■6■
恐怖に駆られたケセナは、暗闇を一人、足早に歩いていた。
いつ襲われても対応できるように、身体を屈め神経を張りつめて歩く。続く暗闇の中を目を凝らし瞬きも忘れ、注意深く見る。目の乾きが気になりだすけれど、ケセナはしっかりと両目を開けていた。
しかし。
暫く歩き続けていると、襲撃される恐怖よりも、不安が襲って来ていた。なにしろ、自分の所在地が把握できない。
「ここ、どこだろう……」
ケセナは方角すらもあやふやになっていた。完全に、迷子だ。ポケットに手を入れ球体を取り出そうとし、ケセナは青褪める。
「……ない?」
球体に最後に触れたのは、確か、ベッドの上でだ。キラキラと光る球体を見た。
見て、どうしたのか。
持ったまま寝転び、それから……。
「あ……あの時」
ケセナは、自分の行動を思い返し、小さく呻く。身体の力を抜いた際に、何かがベッドから落ちる音がした、ような気がする。ケセナは立ち止まり、額に手を当てた。
「落ちたのってあれだったんだ……」
振り返るけれど、闇に包まれていて戻る道が分からない。ケセナは途方に暮れる。
あの球体がなければ、持ち物が殆どない。現在、ケセナが持っている物は、乾ききっていない衣服。紺色のマントと黒い皮手袋。すぐに取り出せるようにと買った短剣。あまり金銭の入っていない財布。それだけだった。取りに戻った方が賢明なのは明白ではあるけれど、自分がどうやって歩いてきたのか記憶がない。お手上げだった。
恐怖に慄き、適当に歩いてきた自分を責める。
そもそもなぜこんな突発的な行動に出てしまったのか。色々な意味で焦ってはいるが、冷静になった今では不思議に思う。けれど、それでも、応龍狩りの被害者にはなりたく無いという感情は残っていた。ケセナは頭を振る。
「兎に角、どこか安全な場所――――……ってあるのかな」
フェルナリアの安全な場所は、恐らくガイアの家がある生活区域だけだろう。離れれば、夕暮れに見たあの人一人いない廃墟の街だ。そして、ケセナの現在地は予想せずとも廃墟の街路だ。
「とりあえず、建物の中にいた方が安全かな」
ぽつりと呟いて原型が残っている家を探すことにした。暗闇に目が慣れてきているおかげで、少しだけ周囲の状況が掴め、探すのは容易い。だが、どの家も滅茶苦茶に壊されていて、手頃な家がない。
不安に押し潰されそうになって来た頃、突如、物陰から人影が飛び出して来た。ケセナは身構え叫ぶ。
「誰だ!?」
人影は複数だ。正確な人数は分からない。さらに、ケセナは包囲されていることに気づく。思わず「プラウ」と言い掛け、下唇を噛み止まる。球体は、ここにはないのだ。ないということは、刀を取り出すのは不可能だ。
警戒しながら、ケセナは腰の短剣に手を置く。武器は、これしかない。
「……おいおい、なんだよ、男かよ」
「ったく、誰だ? 女が歩いてるって言ったのはよぉ?」
人影の一人が嘆息混じりにそう言うと、他の人影も残念そうな声を上げる。ケセナは女に間違われていたことに驚きながら、警戒をさらに強めた。
「しゃあねぇな。男には用はねぇんだけど。でもまぁ、頂くモンは頂こうか。おい兄ちゃん、金目のもん、置いてきな」
「そうすりゃ、命は助けてやるってんだ」
金目の物と言われても、今のケセナは短剣くらいしか持っていない。ケセナを取り囲む男たちは、気味の悪い笑い声をあげ一歩一歩、ケセナに近づいてくる。しっかりと短剣の柄を握り、この状況をどう打破するか考える。
人影が顔の認識ができるくらいまでに迫って来て、ケセナは目を見開いた。見覚えのある顔が二名ほどいたのだ。巨漢と痩せ……見間違う筈がない。数時間前に会ったばかりなのだから。
