忘れていた一枠
ショッピングモール『メルルーサ』にて唐突に決まってしまった宝石姫との戦闘。内容が内容故に歓迎会はお開きとなり、各自早めに帰宅する事になった。
一応歓迎会が途中で終わってしまったのは悲しいと思っているが、正直それよりも重要な事が椿の頭の中を巡っていた。
宝石姫、彼女は明らかに椿の事を知っている。そして恐らく、椿も彼女の事を知っている……だろう。確信が持てないのは、最後に会ったのが二年前だからだ。
無礼な宴会三番機、二つ名は『劇場撃槍』。槍での優雅な戦い方と有名な劇作家の名前を掛けてこの様な二つ名が付いたらしいが、当時の彼女は劇作家の名前と同じだと言うところで喜んでいた。
三番機の搭乗機は騎士系統第一世代機のシュタールであった。騎士系統第二世代機であるエスメラルダに今現在乗っていると言うのなら、機体は順当な進化を遂げたと言うべきだろう。そして前に乗っていたならば、イベント時のシュタールでの強さも説明は出来る。
宝石姫が三番機である、そう言い切れるだけの情報は手元にある。だが、何故かそう決め付けたくない自分がここに居る。あの瞬間に今生の別れと思い散ったから、だろうか。
とにかく。
宝石姫の件は良い、明日部活で作戦会議がてら話せば良いのだ。それよりもある意味重要な大きな問題が目の前に横たわっているのだから。
椿が立っているのは自宅の前、それも扉の前だ。別に鍵を忘れた訳ではなければ、門限に間に合わず締め出された訳でもない。
原因は夕方のメールだ。件名は殺すぞ、メール本文は良いとして添付された画像は包丁。夕飯は要らないと送っただけでこれだ。
このまま扉の前で対処策や何が起こるか等を考えているのも良いが、入るのが遅れると何かを言われるかもしれない。そうなってしまえば本末転倒だ。
椿は意を決して扉をゆっくりと、物凄くゆっくりと開いていく。今頭の中で警戒しているのは扉を開けた瞬間包丁が飛んでくる事、それか玄関に包丁が降り注ぐ事である。
しかし、扉を開けきり玄関に入り靴を脱いでも何も起きない。玄関ではなくリビングに全ての罠が設置されているのだろうか。いや、まずやるべき事があるだろう。
「ただいまー……?」
「おかえりー」
そう、アイサツーーいやまあ当たり前なのだが、可愛らしい声がリビングの奥から響いてくる。声色からは殺気を感じない、だが目を合わせるまでは気を抜く事は出来ない。
自宅の中だと言うのに抜き足差し足でリビングへと向かい、ゆっくりと顔を出してみる。
そこでは小学生程の背をした少女が、テーブルの上に砥石を置いて熱心に包丁を研いでいた。だが椿が顔を出しているのを見つけると、輝く様な笑顔を浮かべて口を開いた。
「座れ、夕食だ」
「あっ……はい」
可愛らしい声で、この台詞。小さな背のせいで椿と並べば兄妹と間違えられる様な彼女だが、実際はこの空間、この倉掛家の最高権力者にして椿の母親かつ師匠である。
その名も倉掛みずめ。電車に乗る時、大人切符を買って駅員に指摘されてから年齢をバラす事を生き甲斐とする、どうしようもない四十手前の大人である。
ともかく、リビングに入るまでの懸念は無駄だった様である。全く怒っていないではないか、メールの添付画像も研ぐのを忘れない様にとのメモ代わりだったに違いない。そうだ、そうに違いない、そう思わないと気がどうにかなりそうなのだ。
しかし、それは一瞬の気の緩みであったと確信する事になる。
「あの、これは?」
「夕食に決まってんだろ。外で何ヤってたかは知らねぇけど、どーせ腹が空いてねえんだろ?」
夕食と称され椿の目の前に置かれた小さな器には、白い何かが乗っていた。試しに箸で突いてみるがとても柔らかく、結構薄い……何だろうか。
「湯葉は嫌いか? みずめちゃんは好きだぞ」
「湯葉だけで夕食ってのは難しくありませんかね、そもそも湯葉じゃ腹は膨れないんじゃ」
「ほォ、文句か。ならこっちがイイかもな」
その言葉で白い何かは下げられ、小さなお椀が目の前に置かれる。中を覗いてみると、そこには蕎麦が。
仕方なく食べようかと思って箸を取ろうとするが、無かった。どこかのタイミングで回収されてしまった様だ。だがしかし、蕎麦を箸無しで食べる……。
嫌な予感がする、だがそれを言う事は出来ない。椿に出来るのはただ一つ、蕎麦を飲む事だけである。
恐る恐るお椀の中の蕎麦を吸う。毒入りだとかそんな事を考えながらも、噛んで飲み込んだ。一応、体に変化は無い。そしてお椀の中にも変化は無い。
まだ蕎麦が入ったままだ。
ん?
