三日目その1
三日目:欲望と妄想の最終決戦
一二月三一日午前八時四五分、世間では大晦日だがここ東京ビッグサイトでは冬コミ最終日を迎えていた、それはまさに今年最後の最終決戦。
庄一はいよいよこの日がやってきたと気を引き締める。三日目は所謂男性向け、評論、オリジナル雑貨だが半数以上は所謂成人向けの薄い本だろう、しかし翼たちは何を買うつもりだろうかと思いながら訊こうとした時だった。
「中島さんは何を買うつもり? うちは男の娘逆レイプ本におねショタ本!」
「あたしは弟×姉の近親相姦ものかな」
那美子と早苗はサラッとディープなネタを口にして思わず引いた。そして翼も少しぎこちない口調で言う。
「あ、あたしは百合ものかな? ゆめみちゃんとむつなちゃん、あとみつぎ君の本かな? 庄一さんはどんなのを買います?」
「えっ!? ああ僕はそうだな……オリジナル路線で行ってるサークルを中心に回ろうと思ってる」
庄一はオドオドしながら言うと、那美子は察したかのように見つめながらニヤける。
「察してあげなよ中島さん……今日は男性向け、つまりエロ曜日ですからね」
「否定はしない。本能といかに向き合い、折り合いをつけられるかだ」
庄一は苦虫噛み潰したような表情になり、我ながら見苦しい言い訳をする。
翼もなんとも言えない表情になる。
「……庄一さんも男の人だから……ね」
翼はモジモジしながら上目遣いで見つめ、思わず庄一は目を逸らす。それにしてもさっきから感じるこの空気は相変わらずだ、最終日と言うこともあってみんな気を引き締めてるのか、表情が殺気立ってる人もいる。
中の様子はどうなってるんだろう?
事前に渡されたサークルチケットで直人は玲子、一成と三人で島中サークルスペースにて準備にかかる。開場まであと一時間ぐらいだった、一成が主催するサークル『ブラックボックス』の新刊は『ゆめみ☆テイクオフ!』に登場する伊丹みなこの成人向け薄い本だ。
しかも監禁陵辱系の奴で正直見られたもんじゃねぇ……そういえば一成は言ってた。
同人誌とは描いた人の欲望と妄想の産物である。だとしたら一成は妄想の具現化を同人誌にすることで欲望を発散してると考えると……いや、こいつがそんなことできるはずがない。
「一成君って……いつもこういうの描いてるの?」
「ああ、だから言っただろ? エロ漫画売って細々と生活してるって」
「高校の頃から変わらないと思ってたら……以前に比べて悪化してたわね」
玲子はドン引きしながらも準備を最後まで手伝ってくれて、一成は気にする様子もなく微笑む。
「ははははは、オイラは昔から二次元に生きてる男さ、スタンバイはこれでOKだ。あとは好きにしていいぜ」
「いいのか? 売り子くらいするぜ」
「一人でも大丈夫さ! オイラ……いつかはあそこに立つのが俺の夢なんだ」
一成の視線の先には外周部を囲むように配置された壁サークルで、玲子もその視線を追う。
「確かにあの外周部のスペースなら動きやすそうね」
「あそこに配置されるのはプロのだったり人気の作家さんたちなんだ。サークル参加者の夢や目標の一つでもある、オイラもいつかあそこに立つんだ!」
一成はまだ夢や目標を追っている、高校の頃はラノベ作家になりたいとか漫画家かイラストレーターになりたいとか、オタクに関わる仕事がしたいと言って定めてなかったが、ようやく目標を見つけたという訳か。
まあ一成によればコミケでスカウトされてプロになった人もいるという。人生を周回遅れで遠回りしてるが一成もそれで食っていけるといいなと、直人は彼に対する考えを改めようとした。
「そんで可愛い女の子のファンを売り子さんにして、俺の作った変態エロ漫画を売らせる羞恥プレイをさせてコミケ後は――ぐぼっ!」
「それ以上言うなこの変態!!」
前言撤回!! やっぱりこいつは進歩してねぇ! と直人は一成の頭部を真っ二つにせんばかりにチョップを入れた。
翼はコミケ最終日開始の放送を今か今かと待つ。泣いても笑ってもこれが最後の日! 絶対に笑って帰れるように頑張ろう! そして庄一さんに告白してまた夏コミも一緒に行こうと伝えよう。そう決意した瞬間、アナウンスを告げる電子音にメロディが鳴り響き、翼は大きく手を叩く。
『ただいまよりコミックマーケットXX三日目を開催します!』
今年最後の最終決戦が始まった。
「始まりましたよ庄一さん!」
「ああ、降りたら一度解散して今日は一二時頃にまたタリーズコーヒーに!」
「はい!」
庄一は東4・5・6ホールで、翼は東1・2・3ホール、昨日と一昨日で回ったからもう大丈夫、翼は自分に言い聞かせると、那美子が付いてきた。
「堀越さんもそっちに行くの?」
「うん、だけど中島さん三日目を甘く見ないほうがいいわよ! 一日目は前哨戦、二日目は本戦、三日目は最終決戦よ!!」
翼は那美子の言ってる意味をすぐに知ることになった。最初の壁サークルを目指して進んで庄一さんの教わったとおりに迂回するが今日は人口密度が非常に高い、翼は比較的薄い通路に入ったその瞬間!
