魔女であるが故に
目の前にあるのはライルの柔らかな笑みと宙で止まった手だけ。
リーシャは考えあぐねた結果、指輪に触れていた手を伸ばし、指先だけでライルの手のひらに触れた。
するとライルは長い指でゆっくりとリーシャの手を包み込む。
途端、リーシャはハッと短く息を飲み込み、吐き出すことを忘れたかのように固まる。
「助けてくれてありがとうリーシャ」
「ど、どういたしまして」
これが人との挨拶の一種だと知らないリーシャはただただ身の内で破裂せんばかりの心臓の鼓動と頬に集中する熱に翻弄された。
「ああああの…も、もういいでしょう?」
「すまない。嫌だった?」
眉尻を下げて少し寂しそうに笑ってそう聞いたライルにリーシャは自分でも迷いながら首を横に振った。
リーシャが無意識にライルに触れる行為を拒絶したのは自身が魔女であることが少なからず原因している。
魔女の出生について、魔女は変異によって生まれるものではなく、母親の遺伝によって生まれるものという歴史的証跡がある。
そして、魔女と総称されるように、何故か女にしか魔女の力は受け継がれないのだった。
多くの学者は魔法の源泉であるマナは女にしか宿らないものであり、かつ魔法という使いようによっては希少価値の高い技術は継承されなければならないと遺伝子に組み込まれているのだと説を唱えている。
母体となることができる機能があるのは女だけであるため、これは学者の間でも定説となりつつある。
リーシャはそれらの知識があるだけに、自らは子孫を残さないと考えていた。
だからこそライルに触れられたとき、自分の想いとは関係なく無意識に拒絶反応をとってしまったのだ。
しかし、リーシャが抱いた感情は決して嫌悪ではなかった。
むしろ嫌悪とは別の何か例えようのないむず痒さのようなものがこみ上げてこそばゆかったのだ。
しかし、リーシャには首を横に振る以外に嫌ではなかったと証明できるほどの言葉は持ち合わせていなかった。
「あの…もう体はいいの?」
リーシャは触れられた手をひっこめ、熱を帯びた手をもう一方の手で冷やしながら話題を変える。
「ひと晩寝たら治ったよ」
「そう…」
会話が途切れる。
こうして人と接することが少ないリーシャは会話のキャッチボールが下手だ。
なんとなく気まずい雰囲気に耐え切れなくなったとき、ライルが言いにくそうに「相談なんだが…」と口を開く。
何だろうかとかまえていると、ライルは真面目な顔でリーシャを見つめた。
「暫くここに泊めてもらえないだろうか」
その言葉を受け入れるのに一秒、二秒……再び固まった。
「へ…?」
「その反応はもっともだと思う。さっき君に簡単に男を家に上げるなと説教じみたことを言っていた男がなにを言い出すんだと思うだろう。しかし体裁を気にしている状況ではなくてね」
「商人なら私たち平民よりもお金持ちでしょう?街の宿屋じゃだめなの?」
「恥ずかしいことに、金の入った荷物ごと奪われてしまったんだ」
ライルの言葉にリーシャはライルが裏路地に倒れていた時の状況を思い出した。
倒れていたライルの周りには荷物がなく、嘘はついていないことは確かだった。
「ドルネイに来たのはつい昨日のことで知り合いもいない。国に戻ろうにも金がないし、何の成果もないまま国に戻ったらそれこそ笑いものだ。せめてまとまった金ができるまで置いてはくれないだろうか」
「それってどのくらい…?」
「三か月はかかる」
思ったよりも長かったのか、リーシャは返答に困った。
冷静に考えればまず仕事を探すところから始め、仕入れの目途が立つまで働くとなると、当然それくらいはかかるだろう。
身ぐるみはがされた状態で見知らぬ地に放り出され、泊まる場所もないライルに同情はするが、自分の家に泊めるとなると話は別だ。
「もちろんただでとは言わない。仕事が決まれば働きながら家賃を払うし、家のことは全てやる」
「家のこと?」
「見たところ君はあまり家事が得意でないようにみえるんだが」
部屋を見渡してそう言ったライルにリーシャはうっ…と言葉に詰まる。
二人の目線の先には食器の入っていない食器棚、鍋やフライパンなどの調理器具のない台所が目に入る。
ライルが言ったことはまさにその通りで、リーシャは家事が得意ではない。
特に料理に関してはてんで駄目で、味付けや調理方法以前に、どんな食材をどう料理して良いかすら分からないのだ。
ハーバー夫妻の料理の真似をして何度か自分で料理をしたことはあったが、料理というよりは素材そのものを焼いただけのもので、美味しいと言えたものではなかった。