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End of the Atonement  作者: 久野 龍
第四章 覚醒の産声
23/23

 ■1■

 オウセイの住む森への道中、ケセナは馬の背に揺られながら、自分の右腕を摩っていた。

 馬はグレンが立ち寄った村で調達した。あの森まで歩くなんて信じられない、とかなんとか言っていたことを思い出す。自分は歩いて旅してたけど、と胸中で呟きながら、馬を調達するグレンの背中を見ていたものだ。

 3頭の馬を手に入れたグレンの顔は嬉々としており、ラルが小声で告げる。

 「先生、無類の馬好き」

 途端に納得する。

 この筋肉が、やれこの可愛い瞳だ、見ろ、この立派な佇まいを、だの馬を語るグレンの顔は少年のようだ。

 

 ドクンッ

 

 そんな記憶を、脈打つように熱を持ち、まるで主の決意を煽るかのような右腕の痛みが遮る。

 内側から押されてるみたいだと感じて、ケセナは少し恐れを覚えた。

「ケセナ、顔色が悪いぞ。 少し休むか?」

 並走するグレンが、手綱を引きながら声をかける。

「大丈夫です。 馬に慣れてないだけですよ」

 右腕の痛みをケセナは無意識のうちに隠す。

 だが、馬に慣れていないのは事実だ。ケセナは馬に乗ったことなどなかった。唐突に差し出された1頭の芦毛馬の背に慣れることなく、ここまでの2週間、ずっと揺られて来た。

 右腕も痛いが、実のところ身体全体も痛い。

 なにしろ乗馬は全身運動。旅をしたことでついた筋肉だが、平均的に圧倒的に足りない。

「お前、鍛えた方がいいな」

「……善処します」

 ケセナの言葉が終わるより早く、ラルの乗る栗毛馬が激しくいななき、前脚を上げた。


「――そこまでだ、逃亡者諸君」


 街道の先、立ち込める霧の中から聞こえた声に、グレンが瞬時に抜刀し、ケセナの前に躍り出る。

「誰だ」

 グレンの瞳が鋭く細められる。

 霧を割って現れたのは、漆黒の甲冑に身を包んだ5人。そしてその中心に立つ、ひとりの細身な男だった。男はフィサルーアと同じ紅い瞳を持ち、口元には歪んだ笑みを湛えていた。

