あの速さを求める者
ひと月程更新出来ずにすまない
それに短い、泣きたくなってきた
「女性を泣かせるとは……全く罪な男だよ、君は。内容はどうあれな」
「いやこれはその偶然と言うか運が悪かったと言うか色々な要因が重なった事による不幸な事故であるとしか」
言い訳をしながらも椿は考えていた。この際杏を泣かせてしまった事は置いておくとして、自分の横に居る存在ーーお嬢様の事を聞かれるのはどうしても避けたい。
何故なら聞かれても答えられないからだ。彼女は椿の事を知っている様だが、椿は彼女の事を知らないのだ。この情報格差が引き起こす事態に目を向けたくはない。
例えもし聞かれたとしても、どうでも良い様な事で濁しておくのが良いだろう。
そして、遂にその瞬間が訪れる。
「ところで椿君、その美人な人は誰? 外国人に知り合いが居たの?」
「こいつ外見は外国人だが日本語ペラペラだぞ、あと俺はこの人が誰かは知らない」
「知らない女性と店を回っていたのか? 中々にチャレンジャーな男だな君は」
「あら、隠さなくてもよろしいのに」
話が逸れかかってきたところで、椿の願いも計画もブチ壊す爆弾が起爆する。
「わたくし、ダーリン……ああ、ツバキと呼んだ方が良いかしら? 少し前からお付き合いしてるの」
楓の口がポカンと開く。桂が口元に手を当てて笑い出す。当の椿は頭の中に困惑しか存在しなくなっていた。
「がッ!? はァ!? な、何言ってんだお前は!」
「恥ずかしがるとは……友人の前でくっ付くのが嫌なのですか? いずれ分かる事なのだから良いではありませんの」
「違う、断じて違う! 楓、先輩、信じないで下さいよ? 先輩笑ってないで楓を治して下さい!」
椿は恨みの念を込めてお嬢様を睨み付ける。しかし帰ってきたのは含みのある笑みだった。
ここで椿は何かを感じた。彼女の狙いが自分である事は分かっていたが、何故自分であるのか、その情報が後一歩足りない。
しかし、彼女に必要とされる理由が分からない。
「いやはや面白い。して、我が部の部員に何の用かな? あまり行き過ぎた事を言おう物なら……我らにも考えがあるのだがね、宝石姫様?」
「最初から分かっていたのかしら、もしそうなら貴方は相当悪い趣味をお持ちなのね」
「む? そんな事はないーーとも言い切れないが、他校の部員を引き抜こうとしている姫が言えた義理でもないだろうて」
見えない火花を散らしながら言葉を交わす二人に、椿は目と耳を疑っていた。
まずは目。常に掴みどころのない様な雰囲気をしていた桂が、ここまで敵意と言うか対抗心と言うべきか、その様なものを剥き出しにしていたのだ。
そして耳。彼女が宝石姫と呼ばれた事だ。それはクロートザックに深く関わる者なら、知らない者は居ない程の有名プレイヤーの二つ名なのだ。
由来は搭乗機のエスメラルダと、その華麗な戦い方から来ているらしい。『武器を一振りしたが最後、相手はその華麗さに見惚れて避けられない』と言われているが、それが嘘だと対峙した者なら一瞬で分かる。
その一撃を食らった者たちは見惚れてなどいない、速さに反応出来なかったのだ。もしその速さに反応出来たとしても、次に襲い掛かる精度に反応出来ない。動くに動けないその光景は側から見れば、さぞ見惚れている様に見えたのだろう。
しかし不思議なのは宝石姫の事を機体や戦闘スタイルを見て判断したのではなく、姿を見て判断した事である。クロートザックは顔を晒す様なものではない、だから余程の事がない限り顔バレなどしない筈なのだが……。
「もしかして、わたくしのファンだったり……はしませんわね。以前どこかでお会いしました?」
「会った事は……そうだな、今は知っているとだけ答えておこうか。我も我なりに事情があるのだよ」
「大会関係……いや、もしかしたら宴ーー」
宝石姫はひとしきり悩んだ後、何か言葉を呟きかけて頭を振った。最後にそんな事はあり得ない、と零していたが何なのだろうか。
しかしこの話、一体どこへ向かうのだろ……いや待て。桂は先程言っていたではないか、「他校の部員を引き抜こうと」とだ。
今の話は全く分からないが、その引き抜きとやらは分かる。と言うか自身に関わる事ではないか。
「二人とも待ってくれ! 先輩、宝石姫が俺を引き抜くとか何とか言ってましたよね? アレはどう言う意味なんですか?」
「ん? あー、うむ。それはとあるツテからの話でな、イベントで活躍した少年への勧誘がどうのこうのと……」
「そんなツテどこで作るんですか……それと宝石姫! その、引き抜きは本当なのか?」
「ええ、本当ですわよ?」
さも当然の様に言い切った宝石姫。少し位言い淀んだりするとばかり思っていたので拍子抜けしてしまうが、これはこれで順調な気もする。この調子で話を聞き出すとしよう。
しかし、話を聞き出す事は出来なくなった。それよりも重要な言葉を、宝石姫が放ったからだ。
「大会に出場したいのでしょう?」
今何と言った?
