最終日その1
最終日:戦いの終わり、明日への帰還。
「はい皆さん、コミケはまだ終わってませんよ!! 本店は本日最後の企業ブースになります、限定グッズもまだ半分以上残ってまーす!!」
熱心にコミケ帰りの人を捕まえようと女性の店員さんはガラガラになる寸前の声で叫ぶ、国際展示場駅にあるコンビニは勿論、周辺のお店は毎年稼ぎ時と見越していて補給基地は最後の追い込みをかけてる。
「うち、ちょっと何か買ってくるね!」
那美子は引き寄せられて店内に入り、混雑もあってか一〇分ぐらいしてやっと出てきた。買ったのはラバーストラップで翼はその間店の脇で待っていた。
「これ一つ買うのにも時間がかかるんだね」
庄一もスマホを弄りながら国際展示場駅に入る人たちを眺める。
「コミケの常識は社会の非常識、社会の常識はコミケの非常識と言う言葉があるくらいだからな……この分だとまだまだ続きそうだな」
「今日の常識が、明日の常識とは限らない」
早苗はボソッとドヤ顔で呟いた。
翼は試しに東京ビッグサイトから一番近い有明ベイワシントンホテルのサイトにアクセスするがなかなか繋がらない。だが今頃もう夏の分まで予約が満杯だという話しだ。
この光景も夏までお預け、翼は寂しさを感じながらも三日間が無事に終わったことを安堵して決意した。
必ず、今年の夏……この場所に帰って来よう。
りんかい線国際展示場駅から大井町駅でJR山手線に乗り換えると品川駅に降りる。乗り換えるたびに散り散りになっていく参加者たち、那美子や早苗とは品川駅で別れることになった。
「それじゃあ川西さん、中島さん、よいお年を!」
「よいお年を。中島さん、いい報告……待ってるわ」
那美子と早苗との今年最後の挨拶を済ませ、二人は京急線に乗り換えるため雑踏の中に消えて行った。いい報告か……できるかな? 翼は今になって不安が押し寄せてきた。
「中島さん一度ホテルに戻って三〇分休憩しよう、打ち上げにいいお店を知ってる」
「はい、楽しみにしてます!」
コンビニでお茶を買ってホテルに帰り、戦利品を置くと翼はカーテンを開けると東京の夜景が広がっていて東京タワーが見える。あの町にどれくらいの人たちがコミケに行ったんだろう? そう思いながら翼は軽くなった体をほぐす。
今度来る時はもっと体を鍛えて来よう、翼は空いた時間をゆっくり過ごそうとした時にスマホが鳴る。LINEでメッセージが届いてみると高校時代のもう一人の友人である川崎香澄からだった。
『翼ちゃん、英美ちゃんから聞いたよ! 素敵な出会いがあったんだって!?』
『うん、とってもかっこよくて、強くて優しいイケメンのお兄さんだよ』
翼は誇らしげに微笑みながら返事するとすぐに返信が来た。
『まあ羨ましい! その人に告白したの?』
『ううん、これから一緒に二人で打ち上げに行くわ……それからホテルのカウントダウンイベント、一緒に行くの』
『うん、このこと英美ちゃんにも話しておくね』
『英美ちゃんどんな顔するかな……ちょっと心配』
『明日の最終便に帰ってくるんだよね? 車の免許取ったから迎えに行くわ』
川崎香澄と絵文字やスタンプをつけながらやりとりすると、そろそろ出る時間で翼はスマホをポケットに入れて部屋を出るとエレベーターに乗ってフロント前に来ると庄一と合流した。
「すいません庄一さん、お待たせしました!」
「それじゃあ秋葉原に行こう、美味しいお店を知ってる」
庄一の表情は少し寂しげで何か思い詰めてるような感じだった、翼はやっぱりコミケが終わったのが寂しいのかなと思いながらJR品川駅に行って山手線に乗った。
直人は玲子、一成を連れて自宅がある都内のタワーマンションへと案内する。数年前にテレビで紹介されて有名人や裕福層が住むマンションとして都民の間では高嶺の花として有名だ、実際右隣の部屋は大物俳優で左隣はベンチャー企業の青年社長だ。
エレベーターに乗ると三〇階まで一気に上がる。一成は興味津々の表情で玲子は逆に青褪めた表情になって訊く。
「佐久間……あんたいつからここに住んでるの?」
「四年前から、今カミさんの職場の人も来てるって」
「へ……へぇ……どんな人だっけ?」
「スオミエアーのクルーたちさ、今日の午後に成田に着陸して大晦日は日本で過ごし、明日の昼過ぎにはヘルシンキ行きの飛行機に搭乗するってさ」
