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オウセイの住む森への道中、ケセナは馬の背に揺られながら、自分の右腕を摩っていた。
馬はグレンが立ち寄った村で調達した。あの森まで歩くなんて信じられない、とかなんとか言っていたことを思い出す。自分は歩いて旅してたけど、と胸中で呟きながら、馬を調達するグレンの背中を見ていたものだ。
3頭の馬を手に入れたグレンの顔は嬉々としており、ラルが小声で告げる。
「先生、無類の馬好き」
途端に納得する。
この筋肉が、やれこの可愛い瞳だ、見ろ、この立派な佇まいを、だの馬を語るグレンの顔は少年のようだ。
ドクンッ
そんな記憶を、脈打つように熱を持ち、まるで主の決意を煽るかのような右腕の痛みが遮る。
内側から押されてるみたいだと感じて、ケセナは少し恐れを覚えた。
「ケセナ、顔色が悪いぞ。 少し休むか?」
並走するグレンが、手綱を引きながら声をかける。
「大丈夫です。 馬に慣れてないだけですよ」
右腕の痛みをケセナは無意識のうちに隠す。
だが、馬に慣れていないのは事実だ。ケセナは馬に乗ったことなどなかった。唐突に差し出された1頭の芦毛馬の背に慣れることなく、ここまでの2週間、ずっと揺られて来た。
右腕も痛いが、実のところ身体全体も痛い。
なにしろ乗馬は全身運動。旅をしたことでついた筋肉だが、平均的に圧倒的に足りない。
「お前、鍛えた方がいいな」
「……善処します」
ケセナの言葉が終わるより早く、ラルの乗る栗毛馬が激しくいななき、前脚を上げた。
「――そこまでだ、逃亡者諸君」
街道の先、立ち込める霧の中から聞こえた声に、グレンが瞬時に抜刀し、ケセナの前に躍り出る。
「誰だ」
グレンの瞳が鋭く細められる。
霧を割って現れたのは、漆黒の甲冑に身を包んだ5人。そしてその中心に立つ、ひとりの細身な男だった。男はフィサルーアと同じ紅い瞳を持ち、口元には歪んだ笑みを湛えていた。
「久しぶりだな、グレン・ラティア。いや、『元』団長殿と言うべきか」
「……お前は……フェイカーか。フィサルーアの飼い犬が、何の用だ」
フェイカーと呼ばれた男は、芝居がかった動作で肩をすくめた。
騎士団と並び立ち応龍族を魔術で守護を司った『魔術団』。その長でありグレンとはいつも対立していた男。それがフェイカー・ゴルデニアだ。グレンは苦々しく目を細めた。
フェイカーは今、フィサルーアの腹心とも言える立場だと聞いている。
そんな男がなぜ、ここに。
疑問は口にせず、剣を握り直す。
「『陛下』がお呼びなのだよ。その後ろにいる茶髪の『化け物』をな。生死は問わん、首だけでも持ち帰れば報酬は倍だと仰せだ」
存在を知られている------……。
ケセナの心臓が跳ね上がった。
「俺は…化け物なんかじゃない!」
否定する。ケセナの隣にはグレンがおり、背後にはラルがいる。彼らが自分を人として見てくれている。それだけでケセナには十分だ。
「ほほう、随分と吠える人形だな」
フェイカーがゆっくりと手を上げたその瞬間、漆黒の甲冑に身を包んだ兵たちが襲いかかってきた。
「ケセナ、下がっていろ。ラル、こいつを守れ!」
グレンは咆哮とともに、馬から飛び降り、尻を叩き隠れろ、と合図を送る。理解した馬はいななき森へと消えた。
そうして敵の懐へと飛び込む。
「ちっ!」
1人、また1人と兵の甲冑が砕け散り、地面に伏す。
しかし、フェイカーは動じない。
兵の命など、なんとも感じていないのだ。
彼は指を鳴らし、巨大な火炎の渦を呼び出した。
「燃えろ、化け物と共に!」
火球がケセナを狙って放たれる。
逃げ場はない。
「させない!」
ラルが火炎を見て固まってしまった馬から飛び降りると、ケセナの前に立ちはだかる。彼女の周囲で、光と火がぶつかり合い、微かな紫の光が弾ける。
「ラル、危ない!」
咄嗟に。
そう、本当に咄嗟に。
ケセナは叫び、思わず右手を突き出した。
――ドクン。
右腕の痛みが爆発し、ケセナの視界が黄金色に染まった。
周囲を飲み込む眩光の中で、グレンもラルも、追手たるフェイカー達も立ち竦む。
「……退け、火を司る精霊よ」
次の瞬間、ケセナの口から漏れたのは、彼の声であって、彼ではない、荘厳な響きを帯びた声だった。
突き出した右手から、黄金の障壁が展開される。
フェイカーの放った極大火炎は、その壁に触れた瞬間にまるで打ち消されるように霧散した。
「な、何だ、今の光は……!?」
驚愕に顔を歪めるフェイカー。
黄金の光の中に立つケセナの瞳は、茶色から鮮血のような紅へと変色し、その背後には巨大な龍の幻影が揺らめいている。
グレンは一瞬の逡巡の後、ピィ、と口笛で馬を呼び寄せ、フェイカーを力任せに蹴り飛ばし、駆けてきた馬に飛び乗る。
