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「ノヴェリアとリーギスト・クレートが実施した禁呪『生物創造』によって産まれたのは、フィア。お前だ」
「…ッ!?」
衝撃を受けたグレンが、驚愕の余り、口を震わせた。
驚くのも無理もないだろう。
麒麟族に伝わる禁呪『生物創造』によって創られた、と言われていたのは、ファルイーアだ。それ故に、ファルイーアは虐待を受け続けてきたのだ。だが、リュウショウは言った。
フィサルーアが、創られた者である、と。
俄かに信じられず、グレンは蹲るファルイーアに目を向けた。当事者でもあるファルイーアは、己の耳を塞ぎ蹲り小刻みに震えている。その姿に、思わず声を掛けようするけれど、グレンは踏み止まった。
グレンは、ファルイーアの台詞を思い出したのだ。そうして「このことか」と胸中で呟く。
世界を敵に回す、嘘偽。
グレンは頭を振って、ファルイーアの記憶へと向き直った。
「お前とファルは産まれてすぐ、入れ替えられたんだよ」
リュウショウの言葉に、俯いたフィサルーアが笑いを堪えているかのように肩を揺らす。
「フィア?」
訝しみ、リュウショウは眉を寄せた。けれど、フィサルーアは肩を揺らしたままだ。そして、とうとう堪え切れなくなったのか、声を漏らし始める。
「……くくく、あははははは!」
「フィサルーア……?」
「だから貴方はノヴェリア様……いや、母上に見限られるんだ!!」
大きく仰け反り、フィサルーアが叫ぶ。
「私は昔から知っていましたよ。私が作り出された人形だってことも、この化け物と入れ替えられていたってことも!! なにしろ、母上が教えてくださいましたから!」
「な……!?」
リュウショウも、そしてグレンも同時に驚き目を丸くした。さらに畳み掛けるようにフィサルーアは叫び続ける。
「私と母上の目的はただ一つ! 私が皇帝の座に座ること! 本当は母上がお隣にいらっしゃる予定だったのに……お前が、母上を殺したから予定が狂ってしまった。でもいいよ、今、死にぞこないの皇帝陛下と、お前に死んでもらえればいいだけだし」
にやり、と不敵な笑みを浮かべながらファルイーアに告げ、フィサルーアは腰に提げていた愛刀を引き抜いた。
「フィサルーア――――……」
「今更気づいても遅いですよ、父上。魔人が入れるように結界を綻びさせたのは、他の誰てもない私。戦争を引き起こさせたのは、私と母上。少しだけ予定がズレてしまいましたが、そんな私の為に、死んでください」
「……!」
ファルイーアは咄嗟に踏み込んだ。リュウショウとフィサルーアの間に飛び込み、立ちはだかると、フィサルーアは引き攣った表情を浮かべた。だが、静かに、冷徹に言い放つ。
「邪魔、だ」
ファルイーアは“何時ものように”防護壁を張ろうと手を伸ばすけれど、“魔術で作る”防護壁は作られることがなかった。
「!?」
何度も、何度も試すが、発動しない。ファルイーアの顔に焦りが浮かび、察したフィサルーアは鼻を鳴らし笑う。
「ふん。残念でした。精霊呪縛をこの部屋に施してある。幾ら力があれど、体力すら十分に残っていないお前など、私の敵ではない」
言い終えるとフィサルーアは、ファルイーアの左肩に、容赦なく愛刀を突き立てた。
「!!」
肉を裂き背中まで貫かれ、それでもファルイーアは悲鳴を上げない。フィサルーアは「面白くない」と呟き、さらに剣を横に回す。ファルイーアに抉られる激痛が襲う。そこでやっと、小さな嗚咽を漏らす。
「……う……あッ……」
「お前には悲鳴が良く似合うんだよ。母上も何時も言っていただろう?」
笑いながら、フィサルーアは剣を引き抜く。その時も、ファルイーアは声を上げなかった。幼い頃のトラウマが、声を発することを許さなかった。
完全に剣を抜かかれ、ファルイーアはその場に膝を付き、右手で左肩を押さえる。溢れ出る血で染まって行く右手と衣服を、うっすらと視界に映しながら、遠退きそうな意識を何とか保っていた。
そんなファルイーアの耳にフィサルーアの声が響く。
「さぁ、父上。潔く切られてください」
ファルイーアが顔を上げれば、リュウショウは宝刀の柄を握りしめていた。
「プラウ……」
リュウショウが小声で剣精を呼ぶけれど、矢張り無駄な行為だった。精霊をこの部屋で呼ぶことは叶わない。剣精を呼べなければ、抜刀ができない。
リュウショウは、諦めて柄を握る手を緩めた。
「言ったでしょう? この部屋に入る前に、精霊呪縛を施したって」
「……フィア、お前の本当の目的は何だ」
「目的? そんなの、先程、言いましたが?」
リュウショウはそれ以上、何も言わなかった。愚かな我が子を……実際には我が子ではないのだが、愛していた子には変わりはない……憐れむ。
ちらり、と“本当の我が子”を見れば、その子は左肩から溢れる鮮血に染まり痛みに耐えながら、それでも自分を真っ直ぐに見つめていた。
どうすることもできない中で、今更、本当に今更、リュウショウはファルイーアに謝罪をしたかった。
禁呪で誕生した命と聞き、嫌悪感が先立ち、ファルイーアを嫌悪した。他者と同じく厭忌の情を抱き、罵った。リュウショウは、目を閉じ小さく口を動かす。「すまなかった」と。
「さぁ、その生命を終えるときです。“父上”」
