇっ、とっと行っちまえ!」

 素っ気ない智彦にお礼を言ってトレジアを降りる、外の気温は五度を下回っていて吐息は白い。

 ピンクのニット帽を被り、黒と青のチェック柄のマフラーを巻いてる、下はパンティーストッキングの上にジーンズと厚手の黄色のソックスにスニーカーを履いていて、紐はきっちり結んである。上は厚手のパープルコートを着込んでいた。

 それでも吹き込む冬の風はガチガチと震えるほど寒い。

 予報によると年末年始は快晴、だがその代わり非常に気温が低いという。

 だから寒さ対策は入念に準備していた。

 翼は後席から四泊五日分の着替えが入ったキャリーカートを出し、コミケに持っていく装備品を満載したリュックサックを背負い、いつも出かける時使ってるの愛用のショルダーバッグをかけると、よしと意気込んで満面の笑みで言い放つ。

「それじゃ行ってくるね」

「凍えちまえバーカ」

 智彦は妬ましげな顔で言うと、翼はドアを勢いよく閉める。智彦の運転するトレジアはそそくさと走り去ると翼は「いーっ!」と挑発して見送った。

 数年振りに来る空港ターミナル内は年末の帰省ラッシュで出迎えや見送りの人たちで溢れていて老若男女様々だ、下は母親に抱かれた赤ん坊で上は皺くちゃの車椅子に乗ったお年寄りまでいた。

 翼は搭乗手続きのためFEAのカウンターを探す、目の前にあるのは 格安航空会社(LCC)であるスターライト・ジャパンのカウンターだ。

 そういえばここは国内線ターミナルの端っこだと翼はキャリーカートを引いて歩く、到着ロビーを通過して反対側にあるFEAのカウンターに到着した。

 翼はショルダーバッグから二ヶ月前に買っておいた航空券を勢いよく取り出した。

「あっ」

 手が滑って航空券が宙を舞う。それを視線で追うと誰かの足元に落ちてしまい、その人が拾ってくれた。

「すいません! ありがとうござい……ます」

 翼は慌てて駆け寄ると、思わずギョッと仰け反って立ち止まった。

 身長一八五センチ以上の肩幅の広い長身、銃器メーカーのロゴキャップ、ボサボサに伸ばした髪に薄っすらと生えた無精髭、彫りの深い顔立ちと、レイバンのサングラス越しからでもわかる鋭くも丸い目はワシミミズクのようだ。

深緑のミリタリージャケットに黒いジーンズ、漆黒のコンバットブーツを履いていて威圧感満載の男だった。

「いえ、大切な物ですから気をつけてくださいね」

 艶のある低い声で言葉遣いも柔らかかった。

「す、すいません……ありがとうございます」

「では……失礼します」

 ワシミミズクような男は踵を反してターミナル二階に通じる階段の方へと歩き去って行った。

 怖そうだけど親切な人でよかった……翼がホッと胸を撫で下ろしていると、つい先ほどワシミミズクの男が立っていた場所に何かが落ちてる。

 なんだろうと思って拾い上げると、ラバーストラップだった。

「大変……届けなきゃ! ああっでも搭乗手続きと荷物預け、ああどうしよう!」

 翼はおどおどしながら体を前後左右に動かして急いで届けないといけない、でも探して間に合うのだろうかと動揺していた。



「なんてことだ……ない」

 川西庄一かわにししょういちは展望デッキに上がり、出発までの間に自販機の紅茶を買って少しの間飛行機を見ながら過ごそうと思った時、財布に付けていたラバーストラップが外れていた。

 参ったな、たいしたものではないが大切なものだ……いや待てこれを誰かに拾われたとしても届けてくれるとは思えない。

だが届けてもらえたとしても、うわっ! この人いい歳してアニメグッズを持ち歩いてるよ! なんて目で見られるのは覚悟しといた方がいいだろう。

 ま、そんなことはどうでもいい。問題はどこに落としたかだ、と庄一は来た道を戻るとさっきの女の子が重い足取りでキャリーカートを引き、リュックを背負ってエスカレーターを上り切ると、こっちに向かって小走りで駆け寄ってきた。

