■5■
ドン!
テーブルを叩いた衝撃で、金髪が大きく揺れた。
勢いよくリビングに入ってきたケセナが、あの分厚い本で力いっぱいテーブルを叩いたのだ。
昼下がりの静かな時間だった。
オウセイとキリエは隣に座り、紅茶を飲みながら寛いでいたのだが、突然の出来事に顔を見合わせ、首を傾げる。
「えっと、ケセナさん? もしもーし?」
オウセイが恐る恐る声を掛けると、ケセナは、瞬間的に顔を上げ、紅い瞳を吊り上げた。オウセイは驚いて身体を揺らし、瑠璃色の瞳を瞬きさせた。
「やっと!! やっと!! 読み終わりました! 一週間ってこんなに長かったんですね!! 知りませんでしたよ! 俺は!!」
後半は、あからさまに嫌味だった。
分厚い本を手渡されてから、一週間が経過した今日、昼過ぎのたった今、ケセナは本を読み終えた。単調過ぎるほど単調な歴史書であり、この分厚さ……つまり五千年分……は、如何な読書好きのケセナと言えども、途中から倦厭してきて、先を知りたいなどという好奇心が削がれてしまい、読み進めるのに苦労をした。故の怒りが抑えきれずに噴出していると、ケセナ自身も自覚はしている。
「そ、そうか……お疲れ……」
気迫に押され、オウセイはしどろもどろになる。そんなオウセイを余所に、興奮が収まらないケセナは捲し立てた。
「五回ほど読み返しましたけど、これ、殆ど資料的なものばかりで、ぜんっぜん楽しくありませんでした!」
「それでも五回、読んだのね……」
感嘆し声を上げたキリエは、分厚い本とケセナを見比べた。
分厚い本だけが堂々と存在感を主張している。
肩を揺らし荒い息のケセナが敗者の様相で、そのなかなかに面白い絵図に思わず苦笑が漏れてしまう。隠すように顎を引き、ちらりとオウセイを見れば、オウセイもまた、深く息を吐き出し、幾許か驚きを隠せず、目を丸くしていた。
「とりあえず、それなりに『歴史』は理解しました。それから、キリエさんが、騒動に巻き込まれそうって言っていた俺の容姿についても。皇帝直系の応龍族だなんて信じられませんけど」
そうケセナが続けると、二人はコソコソと小声で話し出す。
「……容姿のことなんか、この本に書いてあったか?」
「……私に聞かないでください。知りません」
しかし、しっかりと聞き取っていたケセナは、ドン、と、再び本でテーブルを強く叩いた。振動に二人は身体を揺らし口を噤み、バツが悪そうな表情を浮かべながらそれぞれ、明後日の方向を向く。
業を煮やしたケセナは再度、本を持ち上げテーブルに叩きつける。重いドン、という音が響く。
「書いてありました! 確か二百……」
「あ――――ッ! いい、いらない、頁数とか記載してる場所とか、いらない!」
丁寧に書いてあった場所を伝えようとしたのだけれど、両手を大きく振り拒否するオウセイに遮られてしまう。ケセナは、口を尖らせオウセイを睨む。
紅い瞳が怒りに満ちていて、オウセイはどうしたものか、と悩みながら目を泳がす。とは言え、ここ数年暮らし模様替えもしていないリビングは、物珍しいモノは何一つなく名案が浮かばない。困り果てキリエを見れば、彼女は、「三年前のことは?」と囁いた。
そうだった、と、説明しなければならない事柄があったことを思い出し、話題を振る。
「最後にもう一つだけ、知識を詰め込もうか」
「……まだ何かあるんですか」
発言する声にすら不機嫌が含まれていて、相当不貞腐れているのが分かる。やれやれ、とオウセイは背凭れに身体を凭れ掛け天井を仰いだ。そうしてすぐに身体を前のめりにし、右肘をテーブルにつけ、手首を捻りケセナを指差す。
「言っただろう? 最近のことは書かれてないから、教えてやるって」
「そんなこと、言ってましたね。では今すぐ、教えてください」
「……今?」
虚を衝かれ唖然とするオウセイを、ケセナは半眼で見つめ頷く。
「無駄な一週間を過ごしたと思ってるんです! 重要だったのは最初のオウセイが教えてくれたことだけ、でしたから!」
「無駄って、お前……」
