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浪漫記  作者: 一・一
2/22

提題一:胡蝶の夢Ⅱ

 清次郎は漠然とした不安を抱えていた。

 唯一の救いがあるとすれば、目覚めた場所が見慣れた自室であったということだけだが――それも再度窓の外の様子を見てから改めて自室を見渡すと、とたんに清次郎は居心地が悪くなってしまった。どこか、ここが自分の家ではないような気がしてきたからだ。

 しかし、こういう状況であってもヒトの身体とは意外と素直である。腹の虫が喚き出してから初めて空腹感を覚えた清次郎は、とにもかくにも腹を満たそうと考えた。

 幸か不幸か、起きた時間はちょうど昼時。姉を自称する少女も、下に昼食があると言っていた。


「……まずは昼飯食ってから、だな」


 ……そういえば、これが夢じゃないってことは、あの女も実在の人物なんだよなぁ……。


 もしも下にいれば、色々と聞いておこうと考え、彼はとにもかくにも昼食が待っているであろうリビングへ向かった。

 こちらの家の中は、彼が元いた時とあまり変わらなかった。変わったことといえば、北側の窓が少なくなっていることと、二階に見慣れない部屋が一つ増設されていることぐらいだろう。

 空腹を抱えたまま辿り着いた先のリビングには果たして、少女はリビングで昼食をとっていた。

 もくもくと咀嚼していたパンを、その白く細い首にコクンと嚥下してから彼女は言う。


「やっと来たのね」


 清次郎は答えようとしたその直前に、腹の虫によって返事を横取りされてしまった。

 少女はくすくすと笑い、台所のカウンターを指した。


「そこにパンがあるわ。適当に切って食べて頂戴」


 なおも顔を綻ばせる少女に、清次郎は気恥ずかしさで言うことも言う気になれず、黙っていくつかあるパンの内の一つを切って食卓についた。

 食卓にはジャム瓶が並んでいる。適当なジャムをパンに塗りたくる。


「あ、それオレンジピールパン……」

「……あ?」


 手を止めてパンの切れ口を見てみると、確かにそこのには点々と黄色の粒の様な物がパンの白さに混じっていた。

 清次郎は構わずピールパンを頬張る。


「多分そのジャムとじゃ合わないと……あーあぁ」


 たっぷりと咀嚼して味わった後、嚥下する。少女はその様子を信じられないものを見るかのような面持ちでじっと見つめていた。


「お、美味しいの……?」

「ふむ。まあ、不味くはない」


 おずおずと聞いてきた少女に、ほれと一つピールパンを渡すと、少女は少々不安げな表情でパンに清次郎の付けていたものと同じジャムを塗り付け、食した。


「ん、んん……んんん?」


 もくもくと咀嚼するが、一度噛むたびにその表情は苦々しく、悲しそうで、何より不快そうな表情へと変わって行った。


「微っ妙……」


 余程不味かったのだろう。彼女は口を押さえ、眉をしかめる。


「だから言っただろう? 不味くはない、と」

「ええ、本当に……。オレンジ味が残っていてるのに、じわじわとイチゴジャムとピールが合わさった不味さが込み上げてくる。本当に微妙で、それが余計に腹立たしいわ……」


 ようやく嚥下できるまで噛みきったのか、こくんと飲み下して早々に彼女は何とも言えぬ表情と共に大きなため息をついた。


「味音痴」

「好みは人それぞれだ」

「だとしたらあなたは相当な悪趣味ね」


 厭味ったらしい口調で、少女が睨んでくる。彼はただ肩をすくめるだけだった。


「まだ口の中に味が残ってる……」

「仕方がない。ほれ、口直し」


 ジャムを塗ったパンを手渡し、少女は清次郎を睨みながらもそれを奪い取るように受け取り、頬張り、途端にまた苦々しい表情になった。

 彼女はパンを裏返す。黄色の斑点。ピールパンだった。


「きぃぃぃぃっ!」


 布を引き裂くかのような奇怪な悲鳴とも怒号ともつかぬ叫びを上げ、彼女はジャムつきピールパンを皿に叩きつけた。清次郎はそれを拾い上げ、一口食す。


「すっげえ美味ぇ!」


 とびきりの笑顔でサムズアップしてみせると、とびきりの奇声を上げられた。