「あ、あの! もしかしてこれ、あなたの落し物ですか?」

 急いで追いかけていたのかさっきの怯えていた表情はない、むしろ真っ直ぐな眼差しで庄一を見つめてラバーストラップを小さな白い両手で包んで伸ばしていた。

「ああ、わざわざ届けてくれたんだね。ありがとう」

 庄一は手袋に包まれた手で受け取り、優しく包む。

「搭乗手続きは大丈夫?」

「はい、一一時の東京行きの便に乗りますので」

 女の子は肯く、庄一は腕時計を見ると離陸まで一時間くらいはある。

「FEA東京行き六三五便かな?」

「はい!」

「そうか、一緒の飛行機だな」

「えっ? そ、そうなんですか!?」

 女の子は庄一の目を見るなり少し仰け反りそうになるが、驚いてるようにも見える。

「ああ、東京で夏と年末に開催される催し物に参加――」

「コミケですね!」

 女の子は期待の篭った眼差しで見つめると、庄一は思わず仰け反って肯いた。

「ああ……明日から三日間参加して翌日に羽田から――」

「私もなんです!」

 さっきとは立場が逆転してるような気がした。


 それからチェックインカウンターに戻って、少し早い手荷物検査場を通過する間にいろいろなことを話した。

 偶然にも泊まるホテルも一緒ということ、ついでに言うと彼女は一九歳で庄一と同い年の兄がいるという。

 コミケ参加経験は庄一はそれなりにあるが彼女――中島翼は今回が初めてだという。

 搭乗口前には既に多くの人がソファーに座っていてテレビにはアフリカ南部の国、バンゴラで内戦が続き日本人ジャーナリストが武装勢力に襲われて死亡した、と報じられていた。

「あっ、あれじゃないですか? 私たちの乗る飛行機、ゆめみちゃんカラーの!」

 搭乗口付近で翼は大学一年生にも関わらず、まるで小学生の女の子のように目を輝かせる。ガラスの向こうでは轟音を響かせながらFEAの青ではなくピンク色にペイントされたボーイング787-8が着陸、滑走路を駆け抜けながら徐々に減速していく。

 翼が好きな魔法少女アニメ『ゆめみ☆テイクオフ!』のキャラクターたちはボーイングの旅客機をモデルにしている、この前はゆめみたちとは別の町の学校に通う『みこな☆テイクオフ!』の製作が発表され、こっちはエアバス機がモデルでオンエアは近いうちだという。

 787はまるで無事に着陸してホッと一息吐いてるようにも見えた。庄一が787を目で追ってると、翼はその大きな瞳を輝かせながら唐突に訊いてきた。

「あの……川西さんは……いちはちゃんが好きなんですか?」

「というより、僕はボーイング747……ジャンボジェットが好きでね。あの巨大な翼に、四発エンジン……日本の空から姿を消したのは本当に残念だった」

 庄一は右手にある拾ってもらったストラップを見つめながら言う、ドイツのアイゼンフォーゲル航空の747-8がモデルとなったいちはのストラップだ。翼はすっかり庄一のことを信用してるのか、なんの疑いのない眼差しで見つめて言う。

「飛行機、好きなんですね」

 翼の言葉に、庄一は昔聞いた言葉を一語一句、鮮明に思い出した。


『飛行機、好きなんだね』


 翼の無邪気に微笑む顔がどこか懐かしく感じた。

 あの子に……似ている、あっと口を開けて目を丸くした。

「ん? 川西さんどうしたんですか?」

 翼は心配そうに小鳥のように首を傾げて声をかけると、庄一は首を振った。

「ああ、なんでもない」

「大丈夫ですか? あの、明日からが楽しみですね」

「そうだね、どっちから進入するのかな? 西館? 東館?」

「東館から行こうと思ってます!」

 何も躊躇いなく答える翼に庄一はある種の危うさを感じた。なんだろう? 彼女は今まで過保護に育てられてきたのかと言いたくなる。それに年齢の割には幼い外見だ、東京の渋谷や原宿辺りに行ったら危ないスカウトに引っかかりそうだ。