「俺は、名所を巡りたいんじゃなくて、ここに生きる人たちとか、世界の姿を見たいんです! なのにこの本、もう鈍器でいいですかね? 建物がどうだとか、功労者がいたから銅像が建てられたとか、小競り合いがあったとか、はっきり言って、どうでもいい情報ばかりでした!!」
ケセナは怒りが復活してきたのか、肩で荒く呼吸し鈍器と言い放った分厚い本を立て、無言で拳を叩き込む。
それも何度も。
その様子を見ていたオウセイとキリエは、肩を寄せ小声で話す。
「……どうでもいい情報か? 五千年が? それにあれ」
「……逆に清々しいですけどね?」
キリエの意外な返答に驚愕し「あれが清々しいか?」と胸中で愚痴りながら、オウセイはケセナに向き直った。本を殴り続けるケセナに一瞬だけ声を掛けるのを躊躇ってしまうが、よし、と勢いを付ける。
「分かった、教えよう。まずは落ち着いてくれ、な?」
ケセナは、本を殴る行為を止め、オウセイの言葉通りに落ち着くことにした。そうして、椅子に座る。けれど、口はへの字のまま不機嫌を表現していた。そんなケセナに半ば呆れながら、オウセイは話し始める。
「俺が教えるのは、三年前に終結した戦争のことだ」
「戦争?」
その二文字に、ケセナは表情を変え、本を置きながら眉間に皺を寄せる。
「そうだ。酷い戦争だった。事の発端は五年前、皇妃が皇帝を裏切り、魔術一門のベラリティル家に逃亡したことから始まった」
次第に真剣な表情を見せ始めたケセナに、オウセイもまた、話に熱を入れ始める。重要で必要な情報なのだ、とケセナも感じていた。
「ベラリティル家は虎視眈眈と皇帝の座を狙う『ファミラス』最強の魔術一門。そこに皇妃が転がり込めば、好機と見たとしても不思議ではない。反旗の狼煙を上げたベラリティル家は、『玄武族』と『麒麟族』を取り込み、勢力を拡大して行った」
「き……きりん?」
聞き覚えも読み覚えもない名称が出てきて、ケセナは戸惑った。オウセイはきょとんとしながら、分厚い本を指差し問う。
「これに書いてなかったか?」
「一つも書いてませんでしたけど……」
オウセイは顎に手を当て、困惑する。説明してもいいものか、少し悩んでから、口を開く。
「……そうだな……『麒麟族』は、五千年前に俺が『応龍族』を守る役割を持たせた一族だったんだが、俺が表舞台から姿を消して暫く経った頃、謀反の疑いをかけられ、『応龍族』によって結界内に押し込められた一族だ」
「そんな……疑いなんでしょう? どうしてそこまでする必要が?」
「『麒麟族』の持つ魔力は『応龍族』よりは劣るが、秘術の数は『応龍族』をも凌ぐ多さだ。危険な物も多かったし、『応龍族』やその他の一族が恐れたんだろう。謀反なんて口実で、秘術拡散防止の為なんじゃないかって言うのが、俺とキリエの見解だがな。ま、その本に書かれてないってことは、歴史から抹消されたってことだから、『麒麟族』のことは覚えなくてもいい」
「抹消……」
呟くケセナを横目に、オウセイは『麒麟族』の話を打ち切った。
旅をしていて彼らと出会うこともないだろうし、彼らは希少種であり滅多に結界外に出てこない。オウセイでさえ、この数百年で片手に収まる程度しか出くわしていない。
「で、だ。そんな内戦があるとそわそわしだす、ろくでもない奴らがいてな……」
「『ティリティシアの魔人たち』、ですか?」
ケセナは瞬時に判断していた。分厚い本にも内戦がある度に顔を出す『ティリティシアの魔人たち』。その都度、『何者かが撃退し魔人たちは去った』と書かれた文面で終わっていたのをよく覚えている。
『何者か』は、オウセイなのだろう、と見当をつけてはいるけれど。
「そうだ。奴らが介入しだした。おまけに奴らはベラリティル家側についた。おかげで隠居生活を謳歌していた俺の所にヘラヘラした皇帝が来て、応龍族側の戦力に付けだかなんだか言いまくって、なんだかんだと引っ張り出されてな」
「嫌そうに言いますね……」
心底嫌なのか、毒々しく言い放つオウセイに、ケセナは率直に感想を述べた。するとオウセイは、大袈裟な手振りをつけ、ケセナに迫る。
