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浪漫記  作者: 一・一
9/22

提題二:最善の選択は最善の結果を招くのであろうかⅢ

 買い出しから帰って来て早々、彼は買い物袋をそこらに放り投げると、倒れ込むようにしてソファに倒れこんだ。


「ボク……もう疲れたよパトラッシュ」

「はいはい、とりあえずローマには放火しないでよ」

「それは(ネロ)違いだ……」


 清次郎の力のない声に、これはダメだと彼女は肩を竦める。事実、清次郎は慣れない歩行環境に疲弊しきっていた。


「まあ、いいわ。お腹空いたでしょう? 何かちょっと軽めなものでも作ってきてあげるわ」

「そいつはありがたい。消火器を用意して待っていよう」

「あら、心外だわ。さすがに引火したりしないわよ」


 とりあえずあなたはリビングで待っていて頂戴、と言い残し、彼女は台所に篭っていった。

 台所に電気が灯り、ガタガタと何か物を動かす音が聞こえてきた。

 は、と清次郎は仄暗い茜色に染まった天井に、一つ疲労の溜息をつく。


 ……長い一日だった。


 昼頃に起きてきたはずなのに、こんなに密度の濃い一日もそうありはしないだろう。


 ……まずは第一関門突破、と言ったところか。


 まずは一日、妹に自分の正体を隠し切ったことに彼は安堵する。


「当面の目標は琴音に正体がバレないようにすること、かな」 


 正体がバレるようなことは、あってはならない。あくまで自分は精神の入れ替わっただけの偽物だ。紛い物だ。類似品だ。

 であれば、自身はただひたすらに本物であると偽り続けなければならない。例えこの世界の琴音が自分の世界の琴音ではないにせよ、妹が不利益を被る様を、彼は見たくなかった。

 黄昏色に染まったカーテンが、風でふわりと揺れた。床に映った影が、不気味に踊る。仄暗い茜色の部屋が、更に暗くなった。

 彼は唐突に、浮遊感にも似た感覚を覚える。


 ……「それは違う。それは違う」。


 すると、何かが語りかけてきた。懐かしき、声なき声だ。


 ……「偽物の琴音は死んだ。しかし、ここに本物の琴音がいるじゃないか」。


「本物……」


 ……「そう、その通りだ。だから俺は言っただろう? 本物の琴音はまだ生きている、と。この世界の琴音こそが本物。お前の世界の琴音は偽物だから死んだ。ただそれだけだ」。


 考えるのが酷く億劫になってくる。頭が白く、クリアーになっていく。「何か」による声なき言葉が、彼の内側で響き渡る。


 ……そうか。成程。そうだったのか。


 言われてみれば、そうだ。琴音は琴音であり、琴音である。それ以外の何物でもない。


 ……それに何より、俺はまだ約束を果たしていないじゃないか。


 夏祭りで一緒に花火を見ようと約束した。約束をしているのであれば、琴音がまだ生きているのは道理だ。その道理が成り立つのであれば、成程確かに、この「何か」の言う論理は正しいのだろう。

 もう一つの「何か」が叫ぶ


 ……『何をふざけたことを! 琴音は――』。


 しかし、この叫びは清次郎が一気に現実へ引き戻されることによって、中断された。

 清次郎を現実の岸辺へと引き上げたのは、まるでミキサー音、あるいは金属を擦り合わせるかのような叫び声だった。


『――――――――――――!!』


 この叫びに彼は何事かと驚き、思わず飛び起きた。

 叫びのした方向を見る。台所。智子はまだそこにいるはずだ。慌てて彼は台所へ急ぐ。


「智子、大丈夫か!?」


 見ると、そこには確かに智子がいた。彼女は少なからず驚いた顔をしていたが、とりあえずは安全だったようで、清次郎は一旦胸を撫で下ろす。

 彼は台所を見回す。しかし、特に荒れた様子はない。

 不思議に思いながらも、彼は何が起こったのか聞こうと智子を見る。

 ふと彼の目に、フライパンの上にある何かが映った。


「…………」


 名状しがたい、何かである。

 それはおよそ胴体と呼べるものがなく、毒々しい緑色をした液状の何かから、幾つかの触手のような首を(うごめ)かしていた。その先には、不釣り合いなほど大きい――ウズラの卵大の――頭部が付いている。縦に裂ける形で凶悪極まる乱杭歯の付いた口があり、目は草食動物のように左右に配置されている。

