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浪漫記  作者: 一・一
15/22

提題四:その夢は誰のものかⅣ

 家のリビングに少年と少女がいる。幼き頃の清次郎と智子だ。


「トモちゃん、ボクのおやつ食べたでしょ」


 睨む清次郎の詰問に、智子は髪を弄りながらあからさまに否定する。


「た、食べてないわ」

「本当に?」


 視線をそらす少女の目を回り込むようにして追うと、またそらされた。少年の目が疑念で細まる。


「食べたんだ」

「食べてないもの」

「ウソつき。ばればれだよ」


 攻撃的な言葉で少女の息が詰まり、身が強張る。


「ウソはついちゃいけないんじゃなかったの?」

「……それは他のところの規律だもの」

「でもいけないことであることには変わりないよね?」


 追い打ちをかけられた少女はバツが悪そうに俯く。まったくの正論だった。

 しばらく黙ってその少女を眺めていると、やがて意を決したのか、少女は顔を上げた。


「……ごめんなさい」

「ん。ゆるした」


 緊張が解けたのか、少女は安堵の溜息をつく。問題は解決されたが、罪悪感が残っているのかまだ少女は少しだけ気まずそうだった。


「さ、遊びに行こう」


 少年は努めて笑顔で少女の手を引く。家を出て、彼らだけの遊び場へ向かう。

 道中、少女が「ねえ」と少年に呼びかけた。


「なんで嘘だってわかったの?」

「誰だってわかるさ。目は口ほどにものを言うし。それに――」

「それに?」


 小首を傾げる少女に、しかし彼は「なんでもない」と誤魔化した。

 一つくらいわかりやすい特徴を残しておいた方が見分けやすい。彼女の長い髪を見ながら、彼はそう思った。



 ざあざあと木々の葉が擦れ合う音が聞こえる。

 目を閉じていてもちらちらと感じる眩しさに眉をしかめる。光から逃れるようと頭を動かすと、後頭部に柔らかさを感じた。不思議に思いながら、彼は目を開ける。


「おはようございます、兄の人」

「……おはよう」


 最初に視界に映ったのは、こちらを覗き込む琴音の顔だった。一瞬で、彼は膝枕をされていたのか、と現状を把握する。


「いつの間にかに寝ていたのか……」

「可愛かったですよ、寝顔」


 微笑む琴音に、清次郎は気恥ずかしさで顔を赤くした。

 横目でちらりと周囲を見ると、一面の芝生と木々の緑や、ベンチ、遊具も見えた。そこで古書店巡りをしてから公園で休憩をとっていたことを、ようやく思い出す。

 ちろちろと木漏れ日が目を眩ませるのに、彼はまた眉をしかめる。


「眩しいですか?」


 清次郎の顔に影を落とすように琴音が手をかざすと、彼の表情が和らぐ。それを見て琴音も表情を緩ませた。

 かざされた琴音の手を、指を絡めるようにして手に取った。自分のそれと比べて冷たいが、確かに体温を感じる。彼はまた、胸の中に温かいものを感じた。


「日除けできませんよ」

「いい。今は、こうしていたいんだ」


 眉を寄せて少しだけ困ったような表情をするが、彼女は諦めるように溜息をつくと、身体から力を抜いた。

 しばらく、二人は無言でそうしていた。

 沈黙を破って口を開いたのは、清次郎だった。


明後日あさって、花火大会がある」


 清次郎の脳裏に浮かんだのは、あの花火大会の夜にした約束だ。それを、このイデアーロピアで果たさなければならなかった。

 乾いた口を開く。鼓動が早くなる。握っていた手が汗ばむ。時間がひどく遅く感じてしまう。それでも、清次郎は続きを言った。


「――行こう。一緒に」

「はい、行きましょう。一緒に、花火を見に」


 琴音の表情がにわかに華やいだ。その様子に、彼は安堵するが、ふと、何か拭い去れないほど深く大きな違和感を覚えた。その原因は、彼にはわからない。結局、彼はそれを無視した。

 時計を見る。もう四時半近い。そろそろ黄昏時に入ってもおかしくはない時間だ。


「暗くなる前に帰るか」

「その前に、少しだけ神社に寄って行っていいでしょうか」

「神社……?」


 およそこの兄妹にとって、神社などというものは縁遠いものだ。彼女の表情からは何も読み取れない。不思議に思いながらも彼はそれを承知した。

 例によって琴音に先導されて目的地へ向かう。船渡しを利用して着いたは、緑豊かな島だった。

 穏やかな場所だ。人気は少なく、参拝者は二人を除いて誰もいない。

 石畳に従って森の中を進んでいくと、社のある、円形に開けた広場に出た。ここで祭られている神は「国水上智命クニミカミトモノミコト」と言うらしい。随分と寂れているが、なぜだか清次郎はここを懐かしいと感じた。


 ……デジャビュか?