「なるほど、現役のCAとパイロットってこと?」
「ああ……エアバスA340――大型長距離旅客機のな」
確かそうだったと思うと直人。三〇階に到着すると部屋に入る。
「ただいま」
「おかえりなさい、コミケ楽しかった?」
訛りのある日本語で出迎えた妻――佐久間エミリアは長い銀髪に透き通った白い肌とパッチリした青い瞳に高い鼻の北欧美人で、直人は玄関に上がって一息吐く。
「ああ、遅くなった。紹介するよ、俺のハイスクール時代の友達だ」
「加藤一成です」
「あ、綾瀬玲子です」
一成と玲子が自己紹介すると、エミリアは微笑んでゆったりとした口調で自己紹介する。
「初めまして主人がお世話になっています、エミリアです。どうぞ上がってください」
「おじゃましまーす!」
「……おじゃまします……」
一成は友達の家に遊びに来たようにリラックスし、玲子は緊張した面持ちで上がるとリビングには今日成田に降りてきたスオミエアーのクルーが、フィンランド語で楽しそうに談笑していた。
「すいません遅くなりました、これから夕食作ります」
直人は英語で挨拶するとみんなが出迎えてくれて、白い口髭の男が急かす。
「ミスターサクマ待ってたよ。みんなお腹ペコペコだ。スキヤキとかいうのを早く食べたいと言ってるよ」
「わかってますよ、今から作ります」
直人が肯くと一成は訊いた。
「直人、この人はもしかして」
「ああ、マカライネン機長だ。元フィンランド空軍の戦闘機パイロットだ、ベランダの外を眺めてるのがライコネン副操縦士さ」
「スッゲェ!! マジかよ元戦闘機パイロットかよ!!」
一成は驚きの表情を見せるとマカライネン機長は微笑んで歩み寄り、一成は片言の英語とジェスチャーでコミュニケーションする。
玲子はというと、CAの中に日本人もいて彼女に通訳されながら英語とジェスチャーを交えながら自己紹介して早速話しの輪に入っていた。
息子はヘルシンキにある妻の実家にいて、ちょっと寂しいと思いながら今年最後の夕食の準備に取り掛かった。
秋葉原駅に降りると翼は周囲を見回す、行き交う人たちの中には企業ブースの袋を肩にぶら下げてる人がいて、あの人もコミケ帰りなんだろうと思うと思わず口元が緩む。
「あそこだよ、いつも三日目が終わると必ず食べに行ってるんだ」
庄一の視線の先にあるのは秋葉原の和牛専門店だった、和牛という言葉だけで翼は空腹感が増大して、猛烈にお肉をドカ食いしたいという衝動に見舞われる。
「あ……あの庄一さん、あ……あたし持ち合わせが残り少ないんですけど……」
「気にするな、今日は僕が奢るよ。諭吉二~三人分の損失は覚悟してる」
庄一の微笑みはまるで悪魔の誘惑だ、お金もそうだがそれ以上にカロリーがとんでもないことになりそうだ。しかもお正月には田舎にも行かないといけない、でも空腹には勝てないと思いながら庄一について行って高そうなステーキハウスに入った。
お正月明けに体重計に乗ったら大変なことになりそうだと思いながらメニュー表見る、美味しそうだけどかなり高い!
「それじゃあ……僕はロースの一三オンス(三六九グラム)にするか、中島さんは?」
「えっ!? ええっと! あたしはそのヒレ肉の……一一オンス(三一二グラム)もらっていいですか?」
「よし、じゃあ決まりだね」
庄一は気にする様子もなく、翼はああこんなにお肉を注文しちゃって恥かしい! 絶対庄一さん大食いだって思われちゃってるよぉおおっ!! 翼は恥かしいと思いながらもドリンクを注文すると庄一は黒ウーロン茶にオレンジジュースを注文した。
「それじゃあ三日間お疲れ様乾杯!」
「か、乾杯!」
乾杯して翼はオレンジジュースを飲むと、翼はふとこの三日間を思い出して訊いた。
「あの、庄一さんはお酒飲まないんですか?」
「ああ飲まない方なんだ、仕事仲間が酔いつぶれることが多くてね……僕が衛生兵のように介抱することが多いからそのうち飲まなくなったんだ……それに、君の前で酔いつぶれてみっともない姿を晒すわけにもいかないからね」
「うふふふふふ庄一さん、やっぱりかっこいいですね」
「そうかい? 僕はそんな格好のいい男じゃないよ」
庄一は謙遜するが、翼にはもう彼にはメロメロだった。
うちの馬鹿兄貴とは大違い、無精髭を薄っすらと生やしてだらしない格好と妊婦さんみたいにお腹の出た体型、おまけに三日に一回しか入らなくて臭いし、働こうとしないし見栄っ張りだし。