さっき飲んだ蕎麦が何故まだお椀の中に残っているのだろうか。自分でも気付かない内に吐き出していたーーいや、そんな気味の悪い芸当は椿には出来ない。と言うかしたくない。
不思議に思いながらももう一度蕎麦を飲む。体に異常は無い、毒の線は無いだろう。そしてやはりお椀の中も変化は無い。蕎麦が入っている。
椿はみずめの顔を見た。テレビを見ながら可愛らしい声を上げて笑っていた。そしてふと、椿が見ている事に気付きーー。
「早く飲めよ」
「はい」
椿の今日の夕食は、わんこ蕎麦だった。
「とまあ、うっぶ……そんな事があったんだよ」
「へー、そんな事を言うためにみずめちゃんの大事な大事なテレビの時間を奪ったんだー。断頭台まであと二歩だな」
夕食を終え、みずめに今日の出来事を報告する椿。テレビを見ながら聞いていたので適当に聞き流していたと思ったのだが、珍しくちゃんと聞いていた様だ。
しかし興味は無い様で、テレビのチャンネルを回しながらぼーっとしている。
「いや……俺はただ報告したかったんじゃなくて、どうやって戦うかとか聞きたくてだな」
「アホくさ、みずめちゃんなら戦わずにその宝石ちゃんに下っちゃうわ。大会勝つならその方が合理的っしょ……まあ、このみずめちゃんが誰かの下につく事は無いけど」
みずめはさも当たり前の様に言い切った。確かに、勝ちたいのならば宝石姫に下るのが一番早いだろう。そうすれば良いのは分かっている。
だが、何故だろうか。
桂が啖呵を切っていた時には、完全に宝石姫と戦う気でいた。その状況では下るだの何だのと考える余裕は無かったのかもしれない、だが冷静になった今でも椿の中には下ると言う選択肢は存在していない。
何故かなど分からない、ただ何か言えるとすれば『そう思ったから』だろう。久しぶりに会ったのかもしれない無礼な宴会メンバーと戦いたかったのだろうか。
「まあ、戦うってんなら良いんじゃない? 相手の高い鼻へし折ってやれよ、お前らの力でな」
「やっぱ助言は無しかー……ハナから貰えるとは思って無かったけど」
「助言? それよりも結構重大な事ある気がするんだけど、ワザと抜いてんのかアホかましてるのかどっちよ」
「重大な事?」
椿はみずめへと話した内容をもう一度思い出す。部活に入る事になり、宝石姫と出会い、戦う事になり、もしかしたら彼女は無礼な宴会のメンバーかもしれない。かなり濃密な内容ではあるから、何か抜けているならすぐ気付く筈だがーー。
それよりももっと根本的な話だろうか、部活やらそっちの方の。
「マジで分んねぇのか……?」
「え……そんな不味い内容なの?」
みずめの顔が何かを哀れむ様なものへと変わっていく。彼女からすると相当な問題らしい。だが考えても全く分からない。
「……クロートザックは何人でやる競技だよ、おい」
「五人一組、だろ?」
「今までの話を聞く限りじゃ、急に地面から部員が生えたりしねぇ限りはお前ら四人しかいねぇぞ。残りの一人はどうすんだよ」
「え……? あー、あ?」
楓、杏、桂、椿。計四人。
もう一度数える。だがやはり四人。
「あああああああああああ!! マジだ! マジで四人しかいねぇ!」
「うわ今気付いたのかよ」
「宝石姫相手にハンデマッチ!? バカ言うなよ勝つかどうかの話じゃねぇぞ……」
そう、クロートザックと言う競技は五人一組で行うものである。決して五人居なければならない、と言う訳では無いのだが、基本五人居るのが当たり前なのだ。
それに、ふと考えてみれば四人の機体構成も相当偏っている。
楓はアサルトライフルに盾、火鉈の近中距離仕様。杏はパイルバンカーのみの格闘戦専用で、桂が二門のガトリング砲とチャフグレネードの中距離仕様。
かと言う椿は換えの弾倉が無いショットガンとナイフと言う超接近戦仕様。よってこのチームは近距離には滅法強いが、遠距離に対する手段が一切存在しない。砲撃機に引き撃ちでもされた日には泣くしかないだろう。
「やべぇよ……やべぇよ……これマジで神に祈るとかそう言うレベルだろ……」
「みずめちゃんが手伝おっか?」
「話がややこしくなりそうなのでやめて下さいお願いします」
身を乗り出してアピールするみずめを制し、椿は頭が痛くなってきた。
勝つ以前に、戦いになるのか。そんな不安を抱えながら、今日も夜は更けていく。