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リレー小説「仮想彼氏・只今・戦闘中」

仮想彼氏・只今・戦闘中 プロローグ

作者: 采火

 さらさらと水を含んだ風にさえなびく彼女の髪の甘い匂いに気付いて、僕は思わずほほえんだ。本当は琴音さんに見とれているけれど、それを押し隠しす。だって気付かれたら恥ずかしいから。


「琴音さん」


 それでも勇気を出して声をかければ、琴音さんは僕に気づいて微笑みかけてくれた。その笑顔はまるで快晴の青空で輝く太陽のように明るい。僕の気持ちも澄んだ青空に浮かぶ雲のように揺れた。雨だけど。すごい雨だけど。東京品川は今日はずっと晴れる、と言っていた天気予報が嘘をついた。

 常盤琴音。それが駅で立ち往生していた僕を迎えに来てくれた彼女の名前だ。

 女の子らしさを全面的に押し出してきた短めの白いシングルトレンチコートが、雨でどんよりした空気の中で明るく映えている。トレンチコートの下はレースカラーのワンピースで、コートに合うようにしてある小花模様のふんわりとしたミニスカートの下では黒色のレギンスが細い足を覆っていた。

 赤い水玉模様の透明なビニール傘を右手で差して、大きめの紺色チェックの傘を左手に持っている。わざわざ駅まで来てくれた琴音さんの気持ちの温かさに、頬がゆるゆるとゆるんでしまう。

 ガーリー系の出で立ちには全く不釣り合いで傘を差す邪魔にもなるような黒いキャスケットを、彼女は深く被っていた。あれは僕が琴音さんと知り合ったころに送ったものだ。

 付き合い始める前に友達としてあげたものだから、こちらとしてはちゃんと使ってくれているのを見ると喜びが満ちてくる。例えそれで彼女のファッションがずれてしまったとしても、悪い虫がつかないから別に問題はない。

 この日の雨は突然に降り出した。さっきも言ったけど、最近は天気予報が嘘をつきまくるから質が悪い。彼女が迎えに来てくれなかったら、僕はこの雨の中、待ち惚けorずぶ濡れ確定だ。

 こういう調子が重なって恋の実を見つける事になる。甘い実はどこに成っているのか全く分からなくて、ふとした瞬間に目の前にぽとりと落ちてくる。僕らもそう。

 でも、全部の実が甘いとは限らなかったんだ。


○○○○○


 僕の高校時代は、何の才能もない平凡な男子高校生其の一だった。変化があまりない退屈な生活の連続で、勉強も部活も熱心ではなかった。やる気も何もなくて、周りにゆらゆら流されて自分を手放していた。

 そんな僕が唯一、現実感を見いだしたのがゲーム。現実を顧みないで、全く別の自分になれるゲームは僕の楽園だった。その日も僕は、帰宅後すぐにPCの電源を入れてゲームにアクセス。それが日課となっていた。

 「now loading」と点滅する文字をいつもより長く見つめた。だんだん苛々してくる。今日はなんかのアップデートがあったのかなぁ。そう思いつつ、ゲームのミッションに思いを馳せる。

 ゲームの僕はテロリストの一員。邪悪が蔓延る世界政府に宣戦布告をしてまわる。ミッションとは、MMORPGに分類されるこのゲームにおける、世界の在り方を根本から変えていく革命的なクエストの通称だ。

 建物から上がる赤黒い灰混じりの煙、頭が半分無くて倒れている女の人、片足がなくなってしまって泣いている男の子。某ゲーム会社だと推奨年齢Dランクレベルのラベルを付けないといけない程の残酷さ溢れるゲームだ。しかも死体は消えない。ミッションクリアをするまで死体は残る。

 僕は淡々とマウスをクリックし、キーボードを叩く。所詮はゲームなのだから、人を殺すのに躊躇いはない。ほら、もう各国の主要都市は壊滅寸前。ゲームだからこんなものだ。世界中で遊ばれているオンラインゲームなのだから、あっさりクリアできてしまう。

 マシンガンの音、民間人NPCの悲鳴、敵兵の雄叫び。バックサウンドは生々しくて最初は慣れなかったけど、今はとても良いBGMになってる。

 そんな感じで集中していても、失敗してしまうときがある。


「よそ見してると死ぬよ」


 コードネーム、…いや、アバターネーム《ひきこもり》さん。彼女はその黒髪をたなびかせて、颯爽と僕の背後を取った敵兵をその手のマシンガンで撃ち抜いた。

 名前に似合わず格好いい人。それが彼女の印象だ。鬼神の称号を付けるなら彼女以外にいないと思う。誰よりも多く敵を倒し、どこにそんな余裕があるのか素早いタイピングで仲間に的確な指示を出す。


「イヤナヤツ+イヤナヤツ=ミナゴロシ〜!」


 うおおおおおおおお! とか、はああああああああ! とか、アバターか出す声の他にチャットのsayモードで叫ぶ《ひきこもり》さん。本当になんでそんな余裕があるのか不思議だ。

 はっきり言ってかなり怖い。

 彼女がいる戦場はいつになく死屍累々としていて、仲間達も少し怖がるほどだ。理由は死体が怖いんじゃなくて、うっかり自分のアバターに攻撃されそうになるからだ。

 けれど僕は平気で彼女に着いて行く。理由は単純明快で、気になるからだ。ひたすら、彼女がどんな人なのか気になってしょうがないんだ。


「《ひきこもり》さーん。いつも僕より早くインして僕より後に落ちますけど、普段家で何してるんですか?」

「……え。わ、私ですか? えと、私は……」


 唐突だったかな? 続きの返信がない。

 それにしてもこの反応は以外だ。いつものキャラなら、私語厳禁、手を動かせ! とでも言いそうなのに、予想外の乙女キャラで返信が来た。

 《ひきこもり》さんはデータ上、女性だ。でもネカマなるものが存在するこの世の中、リアルではこてこてのネトゲオタクなおっさんが、清楚可憐な美少女を演じられる時代だ。彼女がそれに該当しないとは言い切れない。

 それでも僕は本能的に確信してた。彼女は女性だと。

 どこからともなくその自信が湧いていた。最初はギャル系の女の子かとも思ったけども、今の反応でちょっぴり反省した。彼女はギャルではない。

 黒髪の日本古来より美人認定されるような大和撫子かもしれないし、金髪碧眼の美少女シスター系の女子かもしれない。色々と妄想が膨らんでしまう。

 ……あ、ヤバい。光の反射でPC画面に映った自分の顔を見て、表情を引き締める。すごいニヤニヤ顔だった。これじゃあただの変態になってしまう。危ない危ない。


「服とかどうです? あ、これセクハラじゃないですよ? たまにはスキンシップでもどうかと思いまして」

「服、ですか……? すみません、あまりそういうの気にしなくて」


 奥手なのか人見知りなのか。この話し方はそういう人っぽい。まあ、キャラを作っているのも否めないが気にしない。僕はそれもひっくるめて《ひきこもり》さんが気になるのだから。


