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分かれ道の道標の前で、茶髪をポニーテールにした青年が随分と悩んでいた。同じ茶色の瞳でじっと道標を睨むこと、恐らく五分以上は経過しているだろうか。
軽装で旅人らしくはないのだが、着込んだ白いシャツや黒いズボン、紺色の帽子付ケープと黒い手袋は、全体的に煤けていた。彼は次に立ち寄る街で、それらを一新したかったのだが、道標に書かれた街の名を見て、盛大に悩むことになってしまったのである。
道標に書かれた二つの街は、朱雀族長のお膝元である城下町フェルナリアと、デフス鉱山の麓にあり、その鉱山で良質な鉄鉱石が採取できるため多くの鍛冶屋が揃うアウテリスだ。そして今、彼が立っている場所から先が、南方地区であり朱雀族が統治する地である。
だが、この二つの街……というよりも、この南方地区の全域なのだが……は、戦争で壊滅、荒廃し切っていると、彼は風の噂で聞いていた。
では何故、この地に来てしまったのか。
全ては、分かれ道の度に小枝を放り投げて決めて来た所為である。彼は、今更ながらその適当な決め方を猛烈に後悔し、歩いてきた方角に顔を向ける。引き返せば、丸二日は野宿確定だが、この先よりもまともなのは確かだ。西方地区の末端であっても、統治者である白虎族の統制はしっかりとしていて、住民たちも気さくでいい人たちばかりだった。
そんな風に考えながら、彼は道標に視線を戻す。この先の、荒廃しているであろう南方地区のどちらの街も、道標に書かれた距離で計算すると、凡そ半日くらいで到着する筈だ。どちらの街に行こうとも、想像の範囲ではあるけれど、あまり変わりはない気がする。せめて食事と、ベッドがあればいい……そう思い、彼は、漸く決断する。
かつての城下町フェルナリアへ行こう、と。決定打は、城下町の方がまだまともそうだ、という思い込みだ。
そうして周囲を四方見回し、彼は唖然とした。
「あれ……? プラウ……?」
居る筈の人影が見えず彼は再度、見回す。
「プーーーラーーーウーーー!?」
叫んで呼んでみるけれど、出てこない。彼は道標の裏側にある沢を見てみようと歩き出した、その時。
「ケセナさまあああぁぁぁ!!」
と、甲高い声の銀髪金目の少女が、沢から這い上がって来て、そのまま彼……ケセナに抱きついて来た。抱きつきはしているのだが、号泣しながら少女は、左手をぶんぶんと、何かを払いたいのか振っている。
「プ……プラークルウ?」
怪訝に顔を覗いてみる。金色の瞳は、涙が溢れ流れていて、それでもケセナを見上げてきた。一瞬、何か言いたげな表情をするものの、直ぐに泣き顔に逆戻りをする。矢張り左手をぶんぶんと振りつつ、悲鳴を上げた。
「取ってくださいぃぃぃいいいぃ」
「取る?」
「左手にぃぃぃ」
泣き声で聞き取り難さがあったが、ケセナは少女―――……プラークルウのぶんぶん振り続ける左手を見やる。振られる指の、人差し指付近だろうか、何かがくっ付いているのが確認できるけれど、あまりに振り過ぎていて、それが何かという判断ができない。
「何してたの?」
むんず、とケセナはプラークルウの左腕を握り、動きを強制的に止める。そして、人差し指にくっ付くそれを見て半眼で呻くと、プラークルウは、口を尖らせた。
「だって決めるの遅いんですもん」
「……ごめん」
優柔不断っぷりをこれ見よがしに発揮していたのはケセナ自身で、横にいたプラークルウは暇を持て余し、ついにはふらふらと周辺を遊び回っていた。とは言え、この生物をくっ付けて遊んでいい訳でもないのだけれど。
生物――――……それは、蟹だった。小さな蟹ではあるけれど、プラークルウの人差し指を、その凶悪なハサミで挟み離さない。あれだけ振られているにも関わらず、くっ付いたままのその蟹は、相当、根性があるらしい。
ケセナはプラークルウが蟹と遊ぶ情景を思い浮かべる。
「遅すぎて、蟹を突っついて遊んでたの?」
「……最初は、見てるだけだったんですけど、突っついたらどうなるのかなぁって……」
素直に、プラークルウは認める。プラークルウの人差し指を離さない蟹は、ご立腹なのか心なし目が吊り上っているようにも見える。この小さい蟹はこの南方地区の名産物だ。とケセナは思い出した。一度そのハサミで挟んだ物は、何をされても離さない、と何かに書いてあった記憶があり、どうしたものか悩んでしまう。
「ケセナ様ぁ、痛いんです。なんとかしてください」
助けを求めるプラークルウの弱々しい声に、ケセナはさらに悩む。この状況を作ってしまった原因はあるけれど、たった一つだけ思いついた方法を、どうしても実行したくなくて、溜息を吐いた。どう考えても、その手段は一つ。殺生は好まないが、この方法だけだ。
そう。蟹を、ご臨終させること。これだけだ。
意を決して、徐に地面にプラークルウの左手を置き、ケセナは地面に座り込む。引っ張られて座るプラークルウは、目を白黒させながらそれに従い、じんじんと痛む人差し指と、その先に居る憎たらしい蟹を凝視する。
「えいっ」
掛け声と共にケセナは、腰に差してあった短剣を、蟹に突き刺した。くしゃり、と甲羅が音を上げ、蟹は、ぽろりとプラークルウの指を離したけれど、プラークルウは悲鳴を上げる。
「きゃあああっ!? 指、指があああぁ!!」
人差し指が切断された思い、左手を持ち上げ直ぐに確認し、今度は目を丸くさせ呟いた。
「……あ、ある」
安堵し胸を撫で下ろしながらプラークルウは、左手の甲と平を交互に見て人差し指の傷の具合も確かめる。挟まれた部分は赤くなっているけれど、どうやら流血はしていないらしい。若干、内出血しているような気もするが、放っておけば治る範囲だろう。
「ごめん。待たせてしまって。やっと決まったよ」
そんなプラークルウにケセナは申し訳なさそうに言うけれど、プラークルウはケセナの言葉を聞いた途端、突進し、ケセナに頭突きをした。
ごつん、と小気味いい音が周囲に響く。
「い……っ」
プラークルウは何事もなかったかのように立ち上がり、額に手を当て蹲るケセナを見下ろして地団駄を踏み、言い放つ。
「すっっっごく、遅いです!!」
「ご尤もです……」
言い訳も、反論も許されない。ケセナは額を擦りながら、「この石頭」と胸中で呟いてから立ち上がった。見れば、プラークルウは怒って口を膨らませている。ケセナはゆっくりとその頬に右手を持っていくと、勢いよく膨らんだ頬を押しつぶした。ぶぅ、という音と共に凹んだ頬は、一気に真っ赤に染まる。
「ケセナ様!! 何をなさるんですか!!」
抗議し、突進してくるプラークルウを笑いながらかわす。何度かその繰り返しをした後に、ケセナは顔を上げ、これから行く方向に指を差した。
「フェルナリアに行こう」
その言葉にプラークルウが動きを止め、ケセナの指差した方向を見る。
「はーい」
プラークルウの毎度の軽い返事を聞きながら、ケセナは歩き出した。あと半日で到着するであろう街、フェルナリア。荒廃しているとはいえ、どんな街なのか期待に胸が高鳴る。
旅に出てから丁度一年の今日。
ケセナは、朱雀族統治の地区、南方地区に足を踏み入れた。
貴重なお時間をいただきお読みくださいまして、ありがとうございました。