「ああもう、死ね! 死になさい!」

「すまない、悪気はあったんだ」

「なお悪いわあっ!」


 なおもわんわんと喚く少女に、清次郎は開いている方の片手をひらひらとさせて適当に流す。


「むぅぅ……もういいもん」


 彼女はなお憤懣やるかたないといった様子で腹立ちまぎれに手近にあったパンを頬張った。

 急に少女は口元を抑え、泣き出しそうになる。頬張ったパンが、ジャム付きのそれであったのだ。


「いいことを教えてやろう。『二度同じ過ちをする者は愚者(ぐしゃ)である。三度同じ過ちをする者は救いがたい愚者である』」

「うぅぅ……。うるさい! バカって言ったほうがバカなんだから! バーカ! バーカ!」


 どうやらこの少女、激情を起こして精神がやや幼児退行したらしい。半ばヤケクソ気味に返す彼女に、適当な相槌を返して彼はまたジャム付きのピールパンを頬張った。それを見た少女は気分が悪そうに外方を向く。まだ味が残っているのだろう。少女は恨めしそうな目で清次郎を睨むが、その彼は無視して黙々と昼食を続けた。

 パンを食べ終えていい具合に腹が膨れてきた辺りで、清次郎は本題を切り出した。


「それで、誰だお前」

「え、ええっ? そ、それまだ続いてたの?」


 少女はやや面食らった表情をする。

 しかし、次にはそれを怪訝なものに変えた。清次郎が、まったく真剣そのものだったからだ。


「わ、私は私、東屋智子よ。もしかして本当に私の顔を忘れちゃったの?」

「忘れたも何も、家族は俺の他には母さんと父さん……それから琴音だけだ。姉は最初からいない」

「意味がわからないわ。あなた、夢でも見てて、まだ寝惚けているじゃないの?」


 東屋智子を名乗る少女は詰め寄るように語気を強める。若干苛立ってきたのか、彼女はきつく髪を巻きつけるようにして長髪をいじっている。

 彼女の言葉に、清次郎は胸中で舌打ちした。また「胡蝶の夢」の時の感覚――不安を駆り立てる、筆舌に尽くしがたい不快感――を思い出してしまったのだ。


「わかった、じゃあそっちは一旦置いておこう」


 逃げるように話題を変える。彼にはこれ以上「自分の現実世界」を否定されるのが耐え切れなかったのだ。


「次の質問だ。ここは何国の何県、何市、何町なんだ?」


 清次郎の質問に、智子は怪訝な顔をする。その表情を見て、直感的に清次郎はその質問が自分の首を確実に絞めていたことを悟った。


「何国ってあなた……。ここはイデアーロピアよ?」


 反射的に聞こえなかった振りをしようとしたが、遅かった。

 がつんと脳に衝撃が来た時のように一瞬、世界が暗転する。


「イデ、アーロ、ピア……?」

「そう、水上立体型都市アルコロジ、イデアーロピア。これも忘れた?」


 真剣な面持ちで詰め寄る智子からの聞きなれない言葉に、清次郎は目を白黒させる。


「いや、忘れたも何も……」

「……知らない、ってことね」


 引き継がれた言葉に頷く清次郎の様子を見て、智子の髪のいじり方が指に絡ませた髪の毛を強く引き絞るものに変化する。その目には、見た者を射抜くかのような鋭さがあった。


「ねえ、それじゃあ逆に聞くけど、あなたは誰?」

「東屋清次郎だ」

「今まで住んでいた町は、どんなところだった?」

「普通の町だ。少なくとも、ここみたいに建物の上に建物を建てるような町じゃなくて、地面に広がるみたいにして建物が建つ、普通の町だった」

「……道理で変だと思ったわ」


 智子はやれやれといった風に大きなため息をつく。清次郎はそれに怪訝な顔をした。


「どういうことだ」

「今から伝えることは、まだ推測域を脱していないわ。それでも、聞きたい?」


 清次郎が無言で頷く。彼女はそれを認めると、一息ついてから口を開いた。


2012/01/20:会話文などを微調整

2012/02/13:会話文などを仮調整

2012/02/20:会話文の調整を完了

2012/05/30:題名を「胡蝶の夢Ⅱ」に変更

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