「あ、そうだ。今度オフ会しません?」


 またもや突然に言ってみた。うん、だってこんな初々しい反応されたら誰だって会いたくなるじゃないですか。


「え……? お、オフ会? え、と……、その…………」


 彼女は困ったように返信してくる。僕は少しうきうきする。彼女の返事はどうなんだろう。そう思いつつも近くの敵を撃ち抜く。

 周りの敵を適当にあしらって、返信が来るまでの時間を潰す。でも、五分たっても返信がこなかった。そして、周りの敵の数が先程より多いことに気づく。

 不思議に思ってログを確認すると、《ひきこもり》さんは先程の返信の直後に落ちていた。


 それから三日。

 彼女はこのゲームに姿を現さなかった。


○○○○●


「《ひきこもり》さんのやつが参加しないせいか、うちのチームはボロボロだなあ」


 夜七時頃、がははと大口を開けて笑いながら、石田弘哉は文字を打ち込んだ。彼のアバターは筋骨隆々の髭面なおっさんだが、その性格や喋り方のせいでこれ以上ないほどかなり似合っている。


「《ヒロ》さん。きっと体調を崩してるだけですから、すぐに戻ってきますよ」


 そう言ってどうってこともないように言葉を打つのは加藤圭雅だ。《K》というアバターを操る、暴走気味なメンバーの多いチームで唯一の参謀キャラだ。

 この二人はゲームの中でだけではなく、家が近所であるためリアルでも知り合いだ。今日も二人の家からそんなに離れていないネットカフェで、隣合った個室に入って実際に会話しつつゲームをしている。

 そして石田と加藤が不在の《ひきこもり》の体調を案じる中、彼らと遠く離れた地で、ぼーっと心此処に在らずでゲームを進行する者がいた。《セブン》というアバターを画面の中で縦横無尽に駆けめぐらせている彼は、嶋田洋志知だ。

 《ヒロ》、《K》、《セブン》、そして《ひきこもり》。彼ら四人を合わせてチーム。

 誰がこんな名前を付けたのかはよく分からないが、出会いや別れが多々あるオンラインゲーム。メンバーが入れ替わっていく中、今の代はこの四人となってしまった。

 四人が四人とも廃人なこのチームだが、ネットでその名前を検索すれば最強、凶悪、死体、等々、こういう言葉が付いて止まない。それほどにこのチームはゲーマー達の間では畏敬の対象であり、そこそこに名が知れ渡っていた。


○○○●○


 《ひきこもり》さんがログインしないのはきっと僕のせいだ。カチカチとマウスを動かしつつ、ぼーっと画面を見渡す。彼女がいない画面は花のない荒野で、色のない廃れた街並みで、寂しい風景でしかなかった。

 虫の居所の悪い僕は、噂話をしているチームメイトに対して拗ねたように唇を尖らしてから、不機嫌そうにチャットに言葉を打つ。


「そういう噂話はやめてください、いない人の事を考えても仕方がないでしょう」

「いいじゃないか。花がなくて寂しいのは何もお前だけじゃないんだぞ、《セブン》」

「うるさい変態筋肉」

「なんだとっ!? この肉体美が分からんと言うのか!?」

「……《ヒロ》さん、そろそろ夜勤の時間では?」


 沈黙していた《K》が剣呑な雰囲気の二人の間に割ってはいる。それを機にその日のチーム戦はお開きとなった。

 僕はソロプレイをする気にも慣れず、アバターをログアウトさせる。ゲームを閉じてPCを丁度シャットダウンさせたとき、


 ぴろりろりん♪ りろりろりん♪


 メールをお知らせする軽快な音が黒く照り輝くスマートフォンから響いた。誰だよこんな時間に、と舌打ちをしつつ送信元を見れば目を丸くして驚いてしまった。

 なんと、《ひきこもり》さんからだ!


『来週の日曜日、お暇でしたら東京都下北の「チコの実」というカフェに来て下さい。

 姉の開いてるカフェなんですが、二人でゆっくりお話しませんか? 場所の詳細はWEBで……、URLを張っておきますので』


 僕は飛び上がった。三日も音沙汰無かった《ひきこもり》さん自らお茶に誘ってもらった! それ以上嬉しいことが在るだろうか!

 僕はおもむろにイスから立ち上がって、


「やった……!」


 喜びのガッツポーズを一人で噛みしめた。


○○○●●


 電車にガタゴトと揺られて、二時間ほどで東京下北に着いた。

 高校生の僕にとって、電車の切符は安くは無かった。思ったよりも電車の乗り換えをしなければならなかったし、往復であることを考えれば、二時間の移動は安くはない。エコだし、親に車を出してもらう訳にはいかないから仕方なくお金を出したけど。

 それでも僕は高鳴る胸の鼓動を抑えきれないでいた。電車賃が何だってんだ、《ひきこもり》さんに会えるならこれぐらい全然平気だ、買ってる週間雑誌を幾つか諦めればいいだけの話だ。

 頭の中で僕は《ひきこもり》さんと楽しそうに「うふふ」「あはは」としてる。まだ見ぬ《ひきこもり》さんのビジュアルはゲームアバターを引用。

 大好きだって叫んで。

 大好きですって叫んで貰って。

 彼女いない歴=年齢を過ごしていた僕にとって、それ以上の至福は無かった。早く会いたい、早く会いたい、気持ちだけが焦ってしまう。

 会ったらなんて声をかけよう、飲み物を取るときうっかり彼女の手に触れられないだろうか、もし彼女が僕より年上で大人な女性で夜の遊びに誘われたらどうしよう!

 ぶつぶつと独り言を繰り返す。周りから見ればすごく怪しい人かもしれないが気にしない。

 それほどまでに僕の心は浮き足たっていた。


 そう、坊主頭の彼女と会うまでは。


○○●○○


 会話が始まるまでの間を取り繕うように、僕はコーヒーをずずず、と音を立てて飲んだ。

 「チコの実」というこの喫茶店は中々にお洒落なお店だ。カウンター席の正面に見えるお酒のボトルやコーヒー豆の種類からして、飲み物一杯にもこだわりを持っている。実際、僕が飲んだコーヒーはインスタントのものの数百倍美味しかった。

 それに店内の雰囲気も素敵だ。西洋アンティークがお店のあちこちに飾られていて、ジャズが静かに流れている。J-popしか聞かないような僕でもジャズの良さが見いだせそうで、お店全体で相互作用が働くのか、お互いがお互いをより良い物に見せてくれる。


 なのに。


 僕の目の前にいる彼女。これは一体どういう事だろう?