それに比べて庄一さんは優しくて、強くて、頭も良くて強くてかっこいいし、危ないところも助けてくれた。これって運命の出会いって信じていいのかな? 翼はそう考えながらも、食べ終わったら告白しようと決意した。
それから三日間の思い出話に花を咲かせながら、サラダやパン、注文のステーキを食べて食後の紅茶を飲みながら沢山話した。
食べ終わると、庄一は財布からゴールドカードを取り出して支払っていた。
「ありがとうございました、ポイントカードはいかかでしょうか?」
「いいえ、次に来るとしたら……八月のお盆の時期になるでしょう」
「コミケですか?」
庄一と同い年くらいのスタッフは微笑みながら言うと、庄一も肯いて訊いた。
「はい、やっぱりコミケ帰りの人いますか?」
「ええ、早い人は三時過ぎくらいには来ますよ。またの御利用、お待ちしてます」
スタッフさんも肯いて言うとお店を後にした。やっぱり人間考えることはみんな同じなんだと思いながら外に出て秋葉原中央通り、神田川の橋まで来ると翼は少し下を向いて心拍数が上がるのを感じながら落ち着くよう自分に言い聞かせる。
よし、伝えよう! 翼は前を歩く庄一に迷いを捨てて真剣な眼差しになって顔を上げた。
「庄一さん!」
「ん? どうしたんだい中島さん」
庄一は立ち止まって振り向く、抑えられない胸の高鳴りは今にも破裂しそうだけど。伝えなかったら一生後悔する、だから翼は心に秘めてることを告げた。
「あたし、庄一さんと三日間コミケに行って……あなたに、恋をしました! あたしは川西庄一さんのことが……好きです!」
庄一は少し間を置いて固まった表情になるが、やがて悲しげな微笑みに変わる。
「……なんとなく感じてたよ、君が僕に……恋心を寄せてるのを……」
やっぱり気付かれてたんだ、翼は頬を赤らめて俯く。でも庄一さんはどう思ってるのか知りたい、庄一さんのことが知りたい。
「でも君は、本当の僕を知らない。当然と言えば当然だろう。君に話してないことがある、いずれ話さなければいけないことだった。でも話した時、君は僕に失望し、幻滅し、拒絶するかもしれない」
庄一の表情は氷のように冷え切ってるようだった、それでも翼は恐れなかった。
「構いません、話してください!」
「ここは寒い……暖かい所がいいな」
庄一は周囲を見回すと、秋葉原の洒落た喫茶店に立ち寄った。
翼と庄一は一杯の紅茶を注文する。周りはカップルばかりで、もしかしたら庄一とカップル気分になっていたかもしれない、だが今はそう感じなかった。
「中島さん、君が僕に思いを寄せたのは本当に嬉しい。初参加の君とコミケに三日間参加して無事に終わらせたことは僕にとって誇りだ」
「あたしも楽しかったですよ庄一さん……初めて見た時正直怖いって思いましたけど今は違います」
「そうか、それじゃあ話すよ……本当の僕を」
庄一は重苦しい表情で言うと翼は真剣な眼差しで見つめながら肯いた。
「実は僕は今、無職なんだ……四月から八ヶ月の間、以前就いてた仕事で貯めた貯金で風来坊のようにブラブラしながら仲間と生活していた」
「以前はどんなお仕事をしていたんですか?」
「日本では考えられないほど危険で、過酷で、特殊な仕事に就いていた。前にフランスで仕事してたって話してたね。フランスに渡ったのは高校卒業してすぐ、家族や友人にも告げずたった一人で行った先は……フランス陸軍……外人部隊だ」
「外人……部隊」
翼も兄から聞いたことがある。アフリカや中東の発展途上国では兵士を育てる余裕がなく、優秀な退役軍人を金で雇って戦争するという話しを。
「そこで僕は世界中に派遣された。機密事項もあって詳しくは言えないが発展途上国や紛争地域だ……外人部隊の生活は想像もつかない程、厳しくて苛烈だった。特に訓練生の頃は昼夜問わず教官の物凄い怒鳴り声と凄みでビビッてたよ。睨まれるだけで殺されるんじゃないかと思うくらいだった」
話の内容とは裏腹に、庄一の表情は過ぎ去った日々を懐かんでるようにも見えるほど穏やかだ。
