体
彼女はカーテンで囲まれて薄暗かったのだが顏色が悪い。拓司とは違って本当に体調が悪いのだとすぐに理解できるほど辛そうだった。本物の体調不良者がいることもあって拓司は静かに午後の時間を過ごした。しばらく経って拓司はベッドの上で眠っていた。目が覚めた時に時計に目をやると、まだ三十分しか経っていない。薄いカーテンを挟んですぐ隣のベッドではさっきの女の子が寝ている。姉がいる拓司には女が近くにいることは珍しくない。しかし年の近い女の子にはあまり免疫がなかった拓司にとっては、隣に女の子が寝ていることがどうにも変な感じがした。
拓司は先生と雑談しようと思いベッドから起き上がった。五分ほど話をしていると、先ほどの女の子が起きてきた。さっき見た時より心なしか顏色が良くなったように見える。
「うるさくしちゃったかな? さっきはゴメンね。」
「気にしないで下さい」
「調子は良くなった?」
「少しだけ」
どうにも歯切れが悪い返事しか返ってこない。そこで拓司は自己紹介を兼ねて少しお喋り始めた。
「俺の名前は拓司。林拓司です。よろしくね」
「私は八木栞里です」
やはり警戒されているのか、単調な返事しか返ってこない。
「何年生?」
「一年生です。何年生の方ですか?」
「入学して早々体調崩しちゃったの? 災難やな。俺は普通科の二年だよ。」
「生まれつき体が強く無くって…… 私も普通科です」
あまり触れられたくない話題だったのか、栞里は俯いてしまった。
「そうなんや。変なこと聞いてゴメンね」
「いいえ……」
拓司は明るく努め、別の話題を持ち出した。
「入学して学校の印象はどう?」
「楽しいですよ。今のところは」
今のところは? 何だか意味ありげな返事だったが、あえて触れずに会話を続けた。
「地元はどこなん?」
栞里から返ってきた町の名前は知らない土地だった。後から知った話しだが、栞里の地元は片道三時間はかかる場所だった。
「全然知らんな」
「でしょうね。県北の小さな町ですから」
「通ってんの?」
「まさか! 寮に住んでいます。通おうと思ったら始発に乗っても遅刻です」
そういって栞里は笑った。笑ったといっても、とても控えめに。それでも拓司が見る初めての栞里の笑顔だった。拓司は栞里が笑ってくれたことが嬉しかった。
「そんなに遠いんや! でも寮の生活って窮屈そうやな。門限とかあるやろ?」
拓司の通う学校には学生寮がある。男子寮は自転車で十五分ほど走った場所で、女子寮は学校の敷地内にあった。そのため女子寮では門限が七時と決められていた。
「そうなんです。他の皆は運動部の人たちばっかりだから生活スタイルとかもちょっと違うし」
「皆たくましい人たちが多そうやもんね」
「そうですね!私が晩ごはんのおかずをあげたら凄い喜ばれて! 気持ち良いくらい美味しそうに食べるんですよ。見ている私の方が気持良くなります」と言って嬉しそうに笑った。
「友達はできた?」
拓司はさっきから質問攻めだなと反省していた。
「はい。寮の数人とは仲良くなりました」
栞里から出てきた名前は驚くことに拓司と同級生の名前だった。拓司と一年生の頃から同じクラスで、気が合う友達の彩花の名前もあった。
彩花は距離を詰めるのが上手な子だった。一年生の頃に隣の席になった時も彩花の方から声をかけてきたのを今でも覚えている。誰とでも気兼ねなく話ができる活発な女の子で、隣県からスポーツ特待生としてテニス部に所属している。テニスの成績は優秀で二年生では一番の実力者なのだと聞いたことがある。
学年が上がっても彩花とは同じクラスで、仲の良いクラスメイトの一人である。悩みができると一番最初に相談する相手でもあった。
「彩花と仲良かったんや! そういえば新入生に小さくて可愛い子が入ってきたって言ってた気がするな。もしかして八木さんのことやったんかな?」拓司がそう言うと栞里は