 彼女は痩せてるとは言えない、ふくよかな部類に入る体型にピンクのジャージを着ている。ジャージはムチムチで、なんとかギリギリ入るサイズなんだな、と思った。

 つぶらな漆黒の瞳には涙が浮かんでいて色めいているが、その頭を見る度に僕の感慨は流されていく。一昔前にとあるアイドルが謝罪といって丸坊主にしていたのを思い出した。あれは同情を僕らから貪っていったが、目の前のこれはただ単に謎でしかない。


「───初めまして、《ひきこもり》さん」


 僕は意を決して声をかけてみた。


「は、初めまして……《セブン》さん…………」


 《セブン》は僕の事だ。洋志知の「志知」を「七」と読んで《セブン》。ゲームアバターを作る際、友達に頼んで考えて貰ったのだけど安易すぎてあまり気に入っては無かった。

 そんな僕の名前よりも彼女だ。自虐的な《ひきこもり》という名前。自分から名乗るにはあまりに痛々しい。でも、彼女が本当に引きこもりならばこんな名前を名乗れるのかとも思うんだ。


「あ、あの……その………」

「え?」


 おどおどとしながら自信の無さそうに言う彼女の声は、非常に聞き取りにくい。思わず聞き返せば、彼女は萎縮しながら言葉を続けた。


「わ、私……駄目な子なんです………お仕事も親孝行も出来なくて………」


 そう言って、彼女は瞳に浮かべていた大粒な涙をこぼしていく。

 僕はどうすることもできなくて、取りあえずハンカチを渡してみた。鼻をかまれた。僕は顔をひきつらせる。僕は人生相談室なんかじゃないんだぞ!

 そう思ったとき僕らのテーブルに半熟のオムライスが運ばれてきた。胡乱に思って出所を見上げれば店主が申し訳なさそうな顔で微笑んでいた。目元が《ひきこもり》さんにそっくりだ。彼女のお姉さんなんだろう。サービスです、とだけ言ってカウンターに戻っていった。

 お姉さんは顔形こそ彼女に似ていたが、体型は正反対だった。まさにこのお洒落な店の主だと思わせるような綺麗な人だった。

 僕はオムライスを口に運ぶ。動揺していたせいか味がしなかった。それでも僕は《ひきこもり》さんに質問をし続けた。


「えーと……、お年は?」

「は、二十歳です………」

「わあ、僕より四つ上なんですねー……。えー、じゃあ、いつからゲームを?」

「中学の頃からです……」


 なんか尋問みたいだ。これじゃ、彼女とお花畑でうふふ、あはは計画なんて無理だ。そもそも僕が勝手に彼女を美化して絶望しているのだから、彼女に失礼なこと甚だしい。

 彼女も僕のハンカチを傍らに置いてオムライスを口に運び出した。先程よりは落ち着いた表情で、ゆっくりとスプーンを口へ運んでいく。

 それを見て僕はまた後悔した。理想を彼女に押し付けようとして絶望している僕だが、オムライスを食べる彼女は幸せそうな表情を綻ばせる。その表情のなんと可愛らしいことか。顔の造形は悪くないのだ。坊主頭だったり、ぽっちゃりとかで目をしかめたりはしてしまうけれど。

 僕は質問をするのを止めて黙々とオムライスを口に運ぶ。目線は彼女に固定したままだ。僕と彼女は似ているのかもしれないと、ふと思った。

 将来に見向きもしないでぼんやりと過ごす毎日。刺激を求めてPCをつけて、その刺激が足りなくなれば電源を落としてつまらない、と独りごちる。

 僕の数年先が彼女なのかもしれない。そう思うんだ。だって、僕は努力をしないから。何となくで日々を過ごし続ける限り、僕は彼女と同じ道を歩むだろう。

 体型や髪型がなんだ。個性だ。それ以上でもそれ以下でもない。でも根本的には僕は彼女と成りうる。ああ、最初に感じた嫌な気持ちは同族嫌悪なんだ。そう思ったらすとん、と何かが腑に落ちた。

 だから僕はオムライスを食べ終わってから言ったんだ。


「友達になりませんか? 僕は嶋田洋志知、貴女の本名は?」


 《ひきこもり》さんの表情がわずかに華やいだ。

 僕らは恋人にはなれないだろう。僕が彼女を見下してしまったから。それでも、僕は彼女の手を取った。


 そしてこの日から《ひきこもり》さんは「琴音」さんになった。


○○●○●


 カタカタと静かな部屋にキーボードの音だけが響く。

 時刻は真夜中。

 音の主は一組の男女。

 それぞれがそれぞれの部屋に音を響かせていく。

 文字を打てば時間だけが過ぎていく。

 短かった彼女の髪は伸びて、

 子供っぽかった彼の体格はぐっと大人びた。

 PCだけが二人を繋ぐ道具。


 出会ってから二度目の春を迎える頃、

 彼らは恋を知った。


○○●●○


 恋って不思議だ。初めてあったときは僕らは恋人になれないと確信したのに、今はこんなに彼女が愛おしい。

 夜になればお互いの指を絡めて、肌を触れ合わせ、キスをする。そっと自分の唇を彼女の唇から離して首筋へと這わせる、けれど。


「駄目ですよ、まだ学生さんなんですから」


 僕をゆっくりと自分の体から押しやって微笑む琴音さんに、僕は拗ねたように唇を尖らせた。

 僕はこの春に東京の大学に進学するのが決まった。意味のないことだ、と何となくやっていた勉強も琴音さんと一緒に過ごすためと考えれば何て事もなかった。勉強をする事に意味を見いだせた。

 そして僕は、琴音さんとの未来のために努力をしたんだ。

 高校を卒業して、すぐに彼女の部屋で同棲生活を始めた。今はまだ三月の終わりで高校生という看板を外し切れていないが、それも後数日だ。彼女との生活が僕を大人にしてくれる、そう思えば僕は自然と微笑むことが出来た。

 そして変化が訪れたのは僕だけではなかった、琴音さんもだ。

 彼女は暫く会わないだけでどんどん美人になっていった。琴音さんのお姉さんもかなりの美人であったが、線が細くなり、女性らしいしなやかな体つきになっていく彼女はそれ以上であった。

 そんな風にどんどん美しく、可愛らしくなっていく琴音さんにたまらず、僕が愛を求めれば彼女はやんわりと窘めてくる。学生さんなんだから、と。

 僕は早く大人になりたい。早く大人になって琴音さんと生涯を共に出来たなら……。そういう切ない気持ちで心が埋め尽くされてしまう。

 恋は甘いけど、それ以上に僕を苦しめてしまうんだ。


○○●●●


 拗ねた表情をする彼をよしよしと頭を撫でてやると、すぐに静かな寝息が聞こえてきた。まだまだこんなのでほだされてしまう彼は、やっぱり子供だ。

 彼の可愛い寝顔を見つめて独り微笑む。彼は引っ越してきて間もないので、彼用の家具がほとんどそろっていない。もちろんベッドも。だから私のシングルのベッドに二人で体を寄せて眠っている。

