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End of the Atonement  作者: 久野 龍
第一章 目覚めた揺り籠
3/24

 ■3■

 封印した記憶を解く日は、必ず来る。

 オウセイは確信していた。だからこそ、解き方を明かし、伝えたのだけれど。封印して間もないケセナにとって、それは不必要な情報だったのだろう。

 ケセナは、呆気に取られ、口をぽかんと開けたまま目を泳がせている。

「必要なときが来るさ。……いつかはな」

 悲哀の表情でそう言って、食事を終えたオウセイは、フォークを置く。

「俺が――……」

 何かを言いかけて、止める。唇を少し甘噛みしながらオウセイは立ち上がり、「後は頼む」と小声でキリエに伝えると、リビングを出て行ってしまった。

「オウセイ?」

 ケセナが我に返ってオウセイを引き止めようと声を掛けるが、オウセイは振り向くことはしなかった。

 仕方なく受け取った分厚い本を、椅子の背もたれと背中の間に挟みながらキリエを見る。

 キリエは、複雑な表情をしてパンを咥えていた。

 その様子にどうしても声を掛けることができず、ケセナもまた、パンに手を伸ばし、食事を始める。

 そのまま、リビングに静寂が訪れ、二人は、黙々と食事を進めた。

 食器の音だけが虚しく響き消えていく。

 ちらりとキリエを見ると、彼女もオウセイと同じ悲壮感を漂わせた表情で、何度も溜息を漏らしていた。その度にケセナは視界を落とし、食事に没頭する。

 居づらい空間の所為か、窓の外の荘厳な景色さえ寂しく見え始めた頃、静寂を破ったのはキリエだった。

「……仕方ないわ」

 静かに話し出したキリエの声に、耳を傾ける。

 最後の一個のウィンナーにフォークを刺し、続く言葉を待った。

「本当はね。あの人、反対だったのよ。あなたが記憶を封印することも、旅に出ることも」

「え?」

 ちょうどウィンナーを口に運ぼうとしたときだった。

 驚いて口の数センチ手前で止まったウィンナーからキリエを見る。

「ごめんなさいね。未来を見据えた今のあなたに、こんなこと言うべきじゃないのは承知しているわ」

「……どうして、反対だったんですか?」

 恐る恐る質問すれば、寂しそうにキリエは微笑むが、次の瞬間、顔を曇らせ俯く。長い彼女の黒髪が、彼女の顔を隠してしまう。

「オウセイ様は、『あなた』に、看取って欲しかったのよ」

「看取る? 待ってください、それって……」

「ええ。オウセイ様は」

 言葉を詰まらせ、吐き捨てるようにキリエは言う。

「長くは、ないの」

 意味を、すぐには理解できなかった。混乱する頭を振り、思考を巡らせる。

 長くはない。長くはない、その意味は。

 つまるところ、それは――……。

 『死』なのか。

 でもなぜ? あの元気そうなオウセイが、何かの病気なのか? という疑問は、口に出せる雰囲気ではなかった。

 記憶を封印する前の自分は、知っていたのだろうか、と不安になる。

 知っていたのなら、封印するなんて暴挙にでなかっただろうとも思う。

「俺は――……」

 記憶を消して良かったのだろうか。 

「キリエさん。俺の、記憶を戻し――……」

 言いかけると、キリエは顔を上げる。牡丹色の瞳が濡れているけれど、彼女の真剣な表情は、ケセナを見つめるその表情は、ケセナにその先の言葉を失わせるに十分だった。

「あの人を理由に、あなたの人生を投げないで。あなたが苦しんで考え抜いた結論に、私たちは従っただけ。それでいいの。後悔はしてないわ、オウセイ様も、私も」

「でも、オウセイは……」

 納得できず、反論しようとするけれど、キリエはケセナを遮る。

「ケセナ。記憶の封印は、解かないわ」

「でも、オウセイは、自分の希望を押し殺してしまったということですよね? 俺の為に、俺の所為で! そんなの、俺は嫌です!」

 首を振りケセナは、言いかけた言葉を続ける。納得できない。できるはずがない。感情が昂って行き、抑えることができず、最後は叫びになっていた。

「ケセナ……」

「俺は、俺の所為で誰かが何かを我慢するとか、諦めるとか、そういうの凄く嫌なんです。もしオウセイが記憶を封印する前の『俺』を必要とするのなら、俺は!」

「ありがとう。でも、ダメよ」

 姿勢を正し、凛とした声でキリエは拒否をする。それでもケセナは噛みついた。

「どうして!」

「記憶を封印する前の『以前のあなた』も、今みたいに同じことを言ったけれど、オウセイ様はね、未来を見ろって言ったわ」

「……え?」

 ふいに封印前のことを持ち出され、ケセナはそれまでの勢いを無くすと、少しだけ冷静になれた。

 熱が冷めて行くのと同時に、気恥ずかしさを覚え、手に持ったままのフォーク、突き刺さったウィンナーが、なんだか自分を笑っているようで、思わずカチャリとプレートに置く。

「……封印する前の俺に?」

 おずおずと聞けば、キリエはこくりと頷いた。

「そう。そしてこう言ったのよ。『過去の俺を見るな。未来に生きる自分を見ろ。お前はお前であって、俺ではない。俺もお前じゃない』」

 声には出さず、口だけを動かし、言葉を反復するケセナ。

 何度も何度も反復するケセナを見て、キリエは立ち上がり傍まで寄ると、ケセナをそっと抱き寄せた。

「え……?」

 キリエの、大きな胸が顔に当たる。ケセナは自分の顔が茹であがるように真っ赤に染まっていることを実感しながら、キリエに離して貰いたくて身体を左右に振るけれど、キリエは決して離さなかった。

