皇帝と魔女の関係
裏門をくぐると、目の前には広い庭園と敷地内を流れる川が目に入る。
丘の上に立つ城内に川があるなど普通ならあり得ないが、この不思議な現象も魔女の魔法によって成し得ているものだった。
その昔、現皇帝の祖先が城を建てた時に城内に川をつくり、ゴンドラを浮かべたいなどという贅沢極まりない発言を受けて魔女がこの丘の上まで水を引いたことがことの発端らしい。
当時の皇帝が崩御した後も、川は維持され、今では他国からの賓客や貴族をもてなすための見世物のようになっている。
川にかかった石橋を渡った先には宮殿がそびえ立ち、見知った彫刻がお出迎えしてくれる。
帝国の主張と威厳、財力の誇示にリーシャはうんざりとしながら宮殿に足を踏み入れた。
中央棟二階、閣議の間の扉前で一呼吸おく。
「失礼いたします」
外から声をかけ、扉を叩いて部屋に入ると、がやがやとした喧騒がぴたりと止む。
長机を囲んだ人々は皆軍服を纏い、硬い表情のままリーシャに視線が集まる。
中でも一際険しい表情で睨む視線を受けて、リーシャは先手を打って深々と頭を下げた。
「遅くなって申し訳ございません。リーシャ・リベリア只今到着致しました」
「遅い。どの身分で遅刻してきたのかしら」
「申し訳ございません」
「あら、だんまりを決め込むつもりね。大事な定例会議に遅れるなんて許さなくてよ」
どうせ今日も実のない会議をしていたんだろうという言葉は喉の奥で止めておいた。
落ち着いた声でチクチクとリーシャに小言をつきつけたのはドルネイ帝国で最も力のある魔女アリエラだ。
アリエラが名実ともにドルネイ帝国で最も有力な魔女だといわれる理由は二つある。
一つはその力だ。幼少のころより帝国の魔女として修練、教育されてきたアリエラは元々魔力の源泉マナに恵まれ、力の使い方を頭に叩き込まれている。
リーシャをはじめ同族の魔女でさえ、アリエラに逆らえば明日はないと思っている。
そしてもう一つの理由は…――――
「そう怒るなアリエラ」
「ロードメロイ様」
「可愛い顔が台無しだぞ?」
甘いテノールの声でアリエラを宥めたのは宮殿のとこかしこの彫刻や肖像画のモデルになっている男だ。
言わずもがな、モデルにされているロードメロイはドルネイ帝国の現皇帝である。
先帝の早すぎる死に、二十四という若さで皇帝を継いだ形となったロードメロイはドルネイ帝国の歴史上、最も若くして皇帝に就いた男だ。
その地位と権力のみならず、甘いマスクとほだされる様な物言いに多くの女が篭絡されたことだろう。
かくいうアリエラも信者と呼べるほどロードメロイに心酔している女の内の一人だ。
「ロードメロイ様、なぜリーシャを庇うのですか。大事な会議に遅れてきたんですもの、罰をお与えください」
当然、自分が愛してやまない男が他の女を庇ったとあれば面白くない。
嫉妬深いアリエラなら尚更風当たりは強く、リーシャも家を出た時点で何らかの罰が与えられることを覚悟していた。
しかし、ロードメロイの考えは違った。
「罰を与える必要はない。リーシャが遅刻してきたのは初めてのことだ。一度目くらいは許してやろう」
「けどっ……」
昔からロードメロイはアリエラに甘いが、同じくらいリーシャにも甘い。
それが何故なのかリーシャには分からないが、アリエラのように騙されるつもりは毛頭ない。
何故ならリーシャはこの笑みの裏に隠されたロードメロイの本性を知っているから。
「アリエラ、私の決定が気に入らないのかい?」
「い、いいえ。そのようなことはございませんわ」
「ならわかってくれるね?」
有無を言わせない物言いに押される様にアリエラは腑に落ちてはいなかったが頷いた。
ロードメロイは笑みを深めてアリエラの頭を撫でる。
「聞き分けの良い子は好きだよ、アリエラ」
頭を撫でられただけで燃えるような嫉妬心を払拭できるのだ、アリエラの性格も単純にできている。
そんな口外できないことを頭に浮かべていると、「リーシャ」とテノールが低く響く。
「二度目はない。わかっているな?」
「…はい」
リーシャはロードメロイが垣間見せた冷たく底光りする瞳にゾクリと身の毛がよだち、過去の嫌な記憶がよぎった。