「あ、お前っ!」
「お前は! さっきの!」
凸凹コンビの二人がケセナを見て叫んだ。ケセナは顔を顰め、ちっと舌打ちする。
「……何?」
二人の叫び声を聴き、一人の男が低い声で呻いた。気味が悪いとケセナは感じ、声のした方を見やる。背の高い男が一歩、歩みでてきていた。暗くて良くは見えないが、ギラギラとした目だけは分かる。
「お前が、この二人を伸した奴か」
伸してはいないと言い掛けて止め、ケセナは一呼吸置いた後、言う。
「……だとしたら?」
若干、挑発的な発音になってしまい、ケセナは「しまった」と内心で呟き後悔する。歩みでた背の高い男は、鼻で笑う。
「面白い。おい、お前等、こいつは二人の仇だ。やっちまえ!」
「!!」
男の呼び掛けに、人影が一斉にケセナに飛び掛かる。ケセナは短剣を引き抜き応戦するけれど、相手は剣や槍などの大型の武器。それも四方から攻撃してくるため、防ぐので精一杯だ。
「く……っ」
防ぎ切れず服が裂け、肌に切り傷が入る。鮮血が流れるけれど、ケセナは動きを止めなかった。いや、止めれなかった。
無数に振り下ろされ、突き出される武器を避けながら、防御戦を続ける。切りがないが、短剣のみでは反撃にでることは難しい。交わし切れない物も中にはあり、身体に傷ができていく。
永遠とも思える攻防が続く。
ケセナの息が上がり始め、足が縺れ始めると、隙を狙われ攻撃を受けた。ケセナは必死に避けるけれど、容赦なく身体を切りつけられていく。致命傷はなんとか避けるために、身体を捩り応戦し続ける。
朦朧とした意識の中でケセナは、自分が立っているのが奇跡のように思えてきていた。
「やるなぁ、兄ちゃん」
そんなケセナに、先ほどの背の高い男が感嘆の声を上げると、雨のようだった攻撃が止んだ。肩で息をし、満身創痍のケセナは、男をぎろりと睨む。
「いいねぇ、その目。わくわくするぜ」
にやり、と笑みを浮かべた背の高い男は、自分の背中にある長剣を鞘から抜いた。ケセナは目を見張った。リーチもそうだが、短剣であの長剣を防ぎ切る自信がない。
「俺の愛刀の錆にしてやるぜ。光栄に思え」
「……」
無言で、男の出方を待つ。一か八かの賭けにでよう、とケセナは思う。男がその長剣を振り翳すとき、隙ができる筈だ。その瞬間、男の懐に飛び込めば、勝機はあると考えた。短剣で勝利を得るには、それしかない。
男がゆっくりと左手で長剣を持ち上げる。その瞬間、ケセナは地を蹴った。男の懐に飛び込む。だが、長剣は振り翳されず、男は真横に長剣を薙いだ。ケセナは驚いて半身引くけれど、長剣の剣先がケセナの右頬に触れた。そして、一本の真横の切り傷を作り、血が吹き出す。ケセナは倒れまいと足に力を入れ踏み止まった。ぽたぽた、と血が落ちた。俯きそれを眺めながら、ケセナは大きく呼吸をする。
「判断は褒めてやる」
男は不敵な笑みを浮かべた。頬を拭い、手に付いた血を見ながら、ケセナは男を睨むけれど、身体は限界を迎えようとしていた。無数にできた切り傷がじくじくと痛み、火照っている。ケセナは顔を歪ませ、その痛みに耐える。
「ったく、こんな奴に伸されるなんてな……もう少し遊べるかと思ったんだがなぁ……」
男はぼやくと、長剣を持ち直す。右手に、持つ。
「右……利き……?」
「はん、俺は『両利き』だ」
呟いたケセナにそう答えると、男は長剣を振り翳した。飛び込むチャンスを逃したケセナは、きつく目を瞑り、最期だと悟り覚悟する。
「……?」
……が。しかし。
長剣が振り下ろされ、身体に強烈な痛みが走り、自分の最期の瞬間となるのを待っていたのだが、中々訪れず、ケセナは恐る恐る目を開けた。そうして、背の高い男が長剣を振り翳したまま固まっているのを見た。
