【幕間】東屋兄妹の幼少期
東家清次郎には仲の良い一人の妹がいた。
妹の琴音は幼少期から内向的な少女で、いつも兄である清次郎の後ろに付いて来ていた。
清次郎は、未だに憶えている。二人がほんのまだ小学生の頃、毎日のように琴音にせがまれて、本を読み聞かせてやった。二人でページが見えるよう、琴音を膝に乗せ、多くの本を読んだ。
最近の清次郎は、本をあまり読まない。元々、幼少期から本が好きだというわけでもなかったのだ。しかし、彼はひとたび可愛い妹に「これ読んでください」とせがまれると、たちまちその頼みを聞いてやりたくなってしまい、結果いつものように琴音をちょこんと膝に乗せ、本を読み聞かせてやってしまうのだった。それがつまり、彼の読書が続いていた理由である。
読書の他に、琴音は夏祭りが何より好きだった。
これもまた二人が幼い時分、清次郎はふと琴音の人見知りの程度にある種の危機感を懐いた。そこで琴音を人に慣らそうと一計を案じた清次郎は、ちょうどタイミングよく近所の神社で開催される夏祭りへと半ば強引に琴音を連れていった。
計画の構想に夢中になる清次郎にいつもの読み聞かせをおざなりに済まされた上、何の予告もなしにいきなり苦手な雑踏に連れ出された琴音は、初めこそ困惑と不機嫌さを露にしていた。だが、清次郎がねだって母から貰った小遣いを片手に、二人で店を回ってみていく内に、人混みにこなれて来た琴音は最後には楽しそうに笑っていた。特に、最後の花火は痛く気に入ったらしく、彼女はやや興奮気味に「毎年見に来ましょう」とまで言っていた。
それからというもの、年に一回、夏祭りへ行くことが二人の習慣となった。
その時期の二人は、まず間違いなく幸福に満ちていると言えた。
清次郎が小学校ももう卒業といった時、琴音は倒れ、病院へと搬送された。
その時の清次郎はたった一人の妹を案じた。親に妹の病気について聞いてみたが、何やら難解な言葉が出てきて、結局わかったことと言えば、妹は病気に罹ったということだけだった。
二人の読書は、妹が入院してからも続いた。学校が終わったら図書館へ妹にリクエストされた本を借りに行き、そのまま病院へ行き、妹に読み聞かせる。
中学生にもなった当時の清次郎にとって、この行為は非常に気恥ずかしいものであったし、もう大きくなってしまった妹に読み聞かせをするというのもどこか奇妙だと思ったが、やはりその時も清次郎はせがみ立てる妹に負けるのだった。
夏祭りは、医者に禁止されていけなくなってしまった。不幸中の幸いというべきか、祭りの花火だけは病院からも見えるため、その習慣だけは残った。
妹が入院した事自体には当初ショックを受けていた清次郎だが、時が経つに連れてそれも薄らぎ、いつの間にかに常と変わらなくなっていた。
環境も大きく変わったが、まだその時の二人は充分に幸福だったと言えた。
しかし、琴音の病状は悪化する一方だった。
最初の内はまだ元気な様子をしていた。見舞いに行くと、妹は兄に笑顔で接した。
数日経ち、数週間経ち、数ヶ月経っても、清次郎は毎日のように足繁く見舞い通いをした。琴音は必ず一度は笑顔を見せた。清次郎はその時、その笑顔を信じていた。
半年ほど経つ。清次郎の愛妹はまだ笑っていた。しかし、その顔は目に見えてやつれていた。そこでようやく、清次郎は琴音が無理に笑って見せていることに気が付いた。
無理も無い話である。彼の希望的観測が、自分の価値判断能力を大きく鈍らせていたのだ。
彼は妹の病状に勘付き、それでも希望を求めた。彼が問いかけ、その問いを否定されることを、彼は切望したのだ。
しかし、彼は湧き上がる切望と同時に、その問いかけに一種の忌避感を覚えていた。彼はその問いかけが、今までのガラスの幸福を一瞬にして砕いてしまうものであると、直感的にではあるものの、理解していたからであった。
最終的に彼は、その問いを自分の胸に秘めることを選んだ。
ただひたすら放課後には妹に本を読んで聞かせ、年に一度の夏祭りの日には一緒に花火を見た。
妹は彼が気付いていないと、自分の希望的観測によって信じた。
こうして二人の脆く儚い幸福は、文字通り琴音が死ぬまで続いた。
2012/01/17:読みやすさ重視で段落下げたり何たりと……
2012/01/25:サブタイトルを変更