「はいここは入れませんので、ここを右に曲がって迂回して下さーい」
スタッフが塞ぐ通路の向こう側は高密度の人の流れ、不謹慎だが黒の服装が圧倒的に占めていてまさにドス黒い津波のようだ。男津波と呼ばれてるのが少しわかった気がすると思いながら指示通り、右に曲がるが狭い通路にギュウギュウ詰めで圧縮されて人の流れも意外と速い。
「うわぁ……これ、抜けられるの……」
翼は思わず尻込みして弱音を吐く、目の前の人の流れは翼の行きたい方向とは逆でこの流れを渡らないといけない。
「モタモタしてる暇はないわ中島さん! 行くわよ!」
「ああ堀越さん! 流されちゃうわよ!」
「ここで踏みとどまってたら目当ての同人誌が買えないわ! それでもいいの!?」
「あ、それは……」
「戦利品は試練を乗り越えた者だけが手にすることができるのよ! 腹を括ってうちに掴まって! 行くわよ!」
翼が那美子の肩を掴むと、那美子は躊躇わず激流に飛び込むかのように入り、翼もすぐ後ろに続くと那美子は身を委ねるかのように流れに乗るとどんどん目標のサークルから離れて行く。
「は、離れて行くよ!」
「いいからうちに掴まって、もうちょっと……もう少し……もう少しよ!」
那美子は流れに乗って僅かな隙間に入り込んで歩きながら端から端へと移動する。
「中島さん、合図したらUターンよ!」
「う、うん! わかった!」
「レディ……ターン!!」
那美子の合図に合わせて背中に張り付くようにターン、来た道を戻ることになったがようやく外周部に近づくことができた。
「よし、もうすぐだ! それじゃ中島さん後は自分で頑張ってね!」
「お気をつけて!」
ここで那美子と別行動を取って目標のサークル『ローテート』に向かう。よかった列はそんなに並んでいないと思いながら立て札を取ろうとした瞬間、表情が強張った。
「ここは列の途中です」
列はどこ? どこ? と見回しているとスタッフの金切り声が響く。
「はい列通りまーす!! 『ローテート』さんの列は外にありまーす!! 列通りまーす!!」
列は外だ、翼は人混みに揉まれながらトラックヤードに出るとどれが『ローテート』の列だろうと思いながら探すとようやく見つけた! 最後尾に並ぶとようやく一息吐いたが開場から既に三〇分近く経過していた。
翼は焦る気持ちを抑えながら自分に言い聞かせる。落ち着いて、部数はたっぷり用意してくれてるからまだ残ってる、きっと買えるわ。
「羽田ゆめみ抱き枕カバーセットたった今完売しました! たった今羽田ゆめみの抱き枕カバーセットが、たった今完売いたしましたのでご了承下さい!」
サークルの売り子さんが叫ぶと何人かの人がなんとも言えない表情で列を離れる、翼はうろたえることはなかった。目標は『ゆめみ☆テイクオフ!』のコミカライズとアイキャッチのイラストを担当したジャッカルさんの新刊だ。
それにゆめみちゃんの抱き枕カバーはもう既にわざわざ予約して買ったから大丈夫、翼は焦る気持ちを抑えながら順番を待つ。幸い列の捌き具合は良かったらしく程なくして自分の番が来た。
「あ、あの! 新刊一冊下さい!」
「はい、ありがとうございます五〇〇円です」
売り子の女性は三つ編みお下げに丸眼鏡と地味な風貌だが顔立ちは若々しい幼な妻で、明らかにお腹が大きくマタニティウェアを着ている、もしかしてと翼は訊いた。
「あの、もしかしてジャッカルさんですか? この前妊娠したって聞きました!」
「ええ、もう五ヶ月ね。できるだけ産休ギリギリまで頑張ろうと思ってるわ」
ジャッカルさんは慈愛に満ちた女神のような微笑みでお腹をさする。
「あの! 絶対に無理しないで下さいね!」
「ありがとう……無理しない程度に頑張るわ。はい、どうぞ」
「ありがとうございました!」
翼はお礼を言ってサークルを後にする、赤ちゃんか……あたしもいつか庄一さんと……いけないいけない! 妄想してたら完売しちゃう! 翼は次の壁サークルに向かうとドキドキしながら並ぶ回りを見ると男性が八割だ。