「当たり前だろう? 俺は隠居して安穏と暮らしてるって言うのに、なんでまた殺伐とした戦いに出なきゃならないんだ」
「ああ。だから逃げ回ってたんですね、納得しました」
唐突に、オウセイの隣で既に冷めているであろう紅茶を飲み、キリエがぽつりと零した。途端、オウセイは眉を顰める。
「……キリエ。勘違いされそうな発言はやめてくれ」
「え、でも」
「それでだ! その後の戦争は泥沼。それでもまぁ、なんとか凌いで、応龍族側が勝利。約二年で戦争は終わった。そして今に至る」
何かを言おうとしたキリエの言葉を半ば強引に遮り、少々大きな声と早口で、そして「はい、終わり」と、適当に終わらせ、オウセイも冷めた紅茶を口にする。
「……あの、もの凄く端折りましたけど」
ケセナは呆気に取られつつも、それだけは言えた。
「気にするな。話せば長いから面倒なんだよ。大まかな流れさえ知っていれば、一般庶民同等レベルの知識になるから、大方、大丈夫だ」
もうケセナは何も言えなかったが、オウセイの隣でキリエがくすくすと笑う。
「説明は合ってるんだけれど、少し足りないから、付け加えるわね」
「あ、はい」
補足説明を始めたキリエにケセナは身体を向ける。ケセナがきちんと座り直し、真っ直ぐに背を正すと、キリエはこくりと頷き、話を続けた。
「あなたの容姿でもある――――……皇帝直系の応龍族は、戦争の戦犯として罪に問われているの」
「……え?」
「あなたも例外ではない。言ったでしょう? 騒動に巻き込まれるって」
「待ってください。戦犯ってどういうことですか?」
狼狽えて思考が停止寸前だった。意味が分からず、ケセナは頭を振る。三年前の戦争は、オウセイの説明でいけば、応龍族は被害者なのだ。なのに。ケセナはもう一度、頭を振った。
「三年前の戦争は、応龍族が引き起こした、そうされているの。理由は様々よ。皇妃の裏切り。皇太子の継承問題。皇帝直系応龍族の傲り。暴君。……皇妃の裏切りは事実だけれど、他は全くの濡れ衣。皇帝は賢帝だったし、皇太子だって――――……」
キリエはそこで言葉を止め、ふぅ、と息を吐いた。オウセイが顔を横に振るのが見えたからではあるが、なによりその先を言わなくても、ケセナは理解しているだろうと踏んだからだ。俯き険しくなってしまった表情のケセナは、拳を握りしめていた。
「これを理由に世界中が『皇帝直系応龍族』を探している。罪を着せるための対象探し――――……みたいなものね。『応龍狩り』とも呼ばれているわ。もう、分かるわね? あなたにとって、世界は危険極まりないの」
「……だから、この髪と目の色を変えるって言ってたんですね」
静かに、先ほどまで怒りを見せていたのが嘘のようにケセナは瞳を閉じて言った。
「大丈夫か?」
気遣いオウセイは問うけれど、ケセナは顔を上げ、キリエとオウセイをしっかりと見つめる。
「はい、大丈夫です。事情も分かりました。ありがとうございます……ところで」
間髪入れずにケセナが質問をしようと言葉を続けてきたことに対し、オウセイは少々身構えてしまう。内心で何を言われるのか、ケセナの顔色を窺う。
「な、なんだ?」
声も多少裏返ってしまっていたが、出てしまったものは仕方がないだろう。ケセナは、その声に笑いそうになりつつ、目の前の先ほどまで殴っていた鈍器――――もとい、分厚い本を再び持ち上げ、今度は静かに、トン、と本を立てた。
「お二人はこの本、読破したんですよね?」
満面の笑みで、本を指差しながらケセナは質問した。オウセイとキリエの二人は顔を見合わせ、返答に困る。
「…………」
沈黙が、訪れた。
オウセイとキリエの背を、ヒヤリとした汗が流れるけれど、ケセナは二人の返答を首を傾げ、にこやかに待っている。正直に言った方がいいだろう、オウセイはそう判断しキリエを見れば、キリエの牡丹色の目と合った。瞬間、頷き合う。
「読んでない」
「読んでないわ」
ほぼ同時に、二人は言った。
返答を聞くや否や、ケセナは、深く、本当に深く溜息をついた。
貴重なお時間をいただきお読みくださいまして、ありがとうございました。