 諦めてそうしていると、暖かいキリエの温もりが伝わり始め、それと同時に彼女の優しさを感じ、ケセナは、ゆっくりと瞼を閉じた。

「あなたはね、何時も自分を犠牲にする。オウセイ様も私も強く一番願ったのは、あなたが、人の為でなく、自分の為に生きることなの」

「……あの、どうしてそこまで俺を?」

 恐らく他人だろうに、自分を心底心配してくれる理由が知りたくて、ケセナは問う。

「あなたが、『あなた』だからよ」

「俺が、俺だから?」

 キリエの答えは、ケセナが求めているものと違ったのかもしれない。再度、疑問を投げかけてきたケセナを抱きしめる腕に、キリエは力を込める。「他の誰でもない、あなただからこそ」と心の中で呟くけれど、それは決して口には出さない。

「深くは考えないで。ね?」

 消した過去の記憶に、その答えがあるのだろうけれど、ケセナはキリエの言う通りに、深く考えることを止める。きっと、思考すればするほど封印した記憶を欲するに違いないのだ。

 それは、オウセイも、キリエも。そして自分自身も、望んではいない。

 だから――――……。

 自分の為に、明日という未来を見ようとケセナは誓った。

 どんな時でも、明日を切望しよう。オウセイが願ってくれた、生きる為に。

 その為に、過去を忘れたのだ。生きる為に、邪魔になる過去を。

 やっと本来の記憶を封印した理由と目的を思い出し、ケセナは苦笑する。

 忘れてはならない“記憶を封印した”理由を、頭に血が昇っただけで忘れてしまう自分を自嘲する。

「俺、間違えてましたね」

「人は、間違えて成長するものよ」

 キリエはそう言って、ケセナから身体を離しながら、見上げてくるケセナの顔を覗きこむと、紅潮したケセナの顔にくすり、と笑って「もう大丈夫ね」と続けた。

 ケセナの紅い瞳がキリエをしっかりと写しているのを、キリエは、じっと見つめる。そうして、両手をケセナの頬を包み込むように添えた。

「キリエさん?」

「記憶は封印したけれど、その金髪と瞳は、色々と騒動に巻き込まれそうね。旅立つ前に変えてあげるわね」

「はい……?」

 随分と物騒なことをサラリと言われ、ケセナは眉を寄せる。

「その内、分かるわ」

 言いながら、キリエは彼の両頬から手を離していく。

 暖かさが消え、少しだけ寂しくなった両頬を、ケセナは自分の手で擦りながら、自分の記憶を封印したことといい、髪と瞳を変えると言ったことといい、キリエに対しての興味が湧き上がる。

 ケセナは思い切って質問する。

「キリエさんは、どうしてそんな不思議な力を?」

「魔力は、分かるかしら」

 首を横に振る。覚えていなかった。何一つ。この世界のこと。歴史を始め、世界の成り立ちのこと。今、キリエが言った魔力のことに関しても。「封印し過ぎたかしら」と呟く声が聞こえるけれど、ケセナは気に留めなかった。

「不思議な力は魔力と呼ばれるの。両親または片親が魔力を保持していないと、子供には継承されない。魔力の使い方も、四大精霊の何れかと契約を結ばなければ使えないから、使用するのも難しい」

「へ……へぇ、そうなんですか……」

 途端に話が難しくなり、さらにちんぷんかんぷんな内容に頭が真っ白になり、顔を強張らせる。

 そんな引き攣った表情のケセナを、キリエは笑う。

「正確には私のは魔力じゃないけれど、似たようなものかしらね。精霊との契約は必要ないけど」

「似て非なる力?」

「そうね。似て非なる力。オウセイ様もそうなのだけれど」

 言葉を切り、キリエは言っていいものか暫し悩み、ふと、オウセイがケセナに分厚い本を手渡していたことを思い出す。

「私たちはね、『魔人』の生き残り。詳しく知りたければ、その本に、書かれているから読むことね」

「え? ええ?」

 先ほど、オウセイから手渡された鈍器――……もとい、分厚い本を指差され、驚きを隠せない。本に書かれているという事態も信じられないものではあるが。

 ……本に書かれている?はた、とケセナは、怪訝に思う。本は歴史書だった筈だ。ごく最近の出来事は書かれてはいない。

 ……だとしたら?

 恐る恐る湧き上がった疑問を口にする。

「本に載ってるって、キリエさんとオウセイは、何歳なんですか……?」

 途端、キリエの表情が一変する。目は吊り上り、優しかった表情が鬼のような形相になっていた。世にも恐ろしいその形相で、彼女の握られた拳が、天に突き上げられた。

 ただ茫然とそれを見上げてたケセナの頭上に、その拳が振り落とされ、脳天に直撃する。

 ごっ、と豪快な音を聞き、ケセナはやっと我に返り、何が起こったのか把握し、襲ってくる痛みに顔を歪めた。

「うあああぁッ!」

 衝撃に悶え苦しみながら、キリエの、とは思えない低い声を、ケセナは聞いた。

「女性に、年齢を聞くものではないわ」

「ごめんなさいぃぃぃ」

 声色に戦慄を覚え、呻きながらケセナは、彼女には逆らわないでおこうと心に誓った。

貴重なお時間をいただきお読みくださいまして、ありがとうございました。

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