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End of the Atonement  作者: 久野 龍
第二章 遭逢の果て
14/22

 ■8■

 嫌い、と高々と宣言されて以降、ケセナとラルの間に会話はなかった。衣服も髪も黒い男は無言で戻ってきた二人を眺め、一瞬だけ怪訝な顔をするけれど、直ぐに笑顔を作り出迎える。その笑顔で、ケセナは少し、救われた気がして安心した。 

 ラルが黒い男の右側に眉を吊り上げたまま腰を下ろすと、黒い男はラルの顔を覗く。

「すっきりしたか?」

「……いいえ」

 不貞腐れた表情でそう答え、ラルは置かれていたお椀を手に取ると、鍋の中身を注ぐ。ケセナはその様子を見ながら、ラルが座った場所からは、自分が見え難いであろう、黒い男の左側に座った。

 不自然な横一列に黒い男は戸惑いつつ、お椀を取り、鍋の中身を注ぎ、ケセナに差し出した。中身は、魚と野菜の水炊きだ。良い香りが漂ってくる。ケセナは、そっとお椀を受け取り、マジマジとそれを見つめた。

「あまりいい食材はないから、味の保証はしないぞ」

 黒い男が声を上げて笑い、釣られて笑みを浮かべたケセナは、手の中のお椀の暖かさで冷えた心が癒されて行く感覚を覚え、少しだけ戸惑いながら、会釈をした。

「ありがとうござい……」

 言いかけて、グルルルルル、と大きな音が、ケセナのお腹から響く。思わず顔を真っ赤にして、俯いてしまったケセナに、黒い男は肩を揺らし笑う。

 そしてその隣のラルが眉を顰めえて盛大にわざと大きな溜息をすると、言い放つ。

「随分と下品なお腹」

 ケセナはさらに俯いた。恐らく、ラルにとってケセナの行動全てが不愉快なのだろう。嫌い発言されているのだから想像はつくけれど、お腹が空いているのは隠しようのない事実であり、人である以上、お腹が空けば腹の虫くらい鳴るのは当然だ。なにせ三日も眠り続けてたのだから。

 そもそも、初対面の人を嘘吐き呼ばわりするラルは、人としてどうなんだ、と反撃に出たかったりもするのだが、ケセナはぐっと堪える。

「まぁ、まぁ。ゆっくり食べるといい」

 間にいてくれる人が居て良かったと、ケセナは本気でそう思う。ゆっくりと顔を上げれば、黒い男がふわりと笑顔を作っていた。しかし、食事をする様子はなく、首を傾げ周囲を見回せば、どうやらお椀は二つしかないのか、見当たらず、慌てて手の中のお椀を黒い男に差し出す。

「あの、俺、後でいいので、先に―――――……」

 黒い男は受け取らず首を左右に振った。けれど、ケセナはお椀を押し出し、受け取るように促すけれど、黒い男はそれを押し戻し、言う。

「俺は先に済ませたから大丈夫。それに、それはケセナ君の分だ」

「……え? あれ?」

 名前を言われ、ケセナは黒い男に自己紹介をした覚えがなく、疑問が浮かび目を丸くする。どう考えてもしていない。しかし黒い男は、名前を確かに言った。

「ケセナ君だろう? ガイアから聞いている」

「族長から?」

 ケセナの怪訝な表情に察したのか、黒い男が知っている理由を述べ、ケセナはさらに驚いた。ガイアが黒い男と知り合いだったこともそうなのだが、“ガイアが話をしている”ということにも驚愕する。