 私は最低の人間だから彼に愛されたいと思ってはいけない、初めて会ったときはそう思っていた。でも今は違う。

 愛されたい、側にいたい、だから彼につりあう女性になりたい。

 そう思って綺麗になる努力を惜しまずにやった。人間やれば出来るもので、やろうと思う意志が大切なんだと分かった。

 今は見た目もそうだけど、内面の方のリハビリもしている。七年間の引きこもり生活に終止符を打って、非正規雇用ではあるけれども仕事を持つことが出来た。半年、諦めずに熱心に仕事をし続けている自分に少し驚いていたりもする。

 彼が身じろいだ。それを微笑みながら見ていたら、ふと明日の予定を思い出した。明日は二人でお出かけだ。退屈な日々を久し振りに抜け出せるので、ちょっとだけ楽しみ。

 ああ、早く明日にならないかしら。

 私は彼の頭をぎゅっと抱いて、深い眠りに誘って貰った。


○●○○○


「お、来たか。お二人さん久しぶり」


 そう言ってニカッと爽やかに話しかけてくる男に、嶋田は曖昧に笑って見せた。久しぶり、と相手は言ってくるけど少なくとも嶋田は彼と実際に会ったことがない。でも、彼の事は知っていた。

 石田弘哉、三十三歳、営業職のサラリーマン。ゲームの中では《ヒロ》と呼ばれている。筋骨隆々のオッサンで、彼の愛用のアバターの雰囲気そのものを醸し出している。


「駄目ですよ、《ヒロ》さん。どれだけお邪魔虫したいんですか」


 そう言って石田をたしなめたのは細身のインテリ系男子、加藤圭雅、二十八歳。Webデザイナーの彼は《K》と呼ばれるチームの参謀だ。

 ため息をついた加藤は、別の所へ視線を向けた。それにつられて石田と嶋田が視線を向けると、もう一組、熱々のカップルがいた。

 生々しいキスを繰り返す男女が一組。彼らをじっと見つめる視線に女の方が気付いた。


「ん……、マーサ……駄目だよぅ………」


 名残惜しそうにしながらも唇を離したのは細川芽里沙、二十六歳。《メイ》という名前で呼ばれている。

 そしてマーサと呼ばれた男の方は福島将紀、二十六歳。ゲーム内でも《マーサ》と呼ばれていた。

 清楚系の細川とは打って変わって、福島は顔の造形こそ近所の奥様方の噂になるようなものだが、それがかえって胡散臭さを出している。思わず嶋田は常盤を背に隠してしまった。


「はい、皆様。本日はご足労頂き、誠に感謝感激満員御礼でございます」


 そう言って挨拶をしているのは《ネロ・アンディー》、または略称で《ネロ》という紳士キャラで通っている舟木和夫。三十一歳でゲーム会社の下請けをしている人だ。今日は彼に呼び出されて集まったので彼の口上は間違っていないのだが、日本人なのに後半の日本語は少し怪しいように思われた。


「あら、《セブン》君? こんにちは」


 不意に背後から声をかけられたので嶋田は振り向く。常盤も振り向いた。そして驚く。

 声の主はモデルのような出で立ちの美女であった。引き締まった身体に豊満な胸。黒のタンクトップにジーンズという服装なのに、色めいて見えるのだから不思議だ。思わず鼻の下が伸びてしまっている嶋田に常盤は嫉妬からむー、と唇をとがらせた。

 常盤の嫉妬の対象に泣っている美女は羽柴紅葉、二十九歳。舟木と同じ会社で働いており、彼女もまた今回の話の主催だ。


「姉様皆様、早いです」


 遅れてやってきたのは羽柴木葉、二十六歳。紅葉の妹だ。中性的な顔立ちで姉ほどの胸はないが、これまた美女だ。職業が読者モデルなので当然だろう。可愛いというよりは格好いいタイプで、今日もボーイッシュな服装でやってきた。見かけによらず、腐女子という人種であるので男性諸君の天敵でもある。

 ちなみに紅葉は《羽柴姉》、木葉は《羽柴妹》で呼ばれている。

 これで九人。チーム<コント55号>、全員が集まった。たった四人でやっていた頃より人数が増えて賑やかになった。二十代から三十代とそこそこ年齢層が近いが、最年少は未だ十代の嶋田だ。彼はこのチームメイトを姉や兄のように親しみを持つ傍ら、ゲーム内の彼らの性格を思えば時々、自分よりも年下に思えてしまうのだから面白い。

 しかしそう思うのも今日までだ。今日、舟木と紅葉の持ってきたゲームの試作をしてから嶋田と常盤はチームを抜けようと考えていた。チームメイトもそれを知っていたので、ベータ版のゲームを最後の戦場、思い出としようと思っていた。


○●○○●


 東京から約三時間半のちょっとした田舎のある施設。僕らが集まったそこには、大掛かりなラックシステムのタワーPCがスタンバイされていた。この地域はインターネット回線が充実しているらしく、スマホのゲームアプリを一つ立ち上げてみると都心よりもアクセスする速度が速かった。


「それでは皆様、お待たせしました。今回のステージについて僭越ながらこの私めが、少々説明をさせていただきます」


 《ネロ》さんが言う。「バトル・オブ・69」は僕らが出会ったゲームで、僕らを虜にしているゲームだ。たまたま《ネロ》さんと《羽柴姉》さんが開発の下請けをしていたので、ベータ版を特別にやらせてもらえることになっていた。


「《ひきこもり》さんと《セブン》さんがいなくなるの、寂しいね」


 《羽柴妹》さんが言う。そう、僕らは今日のプレイでゲームに終止符を打つのだ。長年やっていたから寂しく思うのは僕も一緒だが、僕は変わるのだ。これもその人生改革の一つなんだ。


「むぅ、《ひきこもり》さんは呼びにくいなあ……」

「普通に呼び捨てでいいんじゃないですかね」


 二人で話し合っている《ヒロ》さんと《K》さんを見て、《羽柴妹》さんが耳打ちしてきた。


「ねぇねぇ、あの二人デキてるの?」


 僕は黙殺した。


「さて、お試しプレイをするのは二ヶ月に一度の定期イベント。一般市民の中に紛れ込んでいる悪魔を探し出し、いつものように倒すものです。悪魔は全部で三十一体。低レベル悪魔三十体の、ボス悪魔一体です。低レベル悪魔を全て撃破した後、ボス悪魔が中央広場に出現します。それでミッションクリアとなります」


 《ネロ》さんがスラスラと言う。そして、僕らの後ろにあるロッカーを指さす。琴音さんが首を傾げて、ロッカーを開けた。そして僕らは唖然とする。


「巷で噂になっているVR型MMOです。キャラメイクは自分そのものになりますので、ゲームの異世界観を味わうためにも是非着替えて下さいませ」


 とかなんとか言って、《ネロ》さんは着替え始める。女性陣は《羽柴姉》さんに先導されて別室に行ってしまった。

 ここで少しだけ思春期男子の特権、覗きスキルの使用を考えたが、止めた。あそこで目を血走らせて扉の隙間を覗く《マーサ》さんのようにはなりたくない。あの人、恥ずかしくはないのだろうか……?

