年に一度のお祭り
ドルネイ帝国首都モリア中央区――――
敷き詰められた石畳の道が夕日に照らされ、柔らかな色が街を染め上げる頃、重厚な鐘の音が響き渡る。
いつもならこの鐘の音とともに大通りの市場は店仕舞いを始めるのだが、この日は違った。
大通りの賑やかさはそのままに、そこかしこから子供たちが楽しそうな声を上げながら、皆一様に街の中心に向かって駆けていく。
大通りへ続く道は瞬く間に人で埋め尽くされ、さながら人の波ができていた。
中心街に集まろうとする人々たちの波に逆らうように歩く塊がひとつ。
人々の視線を集めるその女は黒いフードを深くかぶってフードつきローブを羽織り、建物の壁に沿うようにして歩く。
いくら壁側といえど、道幅いっぱいに広がった人々に阻まれそうなものだが、不思議と女が中心街に流れていく人々とぶつかることはなく、女もまたその理由を知っているからこそ歩調を速めた。
ちらちらと集まる視線に居た堪れなくなった女は大通りへ流れる道を逸れ、細い裏路地へと逃げ込んだ。
「ふぅ…」
裏路地の壁に背中をつき、女は短い溜息をひとつ吐き、フードを降ろす。
羽織っていたローブごと素早く脱ぐと、絹糸のような細い金色の髪が薄暗い路地裏にふわりと靡いた。
「なんで今日はこんなに人が多いの?」
「あ!リーシャ!」
呟いた独り言に被さった声にリーシャと呼ばれた女はビクッと肩を揺らし、声の聞こえた方を見る。
すると路地の向こうからカラフルな渦巻き飴を持った少年たちが無邪気な笑顔をして駆けてきていた。
「なんだ、ジャンだったのね。もう、びっくりさせないで」
先頭を駆けてきた少年を見てほっと胸を撫で下ろしたリーシャは手に持っていたローブを素早く丸めて後ろに隠した。
「びっくりした?ごめんね」
「裏路地を通っちゃだめだってグリンダさんに言われてるでしょう?」
「リーシャまでお母さんと同じこと言うなよな。俺もう今年で十五歳だぞ?もう軍にだって入れるんだからな」
ふて腐れた顔でそう言うのは、街外れで小料理屋を営んでいるハーバー夫婦の一人息子のジャンだ。
街外れという立地にもかかわらず多くの人が訪れるその店にはリーシャもよく訪れており、繁盛している店を手伝うジャンと顔見知りになるのには時間がかからなかった。
ジャンは店に訪れる客に可愛がられ、実際に年頃の割にはよく働いていると思うのだが、時々こうして店を抜け出すことがある。
もちろんハーバー夫婦はジャンが店を抜け出して街に出てきていることなどお見通しで、こうして街の子と遊ぶことも必要だと思っている。
「だからって裏路地を通っちゃ駄目でしょう。何かあったらどうするの」
「何もないよ。何かあったとしても俺たちがやっつけてやる!」
年頃の男の子はどうしてこうも無茶をしたがるのだろうかとリーシャは頭を抱える。
少年から成年への過渡期にあたる今、体格的にも成長していることが強さへ繋がっているとでも思っているのだろうか。
ジャンの場合、それに正義感も加わっている気もするが、どちらにせよこのまま行かせるわけにはいかない。
「帰りにお店によってグリンダさんにジャンが裏路地を通って街に行ってたって言うわよ」
「な!リーシャの裏切り者!いつも飯作ってやってるだろ」
「ご飯を作ってくれてるのはグリンダさんとフレッドさんです。それと、ジャン。いつも言ってるけどリーシャ“お姉ちゃん”でしょう?」
リーシャがジャンの頬を抓りながら注意すると、ジャンはこれ見よがしに両手を前に合わせて頭を下げる。
「頼むよリーシャ姉ちゃん。今日だけだから」
「どうかしら」
都合の良い時だけ従順になられてもと思って突き放すと、ジャンはすがるような目で訴える。
「ほんとだって。今日は年に一度の祭りだろ?早く行かなきゃ演劇の席がうまっちゃうんだよ」
必死で訴えるジャンに、リーシャは何かを思い出し、先ほどまで歩いていた道を見た。
「そっか、今日はドルネイの建国記念日だったんだ。だからこんなに混んでいたのね」
「そうそう。俺ら子供だからさ、あの波にもまれると移動しづらいんだよ。だから、な?」
もっともらしい理由をつけて説得を試みるジャンはどうしても大衆劇を見たいらしい。
期待に満ちた目を見つめること数秒。先に折れたのはリーシャの方だった。
「分かった。今日だけよ」
「さすがリーシャ!ありがとな」
「だからリーシャ“お姉ちゃん”」
自分の保身の安全を確保できたと思ったや否や走り出すジャンに向かってリーシャは大きな声で叫ぶ。
「はーい」と背中で返事をしたジャンに肩を落としながら、その後ろ姿が見えなくなったのを確認して踵を返す。
そして、リーシャは先ほどよりも足早に裏路地を歩き始めた。
今日は一年に一度の大きな祭り、建国祭があることをすっかり忘れていた。
建国祭とはここドルネイ帝国が建国されたことを祝う祭りで、聖堂前広場で催される大衆劇や大通りでのパレード行進、様々な出店が軒を連ねるこの日をドルネイの国民は楽しみにしているのだ。