当然と言えば当然だろう、今日は男性向けで今並んでるのもみつぎ君とゆめみちゃんのエッチな薄い本だ。やっぱり男の人もそうだけど、ついつい妄想しちゃうよね……みつぎ君とゆめみちゃんがしちゃうの。
「はい列移動しますので私より前の方は手を挙げて下さーい!」
「ああっ、はい!」
翼はつい手と一緒に声を上げてしまい、顔が赤熱するくらい恥かしかったが誰も気にする様子もない。気遣ってくれたのかなと思いながら移動すると、予定通り薄い本をゲットする。
やだぁ……あたし買っちゃったよぉ……みつぎ君とゆめみちゃんの不純異性交遊な本……ああでもまだ、いちはちゃん×ななみちゃんの百合本も買わないと。
翼はホール内の壁サークルに並んでどうにか買って、島中も回った。
途中みなこちゃんを誘拐・監禁・陵辱・性奴隷にして孕ませる本を描いてるサークルを目にして思わずギョッとしたが、スルーして目標のサークルに行って買う。
よし、次は向こう側のホールだと思っていた瞬間、黒いスーツにサングラスの屈強な男たち、それこそ庄一みたいな人、数人を連れたアラブ人とすれ違った。翼は思わず立ち止まって振り向く、そういえばここ最近のコミケにはアラブの石油王が来てると話題になってた。
そういえば今回のコミケにもゴージャスなセレブ姉妹も来てるという、庄一さんももしかしてああいうガードマンの仕事してるのかな? まあいっか、あとで聞いてみようと翼は東ホールに入る。
次のサークルさんはこの大混雑のど真ん中……でもそこで手間取ったら東4・5・6ホールの物が手に入るか? ここで翼は自分のミスに気付く。先に東4・5・6に行けば東7ホールにもすぐに行けた。
ジャッカルさんのサークルにこだわり過ぎたと自分のミスを悔いる。
翼は入れそうな通路を探すがどこもかしこも多すぎる。そうか、開場して約一時間が経つ、第一目標の壁サークルを回って次の島中狙いの人たちが集まってるんだ! それならと翼はタイムロスを承知の上で大回りで歩き、東3ホールから出ようとする。
「ただいま東3ホール入口が大変混雑してますので一方通行です! こちらからは出られませんので東2ホールから出てください!」
スタッフが混雑にも負けない声で張り上げると、翼は焦る。反対側ホールの壁サークルは東6ホールだ、翼は走らないように注意しながら早歩きで人混みの流れに乗って東2ホールから脱出すると足が痛いことに気付く。
痛い……でも、まだ倒れるわけにはいかない! この痛みは……生きてる証よ!
翼は生きてる実感を感じながら東4・5・6ホールに進入後、トラックヤードへと出たがそこで一度休むことにした。これ以上続けたら歩けなくなりそうだった。
翼はやっぱりもっと運動しておくべきだった、と自分の甘さを痛感しながらベンチに座ってスポーツドリンクを取り出して少し休むことにする。この辺りはコスプレエリアとしても開放されてるのでアニメやゲームのキャラクターになりきったレイヤーさんがいて撮影を楽しんでいる。
「あ……『くうこうぐらし!』のルチアちゃんがいる……眠い」
翼は思わず欠伸する、少し休もう昨夜は一二時前に寝て起きたの五時半だから少し休もうと全身を伸ばす。まだ回るサークルはあるけど買えなくてもいい、同人誌を買うよりもこのコミケを楽しむのが目的なんだから。
「――それでよぉさてはリア充だなって、言ったら彼女の方がコミケデートだってふざけたんだ、それでオイラがミニミを向けたら彼氏の方が一瞬で引き倒して銃を奪ったんだよ。一瞬で倒されたうえに殺気が凄かったぜ」
「その人どんな感じだったの?」
「うーん彼女さんの方は女子高生かな? 男の方は二〇代後半のイケメンって感じだったよ。きっと未成年に違いないぜ、手を出す前に捕まればいいのに!」
一成は嫉妬してるのか、昨日のことを玲子に話している。
「そうね、あたしみたいな大人の女性と付き合うべきなのに」
直人は開場から全く一人も来ないことから焦っていた。それは玲子も同じことを考えてるのか、それともどうせ来ないと考えてるのか、逆に落ちついた様子だった。
「ねぇ一成君あそこのサークルもう完売したみたいだけど、こっちはどうなの? まるで来る気配がしないわ」