 さて、皆が着替え始める。

 《ネロ》さんはどこかの軍の大佐的な黒い衣装を選んだ。うん、微妙に似合ってない。

 僕らも………、てあれ!? 僕らに残されている衣装はエナメル素材の黒のキャットスーツだけないじゃないか!

 不満の視線が《ネロ》さんに集まる。まあ、仕方ないよなぁ……。

 渋々とだがそれらに着替える。半袖や長袖の違いや、装飾に少しずつ違いが見受けられるがほとんど同じだ。着替え終わって少々、女性陣が中に入ってきた。


「あら。皆、結構似合ってるわね」


 《羽柴姉》さんがちょっと意外そうに言う。……いや、僕からしたら貴女のその衣装の似合い加減の方がすごいのですが。

 女性陣も例に漏れずエナメル素材の黒いキャットスーツ。半袖長袖、ミニスカ短パンと男性陣よりは種類が豊富だ。うん、《羽柴姉》さんのお胸様が目の毒です。


「洋志知くん、そっち見ちゃ駄目です」

「ま、《マーサ》……、そんなに、見ないで………」


 ぎゅーっと嫉妬に駆られた琴音さんに頭を抱えられる。うわ、あ、こっちにもお胸様が……!

 視界の端で《マーサ》さんが鼻血を噴き出して倒れ込んでいるのを見た。ははは、思ったよりも精神力のない男だな。


「《ひきこもり》さん! 《セブン》君、《セブン》君!」

「え?」


 は、ははは……、僕も鼻血の海に沈みそうです……。


「わ、ご、ごめんね」

「がはは、弱いなあ、近頃の若造は」


 琴音さんに開放してもらい、《ヒロ》さんの差し出すティッシュを鼻に詰めた。すぐ近くで《マーサ》さんも《メイ》さんに介抱して貰っている。


「さてさて、いいですかね? 準備が整いましたので始めましょうか」


 《ネロ》さんが手をたたくと、《羽柴姉》さんがどこからか大きめのアタッシュケースを出してきて僕らに中身を見せてきた。

 中には白塗りの大きめサイズのスマートフォン九台と白い錠剤の入った小瓶が一つ。《羽柴姉》さんは備え付けられているウォータークーラーから紙コップに水を人数分汲んで配っていく。その間に僕らはスマートフォンの電源を入れた。


「スマートフォンにそれぞれのアカウントを入力して下さい。ゲームを始める前に薬を飲むのを忘れないで下さいね。ログインする際、スマートフォンから微量の電流が流れてきますが正常稼動ですので心配しないで下さい」


 そこで一度、《ネロ》さんは言葉を句切った。そして、


「それでは皆様、良い夢を。───乾杯」


 いざ、電子の世界へ。


○●○●○


「うわ───! すごい───!」


 目の前に広がる光景に、僕らは釘付けになる。鳥のさえずり、春の風の匂い、真っ青な空、コンクリートの街並み。温かな雰囲気の世界が目の前に広がっている。五感全てで目の前の風景を感じる。電子で組み上げられているはずのこの世界は、現実そのものの風景と何ら大差のない物だった。


「はーい、点呼と武器の配布、メニューウインドウの操作の仕方とかを説明するわ」


 《羽柴姉》さんが手を叩いて感動に呑まれている僕らの意識を惹いた。


「まずウインドウの出し方。コマンドコール・メニューって言うだけよ。皆やってみて」


 僕らは頷き、言われたとおりにやる。


「コマンドコール・メニュー!」


 シャン、と涼しげな音を立て淡く光る水色のウインドウが出てくる。色々と僕のステータスが書かれていた。うん、ステータスは元のデータを引き継いでるみたいだ。


「次、アイテムなんだけど……。見て貰えば分かるけど、ステータスは元のデータを反映してあるの。でも、アイテムまでの反映はしてないから今ここで配給します」

「移動用のスクーター、武器、回復アイテム。これらの受け渡しをしましょう。男性陣は私めが、女性陣は《羽柴姉》さんの前に並んで、対象同士で手をつないでコマンドコール・トレードと言って下さい。細かいことはやりながら……」


 《羽柴姉》さんの言葉を引き継いで《ネロ》さんが言った。僕も並んで武器を受け取る。

 僕はマシンガンとレイピア、そして小さめの盾と回復薬を十個受け取った。琴音さん……、いやこの世界では敢えて《ひきこもり》さんと呼ぼう。《ひきこもり》さんもアイテムを受け取ったようだ。僕らは視線を交わして微笑んだ。


「よし、皆に行き渡ったわね。それじゃあ点呼……、といきたいけど良いことを教えてあ・げ・る」

「ここで色気を出しても意味ないぞ《羽柴姉》」

「そうですよ、姉様」

「《メイ》の方が数倍色っぽい」


 見事に《羽柴姉》さんが撃沈した。《K》さん、《羽柴妹》さん、《マーサ》さんに畳みかけられた《羽柴姉》さんはふるふると震えて膝をついてしまった。


「……えー、点呼なんですが。位置が遠い人とも話せるようにVoiceChatを教えます。基本はスマートフォンを無線代わりに使って貰えばよろしいです。では、それを使って点呼をしましょう」


 《ネロ》さんが苦笑いした。


○●●○○


──セブン、ネロ・アンディー、羽柴姉、羽柴妹、ひきこもり、ヒロ、マーサ、メイ、K、の九名がVoiceChatを設定しました。──


11時48分

ネロ・アンディー「それでは私めが音頭をとらせていただきます。点呼、1」

羽柴姉「2よ」

ヒロ「3だ」

K「4」

羽柴妹「5」

マーサ「6ー!」

メイ「7、です」

ひきこもり「8」

???「9」

セブン「……10?」


○●●○●


 僕はあれ? と思った。メンバーは全員で九人だ。なのに僕は十を数えた。不思議に思ってログを確認すれば、《???》という人が九を数えていた。ちらり、と《ひきこもり》さんの方を見れば彼女もまた首を傾げている。他のメンバーも不思議そうな顔でスマートフォンを覗いている。


