即効劇
「これ、落ちてたよ」
その日の帰り道、健太郎は綾太と一緒に帰っていた。
「これ!どこに落ちてた!?」
「部室の前」
「部室?部室って、陸上部の?」
「うん」
健太郎は首をかしげる。そんなところに行った覚えはない。
「俺が拾ってよかったよ。今度はなくさないでね」
「ごめん、気をつける」
違和感は拭えなかったものの、健太郎はひとまずホッとした。隣を歩く甥っ子は、叔父の自分から見ても十分魅力的なのだ。自分が連絡先を落としたことで、何かあったら困る。会話がそこで途切れたので、健太郎は改めて綾太の横顔を観察した。健太郎は、何もない時の綾太を見るのが好きだった。別に変な意味ではない。岩の間から湧き出ている水を、いつまでも見ていられる。その感覚に似ていた。
「今日」
綾太が喋った。健太郎は視線を外さない。綾太が健太郎の視線に気づいたことは、これまで一度もないからだ。たとえ気づいたとしても、綾太はきっと気にしない。
「放課後、何してたの?」
「放課後?」
健太郎はそこでハッと思い出す。先程まで自分は、恋愛的漫画の、まさにクライマックスのような場面に立ち会ったのだ。そのことを綾太に話した。生徒の個人的な部分を多少含めた出来事ではあるが、綾太が周りに言いふらすわけがない。全てを話し終えると、綾太は笑った。
「それ、健太郎さんは目撃者じゃなくて当事者だよ」
「そうかな?」
「もちろん。逆になんで人事なの」
「んー、なんでだろ?実感がないからかなぁ?」
綾太はまた楽しそうに笑う。健太郎は不服だった。
「なんでそんなに楽しそうなんだよ」
「楽しくないよ?嬉しいけど」
「なんで嬉しいんだよ?」
「健太郎さんの魅力を、分かってくれる人が増えたから」
お前もお前自信の魅力に早く気づけ!健太郎の心の叫びは、綾太には届かない。仕方なくあきらめて、健太郎は話題を変えた。
「ところで、何で急に携帯の番号が必要なんだ?」
「あ、それね…」
綾太は少し迷うしぐさを見せた。上を見た後に、下を見る。昔からの癖だ。やがて覚悟を決めたように、健太郎の方に向き直る。
「実は、俺の思い過ごしかもしれないんだけど…盗聴されてる気がして」
「と、盗聴!?」
「うん」
綾太はシュッと整った眉をへにゃっと下げて、困ったような表情になる。
「だ、誰に…?」
「それが分かれば苦労しないよ」
綾太は重いため息をつく。まあ、そうだよな、と健太郎も納得する。それが分かれば苦労しない。
「だから、連絡は携帯に頂戴よ。家電はなるべく使わないようにするから」
「分かった」
「あと、父さん母さんには内緒ね。無駄な心配かけたくないし」
「…別にいいけど。何かあったら俺に言えよ?」
「健太郎さん、お兄さんみたい」
「お兄さんだよ!?」
綾太は笑う。なんだかからかわれてる気がして、健太郎はムッとした。ごめんごめん、と綾太が謝ってきた。これではどちらが年上か分からない。何か言い返そうか、健太郎が迷っていると、綾太がボソッと呟いた。
「巻き込んで、ごめんね」
先程までの笑顔は嘘のようにシュンとしてしまった綾太を見て、今度は健太郎が微笑んだ。
「さっきから言ってるだろ。お前は少し、俺を頼れ」
安心したのか、再び笑顔を浮かべた綾太は、歳相応に見えた。…つまり、可愛かったのだ。
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