「訓練生の時に一緒に入った元陸自の人と一緒だったが、彼は途中で脱落した……聞けば第一空挺団だったらしい、元精鋭部隊の人でさえ脱落するほど厳しかった……幸い僕は高校で英語の成績は良かったから仲間とコミュニケーションを取れたしいろんな人と仲良くなった……僕は絶対に戻るもんか、戻ったら一生後悔すると歯を食い縛って耐え凌いだよ。訓練成績が良かったのかもしれない……配属先は地中海のコルシカ島だ」
庄一がコミケ前日に話していた所だ、そこでどんな仕事をしていたんだろう? 翼は食い入るように耳を傾ける。
「コルシカ島でも訓練漬けだった、だが新兵訓練の時以上に死と隣り合わせの訓練だ。僕が配属されたのは第二外人落下傘連隊で地獄の訓練、派遣、派遣先で実戦、戻ったら訓練を繰り返していくうちにGCP――パラシュートコマンドーグループいわばフランス外人部隊の特殊部隊に入った」
「庄一さんは……元特殊部隊員なんですね、ミリオタの兄が聞いたらきっと話しを聞きたがりますよ」
翼は怖がらず微笑みながら言うと、庄一も苦笑して言う。
「中身は話せないけどね。戦場で仕事してるうちに友達ができたり、失ったりしていくうちに日本人の仲間と知り合ってね……一緒に仕事しようと外人部隊を退役したんだ……でも、あまりにも沢山の死を見過ぎたし命を奪い過ぎた。生きるためとはいえ……僕の手はもう血みどろなんだ、僕はまた明日……戦場に帰るよ、日本はもう……僕の帰る場所じゃないんだ」
庄一の表情は悲壮に満ちていた。だからあの時、手を繋ごうとした時拒絶したんだと一日目の終わりを思い出す、庄一さんがそんな人生を送っていたなんて、それでも……翼は顔を上げて迷うことなく庄一の目を見つめて言った。
「それでも……それでも! あたしは庄一さんのことが好きです! 例え遠くに行っても帰りを待ってます!」
翼は迷わなかった、庄一の表情は一瞬だけ嬉しそうな顔になったがすぐに首を横に振って悲しみを堪えるような顔になる。
「中島さん、僕は明日の夜……羽田からシンガポール経由で南アフリカに行く、新しい仕事先はケープタウンだがそこでしばらく訓練したらバンゴラに派遣されるだろう……国境警備になるかもしれないし、銃弾や砲弾が飛び交う最前線での警護任務になるかもしれない」
その国なら翼も空港のテレビで見た、アフリカ南部の小国バンゴラで内戦が勃発して日本人ジャーナリストが亡くなったことをニュースで見た。
「バンゴラ……どうしてそんな危険な所に?」
「僕はもう……平和な日本で暮らすには戦場に馴染み過ぎた。それに生活費も稼がないといけないし仲間も待ってる、僕を必要としてる人たちが……あそこにいる」
それは仲間とも言えるしバンゴラの人々かもしれない、あそこに行けば命を落とす可能性が高いのは確実だ。翼は手を握り締める、本当は行って欲しくない。日本で暮らして少しずつでもいいから平和な日本人に戻って、戦争のことは忘れて欲しい……そして夏もまた一緒に行きたい。
「庄一さんは……行きたくないとか、怖いとか思うことはないんですか?」
「怖いと思うことはあっても、行きたくないとは思わないね。行かなければ仲間が命を落とすし、助けられる人も助けられない。内戦で明日をも知れぬ日々を送ってる人たちを守れるのは俺たちだと」
庄一の瞳は静かに炎が燃えてるようにも見え、翼はこの人を止めてはいけないような気がした。だけど、胸を張って言える、この人のことを好きになって本当によかった。
喫茶店を出ると秋葉原駅に向かう道中、翼は優しく言った。
「庄一さん、あたしと手を繋ぎましょう」
「でも僕は――」
「それでもあたしは、庄一さんと手を繋ぎたいんです……怖がらないで下さい」
翼は庄一があの時拒絶したのは今なら言える、手を繋ぐことを怖がってたのだ。
庄一は震える手で恐る恐る翼の隣に手を伸ばすと、翼は優しく手を握った庄一の手はゴツゴツした岩のようでよく見ると切り傷の跡がある。
「女の子の手って……細くて柔らかいんだね」
庄一にそう言われると翼は耳まで赤くなってマフラーに顔の下半分を埋める。秋葉原駅に到着すると山手線に乗って品川駅で降りてホテルに帰る、今年も残すところあと数時間だった。
「庄一さん、そういえばカウントダウンイベントチケット……持ってます?」
「ああ、もしかして君も?」
「はい! 一緒に行きましょう!」
翼は庄一のために精一杯の愛らしい笑みで肯いた。この人のために精一杯楽しもう、例えそれが最期の思い出でもずっと忘れないつもりだ。