同時に、フィサルーアの声が響き、刃を振り翳される。リュウショウの首に目掛け切りつけた刃は、リュウショウの喉を掻っ切る。勢いよく血が飛び散り、その場は瞬く間に血の海となった。
けれど、フィサルーアは無言だった。
返り血を浴び、己も赤く染まりる。けれど、無言と無表情で目を閉じた。喜びも悲しみも、フィサルーアには湧いてこなかった。虚無感が全身を支配し、とりあえず、と深呼吸を一つ行う。
ゆっくりと目を開けば、左肩を押さえ、ファルイーアがリュウショウににじり寄って行くのが見え、瞳を細める。
「そうだ。良いことを思いついたよ、“兄上”。“兄上”が、“父上”を殺したってことにするよ。勿論、そんな“兄上”には逃げる時間をあげるから、安心して。“兄上”がちゃんと逃げたら、私は世界に『応龍族の炙り出し』を提案し、世界に散らばる応龍族を根絶やしにするんだ。ねぇ、楽しそうでしょう? 応龍族を滅亡させる原因も、戦争を引き起こした原因も、“父上”を殺したのも、全部、“兄上”。“兄上”の存在が、悪いんだ。だってそうだろう? お前は、『世界の敵』なんだから」
そう言ってフィサルーアは、声高々に笑い部屋を出て行く。
フィサルーアの笑い声と足音が遠退いて行くのを聞きながら、ファルイーアは必死にリュウショウに近付き、事切れたリュウショウに右手を伸ばす。
そして触れた、その瞬間。
「!?」
ファルイーアの右腕に痛みが走った。
肌が焼かれるような、内側から捲られるような痛みに、顔を歪め耐える。
すると、今度はリュウショウの右腕から、光に包まれた『羽を持つ黄金龍』が出現し、ファルイーアの右腕に止まる。
「…ッ!」
また右腕に痛みが走り、同時に左肩の激痛も襲う。ファルイーアは気を失いそうになりながら、それでも『羽を持つ黄金龍』を見続けると、黄金龍は首を大きく持ち上げた。
「我が寄生木となりし種よ。仮初の姿を真実とすることを望む愚かなる者よ。我は汝の過去と現在を認識する。寄生木よ、受け入れよ。我と、己の全てを」
「!!」
黄金龍はそれだけ言うと、ファルイーアの右腕に吸い込まれるように消えて行く。振り払いたくとも動かぬ左手では、どうしようもなかった。肝心の右腕も、まるで自分の物ではないように感覚がなく、動かすことすらできない。
ただ消えて行く黄金龍を見ているしかできず、ファルイーアは身体を震わせる。
「……受け入れましたね」
「……?」
今度は冷静な、そんな女性の、いや、小さな女の子の声が部屋に響き、ファルイーアは顔を上げた。そこには、何時もリュウショウの隣にいた銀髪の女の子が立っており、ファルイーアは瞬きをしながら、女の子の名前を思い出す。
名前は、プラークルウ……だった筈だ。
プラークルウの表情は暗く、特徴的な金色の瞳は哀愁を帯びていた。
「それは『応龍の祖』です。ファル様」
「……祖……?」
しかし、プラークルウは問いには答えず、ファルイーアの前に立ち、既に決められた台本があるかのように言葉を続ける。
「今後、私のことは、プラウとお呼びください。貴方は『応龍の祖』を受け入れた。故に私は貴方の剣となりました」
「待ってください。どういう――――……うッ……」
身体を揺らし質問をしようとしたファルイーアは、左肩に激痛が走ったと同時に気を失ってしまい、その場に倒れた。プラークルウは表情を変えず、倒れたファルイーアの背に手を乗せる。
「光精霊の治癒を行います」
淡々とプラークルウは言い、力を発動させ、光精霊を招集する。
「こんなに精霊に慕われるのに、どうして貴方は誰にも愛されないの」
プラークルウはそう呟いて、口を噤んだ。言っても仕方がないことだった。彼の、ファルイーアの境遇では、どうしようもないことなのは分かっている。
集まる光精霊に後を任せ、プラークルウは、溜息をついた。
「私も……リュウショウ様も。皆も。本当の貴方を、誰も知らない」
それが、プラークルウの行きついた答えだった。
「……そうだ。知らないんだ、誰もお前のことを。ファルイーア」
グレンがぽつりと呟く。
耳を塞ぎ蹲ったままのファルイーアに近付きその背中から、ファルイーアを抱きしめる。ファルイーアは身体を揺らし、抵抗をした。
「……」
ファルイーアが何かを小声で言ったけれど、グレンには聞こえなかった。グレンはファルイーアの耳を塞いだままの両手を掴み、耳から離れさせて気づく。ファルイーアの手は、冷たく、細すぎる。
「ファル」
聞こえている筈の耳の傍で優しく声を掛けるが、握ったファルイーアの細い手は震えていた。
ふと、グレンは顔を上げる。そこには、ファルイーアの記憶の映像はなく、白い世界が広がっており、グレンはファルイーアの心境の変化を察知し、ファルイーアの顔を覗く。
「ファル?」
するとファルイーアは、グレンの緩んだ腕から脱出しすっくと立ち上がり、しっかりとグレンを見据えた。ただ、まだ手は震えており、その震えを抑えるように自分の両手を握りしめる。
「これが、僕の嘘偽と真実。そして、世界が敵となる事実。グレンさん、本当に良かったんですか」
「構わない。世界だろうがなんだろうが、敵になりたければなればいい。俺は真実を知り、お前を知った。それだけで十分だ」
グレンはふんわりと笑顔を浮かべた。
貴重なお時間をいただきお読みくださいまして、ありがとうございました。