帝国魔女の憂鬱
ライルを見送った後、リーシャは時計を見て驚く。
時刻は10時を示しており、リーシャは慌てて髪と瞳をもとの黒に戻し、飾り気のない黒い衣装を纏う。
フードつきのローブを羽織りながら外に出て、誰もいないことを確認してから外壁に立てかけられていた庭箒に足を揃えて座ると、ふわりと浮き地面を離れる。
魔女は自分自身を浮かせることはできないため、空を移動するときは何かしらに浮遊魔法をかけて移動する。
そのため、対象が箒である必要はなく、絨毯などでも良いのだが、リーシャは昔から箒を愛用していた。
リーシャが向かう先はドルネイ帝国の首都モリア。
ライルと同じ方向であったため、回り道をするしかないと早々に諦めて東へ向かった。
リーシャの家からモリアまでは距離にして数キロだが、行く手を深い森が阻む。
魔女であるリーシャにとってはこの深い森は家を隠してくれる絶好の場所だが、ふとライルは大丈夫かと不安に駆られる。
初めて訪れた国の、しかも森の中で進む方向すら分からないのではないか。
気になったらいてもたってもいられないリーシャは箒の頭を北に向けて方向転換した。
最悪見つかったとしても、フードをかぶっていれば魔女が飛んでいるくらいにしか思われないかもしれないだろう。
暫く飛んでいくと、森の中を歩くライルの後姿を見つけた。
その方向がまっすぐ首都モリアに向かっていることに安堵する。
ほわんとした雰囲気を持つライルだが、方向感覚はしっかりとしているようだ。
リーシャは再び東に向かおうとした時だった。
何の予兆もなくライルが振り返り、まっすぐリーシャの方向を見上げた。
「ッ!」
リーシャは咄嗟にフードを手繰り寄せて口元まで覆う。
そして、一目散にその場を去った。
モリアの入口付近まで目にもとまらぬ速さで飛んできたリーシャはやっと速度を緩める。
(なんで気づかれたの?)
リーシャは内心焦っていた。
ドルネイが国境警備のために敷いている索敵魔法が張られているならまだしも、ただの人間に気付かれることなどまずありえない。
偶然にしては振り返る動作に迷いがなかったし、魔女を目の前にしてあの落ち着き様はおかしい。
森を抜け、いつしかモリアの居住区へ入ったリーシャは眼下の光景を見て自分の考察があながち間違いではないのではないかと思う。
もし魔女が飛んでいたなら、今リーシャを見つめる人々のように恐怖や嫌悪を見せるはずだと。
(まさか魔女の存在を知らないということはないだろうし…けど、だとしたらなぜ…)
悶々と考えていたリーシャがふと気づくと目的地が目の前に近づいていた。
眼前には城下町の中心の小高い丘の上にそびえたつ荘厳な城。
細部にわたって贅沢の限りが尽くされたその城は東西と南北に一キロメートルはある丘の敷地を余すことなく使い、建てられたものだ。
高い壁に囲まれた敷地内にはいくつもの庭園、温室、乗馬場、協会、そして宮殿がある。
丘の上の敷地は間違いなくドルネイ帝国の王族が住まう城であり、リーシャの目的地だった。
リーシャは城を前にして降下していき、北側の裏門を目指す。
近づいてみないと分からないが城には薄いベールの様な魔法障壁があり、これに触れれば浮遊魔法程度の魔法は瞬く間に消え、地面に叩き付けられるのだ。
「リーシャ様!」
門番の少年が下りてくるリーシャを見上げてほっと安堵したような表情をする。
リーシャは相変わらずの仰々しい呼び方に恐縮しながら「遅くなってごめんなさい」と小さく声をかけて、裏門の前に下りる。
「お待ちしておりました。皆様お揃いですよ」
ふわふわとした蜂蜜色の天然パーマが印象的なその門番の少年は怒ることなく裏門を開く。
そのキラキラとした笑顔は眩しいくらいで、見ている者まで晴れやかな気持ちにさせるような笑顔だが、この裏門をくぐった先に待ち構えているものを頭に浮かべたリーシャにとっては少年の笑顔も霞むくらいどんよりと憂鬱な気持ちになる。