「たまたま会いに行ったら、あいつが珍しく慌ててたからな。事情を聞いたら教えてくれた。お前のこと、なのだろう?」

「はい、そうです。あの……あなたは……えっと」

 おずおずと黒い男の顔を覗き込む。優しい表情を崩しはしないけれど、どこか影を落とした瞳をしていて、ケセナは、思わず視線を逸らした。

「ああ、俺か。俺はグレン・ラティア。名乗るのが遅くなってすまないな」

「いえ、いいんですけど……あの、グレン……さん。族長が慌てていたって、どういうことですか?」

「ん? ファルが居なくなったって大騒ぎしてたんだよ」

 ファルと聞きケセナは身体を強張らせる。知らない、と全身が拒否反応を示していることにケセナは気付きながらも、どうすることもできず、背中を丸めて目を瞑る。

 そして、ゆっくりと口を開く。

「……俺、誰かに間違えられてて。怖くなって、逃げたんです」

 震える身体を、グレンは見ている。視線は感じるけれど、ケセナは顔を上げることができなかった。ファル、と口にしたグレンの言葉は、とても自然に感じた。恐らく、グレンも“ファルイーアを知っている”と直感する。

 今、顔を見られたら、自分が“ファルイーア”だと言われるかもしれない。

 恐怖が、ケセナの全身を駆け巡ると同時に、応龍狩りの風景が瞼に写り、頭を振る。

「そうだったのか。まぁ、キョウのあの様子じゃ、逃げたくなる理由も分かるなぁ。でもキョウはどうして、ケセナ君を見てファルだと思ったんだろうね?」

「え?」

 けれど、グレンが言った言葉は、真逆のことだった。ケセナは顔を上げ、グレンの様子を探る。そして、グレンは、気付いていないと、確信する。

「俺さ、こんな所に連れて来ただろう? 怒られたらどうしようって思ってたんだ。ただの散歩に出かけて道に迷って帰れなかっだけ、だったらどうしようかな、って思ってたから、ちょっと安心した」

 グレンは「ほら、冷めるから食え」と付け加える。

 ケセナは促され、食事を始めた。少し冷めてはいるけれど、水炊きは思った以上に美味しくて、強張った身体を解す。三日振りに食事を受け入れる胃が満たされて行く。

 相当、お腹が空いていたのか、ケセナはそのまま無言で食べ続け、グレンから「おかわりあるぞ」と言われれば、お椀を差し出すこと五回。

 三回目くらいからラルの視線が痛かったが、ケセナはしっかりと無視を決め込んだ。

「ごちそうさまでした」

 ふぅ、と息を吐きながらお椀を置いたケセナに、グレンは半ば呆れた表情をしつつ「お粗末様」と言うと、鍋とお椀二つを持って立ち上がる。

「あの、俺も!」

 このままではラルと二人っきりにされると思い、ケセナも立ち上がる。ちらりとラルを見れば、ラルは明後日の方向を向いて座ったまま、布巾を無言で差し出して来た。受け取れ、と何度か腕を上下させる。

「ありがとう」

 ケセナは布巾を受け取り、小走りにグレンを追いかけ、左隣まで来ると歩調を合わす。けれど、足の長さの違いか、ケセナは小走りの状態のままだった。

 グレンは背が高い。ガイアよりも、そしてオウセイよりも。オウセイの身長を思い出しながら、ケセナはグレンを見上げる。黒い衣服は制服のようで、威厳を漂わせている。そして、その衣服の左肩に紋章が刻まれていることに、ケセナは気付いた。

 ケセナはその紋章をどこかで見た記憶がある。翼を持った龍が描かれている紋章。黒い生地に目立たぬ灰色の糸で刺繍されたそれは、間違いようもなく、応龍だった。どこで見たのかを思い出せば、プラークルウの、応龍宝刀の鍔だった。鍔には二匹の翼を持つ龍が掘られている。応龍の紋章が付いた制服を、隠しもせず誇らしげに着続けるグレンに、ケセナは少し興味を持った。

「応龍……?」

 ケセナが紋章を見つめたままぽつりと呟けば、グレンは自分の左肩を見て苦笑し、肩を竦める。

「この騎士団制服、気に入っててな。捨てれないから着てるんだ」

「あの……元騎士団長って……?」

 騎士団と聞き、ケセナはあの夜の、野盗とグレンとの会話を思い出し、恐る恐る聞く。すると、途端にグレンは顔を曇らせた。

「……覚えてたか」

 グレンは罰の悪そうな表情を浮かべる。触れてはならない事柄だったのかもしれない、とケセナは反省し、謝罪する。

「す、すみません……」

「謝ることじゃないさ。そう、俺は応龍騎士団、元団長だ。今は野暮用で旅をしている、しがない旅人だけどな」

「野暮用?」

「人を探している。ちょっと訳アリでね」

 言い切ったグレンの顔が、ガラリと表情を変えた。怖い、とケセナは素直に思う。人探しのその相手に対し、グレンは深い憎しみを抱いていることがひしひしと伝わってくる。ケセナは、話題を変えようと、必死に考える。