「……え?」
男は、ケセナの背後にあるものを凝視して凍り付いていた。ゆっくりとケセナは肩越しに後ろを見る。ケセナの真後ろに、暗闇にも負けず劣らない真っ黒な衣服を着込んだ男が悠然と立っていた。どうやらケセナを襲う男たちは、その真っ黒な男を知っているようで、取り囲んでいた男たちは、散り散りに逃げ始めている。
「……?」
怪訝にその様子を眺め、ケセナは呆然と立ち尽くす。
長剣を構えたままの男が、わなわなと震えながら言う。
「お前……グレン・ラティア……? なぜ、ここに…!?」
グレンと呼ばれた真っ黒な男がぽりぽりと頭を掻き呻く。
「なぜ、と言われてもなぁ。なんか小さいのが虐められたから、つい癖で」
「癖……?」
ケセナが思わず呟く。どんな癖だよ、と思考を巡らせていると、男は長剣を力なく下ろした。
「久し振りと言うべきなのかな? マティス?」
長剣の男……マティスは、名を呼ばれ、罰が悪い表情を浮かべる。
「ったく、三年振りの感動の再会がこれかよ。最悪だな」
「お前が野盗の真似なんてしてるからだろ? 食うに困るからって野盗はダメだろ、野盗は」
「うるせーな。小言王子が。仕方ねぇだろ。俺ら玄武族は仕事にありつけねぇんだよ。つーか、お節介な裏切り者の元騎士団長様が、なんでこんなとこにいんだよ」
裏切り者。元騎士団長。その言葉を聞いてケセナは眉を寄せ、真っ黒な男……グレンを凝視する。そして、『ファミラス』で騎士団を持つのは皇帝、つまり『皇帝直系応龍族』しかいないと、あの分厚い本で読んだとうっすらと思い出しながら、二人の会話を聞く。
「野暮用で、ちょっと。詳しくは言えないけどね」
「あ――――……そうかよ、そうだろうよ。お前は昔からそうだもんな」
「随分と嫌われたものだなぁ」
「そりゃ、嫌うだろ。あんたは皇帝に付いた“裏切り者の玄武王族”だ」
グレンが肩を竦め半ば呆れた顔で笑うと、ちらりとケセナを見た。ケセナは驚いて目を逸らし、左手で右頬を擦る。まだ血が出ているらしい右頬がズキリ、と痛みを走らせ、左手をそのまま右頬に添える。そうして、腕や身体に多くの生傷があることを実感し、身体全体がきしきしと悲鳴を上げている事実を思い出す。
「……っ」
途端、痛みが走りケセナはふらついた。
「おっと」
倒れる寸前でグレンに支えられ、ケセナは顔を上げるけれど、瞼が重い。このまま瞼を閉じれば、倒れるだろう。ケセナは身体全体を奮い立たせた。しかし、それは無意味に終わる。身体がケセナの言うことを全く聞かない。力すらも入らなくなってきて、ケセナはそのまま、意識を手放した。
倒れ込むケセナを抱き、グレンは溜息を吐く。
「今日の所は俺に免じて、見逃してやってくれないかな」
にこやかにグレンが言うと、マティスは背中の鞘に長剣を仕舞う。
「免じるもなにも、気が削がれた。じゃあな!」
マティスは笑ってグレンに背中を見せ、暗闇に消えていく。グレンは黙って見送ると、腕の中のケセナを抱き上げた。平均よりも小さいが、男の重さではない軽さに驚きつつ、ケセナの顔を覗く。
憔悴し切ったケセナの顔は、青白かった。致命傷を受けている様子はないが、なにより傷が多い。その殆どが切り傷で、出血も多いのだろう。右頬の傷が一番深そうに見える。なんにしろ、安静にしなければならない状態だ。
「……確かに少し、似ている……ような気がするな」
少々面倒臭そうに言い放ち、ケセナを抱き直すと、グレンもまた、暗闇に消えて行った。
貴重なお時間をいただきお読みくださいまして、ありがとうございます。