■4■
一瞬。
本当に一瞬、瞬きをしただけだった。
グレンは目を開き、写る青年を顔を凝視した。
茶髪の青年は、震えていた。それもお互いの額を押し付けあった格好で。
それが“今の”彼の容姿。少々衣服は疲れている上に破れている箇所もあるけれど。
青年の――――……ケセナの、瞳が泳ぐ。グレンは押し付けていた額を離し、頬に添えていた手もゆっくりと離した。するとケセナは一歩後退り、身体を引いた。
「ファル?」
青年の本名を小さく呼べば、ケセナは相変わらずの否定を示す。小さく顔を左右に動かし口だけが「違う」と動くのをグレンは見届けると、こくりと頷き言葉を紡ぐ。
「そうだ。お前は、ファルイーアではない。ケセナだ」
名を呼ばれたケセナは、瞬発的に顔を上げ、不思議そうにグレンを見上げ首を傾げた。
「え?」
「どうしてそんな顔をする? お前は、『ケセナ・レフィード』なんだろう?」
分からない、と眉間に皺を寄せケセナはまた目を泳がせた。そんなケセナの頭にグレンは手を伸ばしぽんっ、と置いた。その手を見上げるケセナに、グレンは言う。
「お前はそのままでいい、というのが俺の結論」
そうして、ふんわりと笑顔を浮かべ続ける。
「今のお前の方が昔のお前よりよっぽどいい顔をしている。それにな、お前は……リュウショウを――――……皇帝陛下を殺害してなかった。俺の思い過ごしの、盛大な勘違いだった。すまなかったな、ケセナ」
がしがしとケセナの頭を撫でる。その力任せの動作にケセナは首を振られ迷惑そうにするけれど、安心が勝ってぽろり、ぽろりと涙を流す。
「……」
ケセナの瞳から、止めどなく涙が溢れる。安堵の、涙が。
「お、おい、泣くな」
「泣いて、なんか!……う……うう」
ムキになって反論するけれど、矢張り涙は止められず、ケセナは号泣と嗚咽を漏らし泣き始める。どうしたものかとグレンは考えて、ケセナをそっと抱きしめた。
小さな彼の身体が小刻みに肩を揺らす。「泣きたいときは泣くべきだ」と以前、ファルイーアに言ったことがあるのを思い出しながら、グレンはケセナを抱く腕に力を込める。
「男同士が抱き合って。キモチワルイ」
ケセナが泣き止むまでこうしていよう、そう決めたグレンの背後から、唐突に声が響く。甲高いが低音のその声に驚き、ケセナとグレンは瞬時に離れた。
「!!」
「プ、プラウ!?」
声のした方向を見やり、二人はあんぐりと口を開ける。
銀髪の少女、剣精プラークルウが、二人を見下ろし……実際には見上げてたのだが……冷たい、蔑む瞳で仁王立ちになっていた。
「気が付いて起き上がってみればなんです? 私の渾身の演技が無意味だったみたいなこの状況。というより、このバカ――――……もとい、グレン・ラティアにはお気を付けください、ケセナ様」
口を尖らせケセナの腕を掴み、グレンから離れさせながら、プラークルウは告げる。
「おい、バカってなんだ」
聞き捨てならない単語を耳にしグレンは反論するけれど、それを華麗にスルーしてプラークルウはケセナに“忠告”を続ける。
「今までケセナ様を犯人扱いしてたんですよ? 簡単に信じちゃダメです。オウセイ様もこの黒バカ男を警戒しておりました」
「……クロバカオトコ?」
ケセナが初めて聞く単語だった。『真っ黒い衣装の、バカな黒髪の男』の意なのだろうことはすぐに分かる。ケセナは憐れに感じつつも納得する。それにしても酷い言様だけれど。
「あ、警戒じゃないです。心の底からバカにしてました」
「…………オウセイ……あいつ……」
心の底から怒りが溢れるグレンは、拳を作った右手をプルプルと震わせる。グレンがオウセイと初めて顔を合わせたときから、何故か反りが合わない。何時如何なるときも対立してきた。終戦を迎えるその日まで、一度もオウセイと意見の合致を見たことはなく、何かと反発し合っていた。
リュウショウは「それがいい刺激だった」とかなんとか言ってた気がするが。
ケセナはそんな様子のグレンをくすり、と笑う。
するとプラークルウが必死に左手を伸ばしケセナの前で大きく振る。
「プラウ?」
怪訝にプラークルウに問うと、プラークルウは小声で言った。
「記憶封印、解けてません?」
「うん」
その答えを聞いて、プラークルウはケセナに抱きついた。無言で抱きつき自分の衣服に顔を埋めるプラークルウの銀色のふわふわの髪を、ケセナは優しく撫でる。
「ありがとう。でも少しだけ、思い出しちゃったけど」
「!?」
「俺が――――……」
ケセナは言葉を止めた。思い出したというよりも“見た”が正しかったからだ。本当に自分の記憶なのか、それともファルイーアという人物の記憶を見ていただけなのか、ケセナにはどうにも判断ができなかった。
だが、知ってしまった。
