■9■
「なんで。君と留守番なの……」
「……ごめん」
グレンが「少し出かけて来る」と言い残し、去った後、豪快に不機嫌を全面に出しながら呟くラルの言葉に、ケセナは謝罪した。けれどラルは、短髪の赤みのある金髪を揺らし、ぷいっと方向転換すると、洞窟内に入って行ってしまい、ケセナは一人、ぽつんと取り残される形となり、溜息をつきながらその場に腰を下ろした。
見える景色は荒れた荒野。崖の上なこともあり、なかなか壮大な荒野が眼下に広がる。視線を動かし手前を見れば、フェルナリアの廃墟と、その横にこじんまりとした生活区域がある。ケセナは再度、溜息を吐きながら項垂れた。
ケセナがラルとグレンと共に行動をし始めてから、今日で五日目だった。ラルは相変わらずケセナを嫌い、自分からケセナに話しかけて来ない。そんな中、なんとかラルと会話をすべく、そして、誤解があるのなら解かなければ、と色々と頑張ったのだけれど。全くと言っていい程、成果はない。ケセナは正直、心が折れていた。
「どうしたものかな―――――……」
ぼやきながら寝転ぶ。
蒼穹の空をぼんやりと眺めていると、野鳥が一羽、飛んで行く。無心で野鳥を目で追い、彼方に飛び去る姿を見続けていると、その先に人影を発見し、ケセナは身体を起こした。
段々と近付いてくる人影の顔が、やっと見えてきた。人影だった人物は女性だ。肩までのブロンズの髪を靡かせ、赤い瞳でケセナの姿を確認すると、駆け出して来た。途端、ケセナは硬直する。逃げたいと思うけれど、身体が動かない。
小刻みに震える手で、地面を引っ掻く。どうして、彼女か此処に来るのだろうか。彼女は……キョウは、此処に来るべきじゃないのに。「来るな」と胸中で懇願するけれど、キョウはもう、間近に迫って来ていた。
「ファル!」
「キョウ……さん……」
ファルではないと否定すべきなのだけれど、ケセナは彼女の名前を呟くのが精一杯だった。キョウはケセナの傍まで来ると、ケセナを見下ろし半泣きな表情を浮かべる。
「心配したんだよ。良かった、無事で」
「……すみません。あの、俺、ファルとかいう人、知らないんですけど」
「ねぇ、どうしてそうやって知らない振りをするの?」
キョウはしゃがみ、目を泳がせるケセナに手を伸ばし、肩に触れる。びくり、と身体を揺らし震えるケセナを、少し哀れみながら首を傾げた。
「ファル?」
「違うんです、俺は。俺は――――……」
その先の言葉が、ケセナにはどうしても出て来なかった。ファルではない、と言いたい。けれど、記憶がないだけで、自分自身は“ファルイーアである”。否定しようとすると、「嘘吐きは嫌い」と言い放ったラルの顔が浮かび、言葉に詰まってしまう。
「ファル?」
キョウは、ケセナの顔を覗き込む。口を噤んでしまったケセナは、顔を逸らした。
「……どういうこと? ファルって? 君が?」
その時、背後からそんな台詞が投げ掛けられる。振り返れば、洞窟内に引っ込んでいた筈のラルが出てきており、驚きの表情を浮かべていた。
「君が“ファル”。だから、光精霊が“治療を率先した”」
ラルの中で、ケセナはファルであると肯定されていた。同時に、ラルの紫色の瞳が、怒りを浮かべていた。眉が吊り上り、ケセナを今まで以上に睨み付ける。
「君、あたしたちを、謀ったの!?」
言うが早いか、ラルは大地を蹴る。洞窟の入り口に立て掛けてあった槍を素早く持ち、ケセナに襲い掛かる。
「貴女、何をするの!?」
その前に、キョウが立ちはだかった。ケセナとラルの間にするりと、身を滑り込ませ、ラルの攻撃を停止させた。苛立ったラルは、叫ぶ。
「退けて! そいつは、あたしの、」
一気には言わず、一呼吸、置く。そしてさらに大きな声で、叫ぶ。
「あたしの、お父さんとお母さんを殺した!」
「え……?」
「……ころ……した……? 俺が? ラルさんの両親を……?」
キョウもケセナも驚愕し、身体を震わせる。キョウが恐る恐るケセナを肩越しにみやれば、ケセナは、身体だけではなく、口も震わせていた。蒼白になっていく顔に、キョウは声を掛けようとするが、それはラルの叫び声に阻まれる。
「そこを退けて!」
向き直れば、不思議な紫色の瞳に怒りの色を乗せ、目を吊り上げたラルが槍を高々と持ち上げ振り回していた。キョウもまた、キッとラルを睨み返す。
「退けないわ! 彼はそんなことしてないもの!」
「なら、あなたも殺してあげる」
そう言って、ラルは槍先をキョウに向けた。そして、にやりと笑みを浮かべ、肩に力を入れ、槍を薙ぐ。避けられない、とキョウは思う。向かってくる槍がスローモーションのように見え、キョウは怪我を覚悟した。
「キョウさん!!」
ケセナはキョウの肩に手を伸ばし掴むと、勢いよく引き寄せた。倒れそうになるキョウを支え頭を押さえ体制を低くさせると、その頭上を槍が通り過ぎて行く。目を見開きケセナを見つめるキョウのその視線にケセナは気づき、一瞬だけキョウを見るけれど、すぐにラルを見据え立ち上がる。