「小さいのは私だろうけど、可愛い子が付いていたのならきっと私じゃないですね!」
と冗談っぽく言って笑った。拓司は栞がそんな笑い方をすることを一つ知った。
「新入生の寮生って何人くらい入ったん?」
「部活に入っている子が五人で部活に入っていないのは私一人です」
「じゃあ他の寮生が帰ってくるまで暇やな。彩花とはなんで仲良くなったん?」
「寮で初めて喋ったのが彩花だったんです。新しい環境になって心細かった時に彩花から話しかけてくれて…… すごい嬉しかったな」
「まあ彩花なら先輩、後輩関係なく誰とでも仲良くなれるやろな」
「本当そうですよね。彩花のあの性格憧れるな……」少しの沈黙の後に栞里が喋り始めた。
「実は私、彩花と同い年なんです」
拓司はその告白に変な感覚を覚えた。彩花と同い年ということは、つまり拓司とも同い年ということだ。拓司の表情を読み取って栞里は続けた。
「身体が弱くて中学三年の受験前にストレスで体調を崩しちゃって…… それで一年入学を遅らせたんです。でも大学ならともかく、高校で浪人ってあまりいないじゃないですか。せっかく入学しても周りに後輩の子ばっかりって思うと憂うつになっちゃったんですよね。」
「さっきも言った通り、小さな町だと進学する高校も絞られるんです。そうなるとやっぱり知った顔が多くて…… ですから知らない人ばっかりの学校になると県南の学校になってしまうんです。そして寮のある学校ってなると余計に少なくて」
栞里はどこか後ろめたい話をする様に、誰かに弁解する様に言葉を選びながら話した。
拓司はなぜ栞里が申し訳なさそうに話すのか分からなかった。別に栞里が悪いことをした訳でもないのだから栞里がそんな顔をする必要はない。
「じゃあ俺とも同い年なんやんか! それなら敬語で話すの変やないか? タメ口で話したらええやん! 堅っ苦しいしさ!」
栞里からしたら勇気が必要だったろう告白に対して拓司の返答はどこか間抜けな答えだった。栞里は肩透かしを喰らったような複雑そうな顔をしている。
「でも…… 正体を明かしていきなりタメ口って変じゃないですか?」
正体……いよいよ拓司には訳が分からなくなってきた。
「なんやねん。正体って! そんなん一線を引く理由になんかならへんやろ。あっ! でも別に強制してる訳やないで。その一線を守りたいなら無理することは無いからな」
栞里はつとめて笑顔を作っているが、笑い切れていなかった。
「ごめん! 別に威圧するつもりなんか無いんよ。自然と方言が出てまうねん! さっきまでちょっと緊張してたから、ようやく普通に話せるようになって緊張が緩んでもうてん。ちょくちょく関西弁が出てくることあると思うけど、別に怒ってる訳やないんやで」
「関西弁……」
「中学生の頃まで京都に住んでてん」
「なんか新鮮ですね」といって笑った。
そこで先生が会話に入ってきた。
「お二人さんなんか楽しそうな所申し訳ないけど、ここは調子が悪い人が休む場所なんだから元気な人がいてもらっては困るんだけど」
あまり騒ぐなという警告だった。
拓司はしまったと思い、少しだけ声のトーンを抑えて話を続けた。
「まあそういう意味では俺も八木さんと同じで、周りとちょっと違う所がある人ってことやな」といって笑った。拓司の一言に栞里は少し安心したのか
「八木さんじゃなくて栞里で良いですよ」と言った。
栞里自身も少し緊張の糸が解れて来た様子である。
「じゃあ慣れるまで栞里ちゃんって呼ばせてもらおうかな。いきなり呼び捨てはちょっと恥ずかしいねん」
と言ったが、栞里は
「彩花のことは呼び捨てにできるのにね」
と言い返すことができるようにまでなっていた。始めの会話からしたら大きな進歩である。