「……バクね。報告しておくわ」


 《羽柴姉》さんがそう言って黄色く光るウインドウを開いた。多分、管理者側のものなんだろう。何事かを操作してすぐに閉じた。


「さてさて、いいですかね? これからゲームを始めましょうか。その前に無策で動くのも何ですし作戦を考えようと思うのですが……」

「がー、とやって、ぐおー、とやる」

「却下。正午にスタートなんですから無難に一人あたり三体をノルマにしましょう。余裕がある人は四体目を。それで十五時に中央広場へ集合、これでどうです?」


 おおー、と全員が尊敬の眼差しで《K》を見た。擬音語だらけの《ヒロ》さんの言葉をさらりと流し、的確な作戦を瞬時に練り上げる。やはりチームの参謀といったところか。

 さて、お喋りはここまで。もうすぐ正午、ここは戦場になる。


 生死をかけたこのゲーム、僕らは一切手を抜かない生物兵器となる───。


○●●●○


 正午。僕らは中央広場を境に西と東でチームを分けて敵の一掃を始める。

 西は僕、《ひきこもり》さん、《羽柴姉》さん、《羽柴妹》さんの四人だ。図らずもハーレム状態で顔にやけてしまう。


「……《セブン》くん、浮気は駄目です…………」

「え!? いやだな、《ひきこもり》さん、僕はそんな事しないよ」

「ねぇねぇ、《セブン》くん、あたし、この武器使い慣れないの。コツを教えて?」

「姉様ー、私にも構って下さいませー」

「……《セブン》くん……ぐすん………」


 うわあああああ、そんな上目遣いでこちらを見ないで《ひきこもり》さん! 襲いたくなる……、って《羽柴姉》さん!? 胸! 胸が僕の腕に当たってる……! ていうか、ばったばったと敵を倒して置いてよくそんなこと言えますね……!

 こんな状況ではあるが、ぼーっとしながらも《羽柴妹》さんが敵を倒してくれるので問題はないのだけども、逆にそれの方が質が悪い。


○●●●●


14時36分

ヒロ「そちらはどうだー?」

セブン「助かりました……!」

ヒロ「ん?」

セブン「なんでもないっす」

ヒロ「ならいいが。案外このゲームも楽だな。時間がかかるかと思ったが、敵を倒すのにさほど苦労はないし、時間がかかるのは移動だけだな。街が入り組んでてやりにくいが、スクーターがあるからまだマシか」

K「そうですね。さて、戦況確認しましょう。こちらはノルマを全員達成しました。そちらは?」

羽柴姉「こちらも一人三体、きっちり倒したわ」

ネロ・アンディー「おかしいですね、後三体余るはずなんですが……」

マーサ「メイ、愛してるよ」

メイ「もう、マーサったら……」

全員「「「いちゃつくなら向こういけ」」」

ネロ・アンディー「……こほん。えー、マップを確認しましたが、低レベル悪魔は全部倒したようです。その割には数が合いません。紅葉さん、上への報告を」

羽柴姉「了解したわ」

ヒロ「む? 難しい話は終わったか? なら、当初の予定通り中央広場に集合だ」

セブン「りょうかーい」

ひきこもり「わかりました」

メイ「はい」

マーサ「ういっす」

K「了解」

羽柴妹「……姉様、姉様、構って下さい」

全員「「「私的目的に使うな」」」


●○○○○


 スクーターを使い、あっという間に中央広場に九人全員が集まる。バグで起きた十人目はやはり見受けられない。

 皆で緊張感なく、のんびりと待ちかまえてボスのPOPを待つ。けれど、いつまでたってもボス悪魔は現れない。おかしいな、と全員が思い始めた頃になって僕はマップを開いてみた。

 中央広場の東側に僕ら以外の生命反応。


「おっ、こんな所に沸いてるじゃん。ガンガン行こうぜ!」

「あ、ま、《マーサ》くん……!」


 僕のマップを横から覗いた《マーサ》さんが、《メイ》さんの制止を聞かずに一人で行ってしまった。血気盛んだなぁ、と苦笑していると、《ネロ》さんと《羽柴姉》さんが深刻な表情で黄色のウインドウと睨み合いをしている。


「舟木さん、これはやはりバクかしら」

「そうだと思いますよ。でなきゃ、こんな所にラドクリフが出現するわけがないですし」

「ボス悪魔の代わりにラドクリフがPOPしたっていうの?」

「うーん、イマイチ僕にも分かりません。これは後の調整が面倒くさいですね」


 会話を盗み聞きすれば、マップの生命反応はラドクリフと言うことが分かった。ラドクリフは僕らのやっているこのゲームの最終的なボスキャラだ。僕らのやるミッションは彼の繰り出すクエストを根本に置いてある。

 しかしラドクリフは一癖二癖もあって、僕らのチームをいつも疲弊させる。神出鬼没、人相不明、敵味方混合の意味が分からないキャラだ。


『《マーサ》。強制ログアウト』


 不意に僕らのスマートフォンから電子音が響いてメッセージを読み上げる。


「あら、ログアウトしたようね。死んじゃうと強制ログアウトされちゃうから、皆気をつけて」

「紅葉さん、リアルの《マーサ》くんの身体状況をモニタリングしておいてください。僕は《ヒロ》さんを連れてちょっとバグの深度の確認に行ってきます」

「行ってらっしゃい」


 僕らは笑いながら二人を送り出した。

 しかし、


『《ネロ・アンディー》、《ヒロ》。強制ログアウト』


 再びスマートフォンの声が響く。と、同時に《羽柴姉》さんの顔が真っ青になる。


「こ、これって……、こんな事って……」

「姉様姉様? どうかした……、っ!」


 《羽柴姉》さんの黄色いウインドウを覗いた《羽柴妹》さんも口元を押さえた。


「どうかしたのか?」


 《K》さんが声をかける。《羽柴姉》さんが一度唇を噛みしめて躊躇った後、重々しい言葉を放つ。


「……福島将紀、石田弘哉、舟木和夫、以上三名の心配停止が確認されました」


 《羽柴姉》さんの言葉は僕らの想像を越えるものだった。どういうことだ? このゲームは安全なものではなかったのか?


「……え。……そんな、《マーサ》は!? 《マーサ》はどうなるの!?」

「……あたし達が現実に戻る以外に救急車を呼ぶ手段はないわ。ログアウトをしましょう。強制ログアウトはあたし達の身体に想像以上の負担をかけてしまう」

「……それなら《羽柴姉》、ここから離れることをお勧めする。マップを見ろ、四方を囲まれた」


 《K》さんの言葉で周りを振り返れば、梵字を額に刻まれた死人達がゆらゆらと近づいてきているのが見えた。

 戦況は僕らが思っている以上に最悪なようだった。


●○○○●


 とうとう死人が僕らを完全に囲んだ。


「《マーサ》、《マーサ》……」

「《メイ》さん!」

「《セブン》くん、目の前を見て!」


 虚ろな目で《メイ》さんが抵抗もなしに死人に襲われていく。思わずそちらを見ればそのグロテスクな光景に目を見開き、《ひきこもり》さんの声で我に返り歯を噛みしめて目の前の死人達に集中する。

 既にマシンガンの弾丸は使い果たした。後はレイピアによる接近戦に頼るしかない。それでも一体一体を倒すのは無理がある。だから倒す、というよりは抜け道を作るために相手を捌くことに専念する。