 あまりにもおぞましい。生理的嫌悪感というよりも、本能的嫌悪感を漂わせるものだ。ここまで来ると、これを創った神の悪意さえ感じる。

 彼は彼女に目で訴える。これは一体全体、どういうことなのか、と。彼女はフライパンの中身をちらりと見ると、引きつった笑い声を上げた。


「あ、あはは……。料理、失敗しちゃった」

「認めない! 俺は断じてこんなものが食品だとは絶対に認めない!」


 某RPGでは使うと魔獣を攻撃できる食品が存在するが、あれも絶対に食品では無いと彼は考える。


「……聞くが、この世界では料理を失敗するとビックリドッキリクリーチャーになるのか?」

「え、ええ。まあ、ええ。悪気はなかったんだけれども……ええ」


 空いた片手で髪の毛をくるくると弄りながらも、智子はバツが悪そうに曖昧な答えを「ええ、ええ」と言いながら返す。これで二人も下がいるというのだから、実に残念な姉である。

 清次郎は溜息をつき、思考を切り替えた。


 ……まずは、目先の問題だ。


「とにかく智子、そいつは危険だ。こっちに来い」


 いつでもこの謎料理に対応できるよう、彼はいつでも動けるように警戒する。狭く、物が多い台所は非常に逃げにくい。

 不幸中の幸いとでも言うべきか、それは半ば智子の手にするフライパンに寄生しているため、小さい。余程のことが無い限り大丈夫だろうが、念のためだ。


「ああ、ええ。……まあ、大丈夫よ」

「んな訳あるか! 下らんこと言ってないで早く来い!」


 あくまで余裕ありげに苦笑する智子に、清次郎はわずかな苛立ちを覚える。フライパンの中身は、こちらに向かって壁を張るように不規則に蠢いている。

 こうなったら強行手段で智子の安全を確保するか。遂にそう考え始めた頃に、清次郎の後ろからおずおずとした声がした。


「……あ、あの。兄の人」


 琴音であった。どうやら先の絶叫が気になって、様子を見に来たらしい。


「琴音か。今、ここは危険だ。下がってろ」

「危険?」


 怪訝に眉をひそめ、彼女は清次郎の脇からひょいと台所を覗いた。


「あ、あはははは……。ごめんなさい、琴音。また料理失敗しちゃったの」

「……やはり、そうでしたか」


 苦笑する智子と、フライパンの中を蠢くクリーチャーを見て得心いったのだろう。彼女は呆れたとばかりに溜息をつく。


「…………」

「あ、おい琴音っ」


 彼女はするりと清次郎の脇を通り抜け、カウンターの上にある、調味料が詰められた箱の中から塩を取り出した。清次郎が連れ戻そうと、押取(おっと)り刀に手を出そうとする前に、彼女は無造作にビンのキャップを捻ると、さっとクリーチャーに塩を振りかけた。


『――! ――――!』


 野生獣のように甲高く、聞くものを不快にさせる絶叫が上がる。しかし、クリーチャーの姿は琴音の背に隠れて、清次郎からはその様子が確認できない。

 何が起きたのか、淡い光が台所を照らす。光源は、フライパンの辺りである。

 数秒して、光が収まると琴音は溜息をつき、フライパンを清次郎に見せるように、その身を横にどかす。


「終わりました」

「……マジでか」


 一連の流れに呆気に取られていた清次郎は、フライパンを見る。

 妹の言う通り、そこには何もない。跡形もなくあのクリーチャーが消えてしまっていた。


「姉の人。あれほどあなたには料理をするなと言ったはずですが?」

「で、でも、清次郎に何か食べさせたかったし……」


 睨むように問い詰める琴音が、ちらと清次郎を一瞥(いちべつ)する。視線の種類は、こちらを咎めようとするそれではない。すると、反駁しようとしていた智子は「うう」と唸った。


「くれぐれも(やぶ)をつついて蛇を出さないように、お願いします」

「……わかった、わかりましたよ。確かに、今回は私が悪かったわ」


 ただ拗ねて尖らせた口をそっぽへ向ける姉に、妹は視線で詰る。


 ……どっちが姉で、どっちが妹なんだか。


 彼は結局、苦笑する他ないのであった。

2012/02/17:段落下げ忘れ修正

2012/02/22:全体的に修正。クオリティの改善

2012/02/25:調整。文章の追加

2012/03/02:段落下げ忘れ修正

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