 思い出そうと努力するが、やはり彼には過去にこのような場所に来た覚えが無い。気のせいか、と彼は結論を出した。


「…………」


 作法に則り、手水で手と口を清め、賽銭を入れる。入れ鈴をし、二礼二拍手一礼。


「そろそろ暗くなります。早めく帰りましょう」

「もういいのか?」

「ええ、義理立ては終えましたので」


 木々の隙間からは、彼女の言う通り茜色が差し込んでいた。琴音はすぐさま清次郎の手を取ってさっさと踵を返そうとする。彼女の足取りが早いのは、本当に日没を気にしているだけなのだろうか。

 思いの外あっさりと寄り道を終え、二人は帰路につく。神社から階段までの距離は、思いの外長い。周囲の暗色が深まり出す。


「……ショートカットしましょう」

「裏路地を使うのは危険だ」

「距離自体は短いので、大丈夫です」


 強引に腕を引っ張られ、強引に路地裏に引き込まれた。

 路地裏は薄暗く、また湿気が溜まりやすい。時折、角や空いたスペースに人がボロ布のようなものに包まって寝ている浮浪者が見える。


「こっちです」


 随分と複雑に入り組んでいるのにも関わらず、琴音は迷いもせずに先導する。二人は足早に路地裏を突き進む。

 開けた場所に出た。一瞬、清次郎はメインストリートに戻ったのかと思ったが、どうもちがうらしい。確かに面積的に広いには広いが、周囲の景観は薄汚れていて、いかにも柄の悪そうな人々がそこらを闊歩している。路地裏から出た先は、単なる裏道だったようだ。

 心なしか先程よりも歩く速度も早く帰路に急いでいると、急に横の角から黒い影が飛び出した。


「……っ!?」


 影はそのまま肩で体当たりするように琴音にぶつかる。彼女は呻きとともによろめき、するりと繋いでいた手が離れた。

 たたらを踏んで何とか持ち堪えようとするが、急に彼女の身体が前に引っ張られる。彼女のバランスを辛うじて保っていた前足の重心が更に前方へと移り、前のめりに体幹が傾ぐ。反射的に清次郎が腕を掴もうと手を伸ばすが、反応が遅すぎた。ざりざりとアスファルトに強く摩擦される、痛々しい音とともに琴音は倒れた。


「大丈夫か!?」

「は、い……」


 琴音に呼びかけると、苦しげな返答が帰って来た。少なくとも、意識はあるようだ。彼は琴音を抱き起こし、気付く。さっきまで持っていた琴音のバッグが無い。

 体当りしてきた影が去っていた方を見る。既に小さくなっている影の手で、ポーチバッグの紐が宙に踊っているのが見えた。


「あの野郎……!」


 引ったくり。何が起きたか理解するや否や、許しがたい敵を追わんと立ち上がる清次郎に制止の声がかかった。


「兄の人!」


 引ったくりを追わんと出した足を急制動する。ここであの引ったくりを追うことは、即ち琴音を危険な場所で一人取り残すことになる。それを琴音の呼びかけで思い出したのだ。


「大丈夫です。あのバッグに大した物は入ってません」


 痛みと苦しみに耐えながらも、彼女は言った。清次郎は引ったくりの過ぎ去った方を見て、憎々しげに舌打ちした。


「……傷は」

「いえ……大丈夫です」


 そう言う琴音は、清次郎と目を合わせようとしない。彼女は呻きながらもふらふらと自力で立ち上がった。転倒する際に手を突っ張り棒のようにして、衝撃を緩和させたのだろう。彼女の庇うように左手で抱く右手以外、外傷は無いようだ。


「右手、見せてみろ」

「いえ……大丈夫です」


 清次郎が促すが、琴音は頑として応じない。焦れた清次郎は強引に琴音の手を掴み上げ、患部を見た。

 嫌な予感が彼の脳裏を掠める。が、遅すぎた。

 清次郎は見た。琴音の擦り傷を。しかしそこに見えたのは血の赤ではなく、黄燐の発するような、青白く、不気味な光が琴音の傷口から宙を舞っている様であった。

 どこかともなく、彼には理性だったものが嘲笑する声が聞こえた。

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