「ファ……ル……?」
キョウは呟く。しかしケセナは振り向かず、そのままキョウの前に出た。そんなケセナの背中を、キョウは呆然と見つめる。
「偽善者」
ラルから放たれた言葉に、ケセナはギリッと唇を噛む。
「あたしの両親を殺し、皇帝陛下も殺し。他にも沢山殺した君が、今更、人を守るの?」
「……知らない」
絞り出した声は掠れているけれど、ケセナは言葉を続ける。
「知らない! 俺は、知らない!!」
「嘘吐き!!」
ラルの槍先がケセナに向けられる。今度は突く――――……ケセナは瞬時に考える。
突きの後に薙ぎられれば、戦闘に慣れていない自分では、避ける自信がない。当然、キョウが割って入ってくるだろう。そうなれば、彼女も怪我を負う。
それだけは、避けたかったが故に、か。
ふとケセナは小さく、“彼女”を呼んだ。
「プラウ」
来る筈がない、と思っていた。ここに球体はないのだから。
しかし―――――……。
「ケセナ様!」
甲高い声と共に、誰かが背中から身体に纏わりつく。ケセナは、肩越しに見る。そもそも纏わりついてきた人物が誰か、というのは理解していたけれど、それでもケセナは驚いた。
「!? プラウ!?」
プラークルウが、銀髪の少女が、そこにいた。
「酷いですっ! 置いてけぼりにするなんて!」
「あ、ご、ごめん、というか、今、それ所じゃ……っ!」
ぽかぽかと、背中を叩かれ悲鳴を上げながら、ケセナはプラークルウを身体から離す。口を膨らませ文句を言いたそうな顔をするプラークルウに、ふわりと笑みを見せ、ケセナは向き直る。
向き直った先にいるラルは、ニヤリと口の端を吊り上げ、嘲笑を浮かべていた。
「宝刀……剣精……そう、ますます揃った」
どこか嬉しそうに言うと槍を構え直す。
「君は間違いなく“ファルイーア”。あたしの両親を殺し、先生の親友……皇帝、リュウショウ様を殺し、宝刀を奪い逃亡した“ファルイーア”! 知らないとは言わせない!」
突進を始めるラルに対応するため、ケセナは背後のプラークルウに手を伸ばす。瞬時にプラークルウは刀を出現させると、ケセナに手渡す。そうして、ケセナは抜刀する。
槍に対し刀でどこまで応戦できるのか、ケセナには分からなかった。基礎知識である槍のリーチに対し刀では不利である、ということは知っている。しかし、戦い方を根本的に学んでおらず、プラークルウのややヒステリックな教習のみのケセナは、槍相手にどう対峙すればいいのか、分からない。
「く……っ」
突かれる槍を何とかかわし、想像通り薙ぎられた槍を、刀で受け止め力を籠める。歪む視界に、ラルとの力量差を思い知る。自分は勝てないと悟り、足を一歩引いた。
「ちっ」
ラルは舌打ちすると、槍を引き戻す。
その間に懐に飛び込めば、とも考えるが、ケセナの足はどうしても動かなかった。全身が震えていた。呼吸も荒くなっており、深呼吸をし落ち着かせる。
ちらりと背後のキョウを見れば、彼女は――――……そこにはいなかった。
「え……?」
驚いて視線を泳がせれば、キョウはラルの背後にいた。どうやらラルとケセナが対峙してる間に、移動したらしい。ケセナがその姿を見つけた瞬間、キョウはラルに飛び掛かった。
槍を蹴飛ばし、ラルの首に手を回すキョウの動きに、ケセナは呆気に取られる。
「つ……かまえ、た!」
ラルは背後から羽交い絞めにされ、蹴られた反動で槍を落としてしまう。
「この……ッ!」
だが、ラルも負けてはおらず、キョウの腹に肘鉄を食らわせようと右腕を力いっぱい後ろへと振る。けれどそれはキョウに読まれており、キョウは身体を避け攻撃から逃れた。
「何をしているんだ!」
キョウとラルが次の攻撃方法を思案した瞬間、遠くからそんな言葉が掛けられ、2人は声のした方角を見る。とはいえ、正面からの声であり、顔を上げるだけなのだが。
ケセナは振り向かなければならない状態だったため、ゆっくりと振り向く。
「何をしているんだ、と聞いている」
その先には、黒髪、黒目、黒服……すべてが黒に染まる男、グレン・ラティアが立っていた。困惑の表情を浮かべ、ケセナを飛び越え、取っ組み合う女性ニ人を見る。
「「先生!」」
同時にラルとキョウが叫び、なぜかニ人は驚いた。
「……え?」
「……は?」
ニ人は顔を見合う。そうして、キョウはラルの身体を解放し、首を傾げた。
「どうして、貴女が先生って呼ぶの?」
「それは、こっちのセリフ」
いがみ合う女性ニ人は、険悪ムードを漂わせているが、グレンは構わず声を上げる。
「とりあえず、話を聞こうか」
「「……はい」」
またもラルとキョウは同時に返事をし、それぞれしゅん、と頭を垂れた。グレンはニ人を見比べて歩き出し、ケセナの傍まで来ると、その手の中の刀を一瞥する。
「宝刀を持つ、お前の話も聞かないとな」
冷めた瞳がケセナを射抜き、ケセナは戦慄を覚えた。
貴重なお時間をいただきお読みくださいまして、ありがとうございました。