「東館からか、僕は三日間通して西館から行こうと思ってたが……一日目は東館から行こう」

 翼はまた首を傾げた。


 予定より一〇分遅れて搭乗開始すると、庄一は翼と一緒にボーディングブリッジに入る、翼は大きな瞳を輝かせながら小学生の子どものようにキョロキョロと見回す。

 やれやれ、これじゃ小学生と変わらないな。庄一はボーディングブリッジから機体に入る時に一瞬だけ優しく撫でるように機体に触れる。

 よろしく頼むぞ ドリームライナー(787)

 口元を微かに緩め、 客室乗務員(CA)に朗らかな笑顔で迎えられて機内に入ると穏やかなBGMが流れ、機体後方左側の座席に座る。窓側は翼が座ってその隣に庄一が座ると慣れた手つきでシートベルトを締める。

「飛行機にはよく乗る方なんですか?」

「ああ、仕事柄ね。君は初めてかい?」

「高校の修学旅行以来で……窓側に座るは初めてです」

「ならしっかり目に焼き付けておくといい、空の上は絶景だ……ただ、目が痛くなるから注意してくれ」

 庄一はジャケットのポケットからサングラスのケースを取り出し、レイバンのアビエイターをかけた。

「大丈夫です、ちゃんとサングラスも持ってきました!」

 翼はショルダーバッグの中からサングラスを取り出してかける。やがて機体が動き出すと天井からモニターが下向きに開き、離陸前の機内安全ビデオが流れる。

「あっ、動画に出てる人……ゆめみちゃん役の森高美波もりたかみなみさんです、しかもナレーションもやってます」

「確かに聞いたことのある声だね」

 機体は誘導路を経て滑走路に入ると、ポーンポーンとベルト着用サインが点滅してCAの声が機内に柔らかく響く。


『皆様離陸いたします、シートベルトをもう一度お確かめ下さい』


 787が滑走路に進入すると、一時停止。

 そしてロールスロイス・トレント1000エンジンが唸り、吠える。全長五六・七メートル、全幅六〇・一メートルの巨体が押し出され、加速すると後ろに引っ張られる感覚になる。

 人によっては座席に押し込まれるような、庄一にとっては馴染んだGを感じながら機体は滑走路を駆け出す。


 V1(離陸決心速度到達)翼はドキドキとワクワクが入り混じった表情だ。


 VR(機首上げ)機首が空に向き、やがて地上を離れて翼は窓の外に目をやる。


 V2(上昇開始)空に向かって上昇すると地上の景色がどんどん離れていく、だいぶ減ったが熊本地震で半壊し、ブルーシートで覆われた屋根が庄一の席からでも見えた。


 その間も翼は窓から見える光景に釘付けだった。

「うわぁ……凄い、町がおもちゃみたい! 阿蘇山ってあんなに広いんだ」

 787は離陸して十分な高度に達したところで左に機体を傾けながら緩やかに旋回、上昇を続けると眼下には阿蘇山が見える。大分県上空に入ると庄一は座席にある機内誌を取り、それを広げて地図を見せる。

