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浪漫記  作者: 一・一
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提題二:最善の選択は最善の結果を招くのであろうか

 琴音を自室――元の世界には存在しなかった部屋だ――に招き寄せた智子は琴音をベッドに座らせ、自身も椅子に座ると溜息をついた。


「まったく、あなたはらしくもない。どうしたの」

「……久し振りに兄の人に会えたんです。緊張ぐらいしますよ」

「緊張。緊張、ねえ」


 反芻するように言葉を転がし、姉は妹を観察する。


 ……相変わらず、か。


 やや俯きがちなため表情は見えにくいものの、そこにはもはや彼女にとって見慣れた無表情が見て取れた。

 視線は下。こちらを見ずに、大事そうに抱えた自分の本を見ている。その本を持つ手が若干強ばっているのは、他人の部屋に入ってきたための緊張が原因であるだけではないだろう。


 ……本人はポーカーフェイス決めてるつもりなんだろうけれどね。


 智子は胸中で溜息をつく。琴音が虚栄を張って嘘をついているのは、その態度から手で掴めるように読み取れた。


 ……まったく、目は口程にモノを言うってあっちのコトワザは本当なのね。


 幼少期、その(ことわざ)を清次郎に教えて貰ったことを彼女は思い出す。この観察眼を養い、獲得したのもその時期だったことも、彼女は明瞭に憶えている。あの時は智子も、嘘をつくのが下手であった。

 ふと、その時に感じたものが急に思い出され、口を突いてきた。


「罪悪感」


 降り始めた雨の様に、ぽつりと智子は呟いた。


「セージローに、罪悪感を抱いているの?」

「…………」


 妹はその問いに、しばし沈黙した後にようやく頷いた。やっぱり、と姉は溜息をつく。


「あなたはあの時、清次郎に打ち明けなかった。つまり、あなたは清次郎を騙し続けることを選択した。そうね?」


 確認に、妹は頷く。

 智子は淡々と言葉の雨を降らせる。電気も点けず、カーテンも閉め切った部屋の白い天井はさながら暗雲の様にすら見えた。


「私はあなたに十分な説明をしたと思っているわ。じゃあ、なんであなたは自分の選択に後悔して、負い目を感じているの?」

「……兄の人に」


 ぎゅっと本を握り締める琴音の手が力を増した。白い指が、僅かに赤くなる。


「兄の人に嘘をつきたくない。偽りたくないんです、私は」


 琴音の手が温度を失ったかのように小刻みに震える。彼女は本を胸に抱いて、震えを押し留めた。雨で本を濡らさぬ様に。


「今は、逆の選択肢を選べば良かったと思ってる?」


 今の琴音は非常に不安定な状態だ。だから、智子はできる限り優しく問いかける。


「いいえ。私は最善を選びました。でも、それでも――」


 そこで、ようやく姉は妹を理解した。


 ……私は、随分と酷な選択肢を与えていたのね。


 かつて姉は妹に選択肢を与えた。「最初から清次郎に全てを明かす」か、それとも「清次郎を騙し続けるか」、と。妹はその時、後者を選んだ。


 ……要するに、私は地獄の種類を選ばせていたようなものなのね。


 針山地獄か血の池地獄か、どちらか選べと問われれば、誰でも両方とも御免被(ごめんこうむ)ると答えるだろう。それでも選べと言われれば、比較的にマシな方を選ぶのは自明の理だ。マトモな常識と良心のある者であれば、すぐにわかることである。

 しかし、これは無理も無い話であった。東屋智子は他者とは決して相容れない。決定的に「違う」からだ。


 ……でも、やらなきゃならない。


 他でもない、自分自身がそう決めた。例え誰かが苦しんでいても、安い同情などで中断などしない。果たさなければならないのだ、絶対に。


「じゃあ、もう一度あなたに訊くわ。あなたと私が初めて会った時にした問いよ」


 琴音の濡れたように疲れ切った肩が、びくりと震える。それでも執着心に囚われた彼女は、義務感にも等しい何かに背中を押されて妹に大粒の雨をぶつけた。


「選択なさい。このまま清次郎を騙し通すか、それとも全てを明かしてしまうか」



「じゃあ、もう一度あなたに訊くわ。あなたと私が初めて会った時にした問いよ」


 びくりと、自覚できるほどに琴音の肩が跳ね上がった。


「選択なさい。このまま清次郎を騙し通すか、それとも全てを明かしてしまうか」


 ……選択。


 その言葉を琴音は頭の中で反芻する。

 既に一度選んだ選択肢だ。それをもう一度選び直していいと言われている。


 ……遠まわしに「全てを明かせ」と言っているのでしょうか。


 琴音の胸中で猜疑心がむくりと起き上がる。

 彼女にとって、「全てを明かす」という選択は論外とも言えるものであった。


 ……全てを明かしてしまったら、兄の人に嫌われてしまいます。


 誰が何と言おうと、琴音は清次郎に嫌われることだけは避けたかった。加えて、もし全てを明かしてしまったら、自分が自分でいられることすらできなくなってしまう。これを論外の選択肢と言わずして何と言おうか。

 であれば、答えは消去法的に決まったも同然である。


「……私は、彼を騙し続けます。今まで通り」

「本当にそれでいいのね?」


 無言で頷く。智子「そう」と言った。


「なら、自分を演じ続けなさい。やり残したことをやりなさい。あなたの選択は『役者の義務』を負うことに他ならないのだから」


 前と同じ言葉に、琴音は同じように頷いた。その時と同じく、やはり彼女の心にためらいはない。しかし、胸の中には確かにわだかまりが残っていた。


「それじゃあ、もう行きますね」

「ああ、ちょっと待ちなさい」


 わだかまりから抜けだそうとするように退出しようとした琴音を、智子が引き止める。

 彼女は何も入っていない本棚から一冊の文庫本を取り出すと、「はい」と琴音に手渡した。

 一体何かと不思議に思いながらも彼女は渡されたそれを見る。民明書房刊行「騎士物語」。


「……著作権法違反ですね」

「イデアーロピアは治外法権なのよ」


 琴音なりの冗談に、苦笑しながらも智子は冗談で返した。


「きっとあなたに必要だから、読んでみなさい。もちろん清次郎と一緒にね」

「そうですか。ありがとうございます」


 言葉の真意を計りかねながらも、琴音は素直に礼を言った。


「やっぱりちょっと、暗いわね」


 不意にそう言った智子はカーテンを引き、窓を開けた。

 わっと外の光が部屋に差し込み、余りの眩しさに二人は目を細める。海の匂いのする新鮮な空気が部屋に入り、部屋の(こも)った空気と入れ替わる。

 強い風が、部屋に吹き込んだ。その風に誘われたように琴音は窓辺に歩み寄り、空を見上げる。


 ……雲。


 そこからは、ゆっくりと流されていく雲が見えた。

 風は、依然強く吹き続ける。

2012/02/06:若干の表現の微調整

2012/02/07:劇中の書籍名を変更。

武者小路実篤「友情」→民明書房刊行「騎士物語」

このことについては、浪漫記完結後に釈明致します。申し訳ありません。

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