“嘘偽と真実”
今の自分は、この事実を知ってしまった以上、黙っていることができそうにない。
「ケセナ様?」
訝しがるプラークルウにケセナは覚悟を決める。
「俺は、評議会と、フィサルーア・ク・フェスカを、打倒する」
「え!? どういうことですか!? あの縮れアホはともかく、評議会を倒すって!?」
驚いたプラークルウが叫ぶ。ケセナの衣服を何度も引っ張り「やめてください!」と懇願するけれど、ケセナは首を振り拒否を示す。そして、当然だがグレンも声を上げる。
「ケセナ、止めておけ。フィサルーアや評議会の件は、俺が……」
「いいえ。俺は、俺の為にこんなことを言ってるんじゃないんです。ファルイーアが俺であるというのは、いまいち分からないんですけど、兎に角、俺の所為で誰かが傷ついている……いや、傷ついているどころじゃない。沢山の犠牲がでてる。それを知っていながら、のほほんと旅を続けることなんて、何もせずに放っておくことなんて、俺には、できない!」
真っ直ぐにグレンを射抜くケセナの茶色の瞳が、グレンには紅く見えた。応龍の紅い瞳。独特の光を放つあの色を、グレンはケセナの中に見た。
矢張り、彼はファルイーアなのだ、と確信する。
「無謀なのは分かってます。戦うことに、剣を振るうことすら慣れてない俺に、何ができるのかなんて分かりません。でも、俺は!」
「……分かった」
激高するケセナに、グレンは静かにそう言った。
「グレンさん……!」
「ちょっと、黒バカ男! 何を言っているの!?」
「剣は、俺が教えてやる。だがこれだけは約束しろ。無茶だけはするな。二度と、無茶だけはするな」
グレンが念を押す。その理由はケセナには分からないけれど、力強い押しにケセナはこくりと頷いた。無茶をするなんて毛頭ない。だが、グレンの中では自分は『無茶をする認定』があることを察する。昔の自分はそんなに無茶をしてたのか、という疑問も浮かぶが、ケセナはそれを心に留めた。
「嫌ですぅ――――!」
唐突にプラークルウが叫んだ。プラークルウはじたばたと手足を動かし、地団駄を踏む。
「剣精の許可は必要ないだろ」
「超・イ・ヤ・ナ・ン・デ・ス!」
めげずにプラークルウは片言っぽく拒否をする。そこで、ケセナははた、と気付いた。
「ちょ、プラウ待って。あのグレンさん、そうなると、ラルさんも来るんですよね?」
「……そうなるかな」
「ラルさん、俺のこと壮絶に嫌ってますし、ご両親のことも……ありますし」
「あ!! ラルの両親のこと忘れてた!」
「忘れてた……?」
呆気に取られてケセナが言う言葉に続き、プラークルウが呆れ声を出す。
「うわ――――……だからバカだって言うんですよ」
「仕方ないだろ!」
グレンは顔を真っ赤にしケセナとプラークルウを見比べる。そして、こほん、と咳払いをして気持ちを整えた。
「ラルの両親のことは、お前と一緒にいれば何れ分かる……かもしれない……し、な……って……リーギスト・クレート……確か、リュウショウがリーギスト・クレートって言ってたよな?」
「……えっと……」
すぐに思い出せずケセナは首を傾げる。言っていたような気もするが、他の事実の方がインパクトが大きすぎて、はっきりとしない。
グレンは悩むケセナから、プラークルウへと視線を移し、問う。
「プラークルウ、覚えているか? リーギスト・クレートのこと」
「存じ上げてますよ。傀儡を作った張本人で麒麟族です」
さらり、と答えたプラークルウの返答にケセナとグレンの時が止まった。
「……あ、あれ?」
ぱちくりと目を瞬きさせ、停止してしまった二人に、プラークルウは戸惑う。なにか悪いことを言ってしまったのだろうか、と腕組みをして呻ってみるけれど、二人は動きそうにない。
「えーと、ケセナ様ぁ? グレン・ラティアぁ? え、どういうことですか?」
何が起こったのか理解できずにいると、漸く二人が動き、身体を揺らした。
「き、キリン?」
「そうか、クレートに聞き覚えがあったのは、それだったのか!」
「え? グレンさん? あ」
訳が分からないことを口走り、洞窟内に颯爽と突入して行くグレンに驚き、ケセナは唖然としてしまっていたが、プラークルウは逆に声を出して笑った。
「相変わらず忙しない黒バカ男ですねぇ」
昔からですけど、とも付け加え笑い続けるプラークルウに、ケセナはじりじりと近付いて行く。そうして、プラークルウの耳元で、何故か小声で問う。
「ねぇ、プラウ。キリンって、オウセイが言ってたあの、麒麟?」
「……」
どうやらケセナの“知りたい”という欲求に火を点けたようだった。
少々後悔してプラークルウは、麒麟の説明をケセナに開始した。
貴重なお時間をいただきお読みくださいまして、ありがとうございました。