 とは言え、初対面の相手に話題にしていい話はそう多くはなく、苦肉の策に出る。

「グレンさんと、ガイア族長とキョウさんとのご関係って聞いても?」

「あの二人は俺の生徒。もちろん、ラルも」

 すると、グレンは表情を一変させた。内心で安心しつつ、質問を続ける。

「生徒……? グレンさんは、教師ですか?」

「違うよ。武術を教えてたんだ」

「武術、ですか?」

 きょとんと、ケセナは首を傾げる。武術と言われても色々な種類がある。騎士団長なのだから、偏見ではあるけれど、剣術に長けているのは理解できる。が、武術と表現する理由が分からなかった。

「そう。剣術とか槍術とか、体術とか、その他諸々、武術と呼ばれるもの全般」

「全般!?」

 ケセナが思わず叫ぶと、グレンは笑う。

「どうしてそんなに驚くかな」

「え、だって、普通、剣術だけ、とか何か一つに特化して、でしょう……?」

「いや、でしょう? って聞かれても。俺がたまたま子供の頃から武術全般に手を出してただけで、それがそれなりに出来るって理由なんだけどな? それぞれ使いたい武器を聞いて、それぞれ教えてたんだけど?」

「『達人』って貴方みたいな人のこと言うんですね」

 ケセナは感嘆する。自分も何か教授願いたかった。抜群に剣の扱いが下手で、よくプラークルウに怒られたことが頭を過ぎる。あのけたたましい怒号は忘れていたかった、と左右に首を振って深呼吸をし、ふとプラークルウが心配になった。どうしているだろか。

「違うよ。両親から、魔術が使えないなら武術だけでもできるようになれ、って言われてそうなっただけだから」

「それはまた、凄いご両親ですね」

 魔術が使えないから武術、と言う両親がいるグレンの複雑そうな家庭環境を思い浮かべる。

「末っ子だったからな、俺」

 笑いながらグレンはそう言うと、鍋を持ち直す。そうして、ケセナがラルと顔を洗った泉が見えてくると、嬉しそうに「見えた見えた」と早歩きをして行ってしまう。

 そんな姿に、ケセナはグレンが末っ子であることに妙に納得した。全体的な雰囲気とでも言うのか、末っ子を体現しているように感じてしまったからだ。

 けれど、どこか憎めない。

 年齢は三十歳くらいか……と思い、ケセナは、鍋やお椀を口笛を吹きつつ洗うグレンに質問をする。

「あの、グレンさんって、お幾つなんです?」

「ん? 俺? あ――――……年齢……?」

 何やら困惑しているグレンに、ケセナは眉を顰める。何度か首を傾げた後、グレンは漸く思い出したのか、頷きながら確認するように言う。

「ああ、そうだそうだ。三十七。……確か」

「ちょ、確かって……え? 三十七?」

 半分呆れながら、その年齢に驚く。見えない。あと三年で四十歳の風貌ではない。そこでふと、ケセナは不安を感じ、おずおずと質問を続ける。

「ラルさんは……?」

「ラルは十八」

「族長と、キョウさんは……?」

「ガイアとキョウは同い年で、二十五だった筈」

 ラルが二つ下で、あの二人が五歳も年上だったという事実。ケセナは盛大に反省する。とは言え、三人とも歳は近い。

 人は見た目じゃない、と自分に言い聞かせながら、ケセナは息を吐く。

「なんで年齢なんか聞くんだ?」

「……気になっただけです」

 くぐもった声でそう答え、ケセナはグレンが洗った鍋を持ち上げ、ラルから預かってきた布巾で、乾拭きを始めた。

貴重なお時間をいただきお読みくださいまして、ありがとうございました。

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