「……ラル!全力で駆け抜けるぞ!」
怯え動けなくなったラルが乗っていた馬の手綱を引っ張り、大丈夫だと馬に伝えながらラルに手渡す。同時にケセナを一瞥し朦朧としたその顔に、血の気が引いた。
ケセナの乗る芦毛馬は気丈にもこちらを見ており、指示を待っているようだった。
「来れるな?」
馬に問いかけ、そのまま狭い街道ではなく森に中へ馬を走らせる。
それらを一瞬でやって退けたグレンに、フェイカーは感嘆する。流石は元騎士団長。逃げるのも鮮やかだ。
夜の森へと消えていく3人の、去りゆく黄金の残光を忌々しげにフェイカーは睨みつけていた。
「……見たか。あれが『祖』の力か。陛下に伝えろ……化け物が、目覚めかけていると」
5人いた筈の兵のは残り1人。
最後の1人になった兵に命令を与え、フェイカーは闇に消えた3人をすぐに追いかけた。
追手の気配が遠のき、深い茂みの中で、一行はようやく馬の足を止めた。
馬から降りようとしたケセナだったが、地面に足がついた瞬間、糸の切れた人形のように膝から崩れ落ちる。
「ケセナ!」
真っ先に駆け寄ったのはラルだった。彼女が支えようとしたケセナの身体は、驚くほど熱く、それでいて激しく震えている。
「……あ……つ、い……。腕、が……」
ケセナは右腕を抱え込み、荒い呼吸を繰り返す。その顔面からは脂汗が滴り落ちていた。
馬から降りたグレンは、険しい表情でケセナの右腕の袖を強引に捲り上げる。
「っ、これは……!」
そこにあったのは、肌を焼き焦がしたかのような赤黒い痣が、手首から肩口まで、まるで這いずる虫のように浮き出ていた。
先ほどの「力」の代償に、ケセナの肉体を内側から侵食しているのだ。
「先生。これ。どういうこと……? 呪い…!?」
ラルの悲鳴に近い問いに、グレンは答えられず、ただ奥歯を噛み締めた。
「……ケセナ、しっかりしろ。今、痛みを和らげてやる」
グレンは懐から古びた小瓶を取り出し、強い香りのする液体をケセナの唇に含ませた。痛みを和らげる鎮静剤だ。
だが、ケセナの意識はすでに混濁していた。
「……オウ、セイ……さん……プラ、ウ……どこ……?」
うわ言のように大切な者たちの名を呼び、ケセナはラルの腕の中でぐったりと力を抜いた。
「先生、熱がどんどん上がってる。このままだと……」
「分かっている。森まではあと半日の距離だ。そこまで辿り着けば」
グレンは周囲の闇を警戒しながら、自らの上着を脱いでケセナにかけた。
かつてのファルイーアだった頃。
彼はどれほどの苦痛に耐えながら、戦わされてきたのか。
誰に甘えることも、痛みを口にすることすら許されず、冷徹な兵器として扱われていた日々。
今、ケセナとして涙を流し、苦痛に顔を歪める。その青年の姿は、人間としては「正しい」反応だった。けれど、かつての彼は、それを全く表に出さない無機質な人形で------。
グレンは頭を振り思考を止める。
過去を思い出している場合ではないと、己の拳を握りしめた。
「ラル。俺がこいつを背負って走る。お前は2頭の馬を連れて、俺の後に続け。いいな」
「……分かった。」
「行くぞ」
リュウショウ。俺はまた、お前の息子にこんな無理をさせている。
グレンは心の中で亡き親友に毒づきながら、ぐったりとしたケセナを背中に担ぎ上げる。背中越しに伝わってくるケセナの鼓動は、速く、ひどく不安定だった。
「夜が明ける前に、オウセイの元へ叩き込む」
この先にいる気に食わない蒼い髪の男。
オウセイ・カイラーヌ。
リュウショウも嫌っていたその男は、救世主と呼ばれてたな、とグレンは苦笑した。何が救世主だ。ただの陰気な捻くれ者だろう。
騎士団長にすら“あの男の存在する意味”は明かされておらず、グレン自身、オウセイが何者なのか知らなかった。
(今更、知ったところで…)
正体なんてどうでもいい。
背中で熱を放つケセナさえ助けてくれるのなら。
(……あいつが助けてくれるかどうかは……これは一種の賭けか? だが今は、あいつの力を頼るしか……)
思考が巡る。
もし無理だと突き返されたら?
はた、と動きが止まったグレンにラルが近づき見上げる。
「先生?」
唐突に視界に入った愛弟子の顔を見て、グレンは我に返った気がした。
「…あ、ああ。 いや、願うしかないか」
「?」
訳がわからず首を傾げるラルを他所に、グレンは肩の力を入れ直した。
薄暗い森の中、重い足取りで一歩を踏み出す。
背後の闇では、フェイカーの気配を感じるが、こちらを監視しているのか、はたまたケセナの力に怯んだのか、手出しをしてこない。
好都合だ。胸中で呟く。
フィサルーアに報告するつもりだな、グレンはそう結論づけ、ケセナを背負ったまま器用に馬に飛び乗り、手綱を叩きつけ駆け出した。




