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End of the Atonement  作者: 久野 龍
第三章 嘘偽と真実
21/60

 ■6■

「プラ……ッ」


 呼びかけようとした指先が何も掴めず、空気を切った。

 プラークルウは音もなく消え、ケセナはただ一人、荒野の風の中に取り残される。

 ざわめく木々を見つめたまま、ケセナはその場に立ち尽くした。


 もし、自分が記憶など求めなければ。

 彼女の望むまま『何も知らないケセナ』であり続けることができれば、彼女の哀しみは静まるのだろう。


 けれど、それができない。

 どうしても、今の無知な自分を肯定しきれない自分がいる。


 たとえ『今』の平穏を捨てることになっても。

 彼女の言う通り、耐え難い苦痛で『生きることができなくなる』のだとしても。


 家族を奪われたラルのこと。

 今も不当な狩りに怯える応龍の民のこと。

 そして何より、自分自身の『過去』という空白。


「俺は、知らなくちゃいけないんだ……。すべてを知って、自分を取り戻さないと」


 恐怖と不安は消えない。

 凄惨な過去の断片を思い出すだけで身体が震える。

 それでも、これ以上『無知』という名の殻へ逃げ込んではいけないと、自分を奮い立たせるしかなかった。


 大きく深呼吸をして、ケセナはゆっくりと振り返る。

 背後には、夕闇に沈みかけた洞窟がぽっかりと口を開けていた。

 それは、すべてを飲み込む闇の口のようにも見えた。


 グレンは今、ラルと何を話しているのだろうか。

 あの『心裸眼』で見せられた、あまりに現実離れした光景は質の悪い悪夢のようで、ケセナは思わず頭を振った。

 だからこそ、自分の目で確かめなければならないとも思う。


「……プラウ、ごめん」


 呟きは風に攫われ、誰の耳にも届かない。

 この一星霜、共に旅をしてきた彼女。

 旅立ちの日、オウセイから手渡された刀に宿る彼女と初めて会った時は、「いらない」と本気で突き返した。


「君がいてくれて良かったよ」


 ここにはいない剣精に向け、ケセナは自嘲気味に笑う。

 旅を始めてから一度も孤独を感じなかったのは、間違いなく、騒がしくも献身的な彼女が隣にいてくれたからだ。


「オウセイ……キリエさん、元気かな」


 ふと、始まりの地へ思いが飛ぶ。

 体調を崩していたオウセイ。

 彼は今も、あの深い森で生きているのだろうか。

 同時に、彼の不器用な声が懐かしく蘇る。


『記憶の封印を解きたくなったら、ここに来い』

『理由次第で、解いてやる』


 世界の救世主と謳われる男が紡いだ、真剣な眼差しと言葉。

 ケセナはそれを何度も、あのぶっきらぼうな表情と共に脳内で反芻した。


「帰ろう」


 口から出たのは、『行く』でも『戻る』でもなく、『帰る』という言葉だった。

 ケセナは、その響きに自ら驚く。


 なぜ、自分はあそこを『帰る場所』だと思ったのだろうか。

 考えを巡らせ、何度か瞬きをしてから、ケセナは空を仰いだ。


「……帰る? そうか、俺は……俺を『変えに』行くんだ」


 すとんと腑に落ちた。

 記憶を取り戻し、本来の自分へと『還る』。だから「帰る」のだ。

 すべてを“カエス”時が来たのだ。自分に自分を、そして世界に真実を。


 決意を固めて頷いた、その時。

 洞窟からグレンが姿を現した。

 その後ろには、ラルが寄り添っている。


 ケセナの姿を見つけた途端、ラルはびくりとしてグレンの大きな背後へ隠れてしまった。


「ん?」


 怪訝に思い、首を傾げて様子を窺うが、ラルは一向に出てくる気配がない。


「ラルの両親を『殺した』本当の犯人を、正しく伝えた結果だ」

「え?」


 ぽかんと口を開けるケセナに、グレンは「あー……」とばつが悪そうに後頭部を掻いた。


「当時の俺は新米の一団員でな。しかも『形だけの皇妃の弟』って蔑まれてた頃だった。機密案件なんて、さっぱり耳に入らなかったんだよ。……まあ、陛下から『もう始末は済んだから気にするな』って、えらく雑に聞かされた程度で。書類上で名前を見かけた気もするんだが、それがまさかラルの両親のことだとは、今の今まで結びつかなかったんだ」