「久しぶりだな、グレン・ラティア。いや、『元』団長殿と言うべきか」

「……お前は……フェイカーか。フィサルーアの飼い犬が、何の用だ」

 フェイカーと呼ばれた男は、芝居がかった動作で肩をすくめた。

 騎士団と並び立ち応龍族を魔術で守護を司った『魔術団』。その長でありグレンとはいつも対立していた男。それがフェイカー・ゴルデニアだ。グレンは苦々しく目を細めた。

 フェイカーは今、フィサルーアの腹心とも言える立場だと聞いている。

 そんな男がなぜ、ここに。

 疑問は口にせず、剣を握り直す。

「『陛下』がお呼びなのだよ。その後ろにいる茶髪の『化け物』をな。生死は問わん、首だけでも持ち帰れば報酬は倍だと仰せだ」

 存在を知られている------……。

 ケセナの心臓が跳ね上がった。

「俺は…化け物なんかじゃない!」

 否定する。ケセナの隣にはグレンがおり、背後にはラルがいる。彼らが自分を人として見てくれている。それだけでケセナには十分だ。

「ほほう、随分と吠える人形だな」

 フェイカーがゆっくりと手を上げたその瞬間、漆黒の甲冑に身を包んだ兵たちが襲いかかってきた。

「ケセナ、下がっていろ。ラル、こいつを守れ!」

 グレンは咆哮とともに、馬から飛び降り、尻を叩き隠れろ、と合図を送る。理解した馬はいななき森へと消えた。

 そうして敵の懐へと飛び込む。

「ちっ!」

 1人、また1人と兵の甲冑が砕け散り、地面に伏す。

 しかし、フェイカーは動じない。

 兵の命など、なんとも感じていないのだ。

 彼は指を鳴らし、巨大な火炎の渦を呼び出した。

「燃えろ、化け物と共に!」

 火球がケセナを狙って放たれる。

 逃げ場はない。

「させない!」

 ラルが火炎を見て固まってしまった馬から飛び降りると、ケセナの前に立ちはだかる。彼女の周囲で、光と火がぶつかり合い、微かな紫の光が弾ける。

「ラル、危ない!」


 咄嗟に。

 そう、本当に咄嗟に。

 ケセナは叫び、思わず右手を突き出した。


 ――ドクン。


 右腕の痛みが爆発し、ケセナの視界が黄金色に染まった。

 周囲を飲み込む眩光の中で、グレンもラルも、追手たるフェイカー達も立ち竦む。


「……退け、火を司る精霊よ」


 次の瞬間、ケセナの口から漏れたのは、彼の声であって、彼ではない、荘厳な響きを帯びた声だった。

 突き出した右手から、黄金の障壁が展開される。

 フェイカーの放った極大火炎は、その壁に触れた瞬間にまるで打ち消されるように霧散した。

「な、何だ、今の光は……!?」

 驚愕に顔を歪めるフェイカー。

 黄金の光の中に立つケセナの瞳は、茶色から鮮血のような紅へと変色し、その背後には巨大な龍の幻影が揺らめいている。

 グレンは一瞬の逡巡の後、ピィ、と口笛で馬を呼び寄せ、フェイカーを力任せに蹴り飛ばし、駆けてきた馬に飛び乗る。

「……ラル!全力で駆け抜けるぞ!」

 怯え動けなくなったラルが乗っていた馬の手綱を引っ張り、大丈夫だと馬に伝えながらラルに手渡す。同時にケセナを一瞥し朦朧としたその顔に、血の気が引いた。

 ケセナの乗る芦毛馬は気丈にもこちらを見ており、指示を待っているようだった。

「来れるな?」

 馬に問いかけ、そのまま狭い街道ではなく森に中へ馬を走らせる。

 それらを一瞬でやって退けたグレンに、フェイカーは感嘆する。流石は元騎士団長。逃げるのも鮮やかだ。

 夜の森へと消えていく3人の、去りゆく黄金の残光を忌々しげにフェイカーは睨みつけていた。

「……見たか。あれが『祖』の力か。陛下に伝えろ……化け物が、目覚めかけていると」

 5人いた筈の兵のは残り1人。

 最後の1人になった兵に命令を与え、フェイカーは闇に消えた3人をすぐに追いかけた。



 追手の気配が遠のき、深い茂みの中で、一行はようやく馬の足を止めた。

 馬から降りようとしたケセナだったが、地面に足がついた瞬間、糸の切れた人形のように膝から崩れ落ちる。

「ケセナ!」

 真っ先に駆け寄ったのはラルだった。彼女が支えようとしたケセナの身体は、驚くほど熱く、それでいて激しく震えている。

「……あ……つ、い……。腕、が……」

 ケセナは右腕を抱え込み、荒い呼吸を繰り返す。その顔面からは脂汗が滴り落ちていた。

 馬から降りたグレンは、険しい表情でケセナの右腕の袖を強引に捲り上げる。

「っ、これは……!」

 そこにあったのは、肌を焼き焦がしたかのような赤黒い痣が、手首から肩口まで、まるで這いずる虫のように浮き出ていた。

 先ほどの「力」の代償に、ケセナの肉体を内側から侵食しているのだ。

「先生。これ。どういうこと……? 呪い…!?」

 ラルの悲鳴に近い問いに、グレンは答えられず、ただ奥歯を噛み締めた。

「……ケセナ、しっかりしろ。今、痛みを和らげてやる」

 グレンは懐から古びた小瓶を取り出し、強い香りのする液体をケセナの唇に含ませた。痛みを和らげる鎮静剤だ。

 だが、ケセナの意識はすでに混濁していた。

「……オウ、セイ……さん……プラ、ウ……どこ……?」

 うわ言のように大切な者たちの名を呼び、ケセナはラルの腕の中でぐったりと力を抜いた。

「先生、熱がどんどん上がってる。このままだと……」

「分かっている。森まではあと半日の距離だ。そこまで辿り着けば」

 グレンは周囲の闇を警戒しながら、自らの上着を脱いでケセナにかけた。


 かつてのファルイーアだった頃。


 彼はどれほどの苦痛に耐えながら、戦わされてきたのか。

 誰に甘えることも、痛みを口にすることすら許されず、冷徹な兵器として扱われていた日々。

 今、ケセナとして涙を流し、苦痛に顔を歪める。その青年の姿は、人間としては「正しい」反応だった。けれど、かつての彼は、それを全く表に出さない無機質な人形で------。

 グレンは頭を振り思考を止める。

 過去を思い出している場合ではないと、己の拳を握りしめた。

「ラル。俺がこいつを背負って走る。お前は2頭の馬を連れて、俺の後に続け。いいな」

「……分かった。」

「行くぞ」


 リュウショウ。俺はまた、お前の息子にこんな無理をさせている。


 グレンは心の中で亡き親友に毒づきながら、ぐったりとしたケセナを背中に担ぎ上げる。背中越しに伝わってくるケセナの鼓動は、速く、ひどく不安定だった。


「夜が明ける前に、オウセイの元へ叩き込む」


 この先にいる気に食わない蒼い髪の男。

 オウセイ・カイラーヌ。

 リュウショウも嫌っていたその男は、救世主と呼ばれてたな、とグレンは苦笑した。何が救世主だ。ただの陰気な捻くれ者だろう。

 騎士団長にすら“あの男の存在する意味”は明かされておらず、グレン自身、オウセイが何者なのか知らなかった。

(今更、知ったところで…)

 正体なんてどうでもいい。

 背中で熱を放つケセナさえ助けてくれるのなら。

(……あいつが助けてくれるかどうかは……これは一種の賭けか? だが今は、あいつの力を頼るしか……)

 思考が巡る。

 もし無理だと突き返されたら?

 はた、と動きが止まったグレンにラルが近づき見上げる。

「先生?」

 唐突に視界に入った愛弟子の顔を見て、グレンは我に返った気がした。

「…あ、ああ。 いや、願うしかないか」

「?」

 訳がわからず首を傾げるラルを他所に、グレンは肩の力を入れ直した。

 薄暗い森の中、重い足取りで一歩を踏み出す。

 背後の闇では、フェイカーの気配を感じるが、こちらを監視しているのか、はたまたケセナの力に怯んだのか、手出しをしてこない。

 好都合だ。胸中で呟く。

 フィサルーアに報告するつもりだな、グレンはそう結論づけ、ケセナを背負ったまま器用に馬に飛び乗り、手綱を叩きつけ駆け出した。

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