「まぁまぁまだ一時間しか経ってないぜ、これからだ……でも今さっきの女の子スゲェ可愛かったな、昨日見たことあるような気もするけど……俺の本を見ていけばよかったのに」
一成は焦ってる様子はない、確かにさっきジャンガリアンハムスターのような幼さを残す可愛い女の子が一瞬見たが、明らかにドン引きしていた。
一成はのんびり呑気に待ってる様子で玲子は逆に表情を引き攣らせる。
「あんたのこの穢れを知らなさそうな幼くて可愛らしい中学生の女の子を不潔なキモデブのオッサンが誘拐して、どす黒くてドロドロとした欲望の限りを尽くして監禁・陵辱・性奴隷のフルコースで穢す本を見たらドン引きされるわよ……ヤダッ何この人、中学生の女の子にこんなことしたいの? 気持ち悪い……ってね」
「それがいいんだよぉ蔑まれるような目で見られるのが、マナー上貶めるようなことを言っては駄目だけど贅沢言うなら今のような子に衆人環視の前で罵られたい」
「……あんたがドMだということを忘れてたわ」
「至福の三年間だったぜ、玲子ちゃんだけの犬になってさ」
一成は懐かしそうに両腕を組んで今か今かと待ってる、すると席から立ち上がってまるでもうすぐ買いに来る人を知ってたかのようだ。
するとこう言っては失礼だが年食った一成みたいな肥満体型の白髪交じりのおじさんがやってくる。
「すいません、新刊一冊下さい」
「はい、五〇〇円です」
ようやく一冊売れた、かと思ったら痩せ細った黒縁眼鏡の大人しそうな印象の青年がやってきて三冊買っていった、曰く他のサークルにいる二人の友人から頼まれたという。
更に数分置いて一冊だったり二冊だったりと数分おきにやってきては買っていく。
中には一成のファンだという人も来ていて、純粋に楽しそうに言葉を交わしながら買って行った。
直人も対応を手伝いながらも内心では困惑していた。
買ってくれる人には大変失礼で悪いんだが……さっきから来る人はどうも所謂キモヲタという部類に入る人たちが圧倒的に多い。勿論普通の人も来るが元ネタの伊丹みなこって小学校低学年に見えるが、設定上確か中学一年生だぞ……そんなにこういうのが好きなのか?
いや一成も確かにロリコンだが、それ以上に買ってくる人たちもかなり濃い。
まず圧倒的に眼鏡率が高い、あと年齢層的には外見から単に顔が老けて見えるだけかもしれないが推定して二九歳~五〇歳前後くらいと比較的高い。
それと綾瀬も気付いてるかもしれないが冬にも関わらず、風呂に入ってないのかそれとも体に良くない食生活や生活習慣なのか中にはスゲェ臭い奴もいた。これが夏だったらクサヤかシュールストレミング――には及ばないかもしれないが、ヤバそうだ。
服装も――これは一例だが、黒一色で逆に目立つような感じだ。髪は長く真っ直ぐ伸ばしている奴もいれば薄らハゲの人もいた。
直人も秋葉原には時々行くが滅多に見かけないくらいで、さっきの肥満体型の白髪おじさんや黒縁眼鏡の痩せた男がまともに見えるくらいだ。
玲子はマジックで書きながら売れた数を数えていた。
「これで三二冊、確か六〇冊作ったから半分以上売れたわね」
「ああこれからだ。そろそろ落ち着いてきた頃だし、二人とも見回って来ていいぜ……俺は一人で大丈夫だから!」
一成は鞄からおにぎりとペットボトルのお茶を取り出す、サークル参加にも慣れているようだ。一成がそう言うと玲子はまるであの時のように気さくな微笑みで誘う。
「ねぇ佐久間、昨日みたいに一緒に行こう」
「悪いが今日は一人で回るよ、これ以上やったら女房に殺される!」
「ええ何で?」
「うちの女房はヘラジカの狩猟ライセンスを持ってるんだ。このことがバレたらお前もろともライフルで撃ち殺される!」
直人は一度、フィンランドで妻のヘラジカ猟を見に行ったが体重八〇〇キロを超えるオスのヘラジカを自慢のサコーライフル一発で倒したという。
「というわけで行ってくるぜ」
「待ってよ、高校時代の友達のよしみでさぁ!」
「わかったわかったそれじゃあ……あんまりくっつくなよ」
直人は溜息吐きながら肯いた。