 ケセナは半眼で、この適当すぎる元騎士団長を見つめた。


「グレンさん。とりあえず、言い訳が長いです」

「いいから聞けよ!」

「もっと簡潔にお願いします」

「……少しは俺の心情を察してくれ」

「善処します」


 突き放すようなケセナの態度に、グレンは「へいへい」と肩を落として言葉を続ける。


「……とにかく、気づかなかった俺が悪い。申し訳ない、二人とも。俺がもっと早く思い出していれば、ラルがケセナを親の仇だと思い込むことも、こんな復讐の旅をすることもなかったはずなのにな」


「質問」


 グレンの背中から、ラルがおずおずと声を上げた。


「なんだ?」

「どうして気づかなかったの? 先生のくせに」

「くせにって……。お前、初めて会った時は『エルアベルグ』って偽名を名乗ってただろ。俺はお前が『クレート』姓だったことも、ましてや麒麟族だったことも、今の今まで知らなかったんだぞ」

「仕方ない……養子先の名前。それに、麒麟だって大っぴらに言えない」

「それはそうだが。麒麟族は応龍への裏切り者……禁忌中の禁忌だ。……とまあ、そういう訳だ」


 グレンは肩を竦めてケセナに向き直った。

 ケセナは深々と溜息をつき、空を仰ぐ。


「要するに、グレンさんが適当すぎて、名前が違うだけで気づかなかったってことですよね?」

「流石ケセナ、話が早くて助かる!」

「褒めてません! 全く、貴方は昔からそうやって……む……かし……?」


 言いかけて、ケセナは咄嗟に口を押さえた。


 今、自分は何を言おうとしたのか。

 グレンが見せた過去の残像が、無意識に言葉を突き動かしたのだろうか。

 だが、記憶のない今の自分が、グレンの『昔』など知るはずがない。


 まるで、自分の奥底に眠る『もう一人の自分』が、勝手に口を開いたようだった。


「……ケセナ?」

「っ……あ、いや。なんでもないんです」

「少し休んだ方がいい。俺が術を見せた影響で疲れているんだろう」

「……そうします」


 気がつけば、陽は大きく傾き、荒野を燃えるような夕焼けが染め上げていた。

 急激な疲労感を覚え、ケセナが洞窟へ足を進めようとした、その時。


「あの、ケセナ」


 ラルの小さな声が彼を止めた。

 グレンの陰からそっと顔を出した彼女の紫の瞳には、困惑と、そして深い後悔が滲んでいた。


「ごめんなさい。今まで、酷いことばっかり言って。態度も……その……」

「いいよ。犯人だと思ってたんだし、もし俺がラルの立場だったら、同じことをしてたと思う。……まあ、俺には親がいないから、本当の気持ちは分からないんだけど」

「……っ!」


 寂しげに微笑んだケセナの言葉が、ラルの胸に刺さった棘を抜いた。

 彼女はほんの一瞬、はにかむような笑みを見せ、すぐに気恥ずかしさから俯く。


 ケセナは静かに歩み寄り、俯く彼女の目の前で立ち止まった。

 足音に気づいて顔を上げたラルへ、ケセナはふわりと柔らかな笑みを浮かべた。


「ありがとう、ラル」

「え……? どうして、お礼なんて……」

「変かな? 感謝しなきゃって思ったから。ラルが謝ってくれたのが、嬉しかったんだ」

「……そこは、普通『気にするな』とか言うところ」

「え、そうなの?」

「そう。変なの。ふふっ」


 ラルは肩を揺らして、小さく笑った。


「貴方は変。……それと、やっぱり、うるさい」

「……う」

「じゃあ、あたしも言わせて。ありがとう。これからよろしく、ケセナ」


 差し出された小さな右手に、ケセナは一瞬戸惑い、それからそっと自分の手を重ねた。

 細いけれど、確かな体温がある温かい手。


「よろしく、ラル」


 夕焼けに照らされた二人のやり取りを、グレンは珍しく口を挟まず、微笑ましそうに眺めていた。

 『化け物』として誰からも忌み嫌われ、孤独だった彼が、こうして誰かと手を繋ぎ、笑い合っている。その光景が、グレンには眩しく、嬉しかったのだ。


 だが。


「あ……っ」


 張り詰めていた緊張の糸が解けたことで、ケセナの身体がぐらりと大きく傾いた。


「……限界だ。さっさと中に入るぞ」


 倒れかけたケセナの腕をグレンが担ぎ上げ、置かれたままになっていた布を持つ。

 そしてグレンとケセナは、夕闇に包まれた洞窟の中へ入っていった。


貴重なお時間をいただきお読みくださいまして、ありがとうございました。

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