「助けて、姉様ぁ! 嫌ぁ! 姉様、ねえさま───っ!!」

「木葉!? きゃっ、あ、ああああああああ!?」


 《羽柴妹》さんが死人に食われる。彼女を助けようとして《羽柴姉》さんもまた死人に食われる。


『《メイ》、《羽柴姉》、《羽柴妹》。強制ログアウトしました』


 無機質なスマートフォンの声が懐から聞こえた。エナメル素材の衣装を引き裂く鋭い音、肉の断たれるグチュリという鈍い音、決して気持ちの良いものではない音までもが耳に鮮明に届く。

 視界に赤色が映る。ピンク色の肉片が映る。まだ動く肉の塊が二つ、びくんびくんと鼓動する。


「あ、あ、」


 肉の塊の鼓動が僕の鼓動に重なる。バクバクと心臓がうるさく響く。ガンガンと耳鳴りがする。世界に僕だけがいるように世界が止まる。

 駄目だ動け動くんだ世界は僕だけじゃない敵がいるこいつらは僕を殺す捕まっちゃいけない助かることだけを考えろ目の前にいるヤツは敵だ殺せ殺される前に殺せ嗚呼心臓めうるさいな少し大人しくしたらどうだそんなんじゃ嫌われるぞってそっかコイツは僕の一部だから嫌われるのは僕かあははははははは!


「《セブン》くん、《セブン》くん! 正気に戻って! ───洋志知くん!」

「……ことねさん?」


 重たい首をもたげて彼女の方を見る。一瞬、意識が飛んでいた。彼女は髪を振り乱し、服もあちこち破けて、生傷だらけだ。それでも僕の方へ澄んだ目を向けて必死に手を伸ばしている。


「……っ!」

「洋志知くん!」


 鈍い痛みを肩に感じた。それで完全に頭が覚醒する。肩を見れば死人が噛みついていた。


「この……!」


 そいつの口元から横にレイピアを凪ぐ。血は出なかった。それでも死人という重りが外れ、身体が軽くなる。僕はすぐさま琴音さんのもとへ行く。そして背中合わせでレイピアを構えた。


「洋志知くん、平気?」

「ごめん、琴音さん。もう大丈夫だから」


 僕は微笑む。大丈夫、この苦難も琴音さんとなら切り抜けれる。

 僕はレイピアを握り直した。


●○○●○


 バトルステージ、西側廃墟。僕と琴音さんは身を寄せて僅かな休息をそこで取った。常時マップを表示させて生命反応を確認するのを怠らない。

 琴音さんは僕の隣で小さな寝息を立てている。無理もない、彼女の戦いぶりは凄まじかった。どこにそんな力があるのか的確に死人を蹴飛ばし、他の死人を巻き込んで道を作り、その道を塞ごうとする死人をレイピアで跳ねる。それの繰り返し。僕は彼女の背中を襲う死人を倒すのに必死だった。

 そして体力的にもだが精神的にも疲労が募った。西エリアへ逃亡する際、僕らのスマートフォンが《K》さんの訃報を伝えてきた。彼ももうこの世にいなくなってしまった。僕らは唇を噛みしめ、逃げに逃げ続けた。

 安全を確認し、交代で休息を取っていた。最初の見張りの番の時、メニューウインドウを開いてログアウト画面を探したが見あたらなかった。そして一旦、琴音さんと交代し十分ほど仮眠を取った。再び見張りを交代する時に彼女に聞いたのだが、やはり琴音さんもログアウト画面を見つけることは出来なかったらしい。

 僕はぼうっとマップを見つめた。どうしてこうなってしまったんだろう。楽しいゲームになるはずだったのに。

 ゲーム開発をしていた人は二人とも死んでしまった。このゲームの詳しいシステムを聞くことは出来なくなったし、僕らが現実世界に帰るまで救急車は呼べないそうだから、もう彼らは生きてはいないだろう。

 希望は果てた。これ以上、このゲームで生きる意味はあるのだろうか。


「……洋志知くん………」


 琴音さんが僕の名前を呟いて、小さく身じろぎをした。彼女の温もりが身に沁みる。ああ、彼女だけでも現実世界へ戻さないと。

 僕は気を引き締める。こんな弱気じゃ、駄目だ。

 そう思い、頭を振ってマップを見直していたその時、


「……ん?」


 マップの左の方、東エリアの一部が歪んでいた。またバグかと思って一度マップを消してから、もう一度呼び出す。けれどその歪みは消えなかった。


「もしかして───」


 ふとある仮説が僕の頭の中で組み上がった。仮説だ、これはあくまで何の根拠もない仮説だ。

 僕らのこのゲームはバグが多すぎる。確かに開発者が至らないせいもあるかもしれないが、もはやデスゲーム。仮にこのゲームが通常稼動していたとしてもリアルの僕らをモニタリングする人がいないのはおかしいではないか。兼任で《ネロ》さんと《羽柴姉》さんがモニタリングをするのにも程度がある。完璧にそれをするならば、やはりリアルで最低一人は僕らの様子を見る必要があるのではないか。それがないという事は、


「誰かが不正を働いている───?」


 もし、この仮説が正しかったらその人物は不正をはたらくためにソースコードをいじる必要が出てくる。しかしソースコードをいじったら別の不具合が生じるはずだ。それがこのマップの歪みだったら。

 全然関係のないものかもしれない、もしかしたら罠で今以上に酷い状況になるかもしれない。

 それでも。

 この賭けに乗ってみる価値はある。


●○○●●


 琴音さんが起きてから僕の仮説を提案してみると、彼女も心強く頷いてくれた。だから僕らはスクーターを使って東エリアの空間の歪みを目指した。

 そして僕らは目の前の光景に息を呑んだ。そこはおどろおどろしいワンダーランドだった。まるで遊園地そのものがお化け屋敷のように薄暗く、嫌な雰囲気が漂っている。

 そんな中でも彼女は少し嬉しそうにハシャいでいた。


「ねぇねぇ、洋志知くん。みて、メリーゴーランドよ。ジェットコースターもお化け屋敷もあるわ。ふふ、デートみたい」


 久しぶりのように感じる琴音さんの無邪気な笑顔に僕の緊張は解されてしまった。

 確かにデートみたいだ。僕はそろりと琴音さんに手を差し出す。差し出される手に気付いた琴音さんも微笑んで手を握ってくれる。彼女の体温が僕に染み渡る。

 僕らはこんな状況にあるのに胸をときめかせて園内を見て回った。小学生の頃に行ったきりの遊園地。家族で行ったときはひたすら乗ることにしか興味がなかったが、今は琴音さんと手をつないで歩いているだけでも十分楽しい。

 しかし、それも次の瞬間に音を立てて崩れていく。


「ら、ラドクリフ……!?」

「何でこんなところに……!」


 僕らの僅かな至福すら許さないとでも言うかのように、ラドクリフが黒の軍服を喪服のように纏い、その手に死に神のような大鎌を構えてゆったりとした歩調でこちらに近づいてくる。顔には真っ白で真っ平な仮面が。

 彼は僕らを殺しにきたのだ。


「洋志知くん。私はいいから、逃げてください」

「そんな! 駄目です、折角ここまで来たんだ、何か戻る手がかりがきっとある!」

「じゃあ、洋志知くんがそれを見つけるまで、時間を稼いであげる」

「でも、それじゃあ琴音さんが!」

「……私の取り柄はコレしかないから」


 彼女がレイピアを構えて寂しそうに笑った。

 何で、どうしてこうなるんだ。どうしてここにたどり着いたときにさっさとログアウトの為の手がかりを探さなかったんだ! 何で、目の前の甘い餌に食らいついてしまったんだ!