「大会に出場したいのでしょう?」と言ったのか? 何故そんな事を言ったのだ。
何故、倉掛椿にその話をしたのか。
「……ああ、大会には出たいさ」
「大きな大会に、ですわよね」
何故だ。何なのだ。話が噛み合っていない様な気がすると言うのに、意思疎通が完璧に行われている様なこの感覚は。
「なあ、何で俺にそんな話をする。クロートザックやってる人間なら誰だって出たいだろうさ。それに俺より上手い人間なんて幾らでも」
「思い違いではない様ですわね。とにかく、わたくしは貴方を欲していますのよ?」
ダメだ、話せば話す程頭の中が渦巻いていく。そもそも数回、それも片手で数えられる程しか会っていない人間に目標が知られているのだ。
それにこの『大会に出たい』と言う目標はとある数人、二年前に解散した無礼な宴会の四人にしか言った覚えはない。
そもそも、その四人以外にクロートザック関係で目標を話す程親しくなった者は居ない。ならばやはりーー。
「とにかく。彼の様な技術ある存在は、同じく高い技術を持つ者たちと切磋琢磨する事によって磨かれますわ。ならばわたくしと共に戦うのが道理でしょう?」
「つまり、我々は弱い。と」
「あら、否定しますの?」
「我個人としては今すぐにでも否定したいのだがな、他の二人がどう言うか正直分からぬ。だが、初対面の人間に弱いと言われるのを許容する程の軟弱さは……持ち合わせてはおらんぞ?」
その桂の言葉を初めは理解出来ていなさそうだった宝石姫だが、言葉の中にあった幾つかのフレーズを呟いていくに連れて口元に笑みが浮かんでくる。
その笑みは、弱さを否定する者への哀れみではなかった。
乗ってきた事を喜ぶ、捕食者の笑みだ。
「では、実際に強さを見せて頂けないかしら。そうね……数日、ええ、二日後よ。ここのアリーナをわたくしの名義で借りますわ」
「ふむ、二日後か。かの名高き宝石姫様のご招待とあらば」
トントン拍子で戦う事が決まってしまった。いや、宝石姫は桂が絶対に乗ってくる様にああまで言ったのだ。
あそこで乗らなければ椿には相応しくないと言い、乗ったとしても戦えば負けはしないと踏んでの事だろう。
そして最後に、宝石姫は椿に向き直る。
「では二日後に。今度はイベントの時以上の戦い、期待していますわ」
「なあ、もし俺が勝ったら聞きたい事があるんだが良いか?」
「負けたらどうするつもりですの?」
「……なる様になるんじゃないか」
その椿の言葉に宝石姫は笑い、その場を歩き去っていく。その背中からは並々ならぬ覇気の様なものが感じられた。
椿は一つ大きく息を吐き、後ろに振り向く。その場には未だ放心状態の楓、未だ泣き続ける杏、そして不敵な笑みを浮かべ続ける桂が立っていた。
「これマジで大丈夫かな……」
少し、不安になってきた。