「ほら見てごらん、この航路を飛んでいるからもうすぐ別府湾に入る」

 やがてベルト着用サインが消える、翼はまるで幼い少女のように瞳を輝かせていた。その表情に庄一は穏やかな笑みを浮かべながら、横顔を覗いていた。

「ふわっ!」

 機体が何の前触れもなく起きた揺れに驚く。

「あははは、大丈夫。何の前触れもなく揺れるなんていつもことだ」

 庄一は朗らかに笑う、翼は外の風景を見惚れていた。



 佐久間直人さくまなおとはゆりかもめに乗って国際展示場正門駅で降り、急ぎ足で向かった先は東京国際展示場、通称:東京ビッグサイトだ。

 直人は小柄な悪戯小僧がそのまま大人になったような男で、ガキの頃からの腐れ縁でニート兼アフィブロガー兼同人作家兼You Tuberの加藤一成かとうかずなりに参加しようと誘われたのだ。

 ビッグサイトの入口前では腕章を付けたイベントスタッフが忙しそうに準備に勤しんでる。年末にご苦労なもんだな、直人は感心しながら妻の実家に預けた幼い息子の顔を思い浮かべ、白い溜息を吐く。

 二階エントランスホールに入ると既に溢れんばかりの人がいて一成を探すと、すぐに見つかった。

「おーい直人! こっちこっち!」

 いたいた。熊本の名の通った大学を卒業してから定職に就かずフラフラしている幼馴染だ、ガッシリした体型で柔道部やレスリング部からスカウトされてたことがあり、学生時代から根っからのアニメ・マンガ・ゲームオタク、太い眉に丸い目、度のキツイ眼鏡をかけた愛嬌のある奴で、素早い運動は苦手だが成績は優秀だった。

「一成、今日は何をするんだ?」

「いいからいいから、もう説明や注意はオイラが聞いてるからついてきて」

 一成に言われるがままついてくる、東館の東3ホールに入ると大きな体育館を更に広くして三つ並べたような広さで、直人は思わず目を見開いて見回す。

「すっげー広いなここで遊んだら楽しそうだ」

「明日からもっと楽しいことが始まるぜ、もう測量が終わったから搬入が始まるな、あれ持ってきた?」

「ああ、軍手とタオルちゃんと持ってきたぜ」

「よし、オイラについてきて、おっ! 来た来た!」

 一成の視線の先には大型トラック、それも何台も入ってくる。

 後部のコンテナの扉が開くと、折り畳まれた机が慎重に降ろされる……ってあのトラック全部机を運んでたのか!?

「いくぞ直人! 気合入れて仕事だ!」

 一成はいつも気だるげにバイトへ行くが、今日はボランティアなのに全く違う顔で生き生きとした表情で机を運び、直人も一成や近くの人に助けられ、運んで設置、運んで設置を繰り返していた。

 外はクソ寒いのにも関わらず、そのうち汗が滴り落ちてジャンパーを脱ぎ、袖を腰に巻いて結ぶと、見知らぬおじさんからスポーツドリンクを貰って机の設営が完了した。

 さっきは何も空間だったのに一時間ぐらいか? あっという間に机で埋め尽くされていて直人から見れば壮観の一言だった。

「すっげぇ、あっという間に終わっちまった」

「すげぇだろ? これから椅子の搬入が始まるんだぜ」

 一成も袖を捲り上げて腕を組み、まるで建設現場で働く気のいい兄ちゃんのような顔になってる。直人は冗談ではなく、本心で言った。

「なぁ、一成お前フリーターじゃなくて土方で働けば? お前似合いそうだぜ」

「そうだな、うちの建設会社で働かんかい?」

 一緒に設営に参加してスポーツドリンクをくれた五〇歳くらいのおじさんが言うと、一成は必死で首を振る。

「おいおい勘弁してくれ、体力仕事は苦手なんだ!」

「ははははははっ、その割にはいい体つきしてるじゃねえか!」

 おじさんは豪快に笑う。なんかまるで……文化祭の準備をしてるかのように懐かしく感じてると、椅子を満載したトラックがシャッター前にやってくる。

「おし! 来たぜ!」

 一成は真っ先にそこへと急いで直人ももう一仕事だと気合を入れた。

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