 琴音さんがラドクリフ目掛けて駆けていく。レイピアを繰り出した、が。


「───あ、」


 ラドクリフは大鎌を凪いで、レイピアの間合いの外から悠々と彼女の首をはね飛ばした。

 そういえば最近のWeb小説だと脱出不能な殺人ゲームが人気あるんだよなでもそれも最後には解放されるんだ勇者みたいなヤツが現れてゲームをクリアしてくれるんだなのにこの世界にはもう僕しかいないの? なんかの冗談だろ? あ? スマートフォンうるさいよ《ひきこもり》さんが強制ログアウトとか何言ってんのよコイツ目の前で死んだのは《ひきこもり》さんじゃなくて琴音さんだよバーカていうか僕より強い琴音さんがあんなにあっさりやられちゃうんだもん僕なんかにはこの世界を抜け出すなんて到底無理だよ。

 琴音さんの身体から噴き出る血が僕の頬を濡らした。まだ温かい。何でこんな余計なところまで現実通りなのかなー。

 もうそこは遊園地じゃない。R-18レベルの地獄絵図だ。


「顔…顔を……その綺麗な顔をよこせ…………」


 いつの間にか目前にいたラドクリフに蹴倒される。

 いやー、綺麗な顔とかお世辞言っても何もでないよ? ていうか綺麗とか言うならその手に持つナイフで僕の顔を抉るのやめてくれませんー?


「顔……私の顔………」


 いやいやいや、コレは僕の顔ですよ。何言ってんの頭イカレとんのか? そういやコイツ、データだなぁ。じゃあ作ったヤツが頭イカレとんのか。

 痛みの感覚はもうない。段々と意識も霞がかっていき、手足の感覚もなくなってしまった。

 あー、このゲームに参加してしまったのは僕の人生最大の汚点かな。ベータ版とかやらなきゃ良かった。もっと言えば琴音さんと出会わなきゃ良かった。琴音さんがいなければこんな辛い気持ちにならなくて済んだのに。

 いや、待て待て。琴音さんって誰だっけ? 好きだったのは覚えてるけど顔が出てこないや。ああ、でも。えっちぃ事とかして刺激的な夜を過ごしてみたかったなあ。でも琴音さんに止められたんだっけ、学生さんだから、って。

 ねぇ、ことねさんどこ? ぼくをおいていかないでよ。


「…完璧だ……これで完成、だ…………」


 こえがきこえる。だれのこえ? ことねさんなの?


『《セブン》。強制ログアウトしました。』


 きょうせいろぐあうと? なにそれ? ぼくはどうな────。


●○●○○


 たまたま通りかかった住人が彼らに気付いたのは、嶋田洋志知の強制ログアウトから約二十四時間後のことだった。警察が現場に駆けつけたとき、一人の生存者を残して他全員の死亡が確認された。


●○●○●


「美穂さん、こちら佐藤です」

『おー? パンチ君、何か収穫でもあったかねー?』

「ちょ、いい加減名前覚えて下さい! 佐藤たけるです! それにコレ、天然パーマですから!」


 バス停のベンチに腰掛けている佐藤という男が、携帯越しに全力で不服を申し立てた。未だにスマートフォンではなく、折り畳みの黒の携帯を愛用する彼の職業は新聞記者だ。

 新聞記者といっても、ちょっと変わったオカルトネタを扱う三流の新聞社なので外聞はあまりよくない。


『んで、何か分かったー?』


 妙に間延びした口調で美穂と呼ばれた上司の女が言う。


「何にもわかりません、不思議な事ばかりですから」


 そう溜息をついて天を仰いで、佐藤は言葉を続ける。


「何か近隣の住民によるとゲーマーが集まって何かの試作をやっていたそうですよ。そういう機器が残っていたらしいんでこれはかなり信憑性が高いです。しかしそのゲーマーなんですが、一名を残して突然の心臓発作で死んでいます」


 電話をする前に近くの自動販売機で購入した缶コーヒーを今更だが開ける。ブラックだ。佐藤はそれで咽を潤す。


『ほー、それまた奇怪な。んで? 生存者から話は聞けた?』

「いや、その事なんですが。どうやら行方不明者もでてるようで」

『行方不明者? ただのゲーマー共の集まりにかー?』

「ええ、まあ。データ解析によると参加者十名中、十名全員がゲームオーバー。そのうち、死亡者七名、生存者一名、行方不明者二名だそうです。生存者に話を聞こうとしても精神病にかかってしまったようで、既にしんでいるようです」

『へぇー。どうでもいいんだけどさ、パンチ君。キミ、どこからその情報を? 生存者は死んでるんだろ?』


 佐藤は苦笑した。全くもってこの上司は侮れない。オカルトネタという微妙な枠を取り扱っているからか、信憑性にはとことん拘る。


「知り合いの刑事に頼りました。この国に情報公開制度があって良かったですね」

『いやー、情報公開制度もうちらマスコミには厳しいぞー?』

「ははは、マスコミの打たれ強さでそこはカバーしたので大丈夫でしたよ。で、もう一つ。その生存者なんですが、死ぬ前に日記をつけていたらしく。遺族の方にお願いして写真を撮らさせていただきました」

『お、よくやったな』

「後で確認お願いします。それではバスがそろそろ来るので」

『よしよし、ご苦労さん』


 通話が切れる。佐藤は残っていたコーヒーを飲みきると、近くのゴミ箱に適当に捨てた。それから携帯の画像ファイルを開いて、先ほどの話に出ていた日記を読む。そこにはこう書かれていた。


●○●●○


 俺は悪くない。

 ただ、指示通りに動こうとしただけだ。

 まさかこんなことになるなんて、思ってもいなかった。

 このシステムは失敗だ。

 俺はもうこの開発に関わらない。

 そして二度と、こんな夢を人類が望む事の無いように願っている。


●○●●●


 殴り書きで書かれたその言葉の願いは聞き届けられない。

 バトル・オブ・69。

 このゲームはそう遠くない将来、更なる犠牲を生み出す悲劇のゲームへ変貌していくのだから。




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